「どうしたのかね八雲君。……月が、そんなに気になるかね?」
「……あら御免なさい。少し、思い出していただけですわ」
「先程言っていた月が語る物語、と言うやつか」
紫と佐山は今、満月の光りが照らし出す無人の街道を並んで歩いていた。
気質によって降り注いでいた天気雨もいつの間にか収まり、翳る物が存在しない月はその存在を誇示するようにして燦然と輝いている。
そんな月を視界の延長直線状に収めながら歩く佐山は首を曲げて、右手側に併走する紫の姿を越す様にして辺りの風景を確認した。
人工的に作られた街道には標識や街灯などは一切無く、延々と続く無限回廊のような錯覚を視覚的に与えてくる平坦な道路であった。
そんな無機質な街道を彩るようにして道の脇に生えるのは、極彩と呼んでも差し支えない程の種類で固められた花々だった。
街道に沿った田園のような広い空間を、しかし街道と世界を隔てるようにして咲き誇る花は、
佐山も知っているありふれたものから名も知らぬ見たことも無い色彩を持つ花まで、無限に等しい品種が己の美しさを競うようにして存在している。
佐山の左手側には静かにせせらぐ川が追従して流れており、街道の下を通じてその花達に潤いを与えているようだった。
夕暮れから歩いている時にぽつぽつと花が点在していた事には気づいていた佐山だったが、月が昇ると同時にこの花の空間に迷い込んだような感覚を得て、
先刻までの空間と花の空間の境目が視覚が得た記憶情報から辿る事が出来ない事に違和感を覚える。
「貴方は、この花達が気になるようですわね」
そんな佐山の思いを見透かしたかのようにして、紫が声をかけてきた。
「いつからこんな美しい風景を目に入れていたか、どうにも思い出せなくてね。……八雲君の能力のせいではないかと思えてきた所だ」
「まぁ、それは言いがかりですわ。私は何もしていません」
「……確かに。八雲君は大体の方向を示しただけで、道を選んだのも先行したのも私の決定だったね」
「きっと貴方が、この花の持つ力に無意識に呼ばれたのでしょう」
「ここまで雑多に群生しているとなると、自然の力だけとは考えづらいね。いくつか知っている種類もあるが……季節も気候もまるで無視して咲いている」
佐山はふと立ち止まり、その身体を終点が地平線へと消える街道から花の空間へと90度向け直す。
自身の中に沸く興味と探究心から、極彩の花畑に足を踏み入れようとしたその時、
「止めておきなさい。……最悪、二度と帰っては来れなくなりますわ」
畳んだ傘を佐山の前へと突き出した紫が、行動と言動で二重の静止をかけた。
「どう言う意味かね?」
「そのままの意味ですわ。貴方はこの一面の花畑を見て、どう思いました?」
質問を質問で返され、佐山は口に手を当てて思案し、やがて答える。
「美しいね」
「………………もう一度」
「? 美しいと言ったのだが」
「………………もう一声」
「とても美しい、と」
紫からされた質問だったので、佐山は礼節の観点から紫の眼を真っ直ぐに見つめながら真剣な顔で答えた。
答えを受け取った紫は佐山から目を背け、数秒押し黙ってから咳払いを挟んで会話を続ける。
「……そう、この花畑はとても美しい。貴方と同じ人間も私と同じ妖怪も、鬼でも妖精でも、その感覚は変わりません」
「……だから」
「だからこそ、私を含む彼らは、絶対にこの花畑には足を踏み入れません」
佐山の言を奪い、紫は一言づつ区切りを入れて佐山に忠告を与えた。
「……言われてみると、先程から人の気配がまるで無いな。これほどの名所なら観光に現れるものがいてもおかしくは無いものだが」
「人間は噂話で。私達妖怪は本能でこの場所の危険性を理解している」
「危険性?」
佐山が問うと、紫は花畑を見据え、
「この場所は美し過ぎる。この魅力は最早、生物の持つ感性から仕掛けられる呪いの域です。……これも、妖怪の仕業なのですよ」
「妖怪……八雲君以外の者、か。一度見てみたい気もするね」
佐山がそう言うと、紫は佐山に顔を向けずに呟く。
「うかつに藪を突くなと、言ったはずですよ? まずもってロクな事にはなりませんから興味本位は捨てなさい」
断言をもって言い切る紫の言に、佐山は口には出さず、
(……彼女は、まだこちらの知らない情報を隠しているな。
知る必要の無い情報か、知ったらマズい情報か。……さて?)
正面から聞いても口は開くまいと悟った佐山は懸念を一度しまいこみ、話題を変える。
「……しかし呪いとは、また非科学的な話だ。Ex-Gは私が思っている以上にファンシーな世界のようだね」
「ファンシーではありますが……メルヘンではありませんのよ? 童話のように最後に救いがあると思ったら大間違いですわ」
意地悪い笑みを浮かべて言う紫に、同じく底の見えぬ笑みで佐山は返し、
「救いとは待つ物では無い。自らの力で勝ち取る物だよ八雲君」
「……知ったような口を叩きますのね」
「知っている者が知らぬ人に教えた事であり……そうして知った人がまた知らぬ者に教えていく事でもある。
……世の中はギブアンドテイクで成り立つと言う素晴らしいサイクルだとは思わないかね?」
「貴方が他人に教授する姿が、想像出来ませんわ」
「当然だ。私は神だよ八雲君? 人間用の物差しなどではとてもとても測り切れぬ存在だ。およそ一光年程私が上回っている」
「……それはもう尺度からして違いますわねぇ……」
紫が呆れ顔で嘆息し、
「――だが、そんな貴方を『量る』権限と力を持つ者が、この幻想郷に一人だけ存在する」
知る者が知らざる者に教授するような口調で、そう言った。
「……何?」
「正確には幻想郷自体には存在していませんが……幻想郷に身を置く者は例外無く、彼女の目からは逃れられません」
紫は事実をそのまま告げるようにして淡々と言葉を作っていく。
『彼女』と言った言葉からその人物が女性であると言う情報を得た佐山だったが、それ以外の所の言葉の真意を掴み取れずにいた。
「私の……何を量る、と?」
「罪」
紫が佐山の問いに、その一言をもって返答として押し黙る。
互いの間に沈黙が生まれ討議に膠着が生まれるが、両者の表情が語る意思には明確な差があった。
紫は沈黙の中に、識者としての余裕を持ち、
佐山は沈黙の中に、懸念から来る疑惑を持つ。
議論の場において、手持ちの情報量は多ければ多いほど良い事は佐山もよく知る所ではあった。
同時に、情報量の底を相手に看破される事はアドバンテージを失う事も知っている。
佐山は未だ底の掴めぬ紫と立場を対等にするべく、質疑を踏まえて情報を引き出そうと口を開くが、
「……情報が欲しいと、そう言う顔をしていますわね」
先に言葉を発したのは、紫であった。
佐山は喉まで出かかっていた言葉を飲み込み、先に言った紫に応答するべく切り替える。
「欲しいと言えば、いただけるのかね?」
「救いは自らの力で勝ち取る物、なのでしょう?」
「ギブアンドテイクと、そうとも言ったはずだよ。いただけるのであれば、こちらもいずれ利子をつけて借りを返そう」
「信用出来ませんわねぇ」
「私は神、君は妖怪。……どちらも常識の物差しで測るのは無意味な存在だ。信頼など端から無理だよ……お互いに、ね」
「信頼出来ぬ者が……同じく信頼出来ぬ者の世界を救う、と?」
「約束は守るとも。私は私のやり方でこのEx-Gを救うと言ったはずだ。
全竜交渉部隊や他面々が、それぞれが各々勝手に衝突して勝手に理解して勝手に助けるので、その結果を吟味した上で勝手に私達を信頼したまえよ」
佐山は途切れぬように言葉を作り、紫と会話を続けていく。
佐山自身の言葉を紫がどう受け止めようと、今は関係無かった。
本心と捕らえようが虚言と一蹴しようが構わない。
重要なのは、紫が佐山の言葉に返答を作る事だ。
返答を返すという事は、即ちどんな感情であれ紫は佐山に対し興味を抱いていると言う事であり、
飽きさせなければ必ず、こちらに対し何らかのアプローチをかけてくるはずと佐山は踏んでいた。
(八雲君が何かを隠している事は明白。
人形を踊らすのは簡単だが……ゼンマイを巻かなければ、人形は動かんぞ)
自らを人形に見立てた佐山は微笑を浮かべる紫を黙って見据え、返答を待つ。
時が止まったかのような二人の会話には、月の光も、花の色も、川の水音すらも、その存在を潜めて様子を伺っているようだった。
「……」
未だ口を開かない紫を、視線だけは外さないようにして佐山は無言で対峙する。
そのまま、五秒。
十秒。
二十秒経過した時、街道に立つ佐山の皮膚感覚を叩くある事象が生じた。
(――雨?)
天空からの落下を経て佐山に触れたそれは、雨粒だった。
低温の水滴が鼻先濡らすと同時に、止まっていた時が動き出す。
「……よろしい」
雨粒に気を取られていたその瞬間に生まれたその言葉を聞いて、佐山は意識を視界の中央にいる紫に戻す。
刹那の間意識から外れていた紫は、いつの間にか畳んでいた傘を再度頭上に展開しながら、不穏な笑みを浮かべていた。
「佐山・御言。貴方は情報を得る媒体として、どのようなものを望みますか?」
「……何を……?」
紫の言動に対し疑問を投げかけた佐山だったが、
現在、この空間に起きている事象についても同様かそれ以上の疑問を持っていた。
佐山の身に降ってきた雨粒が一瞬の加速でその数を無数に増やして降り注ぐと同時に、空間に『あるもの』が生まれた。
風だ。
今まで無風に等しかったその場に突如として吹き始めた風は雨脚とリンクするようにしてその強さを増し、佐山と紫を中心に吹き荒れる。
「この幻想郷には貴方の世界にあるような高度な情報技術は存在しない……が、」
雨を含んだ風が花を揺らし、川面を揺らし、紫の持つ傘を揺らす。
その傘では横殴りとも言える風に乗る雨を完全には防げてはいなかったが、特に気にした様子も無く、紫は言葉を続ける。
佐山は突如として起こったこの気象を、紫の気質である天気雨かとも一瞬思ったがすぐに自身の内で否定する。
昼間に紫が佐山に見せたそれとは明らかに違う、異様な雨である事を佐山はEx-Gを覆う気質の概念を通じて本能で理解していた。
佐山が理解を得たその瞬間。
言葉を区切る紫の追言を待つ佐山を、一際強い向かい風が襲った。
スーツを濡らしていた雨が弾丸となって佐山の顔を襲い、反射的に佐山は両腕を顔の前に合わせて防御姿勢を取る。
佐山の視界が自身のスーツの生地で覆われた、その時だった。
「貴方が望んでようと望んでまいとやってくる、幻想郷唯一の紙面媒体としての情報が……貴方の進む道を指し示すでしょう」
聞こえた言葉と同時に、佐山は腕の防御を解いて前を向くと、
佐山と紫の中間地点に、一人の女性が立っていた。
紫よりも幼く見えるその少女は、短い黒髪に赤い帽子を乗せ、満面の笑みでこちらを見ていた。
風と雨の妨害を受けたとはいえ、気配無く現れたその少女に対して佐山の目が惹かれたのはしかし髪でも顔でも無く、
山伏のような白い服に黒のスカートと言うその衣装と、
少女の背中から生える、烏のように黒い巨大な一対の翼だった。
「――毎度おなじみ射命丸です。本日は『文々。新聞』の号外を持って参りました」
射命丸と言うのが少女の名前であると佐山が理解するまでに数秒を必要とし、
その数秒で少女は下駄の音を響かせて佐山に詰め寄り、一瞬の動きで佐山の手に紙束をねじ込んできた。
佐山の知覚が追いつかぬ速度で動く射命丸と名乗った少女は、既に佐山から離れ、
「ささ、紫さんもどーぞ」
「ありがとう、文。……でも気質は抑えなさいな。これじゃ新聞が読めないわ」
「あやや、これは失礼を」
文と呼ばれた少女が紫に一礼をすると、一帯に生まれていた風雨が高速に規模を縮小していき、やがて収まった。
一時の異常気象が嘘のように霧散するが、咲き誇る花々に付着した水滴が月光の反射をもって作る輝きが現実の物であった事を証明していた。
佐山はオールバックの髪型を手櫛で直し、
「色々言いたい事はあるが……誰かね君は」
「色々取材したい気持ちはありますが……まずは記事をどーぞ。情報にも鮮度がありますので、撮れたてを産地直送でお届けです」
営業用と一目でわかる笑みを絶やさず言う文に佐山はそれ以上の言を抑え、言われた通りに手に持たされた新聞を見た。
『文々。新聞』と銘打たれたそれは、佐山がよく知る普通の新聞だった。
雨で湿ったわら半紙に書かれる文字は不思議と滲んでおらず、大きめの写真を添えて一面に号外の見出しで記事が載っていた。
佐山はその見出しの言葉と、写真を視界に収め、意味を理解し、
「……何……!?」
驚愕の二文字を体言し、その動きを止めた。
記事に添えつけられたモノクロの写真に写るのは、佐山が知らぬ一人の少女と、佐山の知る三人の男女の顔。
知った顔の三人は、色のわからぬ一種類の花が一面に咲き誇っているその地に、その足先を不鮮明にぼやけさせながら低空に浮いていた。
知らない顔の少女にはピントが合っておらずその姿が見て取れなかったが、
「……『楽園の最高裁判長、異世界からの来訪者に電撃裁判を開始。
その者達の名はブレンヒルト・シルト。ジークフリート・ゾーンブルグ。……』」
佐山は見出しの一文をそのまま声に出して読み、
「『……新庄・運切。』!?」
最後に書かれたその人物の名を、口にした。