すっと俺に紙片が回されてきた。
何事かを走り書きしたメモ帳を、無表情にPCのディスプレイを見つめながらさりげなく俺に寄越したのは同僚の牧村である。
数年来の悪友でもあるこいつは俺と女の趣味が近く、石川社長と女人談義に花を咲かすことも多い(最低)。
要はおっぱい大好き人間であり、入社の動機もアヤ姉のおっぱいだったという筋金入りである。
なかなかいい目をしている。俺と年は同じだが、中退の俺のほうが2年ほど先輩にあたる。
俺も、PCのディスプレイを一心に見ながらさっと紙片を受け取る。
何故だか知らないが、俺の同僚たちは俺とのやりとりに限りアナクロな手段を要求する。
いつどこでCEOが見ているか分からないと言うのがその理由らしいが、ばかばかしい。
さすがのアヤ姉と言っても、俺の行動すべてをモニタリングしている筈ないじゃないか。
…何か今突然、自分の甘すぎる見通しに背筋がぞくりとしたような気がしたが。
まぁ気のせいだろう。
俺は腕時計を見るふりをして、一瞬で紙片の内容を読み取った。
『合コン 今夜7時半 新銀座発着場で待て』
くしゃりと紙片を握り潰し、俺はそれを瞬時にシュレッダーにかける。
「牧村、例の件だけど、打ち合わせの通りで」
「わかった」
たったそれだけの会話。それだけの会話だが、その後の俺と牧村の仕事のスピードは尋常ではなかった。
何としても仕事を終わらせて駆けつける。
タケちゃん、半年振りの合コンにわくわくである。
世界一遅いホワイトデー特別企画! 「合コンで、会いましょう」
「へー、武村くんってそうなんだー。見えないー」
「そうなんですよー。こいつこう見えて埋神学オタクでー」
「おいおーい!牧村、オタクとか言うなよ。俺がネクラみたいじゃん」
あはははははという酒の入った笑いが居酒屋に響き渡る。
中身なんて微塵もない、軽いヘリウムみたいな会話だが、それがいい!
それこそが合コンである。
これだ。
これを俺は求めていた。
男性陣は俺と牧村、それに牧村の大学の後輩とか言う新人君に調達部の木原。ちなみに俺と牧村と木原の三人は年が同じで、影でパンドラの夜回り担当と呼ばれている。
いやぁ、しかし今日の女性陣はレベルが高い。
皆俺たちより二つか三つ上のお姉さまであるが、むんむんとした色気が実に下半身に響きます。
女性側は現在二名。
縦ロールの豪奢な髪と黒のワンピースの襟元から覗く豪奢な谷間が鼻血もののエミさんと、黒髪を肩口でばっさり切って、どうやらついでにスカートもばっさり切ったらしいマイクロミニのふとももまぶしいリリカさん。
二人とも、結構な乳をしとるでー。
もう二人は遅れてくると言うこと。
俺と牧村と木原が馬鹿話をしている傍らで、新人君がお姉さまたちにいじられて顔を真っ赤にしている。
いいぞ。今日のお前の役回りは正にそれだ。お前はかわいい男の子ポジションでいればいいんだ。
お前は名を取れ。俺たちは実を取らせてもらう(?)。
そのままぺらっぺらの厚みが1ミクロンもない会話を続ける俺たち。
楽しい時間が流れる中、おまたせー、という景気のいい美人の声が響いた。
「おおー」
「待ってたよー」
「もうー。アイカ、おっそーい」
ごめんねー、と言って入ってきたのはイブニングドレスの美女だった。ふぁさっと書き上げた黒いストレートの髪からいい香りが漂ってくる。
その拍子にぷるると胸が揺れるのもとってもいい。
牧村!
どうしたんだお前の今日の仕事振りは!
完っ璧じゃないか。
どうしてこれで先月の営業数字が未達だったのか俺にはわからないよ!
「この子が渋ってさー。連れてくるのに苦労しちゃったー」
「こ、こら、アイカ。私はやっぱり帰る。こういうとこは向いてない…」
そう言って入ってきた4人目の女性に俺は目を奪われる。
まず目に入るのはその魔乳。
黒いスーツに覆われていながら少しもその量感を隠すことが出来ない絶対の豊乳。
弾力があり、それでいて柔和な包容力まで兼ね備えているに違いない至高の存在。
黒い長髪を後ろでひとつに括ったその美女は、他の三人のお姉さまと比べてすら一線を画している。
「いいからいいからー」
「こらぁッ…って、ん?」
本当に美人だと思います。
ってかよく思います。
だって、昔から見てるからねー。
「…おい、こんなところで何をしている?」
さっきまで恥ずかしげに頬を染めていた美女の表情が一瞬にして冷徹な女王のそれに変わる。
俺は必死に彼女の死角に入ろうと身を縮めたが、俺の努力もむなしく彼女はあっさりと俺を発見した。
牧村も木原も笑顔が凍りつき、顔面が蒼白である。
事情が分からない後輩君だけがきょときょとしている。
牧村。
俺、お前の数字が上がらない理由が分かったよ。
「何をしているんだと、聞いてるんだ。武村主任?」
びくり、俺は震えながら涙目で彼女を見上げた。
超巨大企業集合体パンドラグループ総帥。
匣崎アヤコその人を。
俺、死んだかな?
◆◇◆◇◆
「だいたい、ひっく。たけちゃんは、ひっく、たけちゃんはなぁ…」
「アヤ姉、大丈夫?飲みすぎじゃね?」
「うるしゃい、誰のせいで飲みすぎたと…ひっく」
3時間後。
パワフルなお姉さま達のおかげで何と合コンはそのまま進行し、大学の頃からの友人と言う遅れてきた美人がアヤ姉を飲ませる飲ませる。
牧村と木原も何かを吹っ切ったように騒ぎ出し、俺だけが一人胃の痛い思いをしたのだった。
宴もたけなわ。
じゃあそろそろ2次会に、という時になって、例のお姉さまが俺を手招きする。
なんだ?と思ってのこのこ(主にむき出しの胸部に)吸い寄せられると、どっこいそこには呂律の回らないアヤ姉の姿が…!
「じゃあ、よろしく」
「は?」
俺も楽しい二次会に…!
そう思ったが次の瞬間にはアヤ姉が俺の腕をがっしりホールドしていた。
あ、おっぱい当たって気持ちいい、じゃなくて!
「アヤコが本気で妬いてるの、はじめて見たかも。キミのこと、本気なんだよ、その子」
いやいや、それは腐れ縁という奴でしてね。
「はぁ。アヤコも苦労してるわけだ。いいから、その子送ってってよ。くっちゃっていいからさ」
「はいぃッ?」
じゃあね~、と言ってお姉さまがひらひらと手を振って遠のいていく。
牧原と木原が俺に最敬礼をして去っていく。
おい、まてやこら。
大人気の後輩君が浚われていくのを遠めに見ながら、俺は一人途方に暮れて、ため息を吐いたのだった。
「ええっと、72階だっけ?」
「ふえ?」
「いや、ごめん、聞いた俺が馬鹿だった」
すっかり出来上がったアヤ姉を苦労してマンションまで連れてきた俺は、三重のオートロックというふざけたセキュリティーを門衛のおっちゃんの顔パスで通ると、色々あられもないことになっているうちのCEOを、何とかエレベータに放り込んだのだった。
「疲れた…」
今日の本番は仕事が終わってからだぜ!と思って勇んでいた俺だが、別にこういう意味ではなかったと声を大にして言いたい!
くそぉ。今頃その本能を開放された牧原と木原がやりたい放題やっているに違いない。
畜生。
俺を混ぜろよ、俺を。
「たけちゃん…」
「ん?どうしたの?」
座り込んでふらふらしているアヤ姉に身をかがめて顔を寄せると、アヤ姉がにへらっとした笑みを浮かべる。
「たけちゃんだぁ。たけちゃんがいるぅ~」
「うわぁ…」
完全にキャラ崩壊してんな、こりゃ。
幼児退行甚だしい。
っていうかアヤ姉は幼児の頃からしっかりしていたので、正確には退行とは言えないが。
「たけちゃん、すき~」
どき、と俺の心臓が跳ね上がる。
そう言ったアヤ姉は嬉しそうに微笑む。
白い肌には酒のせいで朱が差し、桃色に染まった肌が美しい。
ブラウスの下に隠された豊満な肉体もさぞや美しいに違いない。
微笑むアヤ姉の唇が妖艶に動いたように見え、それはまるで蟲惑的な艶花のように俺を誘う。
「俺も…」
俺が何かを言おうとしながらアヤ姉の唇にそっと自分のそれを近づけようとしたとき。
チン。
エレベータが72階にたどり着いたのだった。
でも、止まれない。
俺も酒が入っているからだろうか。
いつもは抑えることが出来る気持ちが止まらない。
「アヤ姉…」
俺はそう言ってアヤ姉を抱きしめる。
柔らかな体が俺の胸板と腕のなかにすっぽりと収まる。
「タケちゃん…」
エレベータの扉がゆっくり開くが構うものか。
俺がアヤ姉のうなじにそっと唇を寄せたとき、う、といううめき声がアヤ姉から聞こえたのだった。
「アヤ姉?」
「ぎぼじばどぅい…」
「へ?」
「○×△×〇×××△…!」
「はぁッ…!」
何が起きたかは彼女の名誉の為に言わない。
言わないけど。
俺は一張羅を脱ぐことを余儀なくされたのだった。
「ったく…」
「すぅ…」
ぐっすりと眠るアヤ姉。
あれからすっかり気分がよくなったアヤ姉をベッドに寝かせて、俺は色々の後始末をしてからようやく椅子に腰掛けた。
ちなみに俺は上半身裸である。アヤ姉も上はブラだけだ。
黒、だった。
ちょっと意外である。
着ていたシャツは今、乾燥機で回っている。
「昔から、無理しすぎなんだよ」
よく出来た人だった。
昔からそうだ。
クラスでは学級委員や生徒会長に知らず知らずのうちになっていたり。
リレーではアンカーやったり。
成績も一番だったり。
いつも、頑張りすぎなんだ。
CEOを引き受けたときも、大変だって分かってたはずなのに、周囲の期待を裏切れないからと茨の道を裸足で歩む。
だから見ろ。
こんなに傷だらけじゃないか。
アヤ姉は強い。
でもそんなアヤ姉はいつも傷だらけだ。
俺はそんなアヤ姉の傷を、いつも庇っていた。そのつもりだった。
ふとアヤ姉を見ると、大きな胸が重力に逆らって規則正しく膨らむ。まぁこの光景を見れるのは役得ではある。
でも、もう、いいのかもしれない。
俺がいなくてもアヤ姉は立派にCEOをやれてる。
老獪なおっさんどもを従えて、ハゲタカのような他企業を相手取って、だ。
大学出たてのアヤ姉はもういない。
ここにいるのは世界に冠たるパンドラグループ総帥だ。
たった数年で、俺とはずいぶん水をあけられた様に思う。
「たけちゃん…」
俺がそう思っていると、アヤ姉が俺の名を呼んだ。
てっきり目を覚ましたのかと慌てたが、どうやら寝言である。
俺は苦笑すると、肌蹴られた布団をそっと掛けてやる。
その拍子に、すっとアヤ姉の目が少しだけ開く。
「あ、ごめん。起こしちゃったか」
「たけちゃん?」
「ん?うん…」
「たけちゃんがいてくれて…よかった…」
それだけ言うと、アヤ姉は再び目を閉じる。
そしてすーすーと再び寝息を立て始めてしまった。
「人の気も知らないでまぁ…」
俺は思わず苦笑する。そして、アヤ姉の整った顔をそっと覗き込んだ。
「ま。このくらいは許してもらえるだろ?
そう言って、俺はそっとアヤ姉に顔を寄せた。
―――そして翌日。
「えええええええええええええッ!!!!!!」
「アヤ姉、うるさい」
「な、なななななななな、なんで私の部屋にタケちゃんが!だ、だいたい、何でタケちゃん、裸なんだ!」
「アヤ姉。ちょっと、そんなに動くと見えちゃうけど…」
「見えるって…、え?な、なんで私も裸ぁ!」
その後、慌てふためいて最後には泣き出したアヤ姉を宥めるのに、実に1時間を要したのだった。
「ひっく、ひっく、だってタケちゃんがぁ…」
「はいはい…」
―――翌週。
「貴様ら、俺を置いてずいぶんお楽しみだったみたいじゃねぇか?」
「あぁ、武村か」
「なんだ」
「おい。なんだその反応?」
休憩室で牧原と木原を捕まえた俺は積年の恨みを晴らそうと詰め寄ろうとして、すっかり項垂れた二人を見つけることになる。
「どうした?なんだ、持ち帰れなかったのか?」
「持ち帰り…はは」
「笑えるぜ。いいさ、笑うがいいさ」
「意味が分からん」
「あ。せんぱーい!」
そう言って走ってきたのは牧原の後輩君だ。なんだかおどおどしたところがなくなり、心なしか肌が艶々としている。
こいつ、こんな元気いっぱい少年だったか?
「金曜はとっても楽しかったです!またいきましょうね!合コン!」
そう言って少年は礼をして去って行った。
なんだあれ?
俺が怪訝そうに眉をしかめていると、牧原が力なく笑った。
「あの後、お姉さんたち三人とあいつで朝までだってさ」
「え?三人って、カ、カラオケとかだよな?」
「ははは」
力なく笑う木原。自身を失った様子の牧原。
結局、俺は二人の為に合コンを設定してやる羽目になり、そして再びアヤ姉にこっぴどくしかられることになるが、それはまた別のお話。