「換装」
アヤ姉が起動語を呟きながら剣を眼前に翳す。神理学的置換作用がアヤ姉の豊かな身体を窮屈そうに覆い隠すブラックスーツから開放する。
神理学とはつまり神憑り―すなわち神が関わる事象に関する物理学を無視した現象を扱う学問体系のことである。専攻ではないので詳しい説明は出来ないが、神が関わる場合においてすべての物理演算は役に立たない。
予知、と言われる神理演算が必要となるのである。
神力学とは神力、つまり神が関わる際にどこからか発生するこの宇宙に見かけ上存在しないはずの力を神理演算する為の学問である。
神は巫女を好む。
多くの文化人類学的資料で舞踏する女性が儀礼上大きな意味を持つことは偶然ではない。神力の素養、即ち神通値が総じて女性に高くなりがちなのも頷ける。
女性が神理学的恩寵、身も蓋もなく言えば補正を受ける為には女性的な魅力が不可欠となる。何度も言うが、女性が纏う装剣の露出度が基本的に高いのは製作者の意図ではない。
神の御心という奴である。
アヤ姉を包んでいた光が霧散する。
この姿のアヤ姉は久しぶりに見る。
パンドラ総帥の為に作られたワン・メイク(一点物)。アヤ姉の為だけに調整された量産品とは桁違いのレスポンス。そして彼女の魅力を最大限に引き出す神の造形美。
それは燃え上がる炎を髣髴とさせる。
アヤ姉の全身を紅い宝玉をあしらった金の細かい蛇が縦横無尽に走っているのだ。
さながら金の螺旋模様。
アヤ姉の白い肌が金糸と紅玉が作り出す炎を思わせる丁寧な細工によって際立たされている。
敢えて言おう。
ほとんど裸であると。
ぶっちゃけボディペイントみたいなもんで、ジャラジャラついた金細工はアヤ姉の身体のラインを螺旋状に強調する役割しか持たない。
一応各部の大事な所は紅玉で隠されているが、そのままずばりの位置にあるので逆に卑猥である。
それでも全体の神秘染みた感じが不思議とある種の気品を感じさせるから不思議だ。
おっぱい?まるで捧げ持つみたいに螺旋状の金糸に持ち上げられて、紅玉を頂いた頂点以外ほとんど丸見えですが何か?
お尻?だから秘密の花園以外ぷりんと露出していますが何か?
ふともも?螺旋状に絡んだ金の糸が食い込んで滅茶苦茶扇情的ですが何か?
俺は改めて思った。
神ってすごい。
黒い髪も燃え立つ炎の様に天に向かって結い上げられ、紅い宝玉をあしらった髪留めによって纏められている。
これこそパンドラグループ総帥の為の衣裳。
パンドラが秘匿する一点限りの芸術品。
「レーヴァテイン」
アヤ姉が剣を一振りすると、炎が燃え立ち、赤い光が白い肌に差した。
第十二話 女神達の交歓
ヘリが、機銃を一斉照射することはなかった。目的がエルピスである以上彼女を傷つけるような真似はしたくないのだろう。
火力にものをいわせることが出来ないなら、個別の白兵戦での制圧が常道だが?
やはりというべきか。
大型ヘリから飛来するいくつかの影。
剣装で武装した屈強な男達が数人、命綱もつけずに窓ガラスが割れた社長室内に飛び込んできた。
「タケちゃん。私の引き出しの一番上を開けろ」
俺は言われるままにどでかい社長机の一番上の引き出しを開けた。そこにはごてごてに包装されたでかい箱が入っていた。
「…これは?」
「た、たまたま持ってたんだ。装剣。それ、あ、あげるから、その…使って」
俺は包装をびりびりと開ける。するとひらりと何かが足元に落ちた。メッセージカード?
『誕生日おめでとう タケちゃん』
…。
「ち、違うから。違うからなっ」
何が何とどう違うのだろうか?
「う、うん。わかった」
俺は釈然としないものを感じながら尚も包装を開けていく。現れたのは群青に輝く海の様な装剣だった。
「ど、どこのメーカーの奴?見たことないけど…」
「ええっと、どこだったっけな。ははは、覚えてないな」
これ絶対ワン・メイクだろ!
これ一本で億クラスの金がかかるぞ!
「…換装」
俺は恐る恐るその一言を呟いた。
俺の身体が、完全に俺のためにカスタマイズされたと思しき圧倒的な神通を感じる蒼い軽鎧に包まれる。
どうでもいいけど、俺の身体情報をどこで手に入れたのだろうか?
動きやすさ、レスポンス、動作性能、そして恐らく攻撃力と防御力のどの性能を持ってしても、これまで扱ったどの装剣とも別格と分かる。
金を積めばここまでのものが出来るのである。
「炎と水というわけね。妬けるわ」
ふうわりと、ユキがヘリから室内へと降り立った。
その周りを、即座に換装済みのひぃふぅみぃ…6人の兵士が固める。
明らかな多勢に無勢。
エルピスを守るクリスを戦力から外せば、その戦力比7対2である。
「警備を呼んである。5分持ちこたえればいい」
アヤ姉が俺の耳にぼそりと呟く。
5分か。最上階が災いしたなぁ。
さて、持たせられるかどうか。
ユキは相変わらずどこか困ったような笑顔で俺に向かって微笑んでいる。いや、その目はもう俺など見ていないようだった。
「私は氷。すべてを凍らせる凍てつく剣。いくわよ、魔剣アルマス」
ユキがまるで気負いを感じさせぬ構えから、社長室の床を蹴った。
「ダイレクト・コネクト。IDアヤコでパンドラボックスにログイン。これより、最高責任者権限によってパンドラボックスと常時接続状態に入る」
出たな裏技。社内でのみ使用可能なダイレクト・コネクト状態。これでアヤ姉は機密を含め、パンドラが持つあらゆる呪法を使うことが出来―――。
「ジャミングシステム”ヤタノカガミ”稼動」
「何!コネクトが、強制的に断ち切られるだと!」
ジャギンと音を立て、ユキの氷の刃をアヤ姉の炎の剣が受け止める。
よく分からんが、どうやらパンドラボックスとの通信を切られたらしい。
一体どんな技術なのか検討もつかないが、これはまずい。
「アヤ姉!」
俺が装剣を引っ提げて飛び込もうとすると、兵士のうちの二人が立ち塞がる。
「どけ!」
俺は袈裟切りに一人を叩ききろうとするが敵もさるもの。装剣の一撃を受け止めて後方に受け流す。
「ちっ」
流石にプロか。腕はどうやら俺の方に分があるが、二人相手ではそう簡単に通れそうにはない。呪法の裏技が使えないとなると、本格的に警備待ちに徹するか。
俺がそんなことを考えている間に、ユキとアヤ姉の攻防は始まっていた。
二人の剣は対極的だった。
アヤ姉は俺とともに剣を習ったがその性質は俺とはまるで違う。
その実は炎。すなわち剛の剣。
問答無用で叩き切る、力の剣がアヤ姉の剣である。
質実とした圧倒的な力の奔流がアヤ姉の剣に宿り、一合ごとに乳が揺れたり尻が弾んだりして本当にご馳走様です。
魔乳の人にあんな衣裳着せるとか本当に駄目。
気が散って仕方ないです。
とは言えユキの実力もかなりのものであった。
これはかなりの大ショックであるが、ユキの装剣の技術は達人級。
一緒にスケートに行ったときのあの頼りないへっぴり腰は完全な演技だったと嫌でも分かる運動能力である。
…死にたい。
とは言えである。
俺が大好きだったユキの隠れエロボディは大いに健在であった。
氷の皿のような胸当てに持ち上げられた胸がぷるぷる震えるのも素晴らしいが、シースルーの鎧越しに見えそうで見えない大事な部分のエロチシズムがまた興をそそって――
「どこ見てる!馬鹿!」
戦闘中だと言うのにアヤ姉から檄が飛んだ。結構余裕はあるようだ。
俺と言えば、こんなことを考えてる間にも二人と切り結び、二人を牽制している。
今、背後に二人回ったな。
囲まれると、あまりよくないことになりそうだ。
そう思った俺は瞬時に姿勢を落とし、瞬間彼らの視界から消える。
はっと彼らが視線を移した瞬間。
兵士達のうちの二人の顔面に何かの破片が激突した。
「ぐはっ」
それは床であった。
コンクリートごと刳り貫いた厚さ20センチの社長室の床を思い切り投げつけてやったのだ。
オフィスビルでありながら最上階の社長室の仕様がマンションに酷似していることを俺は知っていたのである。
「ひ、卑怯な」
うるさい、馬鹿め。真剣勝負、それも多勢に無勢で卑怯も何もないだろう?現場では生き残ることが第一。
怯んだ敵に踊りかかった俺は剣を振り上げながら脚を払ったり、剣を振りかぶったまま踵落とし決めたり、剣を構えてやっぱり剣で切り払ったりやりたい放題しながら敵を蹴散らしていく。
「相変わらず姑息な剣でございますねぇ」
「うるせー」
見れば呆れたような顔のクリスもまた換装し、後ろ手にエルピスを守りながら兵士の一人を牽制している。
兵士もまたクリスを攻めあぐねているようだ。
それもそのはず。
クリスもまた、俺とアヤ姉とともに剣を習った一人であるのだから。
「よくもタケちゃんの心と身体を弄んだなっ!」
アヤ姉はそんな雄たけびを上げながらユキと切り結ぶ。
ごめん。恥ずかしいからそういうのやめてくれないかな?
「ふふふ。弄んだなんてひどい。普通にお付き合いさせて貰ってただけよ?」
「政府の狗がよく言う!何の目的でタケちゃんに近付いた!」
「愛し合っていたから。それじゃあ駄目かな?」
「駄目にきまってるだろぉがぁぁぁぁぁ!」
あ、駄目なんですか。俺としたらその理由に一票入れたいんですが。
「正直。目的はあったけど、武村家から横槍が入って結局達成できなかったわ。いいところで追い出されちゃった」
きこえないきこえないきこえないきこえない…。
俺には何にも聞こえない。
「あ。横槍入れたの私でございます」
お前かぁぁぁぁぁぁぁぁ!
「あら、そうだったのね。今となってはどうでもいいけれど。武村家から圧力がかかったから、さしたる成果もなかった私は呆気なくトモくんの管轄から外れた。今となってみれば、上はもっと辛抱強くトモくんに張り付いておくべきだったね」
ごめん。全然聞こえない。何も聞こえない。はっきり言って聞こえない。
「それ以上、タケちゃんを冒涜するな!」
ぶわっという神理的擬音がして、アヤ姉の纏う神力が目に見えて増大する。
アヤ姉が放った憤怒の一撃が、逆袈裟にユキの胸元を捉える。
「くっ」
派手な音を立ててユキの胸部装甲が破砕した。
砕け散る氷の破片を撒き散らしながら、形のいいおわん形のEカップがぽろりとまろび出る。
…あ、ごめん。ちょっとぼうっとしてた。
ユキはそのまま暴かれた胸を隠すこともせずにぷるぷるさせながらアヤ姉の追撃を捌いて後ろに下がった。
二人の女神の勝負は、どうやらアヤ姉に軍配が上がるようだ。
そして――。
「勝負あったな?」
「あら、勝ち名乗りを上げるには早いんじゃない?」
にやりと笑うアヤ姉に不遜な口調で言い返すユキ。
その時。
ぽん、と音がして社長室に続くエレベーターが最上階に到達したことを教えた。
「5分だ」
ふっと一度剣を振るうと、剣が纏っていた炎が消える。
俺たちは無事に5分持ちこたえたようだ。
このまま続けててもあるいは撃退できたかもしれないが、まぁ余裕があるのはいいことである。
俺の精神的余裕はもうゼロに近いしな!
ユキはどうするだろう。
もう一度俺に懇願するだろうか。
色仕掛けされると、今の俺はちょっとやばいかもしれない。
「ふっ、ふふふふふっ。あはははははははは」
しかし、予想に反してユキは突然笑い始めた。あくまで上品に。だが明らかにアヤ姉を馬鹿にしたような哄笑。
「何がおかしい!」
「ごめんなさい。でもね」
ばん、と社長室の扉が開く。
警備が辿りついたのだろうと振り返った俺とアヤ姉は、しかしその光景を見て凍りついた。
「ば…かな……」
扉を開けて入ってきたのはパンドラの警備員ではなかった。
なんと装剣で武装した、見慣れぬ十数人の兵士達であったのだ。