『フォーマットとフィッティングが完了しました。完了ボタンを押してください』
来たっ! と一夏は、はやる気持ちを抑えながら、大量のデータが意識に直接送られてきたのと同時に目の前に展開されたウィンドウの真ん中にある「確認」のボタンを震える手で押す。
ボタンを押すと同時に、先ほど送られてきたデータよりも大量のデータが送られ―――いや、整理されている。それを一夏は感覚的に理解していた。そして、変化は劇的に訪れた。
キィィィィンという甲高い高周波な金属音が鳴り響くと同時に一夏のIS―――白貴は、白い光に弾けて、消え、また再構築されようとしていた。
再構築された新しい―――いや、一夏専用となったIS、白貴は、セシルの射撃によって受けたダメージをすっかり修復し、その白いボディを輝かせていた。一夏専用になった白貴は、初期化前よりも鋭く、先鋭的になっている。初期の頃の工業系の凸凹はなくなり、全体的には甲冑のようになっていた。
肩から羽のように展開されたスラスター、そして、まるでフレアスカートのように装甲が広がっていた。それは、一夏が女性であるためか、セシルのものと比べて、どこか形は女性的なものを思わせる。
白貴の変化に満足していた一夏だったが、セシルは衝撃を受けたようだ。驚愕の表情で、一夏を、白貴を指差していた。
「ま、まさか、一次移行(ファーストシフト)っ!? 貴様っ! よもや、今まで初期設定のまま戦っていたのではあるまいなっ!?」
「残念ながら、その通りよっ!」
そう言いながら、一夏はようやく一次移行が終わった白貴から早速、武器を検索する。今までは、逃げの一手だったが、今度からは戦わなければならない。そして、戦うためには武器が必要だ。
―――近接戦闘向けの武器があればいいんだけど。
射撃系の武器が出てきたとしても今の一夏に扱えるとは思えない。ぶっつけ本番では無理だ。なにより、セシルは中距離射撃系のISなのだ。同じ土俵で戦えるわけがない。勝機を見出せるとしたら、距離を詰めて一気に勝負をつけるぐらいしか思いつけない。
近接系の武器がありますように、と祈る一夏の期待に応えたのか、白貴から提示された武器はたった一つだけだった。
『近接特化ブレード・《雪片・弐型》』
まさかの近接武器のみ。しかし、それ以外を望んでいない一夏にしてみれば、僥倖以外の何物でもない。一夏は、迷わず《雪片・弐型》を選択する。刹那、一夏の手元に量子化の状態から光をまとって顕現する雪片・弐型。
一夏の手元に現れた《雪片・弐型》は、ブレードという名称がついている割には、西洋剣のようなまっすぐな刃ではなく、どちらかというと日本刀のように反りが入った太刀のような形だ。長さは、およそ1.5メートル程度。一夏の身長ほどもある長さだ。そして、刀身の鎬には、僅かな溝があり、そこから光が漏れている。長さもさることながら、どこか機械的な形を持つそれは、間違いなくIS装備であることを示していた。
しかも、一夏は、この刀を知っていた。忘れられるはずもない。この刀は、一夏の兄である千冬が使っていた専用機である夜桜の装備だったのだから。千冬は、この一本だけで世界大会を優勝した。その刀が今、一夏の手元にある。それだけで気分が高揚しないわけがなかった。
「初期設定で俺に挑むとは……。しかし、今更、ファーストシフトが終わったところで、俺の勝利は揺ぎ無いっ!!」
「それは、どう、かしらねっ! 今からが、わたしの本番よっ!」
まるで、今までの不満を振り切るようにぶおんっ! というような風きり音を残して、一夏は雪片を正眼に構える。この一週間、ずっと鍛錬してきた構えだ。雪片のように多少、刀が大きくなろうとも、なんら不都合はなかった。
雪片・弐型を構えた一夏に再装填したミサイルのビットがセシルの命令に従って飛んでくる。ビットの動きは、逃げ回ってきたときと同じく多角移動だ。おそらく、発射のタイミングを知られたくないのだろう。ミサイルの場合、ビームと違って再装填する必要がある。そのため、必中の必要があるのだろう。
しかし、ファーストシフト前ならまだしも、今は、わざわざミサイルを発射するのを待ってやる義理はなかった。
ぎゅっ、と雪片・弐型を握る。一週間の箒との訓練は身体が覚えている。内緒で見てきた千冬の戦闘を覚えている。自らの経験と知識を重ね合わせ、一夏はついに動き始める。
「邪魔っ!!」
横一閃。それだけで、両断された二機のビットは、少しだけタイミングをずらして、慣性に従い、されど、セシルの命令には従わず一夏のやや後方で爆ぜる。一夏は、その爆発に巻き込まれる前に一気にその場からスプリンターのクラウチングスタートのように爆発的に加速する。
「なっ! 早いっ!」
そう、ファーストシフトが終わった白貴は、一夏の思ったとおり以上の動きをしていた。先ほどよりもしっくり来る感覚。フィッティング(適応化)というのは伊達ではない。まるで、今まではサイズの合わないスパイクで走っていたような感覚だ。
セシルまでの距離は約30メートル。一夏は、その距離を最短距離で翔る。しかし、それをすんなりとセシルが許すはずもなかった。
「だがっ!」
その声と共に動き出す残り四つのビーム用のビットが一夏の前の展開される。しかし、一夏はスピードを緩めない。まるで、自殺行為のようにビームに突っ込むような形だ。
「馬鹿なっ! 特攻でもするつもりかっ!?」
驚くセシル。だが、容赦をするつもりはないのだろう。コンダクターのように手を振るとビームを一斉に発射する。飽和状態になったビームが一夏の前に展開される。白貴も警告を一夏の前に出している。しかし、一夏は恐れることなく前進する。彼女の覚えが正しければ、雪片・弐型は―――
「てぇぇぇいっ!」
気合一閃。一夏の雪片・弐型は、ビームを薙ぎ払った。まるで蜃気楼のように掻き消えるビーム。
「なにっ!?」
セシルが理解不能になるのも無理はない。ビームとはかき消せるものではない。武器を犠牲にビームを防いだなら彼も理解できただろう。だが、一夏のそれは根本的に異なる。まさしくかき消した。最初から存在しないように。1を0にするように。
「しまったっ!」
セシルにとって、一瞬呆けたのが命取りだった。そんなことは後で考えるべきだったのだ。その一瞬の思考の停滞は、セシルに確実な隙を作っていた。
つまり、一夏にとっては絶好の機会。そんな機会を一夏が見逃すはずもなかった。今でも十分早い加速移動をさらに加速させ、一気にセシルの懐にもぐりこむ。間合いは、もはや中距離ではなく、近接戦闘の領域。もはや、セシルのブルーティアーズはなんら意味を持たない。
一瞬、セシルの手が動く。おそらく、彼は通常であれば、装備されているであろう近接武器を呼び出そうとしたのだろう。しかし、呼び出す事ができるはずもない。この模擬戦で、彼が使える武器は、唯一つ。ブルーティアーズだけなのだから。
「やぁぁぁぁぁっ!」
一夏の気合に応えるように雪片・弐型のエネルギー密度が高まり、より強く雪片・弐型は輝く。空気を切るように空ぶるセシルの手を余所に、一夏の咆哮と共に上段から下段への袈裟払いが斬っ! という音と共に決まった。通常の近接武器であれば、シールドを通過することなど不可能だっただろう。しかし、この武器は―――雪片・弐型だけは別だ。
「がぁぁぁぁぁっ!」
幸いなことに絶対防御が発生してるため、セシルには傷一つないが、それでもバリアシールドを通過するほどの衝撃だ。生身へのダメージは計り知れないものである。苦悶に満ちた叫び声はセシルへのダメージを物語っていた。
一夏は、雪片・弐型を振りぬき、さらに追撃の弐の太刀が必要か、と思ったが、その必要性は、振りぬいたと同時に鳴った試合終了を告げるブザーによってなくなった。
『試合終了。両者同時エネルギー切れにより、勝者なしっ!』
一夏の斬撃が綺麗に決まった割には、なぜか試合は引き分けだった。
「あれ?」
一夏はなぜ? という顔をしていた。いや、それはこの場にいた全員だ。苦痛から解放され、シールドエネルギーがゼロになっていることを確認したセシルも、第三アリーナの観客も、ビットで試合を見守っていた箒も真耶もだ。その中で、ただ一人だけやるせない表情で腕を組んだまま、千冬は呟いた。
「惜しかったな」
その場に居た誰もが何が起きたかを理解しないまま、セシル・オルコットVS織斑一夏という注目の対戦カードは、引き分けという訳の分からない結果で終幕を迎えた。
◇ ◇ ◇
「最初にしては上等な結果だ」
ピットに戻った一夏は、千冬の慰めるような言葉で迎え入れられた。
よくよく考えてみると、ISに初めて乗る人間が、国家代表候補にエネルギーシールド半分で兵装制限と言っても、こちらもファーストシフトすら終わっていない状態で戦いに赴いたのだ。最初の戦果にしては、十分であろう。
「そう、よね」
あと少しで勝てた、という意識があるだけに納得はできないが、過ぎてしまったことは仕方ない、ということもある。ここであと少しで勝てた、と悔やんでも仕方ないのだ。
しかし、よくよく考えてみれば、一夏はこの勝負に全力を尽くした。手抜きをすることなくセシル・オルコットに挑んだ。その結果が引き分けなのだ。ならば、それで十分だ。少なくとも、悔いが残る戦いではなかったのだから。
「今日、いきなり使ったのだから仕方ないが、自分の武器の特性を学べ。己を知り、敵を知れば、百戦危うからずだ。俺もそうやってきた。明日からは、訓練に励め。暇な時間があれば、ISを起動するといい。起動時間が長ければ長いほどにISは強くなる」
「はい」
世界大会チャンピオンからの助言だ。有り難く受け取るしかない。いや、しかし、一夏は別にIS部隊の軍人になるために入学したわけではないので、別に強くなる必要はないと思うだのが。いや、しかし、この学園に入学した以上は、やはり強くなるしかないのだろうか。
う~ん、と一夏が考えていたところに、重そうな本を三冊ほど運んでくる真耶の姿が真耶の視界に入った。
「織斑さん、この後、ISを待機状態にすると思います。……あわわっ! 今、待機状態にしないでくださいよ。ISは、織斑さんの望んだときにすぐ展開できますが、ISを起動する場所や規則が決まっているので、守ってくださいね」
そういいながら、運んできた本をどさっ、どさっ、どさっ、と置く。とても本が出すような音ではないのだが、電話帳並みの厚さがある本では仕方ないだろう。しかも、その一枚一枚は非常に薄い紙となっており、全部で何ページあるのか一夏はまったく想像ができなかった。
「なんにしても、今日はこれでおしまいだ。今日は疲れただろうから、汗を流してしっかり休め」
それだけ言うと、千冬も忙しいのだろう。真耶と一緒に若干、足早にその場を後にする。
そして、誰もいなくなったピットで一夏は、白貴を待機状態にする。待機状態となった白貴は、光に包まれると、一旦、光の粒になり、耳元に集まると再び形を取り戻し、キューブのような白い宝石をぶら下げたイヤリングとなって現れた。これが白貴の待機状態である。あの大きさが、量子変換とはいえ、この大きさになるのは一夏にとって驚きだった。
―――そういえば、待機状態から展開するとき、わたしも儀式が必要なのかしら?
ISに例外がないとすれば、一夏にも必要なのは間違いない。しかし、あのような恥ずかしい真似をISを召還するたびに行わなければならないとは。セシルのように堂々とした態度でできるのが一夏にとっては羨ましかった。
「ほら」
白貴を召還する際の儀式について、憂鬱に思い、はぁ、とため息を吐いていると横から不意に黒いジャケットが渡された。
「……箒?」
差し出された方向を見てみれば、そこには、確かにビットにいたはずなのに今まで姿を消していた箒の姿があった。しかも、視線は一夏に向けられておらず、無言でジャケットを差し出すのみである。
―――これは着ろってことかしら?
それ以外はないだろう。しかも、大きさから考えるに、これは箒のものらしい。しかし、そのジャケットが差し出されている理由を一夏はいまいち、察する事ができなかった。
「そのままの格好で、アリーナを歩くのか?」
箒がいつまでたってもジャケットを取らない一夏に呆れたのだろう。若干、その色を含んだ声で一夏に忠告するようにいう。その箒の言葉で、一夏は自分がどんな格好をしているか気づいた。セシルとの戦闘で気分が高揚していたせいかもしれない。いつもの一夏ならありえない失敗だった。
自分の格好に気づいた一夏は、箒からふんだくるようにジャケットを受け取ると、さっそく、それを羽織って、前を留める。箒のジャケットは彼の身長が180センチあるだけにかなり大きい。現に丈は一夏の膝上5センチ程度まであるし、袖だって、まったく出すことができない。しかし、ジャケットの前を止めるときは胸の部分が苦しかった。今も押さえつけられるような感覚だ。いくら、男性用に作られているからって、これはないだろう、と一夏は自分の体ながらに呪いたかった。
この胸を羨む同性もいるが、一夏としては、こんなに大きくない方がよかったと思う。それを親友に言うと血涙を流し出す勢いで怒られたが。しかし、異性からの視線は集めるし、下着は可愛いのが少ないし、肩はこるし、で良いことは全然ないのに。一度、ダイエットをすると胸から減るということを聞いたので、試してみたが、体重が減っただけで、胸はそのままだった。そのことを親友に言うと、本気の表情で殴って良いか? と聞かれてほとほと困ってしまったが。
さて、それはともかくとして―――
「うん。よかったな」
「さっきの試合が、か?」
不意に一夏が零した言葉に箒が反応する。もう一夏はジャケットを羽織っているため、箒もそっぽ向いているわけではない。
確かに、一夏の今のタイミングで考えると一夏の呟きは、箒が言ったようにしか考えられないだろう。しかし、一夏は首を横に振った。
「ううん、それもあるけど、わたしの格好を見て、羽織るものを用意してくれる素敵な幼馴染がいてよかったな、って」
「なっ!?」
そう、せめて一夏の格好に気づいて、試合が終わった後に羽織るものを用意してくれる幼馴染に一夏は安堵していた。もしも、彼がむっつりなすけべさんなら、何も用意せず、一夏の格好を楽しむこともできたはずだ。いや、一夏の格好を見て大半の男ならそうするだろう。だが、彼は羽織るものを用意してくれたのだ。
もっとも、言われた本人は、一夏の言葉は不意打ちだったのか、絶句したような表情で顔を紅くしていたが。
「え? なに? それとも、わたしの格好、じっ、と見たかったの?」
「いや、それは……」
さすがに男としては、そんなことはない、とはいえないのだろう。ある種、一夏の姿が見るに耐えないといっているのと一緒だから。しかし、年頃男子としては、気恥ずかしさから見たいとも素直に言えない。箒もまだまだうぶな少年と言っても過言ではなかった。
「なによ~、箒のえっちぃ~」
きしし、と悪戯っぽく笑う一夏。そこで、ようやく箒は自分がからかわれたことに気づいたのだろう。こらっ! という半ば怒ったような声で逃げ出した一夏を追いかける。その様子は、年頃の男女というよりも子どもだ。もしも、彼らの様子を千冬か、あるいは、箒の両親が見ていたら、感慨深げに言うだろう。まるで、子どもの頃の光景を見ているようだ、と。
彼らの追いかけっこは一夏の洋服がおいてあるアリーナの更衣室まで続くのだった。
◇ ◇ ◇
セシル・オルコットは、試合を終えた後、自室へ戻り、試合での汗を流すためにシャワーを浴びていた。
春のこの時期に浴びるシャワーは、水にすれば、冷たすぎるため、若干、温度を押さえたお湯だ。そのシャワーを浴びながらセシルは、先ほどまで行われていた試合を思い返していた。
―――今日の試合……
あの時、試合終了のブザーが鳴ったとき、セシルは負けを覚悟した。自分のシールドエネルギーがゼロになっていることを確認したからだ。しかし、結果は、引き分け。セシルには、どうして一夏のシールドエネルギーがゼロになったか分からなかった。
いや、今日の試合は分からないことだらけだ。最後の一夏の突撃のとき、ビームは確実に着弾したと思った。しかし、結果は、無傷。一夏は、剣の一振りでビームをすべて薙ぎ払っていた。あれはどういうことだろうか。少なくとも、国家代表候補になるだけの知識はあるはずのセシルをもってしても理解不能だった。
いつだって、勝利への確信と技術の向上を目指していたセシルにとっては、この引き分けは、むしろ屈辱だった。いや、この際なら、引き分けなど面倒なものではなく、いっそのこと敗北にしてくれ、と叫びたいほどだ。
―――あれは、俺の負けだった……
懐に入り込まれた時点で終わり。いや、その前にむしろファーストフェイズが終了する前の初期設定のままで模擬戦に望んだ一夏を27分もかけて倒せなかった時点でセシルは負けていた。
―――織斑、一夏―――
セシルは、思い出す。あの強い意志の篭った瞳を。まっすぐとセシルを睨みつけるように見据える一夏の姿を。
まっすぐとセシルに媚びることなく見据える眼差し。少なくとも、セシルが体験してきた中では、見たことがない眼差しだった。そして、彼女の眼差しは、鏡のように彼の母親を逆連想させる。
―――母は、父の顔色ばかり伺う人だった。
名家に嫁入りしてきた分、セシルの母は肩身が狭かったのだろう。セシルは、そんな母を幼少の頃からずっと見ていた。まるで、父の使用人のように何もいえない母。セシルから見て、彼らは夫婦というには、あまりにも歪だった。父もそんな母を見て、苛立っていたのだろう。最初は、愛していたのかもしれない。しかし、年月と共に気持ちは変化するものである。少なくともセシルの記憶にある最後のほうの父の姿からは母への愛は感じられない。
「…………」
セシルにとって父とは、憧れだった。何よりも強い人だった。いくつもの会社を成功させ、巨万の富を築き、名家としての誇りを胸に威風堂々と君臨する父。そんな父の姿はセシルにとって憧れだった。
そう、『だった』。過去形だ。そんな強い父もあっさりと亡くなってしまった。事故という形で。
一時は、陰謀説すら囁かれたが、それは事故の状況があっさりと否定してしまった。越境鉄道の脱線事故。死者は百人を軽く超える。いつもは別々だった彼らが、どうしてその日に限って一緒だったのか、セシルは未だに知らない。
しかし、今日と同じ明日が来ると考えていたセシルにとって、両親の死は突然で、実にあっさりとしたものだった。
それから、時はあっという間に過ぎていく。
セシルの手元には父が築いた巨万の富と権利が残った。セシルには、兄弟がいないため、相続権はセシルにある。しかし、一人が持つには大きすぎる富。まるで、ハイエナのようにセシルの持つ遺産に喰らいつこうとする自称親戚が後を絶たなかった。彼は、両親の残した遺産を守るために必死で勉強した。いくら周りが甘いことを言ってこようともまったく相手にしなかった。
すると、相手は行動を変えてきた。そう、彼らは、自分の娘を使い始めた。大胆な服装で迫ってくる同世代の女。誰もがきつい香水のにおいと、厚い化粧。中には、シンプルに来た女もいたが、しかし、彼らの目は、物欲にまみれており、セシルを見ていなかった。その向こう側にあるものを見ていた。
やがて、その噂は、セシルが通っていた学校にも蔓延する。セシルが、巨万の富を持っている、と。
そうなれば、学校はセシルにとって地獄だ。
「セシルくん」「セシルさん」「セシル様」「セシル」と誰もがセシルの名前を呼ぶ。しかし、誰もがセシルを見ていなかった。セシルなどお金に付随する付属品だった。常に人に囲まれながらもセシルは、常に孤独だった。いや、孤独ならいい。それどころか、必死に自分を守らなければならなかった。弱みを見せれば、彼らはそこに付け込んでくるから。だから、セシルは、自分を大きく見せなければならなかった。彼が憧れる父のように。しかし、経験という土台がない彼のその態度は、いわゆる虚勢と演技に過ぎなかった。
いい加減、周囲にも、女にも鬱陶しくなってきた頃だ。政府からISによる適正ランクA+の評価で、政府が国籍保持のために好条件を出してきた。セシルは、即断した。両親の遺産を守るため、そして、そろそろ限界に達してきていた自分を守るために。
それから、第三世代装備ブルーティアーズ一次運用試験者に選抜され、戦闘経験と稼動データを集めるために日本のIS学園に入学し、そして―――
出会った。出会ってしまった。セシルをまっすぐと見る瞳を持つ少女に。織斑一夏に。
「織斑、一夏……」
その名前を口にすると不思議と鼓動が早くなったように感じる。
どうしようもなく、胸が高鳴り、不意に、セシルの脳裏にまっすぐと自分を見つめ、彼の名前を呼ぶ少女の姿が想像された。あの強い瞳で見つめられながら、どうしようもなくあの唇に触れてみたい、とそう強く思った。
「俺は……」
自分でも分からなかった。いや、コントロールできないというべきか。今までは、自分の身を守るだけで精一杯だった。だが、今は、両親の遺産を犯されることはなくなり、セシルを狙う奴はいない。そんな中、出会った彼女―――織斑一夏。
知りたいと思った。もっと、彼女のことを。
そして、何より、彼女の強い意志が篭った瞳は、セシルをまっすぐに見つめる彼女の瞳は―――どうしようもなく、セシルを引きつけてやまなかった。
◇ ◇ ◇
「え~、それでは、一年一組のクラス長は織斑一夏さんに決定しましたぁ~。一が並んでて縁起がいいですねぇ」
セシルVS一夏の模擬戦から翌日の朝。一夏が知らないうちに、いつの間にかクラス長は、一夏に決定していた。
真耶もクラスメイトも一夏のなぜ? という疑問を余所に、嬉々として、一夏のクラス長就任を喜んでいる。どうしてこうなった? と、幼馴染の箒にも視線を送ってみるが、彼も首を横に振るだけだ。
「先生、質問です」
「はい、なんですか? 織斑さん」
「どうして、わたしがクラス長なんですか?」
確かに昨日の模擬戦で勝者はなかった。引き分けだ。ならば、一方的に一夏がクラス長になるのは、おかしい。せめて話し合いがもたれるべきではないだろうか。そうでなければ、昨日、戦ったセシルも納得がいかないはずである。しかし、その一夏の予想はすっかりと外れていた。なぜなら、一夏がクラス長となる原因の大本は、一夏が心配した張本人だからだ。
「それは、俺が辞退したからだ」
一夏が、後ろを振り返ってみると、相変わらず腕を組んでえらそうな態度を取っているセシルではあるが、声は昨日までのように荒くない。むしろ、落ち着いた感じがしている。昨日の戦闘でガス抜きでもしたのだろうか? とさえ思える。
「確かに、昨日の戦いは引き分けだった。だが、あれを引き分けと認めるのは、俺の矜持が許せん。あの場は、俺が圧倒的な勝利を収めて当然。それ以外は、負けと言っても過言ではない」
一夏は、セシルの態度に唖然とした。昨日までの態度が本当に嘘のようだ。負けて反省するとは、猿並だとは思うが。
「よって、俺はクラス長は辞退し、一夏……さんにクラス代表の座を譲ることにした」
―――あれ? 今、わたしのこと呼び捨てにしようとした?
セシルの微妙な部分よりも、一夏としては、むしろ、そちらに注意がいった。彼は今まで、一夏のことを名前で呼んだことはなかったのだから。昨日の戦闘で、少しは認められたということだろうか、と思うと少しだけ誇らしい。悔いのない戦いで相手に認められたのだから。少なくとも、女というくくりで一夏を見ようとしなかったセシルに一矢報いられたのだから。
セシルが下の名前で呼ぶことについては、彼がイギリス人だから、という理由で一夏は納得していた。途中で、「さん」を付けたのは、日本語になれていなかったからだろう、と。
しかし、一夏の予想は外れている。本当の理由は、真耶の隣で、出席簿をもって佇む千冬の視線が怖かったからだ。
さて、何はともあれ、これで一応の決着はついた。
「よし、それでは、クラス代表は、織斑一夏で決定だ。異存はないな」
最後の最後で、千冬が教師らしく締める。むろん、誰も異存があるはずもない。無言は肯定を意味していた。一夏も本当は、何か言いたかったが、しかし、相手が負けを認めているのだ。ここで異存を言うと、さらにややこしくなる。それに、ここまで来た以上、覆すのは難しい、と判断した一夏は何も言わなかった。いえなかった。
そして、千冬は、いつもどおりの授業に入る。
こうして、クラス長を決めることに端を発した模擬戦は、勝負自体は引き分けだったが、最終的には、織斑一夏の勝利で幕を閉じたのだった。
つづく
あとがき
ようやくセシル編終了。次回は、鈴が登場です。