<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

TYPE-MOONSS投稿掲示板


[広告]


No.24979の一覧
[0] サリエルを待ち侘びて(Fate After Story オリジナルキャラ有り)[tory](2010/12/18 12:21)
[1] サリエルを待ち侘びて Ⅰ[tory](2011/07/16 00:35)
[2] サリエルを待ち侘びて Ⅱ[tory](2011/02/26 21:28)
[3] サリエルを待ち侘びて Ⅲ[tory](2011/08/02 23:45)
[4] サリエルを待ち侘びて Ⅳ[tory](2012/10/27 22:28)
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[24979] サリエルを待ち侘びて Ⅳ
Name: tory◆1f6c1871 ID:5c14e23d 前を表示する
Date: 2012/10/27 22:28
 間桐桜がその遠方の街に漸く辿り着いたのは、学生達が帰宅の途で忙しなく行き交う時間帯だった。
 暮れかける郷愁を誘うオレンジの残光の中。
 網膜の中にボンネットに反射して、乱舞する結晶に似た輝く欠片が飛び込んできた。
 信号待ちの自身の車の前を、家路を急ぐ数多の雑踏が横切る。
 歩行者用信号が青を点灯させている間、お馴染みの寂しげで不気味な関所と参拝を巡るわらべうたの電子音が鳴り響いていた。
 桜は、見慣れぬ制服を着た学生が談笑しながら横断歩道を渡っているのを何とはなしに目で追ってしまう。
 きっと彼らは、未だ日々の輝かしさを疑わず己に倦むことも少なく、自身と世界が等価であると無条件で信じているのだろうなと羨望混じりに考えつつ。
 
 少年少女達を目に映し、ふと思わずその姿を幻視するように重ねた。
 かつての自分と、掛け替えの無い存在であった赤毛の朴訥な少年とを─── 
 複雑な心をそのまま表すように桜は大きく息を漏らし、無理矢理頭を頭を覚醒させるかの如く必要以上に背筋を伸ばす。
 桜は、今の連想は我ながらあまりに情けないではないかと内心で苦笑した。
 そんな簡単なものではなかったし、その時の自分がそのように幸福な幻想を描けたのは極々僅かであったというのに。
 普段は心の奥底に頑強に封じ込めているものが無防備に浮かび上がったのは、少々の疲労のせいか。
 無理もない。
 何しろ、八時間を越えて運転し通しだったのだから。
 
 冬木から此処まで、普通ならば飛行機や高速鉄道を利用する遠大な距離だった。
 それを、高速道を幾つか乗り継ぎつつ愛車を駆り立ててやって来た。
 しかも、およそ尋常ではない速度で。
 あえて車でという選択をしたのは、無論の事、彼女自身の嗜好の問題だった。
 端的に言えば、単純にこの跳ね馬のエンブレムのモンスターマシンを思う様に走らせるという、そうそう無い機会を逃したくなかったのだ。
 つまりは、極めて個人的な欲求である。
 
 誰もがそのたおやかな見た目や雰囲気の落差から愕然とするが、桜は車をより速くより獰猛に走らせることに快楽を見出す。
 少々、周囲から見れば逸脱していると思われる程に。
 より簡潔に表現すると、重度かつ深刻なスピード狂というやつである。
 “ハンドルを握ると性格が豹変する”などと評される人間は多いが……変わらないからこそ恐ろしいものもこの世にはあると、彼女をよく知る者達はしみじみと語った。
 更に言うならば、その運転技術が実際に相当神憑っているというところも性質が悪かったのだ。
 
『冬木には時折、化け物じみたマシンを神の如き腕で走らせる謎の美女が忽然と現れる』
 
 冬木一帯の走り屋達の間では、怪談と紙一重のそういう畏怖を伴う噂があった。
 事実、遭遇した腕に覚えがある猛者が幾人も挑んでは呆気無く彼女の後塵を拝していたのである。
 
 当初は、桜もこのような性向と才能が自身にあるのが不思議だった。
 そう、これを最初に自覚したのは確か───

『その、なんだ……もしかして、桜って極度に集中を要するもの全部に才能があるんじゃないのか? 弓と同じでさ。ただ、これに関しちゃ俺なんかじゃ足元にも及ばなさそうだけどな』

 そうだ───困ったように赤毛の頭を掻いていた彼にそんな事を言われたんだった、と桜は明確にその場面を思い出し自然と表情が綻んだ。
 確か、あの美しい湖と森の国へ所用があり訪れた際の一幕。
 その地でちょっとしたトラブルに巻き込まれ、何故か自分が車の運転をすることになり、そしてどういう訳かカーチェイスじみた真似をしなければならなくなった時の会話だった。
 思えばあの時こそが、自身の嗜好を自覚する最初のきっかけだったのかもしれない。
 が、

『いや、これって、そういう問題なのかしら?……そもそも免許取り立てでこの運転って、正直どうなの? この先、果てしなく危険の匂いしかしないんだけど』

『遺憾ながら、全くの同感ですわね。率直に申し上げて、軽々しく我が家の車を貸し与えたのを、今私は猛烈に反省しているところです』

 あの時、赤と青の普段はいがみ合っている筈の二人の魔女からは、本当に双子のようにそっくりな頭痛を堪えるような表情で同時に溜息を吐かれてしまった。
 最初に煽ったのは、あの二人だったというのに。
 まあ、確かに……あまりに夢中で形振り構わない状態になっていたとは言え、ドリフトやスピンターンを知らずに多用して道無き道を駆け巡っていたので、そんな風に言われるのも無理なからんことだったのかもしれない。
 最終的には、カースタントじみた片輪走行やジャックナイフすら駆使して追跡した相手を湖にたたき落としたのだから、ほんの少しだけやり過ぎだったと今だったら思わないでもない。
 

 信号が青へと変わったと同時に、悲鳴のようなアスファルトへの擦過音を残し急発進した。
 平和な街並みに似つかわしくない爆音を轟かせ、人々の呆気に取られた注目を取り残し黒銀の車は弾丸さながらに走り去る。
 蹴りつけるようにクラッチを切り、ギアを少々乱暴に変えてアクセルを思い切り踏み込んだ結果である。
 考えてみると、あの日々は本当に目が回るほどに忙しなかったけれど、とても大切で輝かしいものだった……そんな、懐旧の想いに囚われそうになるのを慌ててかき消したのが彼女の動作に表れたのだ。
 今は気を緩ませる訳にはいかなかった。
 何しろ、冬木の管理者の全権を任された『代行』としてこの地の尋常ならざる支配者と相対せねばならないのだから。
 特殊な地での定番として、睥睨する一段高所に居を構える古き一族。
 その当主たる人物は、伝え聞く通りならば……


 昨日の昼。
 桜は、幽玄にして清浄なる山を貫く長大な石段を登り、あらゆる意味で馴染み深い冬木一の名刹である山寺に訪れていた。
 こちらから依頼をした件の、結果を受け取る為である。
 それは、予想より大分早く齎されたのだ。
  
「三咲市……ですか? 聞き覚えがないのですが、どの辺りなのでしょう?」

「そう、冬木からだとかなりの遠方ですな。まあ、大雑把に言うと車だったら半日程度の距離。一応は、首都圏ということになりましょうか」 

「そうですか。確かに遠いですね」

 独特の香の匂いが染み付いた、風雅な調度が配された応接の和室。
 黒檀の机を挟み桜と相対する濃紺の作務衣に身を包んだ僧は、一部の隙もない佇まいで茶を嗜みつつ頷いた。
 彼女は、久しく会っていなかった彼をそれとなく観察する。
 厳格かつ謹直な表情は相変わらずだなと、内心で桜は思う。
 ただ、眼鏡の奥の涼やかな目が鋭さに加えて危ういものと空虚さを湛えているのが気になる。
 見た目で特に以前と一番変わっているのは、その頭髪が半ば以上それまでの艱難辛苦を物語るように色が抜け落ち白くなっていることだろうか。
 雰囲気も、どこか昔の鷹揚さに欠け重苦しく隙がなさ過ぎる。
 それは、お互いの関係性によるものなのか。
 それとも……

「とは言え、何も人も通わぬような未開の地という訳でも無し、赴くに困難ということでは当然ないです。それに、確かあの近隣には空港すらあった筈。ま、それはともかくとして………しかし、聞き覚えがないとは少々意外ですな。あの辺りは確か、君達にとっても特殊な地だと耳にしているのだが」

「と、言いますと?」

「いや、自分も今回の件とは外れるので詳細は調べていないのですが、なんでも“蒼崎”という家名は君達にとって決して無視できないものだとか?」

「それは……」

 桜は、目を見開いて息を飲む。
 流石に、それを知らぬ筈はなかった。
 少なくとも、魔術師と自らを定めている者であるならば。
 ただそれが、目の前の彼の口から出たのに驚いた。
 
 魔術師達にとって辺境であり、取るに足らない地とされる極東の島国より輩出された、本流である西欧の名家達すら認めざる得ない随一の魔導の名門。
 もしくは、名門とは程遠く只々異常極まりないだけの変質的な家系に過ぎないと忌避に近い評をされる場合もある。
 これは一見相反するようではあるが、実はどちらの評価もそれなりに正しい。
 “蒼崎”は古い家系ではあるが、大貴族と呼称される"貴き血"の三家は言うに及ばず、その直下の二十余りある親族からすらも程遠い血筋なのだという。
 無論、表の伝承にすらその存在が垣間見えるような著名な一族でも神代よりの業を脈々と受け継ぐ一族でもない。
 つまり、血の純潔を尊ぶ魔術師という観点では名門では無いのだ。
 だが何者も軽侮できない、畏怖すべき一つの大いなる事実がある。
 それは、その血筋が信じ難い事に僅か数代で───。
 
「ふむ……その様子では、本当に御存知無いようだ。まあ、確かにあの辺りはこの冬木以上に色々と事情が複雑らしい。しかし、一説によるとこの三咲市というのはその“蒼崎”の地であると言われているようなので、君達にとっては周知の場所なのかと。もっとも、情報が交錯して判然としないのですが」

「そうですか……勿論、“蒼崎”の地が関東にあるのは存じていましたが、具体的な場所について“こちら”には伝わっていないので少々驚きました。何しろ相手が相手なので、その辺りの余計な詮索は出来ないですから」

「ああ、なるほど。要するに、“触らぬ神に祟りなし”と言ったところですか。“蒼崎”とは、君達にとってそれほどの銘というわけだ。もっとも、事情はこちらも似たようなものですがね。どうやら、何らかの難儀な盟約があるようだ。その辺り、かつての冬木と同様なのでしょう」

「あの、すると───その土地の管理者は、“蒼崎”の縁者ということで宜しいのでしょうか?」

 些かの緊張を持って、桜は僅かに首を傾げて問うた。
 もしそうであれば、魔術師にとって死地へ赴くのと変わりがない。
 無論、そこに否やは無く、ある意味では望むところだった。
 彼女はもはや、縮こまって恐れにただただ震える小娘ではない。
 厳然と自身を確定させた、世界と対峙する者なのだ。
 が、その雰囲気が伝わったからなのか、目の前の彼は考え倦ねた顔を改める。

「失礼。どうにも脱線が過ぎたようだ。誤解を先に解きますが、“蒼崎”については調査の過程で出てきたのであって今回の件とは全く関係無いです。そもそも、自分は“蒼崎”などというものは知らなかったのに、今回の調査にあたって冬木の関係者という事で妙な疑念を抱かれましてな。軟禁までされて逆に散々問い質されたので、少々興味が湧いたというだけです」

「そう……でしたか。それは、余計な御苦労をお掛けしました」

「いや、そのように詫びられると困る。君の姉君であれば、“気を抜いて不覚をとったあんたが悪い”などと手厳しく言うでしょうからな」

 苦笑と共に冗談めかして言う彼に、桜も気持ちを僅かに緩ませる。
 それはまさしく姉が言いそうな事だと、容易に想像が付いたからだ。
 彼女ならもう少し婉曲に皮肉を効かせ容赦無く言い放つかも知れないが、内容はきっと同じようなものだろう。
 流石に姉のことをよく分かっていると桜は言いかけたが、それで彼の表情がみるみる不機嫌な渋面へと変化するのを予測できたので止めておいた。
 
 彼───柳洞一成と姉である遠坂凛は、学生時代より不倶戴天の敵同士という間柄だ。
 彼らが相見えれば決まって遠慮が無い皮肉や悪態の応酬となるのを、桜も後輩の学生として穂群原学園に在籍していた時より何度も見かけている。
 しかもその腐れ縁(と、お互いが言う)は、穂群原以前よりというからなかなか一筋縄ではいかない関係性だ。
 もし機会があるのならば、躊躇いなく止めを刺すだろうというのが二人に共通する認識らしい。
 
 しかし……それはある意味、彼女の屈折した信頼の証だと言えなくもない。
 あの複雑極まりない天才は、一目置く相手とはどうもそういう間柄となりやすいのだ。
 武芸百般で鳴らした弓道部の女主将しかり、ほぼ鏡に写したように彼女に酷似した青き魔女しかり、兄弟子であった神父しかり。
 それを覆し彼女を無防備にしたのは、肉親以外では知る限り唯一“あの人”だけだった。
 まあ、あれは、相手が悪すぎたが故の手段を選ばない遠坂凛という人物らしい攻め手の一つなのか、本心から来る感情の吐露なのかは判断が難しいところだが……。
 
 胸に去来する、僅かな痛みの残滓。
 ……未だ蟠る未練に、桜は自己嫌悪する
 だが、暗く沈みかける気持ちは咳払いを耳にしたことで引き戻された。
 正気づいた桜が慌てて視線を合わせると、話を切り替えるように厳格な僧としての声音で彼は話を続けた。 

「ともかく───その三咲市の管理を担う者が、“蒼崎”とは何の縁もゆかりもない事は確認済みですので御安心を。しかし……」

 一成は、言葉を切り微かに俯く。
 桜は、ほんの僅か垣間見せた彼の表情を見逃さなかったが、沈黙を保って見詰めるのみにとどめた。
 静寂は数瞬。
 先程まで気にならなかった、山特有の清涼な風に浚われる葉鳴りがやけに大きく聞こえた。
 桜には、彼が何を逡巡しているのか大体の予測がついている。
 はたして感情を消したような面持ちとなり彼が淡々と続けた言葉は、やはり彼女が想像した通りのものだった。

「……間桐さん。やはり、君が遠坂から託されたというその『七夜』の情報をこちらに渡して頂き、最後まで一任してくれないだろうか? 先程言ったように、先方はただただ『七夜』についての情報を欲しているだけのようだ。故に、特にそれが誰からのものであっても気にはしないでしょう。であるならば、自分が赴きその者と直接掛け合っても同じ事と思うが」

「『七夜』という一族についての詳細を話すという事への条件が、こちらの持っている『七夜』と思しき者の目撃情報を直接面談し伝える事───でしたか。まあ確かに、仰る通り誰がそれを行っても気にはとめられないのでしょうが……」

「では───」

「けれどそれは、やはり私の役目かと。一成和尚───ここまでこちらの無理な要請に御尽力頂き誠に有難う御座いました。『遠坂』に代わりまして、改めて厚く御礼を申し上げます」

「………………………む」

 居住まいを正し完璧な礼を以て深く頭を下げた桜に、一成は言葉を詰まらせて口を固く結ぶ。
 それが提案への柔らかい、しかし断固とした拒否だと理解できたからだ。
 即座に表情を厳しいものへと変え、彼は眼鏡を軽く指先で押し上げつつ咎めるような強い眼光で桜を見据えた。

「いや、そのような大仰な礼をされるくらいなら、もう少しこちらの言い分を考慮されたらどうか? そもそも敢えてこちらに話を通したのは、僅かとは言え『組織』と繋がりがある当山の面目を立てる為と目していたが。となれば、筋としてこのような半端なところでこちらを用済みとするのは如何なものか。更に言うならば、少々の僥倖があったにしろここまでお膳立てをした自分の労苦も斟酌していただきたいものだ。それとも……君まで姉に倣い、最後の最後で成果のみ横から掻っ攫うような下卑た真似を良しとするのかね?」 

「ああ……そういう仰りようは少々懐かしいですね、生徒会長」

 言いながら顔を上げ、桜は悪戯っぽい上目遣いで見詰める。
 その正論を以て自身の意を押し通す攻撃的な口調に、かつての学生時代の彼を桜は思い出したのである。
 が、一成はそんな桜の懐旧の念に同調することは無かった。
 それどころか、眉間の皺をますます深くし不愉快げに顔を顰める。

「間桐さん。茶化して話を逸らそうとしているのであれば───」

「あら? 話を逸らそうとしているのはそちらとお見受けしますけれど?」

「それは……どういう意味ですかな?」

「では、肝心なことをお話頂けないのは何故なのでしょう? 例えば───“蒼崎”とは縁がないにしろ、その相手が如何様な者なのか、、、、、、、、という類のことなのですが」

 言いながら桜は、穏やかな雰囲気を意図して一変させる。
 静かな柔らかい口調とは裏腹に、彼女のその視線には安易な逃避を許さぬ攻性のモノが含まれていた。
 しかし、一成はそれに僅かに表情を硬化させたものの動じる色も無く口元を皮肉っぽく歪めた。

「ふむ……何か余計な危惧をされているようだな。君らが予想したとおり、『七夜』とは“こちら”に深く関わる銘なのは間違いが無い。なれば、自分と君とどちらが適任か言うまでもないという、ただそれだけの話の筈だが」

「そのような、御自身でも信じられてないようなことを仰られても到底納得できません。確かに、そこまで調査し得たのは貴方の人脈と手腕による所が大きい。けれど………」

 語尾を濁らせ、桜は意味有り気に目を細める。
 それに対し、一成は今度こそ真から不愉快げな感情を露にした。
 
「……要するに、俺ではその相手に対して決定的に役者不足であると、君はそう言いたいのだな?」

「ええ。端的に言えば。ご理解頂き誠に幸いです」

 一成の怒気が伴う強い視線を真っ向から受けながら、桜は何の痛痒も感じていないかの如く花開くように微笑み頷く。
 その彼女の断言は、ある意味無慈悲なものですらあった。
 暫くの互いの沈黙。
 それはさながら、引き絞られ弾ける寸前の弓弦に似た危うさを孕んでいた。
 が、やがて───一成は目を伏せ、重い溜息を吐き出す。
 その苦りきった顔には、大きな無力感が滲んでいた。

「まったく……君の厄介さは、一見あの女狐めとは異なるが根っこの部分はそっくりだ。やはり、血は争えぬということかな」

「まあ。随分と乱暴な括り方ですね、それ。でも……この場合、お褒め頂いたと考えたほうが宜しいのかしら?」

「その解釈は御自由になされよ。もっとも、俺があやつをどう見ているのかを考えれば答えは明白かと思うがね」

 吐き捨てるかのように言った口調は彼らしい厳しさが含まれていたものの、何かを諦めた様に少々投げ遣りなものだった。
 その様子に、桜は内心の緊張を漸く緩める。
 もし一成がこの件でどうしても折れないとなれば、強硬な手段を弄してでもこちらの意に従わせるとまで桜は考えていたのだ。
 彼が頑ななまでに己が赴くことを主張した理由……その執心を桜はおぼろげながらにしか理解できない。
 だが少なくとも、こうして『魔術師』としての自分と対峙する程には、柳洞一成という人物の立ち位置も認識もかつてからは激変している。
 ただ、問題なのは───

「本当に……君は立派な『代行』となってしまったようだな。大方、今の君の応対はあやつの入れ知恵も多分にあるのだろう?」

「ええ……否定はしません。が、姉である遠坂凛が、『遠坂』の当主であり冬木の管理者である前に、友人として柳洞一成という人物を彼女なりに案じているのもご理解頂けるでしょう?」
 
 その言葉に、鼻先だけでふんと笑い一成は何も答えなかった。
 桜は、姉との一幕を思い返す。
 天才である生粋の魔術師の彼女は、まずこう伝えてきたのである。


『うわー……』 

 桜は、思わず何とも言えない困惑を伴った感嘆の声を漏らしてしまった。
 言われた通りの時刻に黴臭く薄暗い遠坂の屋敷の地下の儀礼場に訪れると、もうそれは始まっていたのだ。
 相変わらず雑多な物が散乱する中に、不必要な大きさでこの場の主であるかのように鎮座している物。
 それにまず驚いた。
 確かに、ここ最近はこの場所に立ち入らせてくれなかったが。
 アナクロな、ガチガチと歯車の軋む音。
 振動を伴って、蒸気を思わせる怪しげな煙が時折漏れる。
 つまりは、前時代極まりない、人によっては郷愁すら誘う奇怪で前衛的なオブジェ。
 一体、いつの間にこのようなものを完成させていたのかと呆れる。
 ───仕方がない。
 桜は溜息をつきつつ、それから吐き出される白蛇のように長大になりつつあるものを手に取り目を通した。
 
 それは随分と不審な依頼だった。
 が、内容を把握するにつれ幾つか信じ難い事柄に引っかかりつつも納得した。
 彼女の見解はあくまで私見ではあるがと前置きした上で、さらに続けられる。
 
 “───つまりね、桜。この国の裏側は、私達のような闇に住まうことを常とし歪みを厭わない魔術師にとってさえ、決して軽々しく踏み込んではいけない領域だと思うのよ。どこぞのお貴族様なんかは、日本に訪れた後で事後処理ばかりが得意で日和見な国だとか能天気に吹聴してたらしいけど……それは一面の真実ではあるものの、多分価値観が大きく乖離しているが故にその大部分を見過ごしてしまっている。ま、そいつが端から見下して真剣味が足りなかったのも原因でしょうけど。殆ど関わらない以上は、お互いにとって損は無いし特に問題視する理由も無いからね”

“ただ、そうね……魔術師は『協会』なんてものがあるわけだけど、厳然とした力を持ちつつもその構造だけ見ればある意味互助会的なものでしょ? 大義名分ではあるものの、君臨はしていないと明確に標榜までしているくらいだし。当然よね。魔術師は、基本的に個人個人が独立独歩であることこそに価値があるのだから”

“で、対して日本の伝え聞く『組織』の方はというと……実はこれ、その真逆の構造なんじゃないかと私は睨んでいる。朧気に垣間見えるものから推測するに、隠然とした何らかの意志に厳格なまでに律されているような………そう、もしかしたらその在り方は、狂気の度合いにおいて『教会』にすら近いのかもしれないとまで感じるわ。でも、印象としてはより迂遠でより用心深くより閉鎖的。とにかく、何もかもが薄暗い。何を以ってその行動の指針にしているのか、未だ外部からはおいそれと読み取れないほどにね”

“『組織』は、私達みたいな“遠くかけ離れている存在”には決して自ら干渉してこようとはしない。冬木は、特に昔からの取り決めがあるらしいというのもあるけど……でも、それは果たして異端の魔術師という存在が彼らにとって手に負えないからなどという、そんな弱腰な理由なのかしら? 私は、否だと思う” 

“彼らが徹底した不干渉を貫き、外部に頑ななまでに縁を持とうとはしないのは何故か? ……それは多分だけど、言葉にするとこんな感じじゃないかな───『我々は、お前たちに関わり合うほどには暇でない。こちらは、既に内に在るモノだけで手一杯なのだ。故に、この地でお前たちが幾ら無礼を働き傍若無人に振舞おうが大目に見てやろう。だが、お前たちも我々の邪魔をするな』って”

“要は、その在り方があまりに余裕が無さ過ぎるって気がするのよね。だからこそ、一線を越えた場合の対処は徹底して容赦が無いと予測できる。問題なのは何がその不明瞭な一線なのかということだけど………正直に言えばこの『七夜』というのは、恐らく彼らの内側の銘であるが故に、そこに抵触している可能性が充分にあるわ”

“別にこちらとしては、彼らと無理に事を構えるほどにはこれに執着するつもりも無い。でも、出来れば把握しておきたいのは確かだし、それは直接的でないにしろ今の私達が抱えている問題に大きな益を齎すとは思う。だからその辺りの判断は、『代行』としての貴女の判断に一任する”

“どこまで踏み込み、どの辺りが妥協点か? ま、こちらの持っている手札がどれ程のものかも分からないからね。幾ら『七夜』というのが優れた退魔の血族でそいつが祖ですら滅ぼせるような信じ難い力を持っているしたって、何故か遥か遠い異国に居る人間の所在情報なんて彼らにとって既に無意味かもしれないし。ましてや、『組織』の中で『七夜』がどんな立ち位置なのかも不明。ひょっとしたら、無視されるか多少威嚇されて交渉にすらならないというのが一番有り得そうな対応かもね。それでも、やれるだけはやってみて。期待は、一応しておくから”

“───で、肝心の『組織』へ接触するための取っ掛かりである窓口なんだけど、『遠坂』の銘で通用するのは………そうね、三つ………いや、二つかな。一つは、桜も分かってるでしょうけど柳洞寺。正直、あまり気は進まないけれど。ただ、もう一つの方が今となってはちょっと繋がりが薄いみたいでね……良くも悪くもそこは現世利益優先だから、末端も良い所だろうし。結局は柳洞寺経由……というより、あいつに依頼するのが一番効率が良いかな。安全率や信頼という面でも認めざる得ないしね”

“もっとも──”

 カタカタギシギシバタバタと、時代錯誤な機械音はさらに絶え間なく響こうとする。
 が、要所に宝石が配された複雑怪奇な装飾が著しい箱型の装置に何気なく目を遣り………気がついてしまった。
 魔術とは、過程こそ奇跡的ではあるが結果は即ち等価交換の原則に基づくものである。
 例えばそれが次々と吐き散らかすものは、紙に見えて恐らく紙とは程遠い材質のものだ。
 自動で記された文字は、随分と絢爛な輝きを帯びているではないか。
 そもそも、この装置の動力が何であるのかは明白だ。
 そういう諸々の、決して無視できない事柄。
 何故“あの”遠坂凛のやる事に、今までそういう注意を払わなかったのか。
 桜は自分の至らなさにらしくもなく舌打ちし、内心で猛省した。
 堪らず装置のスイッチらしきものを切り、携帯で電話を掛ける。
 幾つかの電子的な信号音と切り替え音の後に、コールが正確に十回。
 ──相手が出た。

『……あの、姉さん?』

『あれ? どうしたの? 突然切れたけど、やっぱりそれ調子悪くなった?』

『いえ、心臓に悪いから私が切ったんです。これ自体は、完璧に動作していましたよ。こんな物を作れるなんて流石は姉さんだなって、感嘆の思いを禁じえません。ある意味、至高の逸品とも言えるでしょう。ただ……』

『ただ……なによ?』

『大変言い難いのですが……私、これとほぼ同じような機能を持つ便利な物を知ってるんですけど。しかもそれは、一般にかなり普及してたりもします』

 何かに耐えるような抑制された口調に言いたい事をようやく察したのか、電話の向こうのぞんざいな雰囲気が剣呑なものに切り替わる。
 が、桜は無論怯んだりはしない。

『ふーん……随分と小憎らしい持って回った言い方できるようになったものね。姉として、そんな妹の成長をとても嬉しく思うわ』

『ええ。これも全て、姉さんの日頃の薫陶のお陰と感謝の念が絶えません』

 澄ました微笑を含んだ声で答えると、少々の不利を悟ったのか逡巡するように凛はしばし沈黙した。
 桜は、伊達にこの破天荒な姉を長年相手取ってきたわけでは無かった。
 遠坂凛のそういう根底のところを一番理解しているのは厄介なことに自分だという認識もある。
 その部分では、あの魂の双子の如き蒼き魔女や彼女の最愛の人物である青年すら凌駕しているだろう。
 逆もまた然りだが。
 まこと、げに恐ろしきは血の繋がりだった。

『一応言っとくけど───言語野からダイレクトに文字として転写するなんて事は今の文明の利器には到底できない筈よ。あと、機密の保持もこっちの方が優れてるし』

『それは、その通りかもしれませんけれど……姉さんの場合、それが主な理由ではないですよね? ───いい加減に、メールくらい使えるようになってください。それが駄目なら、せめて要点をまとめた文書をFAXして頂くとか。機密の保持については、それらを使っても幾らでも方法はあると思いますが。ご自身で出来なくても、取り巻きの御友人の方々にはそういう関係のスペシャリストが確か大勢いらっしゃった筈ですよね? その携帯だって、確かある程度の保護はかけてもらったと以前仰ったじゃないですか』

『まあね。でも、盗み聞きしてる輩はどこにだっているし。それに、今は単独行動中だから彼らは居ないのよ。これからは、そういう状況の方が多くなるから』

 凛の答える声は自嘲の色を帯びながらも、どこか楽しそうで清々したというように明るい。
 その原因を桜は知っていたし、確かに無理なからんことだとも思う。

 遠坂凛という稀代の魔術師。
 宝石の後継者の系譜にして、現在においてその至るべき到達点に一番近い位置にあるのではないかと目されている突出した大天才。
 その周囲には、当然ながら多くの異才や奇才が集まった。
 あるいは純粋なる憧憬から、あるいは単純なる私欲から、あるいは複雑なる友誼から。
 とにかく、多くの者が決して彼女を無視は出来なかったのだ。
 そして、これこそが『破滅の魔女』などと揶揄される一因であるが……そうやって吸い寄せられるように集まった者達は、どういうわけか彼女の為に身を捧げ尽力する破目に陥るのである。
 しかも、その殆どが自ら望んでだ。
 無論、彼女が形振り構わず恣意的かつ作為的に人心を掌握することに腐心した結果でもある。
 そうやって出来上がった集団は、旧来の時計塔の特権者が目障りだと苦々しく思うほどに強大で異常なものだったらしい。
 もっとも、それは彼女にしたところであまり本意では無かったようだが。
 ただ、遠坂凛の極めて個人的な目的の為にどうしても必要な過程だったのだ。
 
 取り巻きの御友人などと桜は言ったが、それは真実彼女の忠実な部下同然だった筈だ。
 どうやら妹にはそういう面をあまり見せたくないらしいから桜も話を合わせているが、流石にそれくらいは察しがつく。
 凛が心を噛み殺しつつそんな彼らを率いて、キナ臭くも血生臭い死地に赴き続けたに違いない事くらいは。
 恐らく彼女は、目的の為に数多の血が流れても何の弁明もしなかった。
 本来の彼女の人格からすれば、その過酷さを自らのみで終止させたかったであろうがそうはしなかったのだ。
 それはどうあっても無理であると、早い段階で見切りをつけていた故に。
 後になって桜はその理由を知り、よくも全てを投げ出さなかったものだと改めて遠坂凛という人物に畏怖を覚えたものだ。
 
 こうして───一つの奇跡の逆理は成し遂げられた。
 つまり遠坂凛は遠坂凛のまま、運命を力任せに捻じ伏せ勝利したのだ。
 だから今は、その後始末に彼女は奔走している。
 それも決して生易しいことではないが。
 しかしながら、それとこれとはまた別の話である。
 桜は、溜息混じりに少々疲れた声を吐き出した。
 
『───だったら、尚更自分で何とかして頂かないと。とにかく……これはコストが嵩み過ぎます。今の文量だけで車が一台買えるくらいの金額には恐らくなっていますよ? そういうのって、ちゃんと把握されてますか?』 

『カシミール・サファイアだと、せいぜい1カラット程度ってとこかしらね? でも、これは───』

『今の姉さんの資産って、どれくらい目減りしてたんでしたっけ? 私が知る限りでは、確か二年前と一桁は違った筈ですけど』

 冷たく言い放たれたその指摘に、今度こそ凛はグッと苦しげに言葉を詰まらせる。
 それは彼女にとって、もっとも触れて欲しくないことの一つであったからであろう。
 とは言え、そうなった現状においてさえ今の遠坂の総資産が莫大なものであることはもちろん桜も承知している。
 恐らく単純に財だけの話ならば、遠坂の偉大なる大師父より薫陶を受けたとされる至宝とも言うべき術理──しかしながら、浪費の極みとも言える宝石魔術の研鑽でさえ、何もせずとも優に数代は支え続けることができるくらいにはある筈である。
 だが、それさえもこの些か型破りな姉にかかれば、数代どころか半代で泡の如く費えるかもしれないという懸念は、彼女を知る者であればあるほど同意が得られる事だろう。
 とかく彼女は、あらゆる面において徹底的かつ大胆に過ぎるのだ。
 特に金銭面に限って言えば、基本的には吝嗇なくせにいざ一度決断するとまるで後先を考えていないかのように湯水の如く散財するという悪癖がある。
 それで結果を残すほどの成功ばかりならば良いが、時に彼女は誰もが及びもつかない常軌を逸した失敗をするから性質が悪い。
 しかも大抵の場合、周囲を大きく巻き込んでだ。
 もしかしたら、傍からの的確な手助けと彼女自身の厳然とした覚悟がなければ、遠坂凛という人物は自身の代で家を没落させた魔術師という不名誉な名の残し方をしたかもしれないと桜は考える。
 無論、その時は自分も一蓮托生であったろうとも。
 だから、この点において苦言を呈し過ぎるということはない筈である。
 大体、今の凛はそれまでの環境が環境なだけに金銭感覚が大幅に狂っているであろうし───
 
『……ふん。ま、いいわ。次は、もう少しその辺りも考慮して改良すればいいんでしょ。OK。分かった。了解。次は上手くやる』

 一時的な撤退を余儀なくされた司令官といった重々しい響きの口調で、凛は不承不承矛を収めた。
 しかし、やはり次も自分が提示したような文明の利器を使うつもりは無いらしい。
 少しはその辺りマシになったと聞いていたが、あくまで“以前よりは”という比較の問題であり根本的な発想自体がやはり常人とかけ離れている。
 確かに、生粋の魔術師であればあるほどこういう者たちは多いが、もう少し何とかならないものか。
 “やっぱり、父さんの振り子でも使うべきだったかしら? でも、あれ対になるペンの方が無くなってるのよね。あんな古臭い機構のもの、今更造り直すのもどうかと思うし……”
 と、愚痴っぽくぶつぶつ小声で呟くのが耳に届く。
 その振り子とやらがどういったものか皆目見当も付かなかったが、この大仰なFAXもどきよりは大分マシなものではなかろうかと桜は思った。
 無論、口に出しては言わなかったが。
 やがて、気を取り直すように咳払いを一つした後、凛は言葉を続けた。

『んー……じゃあ、さっきの続きはそれほど重要でも無い瑣末事だから、このままこの電話で話すことにするわよ。要するに、あいつ───一成のことなんだけど、最近どんな感じなのか知ってる? というか、まだ生きてるの?』

『生きてるって……姉さん、幾らなんでもそれはあんまりでは……少なくとも、亡くなったという事は聞いていませんが』

『ふーん、一応死んではいないわけね。だけど、あいつって殆どそこには居ないわよね。今じゃ正式に衣鉢を継いで御山の主だっていうのに。つまり、まだ続けてるんでしょ? 例の無駄な事を』

 気の無い口振りで瑣末事とか前置きしたわりには、凛の言葉の端々にはどこか微妙な感情の揺れが滲み出ている。
 それを、他ならぬ桜には読み取ることが出来た。
 彼女は自身を酷薄であると信じているし、確かにその言動は容赦が無く苛烈なものである場合が殆どである。
 が、その真芯と言うべき人格はそれとは大きく背反するものだ。
 その矛盾ゆえの遠坂凛の本当の強さを理解する者は、極々近しい者に限られる。

『それは───そう……みたいですけど。私も殆どお見掛けしたことがないから、詳しくは分からないです。ただ……以前に『代行』として御挨拶に伺ったとき、ご隠居された先代にその件を尋ねたら“無益極まりない”って大層憤慨なさっていましたが』 

『でしょうね。あの人も傍からだと欲まみれの破戒僧にしか見えない碌でもない坊さんだけど、あれでも権僧正だったくらいだから。色々自分達の役回りってのを理解してるし、悟ってもいる大人物なのよ。ま、一成にはその境地は伝わらなかったんでしょうけど』

 その言葉に皮肉っぽくも相手に対するある種の敬愛が含まれているのを感じ取り、桜は少々意外に思う。
 昔から、遠坂という家系と柳洞という家系は折り合いが悪かったのだという。
 無論、両者の立ち位置を考えればそれも当然とも言えるが、そういうことを抜きにしても決定的にその気質の相性が合わないのだと凛はどこか煙たそうに以前は言っていた。
 それは学生時代の凛と一成の関係を見れば一目瞭然と桜も納得していたが……よくよく考えてみるとあの豪放磊落な先代はあまり一成に似ていないし、どちらかというとこの破天荒な姉と通じるところがある。
 遠坂の当主として先代の柳洞寺の主と邂逅を重ねる内に、お互いの確執が緩和されるような機会でもあったのだろうか?
 
『でも、その先代も似たような事をされてたんでしょう? 何でも、各地を飛び回って様々な難事を解決なさったとか』

『そうね。けれど、あの人は己というものをよく弁えていた。例えばその事態が“闇”に属するようなことであれば、彼はあくまで調整役に務め即座に手を引いたそうよ。そりゃそうよね。何しろその血脈には、そっち方面の才能というものがまるで無いんだから。だからこそ、厄介過ぎるその土地の管理だって自分らじゃ手に負えないって冷静に判断してこっちに丸投げしてた。その代償として、どんな災厄が降りかかろうが甘んじて受け入れてね。こういうのって一見すると無責任にも見えるけど、これはこれでなかなかできる事じゃあないと思うわ。相当器が大きくないと。一成だって、その辺り理解してるとは思うんだけど……』

 何があったのか、どういう経緯が彼をそうしたのか詳細は分からない。
 あるいはそれは、本来あの柳洞寺に居るべき彼の血縁が忽然と失踪したことと関わりがあるのか。
 “その件について、私達は何も知る権利が無い”───仮面のような無表情を崩さぬまま、そう冷淡な声で一言だけ凛が言い捨てたのを桜は憶えている。
 ともかく柳洞一成という人物は、ある時唐突に真っ当な僧としての道を外れ“裏”の世界に足を踏み入れたようだ。
 だが、凛の言うとおり柳洞という血筋にはそもそも神秘に触れる才というものが欠如している。
 この国の神秘が魔術師である自分達からは概念からして程遠いものであるとしても、その礎となる本質は同一であろうしその位は桜にも分かった。
 にもかかわらず、一成自身もそれを自覚しながら───いや、自覚しているが故にと言うべきか、周囲から見れば自殺行為としか思えない『魔』と対峙する為の過酷な修行へと決然と入ったという。
 様々な深山幽谷にある霊場や修験場を訪れては生死の境に身を置き、未だもって壮絶なまでに己を滅却する鍛錬を繰り返したりもしているらしい。
 
 しかし……残酷な事実だが、その並みならぬ覚悟と決意を持った行為は恐らくほぼ実を結ばないのは明らかだ。
 神秘とは地域や民族性により形は違え、特異なる者達が脈々と血を積み重ね刻み続ける妄念にも似たものであるという事実は変わらない筈なのだから。
 即ち、単純に“力”を求めるとなると多分に下地というものが要求される領域なのだ。
 無論、さまざまな要因が重なった一代限りの突然変異的な者も居ないわけでは無い。
 例えば、かつての誰かのように。
 が、言うまでも無く柳洞一成にはその類の潜在的な力は皆無だろう。
 『魔』が身近に溢れていた古ならばいざしらず。
 神秘が衰微し文明が進んだこの時代において、持たざる者が幾らその方面の研鑽に励んだとして生涯をかけて何か一つでも得るものがあるかどうか。

『ま、全くの無駄とまでは言わないけれど、犠牲に対する見返りが殆ど無いのは確かでしょうね。そこの神秘がどんなものか、いい加減な風聞でしか耳にしたことが無いから私もよくは知らない。でも、普通の人間が不用意に近づいて五体満足でいられるほど甘く無いのは確かなはずよ。次にもし私が一成に会う機会があったとして、その時にあいつが手足の一本ぐらい欠損してたり五感の幾つかをを喪失してたりしても何も不思議じゃないわね。本当……何をしたいのか全然わからないし興味も無いけど、身の程知らずにもほどがある。その類の馬鹿は一人で十分だっていうのに───』

『……って、本人にも似たような事を忠告したんですね? でも、聞き入れてはもらえなかったと』 
 
『そ。まあ、そもそも私の言うことなんか端から耳に届いてないようだったから、それ以上は言う気になれなかったけどね。そんな義理もないし、なにより本人の意志だし。だから、一成が生きてるうちに出来るだけ利用させてもらうことにするわ。あいつが望んでいるような才能は無いにしろ、色んな意味で“使える”のは間違いないみたいだからね』

 露悪的に素っ気無い口調で凛は言うが、義理もないのに忠告までしているのが彼女らしいと桜は思う。
 ただ、一成が『組織』内部において霊能や超常等の退魔の力などほぼ皆無なのにも拘らず、持ち前の有能さ故に重用されているのは事実のようだ。
 確かに、あの正道を憚らない信念に裏打ちされた大胆さと行動力、そして場の機微を的確に把握する柔軟さを併せ持った思考の鋭敏さは、どのような集団にとっても有益であろう。
 特に、この国の『組織』の在り方を鑑みるに彼の卓越した処理能力というものは得難いものなのかもしれない。
 もっとも、先代に言わせれば『なに、あの小僧ごとき碌に役に立たないから、雑用として使われているだけですよ』ということだが。
 しかし、少なくとも学生時代において自らを厳重に隠蔽した遠坂凛という人物の異常性をいち早く見抜き、曲がりなりにも正面切って張り合うことができたのは柳洞一成だけだった。
 その事実のみで、彼の才気が尋常では無かったのだという証左に成り得るのではないだろうか。
 今の凛が到達してしまった立ち位置から考えると、尚更にそう思える。
 
『一応は互いに不干渉というのが昔からの取り決めで、あいつが私に対して個人的な感情もあるにしろ、霊地を直接管理しているこちらの依頼をあちらとしては決して断れないはずよ。だから、一成をこき使うのには何の遠慮も要らないわ。だけど───』

『ああ……何となく分かりました、姉さん。つまり、今回の件で“詰め”は私がやればいいんですね?』

『そういうこと。流石に、随分と察しが良くなったわね。そりゃ、それだけ厄介な場所の『代行』なんてやってれば当然か。任せっきりにした私の言うことじゃないかもしれないけど』

 自嘲混じりの凛の言葉に、自分に対する信頼がある事には少々嬉しく思う。
 しかし、いつもの事ではあるが、軽い調子で随分と厄介な難題をこちらに与えてくれるものだと桜は内心で重い溜息をついた。
 ───『七夜』とは、『組織』における古からの秘された退魔の一族なのだという。
 故に自分達のような外来の者がそれを探るべくもなく、柳洞寺──いや、より正確に言えば“柳洞一成”という個人をアテにしてその実像に迫る。
 そこまでは良い。
 しかし、彼なら辿り着くだろうという信頼は彼なら辿り着いてしまうだろう、、、、、、、、、、、という一つの大きな不安要素になりえる。
 隠匿されているものには隠匿されるだけの理由があるだろうし、そこに不用意に近づこうとする者に容赦が無い制裁があろう事くらいは容易に想像が付くからだ。
 一成が『組織』内部の人間だとしても……いや、内部の人間だからこそいざとなれば簡単に『処理』されてしまう可能性が高い。
 特に神秘に立つ者達にとって、秘されたものを暴かんとする行為はほぼ宣戦布告と同義であろうと桜は考える。
 例えそれが一方的な略取を目的とはしない対等な取引を望む交渉だったとしても、最終的には血で血を洗う凄惨な殺し合いになる事など魔術師の世界ではあまりにも有り触れていた。
 凛から齎された情報が真実であるとすれば、その『七夜』は信じ難い事に“人智の及ばぬ不滅なる者達”を殺し尽くした人間、、だという。
 そのような、想像もつかない破格の神秘を抱えるだろう一族を探るということがどういう結果を招くか……『組織』が幾ら外来の者達に関わらない事を基本方針としていても、こればかりは鷹揚には構えていられないのではないだろうか?
 “どこまで踏み込み、どの辺りが妥協点か?”───凛の言う様に焦点はこれに尽きる。
 引き際を間違えると、際限がない闘争にすら発展しかねない。
 それに、もし交渉が成立したとしてもこちらの手札がただの薮蛇にしかならない可能性すらある。
 さらに、これが一番の問題だろうが……この『七夜』を知る為には、はたしてどのような者と対峙せねばならないのか?、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
 だが、桜としては今更怖気づく訳にもいかなかった。
 恐らく、凛はこれらを全て考慮に入れた上で自分に任せてきたのだ。
 彼女ならば、必要とあらばどのような難事が行く手を阻んでも悪態一つで踏破してしまう。
 その『代行』を任されている以上、同等に近いことが出来なければこの地で待ち侘びる自身の存在意義がないではないか。

『まあ、駄目なら駄目で良いからね。一応は期待するなんてさっきは伝えたけど、結構な無茶を言ってるような気もするから。こっちの持ってる手札に食いついてこなければそれで手詰まりだし。ただ、間違ってもその手札を一成には与えないように。あいつの『魔』に対する妙な執着を甘く見ないこと。この件が原因でくたばりでもされたら、後々面倒だし大損だからね』

『ええ、ええ。よーく分かりましたよ。ところで、姉さん……』

『ん、なに?』

『……私のことは、本当に、これっぽっちも心配してくれないんですね』

 殊更に拗ねた声で、桜は言った。
 それに対して、電話越しの声は虚を突かれたように数秒無音となる。

『───えーっと、なに? 新手の嫌がらせかしら?』 

 本当に意味が分からないという口調の凛に、桜は思わず吹き出した。
 それが、今の自分と姉の関係だという喜びに心を満たされながら。


前を表示する
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.020088911056519