「雪、ね」
ひらりひらりと舞い落ち始めた雪片を見て、ユキがそう呟いた。
季節はもう12月。
東京地区でユキが降るのは珍しいがないことではない。
白い、正に雪のようなティアラを頂いたユキは、ふわりとしたシースルー気味の氷のドレスを身に纏い、氷の長剣を俺に向ける。
パンドラ本社でのアヤ姉とユキの戦い。
あの時、おそらくユキは本気を出していなかった。
それでもその腕はアヤ姉と互角以上だったと思っていい。
LEDの光が反射してきらきらと輝くユキ。
それは俺の思い出そのものと言っていいくらいに、美しく、透明で、そして現実離れしていた。
分かっている。
思い出は思い出だ。
二度と帰ってこない時間を、人は思い出と呼ぶのだ。
第十五話 ラストクリスマス(後編)
先に動いたのはユキだ。
その切っ先は鋭く、一瞬で俺のふところにもぐりこむほどのスピードで迫ってきた。
俺は辛うじてその一撃を装剣で弾く。
甲高い音を立てて逸らされた切っ先が、次の瞬間には俺の首筋を狙っていた。
俺はすんででそれを仰け反ってかわす。
やはり早い。
アヤ姉との戦いの時は、後手に回っていたから分かりにくかったが、こうして先手を取られてみればその速度はアヤ姉を凌いでいる。
その上一撃一撃が重い。
俺の力では弾くのが精一杯だ。
勿論腕力は男の俺の方があるだろう。
だが、神理下での戦いは、身体能力だけでは始まらない。
一般に劇場型運動法則(運動の第四法則)と学校で習う、神理下での理不尽が遺憾なく発揮されている。
神は劇的な展開を好む。
だから派手な衣裳や、露出度の高い女性を好むのである。
普通、運動法則は→a=k(→F/m)で現され、加速度は質量mに反比例する。
何をいいたいかと言えば、物理現象化では質量が大きいほど慣性が大きくなる。だからハンマー投げの選手は巨大な慣性をぐるぐる制御しながらハンマーを投げるのだ。
だが神理下ではそんな法則は恣意的に無視されるので、女性の力とは思えぬ大質量の打撃が、恐るべき速度で繰り出される。
ぶっちゃけて言えば、手も足も出ないのである。
剣の腕に差があれば、それでも何とかなる。
相手の攻撃をかわしてこちらの攻撃を当てれば、いかに攻撃力に差があろうといつかは勝てるからだ。
だがユキの技術はアヤ姉並。
本気で俺には勝ち目が無い。
まぁ、正攻法で攻めればの話だが。
神理は必ずしも味方をするばかりではない。
神は悲劇をも好むのである。
「よし、やるか」
正直元とは言え自分の彼女にこんな真似をするのは気が引ける。
本当に気が引ける。
本当の本当に気が引ける。
だが、まぁ仕方ない。
仕方ないったら仕方ない。
俺は仕方なく、これからやることをなるのだ。
「逃げてばかりで、私に勝てるの?トモくん?」
ユキが氷の剣を逆袈裟に繰り出す。
俺はその切っ先に鎧を傷つけられながらもなんとか回避し、そして装剣を持たない逆の手で、ユキの腰周りを覆う氷の防具を掴んだ。
「へ?」
俺がそれほど力を加えたとも思えないのに、氷の鎧はべりりと剥がれる。
神力が俺の所業を補助したのである。
思わず退くユキ。
鎧の一部を剥ぎ取られ、白いふとももが露になっていた。
「な、なんで?」
ユキが驚愕の声を漏らす。
装剣の神的加護による防御力がユキを守っているはずなのだからその驚愕は当たり前だ。
だがそれは、神理学の基本概念、「保存則の恣意性」を誤解して解釈しているに過ぎない。
ここでいう恣意性とは、ある程度意のままになるという意味であるが、それは使用者、つまり人間のことを指しているのではない。
あくまでそれは神の意思である。
そして、神は劇的な展開を好む。
「うりゃっ」
俺は蒼い装剣を袈裟切りに振るう。
その鋭い一撃がユキの胸部装甲に僅かに届く。
しかしとてもそれを貫くには至らない…はずであるが。
「えぇっ?」
バキンと音がしてユキの胸部装甲が破壊される。
形のいい白い大きな乳が、ぽろりとまろび出て俺と神とを喜ばせる。
「なんでなの?」
ユキが困惑する。
一体神理的加護はどこにいったのか?
答えはどこにも行っていない。
今もそこにあるのである。
ただし、マイナスに働いているだけで。
俺はその調子で次々とユキの装甲を剥がしていく。
スカートをほとんど破壊して際どいところを見えそうにしたり。
おっぱいを完全に丸見えにしたり。
ほっそりとした丸い肩を丸見えにしたり。
仕方なくだ。
仕方なくやっているのだ。
そうこうする内にユキはほとんど裸同然だ。
女性的魅力が上がっているユキは反比例して神力を上昇させているが、流石の彼女も乳とか尻とかふとももとか丸出しで、あと色々全年齢板ではかけない部分も見えそうになりながら平常な気持ちで戦うことは出来ない。
羞恥にその肌がピンク色に染まっているのが分かる。
露出狂でもなければ、公衆の面前で服を剥ぎ取られていくのは堪えるだろう。
「こ、こんなこと…。こんなことを…」
ユキがわなわなと震えながらそう呟く。
さっきまでの余裕顔はどこへやら。
悔しさと羞恥をない交ぜにした彼女の感情は確かに揺らいでいた。
「トモくんが、こんなことするなんて…」
ぐさっ。
うわぁーい。
きっつーい。
正直きつい。痛過ぎる。男としての何かが終わりそうだ。
目に涙まで溜めて恨めしそうに俺を見るユキ。
裸同然の格好まで追い込まれ、片手で胸を隠し、もう一つの手も装剣を持ちながら大事な場所を隠している。
何故ユキがここまでの羞恥を感じるのか?
考えてみれば、さっきまでもっと恥ずかしいといっても過言ではない格好をしていたではないか?
そう思われる諸兄もいるかもしれない。
だが、これこそ神理の奥深さ。
何度も言うが、神は劇的な展開を好むのである。
女性が換装後の露出の激しい格好に羞恥心を感じにくいのも神理の働きであれば、鎧を剥かれた途端羞恥心を感じ始めるのも神の御心。
恥ずかしがらない女になんて、萌えないしね。
「ひどい…」
消え入りそうな声でそう言うユキは、ついにその場にうずくまってしまう。顔だけはこちらを見せて、涙目で俺を見上げる。
ぶっちゃけかなりやばい。
ここまで男の劣情をそそる格好があるだろうか?
ユキには尋常ではない神力が集中しているが、その加護が悉くマイナスに働いているのでもう戦闘は不可能だ。
目的は達したわけだが、どうもここで踏みとどまれない俺がいる。
あの白いおっぱいとか、すらっとした生足とか、ぷりっとしたお尻とか。
俺の理性が崩壊し始める。
ちょっといけない趣味に目覚めそうだった俺は、しかし後ろからアヤ姉に思い切り頭を殴られて、ようやく正気に戻った。
「何を…やっている?」
恐ろしい神力がアヤ姉から立ち上っていた。
鬼や…。
劇場型運動理論。
神は修羅場をもまた好む…。
「こ、これは、その…。仕方なく、ね…」
「この、女の敵め!」
結局ユキたち政府の追手には勝利したが、一番大怪我をしたのは俺だったと言う。
どっとはらい。
ジリリリリリリリリリン、と電話のベルが事務所に響く。
いつの時代も電話の呼び出し音の癇に障る感じは変わらない。
しかし、この日常を懐かしく思っている俺も存在した。
平日の昼間。
社内にはスーツ姿の同僚達がパソコンに向かっていたり、部長がドーナツを食べたりしていた。
おい、そこのロリっ娘。真面目に仕事しろや。
だが最近の俺は機嫌がいい。
絶対に給料分働いてないと断言できる部長の怠慢にも目を瞑ろう。
それというのも、俺の愛する平穏な日常がこうして返ってきたからである。
「有難うございます。総合商社パンドラ剣装部です!」
電話に出る俺の声も心なしか弾んでいる。
朝がどんなにつらくても、夜が毎日遅くとも、やはり平穏に仕事が出来るこの時間が俺は好きだ。
あれから1週間。
武村からの圧力がようやく効いたらしく、政府からの追手の気配は鳴りを潜めた。
あ、その内三日間は入院していました。
蹴られた内臓が破裂寸前だったとか。
どんだけ加減なしなんだよ、アヤ姉…。
まぁ何はともあれ俺はこれから日常を享受するのである。
家に帰るとかわいいエルピスが待っていることだし、張り切って仕事をしなくてはならない。
『トモキ?丁度よかった』
ぴし、と音を立てて、受話器を持ったまま俺が凍りつく。おかしいな。絶対に聞こえてはならない声が電話の向こうから聞こえたような気が…。
『今すぐ出てきなさい。一緒に行く所があるの。あと5分で会社の前に車がつくから』
こっちは仕事中なんだよ、とか、5分じゃエレベーターの待ち時間にもならない、などという理由は、この女には通用しない。
出ろと言われれば出なければならないし、5分といわれれば5分なのだ。
『わかったわね?トモキ』
「はい…。母さん」
ガチャ、と通話が切れる。
俺はおいしそうにドーナツを頬張る部長に視線を向ける。
偶然目があって、部長が怪訝そうに眉を顰めた。
「どうしたの?武村くん?あー、私に見蕩れてたんでしょう」
そんな粉砂糖口元につけてるロリっ娘なんぞに誰が見蕩れるか。
俺の正義は常におっぱいだ。異論は認める。
「急にお腹が痛くなったので早退します。では」
「ほえ?」
何を言われたのか分からないと言った風に小首を傾げる部長を尻目に、俺は全速力でフロアを飛び出し、階段を駆け下り始めた。
「ええええええええええええええええええっ!」
背後で部長の絶叫が聞こえた気がしたが気にしない。
俺だって、命は惜しいのだ。
「お早う。トモキ。早く乗りなさい」
俺がぜーぜー言いながら階段を駆け下りると、そこには赤いスポーツカーを背に仁王立ちする金髪の美女の姿があった。
長い髪を巻き髪にしてアップしたその女は、細い腰に手を当てて、傲慢ともいえる表情で俺を見る。
黒いタイトなミニスカートから伸びる長い脚は粗い網目のストッキングによって強調され、黒いブラが透けて見える白いブラウスは上から三つほどのボタンが開けられて、深い胸の谷間を見せ付けている。胸のサイズが合わないのでボタンが閉まらないのだという。
アヤ姉並の弾む魔乳の持ち主。
どうみても外見年齢20台にしか見えないきつめの視線の怜悧な美女。
俺の母親武村トーコであった。
「お早う。母さん」
俺は息を整えてやっとのことでそう言うとスポーツカーの運転席に乗り込む。
母さんは助手席にふわりと飛び乗った。
信じられない身軽さである。
これで〇〇才とか絶対に詐欺だ。
「何か言った?トモキ?」
滅相もありません。
え?何歳かって?
うちの親父、武村レイモンドの年齢が55であるが、うちの母親は親父が大学院生の時の教授だった。
これだけ言えば、分かるよね?
うちの部長以上の年齢と外見の不一致である。
「で、どこに行けばいいの?」
俺が尋ねると、母さんは面白くもなさそうに言った。
「世界政府の旧日本地区行政館」
「は?」
俺が聞き返すと、母さんは小さく可愛い欠伸をした。