彼―――
斉藤浩二が『ソレ』と出会ったのは、今から2年前の事であった。
トイレに入って用を足し、ケツを拭こうとした所で、トイレットペーパーに話しかけられたのだ。
「ねーよ」
喋るトイレットペーパーに対して、返した言葉はその一言である。
その時、浩二は受験勉強で自分は疲れているのだろうと首を振り、気にせずケツを拭いて水を流した。
流れていくときに、何やら悲鳴のような声が聞こえたような気がしたが、
おそらくそれも幻聴だろうと考え、部屋に戻るのだった。
そして、次の日の朝―――
学校に行く前にトイレに入ると、もう一度誰かが自分を呼びかけるような声が聞こえたのだ。
しかし、彼は再び幻聴であると断定してケツを拭い、便器に流す。
その日もまだ、浩二は自分に舞い降りた出会いに気が付かなかった。
さらに翌日―――
トイレに入るとまた声が聞こえてきたので、流石に浩二もただ事ではないと判断した。
やべぇ、俺んちのトイレに幽霊が住み着きやがったと焦る浩二。
とりあえずケツを拭いたら、巨大掲示板に『俺んちのトイレに幽霊が出るのですが……』
というスレを立てようと決意し、トイレットペーパーに手を伸ばした時―――
『いいかげんにせーや! ダァホ!
これ以上ワイの身体を削られたら消えてしまうやろがボケェ!』
―――と、叫んだのだ。
「………うそぉ」
誰がって、トイレットペーパーが。
「―――ッ! これか、これに悪霊が取り付いてやがるのか!」
『ちょっ、おま、何をする』
浩二は諸悪の根源をつかむと、芯を外して便器の中に流し込もうとする。
すると、トイレットペーパーは、実に情けない声で命乞いをしてきた。
『やめて、やめて、やめてや! ホンマお願いします。話だけでも聞いてください。
悪いヤツやないんです。今はこんな姿にのうなってるけど、
実はすっごい神様なんです。だからお慈悲をーーーーっ!!!!』
「……………」
あまりにも情けない叫び声に、浩二は振りかぶっていた腕をピタリと止める。
それから、マジマジとトイレットペーパーを見ると、
随分とケツを拭くために使われ、残り少なくなったソレはカタカタと震えていた。
「………神様? 悪霊と違うのか? オマエ」
『ちゃうちゃう。悪霊ちゃいまんねん』
「じゃあ何だ? トイレに住むトイレの精霊TOTOか?」
『いやいやいや。トイレの精でもあらしまへん。
自分、永遠神剣・最下位の『最弱』いいまんねん』
永遠神剣という謎の単語に首を傾けるが、
その次に出てきた『最下位』とか『最弱』とかいう単語は理解できる。
それと、この喋るトイレットペーパーがとてつもなく弱くて情けないのも理解できた。
「あー、えーと……それじゃあ、おい、永遠神剣」
『あ、ワイの事なら気軽に『最弱』と呼んでください』
「………おまえ、自分で最弱と呼べなんて……プライドねーのかよ」
『しゃーないやないですか。確かになっさけない名前やけど……
それがワイの名前なんですから』
何やらシクシクと泣き声のようなのが聞こえてくる。
「…………」
浩二は、それを黙らせるためにトイレットペーパーを壁に叩きつけた。
『あべしっ!』
腹が膨れ上がって裂けたような悲鳴をあげるトイレットペーパー。
『何すんねん!』
「トイレットペーパーのくせに泣くんじゃない!」
『だから、ワイはトイレットペーパーちゃいまんねん。永遠神剣やと言うとるやないですか!』
「何が永遠神剣だトイレットペーパー! 偉そうに! そもそもどう見たらオマエが剣に見えるんだ。
いいか! 俺がオマエを持って、その辺歩いてる人に、これは剣なんですよー! あははー!
―――とか言ったら、黄色い救急車呼ばれるわ。ボケ!」
もう一度トイレットペーパーを壁に叩きつける浩二。
『ひでぶっ!』
すると、トイレットペーパーは、頭が破裂した人のような悲鳴をあげた。
『つっっっっっっ……だーかーらー!
まずは、一から十までワイが説明しますさかい、黙って聞いておくんなはれ!』
「何だとコノヤロウ! それが人にモノを頼む態度か!」
―――バシンッ!
『パゲッ!!!!!』
*******
それから『最弱』によって永遠神剣とは何ぞや? を説明された浩二。
説明を最後まで聞き終えると、とりあえず『最弱』にこう問うのだった。
「……おーけー。オマエがどういう存在かはわかった」
『解ってくれましたか!』
「ああ。解った、が―――オマエのマスターとやらになって、
俺に何のメリットがある。むしろ、聞く限りでは永遠神剣の遣い手とやらは、
何だか色々と理由つけて戦わされるようじゃないか」
『ええ、まぁ………』
ジロリと睨まれながら言われて、語尾の小さくなる『最弱』
「スピリッツだか、スペリオールだか、ビッグコミックだか何だか解らんが、
俺はそんなのと戦いたくねーぞ。そもそも、オマエはその永遠神剣の中でどれだけ強いんだ?」
『………最下位です』
「敵も永遠神剣ってヤツを持ってるんだよな? オマエよりも格が上の」
『……え、ええ……まぁ……』
「100円で売ってる包丁とオマエ。どっちの方が切れる?」
『……ほ、包丁……かな?』
「…………」
『…………』
「……さて……」
倒して座っていた便座トレイを上にあげて、大きく振りかぶる浩二。
浩二が何をやろうとしているのか一瞬で理解した『最弱』は、大慌てで説得にかかった。
『だだだ、大丈夫やってーーーー! ワイも自分の力の無さはよう解ってまんねん。
ワイかて死にとう無い。せやから相棒に、戦えとか無茶なこと言わへんねん!
ただ、ワイのマスターになってくれるだけでいいんや! それ以外は望みまへん!』
「………ほう」
『そ、そ、そ……それに、ワイかて腐っても永遠神剣っ!
あんさんがマスターになってくれたら、それなりの恩恵を与えられまっせ!
話だけでも聞いてや! ホンマ!』
「………恩恵、ねぇ……」
ゆっくりとだが、振りかぶった浩二の腕が下がってきたので『最弱』は、
たたみかけるなら今しかないと、熱っぽく語る。
もしも口があるなら、唾を撒き散らしているところだろう。
『まず一つ! 永遠神剣のマスターは、
常人とは比べ物にならない身体能力と、反射神経を持つことができる!』
「……ふうん」
『二つめ! 神剣のマスターという呼び名が、なんかステキ!』
「…………」
『三つ目! ここ重要やで! よく聞いてておくんなはれ!
今はこんな姿になってしまってるけど……ワイの本当の姿は、こんな姿やあらへんねん』
「…………」
『本当の姿は―――っ! HARI☆SENなんやでーーーーーっ!
それも、そんじょそこらのハリセンと違って、えー音させまんねん!』
どうだっ! と言わんばかりの『最弱』
浩二は、はぁっと大きくため息を吐くと、ぼそっと呟くのだった。
「……最初のヤツ以外、メリットでも何でもないだろうが……」
*******
そんな出会いから二年の月日が流れる。
あれからも、紆余曲折あったのだが、最後には泣きながら頼み込んでくる『最弱』の哀願に折れ……
『自分のような雑魚神剣の遣い手が、敵と戦うという場面に遭遇するなど、
サマージャンボ宝くじの一等を当てるより確立が低い』
―――と言われたので、それならと浩二は『最弱』のマスターになっていた。
契約当時は胡散臭く思っており、ダメそうだったら、
クーリングオフの効く期間内に契約を破棄しようと思っていたが、
今では何だかんだと言っても『最弱』と浩二は良いコンビだった。
たとえ、このハリセンが永遠神剣の名を騙るバッタもんであったとしても―――
―――この物語は、永遠神剣の運命により導かれし者達の戦いに、
何かの間違いか、手違いで参加させられる事になった、とある少年の物語である……
「おはよう、諸君!」
やたらと元気の良い声で、教室の扉を開ける浩二。
クラスどころか、もはや学園の名物男となっている浩二の登場に、クラスメイトの目は向けられた。
「よ、浩二。おはようさん」
「おはよー。浩二くん」
返事を返したのは、森信介と阿川美里の両名だ。
「おっす。信介、美里!」
「相変わらず、無駄に元気いいよなオマエ」
信介がそう言って苦笑すると、浩二は心外だと言わんばかりの顔をする。
「ばっか、空元気だって。本当の俺は深く傷ついてるって。だから優しく接してくれ」
「また斑鳩先輩にフラれたからか?」
「ああ、それはいつもの事だから気にしてない」
「あはは……浩二くんって、先輩にいつも告白してるんだ……」
「おうよ」
美里がそう言って顔を引きつらせると、信介はニヤリと笑って浩二と肩を組む。
「浩二は、日常会話の中に、さり気なく告白を入れるのが無茶上手いんだよ」
「何それ……」
「浩二。やってみせてくれよ」
「おう。たとえば昨日は……学食で一人、斑鳩先輩が飯食ってたんだよ。
そこで俺は、学食で買ったうどんのトレーを持ちながら先輩の前まで歩いていく。
俺に気がついた先輩が顔を上げると、俺はもう一方の手で椅子を指して―――
先輩付き合ってくださいと言ったな」
「どうよ。このさり気なさ。このシチュエーションなら普通は、前の席いいすか?
とかいう言葉が出てくると思って、思わず「うん」とか「いいわよ」って言っちまいそうだろ?」
そう言う信介は凄く嬉しそうだ。
彼は浩二があの手、この手で斑鳩沙月という女性に告白するサマを眺めるのが好きなのである。
「そうねぇ。思わずイエスと言いそうだわ、それ」
美里がなるほどと顎に手を当てると、浩二はハッと気づいたような顔をする。
「……ん? あ、美里。背中にごみがついてるぞ」
「え? 嘘?」
浩二に指摘され、パパッと背中に手を当てる美里。
すると浩二はさり気なく立ち上がって、悪戦苦闘している美里に近づいた。
「ほら、もう一度背中見せてみな。俺と付き合おうぜ」
「あ、うん。お願い―――」
浩二くんと言いながら背を向けて、美里はハッと立ち止まる。
それからもう一度正面に向き直ると、ニヤニヤ笑ってる信介と、してやったりと笑みを浮かべる浩二。
そこで騙された事に気がついた美里は、うめき声をあげながら顔を赤くするのだった。
「ううう~っ」
「あはははは。な? さり気ないだろ?」
そう言って笑う信介を睨みつけながら、美里はそうねと渋々返事を返す。
「てーか、また世刻の野郎は遅刻ギリギリかい?」
「ん? そうじゃねーの? ま、何時もの事だろ」
「そだな」
頷きながら、浩二は窓の外に視線を向ける。
すると、件の少年―――世刻望はその嫁・永峰希美(浩二の主観)を引き連れて、
ギリギリ校門に滑り込む姿が見えるのだった。
「おう。どうやら我等が主人公のご登場のようだ。
てなわけで、モブキャラAである俺は背景に溶け込むとするぜ」
二人の姿を見ると、浩二は手をヒラヒラとさせて自分の席に戻っていく。
演劇の本番が始まるのを察した前座の役者のように。
それから机に突っ伏すと、狸寝入りを決め込むのであった。
*******
授業の開始を告げる鐘がなる。起立、礼と教師に頭を下げてから始まる学校の授業。
繰り返されるいつもの光景。浩二は教師の話を右から左に聞き流し、
ぼうっと校庭の様子を眺めていた。
平和である。世間では政治家の汚職がどうだか、年金問題がどうとか言っているが、
この国に住まう一学生の身としては、昨日も今日も変わらぬ日々を過ごしている。
それが不満だと言う訳では無かったが、退屈であるという想いは絶えず感じていた。
「………宇宙人でも攻めてこねーかな?」
何となくポツリと呟いてみた言葉。それから自分の言った言葉に苦笑する。
そんな事など起こりうる筈がないのに、何を自分はアニメか漫画のような事を望んでいるのだと。
まぁ、自分がこんな風な空想癖を持つようになったのは、鞄の隙間から僅かにはみ出している
この白いハリセンのせいだ。
(おい、最弱。またオマエの与太話を聞かせてくれよ)
心の中でそう呼びかけると、耳ではなく心に響いてくるような感覚で、白いハリセン―――
すなわち『永遠神剣の最下位・最弱』が言葉を返してくる。
『あー……んー……もう、ワイが知ってる話はマスターに全部話したで』
(世刻望と永峰希美。この二人に加えて暁絶、斑鳩沙月の両名はこの世界の人間ではない。
そして、俺と同じく永遠神剣の遣い手である。違いがあると言えば―――)
『向こうの永遠神剣の力が月ならば、こちらはカメムシって事ですわ』
(星とカメムシを比べられても、イマイチ解らんなぁ……)
『なら、こんな例えはどないです?
割り箸と輪ゴムで作ったゴム鉄砲と44マグナム』
(……酷い戦力差だ。どうやっても勝てるビジョンが思いうかばない。
まだ一か八かで、全裸になって股間のパイソンを見せた方が勝機があるな)
『そうでんな。永峰女史だったら、相棒の全裸で怯んでくれるかもしれまへん』
(けどよ、暁だったら俺がズボンを下ろした瞬間に、脳天から竹割りしそうじゃね?)
『―――で、その後には、下半身脱いでる頭真っ二つな変死体が見つかると。
ぎゃははは。そんな死体を見た日には、コナンくんでも死因をよう推理せんわ』
(わはははは! 違いねぇ)
『最弱』とくだらない雑談をしていると、本日最初の授業の終わりを告げる鐘がなる。
クラス委員の起立の声が聞こえたので浩二は『最弱』との会話を終了させた。
次の時間は体育。移動教室だった。
*******
昼休みの時間。浩二は席を立つと、学食にむけて歩き出した。
今日はカツカレーにしようか、日替わりにしようかと考えながら廊下を歩いていると、
反対方向から見知った顔を見つけたので、シュタッと手をあげて声をかける。
「沙月先輩! ちわっす」
「あら、斉藤くん。こんにちは」
「また世刻の所っすか?」
「ええ」
ニコリと、異性ならば誰でも心を奪われるんじゃないかと思える笑顔で頷く沙月。
「たまには先輩を愛して止まない俺と食べませんかね?
先輩が一緒に食べてくれるなら俺、コサックダンス踊りながら納豆ソバ食べますよ?」
「ふふっ、昼食の時間中ずっとムーンウオークしてくれるならいいわよ」
「マジすか? マイケル・ジャクソンばりのムーンウオークをしてみせますよ!」
喜色満面な浩二は、甲高い声で一言「ポーーーーウッ!」と叫ぶと軽快に後退していく。
「フーーーッ! ファオ!」
甲高い声で意味不明な事を叫びながら、スッ、スッと後ろに下がってくる馬鹿一名。
そんな馬鹿とお近づきになりたくない生徒達は、モーゼが海を割った時の如く横に避ける。
「ファオ! ファオ!」
そして、廊下の端にある理科室の扉にぶつかり後退が止められた時には、
先程の場所から沙月の姿は消えているのだった。
「………………」
「………………」
「………………」
残されたのは、学生達の奇特な人間を見る冷たい瞳。
仕方がないので、このままムーンウオークで学食に行こうとしたら、やがて階段から落ちた。
「あれえーーーーーーーーーっ!」