その日。ソルラスカは川で洗濯物をしていた。
早朝の事である。旅の間に溜まった汚れ物を、偶然早く目が醒めた今やってしまおうと思ったのだ。
「やっぱ、水だけじゃ落ちない汚れもあるよなぁ……
ま、しないよかよっぽどマシだけど」
そんな事を呟きながら、手もみ洗いでジャブジャブと洗い続けるソルラスカ。
横には今までソルラスカが洗った洗濯物が積み上げられている。
その中には、旅のツレである少女タリアの上着類もあった。
余談であるが、以前にもこうやって早く目が醒めたソルラスカは、
二人分の洗濯物をまとめて洗ってやった事がある。
その時は、タリアに正座させられ往復ビンタをされた。何故なら、タリアの下着も纏めて洗ったから。
邪な気持ちは欠片も無かった。誓って言える。100%善意である。
だが、女の子の下着を無断で洗濯する行為は、タリア的には許せるモノでは無かったらしい。
その結果が往復ビンタ。だから今回は、きちんと『タリアの洗濯物を選別してから』洗濯をしている。
「へへっ……」
どうよ今回は? 今回こそ、自分の好意にタリアは感謝してくれるだろう。
そんな事を考えながらソルラスカは笑顔になった。
「………のわッ!? なんだあれは!」
その時である。川の上流から人が流れてきた。
青い服を着たボーズ頭の少年が、木に捕まった状態で流れてきたのである。
「―――チイッ!」
迷っている暇は無いと、川に飛び込むソルラスカ。
泳いで流されてきた少年の所にまで行くと、まずは呼吸をしているのか確かめた。
生きている。川の水によって体温を奪われ続けたのか青白い顔をしているが、まだ生きている。
「おい、しっかりしろ。死ぬなよ。今助けてやるからな!」
聞こえていないとは解っていたが、そうやって力づけながら流木ごと少年を岸に近づける。
それから程なくして岸に辿り着くと、ぐったりしている少年を背負って、
自分とタリアがキャンプ地にしている場所に急ぐのだった。
「タリアーーーー! 急患だぁ!」
***************
「……うっ」
浩二は、パチパチと火の粉が爆ぜるような音で目が醒めた。
ここは何処だ? 俺はいったい? 目覚めると同時にそんな事を思うと、
少し離れた場所から、女の子の怒鳴り声が聞こえてくる。
それが気になり、浩二はかけられていた毛布をどけて立ち上がると、
恐る恐るテントから顔を覗かせるのだった。
「ちょっと! ソル! 私の洗濯物は自分でやるから洗わなくていいって言ったじゃない!」
「だ、だからよ~~……今回はきちんと下着は抜いてあるだろう?」
「~~~っ! そう言う問題じゃないの!」
顔を真っ赤にして怒っている少女と、正座させられている少年。
誰だあいつ等は。そしてココは何処だ?
「ソルが! 私のっ! 洗濯物を、かってに持ち出すのが問題なのっ!」
「何故それが問題なんだ?」
「~~~っ! こやつは、こいつは……そこまで私に言わせるか!」
「だから、何で怒ってるんだよ?」
まずは記憶を整理してみようと思う浩二。
一番最近の出来事は確か、夜にエヴォリアという少女と出会い、仲間になれと言われた事。
「だって心配でしょう。あの、えっと……う~~っ、あーーー!」
「訳がわかんねーよ。理由も無いのに正座させられるんじゃ、流石の俺も納得できねーぞ」
「ああああーーー! もう、嫌なのよ! ソルが、男の人が!
私の洗濯物の匂いをかいで、はぁはぁとかうへへへ……とか、やってるかもって思うとっ!」
「なっ、ちょっ、ば―――バカヤロウ! 俺がそんな事するかあああああ!!!」
そして……そうだ。ベルバルザードとか言う時代錯誤野郎と戦ったのである。
硫酸をぶっかけて倒したと思っていたら、不意打ちをくらって吹き飛ばされ谷底に落とされたのだ。
「疑わしいわね。男の人は、そういう事をするってフィロメーラも言ってたわ!」
「しねーよ。何が悲しくて、汗臭い服の臭いをかがなきゃならんのだ!」
いや、残念だがソルさんとやら……
俺も男はそう言うことをする生き物だと思うぞと呟く浩二。
だから世の中には痴漢やら、盗撮やらをするヤツがいる訳で―――と、考えた所でブンブンと首を振った。
そんなアホみたいな痴話喧嘩にツッコミをいれている場合ではない。
今は状況をきちんと整理して把握しなければと再び考える。
「知らないわよ! でも、そういう統計が出ているって―――」
「誰がとったんだよ、それ! いい加減な事を」
「旅団の諜報部よ!!」
「……ばっ、そんなくだんねー事してんじゃねーよ! アホか!
もっと、やらなきゃいけない事は沢山あるだろうが!」
「……むっ、サレス様の命令にアホですって?」
「って、命じたのサレスかよ! 何やってんだよ!
こんなヤツがリーダーだなんて、終わってんなこの組織!」
「ソル……ソルラスカ……許さないわよ……
サレス様を侮辱することは……絶対に、許さないわよ……」
「おっ? てめ、やるか? コノヤロー!」
外の痴話喧嘩はヒートアップするばかりだ。
浩二は考えを纏めたいのだが、外の痴話喧嘩が五月蝿すぎて上手く考えが纏まらない。
故に、どうしようも無いから外に出る事にした。
ベルバルザードに吹っ飛ばされて谷に落ちた自分は、下がたまたま川だったので助かった。
そしてたぶん、あの二人に助けられたのだ。そしてココに寝かされて居る。
助けてくれた以上は、敵意は無さそうだ。とにかく話を聞いてみなければと結論をだして―――
「ストップ! 喧嘩ストーーーーップ!」
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「……そう。貴方、斑鳩の……」
タリアと名乗った少女に差し出された朝食をとりながら、
浩二は濡れてぐしゃぐしゃになっている制服と『最弱』を乾かしていた。
今はソルラスカと名乗った男の服を借りて着ている。
『あ、やめて。ワイ、火にも水にも弱いんや!』
何か言ってるが気にしない。この永遠神剣もといパチモノ神剣は、
外観は紙で出来ているので、浩二が持って強化せねば水にも火にも弱いのだが、
チリや灰の一欠片でも残っていれば、そこから再生する事を二年の付き合いで知っている。
この程度なら、乾かせば明日の朝には元通りになっているだろう。
『アーッ! らめぇーーーーー! 熱いのーーーーーっ!』
出会った時『最弱』はトイレットペーパーであった。
浩二と出会う前には、何度も廃品回収に出されて古紙と共にリサイクルされていたらしい。
コピー用紙になった事もあった。書籍になった事もあった。
そして最後にはトイレットペーパーとなり、スーパーに並んで斉藤家に買われて来たのである。
「まさかなぁ、こんな所で沙月の学校の仲間が見つかるとはなぁ……」
腕を組んで考え込むような表情をしているのはソルラスカだ。
浩二は自分を助けてくれたのが彼だと聞かされると感謝し、
その後に自分の事を尋ねられたので説明すると、凄い驚いた顔をした。
何故ならソルラスカとタリアの二人は『旅団』という組織に属する永遠神剣のマスターで、
浩二の学校の先輩であり、現在物部学園を引率する斑鳩沙月も旅団の一員であるという事だったからだ。
「こっちこそ驚きですよ。まさか、沙月先輩が異世界人とは……
……色々と知ってるんで、何かあるとは思っていけたど……」
「それで、貴方は斑鳩の通っている学園の学生であり、今まで行動を共にしていたけれど、
昨夜ミニオンに襲われ、崖から落ちてここに流れついて来たと言う訳ね?」
「ええ、まぁ……」
エヴォリアとベルバルザードの事は伏せてある。
『光をもたらす者』とかいう組織の仲間になれと誘われた事などを、
馬鹿正直に言う必要は無いと思ったからだ。
「何で夜に一人で出歩いていたの? 貴方」
「夜の散歩が好きだから」
「はぁ?」
タリアは思いっきりバカを見るような目で浩二を見る。
しかし、ソルラスカの方は、納得したような顔をしていた。
「わかるぜ。俺も夜に一人で散歩するのは好きだからな」
ソルラスカの神獣はウルフ形で名前は『黒き牙』
群れの中に入れば、群れの仲間を護るために戦うのが狼という生き物だが、
一人になる事を好むのも、また狼だ。
故に、浩二が仲間という群れの中から離れ、一人で散歩をしていたという答えに納得を示したのである。
「……う~ん……」
タリアは顎に手を当てて、敬愛する男性であるサレスの事を思い浮かべると、
確かに、サレスにも独りを好んだりする時があるなと思い当たる。
「……男ってそういうモノなのかしらね……」
なので、タリアは『男とは時々、夜中に意味も無く徘徊する生き物である』という認識を持つことにした。
「まぁいいや。とにかくオマエは物部学園とやらに戻りたいんだな?
そういう事なら丁度良い。俺達も沙月と合流しようと思っていたんだ。一緒に来いよ」
「そう、ね……こんな所で放り出す訳にもいかないし」
ソルラスカが浩二を誘うと、タリアも仕方ないと言わんばかりの顔をする。
「………お願いします」
浩二は一瞬だけ罠の可能性も考えたが、結局は首を縦に振って一言だけそう告げた。
ソルラスカもタリアも、昨日のエヴォリアのように交渉や暴力の上手そうなタイプではない。
何か考えがあって自分を利用しようとするのだとしたら、もう少しらしい性格のヤツをよこす筈だから。
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「斉藤くん……まだ見つからないんですか?」
希美のその質問に、額から頬まで届く傷跡が特徴の騎士は首を振った。
名をクロムウェイ。王女カティマを補佐するアイギア王国の騎士にして、
実質的なアイギア王国の総大将である。
「部下に周辺を探らせているのですが、未だに……」
「クロムウェイ」
「どうした? カティマ」
「出撃を……遅らせる事はできないのでしょうか?」
「それは、できません……」
カティマの言葉に首を振るクロムウェイ。
希美はそんなクロムウェイにくってかかろうとしたが、それは沙月によって止められた。
「軍隊ってのはね。一度命令を出してしまえば、そんなに簡単に止めていいものではないの。
すでに先発隊はアズライールに向けて進軍を開始してしまっている。
それを、私達の都合で止めるわけにはいかないわ……」
「でも……」
「それなら、沙月殿達は斉藤殿が見つかったら合流してください。それまでは私が―――」
カティマが妥協案として言うが、沙月はそれに対しても首を横に振る。
「今回の決起は、私達が敵のミニオンを引き付ける事が大前提で始まったもの。
だから、私達が作戦から外れたら、多くの兵士達が死ぬことになるわ」
「………はい。お恥ずかしい話しですがそのとおりです」
沙月の言葉に頷くクロムウェイ。
「こうやって、私達が出撃を遅らせている事だって、本来なら危ないんだから。
だから……後、30分が過ぎても斉藤君が見つからなかったら……」
―――浩二を置いていく。
最後までは言わなかったが、沙月はその決断をしていた。
掌をぎゅっと握り締め。今はここに居ない、
捜索に加わっている望が浩二を見つけてきてくれる事を願って。
「……戻りました」
やがて望が帰ってくる。
その隣には浩二の姿がある事を期待したが、望は一人であった。
「斉藤のヤツは見つかりませんでしたけど、
森の中には誰かが交戦したであろう痕が残っていました……」
「……どんなの?」
「えっと、何か巨大な隕石でもぶつかったかのような大穴と、
不自然に折れた木が数本です」
望が説明した戦場痕の様子から察するに、それは永遠神剣の力で行ったモノだった。
人為的に隕石が落ちた跡のようなクレバスを作ることなど出来るはずがないからだ。
「先輩……やっぱり、これって……」
「斉藤くんが誰かと戦ったんでしょうね……」
能天気そうな浩二の顔を思い浮かべて、沙月は小さくあの馬鹿と呟く。
弱いくせに。どうして自分達に助けを求めようとしなかったのか。
「どうして……」
希美も同じ考えだったようで、スカートの裾をぎゅっと握りながら震える。
そんな二人の少女の姿を見ながら、望がポツリと呟いた。
「……斉藤が、どうして夜中にあんな所にいたのかは判りません。
けれど、そこで戦闘になったのなら、俺も……みんなの所には戻らなかったと思います……」
「どうして!? 望ちゃん! 私達、仲間なんだよ!」
「仲間だからだよ! 昨夜ラダの村には学園のみんなだって居たんだ!
そんな所に敵を連れてきたらどうなると思う!」
「―――っ!」
望の怒鳴り声に希美が息を呑む。
クロムウェイとカティマは、そんな彼等の様子を不安そうに見つめていた。
「斉藤は、たぶん……昨夜、自分に今出来る事を精一杯やったんだ。だから―――」
「……私達も、今出来る事を精一杯やらなくちゃね?」
辛そうに言う望の言葉を、沙月が続ける。希美も頷いた。
「それに、斉藤くんの事だから、すぐにひょっこり戻ってくるわよ」
「そうですね。殺しても死にそうにないヤツですし」
「あはは。そうですね。きっと……うん」
カティマは、そんな風に軽口を叩く沙月達を見て天を仰いだ。
彼等は強い。そして、仲間の事を心の底から信じている。
今朝になって浩二が居ないという騒ぎが起きたとき、
彼は戦争が怖くなり逃げ出したのかもしれないと思った自分を恥じた。
「クロムウェイさん。私達の都合で進軍を遅らせて申し訳ありませんでした。
斑鳩沙月、世刻望、永峰希美の三名。契約に基づき戦列に加わります」
「すみません……斉藤殿の捜索は、我が部下が引き続き行いますので」
「……ありがとうございます。それじゃ行くわよ。望くん。希美ちゃん!」
望と希美の二人は沙月の言葉に首を振って頷くと、
神剣の肉体強化を行い、矢のような速さで村を出て行く。
カティマは、そんな三人の背中を慌てて追いかけながらこう呟いた。
「仲間……か。羨ましいですね……」
クロムウェイや、王国の騎士たちという部下は居ても、
アイギア国の姫であり、永遠神剣の遣い手という立場から
対等の仲間や友人というものが今まで居なかったカティマ。
そんな彼女だから、望や沙月達が眩しく写り、羨ましいと思うのだった。
「いつか……私にも、仲間ができる日がくるのでしょうか……」