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No.2589の一覧
[0] Zero and heroic king (ゼロの使い魔×Fate)[river](2008/02/29 06:43)
[1] [2]王の振る舞い[river](2008/02/29 06:44)
[2] [3]王の決闘[river](2008/12/11 05:33)
[3] [4]王の一日[river](2008/02/29 06:49)
[4] [5]王の買い物[river](2008/02/29 06:51)
[5] [6]王の所有権[river](2008/02/29 06:53)
[6] [7]王と品評会[river](2008/02/23 12:33)
[7] [8]王と盗賊[river](2008/06/09 21:54)
[8] 外伝  タバサと黒騎士[river](2008/02/29 07:18)
[9] [9]王と王女[river](2008/02/29 06:41)
[10] [10]王と『閃光』[river](2008/03/06 17:53)
[11] [11]王と『白の国』[river](2008/03/13 13:30)
[12] [12]王の憂鬱[river](2008/03/29 16:16)
[13] [13]王と挑戦者[river](2008/04/09 22:16)
[14] 外伝  無能王と裏切りの騎士[river](2008/04/27 23:34)
[15] [14]王と惚れ薬[river](2008/05/26 04:46)
[16] [15]王と精霊[river](2008/06/10 18:52)
[17] [16]王と悲恋の姫[river](2008/07/22 22:26)
[18] [17]王と開戦[river](2008/07/22 22:23)
[19] [18]王の光[river](2008/08/17 05:21)
[20] [18]王の光(解析編)[river](2008/08/17 05:10)
[21] [19]王の休日[river](2008/09/03 16:46)
[22] 外伝  闇に降り立った王様[river](2008/09/03 16:48)
[23] [20]小さな王(前編)[river](2008/09/07 04:37)
[24] [20]小さな王(後編)[river](2008/09/15 01:55)
[25] [21]王と女王[river](2008/10/31 21:32)
[26] [22]王と姉[river](2008/12/11 05:34)
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[2589] [17]王と開戦
Name: river◆59845e73 ID:bfb8ff1f 前を表示する / 次を表示する
Date: 2008/07/22 22:23




[17]王と開戦










魔法学院学舎内に設けられた、神々の住居かと見間違わんばかりのルイズの部屋。

ギルガメッシュの手により改装されたこの部屋は、今やハルケギニアのどんな場所よりも華やかな作りとなっている。

散りばめられた宝石類は煌びやか輝きとなって部屋内を彩り、家具や寝具に使われた最高級の素材は、使用者に対し絶対の安定感をもたらす。


だがそんな豪華美麗の部屋も、ルイズには何の安心も与えてはくれなかった。

部屋の煌びやかさとは対照的に、その所有者たるルイズの表情は暗く沈んでいる。


部屋を改装させた張本人であるギルガメッシュは、今はこの場にはいない。

あの夜、偽りのウェールズによるアンリエッタ誘拐未遂の一件より、ギルガメッシュは部屋を後にしたまま戻らなくなる事が多くなっていた。


ルイズとしても、それは素直にありがたい。

今の自分には、ギルガメッシュの前に立つ勇気は持てないから。


「あ・・・、結婚式の詔、考えなくっちゃ・・」


放り出されていた祈祷書を手に取り、ルイズはベッドに腰かけたまま書のページを開く。

随分とバタバタしていたので、任されたその大任をすっかり忘れていたのだ。


雑念を振り払い、思案に集中する。

だがどれだけ考えを巡らせても、良いアイディアは浮かんでこない。

元より詩に才が無く、これまでもずっと悩んできた事柄に、そうそう容易く解決案など浮かんでくるはずもない。


・・・いや、違う。

単純にアイディアが浮かばないだけが問題ではなく、そもそもルイズはこの件に対して意義を見出していない。

婚儀に捧げる詔とは、婚礼を上げる二人を祝福するべく送る言葉だ。

だがその花嫁たるアンリエッタには、いかなる言葉も何の祝福にもなり得ない。

そもそもこの婚儀自体が、彼女になんら祝福など与えないものなのだ。

ならば詔の内容など、あって無いようなもの。

そんな詔を必死に考えた所で、時間の浪費にしかならないだろう。


本当は分かっている。

詔の件など、ただの口実だ。

本当のことを言えば、詔の事などどうでもいい。

こうして思案を巡らせるのは、それがたまたま自分の用事として近くにあったからに過ぎない。

他の事があるなら、別にそれでも良かった。


『言葉を違えて、己を誤魔化すな。貴様は何も“出来なかった”のではない。何も“しなかった”のだろうが』


ギルガメッシュの言葉を思い出す。

あの時に向けられた視線の冷たさは、今も微塵と忘れてはいない。

全ての価値を否定する、冷然なる眼差しは思い返すだけでルイズに震えをもたらす。


何かをしていたかった。

何もしていない事に耐えられなかった。

何かをして、自分にもやれる事があるのだと自覚が欲しかった。

そうしていなければ、心が折れてしまいそうだったからだ。


「何もしなかった、か・・・」


ギルガメッシュより下された己の評価を、ルイズは反芻する。

確かに、その通りなのかもしれない。

あの時自分は確かに自己の魔法に手応えを感じていた。

だが結局、その手応えを最後まで信じ切ることが出来ず、結果はあの様だ。


あの時の手応えも、今ではその片鱗さえ感じられない。

うっかりすれば、全ては幻だったのではと思いかけてしまうほどだ。

あるいはそれが、何もしなかった事の代償なのかもしれない。

自分の力を信じられなかった、自分自身に対する罰なのだろう。


「ねえ、あなたは何かしないの?」


ふと思って、ルイズは部屋の片隅に佇む一人の侍女へと話しかけた。

その侍女は、ギルガメッシュが召喚の次の日に部屋の管理を行うべく呼び出した、家事手伝い用の人形である。

ほとんど人間と変わらない、整えられた造形は、彼女が人為の産物であることを疑わせる。


通常ならばこれほど整った容姿をしていれば、部屋にいて目に留まらないなどあり得ないだろう。

だがこの人形に掛けられた幻惑の魔術が、彼女の存在感を曇らせ、気配を喪失させている。

その気配透過も、主の気を紛らわさない配慮のために付属された人形ならではの機能である。

そのおかげで、ルイズもこれまで彼女の存在に気を置くことなく過ごしてきた。

そして今のように、こちらから問いかける形を取らなければ、向こうがこちらに関わってくる事はまずあり得ない。


「マスターが与えた私の役割は、この部屋の管理のみ。それをこなす事が、私の機能です」


だがその口から紡がれる言葉は、人間味とは程遠い。

感情を介さず淡々と、ただ事実のみを告げていくその言動は、いかにも人形の言葉にふさわしかった。


感情を持たない人形は、自分に与えられた命を忠実に実行するのみ。

そして命の無い時は、ただ座して主の言葉を待つだけである。

ギルガメッシュが出した人形は、極めて従順に己が役目を遂行していた。


(なんだか、今の私とちょっと似てるわね・・・)


そんな人形の在り方に、ルイズは何となく共感を覚える。

事実より目を背けようと何か別の事に没頭しようとする自分と、人形として与えられた役割を淡々とこなす彼女。

両者の存在は大きく違えど、ある一点において二人は共通していた。


ルイズと人形、彼女らどちらの行動にも、自己の意志が無い。

どちらの行動も、その結果に何かを求める事は無く、ただそれをやっているだけ。

ただ時間を消費させていくだけの、無為なる行為に過ぎないのだ。


「はぁ・・・」


何をしたいのか、分からない。


何をすべきなのか、分からない。


まるで自分の視界一面が霧に包まれたかのような、そんな憂鬱な思いを懐きながら、ルイズは詔を考えるという“役割”を遂行していった。










「はあぁぁん、はぁ、はぁ、はぁ・・・」


荒く艶やかな息遣いが、小さな部屋の中に響く。

ほんのりと頬を朱に染め、シエスタは己の一糸纏わぬ汗ばんだ肢体を抱きしめる。

そんなシエスタの隣には、同じく裸体のギルガメッシュの姿もあった。


あの夜での一件以来、ギルガメッシュはルイズの部屋に戻る頻度を少なくし、代わりに目を付けておいた妾の部屋にて寝泊まりを行っていた。

この場合の妾というのは、主にキュルケとシエスタの二人の事だ。

どちらの部屋に行くかは、その日のギルガメッシュの気分次第である。


「はぁ、はぁ・・・。あの、ギルガメッシュ様」


情事の後の疲労と快感の余韻に浸りながら、シエスタは隣に同衾するギルガメッシュに問いかける。


「ミス・ヴァリエールの所には、戻ってあげなくてよろしいのですか?」


「構わん。奴にも少しくらいは、時間をくれてやらねばな」


シエスタと比べて随分と余裕を持ってくつろぎながら、ギルガメッシュは答えた。


「あれも心中は、混迷の極みにあろう。朧げに感じる己が力に、自覚が追い付いておらんのだ。だから肝心な時に迷ってしまう」


「はぁ。よく分かりませんけど、だったらギルガメッシュ様からご助言差し上げたらよろしいのでは?」


「たわけ。この我がそこまで面倒を見てやらねばならん道理などないわ。そもそもあれは、あれが自身で気づくべき事柄だ」


そう言って、ギルガメッシュはベッドより出た。

近くの椅子にかけてあった衣服を手に取り、それらを身に付けていく。


「まあ、ちと頭を冷やす時間くらいはくれてやろう。あれもこれまで、なかなかに見所を示してきたしな。

―――仮に、これで奴が何も変わらぬようならば、奴もそこまでだったという話。ただ切り捨てるのみよ」


着替えを終え、愛用の黒基調のライダースーツを身に纏う。

シエスタとの情事を楽しんだギルガメッシュは、それで用済みとばかりに彼女の部屋を後にしようとする。


「あの、ギルガメッシュ様」


その背中を、シエスタが呼び止めた。


「その、実はひとつ、個人的な要望があるのですが・・・」


「ん、よかろう。進言を許す。貴様の奉公なかなかのもの故な、褒美の願いならば聞いてやらんこともないぞ。なんなりと申すが良い」


ギルガメッシュの許しをもらい、シエスタは改めて口を開く。


「その・・・実は少々、お暇を頂きたいのですが・・・」


「暇?」


「はい。今度の学院のまとまったお休みに、一度故郷のタルブ村に里帰りしようかと思っておりまして。つきましては、その間のお暇を頂きたく・・・」


シエスタの申し出に、ギルガメッシュは思案する。

さほど長くはない思案の後、シエスタの進言に対し答えてやった。


「よかろう。許可してやる」


「ほ、本当ですか!?」


「ああ、遠慮はいらぬ。お前の奉公はなかなかもものだ。褒美のひとつくらいくれてやろう。それに、我が機嫌を良くする時に発言した事も大きい。我の意向は、気まぐれ故な」


ギルガメッシュの意思は、まるで天秤の上に乗る計りのように移ろいやすい。

気分ひとつで人を救い、同じように人を殺す、混沌とした気性の持ち主である。

そんなギルガメッシュに対して、シエスタの発言のタイミングは、計らずも絶妙の機を得て機能していた。


「だが・・・ふむ、しばし待つがいい」


そう言うとギルガメッシュは、背に在る空間に手を伸ばし、自身の宝物庫より目当ての品を取り出す。

取り出されたのは、手の平一杯に握られた金貨や宝石などといった高価品。

それをギルガメッシュは、無造作な手つきでシエスタの前に差し出した。


「え?なっ!え、こ、これって・・・!?」


「契約時に言ったであろう。我は忠節の奉公には、対等の恩賞を以て報いる、と。臣下へ賜わす褒美が貧窮では、与える王の威信に関わるからな」


差し出された金銀財宝に、シエスタは眼を見開く。

目の前にある財宝は、どれだけ軽く見積もっても彼女が使用人として得る稼ぎを逸脱して有り余る。

この財宝の価値の分の稼ぎを得るのに、果たして何年かかるのか。

それをほんの数か月の奉公程度でポンと出してしまうギルガメッシュの器の大きさに、シエスタは改めて驚嘆した。


「で、でも!こんなたくさん、私、今まで頂いた事もなくて、あの、本当によろしいんですか?」


「たわけ。雑種共の報酬と、我が賜わす褒美が、同価値であるはずがなかろう。下々に与える褒美からも、主君の器とは測られるものだからな。

なに、案ずるな。我が財の総量からすれば、そんなものは雀の涙に過ぎぬ。覚えておけ、我に尽くす奉公の価値とは、それほどのものなのだ」


他のすべてを雑種と侮り、慢心こそ王の美徳と豪語する傲岸不遜の暴君、ギルガメッシュ。

だがそんな傲慢さと同居して、真に忠義を尽くす臣下に応える殊勝さも、彼は持ち合わせている。

森羅万象の王として、この世のすべての頂点に君臨したギルガメッシュは、それ故に下々の価値というのもよく心得ていた。


そして賜わす褒美においても、彼は質素などという言葉を持ち合わせていない。


「す、すごいです!!さすがギルガメッシュ様!!器の大きさも懐の厚さも、とても大きくいらっしゃる。他の貴族の方なんて、比べ物にもなりませんわ」


「フハハハハッ、当然だ。我の容量と雑種共の容量とでは、そもそも桁数からして違い過ぎる。比べようなど、最初からあるはずもない。そんなことは、口にするまでもない事実に過ぎぬ。

しかしながら侍女として主たる我を立てんとする、その振る舞いは褒めて取らそう。どれ、褒美の金銀財宝を追加してやる」


そう言ってギルガメッシュは、背にする空間より再び拳一杯分の財宝を握り締めて取り出す。

新たに取り出された財宝は先の財にも劣らず、むしろ勝るほどの輝きを放って見る者を魅了する。

またしても増加した途方もない財宝に頭が追い付かず、シエスタは目を回して失神した。


そんな彼女の様子を、ギルガメッシュは哄笑を上げて愉快そうに見降ろしていた。










ルイズとギルガメッシュ。

主と使い魔という、生涯を懸けうるパートナーである二人は、しかしその胸中で大いにすれ違う。

一人は苦悩を、もう一人は変わる事の無い我を貫いて、互いに歩み寄ろうとはしない。

そんな二人のすれ違いを抱えながらも、魔法学院の平穏な特に影響されることなく時間は過ぎていった。










トリステインとアルビオンを繋ぐ架け橋の役割を背負う港町ラ・ロシェール。

月日は巡り替わり、再び浮遊大陸アルビオンがハルケギニアに接近する時期がやって来ようとしている。

そして現在、その上空には、国賓を迎えるために停泊するトリステイン艦隊の姿があった。


彼らが迎え入れようとしている国賓とは、他でもないアルビオンである。

後数日に控えたトリステイン王女アンリエッタとゲルマニア皇帝アルブレヒト三世の婚儀に出席するための、新政府皇帝クロムウェルの来訪だ。

だがその肝心の、アルビオン大使を乗せた艦隊は、指定の時間を過ぎても現れていない。


新政府樹立に伴い、アルビオンの今後の動向にはトリステインとゲルマニア両国の民全てが注目した。

だが意外にも、新生アルビオンの皇帝クロムウェルが取った政策は、不可侵条約の締結であった。


突然のこの打診を、両国は共に協議の結果受け入れる事を決定する。

無論、トリステインにとって所縁のある王政府を打倒し、『聖地奪還』を大義とした共和制を唱えるアルビオン新政府を信用などしていない。

だが実際の所、ゲルマニア、トリステインの二国の総戦力を以てしても、精強たる空軍戦力を保有するアルビオンには対抗しきれるとは言い難い。

現実問題として、空の強国たるアルビオンに対し、そう軽率に強硬的な態度を取ることなど出来るはずもなかった。


だが思惑はどうあれ、トリステインとアルビオンとの間には友好的な条約が結ばれた事は事実である。

結果としてアルビオンとの緊張状態は解除され、表面上ではトリステインにも平和が戻っていた


「やつらは遅いではないか。約束の刻限はとうに過ぎておるぞ、艦長」


艦隊旗艦『メルカトール』号の後甲板で、猛る苛立ちを隠そうともせず、艦隊司令長官のラ・ラメー伯爵は愚痴を漏らす。

その声音や表情には、明らかにこれから迎え入れるアルビオンへと侮蔑の感情が表れていた。


国同士が友好な関係であっても、話が個人に移ればその限りではない。

己の王家を手に掛け、その権威を簒奪した新生アルビオンは、トリステイン貴族にとって恥さらしの以外の何者でもない。

一応はこうして迎え入れる準備をしていても、内心では艦隊の誰もが憤りを覚えずにはいられなかった。


「主君を手に掛けたアルビオンの駄犬どもも、犬どもなりに着飾っているのでしょう」


上官の愚痴に付き合わされる形となった『メルカトール』艦長フェヴィスは、口髭をいじりながら苦笑まじりに答える。

ラ・ラメーに負けず劣らずのアルビオン嫌いであるフェヴィスの言葉にも、やはり相手に対する侮蔑の念が混じっている。


その時、鐘楼に登った見張りの水兵が、大声で艦隊の接近を告げた。


「左上方より、艦隊!!」


ラ・ラメーとフェヴィスの視線が、一斉に上方に向く。

そこでは待ちかねていたアルビオン艦隊が、雲の上よりゆっくりと降下してくる光景が目に映った。


「ふぅむ・・・。あれがアルビオンの『ロイヤル・ゾウリン』か・・・」


アルビオンに侮蔑の念を向けていたラ・ラメーだったが、相手方の艦隊の先頭を行く旗艦『レキシントン』には素直に感嘆を表す。

全長は二百メートルにも及ぶ大型艦船は、他のアルビオン艦と比べても抜きん出た迫力を有している。

側面に突き出した砲門数は百八にも及び、更に正面より威容を以て君臨する一際巨大な大砲が、その貫禄に拍車をかけている。

実戦経験も豊富な歴戦の軍人であるラ・ラメーであっても、その艦の迫力には感心すると同時に、戦場では出会いたくないと怖れ慄かざる得なかった。


またラ・ラメーは目に映る巨大艦の名を、新政府に名付けられた『レキシントン』ではなく、元の名の『ロイヤル・ゾウリン』で呼んだ。

簒奪者の与えた名など、使う価値もないという軽蔑の表れである。


「貴艦体ノ歓迎ヲ謝ス。アルビオン旗艦艦隊『レキシントン』号艦長」


「こちらは提督を乗せておるのだぞ。艦長名義での発信とは、また随分と侮られたものだな」


旗流信号にて伝えてきた相手のメッセージに、ラ・ラメーは憮然たる面持ちで吐き捨てる。

しかしながらその口調には、先ほどまでの勢いはない。

眼前に現れた巨大艦の姿に押され、その威圧感に委縮してしまっていたのだ。


『レキシントン』に続き、上空から次々と他のアルビオン艦が姿を見せる。

例え旗艦には及ばずとも、それらの艦のどれもが匠の技にて建造され、精強さを示す戦いの船。

大空に君臨せし『白の国』の、ハルケギニア最強と誉れ高きアルビオン艦隊の威容である。


「あのような艦を与えられては、世界を我が物としたなどと勘違いしてしまうのでしょう。あの駄犬どもには、過ぎた道具です」


「フン、自信の王家を裏切った恥知らずどもめ。よい、返信だ。『貴艦隊ノ来訪ヲ心ヨリ歓迎スル。トリステイン艦隊司令長官』以上」


アルビオン艦隊と比べ、あまりに頼りなく見える己が国の艦体の貧弱な陣容を見守りつつ、ラ・ラメーは控える士官に返信の指示を出す。

命令を聞いた士官はすぐさま命令を復唱し、マストに張り付いた水兵が指示通りの旗流信号を広げる。

その返信を見て取ったかのタイミングで、『レキシントン』号の大砲が放たれた。


轟いた爆音に、ラ・ラメーは咄嗟に身がまえる。

だがすぐにそれが式典用の礼砲であると気付くと、威厳を保とうとするかのように姿勢を正した。

いくらあの巨大艦が相手でも、たかが礼砲如きに怯んでいては軍人の名折れである。


だが、ラ・ラメーは思う。

空砲であるはずの礼砲でさえあれほどの轟音を響かせるとは。

実弾を使用した時の威力を想像し、ラ・ラメーは改めてアルビオンの巨大艦の脅威を再確認した。


「よし、答砲だ」


「何発撃ちますか?最上級の貴族が相手ならば、十一発と決められておりますが」


「七発でよい。アルビオンの恥知らず共に、わざわざくれてやる余分な敬意など不要だ」


上官の子供じみた意地に苦笑しつつ、艦長フェヴィスは指令通りに命令を出す。

命令に従い、『メルカトール』号の大砲から七発の空砲が発射される。

ドゥンドゥンと轟音が響くも、先の『レキシントン』号の大砲と比べればその音はいかにも頼りなく聞こえた。

自身の搭乗する艦の脆弱さに、ラ・ラメーは肩を竦める。


だがその時、ラ・ラメーは驚くべき光景を目の当たりにした。


「な、なんだ!どうしたというのだ!?」


アルビオン艦隊の最後尾に位置する旧式の小型艦より、火の手が上がっている。

火炎の勢いは留まることを知らず、あっという間に小さな船体全てを包みこみ、そして爆発した。

残骸と化したアルビオン艦は燃え盛る炎と共に、ゆるゆると地表へと向かって墜落していった。


「事故か?武器庫に火が回ったのか?」


騒然とする『メルカトール』号の艦上の中で、驚きを顕わとしながらラ・ラメーは呟く。

だがそのすぐ後、更に驚愕する事態が起こる。


「し、司令!!アルビオン艦隊より伝聞、『トリステイン旗艦ヘ、僚艦『ホバート』号ヲ撃沈セシ、貴艦ノ意図を説明セヨ』と・・・」


「撃沈!?何を言ってるんだ!!勝手に爆発したのだろうが!!ええい、すぐに返信しろ。『当方ニ攻撃ノ意図ナシ。砲弾ハ空砲ナリ。実弾ニアラズ』と!!」


慌てながらも、ラ・ラメーは矢次に指示を飛ばす。

指示通りの信号が送られ、それに対する相手側の返答もまた迅速に返ってきた。


「返信。『タダイマノ貴艦ノ砲弾ハ空砲ニアラズ。我ハ、貴艦ノ攻撃ニ対シ応戦スル』」


「バカな!!ふざけたことを!!」


ラ・ラメーの怒号は、次の瞬間に轟いた『レキシントン』号の一斉射撃によってかき消される。

百を超える砲門数を誇る巨大艦の砲撃が、次々と『メルカトール』の船体に突き刺さり、艦を震わせた。


「送れ!!『砲撃を中止セヨ。我ニ交戦ノ意思アラズ』」


叫ぶように、ラ・ラメーは指示を出す。

だがその伝聞に対して『レキシントン』号が返してきた答えは、更なる砲撃であった。


船体では至るところで火炎が燃え広がり、クルー達は完全に右往左往状態となる。

それでもラ・ラメーは、悲鳴のように伝聞の指示を出した。


「繰り返せ!!『我ニ交戦ノ意思ハ―――」


だがその時、『レキシントン』号より発射された一発の砲弾が、ラ・ラメーの居る場所を直撃した。

身体が吹き飛ばされ、五体がバラバラに砕け散る。

自身の肉体が粉砕される中、薄れゆく意識の中で、ラ・ラメーはようやく悟った。


これは計画的な攻撃だ。

奴らは初めから、親善訪問などするつもりなど無かった。

先の不可侵条約も、今回の訪問も、全てはこちらを油断させ、一気に突き崩すための罠に過ぎなかったのだ。


戦争が―――始まったのだ。










ラ・ロシェールでの開戦の報は、瞬く間にトリステイン王宮に届けられた。

時はちょうど、アンリエッタが婚儀のためにゲルマニア首都ヴィンドボナへと出発しようと準備を行っていた矢先。

その突然の報告は、婚礼のためにおおわらわとなっていた王宮の貴族達を騒然とさせた。


国賓歓迎のために停泊していたトリステイン艦隊の全滅、時同じくして為されたアルビオン側からの宣戦布告。

すでに敵艦隊は上陸を果たし、タルブの草原を拠点と置いての侵攻作戦を展開しているとのこと。

あまりにも明確な侵略戦争の様相に、報告を耳にした者達は誰もが等しくその意味を感じ取った。

それは、貴族間で行われる年中行事のような小競り合いとは訳が違う、国と国を上げた全面戦争の幕開けを告げる警鐘であるのだと。


「そんな・・・アルビオンが・・・」


耳にした報告に、ルイズは呆然と絶句する。

ゲルマニアでの婚儀の際、新郎新婦に詔を詠み上げる大役を仰せつかったルイズもまた、アンリエッタと同行してゲルマニアへと向かえるようトリスタニアの王宮に訪れていた。

そのために王宮に届けられたその報告を、一早く耳にすることが出来たのだ。


「戦争なんて・・・、今の姫様にそんなことできるはずがない・・・」


あの晩のアンリエッタの姿を思い出し、ルイズは誰にも聞かれぬように独り言ちた。

あの時、同行を断ったルイズは、アンリエッタとウェールズの間でいかなる会話が為されたのか知らない。

キュルケとタバサも途中まで連れていっただけで、何があったのかまでは見ていないそうだ。


だがどうあれ、アンリエッタにとってあの出来事は傷にしかならないだろう。

あの晩別れて以来アンリエッタには会っていないが、最期に見たあの打ちのめされた姿から、立ち直っているとはさすがに信じ難い。


そんな傷心の少女に戦争などという状況の中で、なにが出来るというのか。

どこまでもアンリエッタを苦しめる『レコン・キスタ』、ひいてはクロムウェルに対して、ルイズは改めて怒りを覚えた。


「なんとかしなくちゃ・・・」


そう決心すると、ルイズは馬を借りて、早馬で魔法学院へと戻るべく手綱を握った。

本来ならば婚礼の式の巫女であるルイズは、この王宮に待機していなくてはならない。

だが、どのみちこの様子では結婚式など出来るはずもない。

ならば、ここに自分が居たところで無意味だ。


今はそれよりも、為すべきことがある。


(今度こそ、姫様のお力にならないと・・・)


あの晩、自分は仕えるべき主君を前に何も出来なかった。

だから今度こそ、アンリエッタの力となる。

このトリステインの危機を、他ならぬ自分が何とかしてみせるのだ。


その時、ルイズの脳裏に、アルビオンで僅かに垣間見た超絶の力を思い出した。


(あいつなら・・・例えアルビオン軍が相手でも何とか出来るかもしれない・・・)


五万という大軍が迫ろうとも、全く物怖じすることの無い堂々たる振る舞い。

世界そのものを両断せんと感じさせた、抜き放たれた“剣”の圧倒的な存在感。

ただ在るだけで己の無敵を象徴するかのような、絶対の自信を携えた不遜の王。

彼ならば例えアルビオンの軍といえど、決して臆することはないだろう。


するべきことは、もう決まった。

悔しいが自分には、迫る敵軍に対して何も出来ない。

ならば自分の役目は、“あの男”をなんとしても動かすことだ。


決意を胸にし、ルイズは魔法学院まで続く街道を早馬にて駆けて行った。










目的の人物は、すぐに見つけられた。


馬を休ませる事無く走らせ、最短で魔法学院に戻り、ルイズは宿舎の自室の前に立つ。

ドアノブに手をかけた瞬間、魔法など一切使うことなく、ルイズには中に居る人物のことが直感できた。


ドア越しからでも分かる、圧倒的な存在感。

こんな魔性じみた存在感を纏う人物を、ルイズは一人しか知らない。


覚悟を決めて、ルイズは一気に部屋のドアを開けた。


「ギルガメッシュ・・・」


久し振りに見た自身の使い魔の名前を、ルイズは呟くように漏らす。


部屋の内装の煌びやかさにも微塵と飲まれることなく君臨するその男は、長椅子に腰かけ優雅にグラスを傾けている。

テーブルには何本もの酒瓶が並べられ、グラスもそれに合わせた数が揃えられている。

置かれた酒瓶の中見は一本とて同じものは無く、目にしただけでそれぞれが逸品の仕上がりの名酒であると理解出来た。


「何を・・・してるの・・・?」


いざ目の前にすると何を話していいのか分からず、そんな当たり障りの無いことから口を開く。

無視されるのでは、とも思ったが、意外なほどあっさりとギルガメッシュは返事をしてみせた。


「利き酒だ。我が収集した酒共はどれもが逸品たる名酒だが、ちと数を揃え過ぎた。暇があればこうして賞味しなくては、日の目を見ぬままに死蔵してしまうのでな」


そう言ってギルガメッシュは、手にするグラスの酒を呷る。

その様子にルイズは、とりあえず機嫌は悪くなさそうだと判断して、幾分か落ち着きを取り戻した。


「・・・で?我に何の用だ?そんなことを聞きに来たわけでは無かろう」


だが重ねて返されたギルガメッシュの問いかけに、ルイズは再び緊張に身を強張らせる。

即答は出来ず一拍の間をおいて、ルイズは話を切り出した。


「・・・アルビオンが、宣戦布告してきたわ。すでに艦隊も上陸していて、タルブの草原に陣を敷いてるって・・・」


「タルブ、だと?」


意外な所で、ギルガメッシュがルイズの話を切ってくる。

そこで話の腰を折られるとは思わず、ルイズは首をかしげる。


「ふむ・・・、そうか。惜しいことをしたな」


「?惜しい?何の事?」


「便利な従者を一人失った、ということだ」


従者という言葉に、ルイズはギルガメッシュが何を指しているのか理解した。

考えてみれば、ギルガメッシュが酒盛りに酌を同伴させないというのも変と言えば変だ。


ルイズは気付く。

本来あるべき光景に、欠けているものがある。

いつもならば彼の隣で控えている、あのメイドの少女の姿がどこにも無いことに。


「シエスタは・・・どうしたの?」


「暇を出してやった。里帰りだそうだ。確か故郷の名は、タルブといっていたな」


「タルブって・・・戦場のちょうど真ん中じゃないっ!!」


声を荒げて、ルイズは部屋に踏み込んだ。


「こんな所で呑気にお酒なんて飲んでる場合じゃないでしょ!!早く助けに行かないと―――」


「王に奉仕し、その身命を捧げるは侍従の務めだ」


そんな語調を荒げたルイズの言葉も、迷いなく断じるギルガメッシュの一言で力を失った。


「その役割が逆になることなど、断じてあり得ん。たかが臣下一人のために、王が重き腰を上げるなど恥もよい所よ」


「で、でも、モット伯の時はアンタが自分でやってたじゃない。なら今回だって―――」


「我に直接害意があっての事ではあるまい。我の所有物に手を出す狼藉者には、しかるべき裁きも下そうが、天災の如き、天運の無さにまで罪科を問うては、世の法が回らぬわ」


言いながらギルガメッシュは、グラスの酒の残りを飲み干す。

空となったグラスを置いて、また新たなグラスに別の酒を注いだ。


「でも、でも、シエスタの事はアンタ、褒めたりして結構仲良さそうだったじゃない。それが・・・死んじゃうかもしれないのに、アンタは何も感じないの!?」


「・・・だから、言ったであろう」


新しい酒を呷りながら、さらりとした口調でギルガメッシュは言った。


「惜しいことをした、と」


あまりにもあっさりとしたギルガメッシュの言葉に、ルイズは思わず恐怖で震えた。


ギルガメッシュの言っていることは、全く理解できないわけではない。

ルイズとてトリステインの名門中の名門ラ・ヴァリエール公爵家の娘だ。

人の上に立ち、人を使っていくという事がどういう事であるかなど、重々見て聞いて理解している。

上に立つ者ならば、時として下々の事を切り捨てなければならない事もある。

その見切りも、民を率いるためには必要な技能だ。


だが、それにしてもこの淡白さはどうなのか。


シエスタはギルガメッシュにとって、紙面上のその他大勢ではない。

己の傍らに置き、自らの世話をさせた専属の侍女なのだ。

その死が関わっている話だというのに、どうしてここまで無関心な態度のままでいられるのか。


理解できない。

ギルガメッシュという人物の事が理解できない。

理解出来ぬ未知は、ルイズの心に怯えの影を指し込んだ。


(いえ、落ち着くのよ、ルイズ)


ここで冷静さを失っても、何にもならない。

話す前から怖気づいていては、まともな交渉など行えるはずもない。

自分はなんとしても、この男の説得を成功させなくてはならないのだから。


「・・・すでにアルビオン軍は、確認されるだけでも千を越える兵力をトリステインに上陸させているそうよ。戦艦は十数隻で、こっちの艦隊は全滅。・・・このままじゃあ、トリステイン軍は負けてしまう」


「何とも脆いものよ。所詮小娘の率いる軍勢では、その程度か。・・・で?それを我に話して、お前はどうするつもりなのだ?」


尋ねてくるギルガメッシュに、ルイズは緊張と決意の意味を込めて一呼吸してから、深々と頭を下げながら言った。


「お願い、力を貸して。私達を助けて」


いつもの高飛車な振る舞いも鳴りをひそめ、恥も外聞も捨てて、ルイズは懇願した。


主人たるメイジが、自らの使い魔に頭を下げて頼みこむ。

こんなこと、通常のメイジならば考えられないことだ。

自身の目であり耳であり、あくまで主人の忠実な従者である使い魔に傅くなど、メイジの誇りを捨て去るも同じである。


だが、構わなかった。

誇りなど、事ここに至っては何になろう。

自分が意地を張ったところで、迫りくるアルビオン軍をどうにかできるわけがない。


そもそも、誇りなど自分には最初からあって無いようなものだ。

幼いころより魔法の才に恵まれず、周囲の人間達に無能と嘲られてきた。

あるものといえば、魔法の代わりに身に付けた他の様々な技能と、せめて心が屈さぬように誇り続けた公爵家のプライドのみ。

そんな『ゼロ』の自分の誇りなど、一体どれほどの価値があるというのか。


きっとギルガメッシュは、自分のことを嘲笑うだろう。

アンリエッタの時のように、大仰に見下して嗤い飛ばすに違いない。

浴びせかけられるだろう嘲笑を覚悟して、ルイズは歯噛みしながら答えを待った。


だが、予想していた嗤い声は、いつまでたってもやってこない。

その沈黙を怪訝に思い、ルイズは下げていた頭を上げて、ギルガメッシュの表情を覗き見た。


「・・・まったく、呆れるほどに滑稽だな。もはや嗤う気にすらならん」


ギルガメッシュは、嗤っていなかった。

ルイズの目に映るギルガメッシュの表情は、大仰な嗤いなどではなく、ただひたすらに冷たい眼差しを向ける冷淡なもの。

露骨にこちらの事を蔑み、しかし極めて冷然と構えるその表情の感情に、ルイズは一拍遅れで気が付く。


今ギルガメッシュは、これ以上ないほどに白けきっているのだと。


「よりにもよって頭を下げて助けを求めてくるとはな。ここまでつまらん茶番は久し振りだぞ、ルイズ。お前の安い気高さ如き差し出した所で、我が嘆願を聞き届けると思うのか?」


「な、なによ!!じゃあ、私の命でも差し出せって言うの!?」


「抜かすな。愚か者」


思わず口にしたルイズの言葉に、ギルガメッシュは底冷えする冷淡なる口調で告げた。


「お前の命の価値が、アルビオンの千の軍勢と等価値だとでも思ったか?雑種共の生など、等しく無価値でしかない。驕るなよ、ルイズ。お前の命一つの価値など、所詮は雑種の域を出るものではないわ」


こちらの命をあまりに軽んずるギルガメッシュの発言に、ルイズは言葉を失う。

たった今この男は、自分の命一つなど何の価値もないと言いきった。

恐らく、その言葉に嘘はない。

仮にこの場で自分が死んでみせた所で、ギルガメッシュは露ほども動揺などしないだろう。

そして何事もなかったかのように、肩でも竦めながら手にする酒を呷るに違いない。


そんな光景がひどくリアルに脳裏に浮かび、ルイズはぞっとした。


「だが、そうだな。未だ価値は雑種に過ぎぬとはいえ、お前は我をこの世界に招き寄せた縁もある。あまり無碍にし過ぎるのも考えものか。・・・ふむ」


呆然としているルイズを放置して、やや語調を和らげてギルガメッシュは言った。

そのまましばらく考えこんでから、ギルガメッシュは話を続ける。


「よかろう。我が指定する供物を用意出来るならば、お前の要求を聞きいれてやる。アルビオン軍とやらを、この我が一掃してやろう」


「供物って・・・何を用意すればいいの?」


「なに、そう難しいことではない」


口調を全く変える事無く、そのままの調子でギルガメッシュは次の言葉を紡いだ。


「近隣の・・・いや、この際どこでもよいか。どこぞの村にでも赴き、そこに住まう衆愚共を皆殺しにしてみろ。積み重ねた骸の山を以て、我に献上する貢物とするがいい」


「なっ・・・!?」


ギルガメッシュが告げたあまりの内容に、ルイズは絶句する。

しかし今度はそのまま黙りこむようなことはせず、喰いかかるように言い返した。


「わ、訳分かんない!!どこかの村人って、なんの関係もない人達ってことでしょ。それを皆殺しって、そんなのって―――」


「そう困難なことではなかろう。別に手段については限定などせん。なんなら、我の宝具を僅かな間だけ貸し与えてやってもよいぞ。

城をも打倒する我が宝具だ。村民の人数など、多くてせいぜい百かそこらだろう。たかがその程度の雑種共など、物の数ではあるまい」


「そういう問題じゃないでしょ!!そんなことに、一体何の意味があるっていうのよっ!?」


限りなく強い語調を以て、ルイズはギルガメッシュを糾弾する。

他者の命をまるで自分の玩具のように話すその物言いは、断じて受け入れられるようなものではない。

もし今の発言が、単純にギルガメッシュの気まぐれからくる娯楽なのだとしたら、絶対に認めてはならないことだ。


「無いとも。微塵たりとも意味など無い。こんなものはただ天災の如く理不尽な、無益なる殺戮に過ぎん」


予想に違えず、ギルガメッシュは豪胆にそう言い放った。

思った通りの答えに歯噛みして、ルイズは怒りと共に反論しようと口を開きかける。


「だがな、ルイズよ。この行いと、我に対する貴様の要求。この二つに一体どんな違いがある?」


だが口から出かけた反論は、鋭く割り込まれたその問掛けによって、放たれる事無く行き場を失った。


「・・・え?」


「貴様が懇願する、トリステインの救済。言い方を変えればこれは、迫りくる敵軍を我の力を以て殲滅しろということ。つまり、千を超える敵軍の兵の命を我が手で皆殺しにせよ、と。そういうことであろう?」


「なっ!!わ、私は、そんなつもりで言ったんじゃあ―――」


「なんだ、違うのか?言っておくが、誰一人命を刈り取る事無く、事態を収めるなどという芸当は、いかに我でも不可能だぞ。我が用いる手段といえば、一方的な殺戮くらいだ」


言葉が続かない。

反論したくても、紡ぐべき言葉が見つからない。

自分はただ、姫様の役に立ちたいだけなのだ。

決して、千もの命の虐殺を望んでいるのではない。

そんなことは十分に分かっているはずなのに、それを表す言葉がルイズにはどうしても思いつかなかった。


そんなルイズを、ギルガメッシュは言葉を休める事無く追い詰めていく。

ギルガメッシュの口より言葉が紡がれるたびに、その一言一句が胸を貫いてくる錯覚をルイズは覚えた。


「たかが千か二千かの雑種の軍勢、我にはなんら脅威にすらなり得ぬ。我の『乖離剣』の威光を以てすれば、まず戦いにすらなるまい。ただの一撃にて決するだろう。

もはや存在の規模からして違うのだ。雑種共には、いかな幻想を持ち出そうと抵抗の余地はない。巨象の歩みを、地に這う蟻如きが止められるはずもないようにな。

そんなもの、アルビオンの者共からすれば全くの想定外。まさに突如として吹き荒れる、神風に等しき理不尽なる蹂躙よ。

―――そら。どちらの殺戮も、理不尽という意味ではまるで違いなどなかろう」


ルイズは答えられない。

反論したいのに、そのための言葉がない。

容赦ないギルガメッシュの暴論は、しかし一切の矛盾を許さない強固さを持ち合わせていた。


「この世界は我が支配する地とは異なる、我が法が君臨せぬ異界。我が領内での事ならば、無断で我が地を荒らす不届き者には裁きをくれねばならんだろうが、この世界においてはいかな悪行であろうと我自らが裁きを与える謂れはない。雑種共の諍いなどに、我は微塵たりとも関心など懐かん。

それでも我に求めをするならば、その時は献上品を伴っての嘆願より他は無い。そして我に捧ぐべき貢物ならば、それは我への求めと同等の価値を有した品であってしかるべきだ。

―――ルイズよ。我に鮮血を求めるならば、それに見合う血の業を身に纏いて頭を垂れるが礼であろう」


ギルガメッシュの眼光が、ルイズを射抜く。

あらゆるものを等価と断じ、分け隔てなく絶望を与える絶対者の眼差しを受け、ルイズは悟った。


ギルガメッシュにとって、アルビオンの侵攻などどうでもよいことなのだ。

例えトリステインがどれほど悲惨な末路を辿ろうと、全く関知しない。

それは単に無慈悲であるということではなく、真の意味での公平性故の判断だ。


ギルガメッシュに、常人の価値観は通じない。

孤高の王たる彼は、ハルケギニアで常識をしてまかり通る差別意識など歯牙にもかけない。

貴族も平民も大差なく、国の隔たりなど瑣末な事、種族に違いさえも彼にとっては気に掛けるにも値しまい。


―――ギルガメッシュの見る世界には、ただ自分と他人の二種類がいるだけなのだろう。


だからここまで、無慈悲なまでに公平になれる。

ギルガメッシュにとって重要なのは、その存在が自分にとってどのような益をもたらすのか、ただその一点のみ。

その在り方はこのハルケギニアにおいて誰よりも公正であり、そして同時に残酷でもある。


アルビオンを敵とするのは、あくまでトリステインだ。

ギルガメッシュが戦うのは、あくまで自らが敵と定めた者のみ。

相手が自分にとっての敵でないのならば、ギルガメッシュにとってそれは気にも掛けない状況に過ぎないのだろう。


だからシエスタがその状況に巻き込まれ危機に陥っても、助けに行こうなどとは微塵も考えない。

彼の戦いとは、必ずや彼の意志の元に行われる。

ただ状況に流されて行動するなど、ギルガメッシュという存在に懸けても認めまい。


だからこそ、彼は対価を求めている。

自らが動くに足る十分な動機を、ギルガメッシュは要求する。

それを得て初めて、ギルガメッシュはアルビオンを敵と見なすことが出来るのだ。


「どうした?何を迷う?案ずるな、我は嘘はつかぬ。お前が我の望み通りの物を献上出来たならば、お前の求めに応じてやろう。

むしろ数のみの問題で言えば、これは破格の取引だぞ。たかが百の血の業を以て、千の軍勢を退けられるのだ。乗らぬ理由のほうが見つけ難いと思うのだがな」


ギルガメッシュの言葉の意味が、今のルイズには少しは理解できる。

要求には同等の対価を、つまり殺戮には同じく殺戮を以て応えろとギルガメッシュは言っているのだ。

内容の異常性さえ横に置けば、それは確かに公平な取引と言えるかもしれない。


だが、だからといって、容易く答えなど返せるはずもない。

あまりにも大義の無いその殺戮は、否応なくルイズへと責任を追及させる。

命令されたから、主君ためだなどといった言い訳は、もはや通用しない。

その殺戮で切り捨てられる命の咎は、全てルイズ一人が引き受けなければならないのだ。


その咎の重さを思い、その責を負う覚悟に臆して、ルイズは言葉を失った。


「・・・決められぬというならば、それは単なる弱さだ。命を思う慈悲ではない。決定の責任より逃れようとする惰弱の行為。そんなものに、価値など無い」


そしてルイズのそんな弱さを、ギルガメッシュは容赦なく追及する。

ギルガメッシュの言葉に追い詰められ、ルイズは一歩、また一歩と後退していく。


そんなルイズを、ギルガメッシュは実に冷めた視線で流し見た。


「・・・失せよ。目触りだ」


もはや目を合わそうとすらせず、ギルガメッシュは言い捨てる。


それが止めの一言となって、本来なら自分の部屋であるはずの場所より、ルイズは逃げだした。

廊下を走り去る彼女の目元には、大粒の涙が溜まっていた。










時間は少々遡り、トリステインの王宮で―――


届けられたアルビオンの宣戦布告の報に、トリステインの議会は荒れに荒れた。

国是を担う大臣や有力貴族たちが一同に介し、それぞれの意見を声高に叫ぶ。

だが感情的となった意見はなかなかまとまらず、時間だけが刻一刻と過ぎていった。


「アルビオンはこちらが先に攻撃を仕掛けたと言い張っておる。だが報告によればこちらの大砲はただの礼砲だったというではないか!!」


「言いがかりもいい所だ。あちら側の戦艦の轟沈は、あくまで向こうの事故でしかない。これは明らかに我々に対する侮辱だ」


「運悪く時が重なり、誤解を生んだようですな」


「なにが誤解なものか。奴らの怠慢以外のなにものでもない」


「アルビオンに大使を派遣しては?今ならばまだこの誤解を解くことが出来るやも・・・」


「ここまで舐められて、それで抗議のひとつもせずに済まそうと言うのかっ!!」


「だが、ここで事を荒立てては、アルビオンとの全面戦争に突入する危険が・・・」


会議は紛糾し、すでに好戦派と穏健派による討論の体を為している。

迷走し続ける会議は、枢機卿マザリーニですら取りまとめる事が出来ずにいた。


そんな様々な意見が飛び交う会議室の中において唯一人、アンリエッタだけは平静さを保っていた。

ゲルマニアに出発する所であったため、身に纏っているのは婚儀に赴くためのウェディングドレスである。


紛糾する会議の音も、今のアンリエッタの耳には届かない。

彼女の瞳が映しているのは、手の中に収まった『風のルビー』。

指には嵌めず、隠し持つように手にするそれは、懐いた真実の愛を穢さんとする彼女の意地の表れである。


会議の言葉を右から左へと受け流して、彼女の意識が向いているのは、現在ではなく過去。

悪夢の如きあの晩の出来事、その最後に起きた掛け替えのない奇跡。

愛する人との形見の指輪を見つめながら、アンリエッタの意識はあの晩の記憶へと回帰した。










もう、何が何やら分からない。

元の骸へと戻ったウェールズの身体を抱えて、アンリエッタはそう思った。


今の彼女の心が懐くのは、ひたすらに空洞が続く虚無感のみ。

先ほどまであれほど荒れ狂っていた殺意の激情も、まるで初めから無かったかのように霧散してしまっている。

己が立つべき足場さえも不安定な心境の中で、ようやく見出して縋り付いた支えさえも失った彼女の心には、もはや何一つの感情さえない。


自分は、一体何をしていたのか。

王としての立場を忘れ、導くべき民草たちを放りだして、自分は何をしているのか。

自分にとって唯一人残った親友であるはずの少女に対し、自分は何をしようとしていたのか。


縋りつく支えを失い、打ちのめされながら自らの愚行を思うアンリエッタの心は、どうしようもないほどに無感動。

もはやウェールズのための嘆きの涙さえ零せずに、懐く虚無感はアンリエッタを絶望へと追いやっていく。


―――もし、この奇跡が無かったならば、本当にアンリエッタの命はこの場で止まっていたかもしれない。


「アンリ・・・エッタ・・・」


それはまさしく、絶望の中に咲いた奇跡という名の一輪。

偽りの命を失い、冥府へと舞い戻ったはずのウェールズが、再び生の息吹を伴って彼の真実の声で語りかけてくる。

愛おしいその声の響きに、アンリエッタは希望を懐いた。


彼の願いを聞き入れて、アンリエッタはウェールズを連れてラグドリアンの湖へと訪れた。

連れて来てくれた他国人と思われる少女達に謝辞を述べて、アンリエッタとウェールズの二人は湖畔の浜辺をゆったりと歩む。

もう朝も近い湖畔の、朝日の光を水面で受け止めて七色の輝きを放つ景色は、かつての夜の密会とも違う美しさを醸し出していた。


「懐かしいね」


「ええ」


「初めて会った時、君はまるで妖精のように見えたよ。ほら、あの辺りで水浴びをしていた」


そう言って彼が指さす場所は、記憶のそれとは大きく異なっていたが、アンリエッタはあえて追及せずに頷いた。


その時、アンリエッタの肩を借りて歩いていたウェールズの足がガクンと崩れ落ちた。

慌ててその身体を支えようと手を伸ばし、支え切れずにそのまま二人一緒に倒れ込む。

自然と、二人の体勢はアンリエッタがウェールズを抱きとめるような形となった。


「アンリエッタ。どうか、最後に僕の前で誓ってくれ」


「なんなりと誓いますわ。なにを誓えばいいの?おっしゃってくださいな」


己の限界を悟ったのだろう、力を振り絞って言うウェールズに、アンリエッタはそう答えた。

ウェールズが口にする誓いは、アンリエッタにとって最後の希望だ。

その言葉、末路の最後に託される一言は、きっと自分に救いを与えてくれる。

例えウェールズが何を言ってきたとしても、アンリエッタはそれに従うつもりでいた。


復讐を望むなら、今日より憎悪の鬼となろう。

愛してほしいというならば、もはや言われるまでもない。

共に来てほしいと言われれば、喜んでこの永遠の湖畔に身を投げよう。


死さえ許容する覚悟を以て、アンリエッタはウェールズの言葉を待った。


「・・・僕を忘れると。忘れて、新しい愛に目を向けると誓ってくれ。ラグドリアンの湖畔で、水の精霊を前にして、君のその誓いを、聞かせてほしい」


だが返ってきたウェールズの言葉は、アンリエッタの予想とはあまりに相反するものだった。


「なぜ・・・っ!なぜ、そんなことを言うのです!?そんな嘘なんて、誓えるわけがないじゃない!!」


どうして、そんなことを言うのか。

自分にはもう、彼との愛くらいしか誇れるものなど何一つないというのに。

それなのに彼は、その唯一残された愛さえも捨て去れというのか。

それでは自分は、何に縋って生きていけばいいのだ?


分からない。

この世の何よりも愛する人の真意が分からない。

それは、とても悲しかった。


「僕ではもう、君を幸せにすることが出来ない。だから君は、どうか僕の事になど捉われずに、新しい明日を生きてほしいんだ」


「無理を言わないで。あなたに愛されることが、私にとっての最大の幸せなのよ。それを捨て去って、どうして明日に期待が持てるというの」


縋るように、アンリエッタはウェールズの身体を抱きしめた。


「どうかお願い、ウェールズ様。私を愛するとお誓いになって。あの時に果たせなかった誓約を、どうか今こそ誓ってくださいまし。そうしてくだされば、私はその愛を一生の支えとするでしょう。この一時の記憶を、命果てるまで胸に抱き続けるでしょう。それを支えに、私は生きていけますわ」


死に逝くウェールズに、アンリエッタは必死になって懇願した。

愛する者の心からの訴えに、しかしウェールズは言葉を返さない。

支えを求めて、縋り付いてくるアンリエッタに対し、ウェールズは拒むように沈黙した。


「ウェールズ様・・・?」


「・・・アンリエッタ」


沈黙を不安に思うアンリエッタに、ウェールズはようやく口を開く。

だがその口から出てきた彼の言葉は、アンリエッタの求めに対する拒絶であった。


「もう、他の誰かに縋り付いて生きていくのは、やめなさい」


「え・・・?」


一瞬、なにを言われたか分からずに、アンリエッタはポカンとした表情を浮かべた。


「・・・僕達は王族だ。国を背負い、民を導く使命を持った、誇りある始祖の血筋だ。その宿命は、僕達がこの世に生を受けた瞬間から逃れられぬものとして定められている。平民が決してメイジにはなれないように、僕達が王族を止めることは出来ない」


か細い呼吸の中、はっきりとした口調でウェールズは言葉を投げかける。

ウェールズのそんな厳しい言葉を、アンリエッタは知らない。


アンリエッタの知るウェールズの言葉は、いつだって優しかった。

甘く囁き掛けてくる彼の言葉は、アンリエッタの心の壁を緩やかに解かし、彼女に安らぎを与える。

連日のように行った夜の密会で、ウェールズと交わした睦言は今も思い出すだけで寂しさを癒してくれた。


だからこそ、こちらを批難するようなウェールズの言葉に、アンリエッタは激しく動揺する。

初めて経験するウェールズの辛辣な言葉に、アンリエッタは黙って聞いていることしか出来なかった。


「王というものはね、孤独なんだよ。国を動かすという行為の重責、何万という民の命を背負っていく覚悟。その辛さは、他の誰にも決して理解されることがない。王となった者は、その辛さと自分一人で戦っていかなくてはならない。臣下に頼らず、民にも見せず、国の導き手として、いつだって毅然と振舞っていなくてはならないんだ。

そしてその毅然たる強さは、依存の精神からは絶対に生まれない。信頼できる臣下を作るのはいい。彼らの言葉によく耳を傾け、その意見を尊重していくことは、決して間違ったことじゃない。むしろ、それが出来ない王は、ただの独りよがりの治世しか行えないだろう。

だけど、縋ってはいけない。自分の思考を止めてはいけない。人形であってはいけない。周りの言葉を耳に入れつつも、曲げる事の無い信念を持って、自らの意志で臣民を率いていかなくてはならない。それを可能とするのは、確固たる自立の精神だ」


自立の精神。

その言葉に、アンリエッタはハッとする。


これまでの自分の人生は、自立などという言葉とは無縁のものだった。

王族とは名ばかりの、周囲の言われるままに振る舞う人形の在り方。

そしてその在り方は、昔も、そして今も、微塵たりと変化はない。


そんな人形たる生を送ってきた彼女にとって、自立などは最も遠い言葉だろう。


「だから、アンリエッタ。僕のような過去の死人などに捉われず、君は自らの未来に目を向けてくれ。己の宿命から逃げ出さずに、戦うんだ。それこそが、真の王としての生き方なんだよ」


諭すように優しくもあり、そして質すように厳しくもあるウェールズの言葉を、一言一句漏らすことなくアンリエッタは耳に入れた。


彼の言うことは、絶対的に正しい。

疑う余地など微塵もなく、言葉のすべてが真理であると理解できる。

彼の語る在り様こそが、理想の王としての姿なのだろう。


そして彼が、それを自分に求めていることも、理解できる。

自分が彼の言うとおりの王になれれば、確かに彼は安心出来るのだろう。

ここで自分がきちんと一人で自立して立って行けると誓えば、彼は未練なく逝けるに違いない。

あるいはそれが、愛する者として最後にしてあげられる唯一の事なのかもしれない。


だが、それでも―――


「・・・り、です」


「アンリエッタ?」


「―――無理です、そんなこと!!私にそんな生き方なんて、出来っこない!!」


縋るように、泣き付くように、自らの弱さを臆面もなく見せ付けて、アンリエッタは叫んだ。


「真の王なんて、私には不可能よ。元々私に、王なんて向いてないんだわ。だってそうでしょう。今までだって、私が王らしく振る舞えたことなんて、一度もない。ただ周りに言われるだけ、それに従って何とかやってきただけに過ぎないの」


ウェールズの言っていることは、全面的に正しい。

だが言葉の正しさと、実際にそれを受け入れられるかは、また別の問題だ。


ウェールズの語る、揺るぎない自立の精神を備えた、王としての堂々たる姿。

そんな姿は、今まで人形の生を送ってきた自分には、到底相容れるものではない。

これまでの自分の在り方と、ウェールズの語る在り方は、あまりにも隔たりが深すぎる。


「・・・私は、弱いんです。あなたが思うような、強い人間じゃないんです。誰かに縋らなければどうしていけばいいか分からない、そんな女なんです。それなのに、たった一人残されて、それで勇敢に生きていくなんて、出来っこないんですっ!!」


そう、自分は弱い。

ウェールズの語るような、強い生き方など出来る筈がない。

例えそれが愛する人の最後の願いでも、不可能なものはやはり不可能だ。


己の弱さを肯定する自分を、ウェールズはどう思うだろう。

なんて情けない奴だと、失望するかもしれない。

だが仕方無い、これがアンリエッタという人間の真実なのだ。

これで愛想を尽かすというのなら、それは彼も自分のことを見ていなかったということ。

彼と自分の愛は、偽りだったということになる。


「―――ああ、知っているよ」


「え・・・?」


そんな暗い思考に囚われるアンリエッタに、ウェールズは優しくそう言った。

彼女の弱さを肯定したその言葉に、嘲りの色は微塵もなかった。


「そうだね。君は弱い。王族なんて肩書きは、君には最も似合わないものだ。そんな生き方は、君には合わないに違いない」


そこでウェールズは、一度言葉を切る。

荒い呼吸を整えて、はっきりとした口調で次の言葉を紡いだ。


「そして僕は、そんな君の弱さも含めて、君を愛した」


「ウェールズ様・・・!」


「君の弱さは、純粋さ故の弱さだ。何の疑いもなく、世界の愛情を信じている、穢れのない純心。そんな君の姿が、僕にはどれほど眩しかったことか」


ウェールズは、幼いころより王家の後継者としての教育を受けてきた。

その過程で、周囲にある様々な人間と接してきた。

そうする中で、ウェールズは理解していった。


人間とは、悪意を懐く生き物だ。

表面でどれほど聖人を気取ろうと、その内側には実に醜悪な欲望が隠されている。

どんな労りの言葉にも、裏の意図が存在するということに。


人はそれを、成長と共に学習していく。

無知なままに世界を信じられるのは、他人を知らない子供の内だけ。

子供はやがて他者の疑心を知り、自分もまた相手を疑い始める。

そしてそのまま、懐いた猜疑心を容認してしまうのだ。

世界の悪意から自らを守るために、自らもまた悪意という名の武装を纏うことを、自らに認めてしまう。

それが人間という生き物の在り方だ。


「きっと君は、世界の悪意を容認できないんだろうな。世界の理不尽に納得できない。世界が優しくないことに耐えられない。だから今の世界に苛立ち、価値を見出せなくなる。それは弱さに繋がることだけど、とても難しいことなんだ」


そんな中で、アンリエッタだけは違った。

王族という人の悪意に溢れる環境にありながら、彼女だけはなおも変わらぬ純粋さを保っていた。


人の悪意を、知らないわけではないだろう。

だがアンリエッタは、その悪意を知った上で、他人の善意を信じている。

人が人を疑うことに、どうしても納得できないでいる。

無知ではなく信頼から、彼女は他人を何とか信じようとしているのだ。


それはとても無防備なことだけど、同時にとても尊い姿。

その姿は、同じ王族であるウェールズの目には、どうしようもなく可憐に映った。


「そんな君だから、僕がこの手で守りたかった。弱くて美しい、儚い君を、あらゆる悪意から僕が守ってあげたかった。君のその輝きを、損なわせないために」


「ウェールズ様・・・私は・・・」


「だけど、もう僕は君を守れない。無念だけれど、これはもうどうしようもない。だから、アンリエッタ。どうか僕を安心させてくれ。君はもう、一人でもやっていけると、強くなると誓ってくれ」


そこでウェールズは一度言葉を切り、フッと優しげに微笑んでみせた。


「ごめんよ。無責任なことを言っているのは分かっている。要するに、君に一人ですべてを押し付けるということなんだからね。だけど、僕はそれでも君の事を信じたいんだ」


「ウェールズ様・・・。けど、こんな弱い私なんかに・・・」


「ああ、そうだ。今の君は、とても弱い。恐らく、世界の誰よりも。どう贔屓目に見たところで、僕の言ったような生き方は出来ないだろう。

けれど、人は自らの弱さを克服することが出来る。自分の弱さを自覚して、それを強さに変えていくことが出来るんだ。そうだろう?そうして人は、間違いを正して歴史を積み上げてきたんだから。

・・・君はもう、自分の弱さを知っている。ならそれを、強さに変えていくことだって、必ず出来るはずさ」


ウェールズの語る声が、どんどん弱々しくなっていく。

もう、限界が近いのだろう。

あり得ぬ奇跡により舞い戻ったウェールズの生命の息吹は、急速に終わりへと向かっていた。


「だから・・・アンリエッタ・・・。君は・・・強くなって・・・くれ。そうしないと・・・僕の魂は、永劫に・・・彷徨うだろう。君という未練を、どうか・・・ここで断ち切らせてくれ」


縋るように求めるウェールズの声が、アンリエッタの耳に届く。

その声は本当に弱々しかった。

それは単に命の限界を示しているだけではなく、届かぬ望みに願いを懸ける儚さであった。


この人はもう、己の死を受け入れている。

この愛する男が気にしているのは、本当に自分のことだけだ。

己が亡き後に残される、自分のことだけを案じている。

その未練が、愛する者への思いが、彼の末路を苦しめている。


そんな彼の姿を目にし、アンリエッタは自覚した。


(ああ―――ウェールズ様。あなたは本当に、私の事を愛してくださっていたのですね)


今度こそはっきりと、アンリエッタはそう理解した。

自分とウェールズの懐いた愛情は、偽りなど微塵もない、本物の思いなのだと。


一度でも彼の思いを疑った自分が恥ずかしい。

疑う余地など、始めから無かったのだ。

たかが精霊に誓いを立てない事が、一体何になるだろう。

そんな誓いなど無くとも、自分達の間にある絆は“永遠”なのだから。


(・・・いえ、それでは駄目だわ)


だが今は、その絆こそがウェールズを苦しめている。

切れる事の無い強固な結びが、彼の未練となって魂を迷わせているのだ。


この絆がある限り、ウェールズの魂は決して安息を得はしないだろう。

そして自分も、その絆にいつまでも引きずられていくに違いない。

彼の命はここで潰えるが、自分の命はまだまだ続いていく。

過去に縛られたままで、どうして未来に目を向けることが出来るだろう。


―――ならばこれは、彼に対して自分が出来る唯一の事。


「・・・ねえ、ウェールズ様。最後にひとつ、お願いを聞いていただけますか?」


「なんだい?言ってごらん」


穏やかに、ウェールズは先を促す。

それを受けてアンリエッタは、彼に掛けられる最後の言葉を、ゆっくりと口にした。


「キスを・・・してください。最後に―――“お別れ”のキスを」


その言葉に、ウェールズは僅かに驚愕を浮かべて見せたが、すぐに微笑んで答えた。


「―――ああ、もちろん。喜んで」


ウェールズの微笑みに、アンリエッタもまた微笑みで応える。

手に抱くウェールズの身体をアンリエッタが上げて、二人は瞳を閉じる。

二人の距離が接近し、その唇が重なり合った。


長い長い静寂が、二人を包む。

どれほど時間が流れたのか、やがてアンリエッタの方から唇をそっと離す。

キスの余韻を噛みしめるようにして、閉じられていた瞳を、そっと開けた。


ウェールズの瞳は、開かなかった。

それを見届け、アンリエッタは静かに悟る。

もう二度と、その瞳が開けられることないのだと。


アンリエッタの瞳から、一筋の涙が流れ落ちる。

だがその表情に、嘆きの色はない。

彼女の面に映るのは、ある種の諦観さえ含ませた微笑であった。


アンリエッタはウェールズの身体を持ち上げて、湖畔の水面に横たえた。

それから小さく杖を振り、ルーンを唱える。

湖水が動き出し、ウェールズは水にゆっくりと運ばれていき、沖へと沈んでいった。


その光景を、アンリエッタは表情を変えずに見つめ続けていた。


「さようなら・・・ウェールズ様」


彼との思いは、ここに置いていこう。

他人には到底断ち切れぬ、固い愛で結ばれた絆を、自ら手放そう。

彼の未練とならぬように、自分の縛りとならぬように、冥府の道を逝く彼に預けていこう。

記憶の中の思い出は大切にしまって、未来に目を向けて生きていく。

そして自分は、彼が最後に望んだような、そんな生き方をしてみよう。


―――だからどうか、あなたは天の上から、そんな私を見守っていてください、ウェールズ様。










記憶の回想より意識を現実へと戻し、思い出の指輪を懐に納めてから、アンリエッタは顔を上げる。

その瞳が見据えるのは現在では、夢の中の静寂さなどとは無縁の紛糾が続いていた。


雑衆の喧噪を思わせる、異なる声が口々に会議室に飛び交う。

その留まる事を知らない喧噪の中において、しかしアンリエッタの心だけは平静の極みにある。

まだ二十歳にも届かぬ若輩の身において、これほどの静けさを得られたことはかつてなく、波紋も起てぬ水面の如き澄んだ心は、驚くほどに事態の本質を理解させていた。


―――事ここに至り、もはやアルビオンとの全面戦争は避けられないだろう。


このアルビオンの宣戦布告は、突如として受けた攻撃に対する報復であるという。

だがそれが突然の事態だというのなら、この対応の早さは何なのか。

そもそも親善大使を乗せた使節艦隊に、なぜあれほどの軍隊が乗せられていたのか。

自衛とは名ばかりの、此度のアルビオンの侵攻は明らかな侵略行為だ。


冷静になって考えればすぐに分かる。

今回の事態は、すべてがアルビオン側の故意によるものだ。

彼らには初めから和平の考えなど無く、そのすべてがトリステイン侵略のための謀略でしかない。


そんなことは、ここにいる誰もが知っているはずである。

ここに集まるのは無能者の集団では断じてなく、先代の時代からトリステインを支えてきた老獪達なのだ。

いまだ二十にも届かない自分とでは、積み重ねてきた経験が違う。

そんな彼らが、こんな世間も知らぬ小娘にすら分かることに気付かないはずがない。


だというのに、なぜ彼らは、こんな不毛な言い合いをいつまでも続けているのだろう。


「やはり、ここは一度、アルビオンに特使を派遣しましょう。今ならばまだ、事態の鎮静化をはかれるやもしれません」


「うむ。アルビオンに会議の開催を打診しよう。事は慎重を要する。双方の誤解が生んだ遺憾なる交戦が、全面戦争に発展せぬ前に・・・」


アンリエッタの前で、国を支えてきた老獪たる大臣達が、真剣そのものの口調でそう語りあう。

だがそれらの言葉も、アンリエッタの耳には事態の見えぬ妄言にしか聞こえなかった。


アルビオンは今回の侵攻で、先日結ばれたばかりの不可侵条約を犯している。

十中八九虚言であろう礼砲による攻撃も、調べれば真実もはっきりするだろう。

そうなればアルビオンは、重大な条約違反をしたものとして、世論を敵に回すことになる。


彼らにとっても、今回の侵攻は捨て身の策なのだ。

そんな捨て身の覚悟を懐いて挑んでくる者達が、生半可な和平などに応じるはずがない。

そのような無駄な事をしている内に、事態は悪くなっていく一方だろうに。


「急報!!領地軍敗走、タルブ領アストン伯戦死。近隣の村は、敵の竜騎士により炎上しています!!」


会議室に飛び込んできた急使の声に、場は騒然となる。

そして上座よりその報を聞いたアンリエッタも、その声によってハッと我に返った。


今こうして呑気に不毛な会議を続けている間にも、戦場に立つ者達はその命を散らしている。

だというのに、彼らに道を示すべき自分達が、こんな事でどうするのか。

彼らは今も、導き手たる自分達の声を待っているというのに。

その導き手の自分達の意志も定まらぬというのに、どうして民を率いることが出来るのか。


「本当に、いつまで弱いままでいるつもりなのかしらね、私も・・・」


誰にも聞こえないくらいの声で、自嘲気味にアンリエッタは呟く。

こうして落ち着いている自分も、突然の報告に下座で慌てふためいている彼らと、実の所大差ない。

例え何を思おうが、何も決定しようとしない点で、結局のところ同義だからだ。


そう、決定だ。

自分よりも数段年期を経てきた彼らが、こんな不毛な事をし続けているのも、ひとえに決定を恐れているからに他ならない。


物事の決定には、責任が伴われる。

物事の規模に比例して、その責任も大きくなることはもはや言うに及ばず。

戦争の決定ともなれば、それは何万という国民の命の責任を背負うことに他ならない。

それは単なる法の下の責任の話だけではなく、心に直接圧し掛かる重圧となって、決定者が負うことになる。


彼らはそれを恐れている。

決定により伴われる重圧を恐れている。

だからこれほど明白な事態になってなお、最終的な決定を先延ばしにしようとしている。

何か他の妥協案を探し出し、あたかもそれこそが最善であると自らを偽っているのだ。


そんな不甲斐無い彼らの怯えを、しかしアンリエッタは卑下する気にはならなかった。

まさしく今までの自分が、そうであったのだから。

何かを決めることを避けて、それによる周囲の反応を恐れて、いつも妥協ばかりしてきた。

疎ましく思いつつも縋り付いてきた王族の権威、それを失う事にずっと怯えていた。

重責から目を背き、自らの殻に閉じこもって、己の中の夢にばかりかまけてきたのだ。


―――そうしている中で、一体どれほどの人間が国を動かす重責と戦ってきたのか知ろうともせず。


(けれど、もう夢の時間はお終い)


自分はずっと、失うことを怖れてきた。

けれど今の自分には、その失うべきものがない。

王女としての価値も権威も、すべては偽りだと断じられた。

失って惜しいと思うものは、すべて捨て去ってきた後である。


―――ならばそもそも、臆する必要など一体どこにあるだろうか。


初めから何も持たざる身の上なれば、迷いなど懐く必要などない。

今の我が身にあるのは、ただ迷いなく正面を見据える潔白の意志のみ。

いまだか細き性根なれど、それを縛る鎖はもはや存在しない。

ならば我が道を突き進むのに、一体なにを迷えというのか。


後にあるのは―――ただひたすらに正しき道を進み続けていく事だけだ。


アンリエッタは立ち上がった。

己の臣下達の視線が、一斉にアンリエッタへと注がれる。

それらの視線を正面から受け、アンリエッタもまた彼らの顔をひとつひとつ見返した。


かつては、全て同じように見えた臣下達の顔。

誰もが自分の周囲にあって、こちらを束縛する疎ましい顔にしか見えなかった。


だが今は違う。

きちんと向き合って見てみれば、そこに同じ顔などひとつもなかった。

彼らの誰もがそれぞれの顔を持ち、それぞれに人生がある。

そこに全く同じなものなど、ただのひとつとしてありはしなかった。


そして最後に、枢機卿マザリーニへと目を向ける。

類稀なる知略を駆使し、ハルケギニアのあらゆる知識を納め、トリステインのほぼ全権を手中に収める鬼才の持ち主。

彼という存在は、紛れもなくアンリエッタにとって畏怖の象徴であった。


疎ましいと思っていた。

恨んだこともあった。

何をするにも無感動で、まるで亡霊のように薄気味悪い男だと、ずっと毛嫌いしてきた。

だがこうして、きちんと開かれた双眸で見た彼の姿は、冷徹なる知略家でも、気味の悪い亡霊でもなく、ただの一人のしわがれた老人であった。


聞けば、彼はまだ四十代であるはずだが、こうして見る彼の面は実際より十は年老いて見える。

先代が崩御し、外交と内政を一手に背負ってきた重責が、彼をここまで老いさせてしまったのだ。


申し訳ない事をした、とアンリエッタは思う。

自分が放りだしてきた責務の数々を、彼はずっと代替わりしてきてくれた。

確かに彼は、自分を政治の道具として利用しようとした。

しかしそれとて、彼が国のためを思いしてきたことなのだ。

自らの責務から目を背けてきた自分には、彼を責める資格などない。

むしろ道具くらいの役にしかたてなかった自分の不甲斐無さに憤りさえ覚えるほどだ。


―――だから、その贖罪として、彼が背負ってきた重責をこれからは自分も共に背負っていこう。


「あなた方は、いつまでそのような不毛な言い合いを続けていれば気が済むのです」


凛とした声音で、アンリエッタは言い放つ。

その声には、今までの彼女にはあり得なかった迫力が伴われていた。


「ここで我らが言い合って、一体何になるというのです。こうして手をこまねいている間にも、民草はその命を散らしているのですよ」


「しかし・・・、姫殿下・・・、誤解が生んだ小競り合いですぞ」


「誤解?どこが誤解だというのです。言いがかりも甚だしい口実に、条約を無視した侵攻。アルビオンの悪意は明白ではありませんか。あなた方が口にするのを躊躇うならば、私が明言したしましょう。アルビオンは、今や我らの最大の敵となったのです」


迷いなく澄んだ口調で断言するアンリエッタに、大臣達は閉口してしまう。

だがその中で、アンリエッタに対し反論を口にする者がいた。


このトリステインの実質的な最大権力者、枢機卿マザリーニである。


「そう断言するのは、いささか早計ではありませんか?」


反論を受けて、アンリエッタは彼の方へと顔を向けた。


「意図はどうであれ、彼らが掲げる大義は自衛による侵攻です。戦争とは、大義無くして行う事はできません。会談の場を設け、真実を明確とすれば、自然と彼らの大義も瓦解するでしょう。ですが、今ここで我らが反抗の姿勢をとれば、もはや戦争以外の道は閉ざされてしまいます。ここは、僅かな犠牲には目を瞑り、和平の道を探すべきです」


歳相応の落ち着いた声音で、マザリーニは諭す。


彼とて、アルビオンとの戦が避けられないことは自覚している。

だがそれでも、今はまだアルビオンとの戦の時ではない。

未だ国内の準備は整わぬ内に仕掛けても、勝算は低い。

例え小の犠牲を強いろうとも、大の命を拾い上げるための判断をする。


それが彼なりの、国を思っての行動であった。


「呆けましたか、枢機卿」


だがマザリーニの知性ある声にも、アンリエッタは動じなかった。


「我らに突きつけられたのは、犠牲の大小ではありません。滅ぼされるか、されないかです」


それどころか、逆にマザリーニの方がアンリエッタの声に揺るがされた。


「和平とは、双方にその意思があって、初めて意味を持つもの。自らの主君を手に掛け、条約破りを平然とやってのけたあの者達が、自らの不利益となる和平など受け入れるはずもありません。

目を覚ましなさい、枢機卿。あなたとて本当は理解しているはずでしょう。アルビオンとの戦は、始まっている。それはもう、動かし難い事実だわ」


「ですが、今ここでアルビオンと正面からぶつかれば・・・」


「枢機卿マザリーニ」


弱気に走りかけるマザリーニを、アンリエッタは凛とした言葉を以て沈黙させた。


「答えなさい。私は、何者です?」


「ひ、姫殿下、なにを・・・」


「問いかけているのは私です。質問に答えなさい、枢機卿。あなた方にとって、私とは何者なのか」


「・・・我らが主君、トリステイン王国第一王女アンリエッタ・ド・トリステイン様にあらせられます」


親と子ほどにも年が離れたアンリエッタを相手に、マザリーニは気圧された声で答える。

その答えを、アンリエッタはさも当然の事と言わんばかりに頷いて受け入れた。


「結構。ならば、あなた方が一体誰の意に沿って動くべきなのか、説明の必要はありませんね」


堂々たる姿勢で、アンリエッタは一同すべてに告げる。


脆弱なる依存も、張り子の如きプライドも、今の彼女にはない。

彼女を立たせるのは、持たざる者の強さ。

今の彼女の力強い姿は、ただ在るのみで人の意思を引きこんだ。


「すぐに各地の有力な貴族諸侯方に兵の派遣を命じなさい。軍を立て直し、敵の侵攻を食い止めます。ゲルマニアに使者を。彼らの軍と連携すれば、活路は開けます」


「しかし殿下。今から援軍を要請したとしても、到着には最低三週間はかかるかと・・・」


「ならば、それまで保たせるのみです」


近衛に指示を出しながら、アンリエッタは自分が纏うドレスの裾を、膝の上まで引き千切った。

邪魔だった衣服の束縛から解放され、アンリエッタは歩きだす。


「殿下、どちらへ!?」


「戦場へ。私自ら陣頭にて指揮を執ります」


「そんな!?御輿入れ前の、大事なお身体ですぞ。戦は武官の者に任せて、御身は安全な場所で―――」


腑抜けた事を口走った中年の貴族に、アンリエッタは破り捨てたドレスの布を叩きつけた。


「国とは、民の存在あってこその国。彼らの存在が寄り集まり、積み重なることで、国とは成り立つ。民とは、国の根幹そのものです」


未だ弱気を宿す貴族達を一括するべく、アンリエッタは一同に演説する。


「ならば王とは?王とは、民の導き手。国という名の民草に、進むべき道を照らしだす光となる者。彼らが迷わぬように、全力でその道を駆け抜けられるように、その光に曇りがあってはなりません」


毅然とした振る舞いで、アンリエッタは自らが貫くべき在り方を説く。

それは単に他の者に告げるためだけでなく、自分自身に言い聞かせるためでもあった。


これより先、自分に弱さは許されない。

例えどれほど不安でも、そんな感情は臆面にも見せず、いつだって毅然と立っていなければならない。

歩む自分の背を見て、付き従う者達が安心出来るように。

民を率いる導き手として、それこそ自分が背負うべき覚悟である。


「それが―――王たる者の務めです」


自らに覚悟を課して、アンリエッタは貴族らを置いて歩き出す。


通り過ぎていくアンリエッタの、年数も二十に届かない、幼くか細い少女の背中。

しかしその背中に、マザリーニを始めとした老獪たる大臣達は、いかなる大男にも勝る頼り強さを表す王者の風格を確かに垣間見ていた。










魔法学院の廊下を、ルイズは力なく歩いていた。


耳をすましてみると、なにやら学院中が騒がしい。

どうやらアルビオンの宣戦布告の報が、ついにここにまで届いたらしい。

もっとも、元より知っていた自分には動揺などあるはずもないが。


(どうすれば、いいのかしら・・・)


そんな外の様子などどこ吹く風で、ルイズが思うのは先ほどのギルガメッシュとの対談のことだ。

さすがにもう泣き止んではいるが、それでも打ちのめされたショックは抜け切れていない。


「・・・村を一つ潰せば、それでアルビオン軍を撃退できるのよね」


ギルガメッシュが提示した交換条件。

それだけが今のルイズの頭を悩ませている。


客観的に努めれば、彼の出した条件は決して悪いものではない。

極論ではあるが、たかが一つの村など、国という総体から見ればさして重要ではないのだ。

せいぜい村一つ分の収入が失われるというだけで、全体としての影響など皆無に等しい。

そもそも村一つ滅びるなど、夜盗や魔物が跋扈するこのハルケギニアでは、さほど珍しいことでもないのである。


ルイズが良心を捨て去りさえすれば、トリステインに迫る驚異を討つことが出来る。

ギルガメッシュの言うとおり、それは確かに破格の取引とも言えるだろう。


「・・・それしか、ないの?」


しかしながら、ルイズは迷う。

懐いてきた良心が、貴族としての誇りが、自らに虐殺の悪行を行わせる事を躊躇わせる。


この殺戮には、大義など微塵もない。

アルビオンの脅威を退けるためという、大義名分も通用しない。

結局のところこれは、ギルガメッシュへのご機嫌取りに過ぎないのだから。


分からない。

自分は一体、どうすればいいのだろう。

道徳に従って、こんな馬鹿げた要求など撥ね退ければよいのか。

それともトリステインのためと言い訳して、心を慈悲なき鬼へと墜とせばよいのか。


答えの出ないまま、ルイズは魔法学院の中を彷徨い続けた。


「おや?ミス・ヴァリエール。こんなところで一体どうしたのかね?」


その時、彷徨うルイズに声をかける者がいた。

魔法学院学園長オールド・オスマンである。


「君は確か婚儀の巫女として、式に同席するため王宮に行ったと記憶しておるのじゃが・・・」


「ええ、少々、やることがあったので・・・。それに、こんな事態となっては結婚式なんて場合でもないでしょう」


「そうじゃのう。そういえばつい先ほど、王宮からの使者が言っておったのう。王女殿下の婚儀は、無期延期だと。やれやれ、慌ただしいもんじゃ」


ホッホッホッと、老人特有の朗らかな調子で、オスマンは笑う。

そんな彼の様子に、ルイズはふと気になって尋ねた。


「あの・・・オールド・オスマン。こんな事態だというのに、どうしてそんなに落ち着いていられるのですか?アルビオンが攻めてきたのですよ」


「わしも長いこと生きておる。大抵の事では慌てたりせんよ。いつ何時も飄々と。それがわしのモットーじゃ」


もっとも、君の使い魔には、いろいろと驚かされたがのと、オスマンは最後に付け加えた。


こんな時でも常のひょうきんさを失わないオスマンの姿に、ルイズはフッと笑みを漏らす。

いつもなら情けないと思うところだが、今はなぜかそんな楽天ぶりが頼もしい。


そう思って、ルイズは尋ねてみることにした。


「あの・・・オールド・オスマン。少し、変なことを訊いてもいいですか?」


「うん?なにかの」


「もし、その、仮定の話で、今迫っているアルビオン軍を、どこかの村の住人の命を生贄にささげれば、一気に殲滅することが出来るとして。村人を犠牲とすることは、正しいことでしょうか?」


思いきって、ルイズは本質的な部分を問いかけてみた。


戦争においてすら平常心を失わない彼の答えならば、きっとよい参考になるだろう。

例えどちらを選んだとしても、自分になんらかの道を示すに違いない。


「それはまた・・・、ふむぅ・・・」


オスマンもルイズの問いをふざけて受けることはせず、真剣に考えてくれた。

その事にホッとし、ルイズはオスマンの答えを待った。


「・・・その問いには、恐らく正しい答えなどありはせんじゃろう」


「答えが、ない・・・?」


予想外のオスマンの答えに、ルイズは思わず訊き返した。


「机上より数のみを見ていえば、それは正しいことなんじゃろう。村人の犠牲によって、アルビオンを殲滅する。大を生かすために小の犠牲は仕方なしと、王宮の連中ならば、すぐにでも飛び付きたくなるような条件じゃ。トリステインに生きる、より多くの者にとって、それは確かに正しい選択じゃ」


「なら・・・どうして答えがないなどとおっしゃるのですか?」


「なに、見方の問題じゃよ。わしらトリステインの立場から見たならば、その選択はより多くの人を生かすためにある。人を救うことを善とするならば、それは紛れもなく正しいことじゃ。

じゃがの、ミス・ヴァリエール。もう少し、高い視点より考えてみるがいい。その選択に含まれる、為すべき行為をよく考えてみなさい」


「為すべき、行為・・・?」


「そう。君の言う、村人を犠牲にアルビオン軍を殲滅する。この選択では何十もの村人が殺され、そして何千もの軍人が命を落とすことになる。つまり、この選択には、犠牲以外のものがひとつもないんじゃ」


ルイズは愕然となった。

そんな考え方は、したことがなかったからだ。


「あえて手段については問わんがの。これをトリステインもアルビオンもない、そんな視点から見れば、ただの殺戮しかない。百の命で、千の命を救うのではない。百の命で、千の命を殺すのじゃ。ほれ、こんなものを、正しい行為だとはとても言えんじゃろう」


「けど・・・、けど、それならば私はどうするべきなのですっ!?一体何が正しくて、何をしていけばいいのですかっ!!」


激情に任せて、ルイズは叫んでいた。

答えはないなどと、正しい選択はないなどと言われ、では自分はどれを選びとればいいのだ。


そんな感情を荒げるルイズを、オスマンは対象的な落ち着いた声音で諭した。


「なに、難しいことはない。君は、君が思ったとおりにすればよいのじゃ」


「私が・・・思ったとおりに・・・?」


「仮にわしがここで何を言っても、所詮それはわし一人の価値観でしかない。あいにくわしは神ではないからの。万人全てを納得させられる答えなんぞ持ち合わせておらん。あるのはせいぜい、長いこと生きてきた、しわがれた経験くらいのもんじゃ。

じゃが、老いぼれは老いぼれなりに、一応の答えも持っておる。別に大層な悟りを開いたわけではなく、純粋に経験則からの真理じゃ」


過ぎ去ってきた日々を迷懐しているのだろう、オスマンの目はここではないどこか遠い場所に向いていた。


「君たち若者は、すぐに物事に正しさを求めようとする。やれそれが正しいだの、やれそれは悪だのと。じゃがの、本当に正しいことなんてもんは、終わってみんことには誰にも分からんのよ」


「そんな、でも、アルビオンを退けられるなら、それは正しいことで・・・」


「そうかの?確かに、今のトリステインにとって、アルビオンは脅威じゃ。じゃが、それでトリステインが滅ぼされると決まったわけではない。思わぬ幸運が味方して、案外どうにかなってしまうかもしれんぞ。例えば、突然天災がやってくるとか、アルビオン側が急に戦争を中止するとかの」


「楽観的すぎます。そんなこと、あるわけないじゃないですか」


「いや。確かに可能性は低い。だがゼロではない。つまるところ、未来なんてもんは、誰にも分からぬということじゃよ。困難だと思っていたことが、案外容易に片付いてしまったり、簡単だと思っていたことが、その実とんでもなく難しいことだったりしての。どんなことも、終わってみんことには、正しいか間違っているかなど、決められるはずがない。

まあ、要するに何が言いたいのかというと。何事も、なるようになるということじゃ」


あっけらんと言ってみせるオスマンに、ルイズはどう返事をしていいか分からず、ポカンとした表情になる。

だがそれは、決してオスマンの事を馬鹿にしたものではない。

むしろこの気楽な老人の言葉にこそ、自分にふさわしい真理があるのではと、そう思い始めていた。


「だから、ミス・ヴァリエール。そんなに怖がる必要なんてありはせん。君たち若者は、どうも物事がそれぞれ取り返しのつかない事だと思っているのじゃが、実際はそんな取り返しのつかんことなど、そうはないものよ。

しかし、命は違う。命は、失っては物のように直すことはできん。失われた命は、文字通り、取り返しがつかんのじゃ。だから、あくまでもわし個人の意見としては、先のような選択を君にはしてほしくない」


ポンと、オスマンはルイズの肩に手を置いた。


「大いに悩みなさい、ミス・ヴァリエール。悩んで、考えて、自分が正しいと思ったことをしてみなさい。例えその結果がどんなものであっても、自分で選んだ決断ならば、何もせんかった後悔よりは、幾分かマシなものじゃよ」


オスマンの言葉が、ルイズの胸にスッと届く。

まるで今まで突っ掛かっていたものが、きれいに取れたような感覚だ。


まるでそれに呼応するように、ルイズの懐で何かの鼓動が生じる。

取り出して見ると、それは何も感じなくなっていた『始祖の祈祷書』であった。

手にしてみると、そこにはかつて感じた手応えがある。

まるで主の決意に触発したかのように、書は再び力を取り戻していた。


「・・・ごめんなさい。私が不甲斐無いばっかりに、あなたにも随分と歯痒い思いをさせていたわね」


そう、何かを為す力ならば、すでに自分の手の中にあった。

後は自分が、ただ決めればよかったのだ。

本当に、ただそれだけで、こんなにも力が漲ってくる。

今の自分にならば何かが出来る、そんな確信めいた予感が、ルイズの胸にはあった。


「左様。若きこととは、悩むことと同義なり。かくいうわしも、若かりしことは大いに悩んだ。そう、あれは思い返すも懐かしい、わしがまだ―――」


「ありがとうございます、オールド・オスマン」


何やら語り出したオスマンを放置して、ルイズは駈け出した。


根拠があるわけではない。

予感は所詮、予感に過ぎない。

これが本当に正しいのか、そんなことは分からない。


だけど、まずは行動してみよう。

それが正しいことかどうかは、また後になって決めればいい。

行動の果てにこそ結果があるのなら、まずその行動を起こさずしてどうするのか。


決意を胸にルイズは元来た道を走り去り、後にはオスマンのみが残された。


「これからがいい所じゃったのに・・・。近頃の若いモンは、せっかちでイカンのぉ~」


走り去るルイズの後ろ姿を眺めながら、ひどくしょんぼりした様子でオスマンはぼやいていた。










「ギルガメッシュ!!」


部屋に戻り、ルイズはそこに居る人物へと呼びかける。

開け放たれた扉の先には、先ほどと変わらずグラスの酒を呷るギルガメッシュがいた。


こちらの来訪に気が付きながらも、ギルガメッシュは視線をよこそうとはしない。

だが冷然たる無視を続けるその背中が、言葉以上に明実に告げていた。


―――次に失望を買うようなことを言えば、今度こそ容赦なく切り捨てるぞ。


見据える背中の冷たさに思わず息を飲み、額より冷や汗が流れる。

恐怖に心が支配させそうになりながらも、意を決しルイズは口を開いた。


「私を・・・連れて行って」


短い言葉で、ルイズは告げる。

その言葉で、無視を続けていたギルガメッシュは、視線は変えずに返事だけをよこした。


「・・・どこに?」


「戦場に」


今度は間髪入れずに、ルイズは答える。

それこそが彼女が選んだ、彼女なりの選択肢であった。


アルビオンの侵攻は食い止めたい。

けれど、ギルガメッシュの言うような真似も出来ない。

ならば他の、全く異なる選択肢を選びとる以外にない。


すなわち―――自分の力でなんとかしてみせる、という選択肢を。


ギルガメッシュは、ただ自分をそこに送るだけでいい。

後の行動の責任は、すべて自分が負う。

それこそルイズが自分で決めた、彼女だけの決断だった。


「・・・ほう」


ギルガメッシュの視線が、ようやくルイズの姿を捉える。

彼の表情には、久方振りの愉快気な笑みが浮かんでいた。





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