「がっ!?」
熱田の頭突きを喰らった妹紅は、死の瞬間とは違う意識の飛びを自覚した。
解き放たれた熱田の怒りを感知した風炎の概念が乗り、熱風纏う頭突きと化したその一撃が妹紅の視界を黒に染める。
生まれた熱痛と鈍痛が重なり、一瞬遅れて後頭部にも激痛が走る。
刹那の時間を経て意識を戻した妹紅は、最初に自分の視界に飛び込んで来たのが月だという事に驚く。
それは、ヘッドバッドの一撃と共に打ち下ろしで襲い掛かってきた熱風が妹紅を地面に叩き付けたと言う事であり、
(風炎の概念は……熱田の言っていた通りだった。……じゃあ、やはり私の怒りが向かった矛先は……)
その思いを否定する事は、最早妹紅には出来なかった。
妹紅は視界に写る満月を忌々しく睨みつけ、歯を鳴らす。
(……私は、私はどうすればいい!?)
「……まーだウジウジ考え込んでるような顔してるな、テメェ」
聞こえた声に妹紅は思考を中止し、身体を起こそうとするが、
「……どけ!!」
「やなこった」
視界に写る月を遮る様にして姿を見せた熱田は、そのまま倒れている妹紅に馬乗りに飛び乗った。
そしてまたも妹紅の胸元を左腕で掴み、妹紅の上半身を力任せに引き上げる。
そして妹紅の額に自分の額を乱暴にこすり合わせて、溜めた怒りを隠さずに怒鳴った。
「いいか!! テメェが隠れるのも、悩むのも、特攻仕掛けるのも、死ぬのも、生き返るのも自由だけどなぁ……その理由を、人のせいにしてんじゃねぇぞ!!」
「っ……お前に、お前に何がわかる!!」
押される頭部に力を込めて、負けじと妹紅も怒鳴り返す。
だが、接触する部分には風炎の概念が作り出す比熱が生まれ、周囲には熱風が巻き起こっている。
その熱も、風も、全て熱田が妹紅にぶつける怒りが生み出すものである事はお互いにわかっていた。
妹紅が生み出す感情の比熱は、全て自分自身の心の内にある事も。
熱風が熱田の言を通して妹紅に襲い掛かり、肩から生える鳳凰の炎を飲み込むようにして削っていく。
萎縮するスペルカードの炎を絶やさぬ様にする妹紅だったが、
「大体なぁ、馬鹿やらかしたのもテメェのオヤジ自身のせいだし薬飲んだのもテメェが勝手にやった事だろうが!!
それを逆恨みであっちこっちに飛び火させやがって……放火魔かテメェは!!」
「……くっ!!」
熱田の言葉に反論出来ず、口を閉じてしまう。
だが、熱田は口撃の勢いを緩めない。
「俺が!! 何で!! ここまでテメェに対してムカついてるかわかるか!?」
「……私がっ、お前に、殺し合いを仕掛けたからか!?」
問いかけに、何とか声を絞り出す妹紅だったが、
(……違う……)
「死なない私がお前に、私じゃ勝てないお前に、無意味な喧嘩を吹っかけたからか!?」
(……違う、違う……)
「自業自得な父を罵倒され、怒りの矛先を違えたからか!?」
(……違う!!)
「私が蓬莱の薬を飲み、永き時を渡り歩く咎人だからか!?」
(……そうじゃない!!)
心の中ではわかっている事が、言葉に出来ない。
紡ぎ出る言葉の意味が、本心が持つ意味とは違う。
(感情が……制御出来ない)
口に出し、ぶつけるはずの思いが本来の役割を持てないでいる。
感情の暴走とも言えるその行いは、妹紅が先程熱田に言われた事実と同じだった。
風炎の概念が、己の感情を認識出来なかった事。
隠すはずの感情が外に出る、外部崩壊の暴走ではなく。
放出するはずの感情が内に溜まる、内部破壊の暴走だ。
(……やだ……)
自らが口にする言葉が全てを裏切るような、感情の疑念に押し潰されそうになった妹紅は思う。
(怖いよ……)
恐怖。
敵を恐れず、死を恐れず、生を恐れず、世界を恐れなかった妹紅がとうの昔に捨て去ったはずの感情。
妹紅が自分に抱く恐怖と言う今までに経験した事の無い感情を、正確に捉えるものがあった。
――風炎の概念が妹紅の恐怖に、相応の比熱を与えた。
それは、今まで内に溜まっていた自分への怒りが生んだ熱量を一瞬で掻き消し、
スペルカードの作り出す鳳凰翼までもを凍りつかせるような、超低温の感情だった。
「……あ……」
冷え切ったような感覚を持つ喉からは、最早声と言う声が出ない。
怒りの理由を妹紅に問うた熱田は、今は何も言葉を発さない。
質問をしたのは熱田で、答えるのは妹紅。
妹紅が答えない限り、熱田が口を開く道理は無い。
(何か言わなきゃ……答えなきゃ)
(熱田が……何に対して怒ってるのか……)
考える妹紅に対し、答えを授けるのは妹紅自身だ。
だが、感情の暴走が生んだ恐怖が理解しているはずの答えを掻き乱す。
妹紅は焦点の定まらぬ視界に滲む熱田に対し、氷壁から剥がす様にして動かした手を伸ばした。
スペルカードの作り出した鳳凰爪のブレードは消え、その翼も消滅しかかっている。
死を克服した妹紅だったが、自分と言う存在が信じられなくなるこの現象に打ち勝てるとは思えなかった。
ならば自分が自分でなくなってしまう前に、
「あ……つ、た……」
伝えるべき事を、伝えなければ。
先程の問いの答えでは無いかもしれない。
今更自分が言える立場では無いのかもしれない。
輪廻の枠から外れた罪人の台詞では無いのかもしれない。
でも、それでも。
今まさに己を内から消し去ってしまうような恐怖に包まれる前に、妹紅は熱田に願った。
「……助けてよぉ……」
――恐怖の比熱に、完全に意識を奪われるその瞬間。
「正解だ馬鹿野郎!!」
伸ばした妹紅の腕を掴み、熱田は妹紅を恐怖の淵から這い上がらさせた。
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「ガキが好き勝手やって周りに迷惑かけんのは勝手だがな……死ぬほどツラいならそう言えってんだ、バカが!!」
伸ばした手を掴んで妹紅を引き起こした熱田は、妹紅に対して風炎の概念をぶつけた。
しかしその意思は先程から巻き起こしていた、妹紅の身体を押し付ける怒りの熱波では無く、
問いに対して理解を見せたものに与える、内に巣食う妹紅の恐怖を消し去る為の熱量だった。
掴んだその手を媒介にして、熱田は己の比熱を妹紅の内に対して送る。
恐怖が生んだ低温と熱田の意思が生んだ高温が相殺され、妹紅の心に正常な温度が戻る。
意識を取り戻し、焦点が定まった妹紅の視界に写るのは、
「今、怖かったか?」
先程とは違う怒りを見せながら半目で問う、熱田の顔だった。
「答えろよ」
「……うん……」
「返事は『はい』だ馬鹿!!」
声を荒げ、熱田は空いた手で妹紅の頭頂部に手刀を振り下ろした。
「は、はいっ!!」
怒鳴る熱田に従順し言う妹紅の答えに、最早本心との矛盾は無い。
「……殴られたら、痛いだろうが」
「……とっても痛い」
「死ぬ時は、苦しいだろうが」
「……すごく苦しい」
「それでも生き返った時、テメェは何を思う」
「……哀しいよ。とても」
「だったらその感情を溜め込むな!! 言いたい時に言える奴に適当にブチかませば良いんだよ!!」
「……そんな奴は、今まで一人もいなかった……」
「それはテメェが後ろ向き思考全開で悲劇のヒロイン気取ってたからだろうが!! 自分の努力が足りないのを人のせいにすんじゃねぇ!!」
激しい言動を続ける熱田だが、掴んだ手は決して放さない。
「今のテメェに足りないのは努力と根性と行動力だ。待ってればどなた様かが救いの手を差し伸べてくれるってのか?」
「……」
「んなもん千年待っても来やしないんだよ!! 理解者が欲しけりゃテメェで動いて勝手に見つけろ、わかったか!!」
「……お前は……」
「あぁ!?」
妹紅は掴まれていない方の震える手を地面につけ、自らの力で上半身を上げ、自らの意思で熱田に視線を合わせ、
「お前は、私の理解者になってくれるのか……?」
自らの言葉で、熱田に問いかけた。
言葉と同時に、妹紅の目尻から涙が溢れた。
熱田の答えを待たずして流れ出る涙は妹紅の頬を伝い、水滴となって地面を濡らす。
「ケッ。……本当にテメェが必要とするのなら、この概念空間で俺にぶつけてみろや。
それでステップ3の『テメェから行動を起こさせる』をもって、俺の講義は終了だ」
熱田はそう言って、掴んだ手を妹紅の眼前に持ってきた。
「言ってみろ!! テメェは俺に何を望む!?」
「……けて」
「ああ? 聞こえねぇな」
「私を、助けて」
「声が小せぇ!!」
「――助けて!!」
「大丈夫か妹紅!?」
「うるさいわねぇ……助けてって何よ一体」
妹紅の叫びと同時に、竹林の奥から生まれる声があった。
声の出所は、二つ。
一つは妹紅の足側から飛び出してきたワーハクタクと化した慧音の物であり、
一つは妹紅の頭側から姿を見せた、頭に貘を乗せた妖夢を引き連れた輝夜の物だった。
円形に拓いたその空間に集まった者達は、空間の中心に位置していた熱田と妹紅の姿を確認し、
『あ』
と声を上げた。
「……慧音? 何があったの?」
「まさか熱田の馬鹿が何かやらかしたのかい?」
「月読部長、熱田ももういい大人なんですから、やって良い事と悪い事の区別くらいは……」
遅れて慧音側から、永琳、鹿島、月読が顔を出すが、
『あ』
やはり熱田と妹紅の姿を確認すると、声を上げた。
今、熱田は妹紅に対して馬乗りになっており。
手を握り締めながら真剣な顔をしており。
妹紅はその目から涙を流しており。
大声で救助を求めていた。
完全に動きを止めたのは、輝夜、慧音、永琳、妖夢の四人。
鹿島と月読は、顔を見合わせて一度アイコンタクトを取り、小さく頷いた。
「……よぉ鹿島にババァ。……言っておくがこれは違うぞ? 信じろよ?」
訳のわからないまま惚ける妹紅を尻目に、熱田は嫌な予感を全身で感じつつ弁明をする。
が、それに答えるのは動きを止めた四人が大きく息を吸い込む音であり、
鹿島と月読が拍子を合わせてさん、はいと手を振り上げると同時に、
『レイパーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!』
四重奏からなる絶叫が、風炎の熱波を伴って熱田を物理的に押し潰した。