鈴栄は怪訝に思いながらも決勝戦終了後、Aピットでエネルギーの補給を終えて、試合会場へと戻っていた。
Aピットから飛び立った鈴栄を観客達も怪訝な表情で見ている。どうして、お前はまだ、そこにいるんだ? という目で見られたとしても、それは鈴栄が聞きたいことだった。
しかし、それらの疑問はすぐに氷解することとなる。
『え~、それでは、ただいまより、エキシビジョン・マッチを行います』
そのアナウンスに揺れる観客席。当然、鈴栄も、なに、それっ!? と内心、ものすごく驚いていた。なぜなら、エキシビジョンマッチなど誰も聞かされていないからだ。予定表の中にもなかった。確かに鈴栄たちの活躍により、本来のタイムスケジュールである二年生のクラス対抗戦までにはかなりの時間があるが、それでもエキシビジョンが急に決まったとは考えにくい。
おそらく、最初から考えられていたが、生徒達には、伏せられていたと考えるべきだろう。
『まずは、Aピットより、今回の一年生クラス対抗戦優勝者っ! 二組クラス代表っ! 鳳・鈴栄っ!』
わぁぁぁ、と、とりあえずといった感じで歓声を上げる観客。それも仕方ないか、と鈴栄は思う。
そもそも、盛り上がる要素がない。優勝者であり、先ほどまでISを装着していた鈴栄は、ISを再度装着する必要はなく、最初から会場の中央に浮かんでいる。
それにしても、一体、誰が相手なのだろうか? と鈴栄は、考える。普通に考えれば、教官だろうか。専用機持ちである誰かが優勝するのは目に見えている。鈴栄かセシルか、あるいは、四組の専用機持ちか。少なくともそのうちの、誰かだろう。なぜなら、総じて専用機持ちと一般人は相手にならない。それもそうだろう。操縦時間が文字通り桁違いなのだから。
だからこそ、本物の厳しさを教えるために教官が出てきたとしてもおかしくない、と鈴栄は考えていた。
しかしながら、その予想は見事に裏切られるのだが。
『次に、Bピットから、女性初のIS操縦者っ! 織斑一夏っ!』
アナウンスの声に観客も鈴栄も一瞬固まってしまう。今の言葉が信じられなくて。鈴栄に至っては信じたくなくて。しかしながら、信じざるを得ないだろう。Bピットから出てきた人影を見てしまっては。
ISのハイパーセンサーで見るまでもなく、その人影は、男性よりも一部を除いて全体的に細い。また、特徴的な髪の毛もポニーテイルにされており、男性ではない、と断言する事ができた。そして、ISが操縦できる女性は今のところ、世界でたった一人だけだ。
鈴栄の幼馴染にして、その頃から片思いを寄せる相手――――織斑一夏。
一夏が出てきた瞬間、アリーナ全体が強く揺れる。地震ではない。人の歓声だ。先ほどの鈴栄の名前が呼ばれたときの数倍の歓声でもってアリーナを揺らしていた。
彼らが大いに興奮する理由も分からないでもない。一夏の格好は、ISに乗るためのインナースーツなのだから。
男のインナースーツと違って、上半身を全部覆うような形であり、肩から先は、インナースーツはなく、シミ一つない純白の生腕が晒されている。そして、上半身も、スイカやビーチボールといった大きく丸いものが容易に想像できるほどに膨らんだ胸部。身長が女子の平均身長よりも低い一夏は、余計に大きく見えた。しかし、そこから下は、IS学園に入って運動量が増えたためか、ほっそりと引き締まった腹部へと繋がり、身にスカートのように広がったインナースーツとニーソックスのような絶対領域は、肉付きのよいむっちりとした太ももが見える。
要約すると、一夏はそこらへんのグラビアアイドルが、尻尾巻いて逃げ出すどのプロポーションと容姿を持っているのだ。しかも、同学年の一組や二組ならまだしも、一夏のインナースーツが初見のものもたくさんいたのだろう。よって、アリーナ全体が揺れるような興奮を誘ってしまったのだ。
しかしながら、今までと桁違いの視線に晒された一夏からしてみればたまらない。さっさと、この羞恥から逃れるために、彼女は自らが持つISを起動させた。
「『断罪せよっ! 白貴っ!』」
一夏の耳につけられたイヤリングが光を発したかと思うと、量子化された装甲が一夏を包み込むように展開される。
最初に脚部の装甲が装着され、その後にその細い腰からスカートのように装甲が広がる。生腕がむき出しの腕には、まるで長いグローブのように一夏の腕を包み込む。首の辺りにはネックレスのように装甲が展開し、背中からは、天使の羽のようにスラスターが展開された。最後に頭頂部にカチューシャのように装甲が展開する。
白を基調としたIS―――白貴を身に纏った一夏は、Bピットから飛び出し、一気に鈴栄が待っている高度まで舞い上がった。
「鈴―――まずは、優勝おめでとう、でいいのかな?」
鈴栄と同じ位置まで来た一夏は、いきなりお祝いの言葉を口にする。しかし、その表情は戸惑いで一色だ。もしかしたら、一夏も知らされたのは、ちょっと前なのかもしれない。
「うん、ありがとう……」
一方で、鈴栄はあまりやる気がしていなかった。なぜなら、相手が一夏だからだ。エキシビジョンマッチとはいえ、一夏と戦いたいとは思わない。しかも、一夏はISの初心者だ。一方の鈴栄は、国家代表候補であり、一方的な展開になることは見えている。確かに同じ国家代表候補であるセシルとはいい勝負をしたかもしれないが、それはハンデがついていたからだ。フル装備の鈴栄に一夏が勝てるとは到底思えない。
それに、何より―――好意を寄せている相手と戦いなどと誰が思うだろうか。
鈴栄の表情が沈んでいることを一夏は悟ったのだろうか、彼女は、くすっ、と笑うと鈴栄を説得するように口を開いた。
「ねえ、鈴。二年生のときの夏を覚えてる? ほら、うちの庭で、水鉄砲使って遊んだときのこと」
「え?」
不意に語られた思い出話に鈴栄は戸惑ってしまう。今、この場でするような話ではないように思えるからだ。しかし、にこやかに話す一夏に釣られて、鈴栄はあの夏の日を思い出していた。
あれは、鈴栄がまだ日本に居た頃の暑い日だった。とても暑くて、どこにも行く気がしなくて、それでも課題はやらなくちゃいけなくて、鈴栄は、一夏の家に来ていたのだ。しかしながら、昼間に集中力が続くはずもなく、同じく一夏の家に来ていたもう一人の友人が持ってきていた水鉄砲で遊んだのだ。水浸しになりながらも、それでも、あの夏の暑さが少しでも和らいだのを覚えている。
―――ついでに、水に濡れた洋服から透けた一夏の水色の下着も。
「あ、う、うん。覚えているよ」
最後に思い出した余計なものを誤魔化すように鈴栄は少し慌てた声で答える。幸いにして、一夏は鈴栄の返答を変に疑わなかったようだ。疑われたら、鈴栄は困り果てていただろうが。
「あれと同じよ。今回も遊びと思えばいいのよ。ISもスポーツでしょう?」
水鉄砲による遊びとISを同列に扱うのはどうかと思ったが、同時になるほど、と一夏の言葉は鈴栄の胸にストンと落ちた。確かにISは名目上はスポーツだ。その裏に何かが隠されていたとしても、世界大会が開かれるほどのスポーツだ。
さらに、ISには絶対防御が存在し、怪我をすることは、万が一にもないといって良いだろう。
確かにセシルには勝利し、一夏にISを教えるための権利は手にした。しかしながら、一夏にはまだ自分の腕前を見せていない。いや、観客席では見ていたかもしれないが、実際に感じるのとでは、また感触が異なるはずだ。
それに、ISの操縦に関して言えば、一夏に格好いいところを見せる事ができるかもしれない。
そう考えると鈴栄のやる気は、先ほどのまったくない状態と比べると、十二分だといってよかった。
「うんっ! そうだねっ! でも、やるからには手加減しないよっ!」
「そうね。わたしも手加減している余裕なんてないと思うから、全力でいかせてもらうわ」
鈴栄がやる気を出したのを喜んでいるのだろう。笑顔になった鈴栄を見ながら、一夏も同じく笑顔で鈴栄の宣戦布告に応えた。ただ、その笑顔は、微笑ましいものを見るお姉さんのような笑みだったことに鈴栄が気づかなかったのは不幸なのか、幸福なのか。
『それでは、エキシビジョンマッチ―――織斑一夏VS鳳・鈴栄―――』
始めっ! の声がアリーナに響き渡ろうとした直前、それは突如として彗星のように現れた。
バリンっ! というまるでガラスが割れたような音を立てながら、アリーナに突入してきた物体。その音は、観客席と同様にアリーナの外にISの攻撃が飛ばないようにアリーナ全体を繭のよう包んでいる遮断シールドが割れる音だった。遮断シールドを突き破った『それ』は、アリーナの中央地面にズゥゥゥゥゥンという音を残して、突き刺さる。
突き刺さった衝撃が大きかったのか、『それ』は、地面にぶつかった衝撃で、土煙を上げ、まだもくもくとと煙を上げていた。
「な、なんなのよ?」
一夏が呆然と呟く。鈴栄も彼女の気持ちは分からないでもない。しかし、悠長にそんなことを話している時間はなさそうだった。
「一夏っ! 不味いっ! すぐにピットに戻ってっ!」
しかし、鈴栄の声にも一夏は、状況をいまいち処理しきれないのか、きょとんとした表情のままだ。唯一、状況を把握していた鈴栄は、このままでは、不味いと感じて、フルブーストで体当たりのような要領で、一夏に向かって飛ぶ。
鈴栄が、飛び出した頃にはようやく、ハイパーセンサーでによる警告が出たのか、一夏は驚いたような表情をしている。これが、訓練を受けたものと受けていないものの差なのだろう。
鈴栄は、『それ』が突入してきた直後にハイパーセンサーで解析していた。分析結果は、アンノウンのISだ。狙いが何なのか分からない。何かしらの目的があったにしても、ここはIS学園。世界最強の兵器であるISが量産機とはいえ、文字通り山ほどあるのだ。一機を突っ込んだところで、目的が達せられるとは考えられない。
『それ』の目的はともかく、警告が出ていながらも、動かない一夏の手を取って、鈴栄は空を飛ぶ。一夏の握った手が暖かいとか、柔らかいとか、すべすべしているとか、そんなものを感じる余裕はまったくなかった。なぜなら、『それ』は、一夏をロックしているからだ。
しかも、ISと同じ構造でできている遮断シールドを突き破るほどの攻撃力でもって。しかも、訓練を受けていない一夏は、自分がロックされたから、といって瞬時に動けるわけがない。つまり、鈴栄が取った手を引いて逃げるというは、緊急避難なのだ。
ちなみに、抱きかかえるというのも候補にはあったのものの、鈴栄と一夏の身長差がほぼないことを考えると不可能だと瞬時に判断できた。もしも、身長が鈴栄のほうが高ければ、一夏をお姫様抱っこなんかして格好良かったんだろうな、とは考えるものの、それは、縁なき幻想だった。
鈴栄がそんな妄想をやっている間に、『それ』は淡々と攻撃を開始していた。
一夏が先ほどまでいた空間を『それ』が撃ってきた熱線が通り過ぎる。遮断シールドを貫通するほどの威力とあって、呆然としていた一夏も、引きつった笑みで、先ほどまで居た空間を見ていた。
「り、鈴。ありがとう」
「お礼は後っ! 今は逃げるよっ!!」
さらにスピードを上げる。先ほどの一撃で終わっていればいいのだが、最悪なことに『それ』はたった一発で諦めるほど、諦めが言い訳ではないらしい。もう一度狙われている事が鈴栄のハイパーセンサーで警告されていた。だから、逃げる。
一夏が、もう少し落ち着いてくれれば、鈴栄も手を離して一緒に逃げに専念できるのだが。なにせ、一夏の白貴のほうが鈴栄の甲龍よりもスペック上は高いのだから。もっとも、一夏の手を放したくないというのも事実だが。
「なによ……こいつ」
まるで煙を晴らすように幾条ものビームを避けきった後、煙からのっそりとした動作で出てきたのは、奇々怪々な姿だった。
2メートルほどの深い灰色をしたISの腕は異様に長く、つま先よりも長い。その腕には遮断シールドすら貫通するほどの威力を持つビームが四門存在していた。しかも、首の部分はなく、肩と一体化しているように見える。そして、一番奇怪なのは、その全身装甲だろう。ISは、通常、全身装甲というのはありえない。なぜなら、無駄だからだ。装甲があろうが、あるまいが、絶対防御が存在する。ならば、意味のある部分しか装甲がないのは、コストを考えると妥当だろう。
「おまえ、何者だよっ!」
鈴栄の問いにも無言。代わりに返ってきたのは、威力がすでに証明されているビームだった。
しかし、動きが緩慢なせいか、避けることは容易い。同じビームなら、スピードも、数もあったセシルのほうが厄介だ。
「一夏、君はピットに逃げて」
鈴栄は、注意を突然乱入してきたIS―――仮呼称『アンノウン』に注意を払いながらも一夏を背にしてピットに戻るようにお願いした。
「鈴はどうするの?」
鈴栄から一夏の表情は見えない。しかしながら、心配していることは声色だけで分かった。
「僕は、アイツをひきつけておくから」
アンノウンは、遮断シールドを突破できる攻撃を持っているのだ。アンノウンが暴れれば観客に被害が出ることは間違いないだろう。もっとも、現状、シールドよりも固い防御壁に囲まれた観客席の状況は把握できないのだが。
「一人なんて無茶よっ!」
一夏の優しいところは美点だと鈴栄は思う。彼は、一夏の放っておけない性格に救われたのだから。だが、今の一夏は、誤解を承知で言うならば、邪魔でしかなかった。
「だったらどうするの? 一夏は、僕みたいに訓練を受けてないし、そもそも、武器だって、それしかないんでしょう?」
うっ、と言葉に詰まる一夏。
鈴栄は、一夏の武器である雪片・弐式の存在を知っていた。セシルの研究するときに見たのが一夏の試合だからだ。そして、同時に雪片についても知っている。いや、雪片の存在を知らないIS搭乗者がいたとすれば、それはモグリである。世界最強が振るうエクスかリバーに例えられた最強の剣―――それが、雪片である。
そして、彼―――織斑千冬は、雪片以外を世界大会では使わなかった。第一回も、第二回もだ。ならば、一夏の武器も雪片のみと考えるのが妥当。異なるISで同じ武器が出ることにはやや疑問が残るものの、それ以外には考えられらなかった。
つまり、一夏が、アンノウンを相手にしようと思うならば、ビームの雨をかいくぐりながら、懐にもぐりこむ必要があるのだ。訓練を受けてきた鈴栄でさえ難しいと思うのに、ここ数週間で訓練を受けたばかりの一夏が可能である確率はゼロではないだろうが、ほぼそれに近いだろう。
「それに、一人じゃないみたいだしね」
暢気に話しているのが気に喰わなかったのだろうか、アンノウンが両腕を挙げてこちらに照準を合わせてきた。ハイパーセンサーが警告する。それにあわせて、回避行動を取ろうとした直前、いきなりアンノウンの周りに蒼いビームの雨が降り注ぐ。
同時に、Aピットから飛び出す蒼い装甲。その姿を一夏と鈴栄が覚えていないわけがなかった。
「セシルっ!?」
そのISの持ち主の名前を叫ぶ一夏。蒼を基調としたISを操るセシル・オルコットは、先ほどアンノウンにビームの雨を降り注いだビットを率いながら、一夏たちとはアンノウンを挟んで対極側に飛んできた。
「遅いよ。もしかして、出番を待ってたんじゃないだろうね?」
「ふっ、俺が出てしまっては、小猿の出番がないだろうが。わざわざ活躍の場をやったというのに、まだ片付けていなかったのか?」
負けたにも関わらず、彼は相変わらずの高飛車な態度で、不敵な笑みを浮かべている。挫けない根性を褒めるべきか、少しは卑屈になるべきだと言うべきか。しかし、今はそんなことを考えている時間ではない。アンノウン相手に国家代表候補が一人増えるのは、戦力的には非常に有り難いことだった。
「というわけで、一夏。僕たちは二人で相手をするから大丈夫だよ」
「……そうね、分かったわ。ごめんなさい、何もできなくて。二人とも、怪我はしないでね」
一夏とて馬鹿ではない。自分の力量と彼らの力量は知っている。故に引くことも分かっている。一夏は鈴栄とセシルのことは確かに心配なのだろう。しかし、心配だからといって、彼女ができることは何もない。もしも、遠距離からの武器を持っていれば牽制程度にはなったかもしれないが、彼女の手にあるのは雪片・弐型一振りだけのだから。
自分が力になれない事がよほど悔しいのだろう。一夏は、いつも見せている微笑とは異なり、沈んだ表情をしていた。そして、鈴栄は、一夏にそんな沈んだ顔をさせたことに少しだけ心を痛めながらも、これが、一夏のためなのだ、と言い聞かせる。
やがて、一夏は鈴栄に背を向けてピットから逃げ出そうとした。しかし、そうは問屋が卸さないようだ。
一夏がピットに向かって飛んだ瞬間、いきなりアンノウンからビームが発射される。まるで、一夏を逃がさないようにピットの出入り口がふさがれる。ピットの出入り口は二つあり、もう一つはセシルの背後にあるが、そこへ向かうためには、アンノウンを越えていかなければならない。それに、先ほどのようにピットを破壊される可能性もないわけではない。むしろ、先ほどの動きを見るに破壊される可能性のほうが高いだろう。
なぜっ!? と驚愕の表情に彩られる鈴栄とセシルに対して、にんまりと意地の悪い笑みを浮かべる一夏。おそらく、逃げなければならない先ほどまでの状況とは異なり、逃げられないこの状況に笑ったのだろう。
逃げられないことに嘆くならば分かる。しかし、一夏は笑う。これで仲間に背中を見せて逃げなくていいから。逃げられないことを理由にして、鈴栄とセシルと肩を並べられるから。だから、一夏は笑ったのだろう。
鈴栄はそんな一夏の笑みの意味が手に取るように分かって、仕方ないな、と肩をすくめる。一夏が友達思いなのは、鈴栄が一番実感しているのだから。もっとも、そんなことを言えば、一夏の位置の親友にどやされそうだが。
「一夏、逃げることに専念してねっ!!」
鈴栄の言葉を口火にしてアンノウンとの第二幕が開かれるのだった。
◇ ◇ ◇
アンノウンの戦闘からしばらくが経過していた。しかし、状況は一進一退だ。
観客の状況は、遮断シールドレベル4。しかも、すべての扉にロックがかかっており、ハッキングさえ受けており、救援さえ要求できない始末だ。まあ、遮断シールドレベル4で流れ弾が観客に被害を与えないのは、幸いだが。
そして、アンノウンを相手にしている鈴栄、セシル、一夏の三人だが。これまた、何も変わりはなかった。遠距離からブルー・ティアーズと龍咆をひたすらに撃つ。しかしながら、相手の大型のスラスターによって、その巨体に似合わない速度で回避するため、中々当てられない。しかも、あれだけ厚い装甲だ。防御力も相当なもので、一発や二発当てたところで蚊に喰われたようなものだろう。
反撃は、主にビームだ。そして、意外な反撃方法としては、鈴栄が双天牙月を手に切り込んだときだ。その身体を駒のように回して、ビームを撃ってくるのだ。これには、セシルも一夏も、なにより切り込んだ鈴栄が一番驚いた。
つまり、こちらは確かに無傷だが、あちらにも致命的な一撃を与えられないという状況だ。
「さて、厄介だな。どうする?」
三人寄れば文殊の知恵というが、そう簡単に答えは出てこない。もはや試せるだけは試したのだから。う~ん、と頭を捻りながら三人は考える。やがて、一夏がポツリと言う。
「あれ、本当に人間が乗ってるのかしら?」
「一夏、それはない。ISは人が乗らなければ動かない。そういうものだ」
そう、セシルが言うことは正しい。一夏とて、それぐらいは知っている。知っていながらも言ったのには理由があるのだ。
一夏は、今回の戦いでは逃げることに専念している。つまり、いつでも距離を置いて空からセシルと鈴栄がアンノウンと戦っているのを見ているのだ。だから、分かる。アンノウンが、パターンで行動していることに。そして、初見のパターンの攻撃には、反応が鈍いことに。
「それで、一夏。無人機だったとしたら、どうするの?」
「わたしのこれで、あれを倒せるかもしれない。少なくともダメージを与えられるわ」
これ、と言って一夏は雪片・弐型を指す。正確には、白貴の単一仕様能力(ワンオフアビリティー)として登録されている零落白夜だが。セシルとの模擬戦でも使った雪片・弐型の特殊能力『バリアー無効化』の極地。それが零落白夜である。つまり、零落白夜が命中すれば、アンノウンのバリアは完全に消滅させる事が可能である。
「当てる自信は?」
「あるわ。もう一つの切り札とあわせれば、途中まで邪魔されなければ間違いなく当てられると思う」
零落白夜が一つ目の切り札とすれば、一夏にはもう一つの切り札があった。二つが重なれば、当てる自信はあった。一夏は、鈴栄とセシルと目を合わせる。決して逸らさない。逸らせば、それは自信がない現れになってしまうから。
最初に諦めたのは、鈴栄だった。
「それじゃ、やろうか。一夏が、頑固なのは前から変わってないみたいだね」
「―――よかろう。ハンデありとはいえ、一度は俺に勝ったのだ。一夏を信じるとしよう」
「二人とも……」
なんとなく二人が信じてくれたようで、信頼してくれたようで、一夏は嬉しかった。しかし、それを喜ぶとすれば、まだ早い。喜ぶのは、アンノウンを倒してからだ。
「さて、戦乙女(ヴァルキュリア)の行進だ。傷一つ負わせるなよ、小猿」
「お前こそ、へまするなよ。気障野郎」
ふんっ! とお互いにそっぽ向きながらも、息が合った動作で、同時にアンノウンに攻撃を仕掛ける。その間に一夏も、場所を移動する。アンノウンから一番気づかれにくい背後だ。今は、セシルと鈴栄が、雨のようにブルー・ティアーズと龍咆による攻撃を加えている。
一夏は、その光景を見ながら、すぅ、と息を整え、自らを落ち着かせながら、今までの訓練を思い出す。これからやることは、今までの訓練での成果をすべて出し切らなければ、達成することは不可能だから。やがて、息を整えた一夏は、雪片・弐型を構えながら、まっすぐとアンノウンを睨みつける。
「行きますっ!」
高い位置からの急降下。自らのイメージである磁石で引き寄せあうイメージと共に猛スピードで落ちていく。直後、地面すれすれで、方向を変え、地面すれすれを這うように飛ぶ。アンノウンまでの距離は約20メートル。少しだけ遠い。よって、上空からのスピードに乗ったまま突っ切る。
しかし、アンノウンとて呆けているわけではない。近づく一夏に気づいてか、腕を挙げてビームで狙ってくる。鈴栄の龍咆とセシルのブルー・ティアーズを無視してだ。ビームを撃つために発射口が紅く光る。このままでは、一夏に向かってビームは発射されるだろう。だが、そうさせないための二人だ。
突然、アンノウンの両腕が、がくんと下がった。右手は、大型の青龍刀が二つ連結したような刃―――双天牙月によって無理矢理、腕を下げられ、左手は、大型のライフル―――スターライトmkIIIによる射撃で、腕を下げられた。
「「行けっ! 一夏っ!」」
セシルと鈴栄の声が重なる。その声援を頼もしく思いながら、一夏は武装を雪片・弐型から単一仕様能力である零落白夜に変更する。雪片の時よりも、さらに輝く零落白夜。試合が始まっておらず、エネルギーが最大に近かったのが幸いした。だからこそ、こうして零落白夜が起動でき、さらにはもう一つの切り札も使うことができる。
両手を下げられ、ビームを撃つタイミングを外したアンノウン。だが、一夏が近づいていることを看過できないのか、再び両腕を挙げる。今度は地面と水平になるようにだ。おそらく、鈴栄に使った独楽のように回って近づけないようにするためだろう。
だが―――
「もう、遅いわっ!!」
一夏は、最後まで取っていた切り札を起動する。
―――瞬時加速《イグニッション・ブースト》
瞬時加速。一夏の実兄である千冬から教えられた技術。初見殺しの技術ではあるが、千冬は、瞬時加速と雪片のみで世界の頂点に立ったのだ。つまり、瞬時加速は、世界にも通用する技術。本当は、国家代表候補である鈴栄との戦いでお披露目するつもりだったが、このような形でお披露目となってしまった。
瞬時加速に入った一夏とアンノウンの距離は一気に縮まる。それでこそ、通常の加速に戻ったときには、すでにアンノウンは一夏の目の前であり、零落白夜の射程圏内だ。
「はぁぁぁぁぁっ!!」
裂帛の気合と共に振り下ろされる零落白夜。それは、アンノウンの右肩に命中し、アンノウンの右腕を斬り飛ばす。そのまま駆け抜ける一夏。だが、その直後、急停止。振り返りざま、振り下ろした零落白夜を斬り上げて、残っていた左腕も斬り飛ばした。一夏が箒から習っていた剣道の型の一つである。
「一夏っ! 下がって!」
両腕を斬り飛ばした一夏だったが、それだけでは安心できなかったのだろう。鈴栄の激が飛ぶと同時に後退し、直後、両腕をなくしたアンノウンに情け容赦なく降り注ぐブルー・ティアーズのビームと龍咆の衝撃砲。零落白夜の効力で遮断シールドがなくなったアンノウンには、たまったものではなく、それらが全弾命中した後、せめてもの抵抗とばかりに前のめりにドスンッという大きな音を立てて倒れる。
「ふぅ……」
動かないことを確認して一夏はようやく息を吐いて、額の汗を拭う。
アンノウンの正体やどうして、ここに現れたのか? などの理由は分からないが、どうやら、一夏たちはアンノウンの退治には成功したようだった。
◇ ◇ ◇
篠ノ之箒は、焦っていた。もちろん、理由は、織斑一夏である。
今日の昼。詳細不明のISの襲撃によって二年生、三年生のクラス対抗戦は延期となってしまった。もっとも、箒からしてみれば、そんなことはどうでもいいのだ。問題は、遮断シールドが解放され、ロックも解放された時だ。
その時、アリーナの中央で見えたのは、ばらばらになった詳細不明のISの近くにいる白貴に包まれた一夏の姿と良い雰囲気の中、会話している鈴栄とセシルの姿だった。
箒は、ある意味、余裕を持っていた。男子ばかりのIS学園に突如、現れた美少女。今まで男子ばかりだった学園生活に女子が現れても対応が分かるわけがない。結局、遠巻きに見るしかないのだ。幼馴染というアドバンテージを持った箒以外は。それでもセシルという例外がいたが、それでも彼の場合は、一夏が惚れるような要素は何所にもなかったので、問題はなかった。
そう、問題が発生したのはもう一人の幼馴染である鈴栄が現れてからだ。遠巻きに見ているだけだった男子の中で箒以外の例外。小学生の頃に幼馴染だった自分と比べて、つい最近まで幼馴染だった鈴栄。さらに、箒と比べて饒舌で一夏も鈴栄と話している間は楽しそうだった。
しかも、相手は国家代表候補であり、クラス代表戦優勝者である。箒も剣道の全国優勝しているものの、鈴栄の経歴とは比べ物になるわけがない。
これで、箒が慌てないわけがなかった。ISに関しては、セシルと鈴栄には届かず、剣道の指導はできるが、結局、最後に物を言うのはISだ。もしも、自分にも専用機持つほどの腕があれば、とは思うが、適正はCであり、代表候補になれるはずもない。専用機に関しては、少しだけ伝手がないわけではないが、使いたくはなかった。
このままでは、一夏を鈴栄かセシルに奪われてしまうと考えてしまった箒は、どうする? どうする? と部屋で一人悩んだ。
結局、最終的に、思いついたのは、男らしく告白しよう、ということだ。振られたらどうするんだ? とは考えない。正確には考えている余裕はなかった、というべきだろうか。それほどまでに焦っていたのだ。
そして、篠ノ之箒は、同じようなドアが並ぶ中、唯一、厳重にロックがかかっているドアの前に立っている。
心臓が痛いほどに高鳴っており、必要以上に緊張しているのが分かる。だから、箒は、大きく深呼吸を二度、三度と繰り返した。剣道の試合の前に必ず行う動作だ。これだけで、多少なりとも緊張は和らぐ。深呼吸によって、程よい緊張感を得た箒は、ようやく意を決して、他のドアには付いていないインターホンを震える人差し指で押した。押してしまった。
『は~い』
インターホン越しに聞こえる一夏の声。それだけで、再び箒の心臓は高鳴りそうになるのだが、無理矢理押さえつけて、箒は、口を開いた。
「箒だが」
『あっ! 箒? ちょっと待ってね』
向こう側が切ったのだろう。がちゃんという音がして、ドアの向こうからパタパタと駆けてくる音がした。箒としては、用件を聞かれず、すぐにドアを開けてくれることは嬉しいのだが、今はそんなことを暢気に受け入れている場合ではないようだ。
やがて、がちゃっ、というロックが開く音がして、ドアがゆっくりと開く。ドアの内側には、まだ制服姿の一夏の姿が見えた。
「どうしたの? 箒」
一夏は、箒の用事が思いつかないのだろう、きょとんとした表情で小首をかしげながら、箒に尋ねる。
「あ……え……その……」
準備はしてきたはずだ。何度も、何度も、何を言うかを考えて、ノートに書き出して、考えてきたはずだった。しかし、本人を前にすると、そんなものは吹き飛んでしまう。何を言うかを忘れてしまう。考えてきた言葉は、時空の狭間に消えてしまった。
だから、意を決して箒が口にできたのは、言わなければいけないと最低限、覚えていた言葉だけだった。
「今度の学年別トーナメントだが、俺が優勝したら―――」
そこから先を口にはできない。いや、できないわけがないが、それでも中々口から出てこない。しかし、ここで言わなければ、何をしに来たんだっ! と自分に活を入れて、やけくそのように箒は口にした。
「付き合ってくれっ!―――」
言った。言ってしまった。
言葉とは、言の葉と書く。つまり、一度、枝から離れた葉―――言ってしまったことは、なかったことにはできない。それを承知で箒は、口にしてしまったのだ。一夏への告白を。
箒の告白に対して、一夏の反応は、少し考えているのか、右手のひさし指を顎に当てて、箒ではないどこかを見ていた。少しの無言の時間。本当は数秒なのかもしれないが、箒には一生続きそうなほどに長い時間のように思えた。やがて、答えが決まったのか、一夏が箒を見て、口を開く。
「いいわよ」
今、一夏はなんと言っただろうか? と確認したくはなかった。その言葉が嘘のように思えるからだ。しかし、一夏の言葉は、許諾だった。それが嬉しくて、思わず内心でガッツポーズをとってしまう。いつもは冷静な箒も脳内では、自分の分身が小躍りしていた。
しかし、その箒の浮かれようは、一夏の次の一言で冷や水を浴びせられたように冷静にならざるを得なかった。
「デートのお誘いなんでしょう? どこに連れて行ってもらえるか分からないけど、もちろん、箒が誘ってくれるんだから、食事ぐらいは持ってくれるわよね?」
―――あ、れ?
ここで、箒はようやく自分の言いたい事が一夏にうまく伝わっていないことに気づいた。
しかしながら、笑顔で応えてくれる一夏を見ていると、今更訂正する気にもなれない。いや、ここで訂正できる勇気を箒が持ちえていなかったというのが本当のところだろうか。だから、箒は、一夏の勘違いを正す事ができず、勘違いさせたままにするしかなかった。
「ああ、それぐらいなら」
「あら、冗談だったのに。いつも箒には、剣道の稽古をつけてもらっているから、それぐらいはいいわよ。箒が優勝できたらでいいのね? 分かったわ。もっとも、わたしも負けるつもりはないわよ」
それで、他に用事は? という一夏に箒は何も言うことはできず、首を横に振るだけで終わってしまった。用事がなければ、一夏の部屋の前にいるわけには行かない。よって、一夏は箒と一夏を隔てるドアを「おやすみ」という言葉と一緒に再び閉じた。
「はぁ……」
一夏の顔が完全に見えなくなって、箒は重たいため息を吐く。せっかく、覚悟を決めたのに失敗したからだ。いや、失敗なのだろうか? 想いは伝わらなかったが、デートに誘うことはできた。つまり、満点ではないが、及第点はもらえるのではないだろうか?
そう考える箒だが、もちろん、それは慰めでしかない。自ら慰めにしかならない言い訳をしながら、箒は自分の部屋へと戻るために踵を返す。
箒の肩は一夏の部屋へと戻るときよりも明らかに落ちており、その様は、まるで負け犬のようだった。
つづく
あとがき
一巻分がようやく終わりました。