サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ、という様な歌詞の歌が20世紀にはあったらしい。20世紀映像資料マニアの俺は、CM(コマーシャル放送のことを言う。20世紀には大衆向けの放送局というものが存在し、企業のコマーシャル放送を『番組』と呼ばれる企画映像の合間に放送することで収益を得ていた)でそれを見たことがあった。
どの面下げてそんなことが言えるのかと俺は作詞家を問い詰めたい。これが気楽な職業なら本当にどんなによかったことか。
まぁ、何が言いたいのかと言うと現在夜中の12時10分。
鈴木社長のところではしゃいで帰ってきたら、仕事がさっぱり終わらなかったわけで…。
フロアには流石に俺しかいない。
確認してないが、もう全社挙げてもガードマンくらいしか残ってないだろう。
明日が土曜で本当によかった。バイトがあるけど。
欠伸をしながら伸びをしていると、不意に携帯がけたたましく鳴り出した。おいおい、流石に今日は店じまいだぞ、と思いながら携帯を開くと、そこには明日お世話になる予定のバイト先の社長の名前が。
なんだ、こんな時間に?
よもや明日のバイトが中止になったのだろうか。
嬉しいような財布の中身が乏しいような気持ちで、俺は電話に出るのだった。
「どうしました?」
『あ、武村?』
自分で電話しといて確認するのもどうかと思うが、まぁ、確かに俺は武村トモキだ。電話の向こうからは40くらいのおっさんの声の様なものが聞こえるが、真実その通りの声である。社長が皆鈴木社長の様な美人で巨乳な姉ちゃんばかりではない。現実は非情である。
「明日のバイトの件ですか?」
『バイト?なんだっけ?』
おい。
『まぁいいや。お前今どこ?家?』
「会社ですよ。真面目な企業戦士なんで」
『嘘付け、ボケ。またぞろ鈴木の巨乳娘のところで鼻の下でも伸ばしてたんだろうが』
エスパーかあんたは。
『まぁ、いいや。いいから今すぐ新銀座まで来いよ。今出ろ、ほら出ろ、何してる』
「いや、わけわかりませんよ。今どこにいるんです?」
『キャバクラ』
「電話切っていいですか?」
死ね。本当に死ね。人がやっとこさ仕事終わらせてる間貴様はキャバクラででれでれしてたのか?まぁ、それは社長の勝手だが、流石にこの時間から飲みに繰り出す元気は無い。明日も朝が早いのである。
『今テーブルついてるシェリーちゃんって娘、お前好みの巨乳ちゃんだけど?え?そう?うわぁ、Gカップだってよ。肌白ー、ぷるぷるー』
「新銀座のどこでしたっけ?」
男は本当に悲しい生き物である。
第二話 アルバイト
「お早うっす」
「おー、タケちゃん。うわ、どうしたの?」
翌日、バイト先に現れた俺に、研究主任の江藤さんが目を丸くした。いつも元気なタケちゃんが、げっそりとした目に隈状態でよれよれのスーツ来て現れたからである。
「朝まで飲んで、寝てないんす」
「えー、困るよ。モニターなんだからしっかり体調整えて来てくれないと」
「お宅の社長にキャバクラ3件梯子させられたんですけど?」
「さぁ、仕事だ、仕事。ほら、タケちゃんシャワー浴びておいで」
スルーかよ、と突っ込む元気もなく、ぼふ、という音がして俺の顔面に柔らかなタオルがぶつけられた。それは、昨日の姉ちゃんのおっぱいくらいには確かにやわらかかった。
* * *
「はい、息整えてー。吸ってー。吐いてー」
俺は江藤さんこと、低身長眼鏡三つ編みといういまどき貴重な白衣女性の指示の元、深呼吸を繰り返した。
シャワーを浴びて上半身裸の俺に照れのひとつも見せない江藤さんは生粋の研究者だが、俺は隠れ巨乳ではないかと見ている。
いつもしっかり襟元を正したスーツを着て、しかもその上から白衣を羽織っているせいで確信までは至っていない。あと、多分眼鏡を外したらけっこう美人だ。
「じゃあ、いいよ。換装して見て」
「換装」
俺が起動語を呟くと、右手に持っていた装剣が鈍く光を発した。
すると神理的置換作用が働き、俺の身体が紅い甲虫の殻のような鎧で覆われる。
「海老?」
「まぁ、イメージは」
「海幸彦の釣り針でしたっけ?元になったのは」
「そそ。海幸彦(ホデリ)は火明命(ホデリ)とも書くわ。海の神でありながら、火の神でもあるわけね。コノハナノタクヤヒメが火の中で産み落とした子の一人よ」
「なんで海老?しかも火通してあるし」
「さぁ?意匠設計の子に聞いてくれる?で、どう?動きやすさとか」
「えーっと・・・」
これが俺のバイトであった。装剣の新作のモニター。つまりはここは大手装剣メーカー「カグヅチ」の極東研究所であるわけだ。金がもらえる上に最新の装剣の知識を得られるので、営業の人間としては一石二鳥である。どの現場も、より性能の良い装剣を常に欲しているからだ。
「人工筋肉の反応は悪くないっすね。ただ、他を大きく突き放すレスポンスってほどでもないっす。やっぱり装甲が厚い分動きにくいし」
「うーん。相変わらず率直ねぇ」
「それが仕事なんで。そっちはどうです?」
「うーんとね。数字はそこそこいいわ。神通値はタケちゃんの平常値通りだし、神力の通りもいい。防御力の数値はプラ45よ」
「そりゃすごい」
「その代わり精密動作性がマイ28」
「作業員にはきついですね」
「だよねー」
率直に言って駄作である。まぁ仕方ない。成功は多くの失敗の上に成り立つものだから。
「あと10分くらいデータ取ったら上がっていいわよ」
「うーい」
助かった。
正直眠くて仕方がなかったのである。
江藤さんがかわいい眼鏡女子じゃなかったら確実に寝ていた。
「おい、武村、いる?」
その時、スーツ姿の元凶が乱暴に扉を開けて現れやがった。
若い頃は発掘の前線にいたという社長は確かにガタイがよく、顔立ちもどこか気品があるので女にモテるとよく自慢される。嘘か本当かは知らない。キャバクラでモテるのは金があるからだろうし。
「お。いたいた。お前これ終わったら社長室寄れよ。いいな?」
「ちょ、え?」
ばたん、と扉が閉じられる。
江藤さんはモニターを見て俺の目を見ない振りをする。
あの・・・。
「俺、上がっていいんすよね?」
俺の呟きに、江藤さんは曖昧に笑った。
「眠いです」
「知らん。五月蝿い」
よれよれのスーツに着替え直して社長室に行くと、巨大装剣メーカー、カグヅチ現CEO石川レイモンドがふかふかの椅子にふんぞり返ってそう言った。
朝少し寝たのか。はたまた別の理由か。妙につやつやした肌をしていやがる。
石川社長の祖父は、初めて装剣の商品化に成功したとある企業の研究チームの一人で、後に資本金1000万ほどの小さな製造メーカー、カグヅチを立ち上げた。
それがいまや年商500兆円とも言われる超巨大メーカーにまでなったわけだ。旧世紀で言えば、国が2、3個買える金額である。
それだけ、発掘関係のビジネスが巨万の富を生み出しているわけであるが。
「お前、いつまであの会社にいるつもりだ?」
「はぁ」
社長の要件は分かっていた。だからここには来たくなかったのだ。個人的には社長は好きだし、キャバクラに付き合うのも嫌いじゃないし、女の趣味も近いので話も合うわけだが、それとその話は別である。
「俺の会社に来い。お前ならすぐに取締役にしてやる」
「興味ありません」
「おい。ちょっとは悩め。カグヅチの取締役って言ったら、年収5000万越えだぞ?お前の好きな装剣にだっていくらでも触れるぞ?」
「プラモデルに喜ぶ子どもですか、俺は!」
「パンドラとは言え、商社の一部門のトップセールスで終わらせとくにはお前は惜しい。悪いことは言わんから、こっちに来い」
「今の仕事が好きなんですよ」
「はぁ…。まぁいい。一度や二度で口説けるとは思っていない」
いや、もう10回くらい口説かれてるけど?
「昼飯でも食いに行くか?奢ってやるぞ」
「いや、うち帰って寝ます」
「そうか。最近見つけたんだが、2丁目の角に、ウェイトレスに胸元が際どい制服着せる店があってな。そこのアヤちゃんって子が推定Fカップの膨らみの持ち主で…」
「そう言えば腹が減って死にそうなんです。ほら行きましょう。すぐ行きましょう」
俺が早口にそう言うと、社長はにやりと笑って、行くか、と立ち上がった。
俺は、この人が嫌いではない。