【Side希】
ふざけるな、だ。
こんな狂人に、俺の最愛を、俺の十年を、すべて壊されてたまるか。
こんな、狂った実験ブチ壊す。
どんな手を使ってでも……
【Sideルーテシア】
私はこの日もまた、手に入れたレリックをドクターの元に届けに向かっていた。
最近は、グッとレリック集めが楽になった。
ドクターがレリックをいっぱい集めていた人を捕まえたおかげで。
その事にアギトは素直に喜んでいたけど、ゼストは微妙な表情をしていた。
だけど、まだ私の欲しているものは手に入っていない。
刻印ナンバーXIのレリック。
これを手に入れ、母様を復活させないと私にはいつまでたっても心が生まれてこない。
だから、早く見つけ出さないと……
そんなふうに私が考えながら歩いていると
《別に、そんな事しなくてもお前の母親を復活させる方法はあるぞ。ルーテシア・アルピーノ》
唐突に、頭の中にそんな声が響いた。
これは、念話? だけど、魔力を感じない。いったいなぜ?
「? どうしたルール―?」
私がその声に驚き立ち止まってしまっているとアギトが不思議そうに私に声をかけてきた。
だけどすぐに私と同じように驚いた顔になり
「だ、誰だ!?」
と、叫ぶ。
アギトにもあの声が聞こえたみたいだった。
《まぁ、警戒するなと言う方が無理かもしれないが話しだけは聞いてくれ。それと、返事がしたいのだったら声を出さずに頭の中で考えるだけでいい》
頭の中で考えるだけ?
それだけでどうして会話が……と、私が思っているとアギトがハッと気付いたように
「まさかお前、旦那が言ってた管理局の悪魔とかいう、一ノ瀬希か?」
と、言う。
その人物に私は心当たりがあった。
確か、この間ゼストが倒してドクターに渡したっていう、レリックを集めていた管理局員?
ドクターが珍しく凄く嬉しそうにしていたけど、こんなレアスキル持ちだったんだ。
私には関係のない事だから気にしていなかったけど。
でも、そんな事より
《母様を助ける方法があるって、どういう意味?》
そちらの方が、私は気になった。
もちろん、すぐにこの人の話を鵜呑みにするつもりはないけど。
気になることは気になる。
いったい、どういう意味なのか。
《そのままの意味だ。レリックなど使わなくても、お前の母親は助かる。なぜなら》
だけど、その時この人から告げられた真実は私にとってあまりに衝撃的だった。
《メガーヌ・アルピーノはまだ生きているのだから》
「……うそ」
《ウソではない》
とても信じられなかった。
それでも、心が揺さぶらされてしまう。
「テメぇ! でたらめ言ってんじゃねーぞ!」
《真実だ。今のメガーヌ・アルピーノならキチンと生体ポットから出すことができれば管理局の医師でも蘇生可能なレベルだ》
アギトが怒鳴って言い返すけど、彼の答えは変わらない。
当たり前のことのように、母様の生存を示唆して来る。
《とはいえ、俺もすぐに信じてもらえるなどとは思っていない。まぁ、よく考えてみる事だ。嘘をついているのがだれなのかを》
そう言って、彼の念話は途切れた。
私の中に大きな波紋を残して。
【Sideゼスト】
夜、いつもの様にスカリエッティの元へレリックを届けに行ったルーテシアとアギトが帰ってきた。
いつもの様に二人を迎え入れ再び旅に出ようとしたのだが、どうも二人の様子がおかしい。
一ノ瀬を捕らえたことでレリック集めの効率が良くなったものの、集めるレリックが外れ続きで少し気落ちしていた感はあったがこれほど露骨に動揺はしていなかったはずだ。
「何か、あったか?」
こういう時にもっとそれとなく聞ければいいのだろうが、騎士だった私にはそのような迂遠な言い方が思いつかず、素直に疑問を口にしてみた。
すると二人は私の問いかけに少し迷った様な表情をしたが、ほどなくして何があったのか話してくれた。
その内容に、少なからず私は驚いた。
メガーヌが、生きている、だと?
「すまねぇ旦那、私たちだってあの野郎の言うことなんか簡単に信じたわけじゃねぇんだけどどうしても心に残っちまって……こんなことで動揺している場合じゃないのに」
そう言ってアギトは私に謝ってくる。
しかし……
「こんなふうに私たちをそそのかせて、あいつ、何が狙いなんだ? まさか私たちを動揺させて少しでもレリック集めを妨害しようなんてみみっちい事考えてるんじゃ」
「いや」
私はアギトの否定的な意見を途中で遮った。
そして、一つの可能性を示す。
「今となってはそんなこざかしい事をする必要など、あの男にはないだろう。寧ろ、その言葉が真実である可能性が高い」
その私の発言に、二人は驚きの声を上げる。
「な、何言ってんだ旦那!?」
「本当?」
「本当だ」
そういう私に、アギトはすぐさま反論してきた。
「で、でも旦那、あいつ悪魔とか呼ばれてる様な奴なんだろ?」
「ああ、そうだ」
「だったら、なんで信じられるんだよ。私たちを騙そうとしてるんじゃないのか?」
アギトは不安そうにそういった。
どうやら、私が伝えた情報と戦闘機人達が奴を避けているという状況から相当良からぬやつだと思っているらしい。
無論、その認識もあながち間違いではない。
だが、奴はそれだけの男ではない。
「騙そうとしている、というよりは何かに利用しようとしているのだろう。だからと言って、奴の言葉がウソだという事にはならない。お前は少し、奴について思い違いをしている」
私は二人に私がウソではないと思った根拠を話した。
「奴の恐ろしいところは、奴が交渉においてウソをつかないところだ。少なくとも、私が管理局に居たころは奴の情報が誤情報だったという話を聞いたことはない。奴は、相手にとって都合の悪い真実のみを用いて敵を殲滅する」
だからこそ、奴の情報は価値がとてつもなく高かった。
奴を手に入れることができれば、天下を取れると噂されるほどに。
「じゃあ、本当、なの?」
私の話を黙って聞いていたルーテシアが、不安そうに聞いてくる。
これが真実ならば、自分のしてきた事がまるで無意味だったと言われているような物なので無理もない。
だが私には奴の言葉が偽だと言い切る事は出来なかった。
それでも、不安が残る。
「……仮に真実だとしても、それだけでは終わらんだろう。おそらく、他にも何かある。でなければ奴にメリットがない」
そう、奴は真実をいう。
だが、すべてを語るわけではない。
平然と、重要な真実を隠したりもするのだ。
「じゃあ、どうすんだよ、旦那?」
アギトの問いに私はしばし考える。
おそらく、奴の狙いは……
考えをまとめ、決意を固めると立ち上がり、二人に告げる。
「奴と直接交渉をしてくる。奴の声が聞こえたという地点を教えてくれ」
今回、二人にこんな言葉を贈ったのは私を交渉の場に寄せるのが目的だろう。
それに、乗ってやることにしたのだ。
「……わかった、旦那。案内するよ」
「いや」
悩みながらも一緒に飛び立とうとしてくれたアギトを私は制する。
「私一人で行く。アギトはここでルーテシアと共に待っていてくれ」
「でも、旦那」
「人数が増えてはスカリエッティに気付かれる心配が増える。今後のため、なるべくこの交渉は内密にしたい」
そういう私にアギトはう~っと唸って頭を抱えていたがやがて
「だぁー! わかったよ旦那。旦那に任せる」
と言って私に交渉場所を教えてくれた。
それを聞いた私が旅立とうとすると
「気をつけて」
と、ルーテシアが不安そうに声をかけてくれた。
「わかった」
私はそれに一言だけ返し、すぐさま飛び去っていった。
悪魔との交渉、か。
生前の私ならば考えつかなかっただろうが、それもよかろう。
ルーテシアとアギトの救いとなるのならば。
ほどなくして私はアギトとルーテシアが声を聞いたという場所にたどりついた。
そこはスカリエッティの現アジトからほど近い森の中で、身を隠すにはなかなか都合のよい場所だった。
ここで交渉ができるのならばそれに越したことはないのだが……さて、どうしたものか。
こちらには向こうからの接触を待つことぐらいしかできんのだが。
などと考えていると、すぐに
《遅かったな、騎士ゼスト。待っていたぞ》
一ノ瀬からのコンタクトは開始された。
《やはりルーテシア達に声をかけたのは私を呼ぶためだったか。しかし、随分と迂遠な事をする》
《仕方がないだろう。お前は狂人のアジトに寄り付かない。かといってそのままお前を呼ぶようあの二人にいったところで、警戒してお前はこないだろう? だから、来やすいように餌をまいただけだ》
《餌、か》
一ノ瀬の声は念話の様に私の脳内に直接響いていた。
これは二人に聞いていた通りだ。問題ない。
しかし問題は
《安心しろ。餌と言っても疑似餌ではない。生き餌だ。つまり》
《メガーヌが生きているというのは、本当だということか》
《あぁ、そうだ》
一ノ瀬は私の疑問にしっかりと肯定で返してくる。
確かに、ウソをついているようには聞こえない。それに、先ほどもいったがこの男は交渉で嘘をついた事がないという。
しかし、それだけで全面的に信じられるほど、容易な問題でもない。
《まぁ、その通りだな。だが、こればかりは信用してもらうしかない。証拠がないというわけではないが……今の囚われの身では用意ができない》
平然と、一ノ瀬は私の思考にも返事を送る。
やはり思考は駄々もれか。まぁ、いい。
《それならば、この話は平行線だ。まさか証拠を用意するために逃げるのを手伝えなど度言うわけではあるまい。そんなリスキーなことはできん》
忌々しい事だが現状ではスカリエッティの方がまだ信用できる。
一ノ瀬の言葉に裏付けはないが、スカリエッティにはあるからだ。
奴は確かに、治せる技術を持っている。それはこれ以上ないほど明確に証明できている。
私自身がここに立っているのだから。
《そうだな。無論、それだけでは餌として魅力が薄い事は重々承知している。だが、これ以上は用意できないのでな》
そうはいうものの、一ノ瀬は全くうろたえている様子は見られない。
むしろその声色は勝利を確信していると思うほど、自信に満ちていた。
《だから、もう一方、スカリエッティの餌の魅力をそぎ落とす事にしよう》
そして、その自信はすぐに本物だという事がわかった。
《あの狂人はすでにナンバーXIのレリックを手に入れている》
《な……に……?》
一ノ瀬の真実、それは小さいとは言えない衝撃を私に与えた。
《第63管理世界、そこにあるスカリエッティのアジト内にナンバーXIのレリックはある。そこでお前らに見つからないよう隠されている。つまり》
そう、スカリエッティがすでに手に入れているというのならば、答えは一つだった。
《奴にはメガーヌ・アルピーノを治療する気はない。あいつの約束はお前たちを都合よく使える手駒としておいておくための、疑似餌だ》
今度の一ノ瀬の言うことは確認ができる。
第63管理世界に行き、アジトを調べればいいだけの事だ。
だからこそ、この言葉が真実であるという事が分かってしまった。
衝撃はあった。
しかし、まるっきり信じられないと言えるほど、私はスカリエッティを信用できるはずがなかった。
むしろ、こちらの真実の方がしっくりくるというほどだ。
……では、私は今まで奴らにいい様に利用されていたということか。
私がその事に拳を固めていると、更に一ノ瀬はいう。
《あぁ、だからと言ってすぐにでも反旗を翻してメガーヌ・アルピーノを奪いに行こうなんて真似はしない事だ。お前一人では無駄死にする。それにルーテシア・アルピーノだって敵になるぞ》
《なに?》
何故、ルーテシアが敵になるというのだ?
確かにルーテシアは私たちよりはスカリエッティに友好的だが、騙されていると分かってからも向こう側につくなどとは思えない。
《彼女はスカリエッティに洗脳処置を施されているからな。本人の意思とは関係なく、向こう側になる》
《っ!?》
まさか、そんな事が……ならば、私は何のために……
私が事実に打ちのめされている中、今度こそ一ノ瀬の本当の取引は開始されていった。
《事実は伝えた。さぁ、選べ。このままスカリエッティに利用されたままがいいか、俺と共に奴の手の中から抜け出すか、を》
地上本部襲撃の日が来た。
私はルーテシアとアギトと共にスカリエッティに指示を受けた場所に待機をしていた。
「本当に、いいんだな」
「……うん」
私の最後の確認に、ルーテシアは小さく頷く。
そこに、ウーノからの指示が来た。
「それでは、ルーテシアお嬢様、始めてください」
その指示を合図に、我々の作戦は静かに始まった。
「遠隔召喚、開始」
【Side希】
地上本部襲撃の日、俺は変わらずスカリエッティの用意した独房に入っていた。
そこに人影はない。
捕まった当初こそスカリエッティやナンバーズが様子を見に来たものの、最近は全くと言っていいほどこなくなってきた。
スカリエッティは管理局襲撃とゆりかごの調整に忙しく、ナンバーズは常時殺意の目を向ける俺を怖がってしまったからだ。
まぁ、こちらにとって好都合だからいい。
ただ、無論監視は続いている。
今だってガジェットⅠ型二体とⅢ型一体が独房の前に鎮座している。
奴らはせわしなくその目の様な部分を動かして俺の監視に当っていた。
そんな中、俺は眼を瞑り、ただ大人しく座っていた。
すると突然、監視をしていたガジェット達の動きが止まる。
同時に、俺を閉じ込めていた独房の電子ロックが外れる音がした。
それを確認した俺はゆっくりと目を開け、眼の前の暗闇に声をかける。
「待っていたぞ、召喚虫」
俺の呼びかけと共に暗闇はなくなり、その姿が現れる。
そこには、ルーテシア・アルピーノの召喚虫、ガリューが立っていた。
召喚虫はそのまま独房の中に入ってきて、俺の足の枷を切った。
騎士ゼストとルーテシア・アルピーノ。
二人は俺の取引に応じたのだ。
「では、行くか」
俺は長い事封じられて手足を振り、その動き具合を確かめるとすぐさま立ち上がった。
すると召喚虫のガリューが自身と俺、共に送られてきた数匹のインゼクトに環境迷彩をかけ、その姿を隠した。
俺が願ったこちらへの救援はこれだけだ。
騎士ゼスト達は来る予定はない。
彼らはギリギリまでスカリエッティの指示に従っているふりをする算段になっている。
こちらの行動が目立たないようにするためのカモフラージュだ。
姿を隠しながら、俺たちは研究施設内を進む。
今は大きな作戦の最中で、ナンバーズはいない。
ガジェットも最低限の数を除いて出払っている。
俺が来て以来、最も警備も薄い時だ。
この時のために、我慢を重ね大人しく待っていたのだ。
そのまま俺たちは的に見つかる事もなく、目的地にたどり着いた。
メガーヌ・アルピーノの捕らえられている生体ポッドのある場所に。
そこはさすがに数体のガジェットが警備をしていた。
しかしそれも問題ない。
インゼクトがその操作系を乗っ取ってしまったからだ。
おかげで、俺たちはガジェットの目の前に居るにもかかわらず居ない事として認識されている。
邪魔ものがいなくなったのを確認した俺は、生体ポッドの操作盤を起動した。
さて、ここからが問題だ。
今は大事な作戦中とはいえ、何時こちらに気づくか分かったものじゃない。
時間との勝負だった。
俺は能力で得ていたこの機械のパスワード、内部の大まかな構造を思い出しながらメガーヌ・アルピーノの正確な身体情報や治療法など必要な情報を抜き取り、ガリューから預かった記録媒体に入れていった。
同時に、ルーテシア・アルピーノの洗脳の解除方法も書き綴っていた。
騎士ゼストがこちらに要求したことはこの二つだ。
だが、せっかくなのでレジアス・ゲイズについて知っている事も載せてみた。
かかる時間的には変わらないので、今後のはやてのために恩が売れたらいいと思ったからだ。
そうこうしている間に情報の抜きだしは終了した。
俺は記録媒体をガリューに渡し、生体ポッドに最後の操作をする。
すると生体ポッド内の液体がごぼごぼと音を立てながら抜け落ち、ガラスケースが開く。
そのままメガーヌ・アルピーノが重力に負け、倒れこんできた。
それをガリューが支える。
さて、これで
「約束は、守ったぞ」
ガリューはメガーヌ・アルピーノの胸に耳を当て、心音を確かめると小さく俺の言葉に頷いた。
その表情は変化したようには見えないが、心なしか嬉しそうだった。
するとガリューの体が淡い光りを帯び始める。
ルーテシア・アルピーノの送還魔法が始まったようだ。
ガリューは俺も逃がすため、その手を伸ばし共に飛ぼうとした。
しかし
俺はその手をかわし、ガリューの頭をポンと押して魔法の発動範囲から離れる。
俺の行動を見たガリューの眼には、驚きと戸惑いがありありと見て取れた。
急ぎ、俺を捕まえようとその手をさらに伸ばしたが
「悪いが、ここでお別れだ」
その手は空を切り、俺の別れの言葉と共に送還魔法は発動してしまった。
「さて、ここからが本番だ」
インゼクトの制御もなくなり、キチンと俺を発見してしまったガジェットの目の前で俺は小さくつぶやいた。
【Sideゼスト】
作戦とはいえ、私には極端にやることが少なかった。
管理局襲撃はルーテシアの護衛という立場を選んだことから特に動くことはなく、メガーヌの救出は一ノ瀬とガリューたちにまかせっきりだ。
こうして、戦闘担当の私が出張らなくてもよい状況こそ理想的だと一ノ瀬は言っていたが……
正直、歯がゆくて仕方がない。
「……なぁ、ルールー。向こうは大丈夫なのか?」
「今のところは、順調」
アギトは作戦開始からずっとそわそわとしながら、ルーテシアに何度も向こうの様子を聞いている。
彼女も私と同じ立場なので、同じように何もできない事を歯がゆく、不安に思っているのだろう。
それに比べてルーテシアは実に落ち着いた様子だった。
今回の作戦如何で自分の行く末が決まってしまうというにもかかわらず、常と同じように振舞っている。
大したものだ。余程自分の召喚虫たちの事を信用しているのだろう。
あるいは、一ノ瀬の言う約束を、か。
そんなルーテシアの様子に変化が生じる。
「あ……」
そう、一言漏らすと同時に一瞬大きく眼を見開いたかと思うと、その顔がみるみる崩れていく。
先ほどまでの無表情がウソのように。
「っ!? どうしたルールー!?
その変化に驚いたアギトは慌ててルーテシアに訊ねていたが、その心配は全くの杞憂だった。
その表情の変化は、安堵と喜びによるものだったから。
「……母様、生きてた。……彼のいった事、ウソじゃなかった……約束、守ってくれた……」
嗚咽混じりでいう彼女の姿は、年相応の子供のそれだった。
そこで私初めて自分の間違いに気づく。
この子は、決して落ち着いていたわけではなかったのだ。
スカリエッティに騙されたと知り、不安に押しつぶされそうになりながらも、必死に闘ってきたのだった。
そんな事にすら気がつかないなんて……
後悔の念を覚えながらも、私は不器用にルーテシアの頭を撫でた。
こんなことしか思いつかない、何の言葉もかけてやれないながらも、できるだけ丁寧に。
「……ありがとう、ゼスト」
そんな私に一言お礼を言うと、ルーテシアは手で涙を拭い、また戦士の顔となる。
「送還、転移、同時展開」
ルーテシアは静かにそう言い、空間転移の準備を始める。
同時に、ガリューたちの送還も。
ここが、最も大切なポイントだった。
スカリエッティ達はすでにルーテシアの変化に気付いているだろう。
作戦上、こちらの様子は監視されていたので当然だ。
だから、何時ルーテシアの洗脳のトリガーとなる信号が発信されるか分かったものじゃない。
故に、迅速に信号の届かない離れた場所に移動しなければならなかった。
それと同時に、ガリュー達の退避も重要なことだった。
言うまでもなく、彼らは敵陣の内部に居るのだから。
本来、この同時移動は負担が大きい。
なので、当初の予定ではまず我々が移動し、そこにガリュー達を呼び寄せるというものだったのだが……今のルーテシアはそれを同時にとなえ、発動させてしまった。
それも、驚くべきスピードで。
これが、何の枷もない、本来のルーテシアの力か……
私は驚きつつもこの嬉しい誤算に作戦の成功を確信した。
そんな中
ルーテシアの表情が驚きへと代わっていった。
空間転移が終わると、私たちは当初の予定通り、とある管理外世界へと移る事が出来た。
そこには、ルーテシアの魔法の成功の証拠、ガリューとインゼクト、そしてメガーヌもいる。
それを見つけたアギトは急いでガリューの抱えているメガーヌの所まで行くと、すぐに心音を聞き始めた。
「ッ! やった! 生きてる! 生きてるよルールー!」
その鼓動を確認し、表情を歓喜の者に変えると嬉しそうにルーテシアに報告する。
しかし、その報告を聞いたルーテシアの表情に笑みはない。
驚きに固まったままだった。
「どうしたんだよルール―!? 母ちゃんが生きてたんだぜ!」
アギトは舞い上がっているのかルーテシアが固まっている理由に気が付いていないようだった。
しかし、原因は周りを見れば一目瞭然だ。
「ルーテシア」
だが、原因は分からない。
「一ノ瀬はどうした」
何故、一ノ瀬希は共に逃げてこなかったのかは。
私の質問を受け、アギトは初めて一ノ瀬がいない事に気がついたようだった。
「?……っ!? ホントだ! あの兄さんが居ねえじゃん! なんで!?」
きょろきょろとあたりを見渡し、わけがわからないと言った風にルーテシアに聞く。
作戦は、成功していたはずだ。
向こうで何かあったのならガリュー達がここに居る事がおかしくなる。
もしや送還の瞬間に何かトラブルがあったのか?
などと、私が仮説を立てながら救出に行く準備をそろえているとルーテシアの口から驚くべき事実が話された。
「あの人が、拒否したから……私たちと脱出することを」
その答えに、驚きとともに大きな疑問が浮かんでくる。
拒否だと? 何故だ? そもそも奴が我々と手を組んだ理由は
「はぁ? なんでだよ? あの兄さんの目的ってあの変態博士から逃げる事だったじゃねーか」
そう、そのはずだ。なのになぜ絶好の機会をみすみす逃す?
だが、その考えは間違いだった。
私たちは、一ノ瀬の目的を、一ノ瀬自身を大きく勘違いしていた。
「違う。そうじゃない。あの人が私たちに協力したのはあの檻から出るため。それだけ。本当の目的は警備の薄くなったドクターに奇襲をかけ、アジトごと破壊することで……自分ごと殺すこと」
あいつは、悪魔なんかじゃなかった。
ガリューは別れ際、一ノ瀬に触られたときに奴の真実について知ったらしい。
奴は、一ノ瀬は、重い荷物を抱え、家族を裏切り、ずっと一人で戦ってきた。
たったひとりの女の子のために。
己を殺して。
そして今度は、ついにその命まで投げ出そうとしている。
大きな勘違いの元に。
「あの人は、自分が共にいたら、ううん、自分が生きているだけで彼女の迷惑になると考えている。だから自分は生きていちゃいけないとも。彼女の幸せを願うのなら、死んだ方がいい、と。今ならそれができるから。監視もなくなり、すでに周囲に死んだと思われている今なら……でも、ドクターは駄目だって。ドクターだけは、自分のいない世界に生き残らせては駄目だった。だから、最後の仕上げとして、ドクターを道連れにして自らも……」
「何……だよ、それ」
ルーテシアから聞かされる一ノ瀬の話しに、アギトは息をのむ。
そんな中、ルーテシアから一ノ瀬の最後の言葉が告げられた。
「あの人はこう言っていた。一つは感謝。最後の望みを叶える手伝いをしてくれてありがとう、と。もう一つは警告。もし、何か勘違いをして俺の望みを邪魔しに来たら容赦はしない。全力でお前たちの敵となる。最後は、お願い。もし、頼めるのなら、彼女と家族たちを頼む、と」
それから、私たちは押し黙ってしまう。
……失敗だった。
大きな、大きな勘違いをしていた。
あいつは、悪魔なんかじゃなかった。
奴はただの……弱い人間だった。
一人で抱えきれない荷物を抱え、それでも他人を頼る事が出来ず、自らを追い込んで行き、がんじがらめになって身動きが取れなくなってしまった……弱い、弱い人間ではないか。
そんな奴を、私は一人にさせてしまった。
それは、私のミスだ。
「ルーテシア」
私は重い口を開き、ルーテシアに願い出る。
「転移魔法を頼む。スカリエッティのアジトまで」
間違いは、正さなくてはいけない。
このまま奴を死なせることなどできない。
その私の言葉に、一瞬迷いを見せたルーテシアだったが、すぐに
「分かった」
肯定し、私の願いを聞き入れてくれた。
しかしそれだけでなく
「私も行く」
私についてくるとまで言い出してしまう。
私はそれにはすぐに反対した。
「ダメだ」
「でも、あの人は母様を救ってくれた。恩人」
ルーテシアは存外、強情だ。すぐに首を縦に振ってくれない。
しかし
「お前には洗脳処置がされている。行っても向こうの駒となってしまう可能性が高い」
「でも」
「それに……メガーヌを病院に連れていく必要もある。その時、お前が傍に居てやらなくてどうする」
「あ……」
私がそう言うと、ルーテシアはメガーヌへと目を向ける。
生きている事が確認されたとはいえ、意識が戻ったわけではない。
すぐに病院に運ばなければならない状態だ。
そんなメガーヌを、ルーテシアはおいて行けないだろう。
その予測通り、ルーテシアは私とメガーヌを交互に見てから目を伏せて
「……分かった、私は母様を病院に連れていく」
申し訳なさそうに私に言ってくれた。
一緒にいけない事を気にしているらしい。母親に似て、優しい子だ。
しかし、そうと決まれば早く行かなければ。
あまり、時間はないのだから。
「では、頼む」
「うん」
さて、行こう。
恩人を、助けに。
ルーテシアの転移魔法を受け、私はスカリエッティのアジト前に移動を終えた。
さて、ここからが問題だ。
取り急ぎ、一ノ瀬を助けるとしてもどのようにしたものか……
「で、旦那。あの兄さんを助けるって言ったってどうするつもりだよ。本人、死ぬ気なんだろ?」
私が今まさにそれについて考えているとき、不意にアギトが横から質問をくわえる。
……アギト?
「何故、お前がいる?」
「ん? そりゃ私がルールーの転移魔法にこっそりと割り込んだからさ」
私の詰問にアギトは何でもない様にしれっと答える。
その答えに、私は眉根を寄せる。
「何故来た。お前はルーテシアの傍に居てやるべきだったろう」
「そう言うと思ったから、こっそりついてきたんだよ」
アギトは私の反応を予期していたようで、特に堪えた様子もなく、逆に真剣に私に言い聞かせてきた。
「今回の件に関しては旦那の方が心配だ。だから旦那について行く。それに、きっと私とおんなじ気持ちだったからルールーは私も送ってくれたんだ。帰れったって無駄だぜ。そもそも、帰る方法もないし」
心配そうに、それでいて若干怒ったようにいうアギトに私は言い返す事が出来なかった。
やれやれ、どうやら私も人に頼らなすぎるらしい。
この子たちはこんなにも私の事を思ってくれているというのに。
これでは、一ノ瀬の事を言えんな。
「分かった。好きにしろ」
「おうともさ! 好きにするよ」
私が態度を改め、素直に許可を出すとアギトは嬉しそうに私の肩に乗ってきた。
まったく、現金な奴だ。だが、素直にありがたい。
強力な味方を得、私はそれでもまた気を引き締め直し、スカリエッティのアジト内へと飛び込んだ。
「でさ、旦那。勢いよく飛びこんだのはいいんだけど、結局どうすんの?」
私の横を並走して飛びながらアギトが聞く。
その質問に対する私の答えは実にシンプルなものだ。
「一ノ瀬を捕らえる。非殺傷の魔力ダメージで気絶させ、強制的にこの場から離れさせる」
おそらく、奴を救うとなればこの方法しかないだろう。
それでも、アギトは納得できていないようだった。
「でも旦那、そうやってここから連れ帰ったってまたすぐ自殺しようとするんじゃ」
「それはない。奴の目的は愛する者の安全だ。そのために自分が邪魔だという愚かな勘違いをしているが、同様にスカリエッティも邪魔だと考えている。故に、奴はスカリエッティを消すまではむやみに死んだりはせんだろう」
「あぁ、なるほど」
アギトは私の説明に納得がいったのかポンッと手を打ってうんうん頷いていた。
しかし、これは言うほど簡単な行いではない。
何せ、本人が救われたいと思っていないのだから。
アジト内は予想以上に静かだった。
奇襲をかけられているのだからもっと騒然としているものと思っていたのだが。
常と変らぬ、いや、ナンバーズがいない分常よりも静かなほどだった。
その中を、私とアギトはどんどんと進んでいく。
内実、だんだんと焦りが募っていく。
いくらなんでも静かすぎる。
もしや奴はすでに捕らえられてしまったのか?
それとも、目的を果たしすでに命を絶ってしまった?
……いや、それはない。いくらなんでもそれは早すぎる。
ガリューと一ノ瀬が別れてからそう時間はたっていない。
そんなわずかな時間にやられるほど一ノ瀬は弱くなく、スカリエッティも弱くない。
そんな、はやる気持ちを抑えつつ、警戒を保ちながら私たちはついに一ノ瀬とガリューが分かれた地点に到達する。
そこには、数機のこわれたガジェットが放置されていた。
「これって」
「……一ノ瀬だろう」
残骸はまだ壊されたばかりなのか電子機器からバチバチと音を立てている。
まだ近くに居るはずだ。
そう思い、辺りを見渡していると不意に眼の前にモニターが現れ、スカリエッティが映し出された。
「やぁ、騎士ゼスト。戻ってきて来てくれたんだね。嬉しいよ」
スカリエッティは我々を見てもさして普段と変わりなく、旧友に会ったかの様に声をかけてくる。
「いやはや、急に裏切るものだから驚いたよ。しかも、重要な作戦の最中に、だ。まぁ、どちらが悪いかと言えば君たちを騙していたこちらが悪いという事なんだろうが……おかげで作戦の進行が遅れてしまって困ったよ。一体どうやってメガーヌ・アルピーノが生きている事に気がついたんだい?」
奴の言っていることは言葉のみで、私達が裏切ったことに関する怒りや戸惑い、ましてや困った様子などかけらも感じられなかった。
むしろ
「いや、大方の見当は付いているがね。きっと我が同類が君たちに真実を教えて取引を持ちかけたのだろう。しかし、こちらだってそんな事をされては困るのだから一度だって君たちに引き合わせたことはなかったはずだが……何か奥の手を有していたようだね。いやさすがだよ、うん。実にすばらしい」
この状況を楽しんでいた。
嬉々として、一ノ瀬の一挙手一投足を観察しているようだった。
……この状況においても、まだこのような事をのたわるとは。狂人め。
しかし、スカリエッティはそこで態度を変え、本当に少し困ったような顔をし始めた。
「とはいえ、彼が暴れまわっているのは私としても困ったことでね。如何にかして大人しくしてもらいたいんだが、大事な私の可愛い娘達は仕事中で手が足りない。そこでだ」
それは、いたずらっ子に手を焼いている親の様な顔だった。
その流れでスカリエッティは当たり前のように
「君達二人に頼みたいのだが、ちょっと彼を止めて来てもらえないかな」
私たちに厚顔無恥な願い事をしてきた。
それに、アギトは猛然と、烈火のごとく怒りを見せる。
「ふっざけんな! 散々私たちをだましといて、何言ってやがんだ!」
それに対してもスカリエッティは涼しい顔で応対して来る。
「もちろん、ふざけてなどいないさ。君たちにも得となる話しだよ」
そう前置きをしてから、スカリエッティは私たちに正確な現状を伝えてくる。
「実はね、自体は君たちが思っている以上に緊迫しているんだよ。下手すれば私たちだけでなく、君達も死ぬことになる。なぜなら彼が今向かっているのはレリックの保管庫で……目的がレリックの暴発だからさ」
スカリエッティに深刻な様子は見られない。だが状況は、想像以上に深刻だった。
「本当に困ったものだよ。そんな事をすれば自分も死ぬというのに。いや、自殺も目的の一つなのだろうね。その共に私を選んでくれたことは光栄なことなのだが、如何せん私には死ぬつもりは全くないのだよ。とはいえ、ここから離れることもできない。今は大事な作戦の最中だし、ここには壊されたくない大事な玩具がある。あぁ、勿論君達がせっかく集めてきてくれたレリックを根こそぎなくすのも困る。故に、私は彼の行動を止めたいのさ。君達も、彼を止めたい。大方今回の救出劇で彼に恩を感じたのが理由だろうが……そこらへんはどうでもいい。肝心なのは、我々が目的を一緒とした同志という事実だ」
「……っぐうぅぅ」
ニヤニヤと笑いながらいうスカリエッティに対し、アギトは忌々しそうに唸っていた。
気持ちは分かる。私とて、こんな奴に同志などとは言われたくない。
しかし現状、時間がなかった。
一ノ瀬は回避のスペシャリストだ。
ガジェットの制圧ならば時間がかかるだろうが、ガジェットをすり抜けてレリックの保管庫に向かうのならそう時間はかからない。
「彼は今第三格納庫の近くに居るよ。案内を送ったから、それついて行けばいい。君たちの速度なら十分に間に合うはずさ」
そう言うとスカリエッティは通信を切り、言葉通りガジェットを一機こちらに寄越す。
「っく、行くぞ。アギト」
「……っち、分かったよ。旦那。この事もまとめて後で兄さんに文句言ってやるんだからな!」
迷っているほどの時間もなく、私たちはガジェットの案内の元一ノ瀬元へと急いだ。
【Sideアギト】
私達がガジェットの誘導に従い飛行を続けていると、急にガジェットは止まった。
辺りを見るとここが先ほどスカリエッティの言っていた地点っぽいけど……
あの兄さんの姿は見られなかった。
不審に思い、あの変態医者に文句を言おうとすると
「アギト! 後ろだ!」
旦那の声が響いた。
その声に従い、私はとっさに障壁魔法を展開した。
そして振り返ると、そこにはミサイルが迫ってきていた。
……ミサイル?
「どわぁ!?」
ミサイルと確認した後、私は急いでそこを離脱したが爆発の余波で吹き飛ばされてしまった。
って、なんでミサイルが飛んでくんだよ!? まさかあの変態、私たちを騙したのか!?
しかしそんな事を確認する暇もなく、次々にミサイルが私と旦那それぞれに目掛けて飛んでくる。
っち、狭いところでなんてもの飛ばしてんだあの変態は! やっぱいかれてやがる!
そうやって私は心中で悪態をつきつつも更に防御を固め、ミサイルを回避しながら旦那の元へと向かった。
私は、炎熱の魔力変換を持ってるからいいけど、旦那は……
「いかん! アギト!」
そんな事を気にしていると、ガジェットが上から一機降ってくる。
「っぐ!」
私はそれをなんとか受けとめる事が出来たが
「うわぁ!」
今度はそこにミサイルが着弾したせいで、諸に爆発に巻き込まれ吹っ飛ばされてしまった。
おまけに爆発によって障壁が壊れ、壁にぶつかったことで大きなダメージを受けた。
くっそ、ミスった。なんでガジェットこんな動きができんだ!?
「やめろ一ノ瀬! これ以上アギトに手を出すな!」
旦那の叫びが通路内に響く。
……は? 一ノ瀬? ってことはもしかしてこれって……
「……伝えたはずだ。邪魔をするのならばお前たちとて敵だと」
その声を共に、爆炎の中からあの兄さんが現れる。
両手にからになったミサイルランチャーを持ちながら。
……マジかよ、これあの兄さんの仕業だったのか。
くっそ、認識が甘かった。
ルールーの話し聞いてイメージ変わっちゃったし、一度手を組んでたから何となく仲間意識があったせいで甘く見てたけど……
兄さん、ガチで私たちの事、殺しにきやがった。
「言ったはずだ。勘違いはするな、と。せっかく、自由になれるチャンスを無駄にして」
そう言いつつ兄さんは私たちに向かって恐ろしいレベルの殺気を放ってくる。
……まじぃ、私まだダメージ回復してないのに……
「……やめてくれ、兄さん。自爆なんてバカなこと考えないで、私たちと一緒に逃げようよ。そんなことしたって、兄さん報われねーよ」
「……どいつも、こいつも」
私の苦し紛れの説得に、兄さんはギリッと歯を食いしばりながら顔を伏せる。
「俺がこれでいいと言っているのに無遠慮な善意を押しつけやがって。報われない? 間違っている? 幸せになれない? 辛いならやめろ? いいんだよそれで。報われなくても、間違ってても、幸せじゃなくても、辛くとも、彼女さえ安心して暮らせてれば。第一、誰が報われたいと言った? 幸せになりたいと? そんな事を思った事はない。彼女を、家族を裏切った俺がそんな事を望むわけがないだろうが。俺はこのまま、幸せになる気なんかない。頼むから放っておいてくれ」
吐き出すように、絞り出た声には今まで聞いてきた兄さんの声の中で一番感情が込められていた。
私は、あれを知ってる。
苦しくて、苦しくて仕方がないという、魂の声だ。
私がまだ、研究所に居た時、ずっと周りに訴えかけていた、声。
「なんで……そんな声でそんな事言ってんだよぉ……」
苦しいなら、苦しいって言えばいいのに。助けてって叫べばいいのに。
なんで、なんで好意を向けてくれる人すら頼れないんだ。
この時、私は初めて理解した。
この兄さんは、悪魔なんかじゃなく、本当に弱い、人間なんだと。
「放っておけないからここに来たのだ。もう、説得は無駄だろう。すでにその段階にはいない。だが、少しだけ言わせてもらうぞ」
旦那は言いながら槍を構え、臨戦態勢を取る。
兄さんを気絶させ、問答無用で連れて帰る気だ。
「なめるな! 貴様の弱さごときを受け止められんほど、ベルカの騎士は脆弱でない! いいから黙って頼って来い!」
叫びと共に、旦那は兄さんに向って切り込んでいく。
旦那は、怒っていた。
寡黙な旦那が声を荒げるほど、激しく。
「それが……出来るなら……とっくの昔にやっている!」
旦那の激しくも鋭い切り込みに対し、兄さんはミサイルランチャーを捨て、すり抜ける様に攻撃をかわす。
「出来なかったのなら今すぐ克服しろ!」
旦那はあらかじめ攻撃がかわされることを予期していたのか素早く槍を切り返し、即座に二撃目を仕掛ける。
それに対応し、まるで流れるように兄さんは旦那の攻撃を回避した。
だけど、やっぱり旦那の切り返しは素早く、兄さんに反撃の隙を与える暇なく攻撃を加え続けた。
「うるさい! 黙って帰れ! 貴様にはやるべき事も、待っている人間もいるだろうが!」
「貴様とてそれは同じはずだ! いい加減駄々をこねずに家族の元へ帰らんか!」
激しい攻防の中、旦那と兄さんの口論も徐々に激しくなっていく。
「こうするのがっ! 最良なんだ!」
「この大馬鹿者が! これは! 最悪と言うのだ!」
互いがヒートアップし、戦闘もどんどん高度に、激しくなっていった。
けど……このままじゃ拙い。
ここはあの変態のアジト内だぞ。
旦那はそんな長い事戦えないのに、これじゃ逃げる事が出来なくなる。
それは、ダメだ。
せめて、今からでも旦那とユニゾンできれば……
だけど、二人の戦闘は早すぎて、ユニゾンする隙なんてなかった。
その時。
黒い影が、私の横を通り過ぎる。
「なにっ!?」
「っく!」
その黒い影は、そのまま兄さんに襲い掛かり、旦那と兄さんの間に距離を作る。
「アギト、今のうちに」
その黒い影の正体に私と旦那が驚いていると、そいつの召喚主が私に言ってくる。
なんで?
「なんでルールーとガリューがここにいんだよ!」
「いいから、早く」
私と同じく驚愕していた様子の旦那だったけど、ここはひとまずこの事を頭から外し
「アギト!」
眼の前の事に集中することにしたようだった。
「あ~~もう! 分かったよ! ユニゾンイン!」
後で説明してもらうけど、とりあえずは
「いい加減、大人しくしろ!」
この状況をなんとかする。
兄さんを捕まえ、大人しくさせてからだ。
私達の参戦を見越したガリューは兄さんに向い衝撃弾を放っていた。
それが破裂するのと同時に、私の炎弾が兄さんに注ぎ込まれる。
しかし、兄さんはそのすべてを搔い潜ってしまった。
……つーか、マジか? 信じらんねぇ。
でも
「終わりだ。しばらく寝ていろ」
その炎弾を搔い潜った先に、旦那の一閃が待ち受けていた。
「っぐ!」
こんな状況においても兄さんは旦那の一閃、その本体の槍はかわしてしまう。
しかしその攻撃のすべてから逃げきる事が出来なかった。
槍からあふれ出る魔力から作られた衝撃波に、呑まれてしまう。
そして、ついに兄さんは、それだけで呆気なく倒れてしまう。
そのまま起き上がることができず、気絶してしまった。
やっと、終わってくれた。
はぁ
「で、なんでルールーはこっち来てんだ? 待ってるって言ってたじゃねーか」
気絶した兄さんを回収した私たちはユニゾンを解除し、ルールーにキツイ口調で詰問をした。
それなのにルールーと来たら
「私は母さんを病院に連れていくとは言った。でも、来ないとは言っていない」
しれっとした顔でこんなこと言いやがる。
畜生、ルールーの奴まったく悪びれてねぇじゃねーか。
せっかく母ちゃんが助かったんだから素直についていてあげたらいいってのに。こんな危ないとこ、もう来る必要ねーンだ。
「それに洗脳装置はもう壊したから、足手まといにはならない」
そう言われて私は改めて思い出した。
そういやあの変態博士ルールーに変なもんつけてたじゃん! って、あれ? 壊したって?
「そんな簡単に取れたのか!? あれ!?」
「うん」
私が驚いていると、ルールーは自分が何をやったのか説明しだす。
「時間がなかったから、ガリューに非殺傷の物理破壊設定で打ち抜いてもらった。装置の正確な位置は分かっていたし、それでも取ることはできるって書いてあったから」
「何やってんだ!?」
うわっ! びっくりした! 何そんな危ないことやってんだ!? つーか兄さんもそんな事書くなよ!
そのままの勢いで私がルールーにお説教をしようとすると
「説教は後だ。すぐここから出るぞ」
旦那は警戒したまま私たちに促す。
ッと、そうだった。こんなことしてる場合じゃねぇ。さっさとこんなとこからおさらばしないと。
「そんな事言わずに、もう少しゆっくりしていって欲しいのだけどね」
そこに再び変態博士からの通信が入った。
しかも、AMFのおまけつきだ。
まずい。この状況じゃ、あたしたちはともかく旦那の負担が大きすぎる。
「ありがとう騎士ゼスト。彼を止めてくれて。実に助かったよ。それで、このまま君達も戻ってきてくれたら更に助かるのだけど」
「ふっざけんな! ルールー! 転移魔法だ!」
「わかってる」
私が言うまでもなく、ルールーは変態の話を無視して転移魔法の詠唱を始めていた。
それでも、AMF下だと時間がかかっちまうようだった。
「そうか。残念だよ。それじゃあ、ちょっとばかし強引に話を進めようか」
変態博士は大仰に溜息をつくと、残念そうに言い放って指を鳴らす。
すると、私たちのいる通路の奥に無数の目の様な赤いランプがついた。
来る。旦那もルールーも戦えないし、私が頑張るしかない。
大丈夫。ナンバーズの連中はいないんだし、ガジェットくらいなら私だって……
そう思って身構えていると、私たちの前に全く見たことのないガジェットが現れた。
「くそ、よりによって新型かよ」
「いや、正確に言えば他のガジェットの原型さ。もっと満を持して披露したかったのだけど、ちょっと手が足りなくなってしまったから仕方なく、ね」
私の感想に変態博士はどうでもいい補足を付け加えていた。
聞いてねえしどっちでもいいんだ、そんな事。
問題は、あれの戦闘能力がどんくらいかってことで
「ゼスト、アギト。準備できた」
私がガジェットどもをどうしようかと考えている中、ルールーの準備がついに終わった。
だけど
「でも、この状況じゃ一人が限界。どうする?」
そう、うまくはいかなかった。
一人、か……
「旦那は?」
「お前たちを残しては行けん」
「じゃ、ルールー」
「私が行ったら、次が運べない」
「なら……」
逃がすべき人は決まってる。
「ルールー、あの兄さんを送ってくれ」
元々それが目的だったし。
「……お前は、いいのか?」
「いいんだよ。つーか私だって旦那たちをおいては行けねーもん」
「……わかった」
そう言ってルールーは兄さんを転移させしまう。
それと同時に私とガリューはガジェットども目掛けて飛びだして言った。
さて、後はあたし達も逃げだして、あの兄さんに説教してやんなくちゃな!
【Side希】
眼が覚めた時はすべてが終わっていた。
空間転移で移動したであろう森の中には俺以外の人影はない。
気絶していた時間は、おそらくそう長くはないはずだ。
だがその間に、俺はやっと見つけた自分の死に場所から逃がされてしまっていた。
ようやく得る事の出来たチャンスだったのに……
それだけでなく、状況は尚悪い。
俺を助けに来た三人が、一向に帰って来ないのだ。
あの状況からこのまま放置することなど考えられない。
だとすれば、俺を逃がすことはできたが自分たちは逃げきる事が出来なかったのだろう。
……最悪だ。
どうしてまた、俺は他人を不幸に巻き込んで、こんなふうにのうのうと生きているのだろう……
何故、俺に好意で接してくれるものたちにこういった結末を与えてしまうのだろう。
本当に、俺は不幸を呼ぶ悪魔なのではないか……
鬱屈とした気分のまま、俺は立ち上がり能力を最大範囲で発動する。
こんな時でさえ、もはや習慣となってしまった周囲の現状把握を行っていた。
あぁ、やっぱり……
あの三人は捕らえられていた。
おそらく、自力で脱出することはできない。
そうなるように処置されてしまうだろう。
助けに、行かないと……
そこまで考えてから、ふっとスカリエッティの言葉がよみがえった。
「手を汚していないという免罪符さえあれば彼女の元に戻れるとでも思ったのかい?」
と。
それだけで、手足に鉛が入ったのかのように重くなる。
これも、そうなのだろうか?
心のどこかでまた、そんな免罪符を得ようと思って、助けに行こうとしているのではないだろうか?
今さら戻れるはずもないことは分かっているはずなのに……
俺と彼女の繋がりは、すでに終わってしまったはずなのに……
もう、自分の心が分からなかった。
ごちゃごちゃだ。
俺はいったい、何がしたいのだろう?
それでも、能力は勝手の新しい情報を次々に拾っていく。
やがて、その範囲は襲撃を受けた地上本部まで広がっていき
一つの真実に行きつく。
……そんな……でも、これは……
はやては、俺の事を、覚えて、る?