「はぁ、はぁ……ふぅ……」
理想幹神エトルはボロボロだった。命からがら逃げてきたが、
手勢のミニオンは全て撃破され、ファイムまでも取り返される大敗北を喫したのである。
絶に『暁天』で斬りおとされた手は、魔法で何とか止血した。
ダメージも随分と受けたが、致命傷を受けてはいない。
「今は、仮初の勝利に浮かれているがよい……」
自分はサレスやジルオルに負けた。それは認めよう。奴等は強い。それも認める。
だが、自分は生きている。ナル化存在となったエデガは倒されたが、
この北天神エトル・ガバナは生きている。
「だが、まだ我は完全には負けておらぬ……
ひとまずは、ログ領域に身を隠し……態勢を立て直しさえすれば……」
対ジルオルの切り札。相克の女神ファイムは取り換えされたが、まだ自分にはナル化マナがある。
幾百星霜の年月をかけて研究し、まだ完璧とはいかぬが、実用の目処がたった……
対創造神エト・カ・リファの切り札―――ナル化マナを操る力が。
ナル化マナ―――
それは、世界を創生するマナにとっては相克である、エネルギー『ナル』に成りつつあるマナの事。
ナルとは、例えるならマナを食らう負のマナ。マナを侵食し、ナルに変えてしまうのである。
すなわち、身体がマナで出来ている永遠神剣マスターにとっては猛毒のようなモノだった。
マナ存在は、ナル化マナに体を犯されると、先のエトルのように漆黒の闇に体を飲まれ、
ナル化存在という、永遠神剣マスターとは似て異なる存在に変貌してしまう。
例えるなら、ドラキュラに血を吸われて吸血鬼になるようなモノだ。
ドラキュラに血を吸われた人間が、吸血鬼になると身体能力が増すように、
ナルに身体を蝕まれたマナ存在は、ナル化存在となり、身体能力を増す。
故に、このナル化マナを操る力が完全に制御できるようになれば、
エトルは、次々とナル化存在を増やし、マナ存在である永遠神剣マスターにとって天敵たりえる、
ナル化存在の軍団を作る事も可能なのである。まだ逆転の目はあるのだ。
「はぁ、はぁ……」
エトルは、重症を負った体を引きずり、なんとか理想幹中枢の前まで辿り着いた。
ここにはログ領域がある。この中に身を隠しさえすれば、望達は追って来れない。
何故なら、何の修練もしてない存在がこの中に入ってこれば、世界中の全てが記された、
ログ領域の膨大な情報量に飲み込まれ、たちまち自己を失ってしまうからだ。
このログ領域の中で、自己を保つための修練を重ねたエトルでさえも、そう長い間はこの中に居られない。
世界記録という情報の海は伊達では無いのだ。
「ここまで、来れば……」
そして、エトルは辿り着いた。望やサレス達に追いつかれ、止めを刺されるよりも早く、
自分の城であるログ領域の入り口のすぐ傍までやってきたのだ。
まだ、運は自分にある。王者の強運だ。神である自分が天に見放されるなどある筈がないのだ。
そんな事を思いながら、エトルは一歩ずつ歩いていく。しかし―――
「残念ね。貴方が行く所はここじゃなくて地獄よ」
滅びの運命を乗り越えた死神の鎌が、光弾となってエトルの胸を貫いた。
「―――ゴフッ!」
吐血して膝をつくエトルの頭は混乱していた。
何が起こった。何をされた。どうして自分は血を吐き、膝をついている。
それよりも、何よりも。あの声は誰だ―――
「お久しぶりね」
「エヴォ……リ……ア」
声の主は、異国の装束を纏った少女であった。
腕輪型の永遠神剣『雷火』をシャランと鳴らしつつ、ゆっくりとこちらに歩いてきている。
「何故……」
「その何故は、どうして私が生きているのか聞いてるのかしら?
それとも、ココにいる理由? もしかしたら、どうして殺されるのか?
フフッ―――心当たりがありすぎて解らないわね」
くすくすと、口元を押さえて笑う。
その仕草や口調は、間違える事無くエヴォリアだ。
彼女の中に巣食っていた南天神のモノではない。
「全部……答えろ。何故だ―――」
「あら? 私が貴方に顎で扱き使われていた時……
貴方が聞きたい事に全部答えてくれた事ってあったかしら?」
「―――くっ!」
端から血が滴る唇を噛むエトル。
「奴隷風情が―――ッ!」
血を吐きながら叫ぶエトル。
そして、自分の神剣『栄耀』をかかげて魔法を放つ。
「ハッ―――!」
しかし、その魔法は、エヴォリアが展開した魔法障壁にあっさりと防がれた。
「理想幹神とはいえ、死に損ないの魔法なんて効くものですか」
「……くっ、むぅ……」
唸るエトル。しかし、彼は実力行使による突破は無理であると悟ると、すぐに懐柔策に切り替える。
「……ま、まて……取引だ。我をここで治療し、見逃してくれたなら……
その恩は忘れぬ。オマエの世界には一切の手出しをせぬ事を誓う。
……それに、おぬしの中に巣食っていた南天神の怨念を追い出すのにも協力する」
「フフッ。取引になってないわよソレ。
私の世界に手を出さないなんて、口約束よりも……
ココで貴方を消滅させる方が確実なんじゃないかしら?」
「ならば、身体に巣食う南天神の怨念を払う方はどうなのだ?
お主とて、いつまでもそんなモノに取り付かれていたくなかろう。我が協力すれば―――」
「プッ―――ハハッ。アハハハハハハハ!!!
フフフ……あーおかしい。あんまり笑わせないでよ……
ねぇ? エトル。そのモウロクした瞳じゃ解らないかしら?
私の背中に、南天神の怨念の影なんて……見える?」
大笑いした後に、くすくすと微笑を浮かべながら言うエヴォリアに、
エトルはくっと大きく目を見開いた。今までずっと、彼女の影に巣食っていた南天神の思念が、
何をどうやったのか、綺麗さっぱりと消えていたからだ。こんな事ができるのは―――
「まさか、ジルオルか! 彼奴の浄戒の力で……」
「やっぱり、そう思うでしょうね……普通は」
普通は、こんな事ができるのは浄戒の神名しかない。
もしも、自分がエトルの立場ならばそう思っていただろう。
だが、エヴォリアの運命を変えたのは浄戒という神の力なんかではない。
反永遠神剣―――
運命という名の絶対を否定するヒトのツルギ。
エヴォリア自身は、その事を知らずに、不可思議な力を持つ永遠神剣モドキだと思っているのだが、
彼女の運命を否定してみせたのは、斉藤浩二という少年の持つ反永遠神剣の力である。
だが今は、真相などよりも大事なのは結果。
理由はどうあれ、自分は南天神の呪縛から放たれてココにいるのだ。
「今になって思えば……私や貴方が敗北した原因の一つは、
破壊神ジルオルばかりに目を取られ、他を軽視した事ね……
ジルオルばかりをマークしてて、あんなジョーカーみたいなヤツを見落としていたんだもの」
剣の世界で出会った少年。傍目には微弱な力の永遠神剣モドキをもっているだけの、
普通ならば、誰も歯牙にかける事さえ無かっただろう斉藤浩二という少年を見て、
何かがあるのでは? と目をつけた自分の眼力は、誇ってもいいだろう。
でも、その『何か』までは見抜けずに、網から逃してしまった。
結果から言えば、ダラバよりも彼の方を全力で味方に引き込むべきだったのだ。
あの時そうしていれば、たぶん仲間にできただろう。
たとえ、仲間にはできずとも、味方として近い位置に立たせる事はできた。
何故ならあの時、斉藤浩二なる少年は何処にも立っておらず、
自分の居る場所はココなのだろうかと迷ってさえ居たからだ。
けれど、結局はモノのついでぐらいの誘いしかせずに、
その後はアプローチをかけず、結果として『旅団』の側に走らせてしまった。
完全に『旅団』の一員とはならずとも、そちらに近い方に立たせてしまったのだ。
「……まぁ、今言った所で詮無き事ね……」
もう斉藤浩二は世刻望の側に立つ事を選んでしまったのだから。
それに、今となってはどうでもいい事だ。
どんな経緯であれ、理由であれ、今まで自分の人生を弄んだ怨敵に、
こうして止めを刺す機会が自分に与えられたのだから。
「死になさい―――理想幹神」
永遠神剣『雷火』に力を籠める。このままにしておいてもエトルは死ぬだろうが、
この老人は、完全に息の根を止めるまでは安心できない。
エヴォリアは、神剣魔法で完全に消滅させるつもりだった。
「……我が命運尽きたか……」
エトルは、ぽつりと呟く。エヴォリアに胸を貫かれたのはまずかった。
いかにエトルの神剣『栄耀』が第四位の力を持つ強力な永遠神剣であろうとも、
マナが尽き果てようとしている今、これ程の傷を負ってはもうどうしようもない。
「だが―――ッ」
しかし。タダで死んでなるモノかと、その目が危険な色を灯す。
エトルは最後の力を振り絞って空間跳躍をする。
「うそっ、まだそんな力が!」
気配を追って、エヴォリアは振り返り様に魔法を放つが、
その時には、エトルはログ領域の中に身を隠していた。
「しまった!」
痛恨のミス。慌ててエヴォリアもログ領域の中に飛び込む。
エトルほどではないが、強い意志を持つ永遠神剣のマスターならば、
ログ領域の中でも5~10分ぐらいは自我を保っていられる。
事実。エヴォリアは、浩二達が理想幹神と戦っている間に、そうやって希美の相克を解除したのだから。
「エトル!」
ログ領域の中に飛び込むと、血塗れのエトルが狂ったように笑っていた。
「くくっ―――ハハハ……ゴボッ―――死なん……ただでは死なんぞ……っ
我滅ぶならば、貴様達も全員道連れよ!」
「自爆!?」
自身のマナを暴走させ、全身を光らせているエトル。
コイツは、どこまで性根が腐っているのだとエヴォリアは舌打ちした。
エトルの周りには暴風のような風が吹き荒れている。
「ハッ!」
エヴォリアは光弾を放つのだが、それはエトルを中心に巻き起こる風が弾き飛ばしてしまう。
それは、精霊の世界に自分達が設置したマナの嵐を連想させた。
「飲まれよ! 情報の大波に、ハハハ! ヒハ―――イヒヒヒ!
イヒャハハハハハハハ!!! アヒヒイイイイイイイイイ!」
最早言葉になっていない絶叫と共に、爆発するエトル。
エヴォリアは、全力でログ領域から飛び出した。
そして、サッと身を翻すと出口に向かって魔法障壁を展開する。
「くっ、やっぱり私の魔法じゃ蓋はできないか……」
ひび割れした箇所からは、黒い光が溢れ出てきている。
魔法障壁はよく持って1~2分だろう。
それまでに、この理想幹から逃げ出さねば、マナの渦に飲まれてしまう。
「―――っ!」
しかし、自分がやってきた精霊回廊に向かおうとした所で、浩二の顔が思い浮かんだ。
知らせてやる筋合いなど無い。彼とは仲間でも何でも無いのだから。
そうやって頭に浮かんだ浩二の顔を振り払うと、次には何故かベルバルザードの顔が思い浮かぶ。
彼は、浩二を高く買っていた。
そして、最後に何を考えたのか判らないが、自分の事を託して消えていったと言う。
『頼まれたからだよ―――敵と書いてトモと呼ぶ男に』
それと同時に、思い出してしまうその言葉。
彼は、斉藤浩二は……自分が唯一信頼していたベルバルザードの友だ。
「それに……借りを作っておくのは、私の主義じゃないしね」
甘いと思う。いや、甘くなったと言うべきか。
彼等が敵であった事には変わりないのに、本当ならここでエトルと一緒に死んでくれるなら、
それがベストである筈なのにと思いながら、
最後に確認した浩二達の場所へとエヴォリアは走るのだった。
*********************
「な、おい! 何か揺れてねぇ?」
斉藤浩二は、顔をあげて言った。
理想幹を揺らす振動にはサレスも気づいてたようで、辺りを見回している。
「斉藤浩二!」
そこに、異国の装束を纏った少女が浩二の名前を呼びながら駆け寄ってきた。
「エヴォリア?」
「エヴォリアだと!?」
サレスが神剣を手元に出現させると、ナルカナがその手をびしっと叩く。
「何をする!」
「敵意は無いみたいよ」
「なに」
息を切らせながら三人の前に立ったエヴォリアは、ナルカナの言葉を肯定するように、
永遠神剣を出現させていなかった。
「あれ? え? 何でオマエがここに……」
「エトルがログ領域の中で自爆したわ。
もうすぐ、この理想幹はログ領域から溢れ出す黒いマナに満たされる。
だから、貴方達も逃げなさい! 早く!」
「はぁ?」
慌てた様子のエヴォリアの、要点だけを抑えた説明に浩二は怪訝な顔をするが、
サレスはそれで全てを察したらしく、空に向かって魔法を放つ。
「世刻望達に倒されたオマエが、今も生きており……
何の魂胆があって我等にソレを知らせるかは解らないが、今は信じよう」
「今は―――ね。賢明な判断だわ」
緊急招集の為の魔法を空に放ったサレスは、油断の無い瞳でエヴォリアを一瞥する。
そんなサレスに、エヴォリアは苦笑をうかべた。
そして、詳しいことはよく解らないが、とにかく今がヤバイ状況で、
理想幹から逃げ出さねばならい事だけは理解した浩二が、エヴォリアをじっと見つめる。
その視線に気づいたエヴォリアは、浩二の方に視線を向けた。
「助けた借りを返しにきてくれたのか?」
「ま、そんな所ね。それじゃ、私は行くわ」
短く答えてエヴォリアは身を翻す。
「待て!」
「……何?」
その背中に、浩二は叫んだ、エヴォリアは背中を向けたまま止まるが、振り返らない。
「オマエも……来ないか? 俺達と―――」
「……何で?」
「何となく」
「―――ブッ」
エヴォリアは一度だけ噴いて空を見る。
そして、小さく笑う。ホントにこの男はどうしてこう―――自分の調子を狂わせるのだと。
少しだけ、そうやって笑うと顔を下ろしてゆっくりと振り向いた。
「素敵な理由のお誘いだけど、遠慮させてもらうわ。
それじゃ。もう会うことも無いかもだけど」
微かな笑みと共にそう答え、エヴォリアは神剣の肉体強化を行って駆け去っていく。
浩二は、小さくなっていくその背中を見つめながら苦笑を浮かべていた。
『なぁ、相棒……いくらなんでも、何となくは無いやろ。なんとなくは』
「仕方ねーだろ。それしか理由が無いんだから」
『……嘘でもいいから、キミの事が好きだからぐらい言わんかい!』
「あーもー! うるせーなオマエは!」
浩二が『最弱』と、そんな馬鹿らしい掛け合いをしていると、
自分達の方でも異変を感じていたらしい望達が、駆け戻ってくる。
サレスが簡単に状況を説明すると『天の箱舟』のメンバー達は、
ものべーに向かって駆け込み、理想幹から緊急脱出するのであった。
********************
「一息つく暇さえありゃしねーな」
浩二は、うんざりしたように言いながらベッドに飛び込んだ。
「箱舟」の中に駆け戻り、ものべーを発信させると、すぐに写しの世界の時深から連絡が入った。
どうやら彼女の持つ永遠神剣は、時間樹の中にいるなら何処とでも念話を行えるらしく、
箱舟の中に戻った全員の心の中に話しかけてきたのである。
もっとも、全員といっても浩二を除いての事であるが―――
箱舟に戻るや否や、自分を除いて全員があれ? とか何これ? とか言い出した時には、
一人だけ事情が飲み込めない浩二は思いっきり怪訝な顔をしていたが、
事情を察した『最弱』が、ああとか叫ぶと浩二にも時深の声が聞こえてきた。
どうやら、反永遠神剣の力が外部からの干渉を妨害していたらしい。
『最弱』はそれを察したので、一時的に力を抑えたのだそうだ。
そして、時深の話を聞くと、どうやら出雲に謎の敵が現れたらしい。
ミニオンとは比べ物にならない戦闘能力の集団と巨人が、雪崩を打って攻めてきており、
今は時深と出雲の防衛人形が何とか食い止めているのだそうだ。
倉橋時深はエターナルでも指折りの実力者である。
いかにその敵が強かろうが、自由に動き回り力を発揮できれば一人で殲滅できる力を持っている。
しかし、防衛戦となると自由に動き回る事も出来ず、難儀しているそうだ。
故にこうして、救援を求めてきた訳である。
『相棒。休んどき。写しの世界に戻ったら、恐らくすぐに戦闘やねん』
「わかってる。シャワーを浴びたら缶詰でも腹に押し込んで寝るよ」
浩二は起き上がり、自室のシャワー室に入っていく。
ボロボロの制服を籠に放り込み、裸になると頭からシャワーの湯を浴びる。
そして、目を閉じながら状況を整理してみる事にした。
まずは、写しの世界に戻って謎の敵とやらを撃退。
ログ領域から溢れ出したマナの嵐は、サレスによれば二~三日ぐらいしたら収まるそうなので、
その後にもう一度調査するのだそうだ。もっとも、エヴォリアの話を信じるならばエトルは自爆して
果てたそうなので、調査ぐらいならば『旅団』と『出雲』がするだろう。
「つか、何でエヴォリアは理想幹にいたんだ……」
口に出して呟くが、考察として一番有力なのは、絶の世界で自分達に敗北した後、
何らかの事情ないし、考えがあって理想幹神や南天神から離反したというモノだ。
事情は解らない。けれど、エヴォリアの離反の理由が『光をもたらすもの』の壊滅と同時に、
理想幹神には用済みとみなされて、あれだけ必死に護ろうとした故郷を破壊された
復讐とかでなければいいけどと思った。
「みんなで守れ。時間樹の平和……ってね………」
手早く頭と身体を洗い流し、水気を拭いて部屋着に着替える。
それから部屋の棚にいれてある非常食の缶詰をあけると、手早く食べてベッドに寝転がる。
手元にあるリモコンで明かりを落として目を閉じた。
ものべーの所有権は望から、再び希美に返された。
彼女がものべーを全力で走らせれば一日もあれば写しの世界に戻れるらしい。
その間は時深に踏ん張ってもらうしかない。そんな事を思いながら、浩二は眠りにつくのだった。
*********************
理想幹より、エヴォリアと『天の箱舟』が退去して暫しの時が流れた後。
彼等と入れ替わるように、この地に足を踏み入れた一人の女の姿があった。
マナの嵐は収まっていたが、まだマナ濃度が高く、
マナ存在であるならば倒れてもおかしくない理想幹の中を、女はまるで気にした風でもなく歩く。
全身を覆う白いマントの下は裸。
唯一、女性器の部分だけは飾りで隠しているが、他の部分は惜しげもなく晒している。
頭まですっぽりと被ったマントからは、歩くたびに赤く長い髪が見え隠れしている。
白い肌。整った顔。つまる所―――美女である。
もしも彼女が道を歩いていれば、それを見たのが男であるならば足を止めるだろう。
それが裸であるのだから、女でも立ち止まる。
しかし、ここは主を無くした世界。
植物と言う生命はあれども、生物はいない場所。
故に、彼女を見て立ち止まる者はなく、声をかける存在も居ない。
女は文字どうり、無人の世界を軽い足取りであるいていく。
そして、目的のモノがある場所に辿り着くと、端正な顔を綻ばせて微笑した。
「―――フフッ。悪くないわ」
目的のモノの味は悪くなかった。惜しむべきは、これが食べかすである事だろうと思う。
大気中に溶けてしまった残り物でさえこの味ならば、
丸ごと食べることができた時には、どれほどの至福であろうかと目を閉じた。
「もうっ、私が来るまでパーティをやっててくれれば良かったのに」
女にとって、全ての存在は食料である。
いや、それどころか全てのエネルギーが食料である。
彼女は飢えている。いつも飢えている。
全てを自分の中に納めねば、この空腹は満たされないから食べ続ける。
ログ領域からは、勢いこそ弱くなっているもの、まだマナが零れ続けているのだが、
それらは全て彼女が全て取り込んでいた。
それでも足りない。全然足りない。もっと欲しい。
悔しい。もっと早くココに辿り着いていられたら、ゴチソウが沢山あったのに。
そんな事を思いながら、彼女はマナを吸収し続ける。
すると、しばらくして天が裂けて穴が開いた。
穴からは巨大な何かがぞくぞくと降りてきている。
巨大な何かは、人の形をしていた。
肩から繋がっている二つの腕は、地に着くぐらいに長い換わりに、
足の先端が細いというアンバランスな形ではあるが、そのシルエットは人型である。
天の裂け目より現れた巨人は、全員がとある方向に向かっていた。
「ハハッ。あはははは。あははははは!」
女は笑う。巨人の外見が趣味の悪い土偶みたいな形だからという嘲笑ではない。
「意地悪ね。あんなのが後から来るのなら、言ってくれれば良かったのに―――」
その笑みは歓喜の笑み。端正な口元をニッと吊り上げ、恍惚の表情を浮かべている。
巨人の数は10体を越えている。それに対して女は一人だ。
傍から見れば、戦いになどなる訳がないと判断するだろう。
だが、彼女は巨人と戦うつもりなど更々無かった。
巨人を見て抱いた感想はただ一つ『とても美味しそう』それだけである。
見た目には圧倒的な大きさと存在感を放つ異形の巨人も、
彼女にとっては捕食する食料にしか過ぎないのだ。
―――食料を食べるという行為は戦うとは言わない。
「―――フフッ」
微笑と共に、彼女は大地を蹴る。駆け出す速さは音速の域に達している。
途中には瓦礫などの障害物や遮蔽物が沢山あったが、
そんなモノは彼女が足を止めたり、方向を変える理由にはならない。
そのままぶつかり、破壊しながら獲物へと続く最短距離を走っていく。
「ゴガッ……ギギギ……」
巨人は、近づいてくる大きな力に歩みを止めて振り返った。
そして、それを敵であると認識して、腕からレーザーのような光を放つ。
だが、全てを焼き払うようなレーザーが、近づいてくる大きな力―――
すなわち赤い髪の裸の女を捕らえたと思った瞬間には、その姿は消えている。
「あははは」
次の瞬間には、一体の巨人の肩の上に笑い声と共に立っていた。
「いただきます」
そして、その言葉の後には巨人は崩れ落ちるように倒れる。
ズウンという轟音と共に、巻きあがる砂煙。女の体もそれに隠れてしまう。
風が吹き、砂埃が吹き飛ばされて視界が晴れると、そこには女だけがたっていた。
巨人の姿は―――無い。
跡形も無く消えていたのだ。
立ち尽くす女の傍からは、ゴリッ、ゴリッと何かを砕くような音が聞こえている。
それは、動物に人間が硬いものを噛み砕くような音に似ていた。
「ん、美味しい」
花が咲いたように満面の笑みを見せる女。だが、その口は動いていない。
しかし周りからは、相変わらずゴリッ、ゴリッと音が鳴っている。
別の巨人が、女に向かって巨岩のような拳を振り下ろした。再び舞い上がる砂煙。
「あん♪ 慌てなくても全部食べてあげるわよ」
歌うようにそんな事を言う女は、拳を振り下ろした巨人の頭の上に立っていた。
そして、音が聞こえる。
―――ゴリッ。
その音と共にバランスを崩したように倒れる巨人。
その足は、何かに削り取られたように消えていた。
「あははは、あっはははははは! いらっしゃい。
ぜんぶ、ぜんぶ、ぜーんぶ。いらっしゃいな―――」
女は笑う。満面の笑みで。
巨人がどんな攻撃を繰り出そうとも、それを踊るように避けながら。
一体、二体、三体。次々と消えていく巨人。
「アッハ―――ハハハ、アハハハハ!!!」
空の裂け目より現れた巨人がすべて捕食されると、
女は嬉しくて堪らないと言う様に笑い続けるのだった。
しかし、ひとしきり笑い続けると、ポツリと小さな声で呟く。
「………お腹……すいた」
足りない。足りない。足りない―――全然足りない。まるで足りない。
自分の欲求を満たすには、あの程度では全然足りなさ過ぎる。
しかし、見たところ、もうココには自分の欲求を満たしてくれるモノは無いだろう。
「……はぁ」
女は、一つ溜息を吐くと、お腹を押さえて理想幹を後にするのだった。