「………ふぅ」
あたり一面砂漠の世界。生物の気配さえも感じさせない、滅んだ世界。
『天の箱舟』が目指している、暁絶の故郷に『光をもたらすもの』エヴォリアは居た。
溜息と共に空を見上げる。こんな風に滅び去った世界を眺めるのはもう何度目だろうか?
「どうした? エヴォリア」
そんな彼女に、ベルバルザードが話しかけた。
「浮かない顔をしているように思うが?」
「それは、そうでしょ。全力を傾けて挑んだ作戦には失敗し、
『旅団』と、その本拠地がある世界は未だ健在。
戦果としては、精々が支えの塔をしばらく復旧できないぐらいに壊しただけなんだから」
乾坤一擲の勝負のつもりであった。策を練り、下準備を前々からこさえ、
必勝を確信して挑んだ勝負であったのに、ジルオルの生まれ変わりである少年に邪魔され、
作戦は失敗に終わったのだ。あの戦いで配下のミニオンも半数以上失っている。
しかも『精霊の世界』に設置してあった生産工場も破壊されているので、
しばらくは戦力増強の目処も立っていないのだ。
「まさしく襤褸。いーえ、二個ぐらいつけてボロボロね」
今は、この『光をもたらすもの』の実質的な首魁である理想幹神を狙う、
暁絶を討ち取るために、彼を追ってこの世界まで赴いている。
もしも、この任務さえも失敗するような事があれば、
彼等はもう自分達を用済みとばかりに始末にかかるだろう。
「私は……こんな所で躓く訳にはいかないのよ……」
そう言って自分の腕輪。永遠神剣『雷火』を握り締めるエヴォリアを、
ベルバルザードはじっと見つめる。
こんな時に、気の効いた言葉の一つもかけてやれない無骨な己が恨めしいなと思うと共に、
あの男ならどうだろうかと、なんとなく考えた。
―――斉藤浩二。
神獣を消すという不可思議な神剣を持ち、出会うたびに強くなっていく男。
戦いのセンスにおいては非凡なモノを持っているが、アレの欠点は無駄なお喋りが多い所だ。
だが、彼と出会ってからの自分は少し変わったと思う。
―――否。変わったのではなく、昔に戻り始めたのであろう。
まだ、この少女と出会う前の自分……
それどころか、永遠神剣『重圧』とも出会う前の、まだ普通の武芸者であった頃の自分に。
あの頃の自分は、ただ己の武芸を向上させる事のみを目指していた。
男に生まれたのだから、純粋に強くなりたいと。
誰にも負けぬ者でありたいと、ただひたすらに武の極みを目指し、修行に明け暮れていた。
そんな頃に出会ったのがエヴォリア。
彼女は、更なる武の高みを目指すならば、自分が神々の戦いへと誘おうと言って自分の前に現れた。
その頃には、武芸者として名を馳せ、周りには自分よりも強き者はとうに居なくなっていた。
だから、彼女の差し出した手を取った。
更なる高みに、もっと強き者と戦う為に―――
だが、永遠神剣を与えられ、更なる高みに上った筈の自分に与えられた戦場は、
どれもがつまらないモノでしか無かった。永遠神剣という絶大な力で世界を滅ぼす。
無辜の民を無慈悲に殺し、人の営みが送られる建物を破壊し、世界を焼き滅ぼした。
有り体に言えば騙されたのである。
エヴォリアは自分を手駒とし、自らの願望を敵える道具としたのである。
しかし、世界を一つ滅ぼすたびに辛そうな顔をしている彼女を、何故か憎むことはできなかった。
好きでやっている訳では無いと解っていたからだ。
彼女は、自分の故郷を護るために、どんどん増えていく時間樹の枝を選定しては滅ぼし、
世界の大本たる時間樹が滅ぶのを防ぐ為に、世界を間引いているのだと知っていたから。
間引かれる世界の人間にとっては、そんな勝手なと文句の一つもつけたくなる行為であろうが、
ベルバルザードはそんな者達を同情する気にはなれなかった。
―――弱き者は、強き者に淘汰される。
それはどの世界の生態系を見ても変わる事の無い絶対真理。
エヴォリアに間引かれるのが嫌ならば、その者達も自分の世界を護るために戦えばいいのである。
少なくとも、エヴォリアは自分の世界を護るという信念においては妥協が無い。
そういう人間は好ましい。どうせ、生まれた育った世界で唯の武芸者として生きていても、
敵がおらずに持て余していたのだ。ならば、この好ましいと思える少女の為に戦うのも悪くない。
そう思って、ベルバルザードは『光をもたらすもの』の一員としてエヴォリアに忠誠を誓い、
星の破壊者ベルバルザードとして、幾多もの世界を滅ぼしてきた。
それから、どれだけの歳月が過ぎたであろうか?
自分達の活動を妨害する『旅団』の長であるサレスや、
他の永遠神剣マスターとも幾度か刃をぶつけて戦ってきた。
敵の中には、自分よりも上位の神剣を持つ実力者もいたが……
そんな者と戦っても、以前のように心が高揚する事はなかった。
―――理由は解っている。
永遠神剣マスターどうしの戦いというのは、基本的に神剣の力の比べあいであり、
個人の力量や技術で競い合うモノでは無いのだ。
最高の武芸者でも武器が下位神剣であったならば、
上位の神剣を持つ素人に負けることだってある。
そんな戦いで燃えられる筈が無い。
力量を競って敗北したのであれば、例え負けたとしても悔しくは無いが、
武器の強さで負けたのでは、どうしようもない理不尽だけが心を支配する。
それ故に、最近は全てに白けていたのだが、そんな所にあの男は現れた……
斉藤浩二。不可思議な神剣を持つ戦士。思えば、初めて出合った時から彼は、
勝敗を決めるのは武器の差ではないと言わんばかりに、様々な方法で自分に挑みかかってきた。
彼の戦いは、永遠神剣のパワーをぶつけ合うような戦いとは一線を引いた戦い。
あるものを利用し、周りの状況を見渡し、考え……工夫して挑みかかってくる。
考えてみれば、神獣や魔法を消滅させる能力も清々しいではないか。
そうすれば、自分も彼と同じ土俵で戦わねばならない。
そうなれば、勝敗を決めるのは自分達の技量と力量。戦士として勝るほうが勝つ。
そんな戦いこそが武人の本懐だ。
だからだろう。自分が『魔法の世界』で彼との戦いに拘った訳は、
誰にも邪魔されたくないと思い、本当なら足止めせねばならぬ彼の仲間を先に行かせたのは。
そう考えれば『魔法の世界』で『光をもたらすもの』が敗北する原因を作ったのは、自分にある。
自分があそこで武人としての戦いに拘らず、あくまで『光をもたらすもの』の一員として、
彼らの足止めに徹していれば、たとえいつかは数の暴力で自分が敗北したとしても、
支えの塔を破壊させる事で『魔法の世界』を消滅させ、その余波で幾多もの世界を連鎖的に滅ぼすという、
エヴォリアの描いた、壮大な作戦を止めるのには間に合わなかった筈だから。
「だが。すまんな……エヴォリア……」
相変わらず浮かない顔をしている少女をチラリと見て、呟くベルバルザード。
「またヤツが現れ、俺に一騎打ちを挑んできたならば……
俺はまた『光をもたらすもの』の一員としてではなく、
一介の武人としての自分を選び、ヤツの挑戦を受けるぞ……」
それこそが己の望みだから。大儀よりも、捧げた忠誠さえも上回る―――
武人ベルバルザードの生き甲斐だから。
「次に出会わば、四度目の対決……
何やらの顔も三度までとはいかなんだが……次で決着をつける。
……強くなって来い……あの時よりも、更に強く……
そんなオマエを倒してこそ、俺は更なる高みにいける―――」
そう小さく呟いてベルバルザードは乾いた空を見上げる。
斥候のミニオンが、潜んでいた暁絶を発見したと報告してきたのは、すれからすぐの事だった。
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「スバルは……何とか救うことはできたけど……
ショウは助けられなかったな……」
崩れゆく未来の世界―――
世界を維持していた浄戒の力が失われ、止めていた時計の針が再び動き出した世界の崩壊を、
望と浩二は『箱舟』の中から見つめていた。
「仕方ないさ。ショウは……力の大きさに飲まれてしまった。
心さえも力に飲まれ、最後は破壊のみを目的とする殺人機械になってしまっていた」
「俺も、この浄戒の力に心を支配されたら……ああなるのかな?」
「オマエはならねーよ」
そう呟く浩二は、ショウの最後に思いを馳せた。
もう既に滅び去った世界で、それを認めず、永遠に繰り返される今日を選んだショウ。
その目的は、親友であるスバルと共に過ごした、輝ける日々を失いたくないが為だった。
愚かだとは思わない。
彼がどれだけ親友のスバルを大切にしていたのかは、
部外者である自分達にもひしひしと伝わってきたから。
「おまえの傍には俺達が居る。希美や、沙月先輩……
この『天の箱舟』の仲間達が居る。ここのみんなが目指すものは未来だ。
おまえの理想―――みんなが平和に暮らせる明日というモノを目指している」
愚かではないが、ショウは間違えたのだ。未来ではなく過去の残照を見る事を選択した。
時計の針を止める事なんて出来ないのに、今が壊れるのは嫌だと叫び、
前に進む事無く、その場で足踏みする事を選んだのだ。
「でも―――」
「もう、気にするな。あの世界は元々滅んでいた筈の世界。
時計の針が、再び時を刻み始めただけだ。おまえが壊した訳じゃない」
そう言って浩二は、休憩室に備え付けられたポッドから紅茶をカップに注いだ。
望の分も用意してやり、おまえもこっちに来て座れと手招きする。
「少なくとも、スバルは救えた。本来ならばとっくに消えて居たはずの彼を救ってやる事が出来た。
それだけでも素晴らしい事じゃないか。全てが消え去って当然だった筈なのに、
一人だけでも救える事ができたのは、俺達の力だろ?」
そう言って紅茶の入ったカップを望の前に置く。
「そうですよ。望くん……元々、僕達は死んでいた筈の人間なんです。
それが元に戻ったというだけの話し―――あの街の人々も……
在りし日の行動を繰り返すように、プログラムされただけのロボットだったんですから」
「スバル!」
「おまえ、身体は大丈夫なのか?」
相変わらず俯いていた望に、休憩室へとやってきたスバルが声をかける。
望と浩二は思わず立ち上がった。あの未来の世界の唯一の生き残り―――
といっても、身体は既に滅んでいるので機械の身体だが、
今は絶対安静である筈の彼が、ここにやってくるなんて思いもしなかったからだ。
「一応、何とか動けるようにはなりました。今も自己修復はしています」
そう言ってスバルは微笑む。
その笑顔にはやはり陰りが残ってるような気がした。
「望くん……もしも、ショウの事を気にしているなら、それはキミのせいじゃない。
どちらかと言えば悪いのは僕です……僕がもっとしっかりしていれば、
ショウがあんな風に狂うことは無かった」
「…………」
確かにそれも理由の一つではあるので、浩二は何も言わない。
ショウとスバルの関係は、親友でありながら兄弟のようにも見えた。
直情型で兄貴気質のショウと、温和でお人よしなスバル。
もしもスバルが、もっとしっかりとした気質をもっていたならば、
ショウは一人で悩みを抱えずに済んだ。
相談して、話し合って……もっと、未来を見つめることができたかもしれない。
だが、ショウにとってスバルは、肩を並べる仲間ではなく、
護ってやらねばならぬ存在にしかなり得なかった。そして、そんなスバルをショウは望んでいた。
スバルの温和な人柄は、彼と友達になるまでは孤独だったショウにとっては救いだったのだろう。
むしろ、そんなスバルだからこそ、気の強いショウは友達になれたのかもしれない。
その辺りが運命の皮肉な所だと浩二は思う。
スバルがもっと毅然とした男であったならば、プライドの高いショウは友として受け入れなかった。
だが、実際のスバルは温和で人が良く……
その為に、孤独を抱えて日々を過ごしていたショウの心を癒す事ができ、二人は親友たりえた。
ならばもう一人―――
もう一人、彼らの間に友人が居たならば、運命は変わっていたのではないかと思う。
仲間を思い遣る心を人一倍持ち、行動力に長けたショウと、
彼の相談に乗ってやれるぐらいに知恵の回る誰か。
その間にスバルが立って、二人を上手いこと纏めるのだ。
そうであったならば、ショウは一人で悩まずに済み、スバルは持ち前の魅力を十分に発揮し、
全てがよりよい結果へと導けたのではないかと思う。
「いや、スバル……俺は、アンタも悪くはないと思うよ……
ただ、巡り会わせが無かっただけだ……」
スバルもショウも、自分にできる事をしっかりとやっていた。
ショウはスバルを導き、スバルはショウを支えた。
ただ、そこにもう一人いれば良かっただろう、誰かが居なかった。それだけである。
人間は完璧ではない。
時にはサレスのように一人でも完璧たりえる天才もいるが、そんなヤツはまずいない。
普通の人間ならば、友人や恋人―――誰かと足りないモノを補い合い、支えあい、
それで何とか世の中を上手く渡っていけるのだ。
望と出会い、物部学園で三つの世界を旅して色々な人と出会い。浩二はそれに気がついた。
このコミュニティー『天の箱舟』を作ろうと思ったのも、
望の為だけではなく、一人では生きていけない自分の為でもあったのだから。
それを説明してやると、スバルは何かを考えるように俯いた。
「浩二くん……」
「今までの自分はダメなヤツだったと、反省するのはいい。
けど、自分が全部悪いなんて思ったら……確かにやり方は間違えたけれど……
そんな悪いヤツの為に、浄戒の力で時を止め、滅びの運命へと抗ったショウが可哀想だ」
人は、基本的に弱い生き物である。寄り添わねば生きていけない。
一人で立ち向かうには運命は過酷すぎるから。
だから、浩二は一人でも生きていける天才たらんとした。
けれど、今の自分ではその天才にはなり得ない。
人生の経験が足りない、視野が狭い、人を惹きつけるカリスマも無い。
たぶん、自分が認めている『天才』サレスも、自分と同じ歳の頃は何度も挫折し、
己の無力を痛感したのだろうと思う。
風に向かって一人で抗い続け、立ち続けていられる人間は、
何度も転んで、吹き飛ばされて、風に負けない歩き方を身体で覚えたからだ。
普通ならば、吹き飛ばされないように、誰かと肩を組んで歩く人生という風の中を、
たった一人で歩き続けられる理由は、誰よりも転んだから、誰よりも吹き飛ばされたから。
今までの自分は、要領よく風の勢いが弱いところを歩いていたから、
転ばずに、吹き飛ばされずに済んでいただけ……
それなのに、転ぶ事がない自分を『天才』であると勘違いしていた。
馬鹿である。道化である。それと同時に、この事に気づけてよかったとも思う。
気がつかなければ、そのまま進んでしまっていた。
風の弱いところを歩き続け、肩を組んで歩く人を、一人じゃ歩けない阿呆だと見下して、
自分は頭がいいと思ってる馬鹿という、救いようの無い人間になっていた。
「あのさ。スバル……これからの事、なんだけど……
良かったら……俺達のところにこないか?」
「……え?」
望がスバルを『天の箱舟』へと誘う。
チラリと横の浩二を見ながら、いいだろ? と目で言っている。
「でも、僕は………」
「スバル。俺達と一緒に行こう。ここにいるみんな―――
一人じゃ前に進めない弱者だけど、肩を組んで一歩ずつ進めるぐらいには強いから。
そして、一緒に強くなっていこう。いつかは一人で歩きだせるように……」
そう言って、浩二もスバルに手を差し伸べた。
「……望くん……浩二くん……」
二人の誘いに、しばし迷うような素振りを見せるスバル。
しかし、やがて首を横に振ると、すみませんと頭を下げた。
「すみません……お誘いは嬉しいのですが……
僕は……皆さんと一緒には行けません……」
「―――え?」
「狂ってしまったショウとの戦いで……僕の力は、殆ど失われてしまった……
そんな僕が、みなさんの旅について行っては、きっと足手まといになる」
そう言って、スバルは自分の神剣を手元に出現させた。
弓矢形の永遠神剣・第六位『蒼穹』は、所々破損しており、
しっかりとした形を留める事さえできずに、薄っすらとぼやけている。
「……ふうっ」
外傷こそ無いものの、スバルは神剣を具現化できない程に傷ついていた。
「だから、僕はどこか適当な星に置いていってください。
そこで、ゆっくりと傷を修復しますから」
「スバル……」
「……そういう理由なら仕方ないさ。望……
これ以上無理を言ったらスバルが困るだけだ」
落ち込んだ様子の望の肩を浩二がポンポンと叩く。
「それなら、せめて療養先の世話ぐらいはさせてくれ。
科学技術が発達したいい世界を紹介するぜ?」
「でも―――」
「それぐらいの世話はさせて貰わんと、ウチのリーダーが納得しない。
最寄の星の精霊回廊までは送るから、そこから俺達が『魔法の世界』と呼んでいる世界に赴いて、
傷を治してもらえ。俺達が連名で手紙を書いてやるから、最高の治療を受けられる筈だぜ?」
そう言って浩二が笑うと、スバルもやっと笑顔を見せた。
「はい。解りました……色々とお手数をおかけしてすみません……
皆さんの好意に甘えさせて貰います」
「それで……さ」
「はい?」
「傷が治る頃には、もう一度スカウトに行くから。
『天の箱舟』八人目のメンバーとして、部屋は一つ確保しておくからさ……
だから、その時は―――誘いを断らないでくれよな?」
ニッと笑いながら浩二が言うと、断られて俯いていた望が顔をあげる。
「いいだろ望? 部屋一つぐらいリザーブしても?」
「ああ、もちろん!」
そんな浩二と望のやり取りに、スバルはクスッと小さく笑う。
「はい―――その時は、連れて行ってください。
微力ですが、貴方達の仲間に入れてもらえたら嬉しいです」
そう言って笑い返すスバルの顔は爽やかだった。
************************
未来の世界を出発して四日。
魔法の世界へと通じる精霊回廊のある星にスバルを下ろしてから二日がたったある日。
風呂上りの浩二は、二階にある休憩室のソファーに寝そべりながら小説を読んでいた。
「なぁ、浩二……おまえ、何読んでるの?」
先程から黙々と小説を読んでる浩二の様子が気になったのか、
テーブルを挟んで対面にあるソファーに座った望が問いかける。
「希美に借りた小説。何やら、有名なケータイ小説を文庫本にしたらしい」
「面白いか?」
「面白いかどうかは人それぞれだが、やたらと甘い展開が多いな」
「恋愛小説?」
「いや、スゥイーツというらしい。読み終えたら感想を聞かせろと言われた」
「……は? 何それ?」
よく解らない答えが返ってきて、怪訝そうな顔をする望。
「暇なら、望も何か借りてきたらどうだ?
アイツ―――移動中の暇つぶしに沢山用意したらしく、100冊近く持ってきたらしいから」
「ゲッ! どうりで元の世界から担がされたトランクの一つが、やたらと重かったわけだ」
「まだいいじゃないか、中身が本で……
俺が担がされたルプトナのトランクなんて、入ってたのが玩具だぞ?
開けたときに、黒ひげ危機一髪の海賊の首がもげていたって、
後から文句を言われたから、そんなのは知らんと言ったらケリいれられたぞ?」
苦笑する浩二に、望は何だよそれと言って笑う。
すると、そこにレーメを肩に乗せたユーフォリアがやってきた。
どうやら風呂上りらしく、身体から石鹸の香りがしてくる。
「こんばんわ。おにーさん、望さん。お風呂、頂いてきました……
―――って、あれ? 何を読んでるんですか? おにーさん?」
「スゥイーツ」
「スゥイーツ?」
ハテナ顔のユーフォリア。
浩二は呼んでいた小説に栞を挟んで机の上に置いた。
「ダメだ……俺にはこれの何が面白いのか理解できない。
まだ、自分で何かを書いたほうが面白い」
「浩二。おまえ、小説かけるの?」
「物部学園の文化祭でやる予定だった演劇の台本……書いたのは俺だぜ?
美里が無くしやがったから、結局は喫茶店になったけど」
「へぇ……」
そんな特技がと言う顔で感心する望。
「よし、今度また暇つぶしに何か書いてやる。そうだな……
タイトルはファイナルドラゴンファンタジークエスト。勇者が酒場でパーティを募り、
クリスタルを求めて旅する冒険活劇だ」
「浩二……それは、その……パクリじゃないか?」
「パクリじゃない! インスパイアだ!」
「―――あ!」
パクリと言われた浩二が、怒ったようにインスパイアだと主張すると、
ユーフォリアが、あっと声をあげる。
「どうしたんだ? ユーフォリア」
「あの、今、おにーさんがインスパイアって言った時、何か懐かしいような気がして……
あのあの、おにーさん。インスパイアってもう一度言ってくれませんか?」
「インスパイア」
「違います。もっと、こう―――叫ぶように!」
「インスパイアーーーーーーーーッ!!!」
「違います! アクセントをもっと微妙に!」
「インスパイィィィィィアッ!!」
「惜しい! もうちょっと力を入れすぎて、ひっくり返ったような声で!」
「いや、これ以上ひっくり返すとコンバット越前になるって……」
グッと手を握り締めながら、浩二にインスパイアの発音を指導するユーフォリアと、
何度もインスパイアを叫んでいる浩二。
望は、何だこのカオスな光景はと、たらりと汗を流した。
「インスパイィィィィィアッ!!」
「いい感じです。おにーさん!
次、オーラフォトンビームお願いします」
「オーラフォトォーン、ビィィーームッッ!!」
「……ああ。パパ……」
うっとりとした表情になるユーフォリア。
浩二は、先程から叫びまくって喉がいたくなってきた。
「ぜぇ、ぜぇ……」
「ほら、浩二。水」
「サンキュ」
望が渡してくれた水を受け取り、ゴクゴクとそれを喉に流し込む浩二。
「あの、次……望さん、お願いします」
「え? 俺もやるの?」
「はいっ!」
にっこりと満面の笑み。
そして、キラキラと期待の眼差しで見つめれてしまっては、もうやるしかない。
「インスパイィィィィィアッ!!」
「ディ・モールト! 大変良いですっ! 望さん!」
望はヤケクソのように叫ぶと、ユーフォリアはその叫びを、
何故かイタリア語で褒めちぎり、懐かしいというような顔で目を閉じて聞き惚れる。
「ちょっ、何をやってるのよ。二人とも! 声が風呂場の方まで聞こえてきたわよ?」
「望ちゃーん。煩いよぉ」
何事だと言うように沙月と希美がやってくる。
二人とも風呂上りなのか、血色がいい。
遅れてやってきたルプトナは、浩二や望が叫んでいたように、
腕を掲げながら、インスパイィィィィィアッとやっていた。
「なになに? これ、新しい遊び?」
「ルプトナ。まだ髪を拭き終わってないのに……」
「カティマもやろうよ。インスパイィィィィィアッ!」
タオルをもって追いかけてきたカティマに、笑いながら言うルプトナ。
なんだかもう、色々と大変な騒ぎになっていた。
「なぁ、おい……最弱。
インスパイアって、エターナルにとって、特別な意味の言葉だったりするのか?」
『いや、そんなの聞いたことあらへん。
……でも……その、やたらと耳に残る妙なアクセントの叫びは……
いやいや。でも……まさかなぁ……』
そう呟いて『最弱』は、自分が知っている一人の永遠神剣マスターの顔を思い浮かべる。
学生服に白い陣羽織。ロウエターナルからガロ・キュリアを救った英雄―――高嶺悠人。
人間からエターナルになった際に、彼のパーソナルデーターは消えており、
彼の事を覚えているのは、一部のエターナルと、神剣の干渉を受けない自分だけ。
故に今は、聖賢者ユウトと言ったほうがいいかもしれないが、
『最弱』は、その微妙なアクセントの叫び声をする、懐かしい少年の顔を思い出し、
その叫び声に、小さくパパと呟いたユーフォリアに意識を向けるのだった。
『特別な条件のエターナル……あの蒼い髪……
そして、インスパイィィィィィアッと叫ぶパパ……
……いや、でも……まさかな……エターナルの子供なんて……
いくらなんでも、そりゃないやろ? 考えすぎやねん……』
そう言って『最弱』は、ナハハと笑うのだった。
「……あの、何か叫んでたら……
身体が光って魔法が発動したんだけど……何コレ?」
「きっと、パパからの贈り物です♪」
「―――マジ!?」
望はこのイベントで『インスパイア』のスキルを覚えた。
これは、そんなある日の風景―――