「ねぇ、ブレンヒルト」
「……」
「あんまり言いたくないんだけどさ、でも事実だから言うよ? 僕は文字が書けないから」
「……」
「もしかして僕達、完全に迷子なんじゃないのかな?」
「だったらどうだって言うのよナメてんじゃないわよアンタ」
「すいませんでしたごめんなさい以後気をつけまあひゃひゃひゃひゃ!! ダメダメそこかさぶた剥がれちゃうのー!!」
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草原。そうとしか表現できないほどの見渡す限りの大草原を横断するのは、一人の少女と一匹の黒猫だった。
少女――ブレンヒルトと呼ばれたプラチナブロンドの少女は、整った顔いっぱいに不満の色を露にしながら自分の足元を平歩していた黒猫を持っていたもので小突いた。
小突かれた黒猫は人語を扱い抗議しながらも、ブレンヒルトに腹を向けて服従の意を表現しながら草原で身悶えている。
十二の世界が一つ、文字を概念とする1st-Gの少女、ブレンヒルト・シルト。
彼女もまた、佐山と同時にEx-Gに足を踏み入れていた。
どこぞの独逸魔女と同じ口調で話す八雲紫とか言う金髪に挑発され、この幻想郷を救うと宣言したのがつい先刻の事。
ブレンヒルトは全竜交渉部隊に属してはいないが、異G代表の全竜交渉監査と言う立場を使い、理由を付けて幻想郷に入る事となった。
概念条文が聞こえたと同時に意識を失い、気づいた時にはお供である黒猫と二人仲良く、この大草原に放り出されていた。
紫がスキマと呼んでいたあの眼球だらけの空間とは違った意味で無限とも呼べる広大な土地を、かれこれ一時間近くも彷徨っていた。
「そもそも私は尊秋多学園の美術室で絵を描いていた筈なのに、どうしてこんな目に」
「それはブレンヒルトがディアナのパチモンみたいな奴の挑発に乗るから……無視して帰ればよかったのに」
「それに服もいつの間にか魔女服になってるし。『これ』だっていつの間に持ってたんだか」
「ねぇブレンヒルト。無視するのは紫とか言うヤツであって僕じゃないんだよ? ねぇ聞いてる?」
黒猫を完全に黙殺し、ブレンヒルトは自らの服装と持ち物を再度確認した。
今身に付けているのは現実世界で着ていた尊秋多学園の女子制服では無く、1st-Gで魔女を名乗る彼女の正装だった。
三角帽子に黒のワンピースと言ういでたちのブレンヒルトは、続けて手に持った自らの武器に目を向ける。
その武器は、ブレンヒルトの背丈以上もある巨大な大鎌だった。
鈍く明滅を繰り返すその大鎌はブレンヒルトの言葉に反応し、刃の周囲に蛍色の光を集めて主人に答えた。
「『鎮魂の曲刃』。ロッカーにしまっておいたはずなんだけど」
「完全装備に切り替わってるね。何か一騒動あるって事じゃないのかな」
「私はあくまで監査としてここにいるのよ? 有事なんて知ったこっちゃ無いわ……売られたら買うけど」
「いい加減その性格直そうよ。全竜交渉終わってから特に顕著だよブレンヒルト」
うるさいわねと一蹴して、ブレンヒルトは歩き出す。
黒猫もそれに続くが、しばらくして疑問の意図を含んだ言葉をブレンヒルトに投げかけた。
「でも『鎮魂の曲刃』さ、何か反応凄くない? いつもそんなに光ってなかったはずだけど」
「そうねぇ。『聞けば』わかるだろうけど、こんな異世界でうかつに振るう訳にもいかないし……」
幻想郷に入ってからというもの、鎮魂の曲刃は不定周期での発光を繰り返し、ブレンヒルトに何かを知らせようとしていた。
1st-Gの概念兵器であるこの大鎌は、死神の鎌とも呼べる現世と冥府を繋ぐ力を持っている。
死者の魂と対話し、場合によってはその力を借りて攻撃出来る、ブレンヒルトの専用武装である。
鎌が統べる冥界には1st-Gの住人達の魂が管理されており、その表れとして蛍色の光が周囲に漏れるのであった。
「僕何かイヤな予感がするよ。やっぱり帰ろうよブレンヒルト」
「ま、もう少し歩いてみましょう。こんな見渡す限りの草原を快晴の下で歩けるなんて、LOW-Gでも居留地でも出来ない体験だもの」
そういってブレンヒルトは身体を伸ばした。
ここ数日、長時間椅子に座って絵を描く動作が続いた為か関節が軋みを上げてほぐれていく。
「ん゙~……っと。あぁ気持ち良い、生き返るわ」
「ババ臭いよブレンヒル」
黒猫が余計な一言を付け加えたが、言い切る前に言葉が途切れた。
ブレンヒルトが伸びを終えて下げた手を使い、空間――黒猫の足元を対象として文字を書いたのだ。
『文字は力を持つ』と言う1st-Gの概念を、1st-Gに属するブレンヒルトは完全とも呼べるレベルで扱う事が出来る。
指先で空間をなぞり紡ぐその線は、歴史の初期に1st-Gで使われていた古代文字。
点と線の集合が文字として昇華する条件は、そこに意味があるかどうかだ。
そしてその存在に意味を持たされた文字を、1st-Gの住人はさらに1段階――力として昇華させる。
ブレンヒルトが黒猫の足元に書いた文字は罰と躾の感情が込められたやや強めの筆跡で、こう書かれていた。
『ジャンプ台』と。
「トおおおおおおぉぉぉぉ!?…………ぁぁぁぁああああああごめんなさいごめんなさい受け止めてええええええええ!!」
書き終えた瞬間に文字は力を発揮し、黒猫を突っ込みの末尾ごと飲み込み、その身体を遥か高空へと連れ去った。
地上十数メートルをゆうに超える最高点まで飛び上がった黒猫は、物理法則の存在しているこの世界に従って自由落下を開始する。
必死な形相で空中で力を込めた黒猫は、落下点を少しずらす事に成功した。
即ち、ブレンヒルトの頭上へと。
「あら靴紐が」
ブレンヒルトは受け止める体勢を欠片も取っていなかった自らの身体を前屈させ、微塵の緩みも無かったブーツの靴紐をとりあえず締めなおした。
すると何故かすぐ前方の草原に、猫サイズの物体が高空から落下するような音と振動が響き渡たる。
響きが収まると同時にブレンヒルトは上半身を上げ、大の字にのびている黒猫の尻尾を掴んで宙に引き上げた。
「反省した?」
「あのねあのねブレンヒルト昇ってる途中は寒くて落下すると熱いんだ!! 大気圏突入ってこんな感じなのかな!?」
「質問したのだから答えなさい」
「したした超した!! こんな蒼天の青空二度と見たくないよ!! 1st-Gの雲が懐かしいなぁ!!」
そこでふと、ブレンヒルトは黒猫の最後の言葉に引っかかるものを感じた。
尻尾を掴んでいた右手を離し、自分の顎に手を当てて思案する。自由落下で黒猫は再度地面に激突するが、ブレンヒルトは完全に無視。
(そうね、快晴と言うより……これは蒼天というべきかしら。異常なまでに雲が無い)
見渡す限りの大草原を覆う空は、やはり見渡す限りの青空だった。
そこには三百六十度どこを見渡しても青空しか無く、細かな雲などは一つとして存在しない。
「……ブレンヒルト、どうしたの?」
「黙って。……なにかおかしいのよ、この空」
復活した黒猫が疑問してくるが、ブレンヒルトは静止の意を返す。
喉下まで出掛かっている疑問に気づけない自分に苛立ちつつ、ブレンヒルトは思考を早めた。
黒猫は心配そうにブレンヒルトを見上げながら、おずおずと小さめの声で言葉を発した。
「空? ……こんな蒼一色の空、描いてもつまらなそうだけどさ」
その言葉を聞いたブレンヒルトは黒猫を物理的に黙らせようと右手を動かそうとして、
ぞくり と背筋を震わせながら、己の動きを完全に止めた。
黒猫の言葉をトリガーに疑問が意味として成立し、
意味は回答へと昇華して、ブレンヒルトの口から言葉となって飛び出す。
「そうよ!! 雲一つ無い見渡す限りのこの青空……やっぱりおかしすぎる!!」
「な、何が?」
「わからないの!? 見てみなさい、この空。
――太陽が無いわ!!」
日中の穏やかな空を表現する頭上の蒼天には、太陽が存在しなかった。
どう言う事かとブレンヒルトが警戒の色を強めると同時、
背後から強烈な殺気が飛んできた。
「……っ!!」
ブレンヒルトは即座に黒猫を引っつかんで前方に飛ぶと、空中で向き直り殺気の正体と対峙する。
そこには、草原にたたずむ一人の少女の姿があった。
短い白髪に緑色の衣装を纏ったその少女は、ブレンヒルトが遠目から見てもわかるほど幼く、小柄だ。
「その場から動かずに私の質問に答えてください。抵抗しなければ斬りません」
「抜き身の剣を振りかざして近づきながら言う台詞とは思えないわね」
ゆっくりとブレンヒルトに近づき、きっちりと手に持った長尺の日本刀の間合いで歩を止めながら、少女は警告する。
ブレンヒルトは文字概念をいつでも使えるよう臨戦態勢を取りながら、少女の言葉を聞く。
「私の名前は魂魄妖夢。貴方達をお連れするよう、我が主から命を受けて参上しました」
「ご丁寧にどうも。私は名乗らないし貴方の誘いにも乗らないわ。わかったらさっさと立ち去りなさい」
「ブレンヒルト・シルトと我が主から聞いておりますが、間違いありませんか?」
「……気が変わったわ。ご主人様の所に案内なさい。
知ってる事、全部吐いて貰うわよ」
「……結構です。ならば、実力行使で連行させていただきます」
肩に黒猫を乗せた魔女は、鎮魂の曲刃を妖夢に突き出して言い放った。
妖夢は蛍色の光を纏う大鎌の刃を見据え、刀を構える。
その時、ブレンヒルトは妖夢の肩口辺りを漂う、あるものの存在に気づく。
鎮魂の曲刃も明滅を繰り返して反応するそれは、ブレンヒルトがよく知っているもの。
白い半透明の球体が、鎮魂の曲刃の明滅に合わせて身体を揺らしながら同じ様に反応している。
「……魂!? 貴女、幽霊……いや、違う」
「――白玉楼剣術指南役兼庭師。『半霊』魂魄妖夢、参ります」
「なるほど、白玉楼の妖夢ちゃんね……貴女、抜けてるって周りからよく言われない?」
「……参りますっ!!」
頬を若干紅に染めた妖夢は長尺の刀を手に突進してきた。
腰に差したもう一刀の存在はとりあえず置いておき、ブレンヒルトは刀を受けるべく大鎌を引く。
その時だった。
(……何!?)
ブレンヒルトは、自身の手首が身体に告げるその振動に意識の全てを持っていかれた。
振動源は黒い時計。
自弦時計が、概念の展開を告げる振動と声を発した。
・――蒼天 連携は鋭くなる。
(これは……!!)
力ある言葉は果たして世界を構築する。
LOW-Gでは聞き慣れた概念条文の宣言だったが、今回は条文の頭に冠詞が付いていた。
一瞬強く震えた自弦時計。打ち下ろされる妖夢の長刀。展開する世界。
三つの事象を受け入れたブレンヒルトは、Ex-Gでの初戦闘を開始する。