[6]王の所有権
モット領の屋敷の地下に存在する、天女を象った像が瓶より湯を注ぐ豪奢な浴槽。
そんな平民では決して浸かることが出来ないであろう湯船の中にいながら、しかしシエスタの顔には曇りがあった。
彼女とてモットが何故自分を名指ししたのか、その理由の検討くらいついている。
そしてこれから、自分が何をすることになるのかも。
それを思うと、自然とシエスタの瞳には涙があふれた。
(そういえば、あの方はどうしてるかしら・・・?)
ふと思い出したのは、自分を従者にと名指ししたギルガメッシュと名乗る貴族の青年。
ほとんど流されるままに頷いてしまったが、その姿と言葉は妙に心に残っている。
あの貴族の青年は、自分がいなくなったことをどう思っているのだろう。
(きっと、私のことなんてもう忘れてしまっているわよね。私なんて、所詮は平民なんだし・・・)
平民とは、貴族の下に位置する者だ。
平民の家族に生まれ、それほど裕福とはいえないタルブ村にて育ったシエスタはその真理を強く自覚している。
どうしたところで、平民とは貴族には逆らえない。
その最大の要因となっているのは、言うまでもなく魔法だ。
力のこともそうだが、何より魔法はこのハルゲギニアの生活に密接に関連している、民にとっても生活必需品なのだ。
その魔法の恩恵を失うことがどれほどの損害をもたらすか、シエスタはよく分かっている。
その関係が両者の立場と認識を、このハルゲギニアで明確なものにしている。
だからあのギルガメッシュという貴族も、自分になど執着していないだろうと、シエスタは思った。
「シエスタさん。モット伯がお呼びです。早く上がってください」
上の階よりややしわがれた侍女長の声が聞こえる。
それに答えながら、シエスタは重く沈んだ表情のまま湯船より上がった。
「あれ?その料理どうしたの?」
夕食からの帰り、豪奢な料理を乗せた台車を押すメイドの姿を見咎めて、ルイズは尋ねる。
このムカつくほど良質な料理は確かめるまでもなく、ギルガメッシュのものだ。
「はあ、それが、ギルガメッシュ様にお下げしろと言われまして・・・」
「下げろって・・・、何で?」
「なんでも、やることが出来たそうです」
ヤること、と聞き、とりあえずルイズの頭にはキュルケの顔が思い浮かぶ。
またあのツェルプストーの女と逢引きするつもりなのではないかと、怒りかけたルイズだったが、それにしても食事を抜く必要はない。
少々奇妙に思い、ルイズは重ねてメイドに尋ねた。
「何かあったの?」
「はい。実は―――」
そうしてメイドの少女はシエスタに起きたこと、そして先ほどのギルガメッシュの様子をより正確に語る。
そしてそれを聞き終えると同時に、ルイズも血相を変えて走り出した。
「ふあぁ・・・」
魔法学院から徒歩一時間ほどの距離にあるモット領の屋敷。
そこの門番を務める衛兵の青年は、大きく口を開けて欠伸をした。
戦時ならともかく、今は平時。
貴族の屋敷にそうそう騒ぎなど起こるはずもなく、彼ら衛兵の大半はヒマを持て余していた。
「こら。勤務中だぞ」
そんな青年を、もう一人の先任の門番の男がたしなめる。
「けど、先輩。こんな真夜中に何もせずただ突っ立てるだけじゃあ、欠伸のひとつも出ますよ」
「それでもだ。我々はこの伯爵様のお屋敷を守る門番。その自覚を忘れるな」
「はいはい。・・ああ、いいなぁ。伯爵は今頃、今日連れてきたあの女の子といいことやってんだろうなぁ」
「お前、いい加減にしろ」
やや呆れ気味に言う先任者に、青年は肩を竦めて黙り込む。
その時、彼の目に屋敷に近づく一頭の馬が映った。
そこに跨るのは、黄金を連想させる出で立ちと雰囲気を醸し出す、逆立つ金髪赤眼の青年。
その青年の出で立ちに、門番たちはモット伯への客人の貴族だろうと当たりをつけた。
「お停まりください。ここはジュール・ド・モット伯爵の屋敷です。例え貴族の方といえど、無断での立ち入りは認められません」
先任の門番が、近づく貴族にそう声をかける。
その言葉に従ったのか、あるいは元より停まる意図であったのか、貴族は素直に馬を停止させた。
「モット伯への面会をご希望ですか?これより話を通してまいりますので、失礼ですがお名前を」
先任が貴族に対して話しかけていくのを、もう一人の門番の青年は黙ったままで居る。
そうしながら、改めてこの突如やってきた貴族の青年に目をやり、その表情を見てハッとした。
その端正な顔に浮かんでいるのは、冷然とした無表情。
感情など一切表さぬ面持ちで、自分達の後ろにあるモット伯の屋敷を見つめている。
その表情を見て、門番の青年は気づいてしまった。
この人物は自分達を見ていない。
その冷淡なる視線が向いているのは、あくまでモット伯のいる屋敷のみだ。
彼の中で自分達の存在など、ただ目的の過程に居合わせた小石程度の認識でしかあるまい。
「あの、すいません。モット伯に話を通してまいりますので、お名前を―――」
何も答えぬ貴族の青年に、先任の門番が重ねて尋ねる。
しかしその言葉に対して貴族の青年が返した答えは、幾本もの宝具の雨による洗礼だった。
「タバサ、急いで」
慌てた様子のルイズの声に、タバサはコクリと頷いて風竜をより加速させる。
今ルイズらがいるのはタバサの使い魔であるシルフィードの背中の上。
シエスタがモット伯に引き抜かれたという話を聞いて、すぐにギルガメッシュの目的を推察したルイズは、タバサに頼み込んでモット領の屋敷へと向かっていた。
ちなみに風竜の背の上には、どこからかその話を聞きつけたキュルケも居た。
「でもさすがよねぇ。自分の使用人を取り返すために、貴族に屋敷に殴りこむなんて。そんな熱いところがダーリンの魅力なのよね」
「笑いごとじゃないわよ」
ピシャリと、ルイズは告げる。
そのルイズの剣幕に、さしものキュルケも気まずそうに口を閉じた。
ギルガメッシュがモット伯の屋敷に向かった意図など、もはや考えるまでもない。
ただシエスタを取り戻すというだけでなく、ギルガメッシュは間違いなくモット伯を殺すつもりだ。
ギーシュとの決闘やこれまでの動向を見るに、あの男が自分に仕えろと名指しした人物を連れ去られて、黙っているはずがない。
またそんな相手に、ギルガメッシュが容赦をする理由などない。
ギーシュの時のような心変わりは期待できないし、このままではモット伯の命は時間の問題だ。
幸いなのは、こちらの移動手段は風竜。
向こうは恐らく馬だろうから、ギルガメッシュがモット伯の屋敷に辿り着く前に何とか追いついて、あの男を説得しなくてはならない。
容易く説得される相手ではないだろうが、しかしギルガメッシュを止められるのは自分たちしか居ないのだ。
そう思案しながらモット伯の屋敷へと向かう道中、ルイズはふと地表に、馬に跨って走る、自分もよく知る男子生徒の姿を見かけた。
「ギーシュ!?」
遠目からでもあのクセのある金髪とどこかキザっぽい仕草は見間違えることはない。
かつてギルガメッシュと無謀な決闘を行った少年、ギーシュの姿にルイズらは風竜を降りさせた。
「おや、ルイズ?それにキュルケにタバサまで。こんな所で一体どうしたんだい?」
「それはこっちのセリフよ。何でアンタがここにいるの?」
「陛下に言われたのさ。モット伯の領地まで案内しろって。領地の前あたりまで案内して、後はもういいって言われて、今はこうして学院に戻っているところだけど・・・」
「陛下って、ギルガメッシュのこと!?」
ルイズが叫んだ。
そのルイズの様子にギーシュはやや押され気味ながらも、コクコクと頷いてみせる。
それきりルイズらはポカンとしているギーシュを捨て置き、再び風竜を飛びあがらせた。
ギーシュの話で、ルイズの推察は確信に変わった。
やはりギルガメッシュは、モット伯の所に向かったのだ。
恐らく、モット伯を殺す意図で。
想定される事態に焦燥を覚えつつ、ルイズ達は風竜を疾駆させた。
そして、竜種の中でも最高の速度を誇る風竜の羽ばたきは、ほどなくルイズ達にモット領の屋敷の姿をその目に映させた。
「これって・・・っ!?」
地上に広がる光景にキュルケが呆然とした声を上げる。
声を上げなかったルイズとタバサも、目の前の光景には唖然としていた。
かつては見映えある庭園であっただろうモット伯の屋敷に広がる庭は、今は見る影もないほどに蹂躙され尽くされていた。
地面には数えるのも億劫なほどの、幾数もの穿たれた巨大な穴が点在し、庭を彩っていたであろう芝生や花壇、彫刻類の数々は、すべてが無残に破壊されている。
あたかも破壊の意思が通り過ぎたかのようなその惨状は、まさしく英雄王の逆鱗の証であった。
そんな光景にルイズらが圧倒される中、入口近くに倒れる二人の衛兵の姿をタバサが見咎めた。
ただちに風竜を降り立たせ、タバサは倒れる衛兵の具合を診る。
「まだ、息はある」
そう一言呟いて、タバサは衛兵の元まで駆け寄ると、応急処置の回復魔法をかける。
そんなタバサの様子を見ながら、ルイズもまた風竜の上より降り立つ。
この惨状は考えるまでもなく、ギルガメッシュの手によるものだろう。
このような事態を未然に防げなかったことが悔やまれてならない。
しかしルイズはそんな沈みそうな感情を精一杯奮い立たせ、俯きそうだった顔を上げた。
ギルガメッシュを止めるのは自分の役目だ。
例えその存在がどれほど途方もないものだとしても、彼は自分の使い魔で、自分は彼の主人なのだから。
ここで自分がすべきは、顔を俯かせて気を落とすことでは決してない。
顔を上げ、己が使い魔のこれ以上の暴虐を何としてでも止めることだ。
決意を胸にし、ルイズは面前に広がる破壊跡を踏み越え、モット伯の屋敷へと駆けだした。
その襲撃は、あまりに突然だった。
魔法学院より気に入った侍女の娘を見繕い、さあお楽しみの時間だと息巻いていた矢先、門の方より響いた轟音に、モットは窓からそちらへ目を向けた。
そして見た。
虚空の空間より剣や槍などの武器を幾本も投射し、自分の自慢の屋敷の庭園に破壊の限りを尽くしながら悠然と歩いて迫る、襲来者の姿を。
その光景を、モットはしばらく呆けた表情で見つめていた。
彼には目の前で展開されるその光景が現実のものと思えなかったのだ。
あまりにも苛烈、あまりにも唐突、そしてあまりにも圧倒的。
その理不尽なる巨大な暴力を前にして、一体何が出来るというのだろう。
だがそんなとき、その光景をただ見詰めていたモットの視線を、襲来者の眼光が射抜いた。
はるか離れているはずなのに、なおもこちらを委縮させるその視線を受け、ようやくモットは理解した。
この襲来者の標的は、自分なのだと。
そしてそれを理解したモットの行動は早かった。
すぐさま護身用の杖を手にして、モットは侍女の娘を待っていた寝室より出た。
そのまま逃走を図るべく、階段を駆け下りていく。
だが何とも間の悪く、裏口へ向かいかけたモットの前に、屋敷の扉を完膚無きまでに粉砕して、襲来者がモットの眼前にその姿を現した。
「な、何なのだ、貴様はっ!?私が誰だか分かっているのか!?トリステイン王宮に仕えるこのジュール・ド・モット伯爵にこのような真似をして、タダで済むと思っているのかっ!!」
現れた襲来者に、モットはその表情を恐怖に歪めて叫んだ。
その声に反応して、奥より衛兵たちが姿を現す。
だが、肝心の襲来者の青年―――ギルガメッシュだけは、モットの言葉に何の答えも返さない。
英雄王たる彼は、自分の所有物に不埒な手を伸ばした下賤な賊に、賜すべき慈悲も言葉も持ち合わせていなかった。
「ええい、かかれぇ!!」
モットの命を受け、衛兵たちが一斉にギルガメッシュへと突撃していく。
しかしその突撃は、主への忠誠というより、目の前の存在の暴威を目の当たりにし、その恐怖による自暴自棄という印象が強かった。
そんな衛兵達に対し、ギルガメッシュは一瞥だけ煩わしそうな視線を向け、虚空より一振りの短剣を抜きだすと、何気ない仕草でそれを振った。
瞬間、巻き起こった吹雪が衛兵たちを飲み込んだ。
「うわあぁぁぁぁっ!!?」
「う、腕が、俺の腕があぁぁぁっ!!」
短剣より繰り出された凍える吹雪に、衛兵たちは四肢のどこかを凍りつかせ、その行動を封じられる。
そうするとギルガメッシュはもはや衛兵には目もくれず、短剣をしまって、自身が裁くべき賊であるモットへとその視線を向けた。
「ひ、ひいぃぃぃ!!」
恐怖の悲鳴を上げて、モットは破れかぶれに杖を振るう。
空中の水蒸気が凍り付き、何本かの氷柱の矢となってギルガメッシュに襲いかかる。
それに対し、ギルガメッシュは蔵よりデルフリンガーを抜き放ち、その氷柱の矢すべてを迎撃した。
「おお、旦那。いやぁ、旦那の宝の蔵ん中ぁ最高だな。ここにいると何もしねぇでもその武器を最高の状態にまで持っていってくれるし、何年入れられたままだろうと劣化もしねぇ。
おまけにフワフワしてなんか気持ちイイし、剣冥利に尽きるぜぇ・・・って、おいおい何だよ、いきなり戦闘の真っ最中かよ!?」
益体のない言葉を口走りつつも、デルフリンガーの刃は受けた氷柱の矢をことごとく飲み込んで見せる。
かつてあらゆる武器を操った神の左手『ガンダールヴ』の愛剣デルフリンガー。
ギルガメッシュが額のルーンにて読み取ったこの魔剣の効果のほどは、確かに実証された。
それとは対照的に、自身の魔法をあっさりと無力化されたモットは、恐怖に顔を青ざめさせる。
そんなモットに対して、ギルガメッシュは王の裁きを下すべく、己が宝具を展開せんと手を上げた。
だがその時、ギルガメッシュの背中にかけられる声があった。
「待ちなさい、ギルガメッシュ!!」
唐突に粉砕された扉跡より現れた桃色髪の少女に、ギルガメッシュの意識がそちらに向く。
その隙を、モットは見逃さなかった。
「今だ!!喰らえぃっ!!」
モットが再び杖を振るう。
瞬間、打ち捨てられていた部屋中の花瓶の水が、まるで意思を得たかのようにうねり、一斉にギルガメッシュの身体を飲み込んだ。
「ギルガメッシュ!?」
「ハハハァッ!油断したな。私は『波濤』のモット。水のトライアングルメイジだ」
高笑いして、モットは杖を片手に勝利を確信する。
「このまま水圧で、押し潰してくれるわぁ!!」
ギルガメッシュを包む水の檻に向けて、モットが叫ぶ。
だが狂喜に笑っていたモットの顔は、弾け飛ぶ水の檻の中より輝いた黄金の光によって凍りついた。
現れたのは、見るも神々しく壮観たる、全身をくまなく包む黄金の鎧を纏った襲来者。
その身は自分の渾身の魔法を受けてなお揺るがず、堂々たる様子でこちらを感情の無い目で見据えている。
後ずさりながらモットは、なんとか自分を守ろうと再び杖を振り上げようとし―――
その瞬間、一度の踏み込みでモットとの間にあった距離をゼロとしてきたギルガメッシュに、デルフリンガーの刃でその杖を断ち切られた。
「あ、うあ・・・」
貴族の誇りであり武器である杖を断ち切られ、モットは無様に腰を抜かしてその場に座り込む。
そのモットをギルガメッシュは無言のまま冷然と見降ろし、デルフリンガーの刃を突き付けた。
「ギルガメッシュ、やめなさい」
今まさにモットへとどめの刃を突きださんとするギルガメッシュに、ルイズははっきりと告げた。
モットを死の淵に追い詰めるギルガメッシュが、その声に応じ、視線をルイズへと向けた。
「何をだ?」
「言わなくても分かるでしょう。これ以上の使い魔の横暴は、主として許さないわ」
「ルイズ。我の言葉を忘れたか?」
ルイズを見つめるギルガメッシュの視線に、冷酷な殺意の色が宿る。
「王である我の決定に、貴様如きが口出しする不敬を許した覚えはない、と」
目にする者すべてを屈伏させる英雄王の眼光が、ルイズを貫く。
この眼光の恐ろしさは、実際に曝された者にしか分かるまい。
その視線に睨まれただけで、身体中が軋み、肺が咽かえるのが分かる。
強大な絶対自我が伝える冷酷なる殺害の意志が、精神から反抗の感情をまるごと剥奪してしまうのだ。
そうなってしまえば、もはや生存さえもその視線の意思次第となる。
ルイズは実感した。
この男の睨みは、何の比喩もなしに、それだけで人を殺す凶器だ。
心弱い者ならば、一瞥のみでその精神を打ち砕かれてしまうだろう。
その英雄王の視線に正面から曝され、しかしなおもルイズは正面からギルガメッシュを見返し、言葉を返した。
「・・ギルガメッシュ。モット伯の引き抜きは確かに気分の良いものではないけど、それでも正式なものよ。正式な法の元、正式な権利で行われたことなの。
それにこんな暴力だけで異を唱えるなら、それはただの強盗と一緒よ」
「フン、くだらぬ。我の行動を決定し、制限することが出来るのは、他ならぬ我以外にありはせぬ」
にべもない横暴なるギルガメッシュの言葉。
その言葉に、ルイズは歯をギリッと噛み締めた。
「そも、この世のすべては我の物。万物すべての所有者である我を通さずに築かれた法など、我にはなんの価値も―――」
「この世界はあなたの世界じゃないっ!!」
決然と、ルイズは言い放った。
「あなたが元の世界でどれほどすごい王様だったかなんて、私は知らない。あなたは本当に、この世のすべてを手に入れたのかもしれない。
けどここはハルケギニアよっ!!あなたが支配した世界じゃない。あなたの所有物なんて、ひとつだってありはしない。
この世界の物は全部、誰でもない、ここに生きるみんなの物。それを手に入れようと思うなら、まず筋を通しなさいっ!!」
あまりに矮小な自身の身体を精一杯に奮い立たせ、ルイズはギルガメッシュのことを睨みつける。
そのルイズの後ろ姿を、追いついたキュルケとタバサは羨望の眼差しで見つめていた。
絶対なる英雄王と正面から向き合いながら、なおもその視線を逸らさずに、背筋を伸ばして凛然と立つルイズの姿は、美しく、そして気高かった。
「なかなか言ってくれるではないか、ルイズよ」
底冷えするような声音で、ギルガメッシュはルイズに告げる。
ギルガメッシュの殺意に曝されながら、しかしルイズは決して視線をそらそうとしない。
例え形式のみであろうとも、自分とギルガメッシュの関係は、メイジと使い魔なのだ。
メイジである自分が、主人である自分が、その使い魔に臆していてどうする。
いかに途方もない力の差があろうと、精神まで屈するわけにはいかない。
使い魔に屈するメイジなど、メイジではない。
そんな信念を振りかざして、ルイズは気を抜けば今にも震えあがってしまうそうな身体を必死に支え、ギルガメッシュと向き合い続けた。
それはきっと、ただ屈してしまう選択よりも、はるかに過酷な道であるのだろう。
早々に膝を折り、ただ頭を下げて、プライドを捨て、この恐ろしい英雄王の殺意の眼から逃れる道のほうがどれほど楽か。
だがその道を選択することは、ルイズという少女の精神の源泉に存在する、気高き輝きを放つ魂が許さない。
同情、中傷、失望、そうした感情を長きに渡り向けられ、なお真っ直ぐな芯を宿すルイズの魂には、いつしか真の不屈さが懐いていたのだ。
その小柄な体躯が何倍にも大きく見えるほどの、不屈の信念を眼差しのみで表す少女の姿を、ギルガメッシュはしばしの間見つめていた。
「・・・まったく、本当にお前という奴はおもしろいな、ルイズ」
表していた殺意の波動を霧散させ、ギルガメッシュは独り言ちる。
「フム、なるほどな。所有することに慣れすぎて、気づかなんだわ。無礼もあれど、確かに貴様の言葉にも一理あるか・・・」
そう言うとギルガメッシュは、手にするデルフリンガーを蔵へと戻す。
そして未だ腰を抜かしたままのモットへと向き直り、代わりに蔵より取り出した莫大な量の財宝をその眼前に置いた。
「は・・・?」
「この財を以て、貴様よりシエスタを貰い受ける。文句はあるまい」
文句などあるはずもない。
目の前に置かれた財宝の価値は、例えギルガメッシュによって破壊されつくされた屋敷の被害総額を差し引いても、使用人一人如きに出す金額として十分すぎた。
というよりも、今回の騒ぎがたかが使用人一人を求めてのことだったと分かり、モットは拍子抜けした。
「二度と、この我を煩わせるなよ、雑種」
最後に精神を圧殺する眼光をモットにくれて、ギルガメッシュが告げる。
その眼光を受け、モットの中の反抗の意思は完全に崩壊した。
自分の横を通り過ぎていくギルガメッシュを見ることさえ出来ず、一種の放心状態となって座り込んでいる。
「聞いていたな、シエスタ。行くぞ」
屋敷全体に向けるように、ギルガメッシュが叫ぶ。
すると通路の影より、おずおずといった様子でシエスタが姿を現す。
彼女もこの騒ぎを聞きつけ、物影より事の成り行きを見守っていたのだ。
ギルガメッシュの言葉に従い、シエスタは立ち去ろうとするギルガメッシュの後に続いていった。
「どうして・・・?」
すぐ近くまでやって来た所で、ルイズが呆然とギルガメッシュに尋ねる。
止めるとは意気込んでいたものの、突然すぎるギルガメッシュの行動の変化には、ルイズも驚いていた。
ルイズの問いかけに、ギルガメッシュはただの一言のみで答えた。
「筋道を通したまでだ」
それだけ答えると、ギルガメッシュはルイズの横を通過して屋敷から出ていく。
その後ろ姿を見つめながら、ルイズの胸には一つの誇りが生まれていた。
ギルガメッシュが、初めて自分の言うことを聞き入れた。
そのただ一つの事実が、ルイズに何にも勝る高揚感と達成感をもたらしていた。
「あの・・・」
モットの屋敷からの帰り道、ギルガメッシュの腕に抱かれる形でシルフィードに跨るシエスタは、躊躇いがちに口を開く。
乗ってきた馬は騒ぎで逃げ出してしまい、元々三人の乗客のいる竜の背は狭かったので、必然的にこういう体勢になってしまうのだ。
「何だ?」
「どうして、私を助けに来てくれたんですか?」
自分などいなくても、代わりとなる人物はいくらでも居るだろうに。
わざわざこんな無茶をして、おまけにあれほどの金まで支払ってまで、自分を助ける理由などどこにもないはずだ。
だというのにそれを実行したギルガメッシュの意図が、シエスタには分からなかった。
「たわけが。助けに、だと?この我がそんなことで動くものか」
「え?だって・・・」
「我は我の所有物に手を出した賊に罰を与えに行ったに過ぎん。あの雑種に金銭を支払ったのも、我の所有権を明確化するためだ。
まあ、所有権の所在を確かなものにしておかなかった点は、我の不足だ。それに免じて、あの雑種の罪は不問としたがな」
意外なほど殊勝に自分の非を認めるギルガメッシュは、次にその視線をシエスタへと向けた。
「分かるか?シエスタよ。お前はすでに我の物なのだ。我は強欲であるが故な、手にした物をそう容易く手放しはせぬ」
そっと、ギルガメッシュの手がシエスタの頬に触れる。
その思わぬ仕草に、シエスタは顔を真っ赤にした。
「誇るが良い、シエスタよ。他ならぬこの我が、お前の従者としての価値を認めたのだ。雑種にくれてやった財も、お前の価値を考慮してのもの。これより後の、お前の我への奉公に対するな」
頬に触れていた手を離し、ギルガメッシュは誠実さを込めた瞳で、正面よりシエスタの目を見つめる。
二人の体勢上、互いの顔が急接近した。
「改めて命ずる。シエスタよ、我が物となれ。貴き者を立て、真の献身の精神を宿す者よ。
その汚れ無き精神を以て、この英雄王に不足なく仕えるのだ」
「・・・はい」
すぐ目の前に迫った赤き美麗の双眸の言葉に拒む意思を持てず、シエスタは瞳を潤ませ顔を紅潮させつつ、しかしはっきりとその一言を返した。
ちなみにそれらの二人のやり取りは、もちろんすぐ近くにいるルイズやキュルケにも聞こえており、その事でまた一悶着あったりしたのだが―――
それはまた別の話である。