気持ちを伝えた後の少女の反応は実に面白かった。
初めはいきなりのことに理解ができずポカンとした。
次に思考が脳に追い付くとみるみる赤くなっていった。そして、手を振ってわたわたしだした。
「え? ちょ、え?」
かなり混乱しているようだ。
というか会った直後から混乱させすぎだな。
こうやっているのもすごく可愛くていつまでも見てみたいと思うけど。
さすがに可愛そうか。
「いきなりこんなこと言われて混乱しているだろう。だけど事実だ。別に今すぐ如何こうしたいというわけじゃないので気にしないでくれ。ただ、いやじゃなかったらこれからも見かけたら声をかけていいか?」
とりあえずこれでこちらの要求は伝えることはできた。後は向こうの返答しだいだな。
……嫌だと言われたらどうしよう。向こうの嫌がることはしたくないし。
でも、辛そうだな。
などと、俺がいろいろと余計なことを考えている間に彼女は落ち着きを取り戻してくれたようだった。
「あ~、とりあえず一目惚れ云々は置いといて、私とお話ししたいゆうんやったらべつにかまわへんけど……」
「本当か! ありがとう!」
少女が認めてくれたことで俺は大いに喜んだ。
おそらく、過去最上級のにこにこ顔をしていることだろう。
先ほどまでクール系のキャラだったと思うのだがいきなり壊れすぎではないか?
少女も若干苦笑い気味だし。
……ん、そういえばまだ名前も聞いていなかった。
「すまん、自己紹介が遅れた。俺は一ノ瀬希。聖祥大学付属小学校に通っている。春休みが終われば三年生になる。」
すると少女は少し意外そうな顔をした。
「あ、三年生なん? 私も三年生なんよ。なんや大人びとるからてっきり上級生なんかと思てたわ」
確かに、俺は小学生の割には落ち着いている。精神年齢も他と比べて高いし。
……先ほどの醜態は置いといてだ。
「私の名前は八神はやてや」
八神はやてか。
……よし、覚えた。たとえ記憶喪失になろうともこの名は忘れないようにし
よう。
「これからよろしくな。八神はやて」
「いや、わざわざフルネームで呼ばんでも。はやてでええよ」
「わかった。なら俺のことも希でいい」
「うん、希君な」
「よろしく、はやて」
こうして俺とはやてとのファーストコンタクトは無事?成功した。
このあと料理の本を借りていったはやては用事があるからと言ってすぐに帰ってしまった。
送って行こうかとも思ったが初対面の状態でいきなり家を訪ねるのもどうかと思ったし、何よりはやてが遠慮していたので今回は図書館の前まで車椅子を押してあげることで妥協した。
はやてと別れるのはすごく悲しかったが引きとめても迷惑なので我慢した。
それはもうすごく我慢した。
その後俺は図書館内に逆戻りし、恋愛小説を山ほど読みまくった。すでに読んだことのあるものですら読み返したほどだ。
帰り際には我に返って未読の本を借りていったが、帰ってもはやてのことばかり気になってなかなか本に手がつけられないでいる。
そんな俺を心配して両親が話しかけてきた。
「希ちゃん、どうしたの? 今日は本も読まないでボーっとしちゃって。どこか具合でも悪いの?」
「希、何か学校であったのか? 父さんたちでよかったら相談に乗るぞ?」
確かに今の状況は普段の俺からしたら異常だ。食事もあまりのどを通らなかったし。
両親に心配をかけるわけにはいかないので今日起こったことをそのまま伝えてあげることにした。
両親は俺の話を静かに聞いていてくれたが、はやての件になった辺りで目が輝きだし、話が終わると噴火したかのように勢いよくしゃべりだした。
「まぁ! 希ちゃんが初恋! どうしましょう! もっと早く行ってくれればお赤飯炊いてお祝いしたのに!」
「希が初恋か。大きくなりやがって。父さんうれしいぞ!」
「母さんは少しさみしいかな。希ちゃんが遠くに行っちゃうみたいで」
「母さん、私だって一抹の悲しみくらいあるさ。でも、希の新しい門出を祝ってやらないと」
「そうね、分かったわ、お父さん。そうと決まればちゃんと応援しないとね。相手はどんな子なの?」
「よく知らない。今日初めて会ったから」
「つまり一目惚れか! いや~父さんもそうだったぞ。初めて母さんを見たときにビビッと来たんだ!」
「私だってそうだったわ。初めてお父さんを見たときにビビっとね。やっぱり親子って似るのかしらね~」
そうだったのか。知らなかったな。
愛情に関しては両親について理解できないと思っていたが結局似てしまうんだな。
……微妙にうれしい。
「それで、相手の反応はどうだったんだ? 向こうもビビッと来ていたか?」
「いや、混乱していた。その顔も可愛かったけど」
「そう、向こうはビビっと来なかったのね。残念」
その後、両親は腕を組んで思案顔になってうんうん唸りだした。
しばらく待つと二人同時に手をポンッと叩き
「「よし!! 父さん(母さん)が希(ちゃん)の恋を成就させるためにアドバイスをしてあげよう!!」」
と、提案してきた。
正直、はやてにどうやってアタックしようかは悩んでいたところだった。
恋愛小説はたくさん読んだがあれはあくまで物語で、現実で使えるかわからないし。
それに対象年齢が高すぎて何か違う気がする。
だから、この提案は願ってもないものだった。
多少気恥ずかしくも感じたが、両親のことを信頼しているのできっとうまく行くと、この時は思ってしまった。
作戦その一 相手がどれだけ好きなのか語れ
「俺ははやてに惚れている。どこが好きかと聞かれればすべて好きだと言わざる得ないな。声も髪も顔もからだもこころも、存在の一つ一つが限りなくいとおしく感じているぞ。こんな気持ちは初めてだ。こんな幸運が起きるなんて、神様なんて信じていないが、もしいるのならはやてに合わせてくれたことを感謝したいな。はやてのためなら何でもするぞ。俺は。だから遠慮なく何でも言ってくれ」
「うん、ならこれ以上恥ずかしいこと言わんといて!」
作戦失敗。顔を真っ赤にしたはやてに怒られてしまった。
うん、真っ赤なはやても可愛い。
作戦その二 プレゼントを渡せ
「はやては今何かほしいものはあるか?」
「ん? そうやね~。新しいお鍋がほしいね。今家にあるんは少し大きすぎんねん」
「よしわかった! まかせろ!」
「へ? なんなん?」
次の日、早速大小様々な形の鍋を用意してはやてを呼んだ。
「の、希君、これは?」
「さあ、いろいろと用意したぞ! 好きなのを上げるからどれか選んでくれ! 全部でもいいぞ!」
「いや、こんなん受け取れへんよ」
「? なぜだ?」
「もらう理由がない」
「はやてが好きだからじゃ駄目なのか?」
「それは理由になってへんよ。だからこんなんは受け取れへん」
「そうだったのか……すまない、気を悪くさせたか?」
「そこまでは言わんけど……こうゆうんは私はあんま好きじゃない」
「そうか、覚えておく」
「ちゃんと返品するんやよ」
「いや、これは自作だから。それは無理だ」
「作ったん!?」
またはやてを怒らしてしまった。作戦大失敗。
作戦その三 相手を褒めまくれ
「はやては可愛いな。どこが可愛いか具体的にいうとまずその
「だからそんな恥ずかしいこといきなり言わんといてって!」
またまた怒られた。
というかこれは恥ずかしいことだったのか。作戦大大失敗。
作戦その四 とりあえず抱きつけ
「いやこれは駄目だろ!」
「!? どうしたん? いきなり?」
実行不可能のため作戦失敗!
いや、どうも両親のアドバイスは根本的に間違っているようだ。
何一つ当たらない。
というかよく考えたらあの人たちの恋愛感事態普通じゃなかった。知り合って二十年近いっていうのにラブラブだし。一般の物とのずれは相当なのだろう。
しかし困った。このままでははやてに嫌われてしまうかもしれん。
……そう考えたら死にたくになってきた。
いや、はやての心を読めばどうにかできるかも知れんがそれは何となくしたらいけないような気がするし。
どうにかして早く恋愛相談できる人を見つけなくては。
誰か詳しい人はいないだろうか。
そう思って心当たりを探っているパッとある人物が思い浮かんだ。
うん、この子ならいけるんじゃないか? 頼めば相談に乗ってくれそうだし、何よりもてる。きっといいアイディアをくれるだろう。
こうして俺は思い付いたその子にアドバイスをもらうことを決心した。
新学期、俺が学校に行くとその子はもう登校していた。
友人の二人仲良くとお話している。
邪魔するのは忍びないがこちらも余裕があるわけではないので会話に割って入らせてもらった。
「話中に悪いが少しいいか? アリサ・バニングスにちょっと聞きたいことがあるんだが」
突然話しかけられた高町なのは、月村すずか、アリサ・バニングスの三名は驚いたようだった。
まぁ、俺から他人に話しかけるなんてめったにないからしょうがない。
むしろ俺のことを知らないかもしれんな。
「何よ? あたしに何の用? 一ノ瀬希」
お、知っていたか。ならよかった。自己紹介なんて面倒なことをしなくて済む。
「個人的な用事だ。だから出来ればすぐにしてもらいたいが今忙しいのなら後で時間を開けてほしい。頼めるか」
「今ここで言えばいいじゃない」
「私たちは聞かないほうがいいの?」
月村すずかの質問に俺は少し思案する。
確かに、頭に浮かんだのはアリサ・バニングスだけだったがいろいろな人に意見を聞いたほうがいいのだろうか? 両親の時のような失敗もないとは限らないし。
しかし俺が沈黙しているのをアリサ・バニングスは勝手に肯定だと受け止めてしまった。
「わかったわ。すぐ終わるんでしょうね。すずか、なのは、ちょっと行ってくるから」
そう言ってそのままそそくさと廊下のほうへ歩いて行ってしまった。
「すまんな、少し借りる」
二人に断りを入れた後、すぐに俺も彼女について行った。
まぁ、この二人に相談するのはアリサ・バニングスでダメだったときでいいか。
そうやって俺が黙ってついて行くと彼女は中庭で足を止め、俺のほうへ向き直ってきた。
「で、聞きたいことって何よ」
腕を組んで偉そうにふんぞり返っているが教えを請う身なので特に気にならない。
時間も少ないので単刀直入に聞くことにした。
「実は惚れた女ができたんだがアタックの仕方がわからないから教えてほしいんだ」
「……はぁ?」
彼女は素っ頓狂な声をあげ、目を丸くしている。
む、いきなりすぎたか。
「なんでそれをあたしに聞こうとしたのよ? 特に仲がいいってわけでもないのに」
驚いたまま彼女は当然の疑問を投げかけてきた。
やっぱりいきなりすぎたな。選んだ理由を言っていなかった。
「あぁ、それは君がクラスで一番もてているからだ。何度かこの中庭で告白を受けていたじゃないか」
すると今度は彼女の顔が一気に赤くなった。
ん? また変なことを言ってしまったか?
バニングスは真っ赤な顔のまま抗議するように怒鳴ってきた。
「な、な、なんであんたそんなこと知っているのよ!」
「見かけたから」
本当は心を読んだからだが。
しかし今はそんなことはどうでもいい。
「で、すまないが教えてくれないか? 今までの作戦ではどうもから回ってばかりで困っているんだ。このとおりだ」
俺は彼女に頭を下げて頼んだ。
昨日してしまった最悪の想像が現実になるのは何としても避けたい。
しばらく沈黙が続いた後、彼女は疲れたように溜息をついた。
「わかったわ、協力してあげる。その代わりあたしが告白されてたとかそういうのみんなに言っちゃだめだからね」
「本当か! ありがとう、恩にきる」
ほっとした気持ちになってつい顔がゆるんでしまう。
そんな俺の様子に彼女は苦笑していた。
「とりあえず、もう始業式が始まるから相手がどんな子なのかだけ教えてちょうだい」
「わかった」
その後、言われたとおりバニングスにはやての簡単な情報だけ伝えて俺たちは教室へと戻っていった。
昼休み、バニングスは高町たちとの昼食を断り、俺の相談に乗ってくれた。
半分いじるような気持ちで好きになった経緯を聞いてきたが、一目惚れだと言ったら驚かれた。
「へー、一目惚れって本当にあるんだ。そんなに可愛い子だったの?」
「可愛いとかそんなレベルじゃない。むしろ、可愛いという言葉は彼女のためにつくられたのではないかと思ったほどだ。目が奪われるとはまさにこのことだな。彼女を見たとき雷に打たれたような感覚に陥った。女神でも降臨したのかと思ったさ。その声もしぐさも表情も、一挙手一投足がすべて愛おしい。そして愛くるしい。俺は口下手だから彼女の魅力を万分の一も伝えられないのが口惜しいよ」
「そ、そうなんだ」
バニングスはいきなり饒舌になった俺にかなり引いていた。
地雷を踏んでしまったといった表情をしている。
「と、とりあえずさ、あんたは今までどんなふうにアプローチしてきたのよ?」
このままもっとはやての魅力について語ったていたかったが、バニングスは話題を変えてしまった。
むぅ、残念だ。
「あぁ、とりあえず、四つほど作戦を立ててやってみたのだがすべてうまくいかなかった」
「どんなことしたのよ?」
俺はバニングスに今までの作戦の内容を教えた。
話を聞いて行くうちにバニングスはなんだか残念な人を見るような眼で俺を見始め、聞き終わる頃には頭を抱えてしまった。
「と、言うわけなんだが。何がいけなかったんだ?」
「全部に決まってんでしょ!!」
素直に疑問を投げかけただけなのに怒鳴られてしまった。
そんなに悪かったのだろうか?
「あんたには常識と羞恥心ってもんがないの!? よくこんな恥ずかしいことが堂々とできたわね!」
「気持ちを素直に伝えることは恥ずかしいことなのか?」
「場所も考えずに好き好き言われたら恥ずかしいに決まっているでしょ!」
そうか? うちの両親はわりかしどこでも好き好き言っていたと思うが。
「と・に・か・く! みんなが居る前で好きだの愛しているだの言うのは禁止! じゃないと嫌われるわよ」
そこまでのことだったとは! そんなことになったら生きていけない!
俺はすごい勢いでうんうんうなずいた。
「わ、わかった。がんばる」
「別に好きっていっちゃだめってわけじゃないのよ。ただ、場所を考えなさいって言ってるの」
「はい」
まいった。思ったよりも大きなポカをしていたらしい。
次に会ったらちゃんと謝ることにしよう。
「で、愛の告白以外では普段どんな話をしているのよ?」
「そうだな、たいていは本の話だな。彼女もかなり本を読むほうだし。ただそれも結構少ないな。たいていは隣同士で本を読んで、読み終えたら少し感想を述べ合った後にすぐほかの本を読み始めるし」
「本ね、ほかは?」
「あとは料理だ。趣味と言っていたし、俺も作れるから意見交換を少々な」
「あんた料理できるの? 意外ね」
「本に乗っている通りに作るだけだがな。家庭の味とやらは出せん」
「ふ~ん、そうなの」
バニングスは何やら考え込んでいるようだった。
少し待つとパッと笑顔になって顔をあげてきた。
どうやらアプローチの指針が決まったらしい。
「よし! ならその本のと料理の話題をもっと掘り下げるようにしなさい! お菓子なんかを作っていってあげるのもいいかもね!」
「そんなものでいいのか?」
あまりに拍子抜けな案に少々戸惑ってしまう。
しかしバニングスは自信たっぷりのようだ。
「あんたはいろいろ段階を飛ばしすぎなのよ! まずはお友達からっていうでしょ? ゆっくりやりなさい。急がば回れよ」
確かに、バニングスの言うことにも一理ある。
普通は友達になってからか。
「それにあんた彼女のことよく知らないでしょ? 話を広げていけばもっと相手のことが理解できるわよ。もっと彼女のこと知りたいでしょ?」
おぉ! それもそうだ! 俺はもっとはやてのことが知りたい! そのためにはまず、話をしなければ!
そんなことにも気付かないなんて。恋は盲目とはよく言ったのだ。
「その通りだな。ありがとう。おかげでだいぶ指針が決まった。感謝する」
「気にしなくていいわ。なんだかこっちも楽しくなってきたし。後はそうね、あんた自身の魅力を高めるとか? 勉強をがんばるとか、運動をできるようにするとか、見た目にもっと気を使うとか」
「勉強ができて運動神経がよくて見た目がかっこよければ魅力が上がるのか?」
「それだけじゃないけどね。優しさとか気配りとかも重要だけど。まぁ、いきなり全部なんて無理だろうから、とりあえずその長ったらしい髪でも切れば見た目の印象は変えられるからやってみれば?」
確かに今の俺の髪はだいぶ長い。目は隠れているし、特に手入れなんてしていないからぼさぼさだ。
気にしたことがなかったので気付かなかったがこれではかなりだらしないのではないか?
確かによくないな。このままでは一緒にいるはやてまで恥をかいてしまう。
「わかった。早急に何とかしよう」
俺が素直に従ったのでバニングスも満足気に頷いてくれた。
「まぁ、今回はこんなところかしら。後は今後の変化に応じてアドバイスしてあげるから」
なんと今後も俺に付き合ってくれるらしい。
これは予想外だ。
「いいのか?」
俺が恐る恐る聞くとバニングスは腕を組み、胸を張って答えてくれた。
「あったりまえでしょ! ここまで首を突っ込んだんだから最後まで面倒みなきゃ気が済まないわよ!」
自信満々に、迷いなく言いきってくれる。
頼もしい限りだ。本当にありがたい。
「本当にありがとう。この恩は何時か必ず返すから」
「気にしなくていいわ。好きでやっているんだから」
この後、昼休みの時間がまだ残っていたのでバニングスは高町たちの元へ戻っていった。
俺にも一緒に来ないかと誘ってくれたが今回は断った。
これから一つやることができたからだ。
だが、次に誘われたら付き合ってあげるのもいいかもしれない。もしかしたら、初めての友人ができるかもしれないしな。
用事が終わり、俺が教室に戻ると皆の視線が一気に集まってきた。
今までクラスで特に目立つことなどなかったので結構驚いた。
そう言えば、ここに来るまでもなんだか時々見られていた気がするのだが何かあったか?
するとほどなくしてバニングスが高町、月村とともに教室に戻ってきた。
俺を見つけると一瞬怪訝な顔をしたのち、口をあんぐりと開いて驚き、そのまま詰め寄ってきた。
「あ、あんた、一ノ瀬よね!? どうしたのよ!? その髪!?」
皆もハッと気付いたような顔になり教室内がざわざわとどよめきだした。
あぁ、みんな俺だと気付かなかったからこっちを見ていたのか。
「あぁ、あの後切った」
そう、俺の用事とは髪を切ることだったのだ。
あの後、俺は教室からハサミをとって邪魔されないようトイレの個室に籠って切ってきた。
もちろん、切り取った髪は焼却炉に捨ててきた。
「あの後って……どうやって?」
「どうやってって、自分でだ」
髪はいつも自分で切っているからな。これくらいは鏡が無くたってできる。
「雑誌とかに出ている髪型で一番似合うであろうものを再現してみたんだが。変か?」
記憶している雑誌の中から俺の顔付と合うと思い、思い切ってスポーティーなショートカットにしている。
ワックスを使っていないので再現度は100%ではないがそれなりにうまくできたと思う。
しかし、バニングスの反応はいま一つだな。
目逸らされちゃったし。
「へ、変じゃないわよ。うん、似合ってるんじゃない」
「そうか。じゃあ成功だな」
俺は安堵して胸を根で下した。
バニングスはなぜかそっぽを向いているがほめてくれたので大丈夫なのだろう。
問題ははやてが気に入ってくれるかどうかだ。前のほうがいいとか言われてしまったらかつらを買うしかないな。
そんなことを考えていると周りにわらわらとクラスメイト達が集まってきた。
「一ノ瀬くんなの!? どうしたのその髪?」
「一ノ瀬君!? でもさっきまで髪型違ってたよね?」
「一ノ瀬!? ホントに!? どうしたのこの変わりよう?」
「そんなバカな!? 一ノ瀬がこんな……ちくしょーー!!」
「一ノ瀬君って実は……知らなかった」
次々に話しかけてきた。しかもみんないっぺんに喋りやがる。
いや、ちゃんと一人一人聞き取れるけれどはっきり言ってかなりやかましい。
「こらー!! そんないっぺんに話しかけられてもわからないでしょ! ちゃんと順番に喋りなさいよ!」
一緒に喧騒のなかに巻き込まれていたバニングスの一喝で何とかこの場は収拾をつけることができた。
なんだか世話になりっぱなしだな。
しかしその後、教室に来た担任によって俺はまたも質問攻めにあってしまう。
放課後、すぐに図書館に行こうと急いで帰ろうとしたのだが担任に呼び出されてしまった。
しかも、心を読むまでもなく怒っているようだ。
案の定俺の散髪事件についてこってり絞られた。まじめな子だと信じていたのにとか、私だって頑張ってるんだとか、教師だって辛い時もあるんだとか。
最後のほうはただの愚痴になっていた気がする。
早くはやての所に行きたかったのだが思いのほか説教は長く、やっと解放されたころには一時間以上もかかっていた。
急いで図書館に向かったが間に合わず、閉館時間を過ぎてしまっていた。
俺は地面に膝をつき、がっくりとうなだれてしまう。
せっかくいろいろと変身してきたのに。はやてと会えないなんて。
というか次にはやてに会うまで一日待たなくてはいけないなんて。耐えきれない。
と、そのまま呪いのオブジェのように固まって負のオーラを撒き散らしているとふいに後ろから声をかけられた。
「希君? なにしてんのん? 変なポーズして?」
救いの声だった。俺は一気に負のオーラを霧散させて立ち上がった。
「はやて! 会いたかった!」
「いや、昨日も会うたやん」
俺のオーバー気味な喜びにはやては冷ややかにつっこんできた。
最近は慣れてしまったのかこういう対応が多くなってきてる。いや、反応してくれるのはうれしいんだけどもうちょっとこう温かい反応がほしいな。
うむ、そのためにもバニングスの作戦を実行せねば。
はやては俺の顔をまじまじと見つめてから妙に納得したようにポンッと手をたたいた。
「あぁ、なんや今日は遅いとおもたら散髪にいっとたんか」
「いや、遅れたのは先生に説教をくらっていたからだ。この髪は昼休みに自分で切った」
「自分で切ったんか!? そら先生も怒るわ。相変わらず斜め上の行動するなぁ、希君は」
はやては俺が変な行動をしたせいで先生に怒られたのだと勘違いしているようだ。
まぁ、どうでもいいことなのでスルーしよう。問題はここからだ。
「それで、どうだ? に、似合うか?」
そう、大事なのはここだ。もし気に入らないようならすぐにでもかつらを買いに行かなくてはならない。
運命の瞬間だ。
はやては俺をジッと見つめた後にっこり笑って判決を言い渡した。
「うん、かっこええとおもうよ。前のと違って眼もちゃんと見えるし。おっとこ前に仕上がってるで」
そう言ってはやてはグッと親指を突き出してくる。
作戦初成功!! やった!!
思わずガッツポーズをしてしまう。走り回りたい気分だ!
「でもあんまり先生を困らすような真似したらあかんよ」
「おう! わかった! 約束しよう」
「返事だけはいつもええんやけどなぁ」
返事だけはって。俺ははやてとの約束を破るつもりなんて欠片もないのに。
……たまに暴走して結果的に破ることはあるけど。
話がよくない方向に進みそうなので方向転換することにした。せっかく上がった評価を下げられたらいやだからな。
「そう言えばなんではやてはまだ残っていたんだ? もう閉館時間は過ぎていたのに」
だから先ほど絶望したというのに。
いてくれたこと自体はうれしいが少し気になっていたのだ。
するとはやては急にあわてだし、赤くなった。
「へっ! いや、あの、その……今日は希君が来ないからちょっと心配になって。時間もあるし、ちょっとだけ待ってみようとおもてん」
恥ずかしいのか尻すぼみに声が小さくなっていった。
だが、充分に聞き取れていた俺は感動した。
はやてが俺を待っていてくれたなんて。少なくとも嫌われていないのだろう。
感激だ!
「ありがとう、うれしいよ」
心が温かいもので満ちていくような感覚がする。
今、俺は自然に笑顔がこぼれていることだろう。今日はなんて良い日なんだ。
はやては恥ずかしいのかそっぽを向いてしまったが嫌がってはいないようだった。
このままずっと一緒にいたかったが無情にも時計は帰る時間を示していた。
「ほな、私はもう帰るわ。また明日な、希君」
そう言い残して、はやてはこの場を去ろうとした。
しかし、俺は嫌だった。
いつもなら我慢が出来ていたのに、今日は我慢できなかった。
それは先ほどの言葉がうれしかったせいか、一緒にいた時間が短すぎたせいか。
「待ってくれ」
はやてを呼び止めてしまった。いままでは我慢できたのに。
「ん、なんやの? もう帰らなあかん時間やで」
本当ならもっと仲良くなってから言うつもりだったのに。
断られる可能性がもっと低くなってから言うつもりだったのに。
今日は我慢できない。
「……よかったら、送っていっていいかな?」
この日、初めて俺ははやての家まで送ろうとしている。
「ええのん? 時間とか大丈夫なん?」
「連絡すれば平気だ。俺のわがままだが今日はもう少し一緒にいたいんだ」
はやては少し迷っているようだ。送ってもらうのを遠慮しているのか、単純に嫌でどう断ろうか迷っているのか。
……後者だったらどうしよう。
「うん、じゃあ……お願いしてええかな?」
こうして今日は初めてはやての家に行く記念すべき日となった。
道中、俺とはやての会話は今まで以上に弾んでいた。
バニングスの教えに従ってはやてと俺の共通の話題を話していたのが良かったようだ。
得意な料理、好きな本の種類、最近ハマっていることなどなど。おかげで今まで知らなかった一面を知ることができた。
とても楽しい時間だった。
しかし、この楽しい時間もいつまでも続くわけではなく、ほどなくしてはやての家までたどり着いてしまった。
名残惜しいが今日はこの辺で帰ることにしよう。
「ここがはやての家か。なら、俺はここまでだな」
「えっ? もう帰るん? せっかくやからちょっと寄ってかへん?」
はやての誘いに思わず身を固くする。
いや、はやての家にはいるのは大変魅力的で是非お願いしたいのだが
「しかし、俺はまだ社会に出ていないし稼いでもいない。そんなでは娘さんを下さいと挨拶してもご両親にいい印象は与えられないと思うのだが」
「いや、どんな挨拶をする気やねん」
はやてはあきれたように突っ込んできた。
俺としては本気なんだが。
「それに、両親はおらんから挨拶とかはできひんよ」
「何だ、留守なのか」
するとはやては少しさみしそうな顔をして言葉を続ける。
「いや、もう亡くなっとんねん」
何? ……なら、今は……
「まぁ、とりあえず家ん中に入ろうや。そこでいろいろ説明したる」
俺ははやてに促されるまま家の中に入って行った。
その時には別のことに頭がいっぱいになっていてもうはやての家に入るというドキドキ感はなくなっていてた。
そこではやての現状を聞いた。両親の事故のこと。原因不明の病気のこと。父の友人を名乗る男の援助によって生活していること。ただその男は忙しいらしく、今は一人暮らしをしていること。
すべてを聞いて俺は……自分の愚かさを思い知った。
はやてのことを何も知らずに。
一人で盛り上がって。
自分のことしか考えないで。
はやての辛さも知らないで。
何がはやてに惚れているだ。
自分勝手にもほどがある。
俺は大馬鹿野郎だ。
「そう……だったか。大変だったんだな」
「最初はな。でももう慣れたわ」
そう言って微笑んだはやてがなんだかとても儚く見えて俺は思わず目を背けてしまいそうになった。
しかし、ここで目をそむけてしまったら二度とはやてをまともに見れなくなる気がした。
だから、目を背けなかった。
しっかりと、はやての顔を見つめ続けた。
「俺は、はやてにそんなこと慣れてほしくない」
「えっ?」
辛そうな顔をしてもいけない。
だってそんな同情をさせるためにはやては俺にこのことを話したわけではないのだから。
そんな顔をしたところで、はやてに気を遣わせるだけだ。
「辛いことがあったら辛いと言ってくれ。俺に出来ることならなんでもするから」
なら、せめて、愚かな俺を信じて話してくれたはやてのために何かできることをしてあげよう。
「さみしい時はさみしいと言ってくれ。いつまでも傍にいてあげるから」
できることなんて微々たるものかもしれない。
それでも、全力で誠心誠意頑張ろう。
「何でも一人で抱え込まないでくれ。少しでもいいから俺に荷物を分けてくれ」
こんなことで今まで愚かな行為が帳消しにされるとも思わない。
それでも
「俺は、はやてを愛しているのだから」
そう思うと、自然に言葉があふれてきた。
「きみと、家族になりたいんだ」
俺の言葉を聞いたはやては驚いた顔をしていた。その眼に、だんだんと涙が溜ってくる。
「……ええんか? 本当に? 家族になってくれるんか?」
それでも、まだ遠慮がちに聞き返してくる。
俺は微笑んで、はやてを優しく抱いてあげた。
「いいんだ。俺はそれを望んでいる」
はやてはついに涙があふれ、俺を抱き返してきた。
「もう……寂しいんは嫌や。一人は嫌や! ずっと! ずっと! 一人は辛かった! もう、一人にせんといて!!」
はやては堰を切ったようにワンワンと泣き出してしまった。
溜っていた何かを吐き出すように、いつまでも泣き続ける。
「大丈夫、もう大丈夫だ」
俺はそんな彼女をたまらなく愛しく思った。
彼女をもう辛い目には合わさない。
俺が彼女を守り続けよう。たとえ、どんなことがあろうとも。
俺は心の中で密かに誓った。