うちのエレベーターはでかい。
何せ128階もあるから、一番でかいエレベーターは乗用車くらいならすっぽり納まるくらいの大きさがある。
そして今それが完全に災いした。
でかいエレベーターは、十数人もの敵兵士達を引き上げてしまったのだから。
「待っていたのはあなたちじゃない。私だったの」
そう言ってユキは悪戯っぽく笑う。八重歯が小悪魔染みて可愛らしいが、その意図はぞっとするほど恐ろしい。
「制圧に思ったより時間がかかっちゃったみたいね。もう、危うく苛められるとこだったじゃない」
そう言って現れた兵士達に笑いかけるユキ。
兵士達は俺とアヤ姉、そしてクリスを取り囲み、剣の切っ先を突きつけた。
「じゃあ、もう一度だけ言うね。トモくん」
ユキはそう言って、困ったように微笑んだ。
「エルピスを返してくれる?」
それは邪笑と呼ぶのに相応しい。
第十三話 空を飛ぶならマイカーで
「最初から、言おうと思ってたんだけど…」
俺はからからに乾いた喉からやっとのことで声を絞り出す。ほんの少しでも応対を間違えば、エルピス以外の全員が殺されてもおかしくはない。
俺は敢えて軽口でユキに話し掛ける。
「エルピスは俺たちが見つけたんだ。返すも何もない」
「違うよ、トモくん。あなたたちが見つけたのは”箱”だけ。エルピスを発掘したのは私たちなの」
「神理学的置換作用か…」
その可能性は考えていた。
即ちどこかに存在したエルピスを、”箱”が召喚したのではないかという可能性だ。
しかしユキは今エルピスを発掘したと言った。だとすれば、やはりエルピスは神話的埋設物なのか?
当の本人たるエルピスは突きつけられた刃にも怯えることなくただいつもの無表情で切っ先を見ている。
もともと政府の機関にいたとしたらその間。
エルピスは何をされていたのだろう?
そしてもしもこのまま連れ去られたら、エルピスは何をされるのか?
ふと気が付くとエルピスと俺の視線が交錯する。
無垢な瞳。
小さな手。
華奢な身体に拙い動作。
どんな理由があろうと、エルピスが何者だろうと、現に幼いこの子どもを不幸にする権利が誰かにあるだろうか?
「返せないな、ユキ」
「へぇ?」
ユキがおかしそうに目を細める。
俺の返事など最初から関係ない。
そんな温度のない瞳で俺を見る。
「悪いけどな。俺は大人なんだよ。子どもを守れないで、何の大人だ。この子は俺が預かっている俺の子だ。お前らに、渡すわけにはいかない」
「タケちゃん…」
「よくぞ言いました!それでこそ私のお兄様です!」
俺の言葉を賞賛するクリスだが状況は最悪である。完全に応対を間違ったと自分でも自覚できる。さて、この戦力差でどこまでやれるか。
ユキは口元に冷笑を浮かべたまま、「そう」と呟いた。
「じゃあ、死んでくれる?」
俺が何を言われたのか分からないまま一瞬ほうけているその隙に、ユキが剣を振り上げた。
「タケちゃ――」
ぷるるるる ぷるるるる ぷるるるる
アヤ姉の悲鳴を、場違いな携帯電話の音が遮る。
「はい、クリスでございます」
お、お前はどんだけ空気が読めないんだ。よくこんな状況で電話に出れるな、おい!
とは言え助かった。
俺はまだ心のどこかで、ユキが俺に直接危害を加えることを信じられていなかったらしい。ユキはクリスのあまりの非常識に、思わず俺を切り殺すはずだった剣を止めて硬直していた。
いや、違う。
その表情に、初めて焦りの色が浮かんでいた。
「そんな…。ジャミング下で電話が通じるはずが…」
「はいはい。左様ですか。いえいえ。ご苦労様でございます。はい。わかりました。お待ちしております」
ピっと携帯端末を切るクリス。
悪魔染みた黒い水着の様な鎧から見事な丸みの下乳を震わせる妹は、やはりにこりと悪魔染みて笑った。
「アヤコ様!パンドラボックスにアクセスを!」
「IDアヤコでパンドラボックスにログイン。最高責任者権限で凍結呪法、”ニーズヘッグ”の解凍即時実行を命ずる!」
「いけない…」
突然、社長室の床から電撃が迸る。
紫電をまとったそれは蛇の様にくねり、正確にアヤ姉の敵に向かって分裂した!
雷電が炸裂する轟音がして。
俺たちを取り囲んでいた兵士達を一人残らず弾き飛ばした!
いや、一人。
ユキだけは神力にあかせて、迫り来る電撃の蛇を切り払う。しかしその衝撃を殺しきることは出来ず、大きく後ろに飛び下がる。
むき出しの乳がよく揺れるよく揺れる。
ユキは呻く味方兵士達を見回すと、口の中で小さく舌打ちした。
「…どういうこと?」
初めてユキの上を行けたらしいことに俺は安堵する。しかしそうは言われても、俺にも何が起きているのかさっぱりわかりません。
ぽん、とその時、場違いにエレベーターが到着を知らせる。今度はなんだといぶかしんでいると次の瞬間、轟音が轟き―
「はぁ!?」
ドアごと壁が破壊された。
「今度はなんなんだよ!」
またぞろユキの伏兵か、と思いきや、瓦礫をかき分けて突っ込んできたのはどこかで見たことのある赤いスポーツカー。
『お待たせしました、皆様』
「セバスチャン!」
キキィッとブレーキをかけて室内で止まるセバスチャン。早く乗れとばかりに勢いよくドアが開いた。
「お兄様、アヤコ様、お早く」
そう叫びながらクリスがエルピスを抱きかかえて後部座席に飛び乗る。
俺はアヤ姉と一瞬顔を見合わせ、そして迷うことなくスポーツカーに乗り込んだ。
『ジャミングの解除に時間がかかりまして申し訳ありません』
ってお前がやったのかよ!
流石に天才プログラマーである母さんが汲み上げた人工知能だけのことはある。ちょっと外には出せない神話的オーバーテクノロジーがふんだんに使われてるって話だしなぁ。
「で、どこに行く?」
俺はハンドルを握ってそう尋ねる。
もちろん俺はエレベーターを降りてからの話をしたつもりだ。
その後どこに逃げるかという話を。
『こちらです』
そう言ってセバスチャンは勝手に車を操作して――
ヘリが滞空するビルの外へと躍り出た。
「ちょっ、おまっ、はぁ!?」
勢いよく飛び出すスポーツカー。
ヘリが驚いた様にこちらに機銃を向ける。
『邪魔です』
ピ、と一瞬フロントライトが光ったと思うと。
ヘリが突然爆砕した。
「はぁ!?」
一体何が起きているのかさっぱりわからん。一体いつから俺の平凡なサラリーマン人生は、アクション映画路線に移行したんだ?
「4話ほど前でございます」
「うるさい」
訳の分からないことを言うクリスをたしなめる俺を尻目に、スポーツカーはぐんぐんと開口部に向かって前進する。
あ、パラシュートで落下するヘリの操縦士が見えるよーって、ここが何階か分かってるのか、セバスチャン?
『お嬢様。緊急性を要する事態の性格上、禁則事項の第二条6項の適用を申請します』
「了解しました。同条同項の適用を許可します」
とか何とか言っている間に車はついに開口部に達して、しかも少しもスピードを緩めることなく遮蔽物のない空にその車体を踊りだした。
「ちょっ、おい!禁則事項の何とかって何だ!」
「ひっ」
俺が悲鳴に近い絶叫を上げ、アヤ姉が実際に悲鳴を上げる。エルピスは相変わらずの無表情だが、あ、俺の手をきゅっと握っているので怖いは怖いらしい。
装剣を突きつけられても無反応だったエルピスをここまで怖がらせるとは…。
「第二条6項でございますね。『限定条件下における飛行の許可』でございます」
「ひ?」
「飛行?」
放物線を描いて宙を舞う車体がやがて慣性にしたがって自由落下を始めようとしたその瞬間。セバスチャンの人工音声が朗々と響いた。
『ID、GT01UM-D00X999。スーパーオブザーバー権限により、凍結呪法「イカロス」及び「ヴァジュラ」並びに「イージス」の即時解凍処理に入ります』
バン、と派手な音がして、車体の両側にデモンと同じ擬似物質で作られた一対の白鳥のような翼が広がる。
車体は揚力得て、そして落下を止めた。
『では皆様。シートベルトをしっかりとお締めください。それでは快適な空の旅を』
「はいぃぃぃぃ―――――」
俺の悲鳴を音速で置き去りにして。
赤い車体が空の彼方に消えていくのを、ユキはどんな表情で見送っただろうか?
教訓。
武村家へ喧嘩を売っても損するだけなので、止めておいた方が吉。
なお、抱きついてきた裸同然のアヤ姉の身体が、極上の柔らかさだったことだけ追記しておく。