【Sideはやて】
地上本部襲撃の日の深夜、私は一人、ホテルアグスタへと向かっていた。尾行や監視への最大限の警戒をしながら。
あの時、彼からのメールにはこう書いてあった。
[今夜0時、ホテルアグスタ前にて待つ。一人で来て欲しい]
その送り主の名を見た時は、信じられないという気持だった。しかし、アハトが言うにはこの回線に直接メッセージを送れるのは希君しかいないのでまず間違いないという。
それを聞いた時には全身にまず安堵感が、そして同時に気力が満ち満ちてきた。折れかけていた心が完全に復活した気分だった。
しかし、時間が経って冷静になり、不安も押し寄せてくる。何故、今になってコンタクトを取ろうとするのだろう? そもそも、今は捕まってしまっているのではないのか?
家族会議を開いた結果、最初に考えられたのはスカリエッティの罠という線だった。スカリエッティが彼を洗脳し、私に対する刺客として送ってきたのではないかと思った。
しかしその考えはすぐさま廃棄される。あの戦闘機人の暗殺未遂を見る限り、スカリエッティは確かに私を狙っているようだが、だからと言って彼と私の関係を知っているとは限らない。あれは厳重に秘匿されている。最高評議会やレジアス中将が喋る可能性も低いだろう。それ以前に、彼が洗脳されるという事がまずない。彼は精神操作のスペシャリストだ。洗脳ごときに屈しない。
それなら、彼は自分の意思で私を呼び出したという事になる。今まで、頑なに姿を見せず、接触を拒んできたのにも関わらずに、今になって……
私達の中で、一つの仮定が生まれた。
この時、騎士のみんなは私が一人でこの場へ向かう事を反対した。みんな、一緒について行きたがった。でも、私はみんなを説得して、一人でここにきている。たぶん、私が一人で来ないと彼は姿を見せてくれないから。それに、これは私たち二人が解決しなければならない問題だ。 これを解決しないと、私の理想は実現されない。
だから、私は今夜、引くつもりなんてこれっぽっちもない。
約束の時間、私は指定されたホテルアグスタの前にたどりついた。しかし、彼の姿は見られない。 その事に多少の不安は覚えたものの、私は静かにそこで待つこととした。
大丈夫、きっと、彼は来てくれるから……
すると一瞬、目の前の森から光が見えた。初めは誰かにつけられてしまっていたのかと焦ったけど、またすぐに光が点滅する。最初に見たよりも少し遠い位置で。
そのことで気付く事が出来た。あれは私を誘っているのだと。その主は……
私はすぐに、誘われるままにその光の方へ歩き出した。そして、30分ほど歩いたところで光は点滅を止め、止まる。その場所は、森の中にしては開けていて、上空から月の光が落ちていた。
そこで――――――――――――私は希君と対面した。
「……来てくれない可能性も十分にあった。それでも……貴女は来てくれた」
そう、複雑そうな顔をしながら、希君は私を迎え出る。でも私は簡単に声が出なかった。
その声を、姿を確認できたことで、安堵感で膝をつきそうになってしまったから。
よかったぁ。ほんまに、生き、てた……
それだけで、張り詰めていた緊張の糸が切れそうになってしまう。まだ気を緩めちゃいけないのに。
「素直に喜ぶべきか、来ないほうがよかったと悲しむべきか、俺には分からない。でも、一つだけ、分かっている事がある」
だって、私達の仮説が当たっているのなら、本番はこれからだから。
「君は、思い出してしまったんだな」
仮説は、当たっていた。
「当たり前や」
私は一度、静かに深呼吸をして心を落ち着かせてから、はっきりと希君に向かって言った。
「簡単に消せるほど、私の想いは軽くない。この十年、一日たりとも想わなかった日はない。そして……」
これは、私と希君の決戦だ。
「私はまだ、あなたを諦めていない」
勝って、幸せな日々を取り戻してみせる。そんな気合を込めた声で私ははっきりと希君に宣言した。
そんな私の宣戦布告に、希君は眼を閉じ、顔を伏せ一息吐く。
「だから、管理局で上を目指していたのか。おかしいとは思っていたんだが……一体、誰の差し金だ?」
でも、その声に動揺は見られない。
「お父ちゃんとお母ちゃんから教わった。あなたを救う方法として」
「両親……か。なるほど、敵わないな。記憶はきちんと消したはずなのに……親不孝をした罰か」
それでも、若干の悲しみが混じっているように聞こえる。やっぱり、簡単にこの状況を受け入れる気はないようだ。
私は警戒心を強め、何時でも動きだせるように手足に魔力を込める。
「それでも、この道を選んだのは私や」
「そう……か」
希君に動く気配はまだ見られない。でも、油断は禁物だ。
しかし、そんな私の心配をよそに希君は考え込むように黙りこんでしまった。
これは、どういう事だろう? 私の隙を窺っているのだろうか?
私がそう思っていると、希君は再び、ポツリポツリと語り始めた。
「最低な事を言えば……嬉しかった」
吐き出すように、辛さをこらえた声で希君は素直な心情を吐露していく。
「永遠に理解されない事だと思っていたのに、二度とこちらを振り向いてくれるはずがないと思っていたのに……覚えていると、俺の事をまだ覚えている。それだけで、震えるほどに、涙が出るほどに嬉しかった。貴女を苦しめ、危険な道を歩ませたというのに、そんな罪悪感や悲しみを遥かに上回ってしまうほどに嬉しかった」
それは、希君にとって許されない感情なのだろう。小さく、肩が震えていた。
でも
「……そう。私は、あなたが嬉しいと思ってくれた事が嬉しい。だから、辛く思う必要なんかないよ」
もしかして、こんなふうに固執してしまっているのは私だけなのではないかと不安になる日もあったから。いつまでも届かない日々の中、すでに私は見限られてしまっているのではないかと思う事もあったから。
だから、そんな気持ちを抱いてくれて、まだ気持ちが繋がっていると分かって、凄く嬉しい。
だから、そんな顔しないでほしい。
「だけど……だめだ」
隙はみせていないつもりだった。
だけど、希君はいつのまにか私との間合いを詰めてしまう。
「これ以上、俺は貴女に甘えられない。もう、充分報われた。だから、きれいさっぱり俺のことは忘れて今度こそ……自分のために生きてくれ」
そう言いつつ希君はゆっくりと私の方へ手を延ばしてくる。
その優しい手つきに、十年ぶりのふれあいに一瞬だけそれを受け入れそうになり
「っ! あかん!」
すぐさま正気に戻ってその手をはじく。
あかん。いくら希君の願いでも、こればかりは絶対に受け入れられない。
そのまま距離を取ろうと後ろに飛んだけど、希君はぴったりとついて来てしまう。
「くっ!」
「無駄だ。ここは俺の距離だ。逃げられないし、逃がす気もない」
そう言って希君は何度もその手を私に伸ばしてきた。
だけど私はそれを拒み続ける。
「お願いだから、拒まないでくれ。苦しいだけだ」
「嫌や! だってこんなん間違ってる!」
嫌や、絶対に、嫌や。
「たしかに、俺は間違っている。それでも、俺はやると決めた」
「ちゃう! 悪いんは貴方だけやない。間違えてもうたのは……」
なんと言われようと私は。
「私もなんやから!」
そう言われて希君は少しだけ手を止める。
私が何を言っているのか分からないのか、思案しているようだ。
それでも、間合いだけは変えないよう気を張っているけど。
「……何のことだ? 悪いのは俺一人だろう? 俺が弱くて、あなたを守れなくて、だけど誰も頼ることができなくて、それで」
「そうやない!」
自分を卑下する言葉を最後まで言わさず、私は一気にまくし立てる。
「あの時、私も弱くて、アホやった。私は貴方に貰ってばっかりで、守ってもらってばかりで、なんにも返すことができなくて、そのことに疑問すら持たなくて……最低限の気持ちすら、口にしていなかった」
それは、今もなお私の心に深く残る後悔だ。
「ちゃんと言わないとあかんかった。なのに、私は甘えてそれを言葉にしていなかった。ほんの少し、一度だけ伝えた時にはもう手遅れで、あなたに辛い選択肢を取らせてしまった。本当に……ごめんなさい」
あの時、私がもっとしっかりしていれば、こんなにも希君を苦しめることはなかったはずだから。
「なに、を?」
困惑気味の希君に、今度こそ私の気持ちを伝える。
「私は、希君が好きやから。世界で一番、希君が好きやから。だから……ずっと、傍に居てほしい」
「……だけど」
「それに……私はもう、希君なしでは生きていけんねん。だから、希君が死んでしまうようなら、私も死んでまうよ」
「……は?」
呆けたように聞き返す希君に、はっきりと伝える。
「会えない、なら我慢できる。いつかまた会えると信じることができるから。記憶を消されるのも、嫌やけどなんとかなる。絶対に思いだせる自信があるから。でも、希君が死ぬんはあかん。それは私には耐えられんのや。だから、死ぬ」
「……」
「希君は、今回の後始末が終わったら、死ぬ気なんやろ? そのくらいわかっとるよ」
好きな人のことなんやから。と、続けて私はにっこりと笑いかけた。
その予想は自信があったし、実際希君は否定をしてこない。
だから私には引くことができない。
「……あなたが死ぬ必要はないだろう」
「必要がなくても死ぬ」
そう言って私は一歩、希君との距離を詰める。
「……俺はそんな事望んでいない」
「望んでなくても死ぬ」
もう一歩。距離を詰めて希君の目の前に。
「……騎士や、高町たちが」
「うん、ちゃんと謝る」
フフッ、これじゃあいつぞやと立場が逆転や。
「ねぇ、希君」
そうして、私は希君の手を取り、頬に寄せる。もう、言いたいことは一つだけ。これでダメなら、さっき言った通りに。
「私は希君のことを、希君が私のことを想っているくらいに、ううん、それ以上に想ってるんよ」
【Side希】
はやての言葉が、頭の中で反芻される。
俺が死んだら、はやてが死ぬ? ばかな。そんな事が許せるはずがない。俺なんかのために、はやてが死んでいいはずがない。そう思ったからこそ、俺ははやての元を離れたのに。なんで、こんなことに……
わからない。
もう、どうしたらいいのか分からなくなってしまった。
今ここではやての記憶を消したところで、また記憶が戻る可能性は高い。一度思い出していて、ましてや今度は十年分の想いが詰まっている記憶だ。一時的にしか忘れさせることができないかもしれない。
だが、それでも問題はないはずだった。はやてが思い出した時、俺は生きていない。最大の危険要因であるスカリエッティと共に消えているはずだからだ。もう俺を利用しようとする輩に狙われる心配はなくなる。多少俺の死を悲しんでくれたとしても、それは時間が解決してくれる。はやてには、優しい友人と温かい家族がいるから。
だから、最後に会う気になったのに……
「俺は……」
ぐちゃぐちゃになった頭のまま、俺は思わず本音をこぼしてしまった。
「俺は弱い。今のままだと、君を守りきることが、できない。だから、もう」
「ほんなら」
俺の弱音を遮り、はやては優しい笑顔を向ける。その笑顔は温かく、とても力強いものに感じた。
「ほんなら、今度は私が希君を守ってあげる。動けなくなってまうほど抱え込んでいる荷物、私が一緒に持ってあげる。せやから」
はやては、言葉と共に俺を抱きしめる。
「また、私と家族になって欲しい」
その言葉に、心の中の何かがドロドロと溶けだした気がした。同時に涙がとめどなく溢れてくる。なんで、こんな……
「希君は、希君の望むままに生きてええんよ」
もう、駄目だった。そのまま俺は溜まっていた何かを吐き出すようにはやてにすがりついて泣き続けた。
【Sideはやて】
翌日、私は地上本部の会議室になのはちゃん、フェイトちゃんを呼び出した。
二人は私の隣に立つ人物を見て驚いている。
「あの、八神部隊長、なぜ彼がここに?」
困惑気味の二人に向かって私は自信たっぷりに答えた。
「安心してや二人とも。彼は味方や。とても心強い、かけがえのない」
あぁ、早く二人にもちゃんと説明してあげな。
やっと私は
「私は、ついにここまで来ることができたんや」
希君の横に並ぶことができた。