ぷるるるるるる ぷるるるるるる ぷるるるるるる
その旧世紀風の古風な着信音は、3回鳴ってから持ち主を呼び出した。
『はい』
「あ、ごめん。アヤ姉。起きてた?」
『もう会社だ』
さすがはアヤ姉。まだ始業まで一時間以上ありますけど?
「誠に恐縮ですが、お兄様に爪の垢を煎じては頂けませんでしょうか?」
「余計なことは言わなくていい」
『ん?クリスちゃんも一緒か?それよりこの電話、外からだな。こんな時間にどうした?エルピス絡みか?』
アヤ姉の声が怪訝そうに顰められる。さすが総帥。いい勘してるぜ。
「…まぁそうなんだけど。アヤ姉。悪いけど何も言わずに装剣何本か貸してくれない?会社の俺のストレージを開放してくれるだけでもいい」
『…どういうことだ』
「詳しいことは言えない」
そう。言えない。これを言えばアヤ姉をこのわけのわからない事態に巻き込むことになる。…まぁ他にもいえないことは色々とあるが。
「お兄様。アヤコ様にはお話しするべきです。事はパンドラにも関わることなのですから」
助手席に座るクリスは、換装を解いて引きちぎられたままになっている胸元を押さえながらそう主張した。
確かに現状エルピスはパンドラの所有物である。その引渡しを求める連中が出てきた以上、これは会社に通すべき話だ。事が公になれば、エルピスを俺に預ける決断をしたアヤ姉にも責任が問われかねない。
だが…。
俺が言い辛そうに顔を顰めていると、クリスがすべてお任せあれ、とでも言うように女神の様に微笑んだ。
「たかが昔の女の一人や二人、アヤコ様にばれてもいいではないですか。女は芸のこやしと申すそうでございます。昔の女のことを話すのも男の器量でございます」
「ぶはっ」
キキキキキィ!
思わずハンドルを切り損ねたのをセバスチャンがフォローしてくれて事なきを得た。
おい、クリス、てめー。
『武村主任…』
あるぇ?アヤ姉?二人だけの時はタケちゃんって呼ぶ約束じゃなかったっけ?
『今すぐ社長室に来い』
ガチャ
問答無用で切られました。
第十一話 紐解かれる愛の物語(偽)
「話は大体分かった」
社長室。
パンドラビル最上階のだだ広い部屋に俺たちは通されていた。
セバスチャンだけは駐車場でお留守番。
応接セットを挟み、クリスは隣に座るエルピスを時々横目で見ながら、正面に座るブラックスーツの美女に事の次第を話した。
俺?
何故か脇の方で床に正座させられてますけど、何か?
「しかし一体何者だ?エルピスを『返せ』と押しかけた奴らは?」
「いや、だからそれはね――」
「黙れ」
物凄い眼光で俺を睨むアヤ姉。どうやら俺には発言権はないらしい。
「まぁ察しはついてございますが、こうまで動きが早いとは思いませんでした。お父様が有名すぎるのも考え物でございますね」
「と、言うと。私が昨日武村家へ伺ったことを?」
「突き止めたのでございましょう。アヤコ様がそうされる相手として事前にマークしていた可能性もございます」
…正直言って俺にはまだ信じられない。俺を置いていったはずのユキが帰ってきて、そうかと思えばエルピスを返せと言い出して、そしてそれは親父とアヤ姉を事前にマークしてたからだと言う。
そんなはずはないんだ。
ユキは普通の女の子のはずなんだ。
「政府…か?」
「アヤコ様は察しがよろしいようで」
アヤ姉がぽろりと出したとんでもない発言にクリスがさらりと答える。
「政府?政府って、あの政府?」
「他に政府があったら教えてくれ」
今の時代、政府といったら一つしかない。つまりは世界政府。
国家が解体された今世紀、唯一残った行政機関である。
「何でここで政府なんて名前が出てくるんだ?」
「はぁ…。それに引き換えお兄様は本当にちゃらんぽらんのトーヘンボクでございますねぇ」
「おい。ぽこぽこ悪口言うんじゃない」
「ふん。権力と言う奴に未練たらたらの亡霊達が、またぞろ何か企んでいるんだろう?これまでと同じだ。私が彼らに屈することは無い」
「それってどういう…?」
俺はさらに疑問を尋ねようと膝を持ち上げて身を乗り出した。すると突如飛来した閉じた扇子が、俺の膝を強かに打ちつけた。
「痛ぇっ!」
「おい。誰が立ち上がっていいと言った」
すみません。本当、すみません。自分調子乗ってました。
絶対零度の視線を向けるアヤ姉に俺はヒラ謝りするしかなかった。
俺が一番傷心のはずなんだが、こうまで立場が弱いのは何で何だろう。
「さて…」
アヤ姉はそう言って扇子を開くと、それを項垂れる俺に突きつけてから低い声でのたまった。
「事情は概ね理解した。そちらの方は私から手を尽くそう。で、だ。武村主任」
ごくり、と俺は生唾を飲み込んだ。
やばい。
これはかなりやばい。
アヤ姉がここまで怒るのはいつ以来だ?
高校の時、ベッドの下に隠していた旧世紀資料を発見された時以来か?
大学を勝手に辞めたときだってここまでは怒られなかったような…。
「その女について洗いざらい喋ってもらおうか?」
俺の人生、今日ここで終わるかもしれません。
◆ ◆ ◆
「初めてアイツと会ったのは、そうだな。去年の今頃だったかもしれない。俺は主任になったばかりで、仕事も大分落ち着いてきて、少しだけど余裕も出てきた頃だった」
「御託はいいのでとっとと話しやがってください」
ずい、と身を乗り出してくるクリス。なんの対策もとられていない胸元から白いおっぱい見えてますけど?何か桜色のも見えてるけど?
何が哀しくて実の妹に恋バナせんといかんのだ。
「同僚の牧村が、合コンするのにどうしても数が合わないからって、急遽俺が呼ばれた。あんまり乗り気じゃなかったけど、牧村には仕事代わってもらったか何かで借りもあったし、合コンなんて大学の時以来だしまぁいいかって思って参加することにしたんだ」
「ほう、牧村ねぇ」
アヤ姉がジャケットから出した手帳に何やら書きつけている。ごめん、牧村。お前死んだかも。
「そう言えば雪が降っていた。すごい寒い日で、一次会は居酒屋だった」
そこでユキに出会った。初めて会って、可愛い子だなとは思った。おっぱい大きいなぁともそりゃあ思った。大体女にあったら最初におっぱい見るタイプだからな、俺は。
「なんだかんだで二次会に行こうって話になって、カラオケに行って、アイツが旧世紀のバラードを歌いだしたんだ」
俺は旧世紀映像マニアだから知っているが、そんな歌、よく知ってるね、と、そうだ。俺が話し掛けたんだ。
ラストクリスマス。
たしかそんなタイトルの、旧北米圏の歌だった。
「失恋の歌だった。彼女は彼氏と別れたばかりだと言って少し泣いてて、俺はそれは酒のせいだろうと思った。そのまま少し話して、二次会も終わって。
そうだ。彼女が少し飲み直そうって言い出したんで、近くのホテルのラウンジに行って…」
ぴしり。
アヤ姉が握る扇子にひびが入った。
表情をうかがうと、いまだ絶対零度の無表情で俺をじっと見ている。
エルピスが話がつまらないのかうとうと寝てしまった。
クリスは…、にやにやと俺を見ていた。
何か分からんが、すごいむかつくんだが。
「そのまま泊まった。その、一緒に夜をすごして」
どん!
という音が突如響いた。
それがアヤ姉がテーブルを蹴り上げた音だと気付いたのは、蹴り上げられたテーブルが床に落ちて爆砕してからだった。
その音に、エルピスがはっと目を覚ます。
「ほう…」
怖い。
怖いなどというものではない。
今まで現場で対峙したどんなデモンよりも怖い。
ゆらりと、アヤ姉は立ち上がった。
その身に何か緑色のオーラっぽいものが見える。
この人、換装もしてないのに神力具現化してない?
何この異様な気?
「これが女の悋気というものでございます」
そう言ったクリスは、エルピスを抱いてさっさと部屋の端まで避難していた。
おおい!
「貴様。そうか貴様。女がいたのか」
「え、えぇ。まぁ…」
「それを私に黙っていたのだな?」
「え、えぇ。まぁ…」
彼女が出来たら社長に報告するようにって、社内規定にあったかな?多分ないと思うんですが。
「私が…!私が27年間守り通してきたというのに…!貴様はッ!貴様はッ!」
え?守り通すって、その、何を…?
「そこに直れ。タケちゃんを殺して私も死ぬ!」
いや、何でだ!
「お、落ち着けアヤ姉!落ち着いて考えろ!」
「ひっ、ひっく。だって、だってタケちゃんがぁ…!タケちゃんがぁ…!えぐっ、ひっく、えぐっ」
そして泣き始めたよ。
めんどくせーーーーーーーーー。
もう帰りたい。
明日からちゃんと早起きするからもう今日は帰してくれないかな?
「あのな、アヤ姉」
俺が立ち上がってアヤ姉に歩み寄ろうとしたその時だった。
けたたましい音を立てて、社長室の窓ガラスが破砕したのは。
「何だ!」
俺が慌てて振り返ると、一機のヘリが轟音を立てながら、室内に機銃を向けたまま滞空している。
「ここまでやるか!」
「あ。アヤコ様。あれ。あの女でございますよ」
「ほう…」
クリス、テメー、絶対楽しんでるだろ!
アヤ姉にクリスが示したとおり、ヘリの上には換装したままの氷の女王が、神力をもってすらりと立っていた。
ヘリの風圧をものともせずに涼しい顔をしているが、外気にさらされた白い胸はそうもいかずふるふると震えていて大変に目の保養に――。
パン!
「うぶっ!」
「タケちゃんは、見なくていい」
即座にアヤ姉の平手が俺の視界を閉ざした。地味に痛い。
「さぁ、トモくん。エルピスを帰して頂戴」
「貴様こそ。タケちゃんを帰して貰うぞ」
さっきまでの涙はなんだったのか。
いまだ頬を濡らしたままアヤ姉がゆらりと歩を進める。
ヘリに対峙するアヤ姉のその右手には、一振りの装剣が握られていた。