「終わった……な」
イャガの気配が完全に消滅したのを確認すると、
望がポツリと呟き、浩二と沙月とユーフォリアは顔を見合わせる。
「……ああ」
「そうね……」
「そう、ですね……これで……」
見合わせると同時に笑みを浮かべる少年と少女達。
ニッと笑いあうと、叫びながら神剣を放り投げるのだった。
「いいいいやっほーーーーーーーう!」
「よっしゃああああああ! どうだ、コノヤロウ! ザマーミロ!」
「勝ったわ! 勝ったわよ! みんなーーー!」
「私達の勝ちですーーーーーーっ!」
投げられた神剣はやがて落下して行き地面にドスッ、ドスッと突き刺さる。
それからみんなで手を叩いて喜び合った。
『ちょっ、何あたしを捨ててるのよ! 望!』
『マスター……このわたくしを放り出すなんて……』
放り投げられた『叢雲』と『反逆』が機嫌を悪くしているが、やはり声はどこか弾んでいる。
少年達の戦いは、一先ずの終わりを告げた。
物部学園の校庭から始まった戦いは、やがて幾多もの分枝世界へと場を移し、
世界の中心理想幹をへて、始まりの地で終わりを迎えるのだった。
大いなる永遠神剣の名の下に始まった、少年達の物語……
その幕が、今……静かに下りようとしていた―――
**********************************
運命に導かれし者達と、運命に抗う少年の手によって時間樹は救われた。
ヒトの形に戻ったナルカナが原初からログを操作すると、
時間樹を初期化させようとしていたプログラムが止まり、世界に平穏が訪れる。
少年達は、ひとしきり騒いだ後は地面に腰を下ろして無言でいた。
『天の箱舟』は、長い航海を経て終着点に辿り着いたのだ。
一つの船に乗り、一つの目的地を目指して進み続けた彼らも、
船から下りれば別の道に向かって歩き出すのが定め。
彼等は心を通じ合わせた仲間である事は間違いないが、
生涯を共にするパートナーではないのだから。
「……さて、それじゃ写しの世界に戻るとするか。
今なら精霊回廊を開けるのだろう? ナルカナ」
「ええ」
それでも、別れはまだ先であろう。もう少しだけ、自分達の道は重なっている。
浩二がそう思って立ち上がると、ユーフォリアが立ち上がって首を振った。
「……あの、おにーさん……それに、皆さん……名残は尽きませんけど……
私は、ここでお別れです……任務が終わりましたから………」
「……任務?」
ユーフォリアの言葉に沙月が不思議そうな顔をする。
そう言えば、まだ皆はユーフォリアに記憶が戻った事を知らないのだなと、
浩二が要約して沙月と望に話してやる。
「……そっか、そう言う事だったのか……」
「……あの、ごめんなさい。騙すような形になってしまって……」
そう言って申し訳なさそうな顔をするユーフォリアに、望は静かに首を横に振る。
「こっちも、ユーフィーが居てくれて助かった」
「でも……」
「経緯はどうあれ、俺達は仲間だろう?」
望の言葉に沙月と、人型に戻ったナルカナが頷いている。
「……ありがとうございます……
―――私、皆の事……絶対に忘れません―――」
万感の想いを乗せて言うユーフォリア。
浩二は、そんな彼女の頭の上にポンと手を置いた。
「一人で帰れるのか?」
「むっ、子供じゃないんですよ」
からかう浩二と、むくれるユーフォリア。こんなやり取りをするのも、もう最後。
浩二は、ユーフォリアの頭の上に置いた手で優しく撫でてやる。
「いい女になれよ。テメーコノヤロー」
「……もちろん―――ですよ」
その、二度と触れられる事の無い温もりに、ユーフォリアは泣きたくなった。
ついて来てくださいという言葉が喉まで出掛かっている。
だが、それを口に出してしまえば浩二は困った顔をするだろう。
「…………」
望達は、その様子を複雑そうな顔で見ていた。
人懐っこくて明るい彼女は、誰にも愛されて可愛がられていたが、
何だかんだで彼女が一番懐いていたのは斉藤浩二という少年なのだから。
「望さん。沙月さん。ナルカナさん……お世話になりました」
「ユーフィー……」
「……ええ。貴方に会えて良かったわ」
「ナルカナ様の事。忘れるんじゃないわよ」
ぺこりと頭を下げるユーフォリア。
そして、浩二の方に向き直ると、彼の隣に立つ少女に頭を下げる。
「……おにーさんの事、お願いします」
「……ええ。わかりましたわ」
二人の少女は手を握り合う。
そして、最後にもう一度だけ浩二の顔を見た。
「私……忘れません。おにーさんから頼まれた事。
過ごした時間。共に戦った日々を……」
「ああ。俺も忘れんよ」
「……あの」
「ん?」
「いつか、また……会えますよね?」
「それは―――」
浩二は、ユーフォリアにもう会わないほうがいいと言った筈だった。
それでも、あえて彼女がそう言った事に浩二は驚くが、
ユーフォリアが服の裾を掴みながら涙を堪えてる事に気がついて、強張った顔を元に戻した。
―――自分達は、もう会わない方がいい。
それは互いに間違いない事なのだが、泣きそうな顔をしている彼女を跳ね除けれる程に自分は強くない。
生きていれば人間必ず捨てられないモノができてくる。
始めのころは、何者にも縛られず、重いモノを背負いたくないと嘯いていたものだが……
望やユーフォリア達は、もう自分にとって特別な存在になっているのだから。
「……ああ。そうだな……」
だから浩二は笑顔を作った。そして、彼女の頭にもう一度手を置いて撫でる。
「きっと……また、会えるさ……」
そう言って、斉藤浩二はユーフォリアが差し出した地獄へ誘う契約書にサインした。
エターナルとの再会を約束すると言う事は、神剣宇宙にいつかは飛び出す事である。
本音を言ってしまえば、浩二は永遠神剣にこれ以上関わりたくは無いのだ。
彼の目指す夢は、戦とは反対に位置するものなのだから。
「―――はいっ!」
しかし、こんな向日葵のような笑顔を向けられると、
この悠久の少女が自分を必要とした時、もう一度ぐらいは舞台に上がってやろうと思ってしまう。
それはおそらく、現世ではないだろう。来世かもしれない。また次の世かもしれない。
もしも、自分の魂が永遠に続く、転生と言う名の輪廻にあるのなら、
現世では世刻望のバカヤロウな理想を叶える手伝いをしたように……
成長したユーフォリアが、望のようにバカヤロウな理想を掲げた時は、
俺がその理想に筋道をたてて形にしてやろう。
ユーフォリアの為の組織を作ってやるのも悪くは無い。
世刻望が持っているような、自分さえも惹きつけるカリスマの片鱗が彼女にはあるのだから。
本当に嬉しそうに笑うユーフォリアの顔を見ながら、浩二はそう思うのであった。
「望さん、沙月さん、ナルカナさん。おにーさん……
希美ちゃんやルプトナさん達にも伝えておいてください。
また会いましょう。絶対に、また―――この神剣宇宙の何処かで」
元気な声でそう言うと、運命の少女は背を向けて駆けていく。彼女の前には光が見える。
きっと、任務を終えたカオスエターナルが神剣宇宙へと続く回廊を開いたのだろう。
消えていく小さな背中。彼女はその光の中に入ると振り返った。
「――――――」
振り返った彼女が何かを叫ぶのと、光が閉じるのは同時であった。
******************************
「あいつめ……」
ユーフォリアの最後の言葉を聞いた浩二が苦笑する。
皆も同じように苦笑していた。
「……それじゃ、俺達も帰るか?」
「それなんだけどさ、浩二……」
「ん? 何だ?」
浩二の言葉に望が一歩前に踏み出してくる。
「俺とナルカナは、写しの世界には戻らない……このまま旅に出るよ」
「……そうか」
何となく予想していた事ではあった。
もう少しだけこの道が繋がっていればいいとは思ったが、
望がエターナルになった時に、やはり交わりあっていた線が離れたのだと。
「エターナルになって現れた時から……
なんとなく、そう言うだろうとは思ってたよ……でも何故だ?」
「ナルカナと契約し、ナル・エターナルになった俺は、マナ世界においては異物だ。
みんなの傍に居たいとは思うけど、身体がそれを許してはくれない。
だから、それを抑える方法を探しに外宇宙へ行くよ」
「俺の神剣の力は、あくまで自然な形に戻す力だからなぁ……
抑える為の力じゃないから、力になってやれそうにない」
「気持ちだけ受け取っておく。それに、もしも浩二にナルを抑える力があったとしても、
俺はどの道、外宇宙に行かねばならない。ナルは外宇宙にも飛び散ってしまっている。
だから、俺とナルカナはそれを回収して周らないと……」
「難儀な事だな。それでも別れの言葉ぐらいは皆に―――あ、そうか」
言いかけた所で浩二はエターナルという存在について思い出す。
永遠存在エターナルは、一度世界から離れると、
それまでその世界に関与した記憶と記録が抹消されるのである。
自分と望からユーフォリアの記憶が消えていないのは、
理不尽を否定する反永遠神剣が、記憶から消えるという理不尽を否定しているからであり、
望は同じエターナルであるからだろう。
「……あれ? でも……そうなると沙月先輩は……」
「なに? 斉藤くん」
「ユーフォリアの事を覚えてますか?」
「あたりまえでしょ」
だが、エターナルでも反永遠神剣のマスターでも無い沙月が覚えているのは何故だろう?
エト・カ・リファの戒名といい、今回のユーフォリアの件といい、
一応は納得できる理由のある望と違って、斑鳩沙月はどちらも理由が不明のままクリアしているのだ。
ここにきて再び出てきた斑鳩沙月という少女の謎。
「あの、沙月先輩? もしかして、先輩もエターナル―――」
「違うわよ」
浩二が何とか答えを出そうとしてそう言った時、ナルカナが遮った。
「沙月はエターナルじゃないわ。私と同じ『叢雲』の一部よ」
「………は?」
「………へ?」
「「「 ええええーーーーーーーっ!!! 」」」
永遠神剣『運命』を持つカオスエターナルの長ローガスと、
第一位神剣『聖威』との戦いに敗れた『叢雲』は、
彼等によって分割され時間樹に封印されたと言うのはもう周知の事実だが、
ナルカナはそれについて補足するように語る。
永遠神剣第一位『叢雲』の意思はナルカナ。
叢雲の力が、やがて自我を持ち神剣となったのが『黎明』であり『暁天』である。
そして、斑鳩沙月は叢雲の器―――
すなわち彼女も分類的にはナルカナと似たような存在だが、
その器にセフィリカという神の魂を入れる事により、斑鳩沙月という存在になったのである。
故に彼女の意思はセフィリカのもので、身体が叢雲の器という特殊な位置づけであるのだ。
世刻望と、ユーフォリアに、斑鳩沙月……それに斉藤浩二を加えた4人は、
『天の箱舟』と『旅団』のメンバーを合わせた神剣マスターの中でも極めて特殊な存在なのだ。
時間樹外の存在であり『浄戒』という、神名を消す特殊な力を持つ世刻望。
エターナルの両親から生まれた、天然自然のエターナル……運命の少女ユーフォリア。
反永遠神剣などというツルギのマスターである斉藤浩二は言わずもがなであり、
それに上記で述べた斑鳩沙月が加わる。
最後まで残ったのが、その4人であったというのは、ある意味当然であり必然なのだ。
暁絶は神剣こそ叢雲の一部を持っていても、本人は時間樹で生まれた存在なので、
エト・カ・リファの『戒名』に抗えなかった。
サレス・クゥオークスは本人こそ時間樹外の存在であるが、
叢雲の力を持たぬが故にエト・カ・リファの『戒名』に抗えなかった。
だからこそ、最後まで原初に立っていられたのがこの四人なのだ。
「……はぁ、そういう事か……」
ナルカナの説明を聞いた浩二が呆れるように言った。
もしも、運命を司る存在がいるのなら、今ココに立っているのは望とナルカナと沙月だろう。
「じゃあ、沙月先輩も望と一緒に神剣宇宙へ旅立つ訳だ?」
先輩はそれでいいんですか? という目で浩二が沙月を見ると彼女はやがて首を縦に振る。
浩二がここにいなければ、誰も帰る者はいないのだ。
創造神とイャガを倒した者達はそのまま外宇宙に旅立ち、記憶から消え去り……
世界は何事も無かったかのように時を刻む。運命の神が描いたシナリオはそんな所だ。
「……て事は、だ。写しの世界に帰るのは俺だけとなる。
最後の戦いを勝ち抜いた者の中で、俺だけがのこのこと凱旋したら……
まるで、たった一人で世界を救った英雄か勇者みたいじゃねーか。冗談じゃねーぞ」
げぇっと言いながら、心底嫌そうな顔をする浩二。
「別にいいんじゃない? アンタ、それなりにがんばったと思うわよ」
「そうだぞ浩二。おまえが居たからこそ俺達は勝てたんだ」
ナルカナと望の言葉に、人事だと思いやがってという顔をする。
沙月はクスクスと笑っていた。
「―――チッ。おい、望!」
「何だ?」
「おまえの都合で俺は勇者なんて空恐ろしい偶像にされるんだからな。
これはでっかい貸しだぞ。覚えておけよテメー」
「……ああ、わかったよ」
苦笑を浮かべる望。そんな事を言われても、自分は浩二に借りがありすぎて、
更に一つや二つ増えたところで同じようなモノなのだ。
「だから、オマエ……絶対に帰って来いよ。
外宇宙に出たら、のんびりとやるつもりだったんだろーが……
そうは問屋が卸ねーぞコノヤロウ!」
そう言ってビシッと望に指を突きつける。
「俺が……おまえの旅に期限を決めてやる。俺がくたばる前に帰って来い!
それまでは……勇者だろうが英雄だろうがやってやる。
この時間樹は俺が護ってやる……だから、必ず帰って来いよ………」
斉藤浩二らしい、実に捻くれた激励の仕方であった。
素直に帰って来いよと言えばいいものを、理由をつけて言う辺りが彼らしいと、
浩二の傍に立つ『反逆』は苦笑をうかべる。
「……わかった」
それは望も解ったようで、この素直じゃない親友の周りくどい優しさに笑顔をみせた。
「―――よっし! それじゃあ行って来い!」
「ああっ!」
「それじゃ、回廊を開くわよ」
浩二がそう言うと、ナルカナが彼の為に写しの世界へと続く精霊回廊を開いてやる。
そして、自分達が外宇宙へ向かう為の扉を反対側に出した。
「なぁ、望……忘れるなよ……
時間樹には俺がいる事を。斉藤浩二がいる事を……」
「忘れる訳ないさ。忘れられるようなヤツでもないだろ」
「帰って来たらおまえに渡すものもあるんだからな」
「渡すもの?」
「俺達みたいな、故郷に帰れなくなったハグレ者達が住まう、
全ての生きとし生ける者たちが、平等に受け入れられる世界―――」
浩二がこれからやろうとしている事を聞いたとき、
望は彼なら本当にやってしまうかもしれないと思った。
世界の創造。それは、この少年に相応しい大きな夢ではないかと。
「それと、おまえに敗北をプレゼントしてやる。
人間な、一人ぐらいはコイツにゃ勝てないと思うヤツが居た方がいいんだよ。
そんなヤツがいれば、努力する事を怠らない。今よりも、もっと強くなれるから」
「……ははっ、そうだな……ああ、楽しみにしてるよ……」
望は苦笑を浮かべる。自分が浩二より上だと思った事は無い。
それでも、そう言ってくれる彼の言葉が嬉しくて、拳を握り締めて前に突き出す。
浩二はニヤリと笑った。そして自分も握り拳を作ると、ゴツッとぶつけあう。
「……またな。世刻望………翼を持った親友よ……」
「……またな。斉藤浩二……地を歩む俺の親友……」
そして、少年達は背を向けて歩き出す。
永遠を生きる。翼を持った少年は大いなる神剣宇宙へ旅立つ。
後ろには、神の奇跡の具現たる二人の少女を道連れに。
有限を生きる。大地を歩く少年は護るべき時間樹へと帰る。
後ろには、人の想いの具現たる一人の少女を道連れに。
―――それぞれの道を歩き出すのであった……
*************************************
時間樹を巡る戦いが終わった後の事。
斉藤浩二は写しの世界に戻ると、そこであった事を環とサレスに報告した。
永遠存在となり、皆の記憶から消えた世刻望。
その事を覚えているのは、浩二と環とサレスの三名だけであった。
斉藤浩二の神剣―――
反永遠神剣『反逆』は、永遠神剣の奇跡を自然な形へと戻す力を持った神剣。
故に、存在を書き換えて皆の記憶から消えるという理不尽を打ち消す力がある。
だが浩二は、真実を知っていた方がいいと思ったサレスにだけ記憶を戻すと、
あえて他のメンバーには世刻望の記憶を取り戻させるような事をしなかった。
これはサレスや環と相談しあって決めた事である。
何故なら彼等は、すぐに記憶を戻したら望を追うと言い出すに決まっている。
しかし、時間樹の外に出ると言う事は並大抵の覚悟で決めて良い訳が無い。
せめて彼等には平和になった時間樹でしばらく過ごしてもらい……
一時の感情ではなく、本当にこの世界を捨ててもいいのか?
本当に今の日常を無くしてしまってもいのかと、考えた上での結論を出して欲しかったのだ。
その上で、彼らが望を追うと言うのなら止めはしない。
友人として、仲間として快く送り出してやるつもりだ。
そんな想いを胸に秘め、浩二は三年後に再び皆と会う約束を交わして別れたのであった。
その結果、ある者は旅に出て、ある者は故郷に帰り、ある者は残った。
そして、斉藤浩二はと言うと―――
「お疲れ様でした。大統領」
「まったく……休み暇さえありゃしないな」
「心中お察しします。ニーヤァ様」
彼は魔法の世界で、ナーヤの兄であるニーヤァの秘書官なんかをやっていた。
着ている服はもう学生服ではなく、魔法の世界で官僚が着るような服である。
「コウジ。次の予定は何だ?」
「財務大臣との打ち合わせですね。その後は、建設大臣との会食。
それが終わったら、ザルツヴァイを視察にこられた分枝世界の使節団の方と共に、
産業プラントを巡察する予定となっております」
打てば響くとはこの事だろう。ニーヤァの問いにスラスラと答える浩二。
「……それはオマエがやれ」
「お戯れを」
微かな笑みを浮かべる浩二に、ニーヤァはこの男は一体何なのだろうと思った。
斉藤浩二が魔法の世界にやって来てから、もうすぐ二年が経つ。
始めはサレスに弟子入りし、従者として『旅団』の仕事に従事していたようだが、
半年ほど前にサレスから、政治の場を見せてやって欲しいと言って寄越された。
ニーヤァは、彼とはちょっとした因縁がある。
初対面であった時に、ハリセンで叩かれるという屈辱を受けているのだ。
しかし、その時の謝罪については、魔法の世界にやってきた時に受けていた。
深々と頭を下げて、申し訳ありませんでしたと謝られたのだ。
嫌味の一つでも言ってやろうと思ったが、
挙措に一部の隙も無い、不思議な存在感を醸し出す浩二に気圧されるようにして、
あの時は別に良いと答えたものだった。
ニーヤァは、この時間樹を巡って大きな戦いがあった事は知っていた。
斉藤浩二はその戦いを一人で勝ち抜き、創造神エト・カ・リファを倒した英雄である。
原初という場所には自分の妹であるナーヤや、サレス達の旅団。
それに他の分枝世界から集った永遠神剣マスター達も一緒に乗り込んだのだが、
彼等は途中でリタイアしている。
しかし、斉藤浩二は自分以外の皆がリタイアして一人になっても原初を突き進み、
世界の創造神エト・カ・リファを打倒し、初期化されようとしていた世界を救ったのだ。
その事を、何気なく浩二に尋ねると、彼は笑いながらこう答えた。
いいえ。俺は一人ではありませんでしたよ。それに、英雄なんかでもありません。
崩壊に抗う、分枝世界すべてに住まう人々の想いを代行しただけですと。
謙遜ではなく、本気でそう言っていた。
彼の事が嫌いではなくなったのは、その話を聞いた後からであろう。
それからはオフの時にはお互いに名前で呼び合う仲になった。
―――自分では浩二を生涯の友だと思っている。
とにかく気が合った。もしかしたら、自分に合わせている部分もあるのかもしれないが、
それでも浩二と他愛も無い事を語り合ったり、暇を見つけては遊ぶのが楽しかった。
「コウジ……おまえ、妻は娶らんのか?」
「突然なんですか? 大統領」
「おまえは知らないのかもしれないが……縁談の話が随分ときているのだぞ?」
ニーヤァがそう言うと、浩二は真面目な表情でこう言ってきた。
「それは大統領の秘書官としてお答えすれば良いのでしょうか?
それとも、ニーヤァ様の友人として答えれば良いのでしょうか?」
「……友人としてだ」
「それなら、ぶっちゃけて言います。ありませんね。
私はこの魔法の世界に骨を埋める気はありませんので……」
「知っている。おまえがこの世界に来て、サレスに師事しているのは……
政治だけでなく医学や農耕……工業、産業、商業などを学ぶためであろう?」
「はい。私が立つ場所は己が手で作り上げます」
でかい夢を持った男であった。
「……そうか」
そして、その夢を絵空事で終わらせるのではなく、必ずやり遂げると信じている。
時間樹を救った勇者にして、歴史に残る名宰相たりえる資質を持つ男。
食事を共にする時に政治の話を時々するのだが、
浩二がその時に呟く言葉には、キラリと光る物がいくつかある。
簡単に言ってしまえば、斉藤浩二は物事の要点を掴む事が物凄く上手いのだ。
大統領の自分にあがってくる書類も、浩二が目を通せば要点だけを綺麗に纏めてくれる。
そして、何気なく尋ねてもしっかりと理に乗っ取った答えが返ってくる。
試しに、魔法の世界をよりよくする為の改革案でもあれば出してみろと言ったら、
三ヵ月後には農業改革案、産業改革案、商業改革案、法律改革案と言う名前の、
数百枚に渡るレポートの束が返ってきた。
ニーヤァは自分が読んだ後に、ザルツヴァイの大臣にそのレポートを見せてやったら、
全員が真面目な顔で、これは誰が書いた物なのですかと言ってやってきた。
荒削りで、青臭い理想論も含まれており、所々に修正が居る場所は多々あるが……
草案として、これだけの物を出せる人間はそう居ない。
是非とも自分が手元に置いてその才能を開花させてやりたいと言っていた。
ニーヤァは、それに対して笑いながら、曖昧に断りをいれた。
何故ならこれを書いた斉藤浩二の師はサレスである。
どの分野でも、彼以上の師となりえる人間などいないだろう。
それにハッキリと言ってしまえば、自分はトトカ一族以外の者を重用はしない。
選民意識から来ているのは自覚しているが、ザルツヴァイはトトカ一族の国だという誇りがあるのだ。
別の世界からの人間を重用すれば、この国を第一として考えなくなる。
「コウジ。昼の会食は私一人でいい。オマエはナーヤの所にでも行け」
「いや、しかし……」
そして、斉藤浩二は傑物であるが、彼は別世界からやってきた人間である。
その才能は惜しいが、この国の要職は任せられない。
そう思った時に閃いた事があった。
ならば、トトカ一族の親類から嫁を採り浩二を一門に迎えればいい。
妹のナーヤに、それほどの愛情を持っている訳ではなかったが、
ニーヤァはどこぞの馬の骨にくれてやるくらいならば、斉藤浩二と結婚させようと思っていた。
「これは命令だ。昼はナーヤと取って来い」
「はっ。わかりました」
そうすれば、彼は自分の義弟である。
裏切ることもないし、安心して国政も任せられる。
最近、ニーヤァはそう思うようになっていた。
*******************************
コンコンと、ノックの音が聞こえてきた。
ナーヤは書類から顔を離すと、短く入れと声を上げる。
「お昼でござーい」
「なんじゃ、コウジ。また来たのか」
二人分の食事を載せた盆を持って入ってきたのは斉藤浩二であった。
「仕方ないだろう。命令なんだから」
「やれやれ。困ったものじゃのう」
浩二が来客用の机の上に食事を置くと、ナーヤは椅子から立ち上がってそちらに向かう。
そして、向かい合わせに座って昼食をとり始めた。
フィロメーラが飲み物を持ってやってくる。
浩二はそれを受け取ると、気軽にフィロメーラさんも一緒にどうですかと誘っていた。
「いえ、私はまだ仕事がありますので」
無駄の無い挙措で頭を下げて部屋を出ていくフィロメーラ。
浩二は、その後姿を見てふうっと溜息をついた。
「なぁ、オイ……」
「なんじゃ?」
「何か、段々と外堀が埋まってねぇか?」
「そうじゃのう……」
最近になって、事あるごとに自分は浩二と一緒の時間を作られる。
その魂胆はとっくに見抜いている。兄が自分と浩二を娶わせようとしているのだ。
「のう。浩二」
「何だ?」
「もう、おぬし。ホモセクシャルという事にせぬか?」
「………爽やかな顔で、せぬかと言われても……」
「……う~~む……相手はサレスとかどうじゃ?」
何だかとんでもない事を言い始めるナーヤ。
「まてまて。それはシャレにならんからよせ!
ただでさえ夜は遅くまでサレスの書斎で勉強してるから、訳の解らん噂を立てられてるんだぞ」
「あはは。女官どもはそーいう噂が好きだからのう」
「それならオマエがフィロメーラさんと百合な関係でいいじゃないか」
「馬鹿を言え!」
お互いに責任の転嫁をしあうナーヤと浩二。
もう、何度やったか解らない不毛なやり取りであった。
「まぁ、アレだ。俺の修学はあと一年で終わる。
これが終わったら旅に出るから、それまでの辛抱だ。
後一年……お互いに、のらりくらりとかわしていこうや。な?」
「そうだのう。わらわも、後一年すれば望を追うからのう」
このやり取りから解る様に、ナーヤも世刻望の事を思い出していた。
事情により浩二が反永遠神剣『反逆』で、彼女の記憶を正常に戻したのである。
ニーヤァが自分とナーヤをくっつけようとしている事に気づいたので、
ナーヤだけ三年を待たずに望の事を思い出させたのだ。
「だがな、コウジ……そなたには感謝している。
そなたを傍に置くようになってから、兄上は変わられた。
大統領としての自覚が出てきたとでも言うのじゃろうか……
以前まであった、棘のようなモノが随分と減った」
ナーヤが望を追いかける事を決断できたのは、こういう理由があったからだ。
今までのニーヤァであったならば、ザルツヴァイを一人で任せる事が不安であったが、
浩二と出会って変わった兄ならば、国営を一人でも取り仕切れると確信している。
「まぁ、今までは友達が居なかったから、ああだったんだよ。
ニーヤァは生まれながらの族長だ。だから対等の存在が傍に居なかったのさ」
「対等の存在のう」
「だから俺は、彼に認めさせる所まで駆け上がったのさ。
見下すに見下せない能力を示し、存在をアピールして、立てる所は立ててやり……
こっちが一歩だけ下がった態度で接すれば心を開いてくれると思ったらドンピシャだ」
世刻望は生まれながらのカリスマでもっての人誑しであるが、
斉藤浩二は、努力で培った観察眼と分析能力での人誑しである。
「惜しいのう。おまえが望の傍にいたならば、
ロウとカオスのエターナル組織とも対等に渡り合っていけただろうに」
「何を言ってるんだ。望の参謀はおまえだろう。ナーヤ?」
「まぁ、精々……初代の参謀に負けぬように勤めるとしようかの」
そんな事を言って笑いあう浩二とナーヤ。
約束の時まであと一年。かつての『天の箱舟』と『旅団』のメンバーは、
すべての記憶を取り戻したときに、どんな未来を選ぶのだろうか?
「まぁ、最悪……おまえ達が全員で望を追いかけると言い出しても、
時間樹は俺とサレスで護っていくさ。けれど……俺はあくまで人間だからな。
長生きしても200年は生きられない。精々が90年だ……」
「…………」
もったいないと口に出しそうになって、ナーヤは慌てて口をつぐんだ。
神剣のマスターとしてではなく、人として精一杯に生きる。
大地に種を巻き、花を咲かせ、枯れて行く……
そして、枯れ落ちたところに種を落として、また花を咲かせるのだ。
永遠神剣のマスターが数百年を生きる大樹であるなら、
人間などは一つの季節にだけ芽吹く草にすぎない。
しかし、何もせずに数百年生きたところで何なのだとナーヤは思う。
それよりも、たった一つの季節で枯れていく草花だとしても、
大樹に負けないくらいに堂々と咲き誇った草花の方が尊いではないか。
「望と共に、再び時間樹に戻った時……」
「ん?」
「おぬしの作った世界がどのようなモノであるのかを楽しみにしていようかの」
「フン。どんな分枝世界にも負けねー世界にしてやるさ。
世界から弾き出されたような、はぐれ共を集めて……
自分達を間引きした神にむかって―――どうだ、バカヤロウ。
テメェに与えられた世界よりも、凄いの作ってやったぞザマーミロっていう世界をな」
そう語った浩二の横顔は、会心の笑みをうかべていた。
そして、更に数年の歳月が過ぎる―――