【Sideシャマル】
「せやから、私はみんなが乗り気じゃないのを承知で管理局に入った。希君を守れる地位まで上り詰めるために。そのために上級キャリア試験も受けたし、指揮官研修も頑張った。魔法だって一生懸命覚えた。そして、この部隊を作った」
はやてちゃんの告白を聞きながら、私は呆然と立ち尽くしことしかできなかった。
あの後、希君はすぐに見つかった。
あの戦場から数十キロ離れた研究所らしき施設で。
どうやら発信機を自らにつけていたようで、一部の上層部にとって探すのは簡単なことだったらしい。
ただ、遅かった。
その発見はどうしようもなく遅すぎた。
発見されたとき希君は――――――――すでに物言わぬ体になっていた。
その情報はすぐさま私たちにも届いた。
現場の状況から、どんな情報が漏れたか分からないため、一級警戒態勢を取るようにと言う指令と共に。
だけど、私たちにはそんなことはどうでもよくて。
ただ、ただ、希君が死んだという事実が受け入れられなくて。
そんな、何も考えられずただ打ちひしがれていると……はやてちゃんが倒れてしまった。
そのことで、ハッと我に返った私達は慌ててはやてちゃんを支える。
その顔色は、私たち以上に真っ青だった。
頭が働かない状態のまま、それでもはやてちゃんの介抱だけはなんとかした。
その時、ふっと疑問が浮かんだ。
はやてちゃんはもしかして、覚えているのではないかって。
だから、聞いてしまった。はやてちゃんが目覚めて、私たち家族だけとなった医務室で。
そして……その最悪な予想が、現実のものとなった。
信じられなかった。
そんなそぶりなどかけらも見れなかったから。
それじゃあ、はやてちゃんも希君と同じように孤独に闘っていたというの?
「……この部隊は私のこの、たった一つの願いのために集めた夢の部隊や。ここで、私の力を見せつけるつもりやった。もう、大丈夫だと。私は一人で歩けるって。希君と共にだって歩めるって」
……言われてみれば思い当たるふしもある。
それでも、疑問は残る。
「でもはやて……希に隠し事なんて……」
そう、希君は心を読むことができるのに。
その疑問も、はやてちゃんの話ですぐに解消される。
「それもな、できんねん。だって希君は、大切な人の心は読もうとはしたがらないから。それは、私と再会した後のお父ちゃんたちが希君を無理やり呼び戻して確認している。もしその時に希君がお父ちゃんたちの心を読んでいれば、私の記憶なんてとっくに消されてたはずや」
……そうだ。そうだったわ。
希君は、なんだかんだ言ってこの能力を嫌っているように思える。
だからこそ、大切な人には使いたがらないのかもしれない。
それに希君ははやてちゃんの心だけは読んだ事がないと言っていた。
それは、今も続いているのだろう。
だから希君ははやてちゃんの演技に気がつかなかったのね。
十年かけて準備した、失敗の許されない決死の演技に。
そこまで話すとはやてちゃんは私たちに向かって辛そうに謝ってくる。
「……ごめんな、シグナム達を騙すような真似して。ううん、それどころか、私は自分のためだけに友達みんな騙して……せやけど、それでも、そうまでしても、私は……希君と共に居たかった」
声を詰まらせながら、吐き出すようにはやてちゃんは言う。
それから先は誰一人何も言えなかった。
こんな結末はないだろう。
こんなことがあっていいのだろうか?
なんで、なんではやてちゃんが、希君がこんな目に会わなきゃいけないの?
孤独に闘ってきた二人が、こんな形で終わらないといけないっていうの?
悔しくて、悲しくて、辛くて涙があふれてくる。
「……なんで、希も、はやても……そんなふうに一人で抱え込むんだよ……」
気付けば周りにもすすり泣く声が聞こえていた。
シグナムも、ヴィータちゃんも、ザフィーラもリインもツヴァイも涙を流している。
「……うん、ごめんなぁ。いやなとこばかり、似ちゃって」
そんな中、はやてちゃんだけは泣かずにうつむいたままだった。
しかしその目に生気はない。
きっともう、泣くこともできないのだろう。
その様子が悲しくて、痛々しくて、私は必死で考えていた。
何かこの状況を打破するものはないだろうかと。
はやてちゃんを、希君を助ける方法を。
なんでもいいから……
例え、悪魔に祈る形でも!
その時、はやてちゃんの端末に一通のメールが届いた。
差出人名には
一ノ瀬希と、書かれていた。
【Sideはやて】
何も考えられなかった。
十年間の想い。
ここまで積み重ねてきた希望。
それが、一瞬にして壊されてしまった。
これは、身勝手な願いのために、友を、家族を騙してきた報いなのだろうか?
それでも私は、このたった一つの願いをかなえたかったのに。
心が闇に蝕まれていくのが分かる。
あぁ、あかん。今は、あかん。今、頭を働かしてしまったら私は……
自己防衛の現実逃避のために私は思考停止状態になっていた。
「……はやてちゃん、これ」
だから、シャマルの呼びかけにも機械的に頭を上げただけだった。
そこで、見た。
端末に届いた一通のメールを。
差出人の名は、一ノ瀬希。
「……う、そ?」
私の声は驚きで震えていたと思う。
余裕がなくて見ることはできなかったが、たぶん、シグナム達も驚愕していただろう。
私はそのまま震える手でメールを開いた。
そこには、
[私の名前を呼んでください]
と、だけ書いてあった。
他には何もない。
それにまた落胆してしまう。
どう考えてもこれはただのプログラムで発信されたメッセージだ。
おそらく、自分の消息が途絶えた時様に希君が作ったものだろう。
正直、こんなものは投げ捨ててしまいたかった。
これではまるで本当に希君がもう現れないみたいではないか。
それを認めるのが嫌で、私は一度メールから目を背けてしまう。
でも……
私はもう一度顔を上げ、メッセージに従う。
「一ノ瀬、希」
そう、声を出した瞬間、いきなり画面が代わる。
メールに含まれていたであろうプログラムが作動し、私の端末に新たなプログラムを作っていった。
そして、すぐにその作業は終わり、まるで青空の中に黒い球体が浮いているような画面が現れる。
その、球体が喋り出した。
[音声認証終了。お疲れ様です。マスターはやて]
急な話しかけに私はびくりとなってしまった。
え? なんや? これ?
それを感じたのか、その球体は私に説明を開始する。
[私はこれからマスターはやての補助を担当する、管理用AI アハトと申します]
「管理用AI ?」
「Ja。マイスター希によって蒐集された情報を管理するために、私は作られました。そして、マイスター希の命により、今後は八神はやて二佐の補助をさせていただきます]
「……私の、補助?」
[Ja。それが、マイスターの意思です。なんなりと、ご要望を]
そう言ってアハトは私の指示を待つ。
このアハトは、形見のつもりなのだろうか?
希君がいなくなった後も、私の身を守れるように。
だけど……
[……わかった。ほんなら、一つ、聞きたい事がある]
[Ja。ただし、私があなたの元に来た理由はお答えできませんのでご注意を]
「そうやない。私が聞きたいんは」
私は、諦めることができない。
「彼が、まだ生きている可能性はどのくらいか、や」
その質問に騎士のみんなは驚いていた。
[……死体が見つかったとの報告があったはずですが?]
アハトも胡乱気に聞き返してくる。
「それでも、あなたの意見が聞きたい。今まで、一番彼の近くに居たあなたの」
確かに自分でもおかしなことを聞いているというのは分かる。
だけど、どうしても認めたくなかったから。
信じることができなかったから。
だから、すがる。
「1%でも、ううん、それに満たなくてももええ。本当に、彼が生き残っている可能性はもう……ゼロなん?」
例え、髪の毛ほどの可能性だとしても……
しかし、アハトの答えは私の想像を大きく上回っていた。
[……現在、マイスター生存の可能性は50%ほどです]
50、%? そんなに?
皆、その可能性の高さに唖然とした。
「ホント、か? ウソじゃないよな?」
[Ja、あくまで私の予測範囲内にでは、ですが]
ヴィータが思わず聞き返したけど、答えは変わらない。
すると今度はシャマルが質問をする。
「でも、死体が見つかったのよ? あなたの予測の根拠は何なの?」
[マイスターが追っている事件の犯人が問題なのです]
そう言ってアハトは画面を変化させた。
そこには、一人の犯罪者のデータが映し出される。
[ジェイル・スカリエッティ。生命操作や生体改造、精密機械に通じた科学者であり、広域指名手配されている次元犯罪者。この男が敵だからこそ、死体はあてになりません]
アハトの説明を受けながら、私はある事を思い出していた。
こいつは、聞いた事がある。確かフェイトちゃんが何年か前から探しとった奴や。
その理由は……
[プロジェクトFと呼ばれるクローン技術を生み出した、この男ならば]
クローン。遺伝子操作で作られた、全く同じ容姿を持つ人間。
なら、もしかして!
[死体の偽装は簡単にできるはずですから]
その知らせは、光だった。
暗闇に沈んでしまい、先の見えなくなってしまった私を照らした、唯一の希望。
[それに、この男ならマイスターにつけられたあの胸糞悪い首輪も解除できるでしょう。狂っているとはいえ、マイスターが認めた唯一の天才ですので。無論、いい気分はしませんが]
「アハト」
アハトは後半、独り言のように根拠を並び立てていたけど、私はそれを遮り、次のお願いを言う。
「彼を探して。一刻も早く。手段は選ばんでええ。お願いや」
言いながら私はアハトに向かって頭を下げた。
希望があるうちは、私は諦めない。
途中で諦め切れるほど、私の想いは軽くなかった。
その様子にアハトは
[……一つ、質問してもよろしいですか?]
神妙な様子で、私に聞いてくる。
[探して、どうするつもりです? マイスターはすでに死亡認定されています。いまさら生きていましたと戻ってきたところで、マイスターに籍は残っていない。むしろ、その能力の特性から、長時間局の管理から外れたという理由だけで捕まりかねない。それなのに、なぜ探すのですか?]
アハトの声は静かで淡々としたものだった。
だけど、その声質以上の真剣さがうかがえた。
[もし、マイスターの力が欲しいという理由ならばやめた方がいい。すでにあなたには私がついているので、そんなかける意味は]
「ちがう」
だから、私も本音で答える。
「力なんていらん。私が欲しいのは、彼の自由や」
[マイスターの自由、ですか?]
「そうや。彼が無事で、自由になれば私はそれでええ。管理局が彼の捕まえるっちゅうんやったら、全力で隠す。私が、彼を守って見せる」
もう、アハトに私が思いだしている事がばれてもよかった。
ただ、希君を救いだすことができるのなら、それで。
すると、アハトは驚きながら私に聞き返してくる。
[本気、ですか? 管理局を敵に回すつもりで?]
だけど、その答えはもう十年も前に決まっていた。
「彼のためなら、世界を敵に回しても構わない」
かつて、希君がそうしたように。
アハトは私の宣言を聞いた後、しばらく考え込むように黙っていた。
そして、やっと口を開いた時、画面が急速に動き出した。
[マイスターを直接見つけるのはいささか難しいです。忌々しい事にジェイル・スカリエッティは天才ですので。加えて、奴のスポンサーも厄介なので。急ぐのならば、別ルートがよろしいかと。ですが……]
言いながら、画面に高速で動き続ける。
[その情報を開示するには、あなたの権限が足りません]
「権限?」
[Ja、私は確かに貴方のフォローを指示されていますが、すべてを教えていいとは申しつけられていません。故に、あなたの望む情報を得るために、情報開示レベルを上げる必要があります]
なるほど。希君はアハトを貸してはくれるけど、全面的に協力してくれるつもりはなかったっちゅうわけか。
でも……
「どないしたら、情報開示レベルを上げる事が出来るん?」
[Ja、私の出す条件をクリアし、マスター契約していただければ、すぐにでも]
「……条件」
アハトの言葉を聞き、私は一気に緊張が増す。
管理者である希君の意思に逆らってまで通そうとする意見だ。
どんな難題が出るのか想像できない。
でも……
「わかった。飲む。どんな条件でも」
どんな道だろうと、私は止まらない。
希君を救うためだったら、なんだってしてやる。
[Danke、では、条件ですが……]
そんな決意のもと、返事をした私の元に帰ってきた条件は……
[マイスター希を、救って欲しいという事です]
ある意味、予想外のものだった。
え? それって……
私がポカンとしていると、アハトが説明を始める。
[元々、マイスターの命令はあなたの保護だけです。マイスター自身を助けろとは言われていません。ですが、個人的な願望を言えば私はマイスターを助けたかった。例え周りに悪魔と罵られようと、彼は私のたったひとりの、何よりも大切な創造主だから。彼がそれを望んでいなくても、私は彼を助けるつもりでした。だから]
アハトは、想いを吐き出すように語る。
私とアハトの願いは、初めから一緒だった。
[お願いします。マイスターを、救ってください]
「もちろんや、絶対に、助けてみせる」
私は力強く頷いて見せる。
[Danke、マスターはやて]
目的は同じ、力強い仲間ができた。後は、突き進むだけや。
するとアハトは先ほどまで動かしていた画面に、新しいウインドウを表示した。
[まずは、真の敵を認識してください]
そのウインドウには、希君が調べたと思われる一連の事件の概要、黒幕の正体が載っていた。
その正体に、私たちは驚きを隠せなかった。
こんな、ことって……
「嘘、やろ……」
この時、私は初めて希君を取り巻く闇の一部に触れた。
それは私にとって想像以上に、強大なものだった。
[マイスターのロックがあるため、これですべてではありませんが。ロックの解除も、挑戦しますので、協力お願いします]
それにはさらに奥があるらしい。
だけど
「……わかった。協力する」
[Danke]
勝つ。これが希君の敵ならば、勝って証明したる。
私が傍にいられるということを。
やることは山ほどできた。
落ち込んでる暇はない。
「いくよ、みんな」
「「「「「「おう(はい)!」」」」」」
私は、まだ止まれない。
家族と共に、つき進む。
失った最愛を取り戻すために。
[Danke、マスターはやて。加えて一つ、お願いがあります]
【Sideウーノ】
薄暗い研究室の一室で、私とドクターはガラス越しの部屋で鎖に繋がれたまま寝かされている男を見つめていた。
その男を見るドクターの顔は、まるで長年欲しがっていたおもちゃをようやく手に入れることのできた子供の様に喜色に満ちていた。
そして、ようやくその男が目を覚ます。
「やぁ、やっとお目覚めのようだね」
男はまだ意識がはっきりとしていなかったのか、ぼんやりと声をかけたドクターの方を向き、その姿を見て驚きに眼を見開いた。
「待ちかねたよ。ようこそ、私の元へ。わが同類、一ノ瀬希」
ドクターはとても嬉しそうに眼を覚ました男、管理局の悪魔、一ノ瀬希の復活を祝った。
一ノ瀬希の驚きは一瞬で終わり、すぐさま状況を把握しようと眼であたりを見渡し、自分の体を確認しはじめる。
切り替えが早すぎる。随分と冷静なものだ。
ドクターの話では騎士ゼストとのを戦闘で酷使したので相当体は痛んでいると聞いていたが。
「あぁ、傷は治してあげたよ。君には死んでほしくはなかったからね」
そんな一ノ瀬にドクターは丁寧に彼の容体について教えた。
「いや、なかなか大変だった。ちょっと血液を流しすぎていてね。まったく、騎士ゼストには困ったものだよ。もっと丁寧に運んでくれればよかったものを。おかげで君が目を覚ますのに一週間もの時間がかかってしまった」
大仰に、それでいて少し得意げに話すドクターを一ノ瀬は睨みつける。
恩知らずな奴め。
実際、この男の傷を治すのにはそれなりに苦労をした。
なにせ
「安心したまえ。なにもいじってはいないさ。君の中身は、ね」
そう、ドクターは本当にこの男の中身をまるで弄らなかったからだ。
騎士ゼストの様なレリックウエポンにするでもなく。
私達のように戦闘機人化させるわけでもなく。
ただ、単純に傷を治しただけだった。
今している拘束にしても、それほど大したものじゃない。
単純に鎖で手足を繋いでいるだけだ。
ドクターならば決して逃げられないように洗脳処理なり何なりできるにもかかわらず。
もっとも、今の状態だろうとこの男に逃げるすべなどないとは思うが。
しかし、私にはドクターの考えがわからなかった。
騎士ゼストの協力を得てまで捕まえた男に対し、何故こんなゆるい拘束しかしないのか?
何故、すぐに最高評議会に明け渡さず、むしろ連中にまで隠してこの危険な男をこちらのアジトに連れてきたのか?
ドクターにその疑問をぶつけてみたがこの男が起きれば分かるとしか言ってもらえなかった。
私には謎が深まるばかりだ。
まぁ、ドクターの言うことならそれを信じるまでだが。
そして、ドクターの言葉通り、その答えがわかる。
眼の前の悪魔によって。
「なるほど。そこまでして素の俺が欲しかったのか。なぁ、同類」
……なに? この男は、何を?
私が言葉の意味を推し量っていると、ドクターはクツクツと笑いながらそれを肯定してしまった。
「クックック。まぁ、そういう事さ。何せ君は貴重な異常者だからね。狂ってて、外れてて、壊れてる。唯一と言っていい、私と同類の」
何処までも愉快そうに、ドクターは笑っていた。
それは私たちに向けるものと違う、対等なものへと向ける笑顔だった。
しかしこの男はそんな事には全く興味がなさそうにしている。
「で、いったい何をするつもりだ? 条件次第じゃ、協力するぞ」
それどころか、あっさり協力するとまで言い出した。
「そんな言葉が信じられるとでも?」
この男は何を言っている?
十年以上献身的に努めた管理局を、あっさり裏切るだなんて。
とても信じられない。
「俺は別に好きこのんで献身的に努めていたわけじゃない。あんなところ、潰れるなら潰れるでどうでもいい。立場的にはこの狂人と似たようなものだ。表に出てるか出ていないかの違いしかない」
声に出していないはずの私の思考に、一ノ瀬は答えた。
……この男、何時の間に能力を? ……まるで兆候がなかった。やはり、危険な力だ。
しかし、立場がドクターと同じとはいったいどういう事だ?
自らの意思でないとすれば、この男なら簡単に逃げ出すことくらいできただろうに。
この男に縛られる理由などなかったはずだが?
私が疑問を浮かべている中、ドクターはそんな一ノ瀬の力を目の当たりにし、更に笑みを広げる。
「クックック、実にすばらしい。いや、しかし、そこまで素晴らしく力を制御できるのだ。わざわざ聞かずとも、直接私の心の声に耳を傾ければよいではないか。私は気にせんよ」
むしろ、それを望んでいるかのようにドクターは満面の笑みで一ノ瀬を誘った。
私にはドクターの考えがわからなかった。
何故、そんな真似を? ドクターの頭には今後の計画のすべてが入っているというのに?
私は自身の危惧をドクターに進言しようとしたが、意外な形でそれは必要性を失う。
「貴様の狂った思考など聞きたくもない」
なんと、一ノ瀬の方から能力を使うのを嫌がったからだ。
私がそれに驚き、安堵したがドクターは心底がっかりしたようだった。
「なんだ、つまらないな。ある意味予測通りだが……まぁ、いい。些細な事だ」
拗ねたようにそう言ってからドクターは先ほどの一ノ瀬の質問に答える。
「悪いが、今は君の協力を得る必要はないんだ」
このドクターの答えに、私は素直に頷いた。
当然だ。
こんな奴の言う事など、信用できるはずもない。
しかし、ドクターの答えはそれだけでは終わらなかった。
「いや、正確にいえば今の君は協力することを拒否するのさ。なに、安心したまえ。このどちらにせよ実験が済めば、君は解放してあげるさ」
ドクターは、いつも簡単に私の予想を飛び越える。そんなことは重々承知しているつもりだった。
しかし今回はさすがに驚きを隠せなかった。
「ド、ドクター!? 何故ですか?」
「なに、私としても彼はぜひ手元の置いておきたいと思うような人物なのだが、残念だがそれはすでに諦めてしまっていてね。まぁ、それでも今回捕縛したのは単純に計画の邪魔だったからというのが大部分の理由さ。彼への実験はことのついでなんだ」
ドクターはそれで十分説明したといった風だったが、私には納得できなかった。
今回ばかりは、ドクターの考えに意見してしまう。
「その程度の理由ならば、殺すべきです。この男は危険すぎます」
「フフッ、こんな稀有な能力もちを殺すなど、そんな勿体ないことはできないさ、ウーノ」
「しかし、危険です。せめて、我々に刃向かう事が出来ないよう洗脳処置を」
「いや、それは無駄だよ。彼は精神系のエキスパートだ。いくらこちらが洗脳処置をしようとも、彼は身一つでそれらを簡単に解いてしまうだろう。故に、レリックウエポンにもできないのさ。支配下におけないのなら、単純に力を与えてしまうだけという結果になるだろう? まぁ、どちらにせよレリックウエポンにすることはしなかっただろうけどね。素体としても些か以上に不適合だ」
「なら……能力だけ受け継いだクローンを作っては? そうすれば」
「あぁ、ウーノ」
ドクターは最後の意見は最後まで聞かず、駄々をこねる子供に言い聞かすようにいう。
「そうじゃない、そうじゃないのさ。クローンに意味などはない。なぜなら、私が言っている彼の重要な能力はサトリなんてちんけなものではなく……その精神性なのだから」
それから、ドクターはまた一ノ瀬に語りかける。
「いやまったく、同じ人とは思えないほどの精神力だよ。あの、クズ溜めの様な腐った管理局の上層部の人間の心の声を何十人と聞いて平静を保ったままでいられるなんて。……いや、実は私も試しにウーノの言う様に同じ能力を持つ君のクローンを何体か作ってみたが……ククッ、結果はすべて失敗さ。能力を発現させることまではうまくいくのだが……能力起動から数時間もしないうちに発狂して使い物にならなくなってしまったよ。いや、これは素直に恐れ入る。尊敬に値するね、君は」
ドクターは自分の失敗談を話しているというのに実に楽しそうだった。
しかし突然表情を一変させ
「しかしだからこそ、残念で仕方がない」
初めてドクターは残念そうな顔をする。
そして
「そこまで君が管理局の、いや、機動六課の、正確に言えば……」
一ノ瀬の顔に、初めて表情が現れる。
「八神はやてに固執している、今の君が。たかが昔の恋人ごときのために」
驚きと焦燥、恐怖がその表情にありありとあらわれた。
この男が目を覚まし、初めて見せる生の表情だった。
「おやおや、君ともあろうものが随分とみっともない顔をしているじゃないか。悲しいな。この女はそんなにも君の進化を停滞させているのか」
「……な、ぜ?」
その声も、かろうじて絞り出したようにかすれていた。
「ん、そんなことにまで頭が回らないのかい? やれやれ困ったものだ。多少考えれば済むことだろう。まぁ、確かに最高評議会はこの事実を私に隠してはいたが……君と彼女の関係を知っているものは、いったいどれだけいたと思う? 君は記憶を消して安心していたようだが、その記憶が戻すことができるものがいるとは考えつかなかったのかい?」
ドクターの説明を聞く一ノ瀬の表情は、みるみる絶望に代わっていく 。
「まぁ、その絶対なる自信も私は好きだがね。生憎、私とて天才と呼ばれる人種なんだ。外科的に記憶を呼び戻すことだってできる。まぁ、多少手間取って何名もの実験体は使った上に記憶の引き出しをした人物は使い物にならなくなってしまったりもしたが。いや、これは称賛に値するよ。さすがはわが同類だ。しかし」
止めとばかりに、ドクターは男に妖艶な笑みを見せながら言い放つ。
「詰めが甘かったね。本当に秘密を守りたかったら、きっちりと殺さないと。それとも、直接手を汚していないという免罪符さえあれば再び彼女の元に戻れるとでも思ったのかい?」
その言葉に、男は茫然とし何も言えなくなってしまった。
その様子を見たドクターは悲しそうの溜息をついて
「……やれやれ、そこまで毒されていたのか。仕方がない」
なんてことのないように、今後の方針を決定した。
「やはり、君を解放するには八神はやてを殺すしかないか。まぁ、元々その予定ではあったから、問題はないが」
その瞬間、場の空気が一変した。
まるで、質量伴っているような濃い密度の殺気が一ノ瀬から発せられる。
その形相は、まさに悪魔の様で
「……彼女に手を出してみろ、コロスぞ」
言葉には、いやがおうにも恐怖を抱かせる響きがあった。
今、この男にできることなど何もないということは分かっているはずなのに……
冷や汗が止まらない。思わず、尻もちを突きそうになったのをこらえるので精いっぱいだった。
これが……管理局の悪魔……
この豹変ぶりに、ドクターは今日一番の笑みを向ける。
「ククッ、クククッ、ハーハッハッハッハ! いいぞ! まさにそれだよ! その狂気! それこそ君にはよく似合う! フハハハッ! いい! 実にいい! その狂気を君が取り戻すことができるというのなら……私は喜んで君の標的になろう! 故に!」
それだけで殺せるような眼光を向ける一ノ瀬を真正面から見据えながら
「君はすべてが終わった後、自由になれる! それが今回君に成す実験さ!」
ドクターは狂ったように笑い続けた。