「…ってことがあったんすよ」
「へー」
久しぶりにスーツを着込んだ俺は、パイプ机に出されたお茶を啜りながら、作業着の胸元を大きく膨らませたモデル並の美女と話し込んで人心地ついていた。
営業職の唯一の利点。
それはサボっていても誰にもばれないし文句を言われないことにある。
真昼間の発掘現場。
鈴木攻務店社長兼当現場総合所長でもある俺のお得意様は、俺の話に興味深く聞き入っていた。
「それで一週間も連絡がつかなかったわけだ」
「そうそう。いやぁ、参りましたよ。仕事に復帰したら携帯に不在着信が200件くらい入ってて」
「そのうちの50件くらいはウチだけどなっ」
「本当すみません」
俺は頭を下げるふりをして、社長の巨乳を盗み見たのだった。
うん、今日もいい乳だ。
エルピスを連れてとりあえず武村家へ逃げ込んだ俺たちは、ほとぼりが冷めるまで静かに潜伏することにした。
武村家にいる間は安全だというクリスの言葉に従うことにしたのである。
俺は知らなかったが、武村家は電子の要塞と呼ばれているらしい。
天才ハッカーである母親が作った完全な防御システムに守られたセバスチャンが、邸内にふんだんに仕掛けられたオーバーテクノロジーを縦横無尽に使用できる為、物理的にも電子的にも神理的にも攻略は不可能とのこと。
一体俺の実家は何なんだ。
まぁおかげさまでこの1週間、俺はアヤ姉の手料理を食べることが出来るという恩恵にあやかっている。
ちなみにメニューは、1日目、カレー。二日目、肉じゃが。三日目、カレー。四日目、ハンバーグ。五日目、カレー。六日目、カr…。
気にするな。
ただ、少々料理のレパートリーが少ないだけだ。もうすぐ三十路だが、まだ若いのでこれからに期待である。
まぁ、少ないレパートリーと言えど、何故かすべて俺の好物なので俺的には問題ない。
しかしパンドラ総帥が病気療養を理由に無期限の休暇をとるという報せは業界を少なからず震撼させたようだ。
しかも事前の会見もなし。療養先も秘密にして、であれば尚のこと。
いらぬ憶測も報道された。
中には現総帥を快く思わない政府による陰謀説となどという報道もあって笑えなかった。
ちなみに俺の休暇願いは携帯端末からメールで部長に送っておいた。
流石に慌てて電話がかかってきたが、着信拒否にしたので問題ない。
まぁさっき出社したら滅茶苦茶怒られたけどね。
俺にロリ属性はないので、部長に涙目で怒られても痛くも痒くも萌えもしないので問題ない。
「でも、もう出てきてもいいわけ?ほとぼりって奴は冷めたの?」
「それが分からないんっすよ。一応母親から学会経由で政府に圧力は掛かってるはずなんすけど、相変わらず監視がついてるし…」
「うそ。今も監視されてんの?」
「途中で撒いてきました」
本当は朝一でここに来たかったが、これに一番時間がかかって昼になった。ちなみに石川社長からも大量の不在着信やメールがあったが、大半がキャバクラへのお誘いだったので放っとくことにする。
バイト行けないって電話したとき、一応しばらく連絡つきませんって社長に言っといてって頼んだのだが…。
あのおっさんに記憶力を求めてもしかたないか…。
「あと、こんな話をウチにしてもいいの?どこに持ち込んでも高値で買ってくれそうだぜぇ?」
鈴木社長がそう言っていたずらっぽく笑う。
そんな社長に、俺は嘆息した後、力なく笑った。
「こんな漫画みたいな話、信じてくれる報道機関があればの話でしょ?」
第十四話 ラストクリスマス(前編)
「困ったことがあったらウチのとこ来いよ?あと、エロい妹も今度紹介しろ」
「本当に困ったらそうしますよ。あと、妹は絶対つれてこねー」
俺は社長に頭を下げて現場を後にした。
顧客のアフターフォローは営業の基本である。
実は俺がここに来るまで滅茶苦茶怒り狂っていたが、クレームも転じて販促へと繋げるのが真の営業というものだ。
今月分の納品は最初に済ませた。
出会い頭に不機嫌な社長から一割もまけさせられたのはご愛嬌である。
会社に帰ったら始末書ものだが…。どうしよう…。
ピピッ、と音がして俺の端末が着信を告げる。
やはり来たか。
そういう思いで俺は端末の画面を見る。
そこにはこの一年、いくらかけても不通だったはずのアドレスから、短くひとことメッセージが届いていた。
『今夜10時、いつか星を見た丘で』
俺は端末を閉じ、車に乗り込むとエンジンをかける。
さて、どうしたものか。
「本当のこと言ったら、心配するよなぁ」
俺はアヤ姉と妹に何といいわけするかを考えながら、とにかくたまりにたまった書類を片付けるべく、会社にむかってアクセルを踏んだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
旧東京市郊外。
俺の実家からそう遠くない場所に作られた森林公園。
作ったのはどこかの企業だと思ったが正確には覚えていない。
国家がなくなった現在、企業は互いが互いに課した社会福祉義務に則って、市民に対し定められた利益の還元を行わなくてはならない。
この公園も、そうした事業の一環であったと思う。
俺が幼い時、よく遊びに来た公園だった。
そして、二人が初めてデートした日。
一緒に星を見た場所だった。
…ちなみにその後寒空の中、興奮しきった若い二人は車の中で色々全年齢板では表現不可能なことをしたようなしてないような。
「トモくん、来てくれたんだ」
その時、俺の耳に心地よく響く声がした。
LEDでライトアップされた鬱蒼と木々が茂る公園の中。
彼女はまるで幻想の国の妖精の様に、白いコートを着てベンチにちょこんと座っていた。まるで時間が巻き戻ったようだ。
ほんの一年前。
俺がとても幸福だったあの頃に時間が戻ったようだった。
すっと綺麗な姿勢でユキが立ち上がった。
考えてみれば彼女の名前は今際ユキ。
「今はユキ」とも読める。
明日は、あるいは昨日は違う名前かもしれないそんな符号。
彼女の素性を現す意味があったのかもしれない。
長い、艶のある黒髪が、寒空の中、風に吹かれてふわりと舞い上がった。
「もう一度聞くから答えを聞かせて。エルピスを返してほしい。もし返してくれるなら…」
俺の方へ近付きながらユキははらりとコートを脱いだ。
コートの下には何も着てない…などということはなく、可愛らしい白いワンピースを身に着けていた。
彼女によく似合う、綿毛の様に柔らかそうな生地で出来ていた。
「私はまた、あなたの元に戻れる。あなたを昔みたいに愛せるわ」
そう言ってユキは俺のすぐ目の前で立ち止まってにこりと笑った。素敵な笑顔。澄んだ泉の様な。まるで捧げるように己の体を抱きしめるユキ。
二つのふくらみが、服の上から持ち上げられてその量感を俺に訴える。
ちっともいやらしくないのに、男の心を虜にするその仕草。
それさえも、きっと計算されたものだったのだろう。
「ユキがいなくなって、何かの拍子にあの歌について調べたことがある」
俺が不意にそう言葉を発したから、ユキは不思議そうに小首を傾げた。
俺の気を引く為だけだったのかもしれない彼女の歌。
ユキはもう、覚えてもいないだろうか。
「ラストクリスマス、っていう歌だったよな。『去年のクリスマス 君に僕の心をあげた でもその翌日には もういらないって 今年は 涙を流さないために 僕の心をあげるのは誰か特別の人に』」
俺がそう歌い上げると、ユキはその笑顔を一層深める。
そこにあるのは無垢と愛らしさ。
そして、紛れも無い邪悪。
「それがトモくんの答え?」
「あぁ」
ざわり、とユキを取り巻く空気が変わる。
威圧が俺を圧迫し、空気さえも心細そうに震える。
木々がざわめき、星々さえも瞬きを自粛し。
あらゆる命が息を止めて、ユキが剣を抜く瞬間を見ていた。
「残念ね。あなたをもう一度愛せると思ったのに…」
「俺も残念さ」
言いながら、俺も装剣を抜く。
俺たちを数十の気配が取り囲むのを感じる。
別に構わない。
元から一対一など望むべくも無い。
「別に二日に一度カレーでも俺はいい。不器用で、男を虜になんか全然出来なくて。何かあったらびーびー泣いたっていい。
守ってやるって、約束したからな」
そして彼女が俺を選ばなくてもいい。
彼女にはもっと相応しい男がいるのだろう。
「本当に、残念」
ユキが困ったように微笑を浮かべた瞬間。
俺を目掛けて数十の刃が降りかかった。
「換装」
俺の身体を光が包む。
蒼い海の様な鎧が置換される。
ワンメイクのこの鎧。アヤ姉がくれたこの鎧を着ている限り、俺は負ける気がしない。
ガキキキキキキキキン!
俺に襲い掛かったすべての刃が弾かれた。
刺客たちは大きく距離を取るべく離れる。
ここまで、何だ主人公無双展開かよ、とそう思った君。
君は心底甘いといわざるを得ない。
だいたい俺と同じくらいに…。
刃は悉く弾かれた。
だがそれは俺によってではない。
俺が剣を1ミリも動かす暇もないままに、刺客の剣は物陰から現れた二つの人影によって迎撃されたのである。
一人は赤い剣持つ金糸に彩られた女。ぶっちゃけ神力なかったら寒くて戦闘どころではない露出度である。白い乳がぶるんぶるん揺れたり、むき出しのお尻がきゅっと引き締まっていたり、アップに纏められた髪と白いうなじが絶妙のコントラストを見せていたりしていつまででも見ていたい絶世の美女。
何故か涙目で俺を見ているのが玉に瑕だが。
一人は黒い剣持つ水着と見まごう下乳丸出しの衣裳を来た女。揺れる乳はあとほんの少しアップダウンにとんだ動きをすれば、衣裳がすっぽ抜けて色々大事なものが見えてしまうのではないだろうか。黒いTバックの革鎧もポイントが高い。
ベッドの下の20世紀資料を発見した時の様な得意げでかつ俺を馬鹿にした笑顔をしているのがむかつくが…。
「よく仰いましたお兄様。ここであの女を選んだら、お兄様の首とかアレとかを切り飛ばさなくてはいけなくなる所でした。よかったよかった」
「何で棒読みなんだ、お前は?」
「ひぐっ、たけ、ひっ、たけちゃん、ひぐ、びーーーー」
「何で、アヤ姉は泣いてんの?」
「だって、タケちゃんが、ひぐっ、タケちゃんがあの女のとこにっ、ひっく、いっちゃうかと、いっちゃうかとおもってぇっ、えぐっ」
「いったいいつから聞いてたんだ?」
「はて?いつからと申されましても。あぁ、ところで、お兄様の音痴は相変わらず聞くに堪えませんねぇ」
「ほとんど初めからじゃねぇか!」
どうも俺は滅茶苦茶信用がないという事は分かった。
二人の達人は、どういう手段でか俺とユキとの密会を知りえて、一足先にここの潜伏していたらしい。
「…一つ聞いておく。クリス。何故ここだと分かった?」
「愚問ですわ、お兄様。お兄様のデートの記録はす・べ・て、映像資料として残してあります。中々にXXXな内容に富んでおりますが、今度お送りしますか?」
「お、お、おおおおおおお前はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「興味深いな。是非私にも送ってくれ」
「わかりました。アヤコお姉様」
「送らんでいいわ!」
何が哀しくて自分の情事を人に見られなくてはならんのだ!
本当に、旧世紀映像資料の女優さんや男優さんを尊敬します。
「さて…」
クリスはそう言ってまっすぐに俺を見る。
いや、俺の向こうにいるユキを見る。
「特別に、手出しはしないで差し上げます。ご自分の過去とくらい、ご自分で決着をつけていらっしゃいませ」
「負けたら、承知しないんだからねっ」
クリスに続いて、涙目でそういうアヤ姉。何この可愛い生き物?
「…分かった」
俺は短くそう言うと、装剣を担いでユキのほうへ向き直る。
アヤ姉とクリスは、装剣を構えて周囲の兵達を牽制した。
「決着をつけよう」
思い出に。恋心に。どっちつかずの俺の想いに。
「換装」
俺の言葉に、ユキはしかし小さく起動後を呟いただけだった。
ひらり、と雪が一片舞い落ちて、溶けて流れて消えていった。