「輝夜は月に帰り、しかし地上には輝夜の残した蓬莱の薬がいくつか残った。
当時の帝はこの薬を危険視して処分を命じたが、その勅命から逃れ、薬を飲んだ者が何人か出てしまった。
蓬莱の薬は服薬者に不老と不死と与える禁断の薬。
飲んだ者は永遠に生き彷徨い、今もどこかにその身を潜伏させている……」
「2nd-Gの神話と私達の歴史はやはり差異がありますが……大筋は変わりませんわね」
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竹林を行く鹿島達はそのメンバーに永琳を加え、慧音の先導で道を急いでいた。
いきなり慧音を射撃し、なおも微笑む永琳を鹿島達は敵と見なしていたが、
「……彼女は、貴方達2nd-Gが相対する幻想郷代表の側近です。
味方ではないが、敵でも無い」
と言う慧音の言葉を信じ、相対の立会人として事前交渉の場に同席する事を許可した。
その数を四人に増やした一行が竹林を歩く中、鹿島が語ったのは2nd-Gに伝わる史実・竹取物語の後半部分。
蓬莱の薬が地上に残された話に同意したのは、一行の最後尾につける永琳だった。
後ろを歩く永琳に対し、慧音は特に反論をする事も無く前を向いたまま先導を続けている。
間に挟まれた鹿島が先程から慧音の様子を伺っていたが、それに気づくそぶりを見せず、一心に前を目指していた。
だが、鹿島は先を進む慧音の微小な体調の変化に気づいていた。
その足取りは極僅かな違いではあるが、何かに追われ、気が急いているように早く
その息遣いは、位置として一番近い鹿島の耳ですら聞き逃すほどであったが、確実に荒い。
先刻、苦しそうに胸を押さえてその身体を折っていた慧音は、後ほど説明すると口にした。
が、鹿島はその説明の時を待たずして慧音の身を案じようと、先を行くその肩に手をかけようとした、
その時だった。
「ちょっといいかい?」
疑問の声は、鹿島の背後から聞こえた。
月読だ。
月天弓を肩にかけながら歩く月読が声を投げかけたのは慧音では無く、己の後ろにいる人物。
問われた永琳は目を伏せ、無言の笑みをもって了承の意を示し、月読の発言を促す。
月読はその顔と右手を空に向け、月の光を掬い取るようにして拳を握りつつ聞いた。
「さっきあんたが言ってた『私達の歴史』ってのは……このEx-Gの世界の事を言っているのかねぇ?」
「……? 月読さんの質問の意味が、わかりかねますわ」
永琳の返答に対し、鹿島の心中も同意見だった。
「何を言っているんですか月読部長? 永琳さんが言う私達とは、この世界の住人の総称……つまりEx-G全体の代名詞と言う事でしょう?」
当然の事をあえて言及する月読に対し、鹿島は同じく当然の事実をもって反論する。
Ex-G所属の永琳が言う私達という言葉は、Ex-G住人の複数形の意なのだと。
「違う。違うんだよ鹿島」
だが、月読はその首を横に振り鹿島の言を否定した。
違うと言い切る月読に、鹿島はそれ以上の言葉が出ず口を閉じる。
紡ぐ声を持たない鹿島は月読に対し、説明の要求を求む視線を投げかけた。
目が合った月読はわかっているよ とばかりに頷き、そして視線を元に戻す。
即ち、竹葉の隙間から見える月――満月へと。
「私の姓は月読。2nd-G皇族が持つその姓が持つ力は……やはり月を統べるんだよ。
月と対話し、波長を合わせ、場合によってはその力を変換し、穿つ。
月面は私の骨子であり、月影は私の頭脳であり、月光は私の神経である。
名を司るとは、そう言う事」
「それが……何か?」
己に、月に。そして永琳自身へと語るように話す月読に対し、永琳は表情を変えずに切り返す。
言葉を返された月読は身体を永琳へと向けなおし、差し込む月光を背負いながら言った。
「月光が言っているんだよ。この月は不安定だと。
過去に……そう遠く無い過去にこの世界の月に異変を起こし、世界の在り方を変えた者がいると。
そして、永琳。あんたからは……その異変と同じ匂いがするってねぇ」
「……月読部長、彼女はまさか……」
永琳を見ながら言う鹿島に月読は頷き、その言葉を繋げて疑問として投げかけた。
「あんたが言う『私達』とはあんたを含めて……本来Ex-Gの者では無い、違う世界の者達を指すんじゃないのかい?」
背を照らす月光に、その姓が生む威圧の意志を込めて月読は問いただす。
その圧力は永琳だけで無く周囲の竹々をも飲み込んで、一陣の風も吹かぬその空間の竹を一斉に揺らした。
ざわめきが収まり、鹿島と月読の疑惑の視線を浴びていた永琳は顔を下に向けて表情を悟られないようにしていたが、
「……ふふっ」
漏らした声とともに顔を上げると、弦の様に曲げた口元に意図の読めぬ含み笑いを浮かべていた。
「何がおかしいんだい」
「いえ、月読の姓の力を計り間違えてた自分が恥ずかしかっただけですわ。
よろしいでしょう。その質問にはまだ答えられませんが……代わりに私の持つ情報を一つ、貴方方に提示します」
「情報?」
自らの質問に答えず、代わりの情報を代替とする永琳に月読はいぶかしむが、
「竹取物語の後日談にその名を残す蓬莱の薬。
『私達の世界』に実在したその薬を服用し、不老不死となり千年以上の時を過ごした者が……この竹林に存在します」
「……な!?」
永琳の冗談とも取れるその発言に、月読は言葉を失った。
「馬鹿な!?」
「あら、貴方達の世界には実在した物でしょう? それが何故、この世界には存在しないと?」
「……それは……」
否定する鹿島に対し、永琳は務めて冷静に言葉を返す。
告げられた情報への正誤判断がつかずに戸惑う鹿島と月読に、永琳はさらに状況を前へと進める。
「貴方達が信じられなくても……彼女はどうかしら?」
言われ、鹿島は気づく。
先程から全く会話に入ってこない、道を先導する女性の事を。
相対の立会人として絶対に会話に参加してくるはずの女性の事を。
「――慧音さん!?」
慌てて振り向いた鹿島の眼に飛び込んできたのは、
地に膝を付きながらその手で胸を押さえ呼吸を乱す、苦悶の表情を浮かべる慧音の姿だった。
「やめ、ろ……彼女は、関係、な……い……!!」
「そう。あの子は私達の作り出した幻想郷の異変には直接関係は無い。
それなのに……それなのに物語に首を突っ込んでくるその姿はとても醜く、酷く儚い」
「……勝手な、事をっ……」
息も絶え絶えに慧音は言葉を絞り出すが、永琳は平然と鹿島達が名も知らぬ『彼女』を冷たくあしらう。
鹿島は慧音に駆け寄り状態を調べるが、別段外傷も見えず、何故慧音が苦しんでいるのかわからない。
「彼女の力は【歴史を食べる程度の能力】。
事実として行われた事象は他者の手で編纂され、見聞録となった時点でその意味を歴史へと変える。
彼女はそんな歴史を『食う』事によって世界から隠蔽し、無かった事にするのです。
歴史を抹消するのではなく、世界の記憶から歴史に紙を被せるようにして、一時的に隠遁するのですわ」
そんな鹿島に教授するように、永琳が口を開いた。
口上は、なおも続く。
「彼女は、貴方達と人里で会ったその瞬間から能力を発動させ、『竹林に不老不死者が潜む』という歴史を消し去りました。
能力の対象が貴方達でしたので『竹林に案内人がいる』と言う住人の噂話は以前として残りましたが、
歴史を抹消されている貴方達はその話と消し去った歴史を結びつける事が出来なかった」
「では……では何故、今この瞬間に僕達は消された歴史を貴方から伝聞されているのです!?」
慧音さんが貴方の姿を確認したのならば、すぐに貴方にも歴史を食う能力を発動させたはずだ!!」
鹿島の疑問は、慧音が初遭遇の際に使用したであろう歴史を消す力に対して、
永琳が容易くそれを打ち破り、鹿島達に消された歴史を伝えたと言う事に対して向けられた。
慧音が自分以外に能力を使用したのならば、そもそも不老不死者の話が浮上するはずが無いのだ。
だが永琳は事実のみを告げるだけで、その疑問に易々と答えた。
「簡単な事です。彼女は今日のような満月の下では、私達に能力を使う余裕が無かった。
陽が沈み、月が浮上するそのわずかな時間を利用して、己の能力を全て自己の制御に費やしていたのですよ」
「自己の……制御?」
そう と永琳は言い、視線だけで慧音を促して告げた。
「そう……『自分が満月の夜にある姿に覚醒する』と言う歴史を自身の能力で食い隠し、今まで無理を続けていたのです。
……そんな無茶がいつまでももつ筈が無いでしょう、慧音」
問われる慧音に、答える余裕は最早無かった。
月光を浴びて昂ぶる身体を必死に抑え付けるが、鼓動を早める体内の血液が執拗に精神を刻んでいく。
「我慢せず、彼らに見せなさい。歴史の隠匿と創造を担う半人半獣のその姿を。
幻想の月に狂う四聖の化身……ワーハクタクの、その姿を!!」
ドクン と心臓が強く鳴り、慧音は一瞬、己の意識が飛んだのがわかった。
そして意識を戻した時、その感覚が覚醒後のものだと知る。
鹿島と月読は呆然と、目の前でその姿を異形のものへと変える慧音をその眼で見ていた。
そしてその呆然から二人の意識を巻き取ったのは、それぞれが手首につける自弦時計。
慧音が作り出す、覚醒を引き金とした概念空間が展開される。
「そして伝えなさい。貴方が理解し、その上で隠し通してきた……ある人間の歴史を。
千年前、蓬莱の薬を強奪し世界の理から外れこの地に身を落とした不死者――藤原妹紅の歴史を」
・――慧月 歴史は理解を善とする。
永琳が静かにそう告げると同時に、自弦時計が概念条文を表示した。
今、概念空間の中心には、四肢を下げその顔を月へと向ける一人の少女がいる。
長い白髪が乱れるその頭部から、天を貫く二本の角を生やし、
その眼に紅の色を宿して月を睨むのは、歴史を創り語る人獣ワーハクタクの少女。
少女――慧音は頭上に輝く満月を飲み込むようにその口を開け、咆哮の二文字をもって月に吼えた。
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「この竹林に身を隠す妹紅は……先程永琳が仰った通り、竹取物語の時代に蓬莱の薬を口にした……不老不死者です」
ワーハクタクの姿に変身した慧音は、しかしその性格や口調を変えずに鹿島達にに歴史を語りだす。
満月下でワーハクタクへと姿を変える慧音は、普段は一夜というその限られた時間を歴史の編纂に当てる。
隠蔽から創造へと能力を転換させ、虚構の歴史として伝えられた事実やその虚構に埋もれた真実をまとめ、正しき歴史へと導くのだ。
だが今夜、変身した慧音がすべき事の優先順位として、歴史の編纂よりも先にするべき事があった。
「蓬莱の薬を服用した彼女は不老不死となった。
しかし、その代償として身体の成長が止まり、一定の場所に長く身を置ける立場では無くなってしまった……」
慧音の説明に割り込んだのは、鹿島達とはやや離れた所に身を置く永琳であった。
史実の理解度が概念と直結しているこの空間で平然と語るその言葉は、嘘偽りが無い事実である事を意味する。
「各地を転々と放浪しながらも、やはり畏怖の対象となってしまった彼女が最終的にやってきたのは、この地――幻想郷でした。
人間以外の魑魅魍魎が跋扈するこの地では、不老不死者が存在した所で大した影響は出ませんから」
「……それでも彼女が竹林に身を潜める理由は、やはり……」
鹿島の思惑に、永琳はええ と前置きして言った。
「彼女は千年の時を孤独と共に過ごしてきた結果、心に傷を負っています。
他者との関わりを避け、生と死の永遠の輪廻に囚われるその傷跡は……ひどく膿んでいます」
医者の様な発言をする永琳の言葉に、慧音は唇を噛んで拳を震わせる。
永琳はそこで言葉を切って数秒待つが、声を出さない慧音を横目で見ながら自らで続きを語る。
「慧音はそんな彼女の理解者となるべくその能力を使い、心の支えとなってあげた。
しかし……長い時が過ぎた今でも、彼女は心を開きません」
「Ex-Gを己が在るべき場所と選ぶと同時に、Ex-Gの住人を己と関わるべきでは無いと拒絶する……ですか」
「悲しい……いや、哀しい歴史だね」
鹿島と月読は永琳の話を聞いて、その意味を理解しようと己が内で思案する。
――が、
「ですが……先程申し上げた通り、彼女は私達が起こした異変騒動とは無関係です」
「っ!! そんなことはっ……!!」
はっきりと言い放った永琳のその言葉に反応したのは、弾ける様に立ち上がった慧音だった。
だが、続く慧音の言葉を遮るようにして、永琳は言を早める。
「私の言動に概念からの妨害が無いのがなによりの証拠。私達の起こした永夜の物語に、彼女の残滓はありません」
く と言葉に詰まる慧音を、口論の場から外そうと畳み掛ける姿勢を取る永琳に対し、
「――そうでしょうか?」
口を挟んだのは、鹿島だった。
言葉を止めて鹿島を見る永琳と慧音に対し、鹿島は困ったように笑いながら、
「あ、いや……僕がこう言う事を言うのもあれなんですけどね」
「続けてくださいな」
永琳の促しに咳払いを一つ置いて、鹿島は語りだす。
「確かに……確かに彼女は、永琳さん達の持つ異変の歴史においては部外者なのかもしれません。
だけど、私達2nd-Gが担当する永琳さん達との交渉においては、その限りでは無い」
「……何を根拠にそんな」
事を と一蹴する永琳の言葉は、
「全竜交渉とは、歴史の作り出してしまった過去の遺恨を断ち切るために行われるものなんですよ。
彼女は正に、あなた達の歴史が作り出した史実の被害者なのではないですか?」
「………………!!」
鹿島の言葉に、沈黙へと書き換えられた。
反論を殺された永琳は、やがて別の言葉をもって返答へと繋ぐが、
「……仮にそうだとしても、彼女の遺恨は自業自得が生み出した結果です」
「その通りかもしれない。いや、きっとその通りなんでしょう。
でも、だからと言って、彼女の歴史はその結果を望んではいなかったはずです」
柔らかい笑みを重ねて言う鹿島に対し、やはり言葉を失ってしまう。
鹿島は続ける。
「彼女がどこで何を間違えたか……それを理解し、出来る事ならその哀しみを祓う。
それが、慧音さんと僕達2nd-Gが行うべき……彼女との交渉です」
「鹿島……さん……」
「まぁ……永琳さん達の起こした異変の顛末を理解するのと平行して、ですけれどね。
柄に合わず器用な事しようとしてますかねぇ、僕」
「自分で決めた事だろ? 有無を言わさずついてこさせりゃ良いんだよ。
……その姓は飾りかい? 軍神、鹿島・昭緒」
唇を噛んで押し黙る永琳から視線を外し、鹿島は月読へと顔を向けてお互いに笑い合う。
そしてその後、鹿島は慧音へと身体を向けて、その手を差し伸べた。
「2nd-Gは、不死者・藤原妹紅との相対と理解を望みます。
……案内をしてくれますか? 彼女の理解の先達者よ」
「……彼女を……妹紅を……どうか解ってあげてください……
きっと……きっと寂しがってるからっ……」
慧音は震える声で、差し伸べられた鹿島の手を取る。
――そして立ち上がる拍子にその眼から流れたのは、一筋の涙であり、
「……これは……?」
「……どうして、私のスペルカードが!?」
零れた涙粒を月光が照らすと同時に、その微細な光が中心から無数に断ち割れると弧を描きながら触れ合う鹿島と慧音の手に絡みついた。
そして重なるその手に現れたのは、慧音の力が宿る一枚のスペルカード。
「……慧月の概念が、鹿島さんの理解に喜びを見せたのでしょう」
言うのは、諦めたかのようにゆっくりと立ち上がる永琳だった。
「スペルカードは幻想郷の決闘技法。慧音に理解を見せた鹿島さんに、その力をもって私達の歴史との決着を望んでいる」
「鹿島……それは、まさか……」
「ええ、月読部長。これはちょっと……凄いですよ?」
静で答える永琳に対し、鹿島と月読が放つ答えは、震えが混じる動であった。
慧音が鹿島の手から離れ、慧音のスペルカードが鹿島の手へと渡る。
光を纏うその姿を絵札から棒状の物に変えたスペルカードの名を、鹿島が口に出そうとした、その時だった。
・――風炎 感情は比熱を持つ。
慧音の概念に上書きするようにして聞こえた概念条文が、一瞬で鹿島達をその概念空間へと取り込んだ。
上書きの理由は、風炎の概念空間内部の質量が慧月の概念空間の質量を大きく上回ったと言う事であり、
「――妹紅!?」
「近いですよ!!」
事態にいち早く気づいた慧音と永琳が叫んだ次の瞬間、彼女達の周囲に概念の熱波が巻き起こった。
腕を前に出して熱風から身を守る二人に対し、鹿島と月読は顔を見合わせて、
「……この気は、熱田とクサナギかい!? こんな所でなにしてるんだいあいつは!?」
「どうやら、僕達より先に辿り着いてたようですね……」
「な、何を落ち着いているんですか!! はやく、はやくしないと妹紅が!!」
気まずそうに言い合う鹿島と月読を見て、体勢を立て直した慧音は焦りを含めた声をあげて鹿島の袖を掴んで引っ張る。
鹿島は、そんな慧音に視線を合わせるようにして中腰になると、いつもの困ったような笑顔で言った。
「慧音さん。今、妹紅さんと相対しているのは2nd-Gの……剣神です」
「……2nd-Gの……?」
「ええ。そして、彼女の理解を望むなら、まずはあいつ……熱田の、やりたいようにやらせてあげては貰えませんか」
鹿島の言っている意味がわからない慧音を安心させるようにして、鹿島は慧音の角の間に手を差し込んで、優しく撫でた。
「熱田を……2nd-Gの担い手の一人を、信じてください。
あいつはまぁ、やり方に色々と問題はあるけれど、人の痛みを――哀しみを理解するのは、誰よりも上手いんです」
そして、痛みの味を知っているかのような口調で、そう言った。