「では、ゲームをしましょう」
「はぁ?」
さて状況を整理しよう。
俺こと善良な一市民であるタケちゃんは、ふとしたことから仕入先の担当者と一緒に、まったく健全で向学心に溢れる動機によってゲームメーカーの展示会を視察することになった。土曜日にまで仕事なんて頭が下がるねっ。
そこに現れたアヤ姉。なにやら全身から湯気のように怒気が立ち上っていることから推察するに、何かを決定的に勘違いしているようだ。
いけないいけない。
昔からアヤ姉ったらお転婆だからなぁ。
よーし。
タケちゃんが今からその誤解を解いてあげ――
「武村主任。今すぐその不快な独り言を止めろ」
「イエッサー!」
気がつけば俺はびしりと敬礼をしていた。
場所が許せば土下座していたかもしれない。俺も慣れたものである。
アヤ姉はふん、と鼻を鳴らすと小蝿を見るような目で俺を一瞥した後、宮下さんに向き合った。
「で、どういうつもりだ?」
「ですから、ゲームをしましょう。このデビハンは武村さんが昔から好きなゲームなんです」
「だから、なんでそうなる?」
宮下さんの大人の対応にどうにもペースが狂うらしい。アヤ姉が不機嫌にそう言うと、宮下さんは透明な笑みを浮かべて言葉を続けた。
「だって、社長仰ったでしょう?あなたと私と、武村主任にどちらか選ぶようにって。でも、男の人って優柔不断だわ。だからゲームで決めればいいんじゃないかなって」
「くだらん」
「あら。自信がないの?」
宮下さん。あんたどんだけ度胸あんの?いや、胸が大きいのはわかってましたけど。心臓が鉄筋で出来てんじゃないですか?
だがこの人はこう見えても世界に冠する大企業、パンドラのCEOである。
如何なアヤ姉と言えどこんな安っぽい挑発に乗るはずが――
「くだらんと言っただけだ!やらんとは言ってない!」
あったよ!
ばりばり挑発に乗せられてるよ!
宮下さんが何かしてやったりって感じで俺に向かって微笑んでいる。
すみません。
その人うちの社長なんですけど。
宮下さんはしかし俺に向かって、声に出さず口の動きだけで「大丈夫」と言った。いや、グロスで艶やかな唇の動きがエ――、綺麗なのはわかったんですが、何が大丈夫なの?
…そうか!
言われて見ればそうである。
デビハンはMOの要素があるVRアクションゲーム。
協力してプレイすることはあっても、プレイヤー同士が競い合うようには出来ていない。
どうやら宮下さんはゲームに誘うことによって、社長の悋気をうやむやにしようとしてくれているらしい。
何て気が使える人なんだ!
美人で巨乳で趣味に理解があって空気も読める。
ちょっとこの人本気で優良物件なんじゃないの?
「ふふふ。泥棒猫め。誰がタケちゃんに相応しいか、その身の敗北をもって証明してくれるわ!」
あと、アヤ姉は意外と悪役台詞が似合います。
第二十話 エレクトリカルパレード(その2)
目を覚ますと、俺は草原に立っていた。
風が膝丈ほどの緑の草をさわさわと鳴らしている。
「久しぶりだと、慣れないな」
俺はそうひとりごちて、自分の体を眺める。
人間剣士を選択した俺の体は、初期装備のライトアーマーを着込み、ラウンドシールドと片手剣を腰に下げている以外、普段と外見的変化はあまりない。
それは、これがヴァーチャルリアリティー空間であることをしばし忘れさせるほどのリアリティーである。
神話的埋設物の恩恵をふんだんに使ったこのVRシステムは、当初から多くの人間を魅了した。本人の体はリクライニングシートでヘルメットをかぶっているだけで、その精神がファンタジーな冒険世界で活躍できるのである。俺のようなゲーマーにとって、それは夢が実現したに等しい。
中には、旧世紀に流行った小説だかを引用して、意識が戻らなくなる危険性がうんたらかんたら言う輩もいたが、当然そんな問題は一度も起こらなかった。
そういう小説によくある、ログアウトのボタンが見当たらないとか、黒幕が犯行声明をあげるとか、そんなのフィクションの中の話である。
VRゲームはその後さまざまな分野で発展したが、ヴァルハラのデビハン程、多くのコアなファンを持つゲームを俺は他に知らない。俺をはじめ、多くの人間の熱狂がデビハンを支えてきたのである。
「あら、武村さん。設定早いですね」
「ほとんど何もいじらなかったですから」
そうこうする内に背後から宮下さんの声が聞こえた。
宮下さんはじゃらじゃらと装飾品がたくさんついた黒いビキニ水着のような格好をしている。
ぶっちゃけかなりいい。
魔乳の人にビキニとか着せたら本当に駄目です。
今にもぽろりと行きそうなほど布地が小さいのに、背中には足首まで届きそうなマントを羽織っている。
そしてよく見れば宮下さんの髪の毛は見事な金色に染まっていて、耳が気持ち尖っている。
「エルフ魔導師にしました。アクション、あんまり得意じゃなくて」
そう言ってえへってな感じで微苦笑する宮下さん。
かわいすぎて持って帰りたいくらいです。
「た、たたたたたたタケちゃん!」
おおっと、忘れてた。
めちゃくちゃてんぱった声に俺が振り返ると、そこにはビキニどころか薄布一枚を器用に使って胸を下から救い上げるようにして首の後ろから結わえただけの、もうぽろりどころかほとんど見えてると言っても過言ではない格好をしたアヤ姉の姿があった。
下半身は足元まで長い布が伸びているが、あの後ろがTバックのヒモパンであることを俺は知っている。そしてすらりと伸びるふとももが、太陽のひかりを反射してむしゃぶりつきたいくらい素晴らしい。いつもの白い肌でなく、健康的に日焼けした今の肌の張りもなかなかいい。
じゃなくて。
「…アヤ姉。なんでダークエルフ舞姫なの?」
「だって!よくわかんなくって!」
よくわからないという理由でデビハン史上もっとも恥ずかしいといわれるコスチュームを選ぶとは…。さすがアヤ姉!ぐっジョブである!
何せ布でメロン包んでぶら下げているに等しい状態である。
ほんの少しの動きで揺れる揺れる。
神域でも換装してるわけでもないこのVR空間では、女性は恥ずかしい格好をすれば普通に恥ずかしいのである。
両手なんかじゃぜんっぜん隠せない巨乳をひっさげて真っ赤になって身をよじるアヤ姉。
本当にご馳走様です。
「た、タケちゃん、何とかして!」
「いや、どうしろと!」
どうにか出来てもぜったいしません。
俺がそんな駄目な決意を固めてアヤ姉の胸をガン見してると、突如目の前にウインドゥが表示されて来てびびった!
『ゲームは体験版モードです。戦闘デモを開始します』
「お、いきなりか」
「来ますね」
「へ?えぇ?」
アヤ姉が状況を飲み込めずにきょろきょろしていると、突然何もない空間にジジジと音を立てて、身の丈3メートルはありそうなデカイ鋼鉄の巨人が出現した。
「おおおおお!すげー。これが新実装の!」
「剣神族ですね」
それは全身が鋼鉄で出来た巨人だった。動く鎧というのが正しいかもしれない。ただしその両腕には五本の指の代わりに分厚い刃が設えられている。
全身武器の生物兵器。
それが剣神族の触れ込みである。
意識をフォーカスすると、ボティスと表示された。それが、どうやらこのデビルの名前であるようだ。
「折角だから勝ちたいわね」
「了解!」
「え?これ、え?どうするの?ゲームなんでしょ?コントローラは?」
アヤ姉。あんたは一体何時代の話をしてるんだ。
混乱するアヤ姉を尻目に、ボティスはすさまじい速度で二本の両手を振り回して来た!
「おお!」
完全に俺の反応の意表を突いた!
見たことのないアクションに俺はラウンドシールドを構えて何とか防御する。
ガキンと音がしてそのまま大きく後ろに弾かれる。
「タケちゃん!」
「大丈夫!」
アヤ姉が心配してそう叫ぶが、これはゲームの世界。別に痛みとかはないのだ。ただ盾を握っている手がびりびりと痺れている。
さすが新実装。今までのデビルとはぜんぜん動きが違う。
その時。
天から雷が降ってきてボティスを貫いた。
「宮下さん?」
「呪文の詠唱、何とか覚えてました」
そう言ってにこりと笑う宮下さん。
このゲーム。
魔導師は一言一句正確に、ながったらしい呪文を詠唱しないと魔法が発動しない。ちなみに魔法の威力は持って生まれた神通力に左右されるらしく男の魔導師はたいてい弱っちい。宮下さんの魔法の威力は中の上と言ったところか。
やや黒くこげたボティスが、宮下さんに狙いを変える。俺は立ちふさがるように宮下さんの前に立ち、盾を構えた。
「詠唱を!」
「わかったわ」
宮下さんに呪文の詠唱を促したのと、ボティスが再び剣を振るったのは同時だった。
早い!
だが二度目なら何とか対応できる。
悪魔の様な剣戟を、俺は盾と剣とで何とか捌く。
失敗した。
騎士にすればよかった。
小回りが聞くから片手剣が好きだが、これだけ剣戟が激しいと反撃の隙がない。
だがそこに。
「よくもタケちゃんを!」
突っ込んでくる一陣の風があった。
舞姫。
全職業中もっとも移動速度の補正が早いその特色を差っぴいても、アヤ姉の動きは早すぎる。
「神通値の補正か!」
神通値をスキャンしてゲーム内のキャラクターに反映させると言うふざけたシステムを持つこのゲームでは、女性のほうが相対的に有利ではある。
だが、ここまででたらめなスペックの人間はそうそういない。
「うぉぉぉぉぉぉ!」
腰から二本の剣を抜き去り、両手に持った鋼鉄の塊を易々と振るうアヤ姉。
ぶるんぶるるんと乳が揺れたり尻が見えたりするのもかまわず、持ち前の剣技に裏打ちされた圧倒的な膂力でボティスに迫る。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
一刀で相手の剣を弾き。
一刀で脚を切りつけ。
返す刃で胴を薙ぎ。
袈裟がけの一撃が膝を裂く。
流れるような一連の動きに、ボティスが思わず膝をついた。
「終わりだ!」
二つの剣を交差するように振るうアヤ姉。
俺にかろうじて見えたのは、切り飛ばされて草むらに落ちたボティスの首だけであった。
「す、すごいわね」
「どんなチートだ…」
アヤ姉はボティスを倒すと、俺に向かって走ってきて、怪我はない?大丈夫?痛いとこない?と甲斐甲斐しく世話を焼く。
まぁずたぼろになったのはゲームバランスだけなので俺に怪我はない。この神力補正なんとかしないとやばくない?まぁアヤ姉みたいのは世界に百人もいないとは思うが。
「私の負け、かな」
「え?」
宮下さんが小さく呟いた。
小さく微笑みながら俺にウインクしてみせる。
ドキ、と心臓が高鳴った。
「さぁ。この辺でログアウトしよっか。システムウインドゥを呼び出して…」
宮下さんに続いて俺もウインドゥを呼び出す。
アヤ姉にも同じことをさせる。
そしてウインドゥの一番下にはゲーム終了というコマンドが――
「え?」
「な、ない!?」
ない。
どこにもない!
終了のコマンドがない!
どういうことだ。
新実装で仕様が変わったのか?
俺と宮下さんが困惑していると(アヤ姉も何がなんだかわからないというレベルで言えば困惑していた)、突然空にでかいおっさんの顔が投影された。
「ははははは!聞こえるか!このゲームは俺たちが占拠した!」
そのまま高笑いをあげるおっさんの顔。
おい。
これなんてテンプレ?