「タケちゃ――武村主任。あの文様は何だ?」
「え?あぁ、オルメカ文明の祭器、みたいですね。あるいはマヤ系の地層から出てきたから、オルメカの何かを参考にして復元したのかもしれません」
「ふぅん。あっちの盾みたいのは?」
「お。アテナ神のイージスの盾ですね。ヴァージョン12.0まで出てる超人気商品ですが、色んなメーカーが次のヴァージョンをこぞって開発してます。イージスの盾はそれでも、現在の予想復元率が実験室レベルで20%切ってますから、まだまだいいのが出る可能性はありますよね」
「へー。タケちゃ、ごほん。武村主任は博識だな」
「恐れ入ります」
ブラックスーツをびしっと着こなした絶世の美女を案内しながら、俺は研究棟の廊下を進む。月に一度の総帥視察とあって、目に付く所に彼らの研究成果が所狭しと置かれている。
ここは巨大企業グループパンドラの花形部署でもある神話的埋設物研究会社、その名も「パンドラ埋設神話総合研究所」、通称パン研旧日本本社研究棟である。
世界中で発掘された神話的埋設物は、デベロッパーや政府によりこうした研究会社に調査依頼されるか、あるいは販売されることになる。
手切れの良さを重視する民間デベは売っぱらって終りにすることが多いし、逆に公関係の仕事だと共同研究を持ちかけられることが多いらしい。実際には政府お抱えの大学の先生がこの研究所に出向してくることになる。
今や電球一つから政府の要人警護システム、果ては最先端の医療技術に至るまで、神話系埋設物に由来する技術の恩恵を受けていないものはない。であるからこそ、神話的埋設物の研究、及び技術開発が、今世の中でもっとも金になるホットな産業なのである。
パンドラは研究から商品開発、販売、流通までを一手に管理する巨大な商圏を押さえており、俺が所属する武装系商社のパンドラなどその末端に過ぎない。だから本来俺の様なヒラ社員が、こうしてグループの総帥様を連れて歩いているなど言語道断なわけであるが、俺ことタケちゃんの便利貧乏さがここでも発揮されるわけである。
まず現CEO、匣崎アヤコ総帥は神話的埋設物に関する造詣があまり深くない。これはもともと総帥がグループを継ぐ気などさらさらなかったことに起因する。
前CEO、つまり総帥――アヤ姉の親父さんが急死したのは、彼女が穀物生産に関わる研究をやりたくて旧北米地区の大学院に進学した矢先だった。
そのまま会社の経営権を売っ払い、株主として配当だけもらっておくという選択肢もあったに違いない。だがアヤ姉は親父さんが大事にしていた会社が、見知らぬ誰かの良くまみれの指でばらばらに解体されていくのが耐え切れなかった。
アヤ姉は大学を止め、帰国し、そして門外漢だった神話的埋設物について猛勉強したのである。その熱意と知識欲は驚愕に値する。そのアヤ姉に助言を請われて色々教えていたのが、当時旧日本地区のしがない大学で埋神学を専攻していた俺だったと言うわけである。
だからアヤ姉にとって神話的埋設物に関しては俺が先生のようなもので、今でも色々聞いてくる。それともう一つ、アヤ姉がここに俺を連れてくる理由が存在する。
第五話 希望という名の少女(前編)
「おおー、トモキ。何だ、来るなら連絡くらいしろ」
「あ、二階堂のおっちゃん、久しぶり」
ダミ声が廊下を響かせながら俺を呼び止める。俺は旧知のその人にひらひらと手を振った。
がはははと豪快に笑うこの人の名は二階堂セイタ。伸び放題のぼさぼさの髪にまばらで不潔な無精ひげ。鷲鼻に丸眼鏡をちょこんと乗せたどてっぱらの、どこからどう見ても恥ずかしくないおっさんである。
これで白衣着て社員証ぶら下げてなかったら今すぐガードマンにしょっ引いてもらうところだ。
「ん?あぁ、アヤちゃんも一緒か。相変わらず仲いいなぁお前ら」
「い、いえ!そそそ、そんなことは…」
「総帥。二階堂特別技術顧問の仰る相変わらずは、俺たちが幼稚園だかの頃の事だと思いますよ」
そう。俺とアヤ姉をちっちゃい頃から知るこのおっさんにとって俺たちは小さな餓鬼のままなのだ。アヤ姉と違ってその後もここに入り浸っていた俺にいたっては、おっさんにとっては子供の様なものかもしれない。
俺の親父はこのおっちゃんの元同僚で、飲み仲間で喧嘩友達だった。だから今でもこうして仲がいいわけだが、小さい頃のアヤ姉にとっては怖いおじさんだったらしく未だ苦手意識がある。それが、俺を連れてくる理由のもう一つである。
所長という人は別に存在するが、実質的にこの研究所を仕切ってるのはこのおっさんだ。ただ役職が付くのをいやがって、特別技術顧問だとか言う偉いのかそうでないのか良くわからん肩書きがついている。
「また徹夜?」
「ん?まぁな。2、3日ってとこか。この間掘り出されてきたギリシア系地層からほぼ完全な状態の筐体が見つかったんだが、これがうんともすんとも言わない。神話測定法にも全然反応せんし、いやぁ弱った弱った」
「うれしそうだな、おっちゃん」
ぼりぼりと頭の後ろを掻くおっちゃん。この人は昔から無理難題に立ち向かうのが大好きな人だった。だから俺の親父なんかと気があったんだろうが。
「あれ?うわっ。おっちゃん、それ何?」
俺はおっちゃんがその手に無造作に持っていた二本の装剣を見て目を丸くする。おっちゃんはその俺の反応を見て、やっと気付いたかとでもいう風ににやりと笑った。
「ふふん。トモキでも見たこと無いだろ?そりゃあそうだ。出来立てほやほやの新作だからな」
「何でそんなもんおっちゃんが持ってるんだよ」
「基本設計は俺がやったから」
「相変わらず何でもやってんなぁ」
「あの、それは…?」
遠慮がちに訊ねる、一応このグループの総帥さまに向かって、おっちゃんはえへんと胸を張って、手に持つ二本の美しい装剣の説明をし始めた。おっちゃん。あんたの給料払ってるのその人だから。
「恐らくはハルパーだと思われる発掘物を俺が基本設計し、意匠にデザインさせてメーカーで上げてもらった装剣だ」
「へー。ハルパーは知名度の割りに出てないから、これという装剣はまだないんだよな。それが成功したらパンドラがハルパーのver.1を作ることになるのか」
ハルパーとはギリシャ神話の半神半人の英雄ペルセウスが、蛇髪の邪神メドゥーサの首を刈る為にアテナ神から与えられた武器の名である。
装剣は神話的技術で作られた武装のことだから、別段元となる発掘物が剣である必要は無い。だが武器系の発掘物のほうが愛称がいいのと、また人気も高いので自然と武器系発掘物由来の装剣が多い。
以前俺がモニターした海幸彦(ホデリ)の針の様に、武器かどうか微妙なものから装剣を作る試みもあるが、成功したという話はあまり聞かない。
「へー、手に持ってみていい?」
「いいけど、換装はするなよ。まだ試運転してないんだからな」
「総帥もどうぞ。お手に取ってみてください」
「う、うん」
「トモキ。俺の前でもその気持ち悪い敬語で通すのか?」
「誰が聞いてるか分からないだろ?」
「ふん」
おっちゃんが鼻を鳴らし、アヤ姉がハルパーを手に取った瞬間。
研究所の中ではあるまじき轟音が轟き、俺は思わず手に持った剣を取り落としそうになった。
「何だ!」
おっちゃんがダミ声で怒鳴り散らす。
爆発は以外に近いところで怒っていた。
目と鼻の先。確かあそこは・・・。
「おっちゃんの研究室じゃねぇか!」
俺が指摘すると、おっちゃんは「うーん」と頭を掻いた。
「今日はそんな危険な実験はやっとらんかったと思ったがなぁ」
やってる時もあるのか。そうか。そうですか。
正直アヤ姉の前でそこのところを問い詰めたかったが今は事故の原因究明が先である。
そう思って俺たちが事故現場に足早に向かおうとすると、研究室からは白衣の人間が何人か這うように転がるようにして出てきた。
「おい!お前らどうした!」
「あ!親方!」
誰が親方だ、誰が。
おっちゃんは研究員に親方と呼ばれている。それ絶対研究者の呼ばれ方と違う。
「早く逃げてください!あ、あの筐体、筐体から!」
「ああん?あの箱がどうした?」
「筐体から、デモンが!」
ばん、と音を立ててコンクリの壁が破壊される。
開いた穴からは黒い足がにょきりと延びていた。影の様なその黒さには見覚えがある。俺たちがデモンと呼ぶ、神話的埋設物のガーディアン。
「馬鹿な!?神域以外でデモンが湧くってのか!」
確かに現場以外でデモンが湧いたなんて話は初めて聞いた。そしてそれは非常にまずい事態だ。奇跡的にまだ怪我人は出ていないようだが、こんなのが外に出たらえらい騒ぎになるに違いない。
「おっちゃん、剣、使っていいな?」
「トモキ…」
「私も付き合おう」
「アヤちゃんまで!」
そう言ってアヤ姉まですうっと剣を抜刀した。水のように美しい流れるような刀身だった。
「止めても無駄?」
「無駄だな。時間の無駄だ」
はぁ、と俺は大げさに一つ溜息をついた。
「いくぜ、アヤ姉」
「ちょ、急に名前呼ぶの反則!…ふん。いいだろう。換装」
「換装」
起動語によって俺とアヤ姉の体が金色の光に包まれる。
黒い影は、壁をこじ開けるようにして俺たちの前にその巨体を曝そうとしていた。