「くそ、国家権力の狗どもめ……」
斉藤浩二は、ベンチの椅子に座って缶コーヒーを飲んでいた。
警察に追われていたのを何とか振り切って、
昨日ユーフォリアとやってきた公園へと逃げて来たのである。
「まぁ、彼らも不審者を取り締まるのがお仕事ですからね……仕方ないですよ」
そんな事を言って、ふふっと笑うのは時深。
彼女は、浩二がきちんと試練を遂行するように付けられたお目付け役だ。
「てゆーか、望達にナルカナをさっさと祠から引きずり出してもらわんと、明日もコレかよ……
まぁ、みんなの実力なら一回のチャレンジで突破するだろうけどさ」
「あら? そうとは限りませんよ?
中継地点と祠の前にはボスキャラを置きましたから」
「ボスキャラ?」
「はい。私が強化した防衛人形です。油断してると、エライ目に合いますよ」
「うへぇ」
エターナルが強化したミニオン。見てみたいような、見たくないようなと思う浩二。
『……あ、そや。時深はん』
「何ですか?」
『ワイ。ちょっと聞きたいことありまんねんけど』
「私に答えられる事なら」
『時深はんほどのエターナルが仕えとるナルカナって誰やねん?
相当な大物やろ? ワイの予想では、たぶん第一位神剣のマスターや』
「……そうですね。どうせ会うことになるのだからお話しましょうか。
半分以上は貴方の予想どうりですよ最弱。ナルカナ様は永遠神剣・第一位『叢雲』の化身です」
『―――ブッ。ホンマかいな!? そりゃ、どえらい大物がでてきたのー。
ああ、もう。色々と納得……ワイらの行動を全部見てたとか、理想幹神を破る力を授けたるとか……
時深はんほどの実力を持ったエターナルが仕えとるとか……全部纏めて……』
納得したように、或いは呆れたように『最弱』は言う。そこで、浩二はハッと気がついた。
ナルカナは永遠神剣・第一位『叢雲』の化身で、望の夢に出てきた姿は少女だったという。
そして、以前に自分は―――
「ハハハ。おまえ馬鹿だろう? てゆーか、神剣がヒロインなんてねーよ。
そんな人外をヒロインにする事なんて、望にだって無理だ。
できたら俺、鼻から牛乳を一気飲みしてやるね」
『ほう。絶対せーよ? 言質とったからな?』
―――こんな約束を『最弱』としている。
「……やべぇ……」
顔を青くして呟く浩二。そんな彼の顔を見て『最弱』が、ククッと笑った。
『さ、牛乳買いに行こか?』
「まて、まてよオイ。まだナルカナが望に惚れると決まった訳じゃないだろ!
もしかしたら、ウチのイケメン担当の暁かもしれないだろ!?」
『ストロー使ってもええで? お笑い担当』
「だから、まて! まだ決まったわけじゃない!」
『相棒~往生際が悪いで~』
浩二の腰で『最弱』は笑う。まるで勝利を確信してるかのように。
それに対して、浩二は牛乳1リットルは無理だから、
なんとか一番小さいパックで済まそうと、一番小さいサイズはどれがあったか考える。
「……クソ。やべぇ、最低でも125mlはある……」
そして、何とも間の悪い事に、この世界には牛乳が売っている。
ちなみに世刻望の打率は6割を超える驚異のスラッガーだ。
今までで、ヤツが打ち損じたボールは、タリアとヤツィータにレチェレとユーフォリア。
二分の一より高い確率でヤツは打つ。才能だけでヤツは打つ。
しかも、ナルカナは望にだけ夢で語りかけて、協力してやると言っているのだから、
決して望と相性が悪いわけでは無さそうだ。
浩二は、特大アーチを描くホームランの軌道が見えたような気がした。
「/(^o^)\ナンテコッタイ」
この時、浩二は初めて世刻望なる少年のモテっぷりが憎いと思った。
『ほれ、どーした。いつもの台詞はどないしたんや?
こんな時に使わずに、いつ使うねん。ほら―――』
「解ったよチクショウ! 鼻から牛乳ぐらいクリアしてやる!
やってやるよ! 俺に出来ない事は無いんだからな!」
そう言って浩二は立ち上がった。
公園の近くにあるコンビニまで、ズンズンと歩いていく。
「あの? 浩二さん?」
突然『鼻から牛乳』と言い出して、どこかに行こうとする浩二を追う時深。
浩二は、コンビニで牛乳を買うと、天を仰いでストローを挿した牛乳を鼻の穴に突っ込んだ。
「―――っ!? ゴッパーーーーーッ! ブバッ! げっほ、げっほ……」
当然のように咳き込む浩二。
『ダハハハハ! ハーッハッハッハ!!!』
それを見て爆笑する『最弱』
「リトライ! ―――ぐぼっ、ごぱあっ!」
『ぎゃはははは! あーははははは! 鼻から牛乳垂れとるって―――ブフッ。
あははははははは! ははははははは! 死ぬ! 笑い死ぬ! ひぃーーーー!』
「クソ。テメェ……負けるものか! 俺に出来ない事は―――」
―――ブシュッ!
「ぎゃああああああ!!!」
『ぶははははは! ぎゃはははははは!!!』
また、鼻から牛乳を噴き出して咳き込む浩二。
時深は、何なのだこの神剣とマスターはと、引き攣った顔で見つめるのだった……
『ほらほら! まだ半分以上のこっとるでー』
**************************
「も、戻りました……」
夕方になり、ナルカナ様布教活動を終えた浩二は、疲れきった顔で出雲の社に戻ってきた。
「おかえりなさい。浩二さん」
そんな浩二を環が出迎える。時深は綺羅に帰りを迎えられていた。
「布教活動……してきました。警察に2回ほど追いかけられて、
チンピラみたいな奴等に1回絡まれましたけど……」
「まぁまぁ。それは大変でしたね」
「時深様。ご苦労様でした。お疲れでしょう」
「いいえ。大丈夫よ綺羅。私は何もしてないし……面白いモノも見れましたしね」
くすりと笑う時深。
「あら? 浩二さん……その、こんな事を言っては失礼ですが……」
「解ってます。皆まで言われずとも解っています。
ちょっと表の井戸をおかりして、上着を洗濯してきます」
牛乳をぶちまけたのが、学生服の上着にかかっており、
乾いた牛乳のなんとも言えない臭いを放つ浩二。
彼は環に断って部屋を出ていくと、表の井戸に向かうのだった。
「あークソ。今日はエライ目に遭った」
『宗教活動に鼻から牛乳。ええやん。汚れ芸人みたいで』
「俺は、自分自身をクリーンなヤツだとは思ってないが、汚れとも思ってない」
タライに洗濯板で、自分の上着とカッターシャツを洗濯しながら『最弱』と会話する浩二。
赤い夕陽が沈み始めた空には、カラスが鳴いており哀愁を誘う。
希美は捕らえられ、他の仲間は戦っているのに、何で自分だけこんな事をしているのだろうと。
『それにしても、世刻達はまだ帰ってきまへんなぁ』
「もしかしたら、今日は試練をクリアできねーかもな」
井戸に向かう途中で会った、巫女さんに聞いた話では、
『天の箱舟』のメンバーは、ナルカナの試練に二度失敗して、今は三度目の挑戦らしい。
ちなみ一回目はユーフォリアが時深の作った強化型防衛人形に、行く手を遮られて時間オーバーになり、
二回目はルプトナが道に迷って時間オーバーという結果に終わっている。
その話を聞いたとき、やっぱり失敗したのはあの二人かと思って浩二は苦笑した。
「ん、よしっ!」
パンッと水気を払った上着とカッターを、社の裏にあった物干し竿に干す。
これならば今日の夜の間干しておけば、明日の朝には乾くだろう。
「つーか、俺も神剣の力を使ったときに、服が変わればいいんだけどなぁ……」
浩二以外のメンバーは、永遠神剣の力を使うと、服装が戦闘服へとかわる。
どういう原理になっているのか知らないが変化する。
なので、戦闘になると浩二だけが物部学園の制服そのままで戦う事になるので、服の損傷が激しいのだ。
今までは二着持っていた内の一着を、ベルバルザードとの戦いでダメにしてしまっている。
今度から戦う時は上着を脱ぐのを待っててもらおうかなぁとか考えるが、
待ってくれるヤツなんて、まずいないだろう。
「おい、最弱。俺も戦闘の時は服が変わるとかいうオプションはねーのか?」
『あるわけないやろ。てゆーか、普通の永遠神剣もそんな機能あらへんねん。
あいつ等のが特別なんや。今日子女史も、光陰はんも、ユートはんも……
そりゃもう、一着しかない制服を補修しながら大事に使っておったモンや』
「何で学生服に拘るんだよ……」
『相棒と同じ理由だと思いまっせ。自分では完全に別れを告げたと思っとっても、
やっぱりどこかで故郷とは繋がっていたいんやねん……
異世界の仕立て屋に、学生服をオーダーメイドで作らせたりしてましたからなぁ……』
未練とは違うと思う。けれど、自分もそうなのだから異世界に飛ばされたという
彼等の気持ちがなんとなく解ると思う浩二。
そんな事を考えていると、社の中から慌しい雰囲気が伝わってきた。
「お、どうやら帰ってきたようだな」
『試練をクリアしとるとええなぁ。
もしも皆が三回目も失敗してたら、相棒は明日も布教活動やねん』
「嫌な事を言うなよ……」
しかめ面でそう言った浩二は、手と顔を洗って社の中に戻っていくのだった。
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「……ん、久しぶりに吸う外の空気ね」
望達がナルカナを連れて戻ってきた。黒髪の美女だ。
彼女を見た浩二の第一印象は、ルプトナに良く似ているだった。
並んで立たれて姉妹ですと100人に言ったら、
100人全部が信じるだろうと言うほどに二人は似ていた。
「さ、てと……それじゃあ、希美の救出と理想幹への突入だったわね」
ナルカナの周りでは、何人もの巫女がぱたぱたと忙しく動いており、
彼女の為にお茶を用意したり、扇で風を送ったりしている。
「まず、エトル達により、希美は相克の神名を目覚めさせられてしまったって事だけど……
相克の神名の意味については解ってる?」
「……ああ。俺の浄戒の力の目覚めと共に覚醒し、その神名の持ち主……
すなわち俺を殺す為の神名……だろ?」
望がそう答えると、ナルカナはうんうんと頷く。
「正解。望には後でナルカナバッジをあげるわ」
「そんなモノはどうでもいいから、早く話を進めてくれませんかねぇ~
ナ・ル・カ・ナ・さ―――むぎゅっ!」
ナルカナに毒を吐こうとしたルプトナが、カティマに口を押さえられてもがいている。
ここに来るまでに二人に何があったのかは知らないが、顔は似てるが相性は悪いようだ。
「相克の力は強大で、持ち主の意識を侵食するわ。
希美の精神は、それに抗えなくて乗っ取られてしまったという訳ね。
そこで、このあたしが、寛大なる慈悲の心で救いの手を差し伸べてあげた―――
ここ、重要だから赤ペンでマーカー引いておくように。テストに出るわよ」
どんなテストに出るって言うんだろうと思いながら、とりあえず浩二はメモ用紙にメモしておいた。
一人だけ言うとおりにする浩二に、ナルカナは目を向けると満足そうに頷く。
別に浩二はナルカナの威光とやらに平伏してやっているのではなく、
大事だと言う事にはメモを取るのは半ばクセだった。
「相克に乗っ取られた希美の精神は、このナルカナ様がなんとかしてあげるわ。
理想幹の結界も、ナルカナ様の力があれば破れるわ」
「へーんだ。それだけなら浩二でも、できるもんね―――ふぐっ!」
「ルプトナ!」
今度は沙月に口を塞がれるルプトナ。
さらにカティマに羽交い絞めにされ、じたばたしながらうーうーと唸っていた。
浩二は、何をやっているんだアイツはというような目で見る。
「それで、具体的にはどのように永峰を元に戻し、あの理想幹の壁を破るのだ?」
「え? それは、その……理想幹に言ってバーンッと壁を破り、
ダーッと希美の所まで言って、ちゃちゃっと細工すればオーケー?」
「……いや、オーケー? と俺に聞かれても……
というか、今の説明では何が何やらさっぱり解らないんだが……」
ガーッとか、ダーッとかいう理由で納得してくれるのは、
このメンバーの中ではルプトナぐらいのモノだが、彼女はナルカナとは反りが遭わぬようだ。
なので、結果的に全員から胡散臭そうな視線を向けられる事になるナルカナ。
「だだ、大丈夫だって。私がいれば万事オッケー。
ナルカナ嘘つかない。ジャポニカ。ジャポニカ」
嘘くせぇ。皆がそんな目でナルカナを見る。
「う~~~っ」
ナルカナが、その視線に耐えられずに望の方を見るが、彼さえも瞳でこう語っていた。
―――嘘くせぇ。
「だーーーっ! きしゃーーー! そんな目で見るのは禁止ーーーーっ!
ナルカナ様ができると言ったらできる! それは絶対! 確定事項!
偉い人を馬鹿にしたら天罰がくだるぞーーーー!」
ナルカナ様ご乱心。じたばたと暴れて、床をダンダンと踏む。
もう、威厳もクソも無い。今までやりとりを見ていたサレスが、苦笑と共に口を挟んだ。
「嘘くさいと思ったかもしれないが、確かにナルカナにはその力がある」
皆がサレスの方に視線を向ける。ナルカナのジタバタもそれで止まった。
「第一位永遠神剣『叢雲』の化身の力は伊達では無い。
その力は森羅万丈さえも創生できる力だ。エトルやエデガ―――
自ら神を名乗る者達のような小賢しい力ではなく……
ナルカナの力は、人間が空想の中で神と呼び崇める者が行使する奇跡に等しい」
サレスのフォローに、ナルカナが持ち直し、その通りよと踏ん反り返る。
皆も、サレスがそういうならと、納得したような顔をした。
「それじゃあさ、サレス……希美を元に戻す件と、理想幹の防壁の件はそれでいいけど。
肝心の力の件はどうなるんだ? 話しでは理想幹神を倒す策と、力を授けてくれるって事だったけど……」
望がそうサレスに問いかける。すると、踏ん反り返っていたナルカナが身体を起こした。
「それね。勿論覚えてるわよ。光栄に思いなさい。
貴方達のパーティに、このナルカナ様が加わってあげる。
最強の神剣である私が手を貸してあげるわ」
「……じゃあ、もしかして……策って言うのは……」
「あいつ等が、どんな罠を仕掛けてこようとも、この私がブッ飛ばしてあげるわ」
それは策とは言わない。力押しだ。
そう思いながら、絶はコメカミに手を当て首を振っていた。
「まぁ、安心しろ……今回の戦いには私も同行する。
タリアやソルラスカ。ヤツィータには別任務を与えてしまったので、協力させられんが……
及ばずながら『旅団』から私が加わろう」
「え、ホント!?」
「やったね。望くん。サレスが力を貸してくれるなら百人力よ」
サレスが参戦を申し出ると、沸き立つ『天の箱舟』のメンバー達。
望と沙月は、ぱんぱんと手を叩きあっている。
そんな様子を見ていたナルカナが、再びキレた。
「どーして、この私が力を貸してあげるって言った時は微妙~な反応だったのに、
サレスが力を貸すって言ったらその喜びようなのよーーーーー!
な、な、な! 納得いかなーーーーーい! いかないったら、いかなーーーーーい!」
***********************
翌日。ナルカナとサレスをゲストメンバーに加えた『天の箱舟』は、
写しの世界を旅立つと、理想幹を目指して次元の海をものべーで進んでいた。
「ほらよ。レモネード。今度はもどきじゃなくて本物だぜ?」
「感謝する」
箱舟の休憩室には、向かい合うようにして座る浩二とサレスの姿がある。
部屋で休んでいた浩二を、サレスが少し話さないかと誘いに来たのだ。
浩二も、昨日はうやむやになってしまった為に、まだサレスに聞いていない事があったので、
その誘いに応じた訳である。
「うむ。やはりこれは良いな。私も魔法の世界でおまえに振舞って貰ってから、
同じものを作ろうと何度か挑戦したのだが……
私が作ると、甘すぎるか酸っぱいかのどちらかになってしまう」
料理が出来ないどころか下手なサレスと比べて、自分はできる。
そんな事で勝っても自慢にはならないだろうが、一つでも勝てる部分があるのは嬉しかった。
「おーい。浩二。探したよ……」
そこに、望が走ってやってくる。
浩二が声の方を振り向くと、前に立った望が顔の前でパンッと手を合わせた。
「……ん? 何だ望。藪から棒に……」
「すまん! 嗜好品倉庫の鍵貸してくれっ! ナルカナがポテチ食わせろって聞かなくて」
「……一袋だぞ? 写しの世界で、出雲から米や野菜の補充は受けたけど、
菓子や缶詰の類は、俺がポケットマネーで補充した分しか無いんだからな?」
そう言って鍵を望に渡してやる。
すると望は、すまん感謝するといいながら走り去って行った。
「組織を管理する者として、板についてきたではないか。浩二」
ククッと笑いながら言うサレス。
「よせよ。アンタにそんな風に褒められると、嫌味にしか聞こえねーっての」
「謙遜しなくてもいい。おまえは実際に良くやっている。
このメンバーでコミュニティーを作り……
曲がりなりにも組織として機能しているのは、おまえがいればこそだ」
写しの世界での浩二の様子を、サレスは見ていた。
話しが纏まると、すぐにでも希美を助けに行こうと逸るメンバーを抑えて、
まずは食料と物資の補充が先だと言って、環に大変心苦しいのですがと頭を下げて出雲の食料倉から、
食料及び物資の補充を願い出たのは浩二だ。
その際には、箱舟の倉庫内にあるモノを、古いものを前に、
新しいものを後ろにと、整理整頓して置いている。
希美が抜けた状態なので、食糧管理も浩二が一人でやっているのだ。
そして、自分で作ったと思われる箱舟の管理ノートには、
何が、何処に、どれだけあるというのをきちんと記録していた。
「人は気が逸っていると、後ろの事は忘れがちになる……
しかし、補給なくして戦いはできるモノではない。おまえの目は、きちんとそれを見ている。
それはリーダーには不可欠な部分だ。世刻望は、己に欠けている部分を補ってくれる、
良い副官を持っている」
「俺は、当たり前の事をしてるだけだよ」
「フッ。そういう仕事が当たり前の事―――か。
だからだろうな。あの沙月でさえオマエに頼って、甘えているのは……」
「沙月先輩が俺に甘えてる?」
「ああ。沙月が人の前で崩れるなど、
おまえ達が物部学園と共に行動していた時には無かった事だろう?」
「……確かに、言われてみれば……」
斑鳩沙月という女性は、普通ならば辛さを顔や態度には出さない。
しかし、写しの世界に来る前は望と共に落ち込んだ態度を表に出してしまっている。
今までの沙月であったならば、こんな時こそ自分がしっかりせねばと、
無理して明るく振舞い、毅然とした態度を示しただろうが、実際はあのように崩れた。
それは、無意識の内に自分が崩れても大丈夫だという想いがあったからであろう。
「オマエは崩れない。どんな事があっても、屹立して立っている。
組織には、そういう人間が一人は必要だ。本来ならば、それはリーダーの役目なのだろうが、
世刻望は感情で強くなり、弱くなるタイプだからそれは出来ない……
永峰希美が攫われた時、オマエまでも崩れていたら、この寄り合い集団は総崩れになっていただろう。
暁絶の話や、ナルカナからの呼びかけがあったのは、ただの僥倖に過ぎん」
一度、完全に崩れてしまった組織を立て直すのに、どれ程の苦労を要するかをサレスは知っている。
しかし、一人でも踏ん張って、完全に転ぶのを支えてくれる者がいれば、
それを軸として踏ん張り、体制を立て直す事は難しい事ではないのだ。
故に、組織のリーダーたる者は転んではいけない。
石に蹴躓いても、突風に煽られても、転ばぬように踏ん張らねばならない。
それがサレスの言うリーダーたる者の条件であった。
「そう言うモンかねぇ?」
浩二は、倒れても再び立ち上がれると思っている。
倒れてはならぬというサレスと、倒れてもすぐに立ち上がれると言う浩二。
この辺が、二人の意見の違いであるが、二人ともお互いの意見を間違いだとは思わなかった。
「まぁ、それはいい。それよりも、おまえに話しておかねばならぬ事だが……
ナルカナがおまえ達の行動を全部見通していた事についてだ」
「ああ。それ、それずっと聞きたかったんだよ」
「結論から言おう。それはログを読んだからだ」
そう言って、サレスはログとは何かを説明し始める。
―――ログ。
それは、この時間樹で起こった全ての現象を記録した世界記録。
何処の世界で何があった。誰が何をしたかという行動の全てが記されたモノ。
それが理想幹の中にあるログ領域という場所に記されており、
ログ領域の中に入れば、理想幹神はそれらの情報を見ることができるというのだ。
「それじゃ、俺らの情報は筒抜けって事じゃねーか!」
「そうなるな。だが、ログ領域には理想幹神といえども、そう簡単に何度も入れるモノではない。
ログ領域の膨大な情報量の前に、自らを司る情報が飲み込まれる危険性があるのだからな」
「未来は見えないんだな?」
「ああ。あそこに記されるのは過去の記録だ。
しかし、過去の情報を閲覧すれば、相手がどんな人間で、どんな行動を起こすのかは予想できる。
そこを上手く利用してやれば、相手を思いのままに動かす事は容易いだろうな……」
つまり、暁絶は前世であるルツルジの性格を元に分析され、
どのようにすれば、現世の彼が世刻望の浄戒を狙うようになるかを考え、誘導したのだ。
「うへ、プライバシーの侵害どころの騒ぎじゃねーな。ソレ」
「そして、そのログ領域を閲覧する力をナルカナも持っている。
それも、理想幹神のように、直接ログ領域に入らずとも……何処からでもログを覗ける程の力をな。
故に、彼女はおまえ達の行動を知っていたのだ」
「はぁ……なるほどね……」
浩二が溜息混じりに頷く。行動を全て読まれるなんてあんまりだと。
これでは、マージャンで自分は牌をフルオープンにして挑むようなものだ。
勝つにはよっぽどの運に恵まれ、最初から素晴らしい牌が揃い、
自力でツモしなければ勝てないという、アカギでも勝つの無理なんじゃねーのという状況だった。
「ただ……」
「ん?」
「ただ、おまえとユーフォリアの行動はログに記されていない」
「え? 何で……」
「おまえの場合は、その神剣の力だろうな。
ナルカナに調べてもらった所、おまえの情報は二年以上前ならば記されている。
それが、ある日から見えなくなったのは―――」
「ああ。俺が『最弱』と契約したからか……」
世の理不尽全てに抗う反永遠神剣は、世界に行動を記録されるなどという理不尽を否定する。
それは『最弱』自身だけではなく、そのマスターにも力は及んでいた。
「じゃあ、ユーフォリアは何で?」
「彼女は、この時間樹の外からきた存在だからだろう。
ログ領域に記される記録は、時間樹の中に住む者の記録だけだ」
「なるほど……俺とユーフォリアだけがイレギュラーなのか……」
そう呟き、浩二は考えを巡らせる。
勝てる策を、このイレギュラーであるという利点を利用して、勝利を引き込めないかと考える。
「……二対二……これなら数の上では互角……いや、でもなぁ……」
そして、一つの策を思いついた。
けれど、この賭けは分が悪いのでは無かろうかと思う浩二。
浩二の顔を見ていたサレスが笑った。
「私達が正面から挑み、陽動をかけ……浄戒を狙ってくるだろうファイム……
いや、永峰希美を誘き出す。行動を読まれる事の無いオマエと、ユーフォリアがその隙に強襲。
裏で手を引く理想幹神の手を封じる。その間に、おびき寄せた永峰希美をナルカナに元に戻させ、
合流の後に理想幹神を殲滅。おまえが今考えたことは、そんな所じゃないか?」
「……あっさりと策を見破るなよ……自信なくすから……」
「悪くない作戦だと思うぞ。もっとも、オマエとユーフォリアが、
あっさりとあの二人に敗れ去ったら、敗北は必死だがな」
「俺があのスットコドッコイと、オタンコナスに負けるとでも?」
『そうやで。鼻から牛乳の試練に比べたら、大したこっちゃないねん』
「―――っ!」
―――ビターン!
『へぶっ!』
余計な事を言う自分の神剣を、地面に叩きつける浩二。
「……鼻から牛乳?」
「いや、なんでもない、気にするな」
「そうか……まぁ、おまえがそう言うならそうするが……
まぁ、賭けの部分はあるが、その作戦が現状で採れる最上の策だろう」
「いや、だから口に出して言うなって。
これがログに記録されたらどうするんだよ」
「―――フッ。流石に言葉の一つ一つまではログに残らんさ。
おまえたちの世界の歴史の本にも、誰が何をしたかという行動は記されていても、
誰がその時に何と喋ったかまでは載ってないだろう?」
そう言って、サレスは笑う。
「そうか。流石にそこまでは無いか……なら一安心だな」
「このコミュニティーの強みは、オマエとユーフォリアというイレギュラーだ。
そして、世刻望の本当の強さは……浄戒の力などではなく、
おまえ達のようなマスターを仲間に出来た、強運にあるのかもしれんな……」
旅団と言う組織を立ち上げ、理想幹神の野望を挫かんとしたサレス。
しかし、それはついに叶わず、ぱっと出の『天の箱舟』なる集団によって成されようとしている。
自分が作った『旅団』では直接に理想幹神を叩けなかったが、
『天の箱舟』なる組織を立ち上げる切っ掛けになったのは『旅団』があればこそである。
運命とは、得てしてそういうモノなのかもしぬなとサレスは思った。
『新しい……風が吹き始めている……エトル、エデガ………
……我等の様に、過去に捕らわれたままの者は……
そろそろ舞台から退場するべきなのかもしれんな……」