浩二は、家の手伝いが終わると外に出た。
繁華街に近いところにある家から、街灯を頼りにコンビ二までの道を歩く。
購読している週刊誌を買うためであった。
「………ん?」
「お」
コンビニに入ると、見知った顔の男と出くわす。
―――暁絶。クラスメイトである。
「よぉ、暁。バイトの帰りか?」
「ああ……」
浩二の言葉に、絶は小さく頷いてみせる。
その手には、コンビニの弁当とペットボトルのお茶が握られていた。
それに気づいた浩二は、おや? と言う表情を浮かべる。
「珍しいじゃないか。おまえがコンビニ飯なんて」
「今日は何となく自炊する気になれなくてな」
「何だ。バイトが忙しかったのか?」
「そうじゃないが、今日は倉庫整理でクタクタだ」
「そりゃ、ご苦労なこって……」
肩を竦めて言う絶の傍まで寄ると、浩二は絶の手からコンビニ弁当とお茶を奪い去り、
元あった所に戻してしまう。
「お、おい! 何をするんだ。斉藤」
「俺、帰ったら賄いを作るんだ。食ってけよ。コンビニ弁当よりは美味いと思うぜ?」
「いや、そんな事をしてもらうのは……」
「気にするな、気にするな。ほら!」
目的の週刊誌を買い求めると、何か言いたげな絶の肩を押してコンビニを後にする。
外に出ると、絶はフッと口元に小さな笑みを浮かべた。
「……それじゃまた、ご馳走になるとするか……」
「おう。まかせとけ」
「感謝する」
暁絶という少年は、普段ならこういった類の誘いはまず受けない。
だが、こうして浩二の店の賄いにお呼ばれするのは初めてでは無かった。
何度かバイトの帰りに捕まり、無理やり引っ張り込まれて食事を振舞われているのである。
だから今回も、断ったとて無駄であろうと、礼を述べて浩二の隣を歩いた。
*******
まだ完全に火を落としていない厨房に入ると、
浩二は最後まで片付けで残っていた料理人に、最後の片付けは自分がやっておく旨を伝える。
それからバンダナを頭巾のようにして巻くと、自分の包丁を手にとった。
浩二の家は料理屋である。それも、地元では有名な和食の店だ。
本人は将来店を継いで料理人になるつもりは無かったが、幼い頃から店の手伝いはしていた。
最も店の主である父に言わせれば、料理人としてはまだまだ駆け出しのひよっこ程度との事だが、
一般人の感覚で言えば、浩二の料理の腕前は大したものである。
一人だけだったらもっと適当に作るつもりであったが、絶が居るので若干の献立変更をする浩二。
「まー夜も遅いし、雑炊と香の物でいいだろう」
そう呟き、泥抜きしてあったアサリを土鍋でにんにくと共に炒め、頃合を見計らって水と酒を加えると、
蒸し煮している間に、香の物を一口サイズに切って小鉢に乗せる。動作の何処にも無駄が無い。
やがてアサリの口が開いたので、容器に取り出して身をむいた。
次に土鍋に水を加え、ご飯を加えて煮込んだ。
醤油と塩。それに独自にチョイスした調味料を加えて味を調える。
「よし!」
土鍋のご飯が上等な粥になってきた。そこに先程のアサリを土鍋に戻して加え、
しばらくしてから溶き卵を回して入れて万能ねぎを加え完成である。
「まぁ、こんなモンだろう」
味見をすると火を落とし、浩二は土鍋と香の物、それに椀を盆に載せて二階に向かう。
それから部屋の前で絶に扉を開けてくれと叫んだ。
「メシだぞー!」
「ほう、雑炊か……」
「アサリの雑炊だ。胃に優しくて身体も温まるぞ」
「いい香りが食欲をそそるな」
「おうよ」
部屋のちゃぶ台の上に盆を置く浩二。
それからもう一度厨房に戻ると、二人分のお茶とレンゲに箸を持ってきた。
「頂きます」
「いただきます」
粥を啜りながら、ポリポリと香の物を食べる浩二と絶。
自分でも料理をやる絶は、色々と浩二に料理の事を尋ね、浩二はそれに答えながら食事を楽しんだ。
「ごちそうさま。毎回、こんな言葉でしか感想を言えないが……美味かったよ、斉藤」
「まぁ、これでも飯屋の倅だからな」
「すまない。この借りはいずれ必ず返す」
「別にいいさ。一人暮らしで苦労している友達に、これぐらいの事をしてやるぐらい」
「だが……」
「そんなに言うのならまた今度、俺と一緒に遊んでくれよ。
おまえと一緒だと何処に遊びに行っても、一緒に遊ぶ女の子を誘える。
それと、沙月先輩の事で有益な情報があったらリークを頼むな?」
浩二の言葉に、絶は苦笑と共に頷く。
それから絶のバイトの先の事などをしばらく雑談すると、
時計の針が24時近くになったので、絶は礼を告げて帰っていった。
「………なぁ、最弱」
誰も居なくなった部屋で鞄からハリセンを取り出すと、浩二はポツリと呟く。
『何や? 相棒』
「打算や駆け引きでクラスメイトと付き合う俺を……オマエは軽蔑するか?」
『……………』
暁絶はこの世界の人間ではない。そして、強大な力を秘めた永遠神剣の遣い手である。
だから自分は暁絶にこうやって媚を売っている。友情という名の制止力を売りつけている。
理由こそ不明だが、今は力を隠してこの世界で学生をやっている絶が、
何時の日か、その刃をこの星の人間に向けたとしても、自分には向かせないように……
『……別に、軽蔑なんてしませんわ』
「何でだ? 自分で言うのも何だが、こう言うのって……人として汚ぇだろ?」
『そうでっか? 人と人の付き合いなんて、誰かてこんなモンでっしゃろ?
恋人、友達、仲間……人と人を繋ぐ言葉はぎょうさんありまんねんけど、
そのどれだって、相手が自分にとって有益だからという理由で結ばれるんとちゃいまっか?』
「……………」
『この人は、自分の容姿が好みだから恋人になる。
この人は、一緒にいて楽しい想いをさせてくれるから友人になる。
この人は、自分と目的が同じであるから仲間になる。
相手が自分にとって不利益しか与えない人間なら、誰だって恋人っちゅーモンにも、
友人っちゅーモンにも、仲間っちゅーモンにもしませんわ』
「まぁ、ある意味その通りだけどよ、それを言っちゃおしめーだろ」
『なら、相棒。あんさんは、あの―――世刻望のように、
打算も駆け引きも無く、困った人はほかって置けないなんて世迷い事を平然とヌカす奴になれまっか?」
「無理だな。口先とポーズだけならできるが、本心からは」
『そうでっしゃろ。ま……だからアンタはワイの相棒にピッタリなんやけどな』
「何処がピッタリだよ」
『道化を演じて人から油断を誘い、馬鹿を装いながらも論理的に物事を判断する。
物事を斜めから見下し、治に乱を望みながらも深入りはしない。典型的な道化師や」
「おい、テメー。俺をピエロ扱いか? コラ」
『ナハハ。気を悪くせんといてや。これでも褒めとんねん。ゲームでもそうやろ?
ナイトやら、クイーンやら、エースやらは確かに強く、ピエロはそいつ等の前では瞬殺されるが―――
最強のキングを殺せるのは………ピエロだけや』
「……………」
ニヤリと、顔があれば絶対にそんな笑顔を浮かべているであろう白いハリセンを浩二は見つめる。
しばらくはそうやって見つめていた浩二は、やがてベッドにハリセンを放り投げると笑った。
「ハハハ……」
冷静に―――
「クッ……ククク……ハハハ―――」
冷徹に―――
「ハーッハハハハハハハハ!!!!!」
王様を刺し殺す、笑顔の仮面に隠れた道化師の笑みで―――
*******
平和な日々が続いていた。授業中に寝ていたらしい世刻が寝ぼけて永峰に抱きつき、
アッパーで吹き飛ばされていたりしたが、概ね平和な日々だ。
世刻が飛んだ瞬間、浩二は何故か身体中に力が湧き上がったような気もするが、
すぐに収まったのでほかってある。
「沙月せんぱーい。図書室の扉、スムーズに引けるように直してきましたー!」
そんな日常の中で、浩二はいつもの様に斑鳩沙月の仕事の手伝いに精を出していた。
「あら、ご苦労様。悪いわね、いつも雑用をさせてしまって」
「いえいえ。お安い御用ですよ」
そう言いながら、財布の中からカードを取り出して前に出す。
沙月はそれを受け取ると、小さく「あら?」と呟いた。
それから浩二の顔を見つめると、苦笑して判子をポンと一つ押して浩二に返す。
「フフフ……」
受け取った浩二は『沙月先輩カード』と書かれた緑色のカードを、嬉しそうに天に翳した。
「ついに溜まったぜーっ! 入学してから苦節二年っ!
雨の日も風の日も、体育祭の日も文化祭の日も……ピグミン並みに沙月先輩に尽くして溜めた……
沙月先輩カードが、判子で埋まったぜーーーーーっ!」
沙月先輩カード―――
それは、斉藤浩二が斑鳩沙月の手伝いをする度に一つだけ判子を押してもらえるカードである。
判子を全部溜めると、沙月とデートできる権利が発生する、
もののべ学園の男子生徒なら涎を垂らして欲しがる素敵なカードだ。
ちなみにこのカードを与えられているのは現在のところ浩二だけである。
何故なら斑鳩沙月という女性は、物で釣って人を奉仕させる事を良しとする人物ではない。
けれど浩二は持っている。何故か?
「やったな! 斉藤!」
「おめでとう! 浩二君!」
「辛さを超えて乗り越えた。感動した!」
それは、沙月以外の生徒会役員のおかげである。
「ありがとうございます。ありがとうございます!」
泣きながらお礼をする浩二。
生徒会役員の皆は、我が事のように喜んで浩二を祝福していた。
その理由は唯一つ―――
「あの、先輩……資料を準備室に運んできたんですけど……」
「ありがとう。望くーん!」
「うわっ!」
生徒会役員と浩二が大はしゃぎしている所にやってきた少年。
世刻望がいるからである。
「ちょ、ちょっと沙月先輩。急に抱きつかないでくださいよ!」
「あら、いいじゃなーい。いつもは希美ちゃんがいてスキンシップとれないんだからー」
これを見れば解るように、斑鳩沙月は世刻望という少年を好いている。
浩二はそれを知らないはずは無いのに、健気に沙月の気を引こうと尽くしている。
荷物運び、掃除、草むしり、ドブさらい、壊れたストーブの修理から、ドアのたてつけを直したり……
凄いものになると、一人でプールの掃除を買って出た事もある。
とにかく浩二は働く。誰もが嫌がる事を、沙月の為ならと率先して働く。
始めは生徒会の役員達も、浩二のボランティアは、学園のアイドルである沙月の気を引こうとする
そこらの学生と同じだと思って冷ややかな目で見ていた。
しかし、下心からくるボランティアは、見返りが無ければ一ヶ月と続くものではない。
事実。生徒会の仕事をする沙月の手伝いをしようとした男子生徒は星の数あれど、
皆2~3回手伝ったら、それからパッタリと生徒会室に来なくなるのが殆どなのだから。
まぁ、それはそうだろう。
自分は沙月の気を引こうと身を粉にして働いているのに、
斑鳩沙月の好意は世刻望のみに向いているのだから。
だが、斉藤浩二という男だけは違った。
こんな光景を幾度と見せ付けられても、何事も無かったかの如く手伝いに来る。
それが三ヶ月、四ヶ月と続き……半年過ぎた頃には、生徒会の役員達は浩二を認めた。
この男は馬鹿だ。すげー馬鹿だがコイツは漢だと。
そして、沙月の手伝いをして一年が過ぎた頃。
生徒会の全員で、沙月に『斉藤の馬鹿野郎に一度だけでも夢を見させてください』と頼み込んだのである。
このままではあんまりだ。恋愛感情は個人の自由なので、浩二と付き合えとは言わないが、
少しぐらいこの馬鹿が報われてもいいと訴えたのである。
そして出来たのが沙月先輩カード。
沙月としては、こんなモノなどなくても浩二とデートしてやるぐらいには浩二の事を認めているし、
好意を向けられて嫌な相手では無い。それなりに好いている。
だから役員の皆に訴えられた時にその旨を伝えた。
だが、伝えると―――
「いや、ほら……」
「その……ねぇ?」
―――と言って視線を逸らされる。
全員、浩二を認めてはいるものの、
沙月が頼めば何でも喜んでやってくれる『斉藤浩二』という労力を手放すのは惜しいのである。
だってほら、生徒会の活動って人手がいくらあっても足りないし。
「あーーっ! 望ちゃん、やっぱりここに居たー!」
「希美!?」
「先輩! 望ちゃんを勝手に連れて行かないでくださいっ!」
「えー。勝手じゃないわよぉ。ちゃんと納得して手伝ってくれてたんだもんね。望くん?」
「あ、はい。そうで―――」
「のーぞーむーちゃーん!!」
いつのまにかラブコメを始めちゃっている三人の様子に、
いままではしゃいでいた生徒会のメンバーと浩二のテンションが大いに下がる。
そして、それを見た生徒会のメンバー達は、後ろから浩二の肩にポンと手を置くと―――
「元気出せよ……な?」
「世刻も嫌なヤツじゃないけどさ……俺、おまえの方が好きだぜ?」
「そうよ。私も斉藤くんの事、認めてるからね」
「泣くなよ。泣くんじゃないぞ。男が泣いていいのは、生まれた瞬間と親が死んだ時と、
箪笥の角に足の小指をぶつけた時だけだ……」
それぞれ、浩二に慰めの言葉をかけて席に戻って行った。
だから、誰も浩二がその時に浮かべている表情に気がつかなかった。
心底どうでもいいと言う顔をしていた事に。
「……駆け引きでも、打算でも無く……
俺が……誰かを好きになる事なんて、あるのかな……」
騒がしくなった生徒会室を、誰にも気づかれること無く、そっと後にする浩二。
最後に呟いた言葉は、誰にも聞かれる事は無かった。
********
異変が起きたのは突然であった。
否―――前触れはあったのかもしれないが、それに気づかずに放置してしまった。
前触れは、深夜に徘徊する黒い犬が人を襲うという噂。
世刻望の様子がおかしくなり、よく倒れるようになった事。
けれど、浩二はそれを見落としていたり、些事だと判断してしまった。
そして、そのツケが―――
「何なんだよ……こいつ等ッ!」
槍や剣という武器を手にして、学園を取り囲んでいる謎の集団である。
「チイ―――ッ!」
文化祭の準備として、屋上で看板作りをしていた浩二は教室に駈け戻る。
途中で信介や美里。希美と、体調が悪そうにしている望とすれ違った。
「おい、浩二! どこに行くんだ!」
「教室だよ」
「馬鹿っ、今なんだか知らないけど大変な事になってるんだ」
知っている。突然やってきた夜。学園中を取り囲むヒトの形をした何か。
俺は、たぶん、それを知っている。
「体育館だ! 浩二! 体育館にみんな集まっている―――」
後ろから聞こえてくる信介の声を聞きながら、サンクスと心で呟く浩二。
廊下の窓から見えるグランドでは、白い装束に身を纏い、
光の剣を手にした沙月がヒトの形をした何かと戦っているのが見えた。
「最弱ッ!!!!」
ガラリと、教室の引き戸をあけて叫ぶ浩二。
『相棒! 無事やったか?』
すると、誰も居ない教室から声が聞こえてきた。
浩二は自分の席に駆け寄り、鞄の中から白いハリセンを取り出す。
「これが、オマエの言っていた敵か? 永遠神剣の遣い手達の戦いが始まったのか?」
『そうでっしゃろなぁ。今この学園を取り囲んでるのはスピリットですわ』
「巻き込まれるのなんてコリゴリだ。逃げるぞ。俺は」
『そうでんな。殴り合い、斬り合いになったらワテ等ではひとたまりもありまへん。
逃げるだけやったら、ワイの力で相棒の身体能力を引き上げればできん事もないやろけど……』
言いよどむ『最弱』浩二は、この異常事態に苛立っているらしく声を荒げる。
「何だ! 言いたいことがあるならさっさと言え!」
『逃げる手段さえ持ってない、相棒のクラスメイトや友人はん達は……
このまま取り残されたら嬲り殺しにされまっせ』
「―――っ!!!」
『それでも一人だけ逃げまっか? ワイはそれかてかまへんけど』
冷静な声で聞いてくる『最弱』に、浩二は奥歯を噛み締め、ギリギリと歯軋りさせる。
教室に戻る心配してくれていた信介。グランドで唯一人、皆を護るために戦っていた沙月。
それを見捨てて、一人だけ逃げる。けれど、それは―――
「仕方がないだろうが! 俺には力が無いんだ! オマエだって弱いんだろ!
俺だって、沙月先輩のように強ければ戦うさ! けど、弱いんだよ。俺達は!
逃げ回るだけが精一杯の『最弱』な俺達が―――何の役に立つってんだよ!!!」
『……相棒……相棒は、素質はありまんねんけど、やっぱまだまだやな……』
やれやれと言わんばかりの『最弱』を睨みつける浩二。
だが、浩二が口を開くよりも先に『最弱』が言葉を続けた。
『前にも言いましたで。相棒はピエロや。
ナイトでもクイーンでも、エースでもあらへん。
戦えば、それらの前では瞬殺される。なら―――』
「……なん、だよ……」
『―――戦わなければええねん』
「はぁ? 意味が解らねーぞ!」
『ピエロはピエロらしく、ちょこまかと逃げ回り、おちょくり回してからかったったらええねん。
道化の仮面で素顔を隠し……冷静に、冷徹に、冷酷に……観客……つーか敵の反応を見定めて……
目を自分に引き付けたったらええねん。
……そしたら、自由に動けるようになった味方のクイーンやエースが敵を片付けてくれはるやろ』
「…………」
永遠神剣・最下位『最弱』
沙月先輩が持っている光の剣とは、比べ物にならないほど惨めな―――
むしろ、馬鹿にしてるのかと言いたくなるほどの形だが、
このハリセンには、足りない分の『暴力』を補って余りある『観察力』と『洞察力』がある。
そう思って浩二は笑った。道化師の笑みを。
『ほな行こか? あんなアホらしい暴力を振りかざす困ったちゃんにツッコミいれに」
「そうだな。屋根よりも高く飛び上がり……
炎をぶっ放し、ゴールポストをへし折るなんて……ねーよ!」
右手に持ったハリセンで、パシンっと机を叩く。
それから教室の窓に歩み寄り、鍵を開けて足をかけると―――
「信じればきっと空も飛べるはずだお! ブーーーーーーーン!」
―――頭の悪い台詞を叫びながら飛び降りた。