[11]王と『白の国』
山岳の港町ラ・ロシェールの朝。
窓より差し込む夜明けの日光の眩しさにギルガメッシュは眼を覚ます。
隣に目を向ければ、そこには裸体のままのキュルケが寝息を立てている。
どうやら昨夜の情事の後、着替えることはせずにそのまま眠ってしまったらしい。
寝起きで鈍る身体を軽くほぐしながらベッドより起き、ギルガメッシュは椅子にかけておいた服を着始める。
彼が半身の着衣を済ませた頃、部屋のドアをノックする音が耳に届いた。
「誰だ?」
「私です。ワルドです」
ドア越しに聞こえてくる声は、確かにワルドの物であった。
「しばし待て」と告げて、ギルガメッシュは着替えを再開させる。
ゆっくりと着替えを終え、ギルガメッシュは改めてドアを開けた。
「おはようございます。ギルガメッシュ殿。部屋の寝心地はいかがでしたか?」
「まずまず、といった所か。まあ急の用意としてはそれなりであろう。一応は褒めてくぞ、ワルドよ」
「ありがとうございます」
それなりの時間を待っていたにも関わらず、昨日までの態度を変えることなくワルドは一礼した。
「して、このような早朝より何の用だ?もしつまらぬ用で我を煩わせようというのなら、その対価は重いぞ」
軽い脅しも含めたギルガメッシュの言葉。
軽いといってもそこには確かな殺意の色が含まれている。
呵責なき英雄王の感性において、殺意とは日常的な感情に区分されるのだ。
そのようなギルガメッシュの対応を受け、しかしワルドは臆することなく、毅然と淀みない態度のまま言葉を返した。
「御身の威光は、私も風に運ばれる噂にて耳にしておりますが、私もまた兵の者。やはり己自身の眼を以て御身の強さのほどを感じ取りたいと思いまして」
「ほう。で?」
「すなわち、これです」
ワルドは腰に差したレイピア状の魔法の杖を引き抜き、ギルガメッシュの前に示してみせた。
「どうか一手、御教授のほどを賜りたくございます」
ワルドのその言葉に、ギルガメッシュはにんまりと破顔させた。
「この我に対して挑みかかるか。勇敢も度を過ぎれば無謀なる愚鈍であると理解しているか?」
「重々承知の上です。ですが、これより後のアルビオンの道中は敵陣の只中。その敵地を前にし、同行者の実力は直に知っておくべきかと」
そこまで言った所で、ワルドのギルガメッシュへと向ける視線の中に、鷹のように鋭い光が宿った。
「それに、御身自身にも知っていただきたい。この『閃光』の魔法の冴えのほどを」
不敵なワルドの言葉に、ギルガメッシュは更に愉悦の笑みを深める。
その笑みを浮かべたまま、ギルガメッシュはワルドの申し出に了承の意を表すように頷いた。
ワルドが案内したのは、宿の中庭に存在する練兵場だった。
この『女神の杵』亭は、かつてはアルビオンの侵攻に備えた砦であったという歴史を持つ。
この練兵場も、その古き時代の名残りである。
昔集まった貴族たちが王より閲兵を受けたというこの練兵場も、今では物置代わりに樽や空き箱が乱雑に置かれている。
立てるべき旗を失った旗立て台がかつての栄華を懐かしむように佇む中、ギルガメッシュとワルドは二十歩ほど離れた位置で向き合った。
「かの名君フィリップ三世の治下の時代には、この場所で多くの貴族が己の意地と名誉を懸けて杖を抜き合ったものです。その決闘は誇りを懸けた尊いものでしたが、中にはくだらぬ事で魔法を唱える輩もおりました。例えば、女の取り合いなど」
「ほう。で、この立ち会いもくだらぬ行事であると抜かすのか?」
「フフッ、まさか。あなたほどの者の胸を借りられる。これほど名誉ある手合せは他にありますまい」
そう答えてワルドはレイピア状の杖を抜き、フェンシングのように前方に突き出して構える。
それに応じるように、ギルガメッシュもまた虚空の蔵よりデルフリンガーを抜き放った。
「貴殿は黄金の鎧を纏われると聞きましたが、武装はなさらないのですか?」
「遊興の場に戦装束で出向くのも無粋であろう。使ってやるのはこの道楽用の剣のみ。いきなり我が宝物の威光を垣間見んとするなど、僭越が過ぎるぞ」
機嫌良さそうに笑みを浮かべながら、ギルガメッシュは答える。
そのギルガメッシュの言葉に返答したのは、ワルドではなく手に握られるデルフリンガーであった。
「ちょっと待て、旦那!!道楽用ってどういうことだっ!?俺は玩具じゃねぇぞ」
「何を言う。お前ほどに道化の役が適任な剣など他に在りはせんだろう。元々がみすぼらしい故、汚れてもあまり気にならんしな」
「じゃ、じゃあ、俺を買ってから旦那が随分と俺の事を使ってくれたのって・・・」
「我が財を抜くに値せん雑種の相手に、お前はまさに適任であった。つまらぬ魔術を飲み込む能力といい、まさにお前は最高の露払いの剣だな」
「ひ、ひでぇ・・・」
しょんぼりと項垂れて(剣なので雰囲気的にという意味だが)、デルフリンガーは落ち込む。
そんな得物の落胆など意にも介さず、ギルガメッシュはその柄を片手に持って構えを取る。
向き合う二人がそれぞれ武器を構え、決闘独特の一触即発の空気が両者の間に漂いだす。
と、そのピリピリとした両者の間に、熱を冷ます冷や水のような声が投げかけられた。
「ワルド?ギルガメッシュ?ちょっと、二人とも何やってるのよっ!?」
声に反応して、二人は声の方へと目を向ける。
二人の視界の中で物陰から現れたのはルイズであった。
「これも貴様の計らいか?」
「いえ。ですが、どうやら原因は私のようだ」
どうやら朝に部屋から出るところを、ルイズに見られていたらしい。
このような朝早くからの闘志漲らせたワルドの様子に何かを感じ取り、こうして付けてきたのだろう。
素人同然のルイズの尾行に気づかないとは、ワルドは自分の迂闊さに驚く。
単なる手合せとはいえ、ギルガメッシュとの戦いを前にし、どうやら自分は柄にもなくかなりの緊張を抱いていたらしい。
全くもって不覚であるが、同時にそのことを納得し、高揚を感じている自分もいる。
そのような動揺を生むほどに、自分がこれから相手にしようとしている者はこれまでの常識の枠を超えた規格外なのだと実感できた。
「ワルド、一体何をする気なの?」
「彼の実力を、直にこの身で味わいたくなってね」
「もう、そんな馬鹿なことはやめて。私達には大切な任務があるでしょう。仲間同士で争ってどうするのよ」
「そうだね。ひょっとしたら、本当に無意味なことかもしれない。わざわざこんなとこをしなくても、任務に支障をきたすことはないし、もし怪我でもしたらとんだ愚か者だ。
けど、悔しいけれど、僕は男でね。強いか弱いか、それが気になり出すともう止められないのさ」
はっきりと、ワルドは答えてくる。
その言葉に含まれる意志は固く、彼の決心がいかに強固であるかを物語っていた。
ワルドの説得は諦め、ルイズはギルガメッシュの方へと向く。
謝るまで口を聞かないという、自らに下した誓約は破ってしまうことになるが、この場合は仕方ない。
「アンタも、こんなことして何になるのよ」
「向けられた挑戦は受けて立つが我の信条。挑みかかる雑種の相手をしてやるのも、王の務めだ。
それにこの世界に来てからというもの、対する者のどいつもこいつもが貧弱極まる者ばかりだったからな。いい加減、身体のほうも鈍ってくる。その点、この男の相手はなかなかに良い運動になりそうだ」
「なんなのよ、もう!!」
どちらもルイズの言う事に耳を傾ける気は全くないらしい。
完全に蚊帳の外となっている現状に、ルイズはカァーッと顔を赤くして叫んだ。
「さて。思わぬ介添え人も現れたことですし、そろそろ始めましょうか」
「うむ」
古びた練兵場の中で、二人の武器を構えた戦士が頷き合う。
その光景は、かつてこの場所で剣を切り結んだであろう戦士たちの過去を現代に投影しているようでもある。
数秒の時が流れた後、二人の間の弛緩していた空気がついに動き出した。
先を制したのはギルガメッシュであった。
僅か数歩の踏み込みで二十歩の距離をゼロとして、手にしたデルフリンガーを振りかざす。
振り抜かれたデルフリンガーの刃が、ワルドの杖によって受け止められた。
キイィィィン
金属音が練兵場の中に木霊する。
繰り出されたギルガメッシュの剣の威力に押され、たまらずワルドは後退した。
そのワルドにギルガメッシュはなおも追撃する。
まともに視認することも困難なデルフリンガーの連続斬撃が、次々とワルドの持つ杖へと叩きこまれていく。
常人のそれとは比べる事さえ不敬と言える力と速さ、そして技巧によって完成したそれは、まさしく英雄の技と呼ぶにふさわしい。
しかしながら対峙するワルドもまた、常人の区分とは技も経験もはるか認識の外にある。
幾年にも及ぶ鍛練の中で培われてきた肉体は完璧なる戦士のそれであり、身に付けた剣技も一級品の格である。
そして長き年月を闘争の中に身を置いたその経験は、彼に英雄を前にしてなおも怯まぬ屈強の精神力を与えていた。
ギルガメッシュが人の領域を超越した超人であるのなら、ワルドは人としての極限に到達した達人だ。
人の域にないギルガメッシュの高速の斬撃に対し、己の技を以て反応し、杖ですべてを受け切っている。
『風』のエキスパートたるスクウェアメイジのワルドは、周囲の大気に感覚を同調させる事で、己の全方位を知覚出来る超感覚を発現していた。
例え目では追い切れなくとも風の振動を感じ取って剣の軌道を読み、その先読みを以て受け太刀をしているのだ。
攻めは完全にギルガメッシュに譲り、自身は後退一辺倒の防衛戦の状況ながらも、ワルドは確かに英雄と呼ばれる存在に対抗していた。
「はあっ!!」
そして息吹と共に、ついにワルドも反撃に転ずる。
受け太刀の中で何とか唱えていた魔法をワルドは解き放った。
圧縮された空気の弾丸がギルガメッシュに向けて撃ち放たれる。
その魔法自体は、即座に反応して横に跳んだギルガメッシュにあっさりと避けられたが、それによって両者の間には少しの間が出来た。
その隙を逃さず、ワルド自身も風に乗って大きく後ろに跳躍しながら、滑るように呪文のルーンを低く呟いた。
「デル・イル・ソル・ラ・ウィンデ・・・」
呪文が完成し、ワルドの杖の先端で空気が撥ねた。
受け太刀の中での詠唱で不完全だった先ほどの魔法とは、威力も速度も違う不可視の巨大な空気の砲撃『ウィンド・ブレイク』がギルガメッシュに向かう。
猛る風の放流が自身に向かう中、しかしギルガメッシュは先ほどのような回避行動は取らず、正面に迫る風へ真っ直ぐに挑んでいった。
眼前に迫る暴風に、ギルガメッシュは手にするデルフリンガーを突きだす。
大気の壁に接触した瞬間、その刀身が光を放ち、向かってきた風の魔法を飲み込んだ。
「っ!?」
自身の魔法があっさりと無力化され、ワルドの顔に驚愕が浮かぶ。
『神の左手』の魔剣デルフリンガーの有する、ある程度の規模までの魔法を吸収して己が物とする能力である。
行く手を阻むものが無くなり、正面に立つワルドへとギルガメッシュが一気に迫る。
その追撃から逃れる術は魔法の使用直後で隙の出来たワルドには無く、防御に徹するべく杖を盾のように構える。
ワルドがその身を守らんと差し出したその杖に、ギルガメッシュはデルフリンガーの柄に片手から両の手を添えて、上段からの一撃を叩きこんだ。
繰り出された一撃は片手のみだった先ほどまでとは段違いの威力となってワルドを襲う。
何とか杖で受け止めたワルドであったが、その杖も受けた中間辺りから砕き折られた。
契約により術者であるワルドの魔力も込められ、並の武具とは比べものにならない強度を誇った杖も、英雄の本領の一撃に耐えきれるほどではなかったのだ。
斬撃の衝撃は更に持ち手そのものさえも押し抜き、ワルドは大きく弾き飛ばされて背中から倒れ込んだ。
ダメージに呻き声を漏らしつつも、何とか起き上がろうとするワルドの鼻先に、ギルガメッシュがデルフリンガーの刃を突き付けた。
「勝負あり、だな」
悠然とワルドを見下ろして、ギルガメッシュは告げる。
その表情は、息を切らして滝のように汗を流すワルドとは対照的に涼しげだった。
僅かに軌道を読み間違えれば即座に身を断ち切られるギルガメッシュの斬撃は、切磋琢磨に鍛錬を続けてきたワルドにさえも大幅な消耗をもたらしていた。
それに引き替え、ギルガメッシュの方はというと手合せ前の余裕のまま。
そんな所でも自分との間に広がる実力の差を表された気がして、ワルドはつい苦笑を漏らした。
「お見事です。御身の実力、この身を以て思い知りました」
「貴様もなかなかであったぞ。雑種相手としては、久し振りに良い運動になった」
使用したのはデルフリンガー一本とはいえ一応は自分に戦いの形態を取らせたワルドに、ギルガメッシュは讃辞の言葉を送る。
それだけ言うとギルガメッシュはデルフリンガーを蔵へとしまい、ワルドの事を放置して早々に立ち去っていく。
その後ろ姿を眺めながらフラついて立ち上がるワルドの元に、ルイズが慌てて駆け寄って来た。
「ワルド!!大丈夫?」
心配そうに表情を曇らせながら、ルイズは尋ねる。
幸いなことに怪我はないようだが、代わりに杖は無残なまでに粉砕されて、破片は地べたに散乱している。
メイジにとって杖とは自己の誇りの象徴であると共に最大の武器でもある。
その杖を破壊されたことは、ある意味肉体の怪我よりも本人には堪えるダメージとなるだろう。
そう考慮しての、ルイズの問いかけだった。
「ん?ああ、大丈夫さ」
しかしそんなルイズの苦慮とは裏腹に、ワルドの表情には落胆の色はない。
むしろその顔には満足気な清々しささえあった。
「でも、その、あなたの杖が・・・」
「心配いらないさ。確かにこのままでは使い物にはならないけど、幸い破片はすべて揃っている。明日の出発までには修復できるさ」
メイジの証たる杖を破壊されたというのに、ワルドの声には相変わらずの覇気がある。
そんなワルドの様子をルイズは不思議に思った。
「ねえ、ワルド。どうしてギルガメッシュとこんな事をしたの?」
「言っただろう。彼の実力を、この身を以て味わいたくなった。本当にそれだけさ」
言いながらワルドは、練兵場より立ち去ろうとしているギルガメッシュへと目を向けた。
「そして思い知ったよ。常人とは比べ物にもならない、彼の強さを。あれでまだ実力のほんの一端なんだと思うと、正直身体が震える。もし彼が本気となったら、一体どうなってしまうんだろうと想像せずにはいられないな
まったく、大した御方だよ。現実にこの世に在るのが信じられないくらいさ」
爪が喰い込むほどに拳を握り締めながら、ワルドは語る。
キュルケが冷え切っていると称したワルドの瞳には、今は燃え盛らんばかりの炎が宿っていた。
その傍らでルイズは、自分を見ずにあくまでギルガメッシュの事を見据えているワルドの事を、どこか遠い存在のように感じていた。
早朝のギルガメッシュとワルドの手合せより時は移り、時刻は夕刻に差し掛かる。
夕日がラ・ロシェールを包む中、ルイズは部屋のベランダで一人ぼうっと外を眺めていた。
キュルケ達はギルガメッシュと共にラ・ロシェールの観光に出向いている。
またワルドの方も杖の修復のために一人個室に籠り切りで、一切顔を出していない。
ギルガメッシュと一緒にいる気にはなれなかったし、ワルドの邪魔をするわけにもいかない。
必然的にルイズ一人が残される形となっていた。
「明日はいよいよアルビオンに渡るのよね・・・」
落ちかけようとしている夕日を眺めながら、ルイズは独り言ちる。
彼女の手には、アンリエッタより託されたアルビオン王国皇太子ウェールズ・テューダー宛ての手紙があった。
その手紙の内容を、ルイズは漠然と察していた。
もちろん中身を読んだわけではなく、幼馴染みとしての経験と、そしてこの手紙をしたためる際に見せたアンリエッタの憂いに満ちた表情から、この手紙に込められた思いを洞察したのだ。
あの時のアンリエッタの表情は、王女である以前にまるで恋人の事を案ずる一人の乙女のようであった。
その様子から、ルイズは確信に近い推測で、アンリエッタとウェールズが恋仲であると当たりをつけていた。
アンリエッタの気性からして、彼女が愛する人の死をみすみす見過ごすとは考えにくい。
きっとこの手紙の中には、ウェールズにトリステインへの亡命を勧める内容が記載されているはずだ。
「しっかりしないと・・・」
改めてルイズは自分の受けた任務の重さを実感する。
この手紙には国の行く末だけでなく、一人の乙女の汚れ無き恋慕の思いも含まれている。
この重大な任務を達成してみせてこそ、王女への忠義心を見せる事になり、あの晩の無礼の詫びになろうというものだ。
決意を新たにし、ルイズは少し疲れた眼を休ませるべく、目蓋を閉じた。
次にルイズが目を開けた時、ベランダから見える外の景色はすっかり夜のものとなっていた。
どうやら目を閉じている内に、本当に眠ってしまったらしい。
空を見上げてみると、赤い月が白い月の後ろに隠れ、一つの月となって青白く輝いている光景が映った。
双月が重なる『スヴェル』の月夜の翌日に、アルビオンはこのラ・ロシェールに最も近づく。
それはすなわち、いよいよ自分達が敵地に足を踏み入れる事を意味している。
「そろそろ寝ようかしろ。明日からはいろいろと大変だろうし・・・」
そう呟いて、ルイズはもう一度双月重なる月夜に目を向ける。
だが彼女の視界に月夜の光景は映ることはなく、それを隠す巨大な影の輪郭のみが目に入った。
「ゴーレム!?」
影の正体をルイズは叫ぶ。
その叫びとほぼ同時に、ゴーレムの巨大な腕が宿へと叩きこまれた。
襲撃は一階でも起こっていた。
ラ・ロシェールの観光からの帰り、一階の酒場にて酒盛りをしていたギルガメッシュら一行を、玄関からいきなり現れた傭兵の一団が襲ったのだ。
すぐさまキュルケやタバサは魔法で応戦したが、多勢に無勢の関係は覆せず、床と繋がる形のテーブルの脚を折って、それを盾代わりとして身を隠していた。
傭兵達はメイジとの戦いに慣れているらしく、キュルケらの魔法の射程を見極めると、そこに迂闊に近づこうとはせず射程外から矢を射かけてくる。
夜の暗闇を背にして地の利もある傭兵達は無理に攻めず、メイジの精神力切れを狙っているようだった。
無論、それはメイジのみに限った話。
ギルガメッシュの宝具の魔弾を以てすればあのような傭兵如き瞬殺で事は済むだろう。
だがその場合、彼の宝具の破壊力は傭兵のみならずこの宿そのものの崩壊をも誘発しかねない。
自分はどうにでもなるが、一応は気を掛けているマスターが上に居る今の状況では少々判断に迷うところだ。
ギルガメッシュがそう思案していると、ちょうど思案の元であるルイズがワルドに抱えられて現れた。
「やられたね。これは恐らく僕達を狙っての襲撃だ」
ルイズを抱えたままギルガメッシュ達の元に姿勢を低くしてもぐり込み、ワルドは言う。
その腰に差さっている杖は、すでに修復が終わり元の冴えを取り戻していた。
「フーケがいたわ。あのゴーレムは間違いなくフーケのものよ」
一同を見回して、ルイズは言った。
暗がりの中の影のみではあったが、自分をさんざん苦しめたそのシルエットは見間違えるはずもない。
先ほどもワルドに助けられていなければあっさりとやられていただろう。
トリステイン中を苦しめ、堅牢なる牢獄より脱獄してみせた大盗賊フーケ。
その情報に皆が表情を引き締める中、一人ギルガメッシュはきょとんとした表情を浮かべて見せた。
「フーケ?誰だそれは?」
そのギルガメッシュの答えに、ルイズは思わずコケそうになった。
「何言ってんのよ!!前に魔法学院を襲った盗賊の事よ。アンタが捕まえたんでしょ!!」
「ああ、あの雑種か。どうでもよい名であったので、覚えていなかった」
さらりと答えるギルガメッシュに、真剣にフーケの事を考えていたルイズは頭を抱えたくなった。
どうやらこの男は、自分が興味のない事はすぐに忘れてしまうタチであるらしい。
仮にも主人である自分の命を脅かしたほどの相手だというのに。
何だか無性に腹が立ってきて、口を聞かないという自身に下した誓約もいつしか失念していた。
「しかし、あのフーケが居るという事は、奴らの裏にはアルビオン貴族がいるということだな」
少々緩んだ空気を引き締めるようにワルドが告げる。
その意見には皆も同意するように頷いたが、またもそこで口を挟んだのはギルガメッシュであった。
「正確には、アルビオン貴族と通じている者、であろうがな。この対応の早さは、空の上からの指示とは考えにくい」
「トリステインの貴族の中に内通者がいるっていうの!?」
「だろうな。しかも、こうも狙い澄ましたかのような機会を得られている事を考えれば、案外と我らの身近な者やもしれんぞ」
ルイズの問いかけに答えながら、ギルガメッシュはチラリと横目でワルドの姿を見た。
そこではワルドが、まさに真剣そのものの表情で襲撃している傭兵の様子を窺っている。
怪しむ要素など微塵も見せないワルドの態度に、ギルガメッシュは皆に気付かれない程度に笑みを漏らした。
「まあ、奴らの黒幕の存在などどうでもいい。奴らが我の道中を邪魔するならば、粉砕してやるのみよ」
そう言うとギルガメッシュは立ち上がり、“王の財宝”を解き放とうとする。
ルイズやワルドがやって来て配慮の必要が無くなった今、もはや遠慮は無用である。
その攻撃によって宿は倒壊し、上の階残っている者や今もカウンターの下で震えている貴族の客は生き埋めとなるかもしれないが、そんなことにまで気を回す気は毛頭ない。
これまで何も反撃しなかった分も含めて、徹底的に蹂躙し尽くしてやろうとギルガメッシュは宝具を展開しようとし―――
「お待ちを。陛下」
その行動をギーシュの声が遮った。
「よろしければ、あの者達の相手はこの僕にお任せください」
「ちょ、ちょっと、いきなり何言い出すのよ!?」
慌てた様子でキュルケが声を上げる。
だがその声に耳を貸すことはなく、ギーシュは先を続けた。
「お前が、だと?」
「はい。あの程度の連中に、陛下自身の手を煩わせるまでもありません。ここはこのギーシュ・ド・グラモンが引き受けます」
妙に自信溢れる様子で、ギーシュは言い放つ。
そのギーシュの姿を、学園でのハンサムだけど頭の弱いヘタレ男というイメージの強いルイズ達は、何を言い出すんだこいつは、といった視線で見つめていた。
その中でやはり唯一人、ギルガメッシュだけはギーシュの言葉に感心したように頷く。
君主を立て、その盾とならんとするギーシュの心意気は、なかなかにギルガメッシュにとって好ましい。
やはりギルガメッシュは、根っからの王様気質であるのだった。
「ふん、よかろう。この場はお前に任せよう。雑兵共に存分に力を示すがいい」
「ハッ!!」
周囲の意向など完全に無視して、勝手に決定するギルガメッシュにそれを承服するギーシュ。
二人のやり取りを他の者、特にルイズは呆れまじりの表情で見つめていた。
「では、ここは勇敢なるギーシュ君に任せ、我々は桟橋へ向かおう。ここが襲われたということは、いつ港の方に手が回ってもおかしくはないからな。なるべく急いだ方がいい」
皆をまとめるべくワルドが率先してそう発言する。
するとそれに答えるように、キュルケが口を開いた。
「仕方無いわね。それじゃあアタシも残ってあげるとするわ」
「キュルケ!?」
キュルケの宣言に、ルイズは仰天して彼女を見た。
「勘違いしないでね、ヴァリエール。別にアンタのために残るわけじゃないわ」
髪をかきあげながらの余裕の仕草で、キュルケは答えた。
するとそのキュルケの意思に応えるように、横からタバサも杖を掲げた。
「タバサ!?あなたはいいのよ。これはアタシが言いだしたことなんだし」
「心配」
一言のみの簡潔な言葉で、タバサは自分の意思を伝える。
親友の心遣いに、キュルケは感動した面持ちでタバサを見つめた。
「それでは、彼女達には囮を務めてもらうことにする。我々は裏口から出て桟橋へと向かおう」
そう告げて、ワルドは身を隠していたテーブルの影より一気に躍り出た。
身を出した標的の姿に傭兵達は一斉に矢を射かけてくるが、そのすべてをワルドは風で作り上げた防御膜で弾いてみせる。
ギルガメッシュも迷うことなくその後に続き、ルイズも一度ペコリと頭を下げてから二人の後を追った。
「ダーリン。帰ってきたら、たくさんご褒美ちょうだいね♥」
立ち去る三人の背中に、キュルケはそうとだけ告げた。
その言葉にワルドを先頭とする三人は振り返ること無く、厨房の方へと走って行った。
「さて、と。何だかノリ任せで囮なんて役を引き受けちゃったけどさ」
肩を竦めながらキュルケは、ギーシュの方へと視線を向けた。
「あなたがあんな大口を叩くなんて驚いたわ。てっきり真っ先に逃げ出すか、もしくはトチ狂って特攻でも言いだすかと思ってたのに」
「・・・やっぱり君も僕にそういうイメージを抱いているわけだね」
キュルケの言葉に、ギーシュは何やら含みのある声音でそう答えた。
きょとんとするキュルケに、ギーシュは言葉を続ける。
「あの決闘で陛下に打ちのめされて以来、僕は自分の価値について考えるようになった。それまではただ貴族であること、グラモン家の嫡子であることを鼻にかけてきたけど、それはあくまで父上の、あるいは御先祖様の価値であって僕の価値じゃない。他の誰でもないこの僕、ギーシュ・ド・グラモンの価値について考え始めたのさ。
とまあ、そういう訳で自分の事を見つめ直す機会を得たわけだけど、そうしていく内にふと、学園のみんなや愛しのモンモランシーが僕に向けている視線について気が付いてね」
「視線?」
「君達、僕のことをバカだと思っているだろう?」
「「うん」」
キュルケのみならずタバサにまで即答され、自分で問いかけたというのにショックを受けてギーシュは項垂れる。
しかしそのショックからも持ち前の立ち直りの早さからすぐに立ち直り、バッと堂々とした態度で立ちあがった。
「だから僕は、そういう君達のイメージを払拭してみせたいんだよ!! 」
胸を張って高らかにギーシュは宣言する。
当然そこには傭兵達の矢が次々と飛来していたが、それらはタバサが風の魔法でしっかりとそらしていた。
「この任務に付いてきたのだって、手柄の一つも立てていい所を見せたかったからだしね。姫殿下に認められれば、さすがに誰も僕のイメージを間抜けのままにはしないだろう」
「まあ、あなたの気持ちは分かったけどさ。それで、具体的にはどうする気なの?」
「決まってる。僕の『ワルキューレ』であの傭兵共を蹴散らすのさ」
ギーシュの言葉に、キュルケは自分の記憶から淡々と戦力分析してから告げた。
「あんたの『ワルキューレ』じゃあ、せいぜい一個小隊くらいが関の山ね。相手は手練の傭兵が少なく見積もっても二個中隊以上。勝ち目はないわよ」
キュルケの分析は非の打ちどころ無く正しかった。
彼女の実家のツェルプストー家はゲルマニア有数の軍人の家系である。
戦とあらば率先して前線へと出向き、その陽気な炎は敵のみならず味方までも焼き尽くすと恐れられている。
そんな家で生まれ育ったキュルケには、女であっても軍人としての英才教育が施されているのだ。
しかしギーシュはキュルケのその適格な分析にも動じることなく、チッチッと指を振ってみせた。
「フフン。キュルケ、失礼だがその分析はすでに過去のものさ」
首を傾げるキュルケの前で、ギーシュは薔薇の杖を振るった。
七枚の花弁が舞い落ち、そこにギーシュの武器である七体のゴーレム『ワルキューレ』が出現した。
「これって・・・!」
現れた『ワルキューレ』の姿に、キュルケは思わず感嘆の声を漏らした。
かつては青銅によって構成されていた女戦士の人形は、今は銀の煌めきをその身に纏っている。
フォルムもより鋭敏に鮮麗され、槍と盾をそれぞれの腕に構えて優雅に佇む姿は、まさに戦乙女の威名にふさわしい。
精巧なる七体のゴーレムの匠の冴えは、かつての決闘でギーシュが発現させたトライアングルクラスの潜在魔力の顕れであった。
「さあ行け、我が『ワルキューレ』達よ!!卑しき傭兵共に、このギーシュ・ド・グラモンの力を知らしめてやれ」
術者の命に従い、白銀の騎士達が一斉に跳び出していく。
かつての『ワルキューレ』の数段増しの速さを以て駆ける七つの騎士は、向かってくる矢を手にする盾で防ぎつつ傭兵の一団に突入する。
人間を上回る身体能力と防御力、そして生命力を持つ『ワルキューレ』に傭兵達は翻弄され、隊列を混乱させていった。
『土』のメイジが行使する傀儡、ゴーレムには大別して二つの種類が存在する。
一つはフーケのようにひたすらに質量を集めて巨大化させるタイプ。
もう一つはギーシュのように等身大の大きさで人並み外れた機敏な動きを可能とするタイプだ。
ゴーレムというものは、その質量が増す毎に歩く、壊すなどの単調な動きしか出来なくなる。
これはゴーレムが自身の重量そのものにより、術者の望む人間に近い動きに付いていけなくなるからである。
その点、小型のゴーレムは人間とほぼ変わらぬ動きを実現できるし、質量の少なさから複数体の生成も割と容易だ。
無論破壊力という点なら巨大ゴーレムに敵うはずもないが、小回りならば小型ゴーレムは追随を許さない。
例えるなら、質量を求めるフーケのゴーレムは戦略兵器であり、精密を求めるギーシュのゴーレムは戦術兵器といった所か。
両者どちらのゴーレムも同じトライアングルの魔力が為せる技術。
そしてこの狭苦しい室内での戦闘は、ギーシュの『ワルキューレ』の特性に合致していた。
「ハッハッハ。見たかい、名も知らぬ傭兵君たち。これこそが僕の力。この『青銅』のギーシュの―――いやさ、『白銀(シロガネ)』のギーシュのね!!」
盾代わりにしていたテーブルの上に立ち、まるで壇上のスターのようにギーシュは高笑いした。
当たり前だが、出現した格好の的に向けて傭兵達は次々と矢を射てくる。
雨のように飛んでくる矢をけっこう精神力を消費しながら逸らすタバサは、「いいからさっさと降りろ」と無言の抗議の視線をギーシュに送っていた。
だが当のギーシュは高笑いしているばかりで、向けられる視線に露ほども気がつかない。
どうやら自分の活躍の場に、相当酔ってしまっているらしい。
あえて言葉に約すなら、「ウホ♪オレってば何かカッコよくね」といった感じだ。
そのようにテンションが上がりまくりのギーシュであったが、そんな彼の頭上スレスレの所を、タバサがうっかり(わざとかもしれないが)逸らし損ねた一本の流れ矢が通り過ぎていった。
掠めたギーシュのブロンドの髪がパラパラと床に落ちる。
途端、轟いていた高笑いも止み、急速にその表情も青ざめていった。
「身は隠していたほうがいいわよ。ゴーレム使いっていうのは、術者本人が一番無防備なんだから。『白銀』さん?」
「・・・そうするよ」
登っていたテーブルから降りて再びその影に隠れながら、ギーシュは呟くように答える。
ギルガメッシュとの決闘でギーシュが覚醒させたトライアングルとしての実力は本物だ。
経験はともかくとして、少なくとも魔力でならキュルケやタバサにも全くひけは取らないだろう。
あのギルガメッシュとの決闘以降、己の弱さと向き合ったギーシュは、確かに強くなっていた。
だが、前線で傭兵達を相手に奮闘する『ワルキューレ』とは対照的に、テーブルの影から向こうの様子をチラチラと窺いながら傀儡を使役するその姿は、実に彼に定着しているイメージにピッタリであった。
ギーシュが彼にとっては貴重な見せ場を堪能している頃、ギルガメッシュ達は桟橋へと急いでいた。
桟橋といっても、その正体は橋などと陳腐な物ではなく、山ほどもある巨木であった。
その枝の先には木の実のように船がそれぞれぶら下がっていた。
「ほう。これが港、というわけか」
自身の抱く港の概念からはかなり遠ざかっているその姿に、ギルガメッシュは感心して呟いた。
樹の根元まで辿り着くと、そこには人の手により穿たれた空洞ができていた。
空洞は吹き抜けるように上まで続いており、それぞれの枝に続く階段が伸びている。
ワルドが目当ての階段を見つけると、三人は木でできたその階段を駆け上り始めた。
一歩ごとにしなる足場の悪い階段を、一行は無言のままで駆けあがっていく。
やがてその高さもかなりのものとなり、途中の踊り場に近づいた時、一行を突如として風の魔法が襲った。
「きゃあああっ!!」
風によって一行の居た場所の階段が吹き飛ぶ。
ギルガメッシュとワルドは咄嗟に跳び退いて難を逃れたが、訓練など受けていないルイズにそのような機敏さは望むべくもなく、はるか下の地面へと落下していった。
「ルイズ!!」
即座にワルドがその後を追って身を宙に躍らせる。
ルイズの元へと急降下していくワルドの姿を見送りつつ、ギルガメッシュは足場として着地した踊り場にて、自分達を襲った者と向き合った。
襲撃者はちょうどワルドと同じくらいの体格の、白い仮面を被った男だった。
ギルガメッシュと視線を交差させると、白仮面の男は即座に腰から黒塗りの杖を抜き、魔法を放った。
放たれた魔法は、今朝にワルドが使用したものと同じ『ウィンド・ブレイク』。
威力もワルドの物に匹敵する風の砲弾が、一直線にギルガメッシュへと向かう。
目の前の風の砲弾に対し、ギルガメッシュは人差し指一本のみを突きだしてみせた。
そして指先に魔法が触れた瞬間、風の砲弾は破裂したかのように四散した。
「こんなものが、我に通用すると思うのか?」
嘲笑を浮かべてそう言うギルガメッシュの身体には、黄金の鎧がすでに備わっていた。
常時は蔵の中に収納されているその鎧は、ギルガメッシュの意思一つで瞬時にあらゆる攻撃から守る障壁として、主の元に馳せ参じるのだ。
その鎧の防御力に驚いたのか、白仮面の男はギルガメッシュより一歩大きく後ろに跳躍する。
男が次に杖を振るうと、その頭上の空気が冷え始め、バチバチと放電音が鳴り始める。
男の呪文が完成すると、空気がバチンッと弾け、男の周囲から生じた稲妻がギルガメッシュへと直撃した。
『風』系統のトライアングルスペル『ライトニング・クラウド』。
周囲の空気を摩擦させ、そこより取り出した電気エネルギーを敵に向けて撃ち放つ強力な破壊力を有する魔法である。
いかなる種類であっても、金属というものは電気をよく通す。
その中でも特に黄金の伝導率はすさまじく、純度が増す毎にその比率は更に跳ね上がる。
不純物など許さぬギルガメッシュの黄金の鎧に、あるいは通用かと考えての白仮面の男の攻撃であった。
「くだらん。こんな児戯に等しい雷如きで、この我を打倒出来ると思ったか」
だがそのような理内の常識は、ギルガメッシュの理外の非常識によって捩じ伏せられる。
彼の所有する黄金の鎧は、人の手による他の凡庸な武具達とは次元の違う至高の逸品。
幾重もの守護の概念を宿したその鎧は、もはや金属の性質で語ることはかなわず、それ自体が一つの神秘である。
それほどの神秘を纏った鎧が、電撃を弱点とするなどという綻びを残しているはずがなかった。
「つまらんな。疾く失せるがいい、雑種」
二度も与えた好機に何も為せなかった白仮面の男に対し、ギルガメッシュはもはや何一つの価値も見出さない。
一切の好奇の色を失った表情で、ギルガメッシュ自身の蔵より宝具を解放する。
魔弾と化して撃ち放たれた一本の宝剣は、そのままあっさりと白仮面の男の身体を貫いた。
「ん・・・?」
宝剣により串刺しとされた白仮面の男は、その勢いのままに吹き飛ばされて木の壁をも突破し、夜の空に放り出されていった。
「ギルガメッシュ!!」
と、ちょうどその時、地面へと落下していったルイズとそれを追ったワルドが追い付いてきた。
「ギルガメッシュ殿。襲撃者は?」
「ああ。今しがた始末した」
そう答えるギルガメッシュではあるが、彼にしては珍しくその口調には曖昧だった。
「何か問題でも?」
「問題、というほどではないが。少々違和感を覚えたのでな」
白仮面の男が落ちていった木の壁に開いた穴を見つめながら、ギルガメッシュは言う。
「手応えは確かにあった。間違いなく、あの襲撃した男は仕留めた。だが、何かが引っかかる」
「引っかかる、と言いますと?」
「さあな。この引っかかりを言葉と表すのは少々困難だ。まあ、さして気に掛けるほどの事でもない。捨て置こう」
それだけ言うと、ギルガメッシュは再び階段を上るのを再開させる。
その様子にやや戸惑いながら、ワルドとルイズも後に続いた。
ハルケギニアを照らす双月が一つに重なる『スヴェル』の月夜。
かつて己が治めた世界の夜景を思い出させる夜空の中を、ギルガメッシュ達を乗せた船が進んでいた。
甲板で眠りこけラム酒を楽しんでいた船員達を、ワルドは杖をチラつかせながら叩き起し、金と魔法の力を以て定時よりはるかに早く船を出させていた。
半ば恐喝じみたやり口で出港したこの船は、明日の昼過ぎにはアルビオンに到着し、朝方にはその姿を見ることも出来るらしい。
ワルドやルイズが明日に備えて船室で休む中、ただ一人ギルガメッシュのみは舷側に立ち、アルビオン大陸がその姿を現すのを今か今かと待ち構えていた。
この世界と違い、空を飛ぶという行為が奇跡の領域とされていたギルガメッシュが君臨した世界では、飛翔とは人々に別世界への到達であると認識されていた。
はるか彼方の天の先にこそ神はおわすと信じられ、六十にも及ぶ階層の塔を築いて神を迎える神殿を建てようと試みられた事もある。
そしてとある空想家は、大空のどこかにはこの世の物とは思えぬ莫大な財宝が眠る、雲の上に浮遊する天空島があると語ってみせた。
その時はギルガメッシュを笑わせるだけの馬鹿げた大法螺でしかなかったが、それがこのハルケギニアには現実と物として在るという。
それまで空想の産物でしかなかった物が現実に存在するという事実に、ギルガメッシュは大いに興味を引かれた。
久方振りの期待の興奮に身を震わせながら、ギルガメッシュはその瞳にアルビオン大陸が映るのを待っていた。
上空へと上がっていく船はやがて雲を抜け、晴天の青空へと躍り出た。
そしてその先に映るのは、トリステインの国土ほどの大きさがある天空大陸。
「ほう!!これが・・・!」
浮遊する地表には山がそびえ、大河が流れる。
海の無い大河の水は、流れの先で空へと落ち、白い霧と変わって大陸の下半分を包んでいる。
その光景はまるで、大陸が雲に抱かれて空の中を運ばれているようであった。
これぞまさしく『白の国』。
期待を裏切らぬその光景に、ギルガメッシュは感嘆の感情を浮かべていた。