妹紅は今、七度目の死を迎えようとしていた。
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「腹ぁ貫かれて、血反吐まで吐いて……それでもなお生きてるってのは、一体全体どういう手品だこりゃ」
「手品? 随分と幼稚な発想に行き着くんだなお前は」
数分前に熱田のクサナギによって腹部を穿たれた妹紅は、しかしその事実を否定するかのように傷口を完全に消し去っている。
蘇生を果たした妹紅の力を手品と称した熱田だったが、その力の正体には薄々気づいていた。
「言っただろう? 私は竹取物語に名を残す藤原の娘。……その娘が、お話の後に取った行動をお前は知っているか?」
「さてな」
しかし熱田はわざと答えをはぐらかして言葉を濁し、妹紅に説明を促す。
熱田の方から説明を仕掛ければ、妹紅は嬉々として乗ってくるだろう。
だが、それでは意味が無い。
妹紅の口から言わせなければ、意味が無い。
「……ふん、なら無知なお前に教えてやる。
私は不死者だよ。死と再生を永遠に繰り返す、生命の倫理から逸脱したはぐれ者さ」
熱田が黙っていると、妹紅は苦々しく唇を噛みながら熱田に教授するかのようにその事実を口にした。
嫌そうに。
疎ましそうに。
妬ましそうに言いながら、月光を浴びる身体を浅く抱く妹紅を熱田は見る。
「……不死……ああ、成程なぁ。そうかそうか合点がいったぜ。いや考えてみればそうだよなぁ」
わざとらしく呟き、頭を掻きながらはっはっは と笑う熱田は、
「お前、蓬莱の薬を飲んだのか」
いきなりその表情から感情を消し去り、妹紅を睨んだ。
「ご名答、その通りだよ熱田……そしてこれで、全てが繋がっただろう?」
「ああ。お前の持つ遺恨は蓬莱の薬を地上に残した輝夜に対して残っているもので、同時に、お前のオヤジを馬鹿にした俺に対しても生まれたものであるって訳だ」
竹林に潜む妹紅と史実の繋がりを確認した熱田は、やれやれと大げさにかぶりを振って頭を抱え、
「……あー、面倒くせぇ」
今まで持っていた、妹紅に対する全ての感情を捨て去った。
2nd-Gとは違う世界の、もう一つの竹取物語。
その物語の残滓として世界に残った禁薬・蓬莱の薬を飲んだ忌み子、藤原妹紅。
怒れる不死者に対峙し命を削りあう熱田だったが、その口から漏れたのは心底面倒臭いと言う意思が詰まった、嘆息だった。
「……面倒臭い、だと?」
「あーあーあーあー、何で俺はこう貧乏くじばっか引かされるのかねぇ。
ガキの駄々に付き合うのはこれで何度目だって言ってるんだよ。……面倒くせぇ、本当に面倒くせぇ話だ」
睨みつける妹紅だったが、既に熱田は妹紅の言葉を聞かずに、明後日の方向に向いて毒を吐いていた。
「お前……私を馬鹿にしているのか?」
「さっきから何回も言ってるじゃねぇか、『馬鹿野郎』ってな。
喜べ小娘、お前の馬鹿さ加減は飛場のガキ以上だ……誇っていいぜその頭。あと俺、帰って寝ていいか?」
面倒臭い。眼中に無い。興味が無い。
不死の秘密を明かした途端に豹変した熱田の態度に、
「…………」
妹紅は絶句し、
「…………はっ」
声にならない声を上げ、
「お前は永遠の眠りにつくんだよ、熱田・雪人!!」
今までとは比べ物にならない程の声量と熱量を纏い、妹紅は熱田に突進した。
金色に燃え盛る炎の翼を振り上げて強襲する妹紅に、熱田はクサナギを軽く構えて対峙する。
その表情にはやはり力は入っておらず、気だるげな顔を隠しもせずに半目で妹紅を見据えていた。
「わーったわーったわーったよ……正直かなりダルいがお前の遺恨を祓ってやる。ただし俺のやり方で、だがな。
……方法は実に簡単。3ステップで終了だ」
飛来する鳳凰に言い聞かせるように呟く熱田の言葉は、しかし妹紅には届かない。
「まずステップ1。テメェに概念ってものがどういう意味を持つのかって事を、叩き込んでやる」
感情が比熱を持つ、風炎の概念。
激昂する妹紅が纏うのは、己のスペルカードが生む金色の炎だけであり、
概念が生むはずの熱波の風は今、妹紅の周囲には巻き起こってはいなかった。
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蘇生後、熱田の肩口を貫いた妹紅はその隙を逃すまいと熱田に対して攻めの手を激化させて攻撃を継続させる。
穿たれた肩に繋がる右腕をだらりと下げた熱田は、しかしなおもその両手でクサナギを握り締めて応戦する。
滴る血を鬱陶しそうに振り払いながら妹紅のブレードを最小限の動きで避け、熱田は反撃を繰り出す。
反撃として生まれた熱田の一撃は必殺の一撃では無く、妹紅との距離を開けて仕切りなおす為の布石としての一撃だった。
威圧した空間に刃を具現させるクサナギの性質上、小回りの効く妹紅のブレード相手に距離を詰めて得する事は、熱田には何一つ無い。
しかし、妹紅はその布石の一撃を、己の身体で喰らっていった。
熱田が払うクサナギの刃を自らの手に、腕に、肩に、脚に。
時には修復した腹部に再度押し込んで、自分の身体を鞘に見立てて具現化しようとするクサナギを無理矢理『封印』する。
後は喰い込んだクサナギの刃をレールとして己の身体を滑り込ませて、接近戦を継続していくだけだった。
クサナギの刀身が妹紅の身を切り刻んでいき、血が流れ、肉が削がれ、意識が落ちていく。
しかし不死の身体は、流れた血を炎に、剥離した肉を灰に、暗闇の意識に灯を点し、その全てが逆再生の様に集まって妹紅を蘇生させた。
「は。どうした熱田、その大層な剣で早く私を殺してみなさいな。さぁ早く早く早く!!」
「…………」
特攻を仕掛けながら上げる妹紅の叫びに、熱田は答えない。
ただ黙ってクサナギを操りながら、自ら刃に飛び込んでは命を散らす妹紅の姿を視界に収める。
「何とか言ったらどうなの? さっきまでのお喋りはどうしたのよ」
「…………」
四回目の蘇生を行った妹紅は、ブレードを振り回しながら熱田に問う。
しかし熱田は答えない。
「こんな身体になったのも全てアイツのせいだ。永遠に生き、永遠に死ぬ……永遠の呪縛を、アイツは私にかけた!!」
「…………」
五回目の死を迎えた妹紅は、蘇生途中の血の混じった喉から声を絞り出して怒りを露にする。
しかし熱田は答えない。
「我が父を侮辱したお前も同じだ、熱田。お前と私は死んで……だけど私は生き残る!!」
「…………」
六回目の蘇生を行った妹紅は、身体に纏う金色の炎を揺らめかせながら叫んだ。
しかし熱田は答えない。
――応えない。
「……何とかいいなさいよ……。何で黙っているのよ!! さっきの威勢はどうしたのよ!!
軽口を叩きながら殺してきなさいよ。
激昂しながら風炎の炎を浴びせてきなさいよ。
歩法を使って私の知覚外から攻撃してきなさいよ。
……何でなにもしないで、そんなっ……何で、何で何で何でっ!!」
紡ぐ言葉に感情が篭り、風炎の炎を周囲に撒き散らしながら妹紅はブレードを振り回す。
その姿は、子供が周囲に対して意志を伝える際に使う、感情表現としての駄々のようであり、
永遠の輪廻からの救いを求めるような、悲しみを纏う彷徨者の姿でもあった。
「……何で、そんな顔で私を見るのよ……!!」
「…………」
滅茶苦茶に振り回されるだけのブレードを避け、熱田はクサナギに力を込めて振り上げる。
妹紅はその行為を視界に入れたその瞬間、七度目の死を覚悟した。
だが一瞬で蘇生が行われ、その全てが元通りとなる。
今まで何度も繰り返してきた事だからと、妹紅はその死に対して別段感情を抱かない。
ただ、繰り返してきた数だけ知っている、死に伴う痛みを受け入れる準備として
意識が闇に落ちる前の、視界が赤に染まる激痛に対する準備として
クサナギが妹紅を切り裂くその瞬間、妹紅は静かに目を伏せた。
生と死の変更点。
光と闇の狭間。
輪廻から外されるその一瞬に応じるべくして取った妹紅の行為。
だが、その行為によって生まれるはずであった自然の流れ。
妹紅が迎えるはずだった、七度目の死は、
「……目を開けろ、藤原妹紅」
耳元に近い位置から発せられた熱田の声によって、中断された。
その声の前にも後にもクサナギが妹紅を穿つ事は無く、妹紅は閉じていた目をおそるおそる開く。
滲んだ視界に最初に写ったのは、熱田の顔。
手を伸ばせば届く位置まで迫った熱田の手には、こちらに突き出すようにしてクサナギが握られており、
しかしその刃は、妹紅の肩口に触れるギリギリの所で止まっていた。
「藤原妹紅。なんでさっきっから周囲に風炎の概念が働いていないか、テメェにわかるか?」
「……え?」
眼前にいる敵から距離を取る行為すらも許さぬような熱田の有無を言わさぬ言動に、妹紅は戸惑う。
先程からの気だるげな表情を変えずに淡々と言い放つ熱田に顔を合わせる事が出来ず、
妹紅は視線を逸らすようにして顔を下に向けて言われた事実を確認した。
こちらに対する興味を失った熱田に対して激昂した妹紅は、ほんの数分前まで怒り狂っていたはずだった。
今現在も、少しは落ち着きを取り戻してはいるものの熱田を殺してやろうという気持ちは心の奥で渦巻いている。
「……あれ? ……え、嘘、そんな……何で……」
が、その感情を具現し巻き起こるはずの風炎は、沈静を保っていた。
「俺はテメェが怒る前から自分の感情を抑えていた。つまり風炎が起こるとすればそれはテメェの感情が作るもののハズなんだが……
何も起こらねぇよなぁ? どういう事だこりゃ?」
聞かれる妹紅に答えは生まれず、疑問として残るだけだ。
無言で返す妹紅に対して、熱田はこめかみを少しだけ動かして教えてやった。
「テメェ、さっきっから何に対して怒ってんだ?」
「な、何って、もちろんお前に対してに決まっているだろう!?」
「いーや違うね。テメェの怒りが向かった先は、……テメェ自身だ」
言う熱田の額には、青筋が何本か浮かび上がっていた。
「『怒り』ってのは相手に対してぶつけるもんだろ?
生まれた熱が相手に向かうベクトルを持つから同時に風を生むんだよ。だから熱波になって相手に襲いかかるんだ。
だが……自分の内に生まれた比熱はベクトルを持たない。ただ温度となって自分の中に溜まるだけだ。
そうして蓄積していった熱がテメェのスペルカードと噛み合わさって、結果として不必要にボーボー燃えてた訳だ」
「ば……馬鹿な!! 私が私に対して怒っていただと? で、デタラメを言うな!!」
熱田の言葉を信じない妹紅は事実を一蹴して否定する。
そんな妹紅に対して、額の青筋を増加させた熱田は多少声を上擦らせて言葉を続けた。
「信じようが信じまいが関係ないけどな。……すぐに嫌って程わかるさ」
そう言って熱田は、おもむろに握っていたクサナギから手を離した。
「……お前、何を……?」
支えを無くしたクサナギは妹紅の肩口から離れ、自重のある刀身を下にして地に落ち、突き刺さった。
剣を捨てた剣神は、空いた両手の骨を軽く鳴らして改めて妹紅に対峙する。
至近距離で背筋を伸ばした熱田を見上げる形となった妹紅は、嫌な予感がして後ずさろうとするが、
「な!? こ、こら、何をする、放せ!!」
一瞬で伸びた熱田の腕が妹紅の胸倉を掴み上げ、その動きを止めた。
「さて、それじゃステップ2だ」
「はぁ!?」
無表情で言う熱田だったが、その額には最早無数とも取れる程の青筋が浮いている。
熱田は自分の感情を抑えて、怒りを自分に向ける妹紅に風炎の概念とはなんなのかを教えていたはずだった。
――が、
(……風?)
胸倉を左腕一本で掴まれつつ宙に持ち上げられた妹紅は、ある違和感を覚える。
その違和感は、風炎の概念が作り出すものであり、
「テメェが信じないっつった風炎の概念を再確認すると共に、テメェにありがたーい話を聞かせてやろう。それがステップ2だ」
熱田と妹紅の周りを、暖気の風が上昇気流となって二人を囲むようにして渦巻いていた。
巻き起こる風は次第に強くなり、集まった上昇気流は熱田の頭上を中心点として乱流を作り上げている。
――それは、今まで抑えてきた熱田のある感情が作り上げるものであり、
「あ、ありがたい……話?」
「わかんねーか? わかんねーなら教えてやるよ。……それはな?」
逆巻く暖気が比熱を持ち、
熱田は妹紅の身体を己の下へ引き寄せ、
同時にその頭部をゆっくりと後方へと引き絞り、
「――お説教だよ馬鹿野郎!!」
抑えていた感情を怒りとして放出した熱田は、妹紅に頭上の乱流が作り出した風炎を纏ったヘッドバッドを喰らわせた。