ブレンヒルトの令を受けた光の騎士は、遺恨の大剣を妖夢に向けて振り下ろした。
少女とも言うべき妖夢の身体と比べてその剣はあまりにも大きく、
剣が落下する軌道上で既に、騎士の肩口に位置していたブレンヒルトの視界からは妖夢の姿は消えていた。
いくらその身が二つに分かれていようとも。
いくら二刀を交差し防御の体制を整えていようとも。
ブレンヒルトが召喚した圧倒的な力を誇る冥界の騎士の一撃は、濁流の如くその全てを悉く飲み込み、穿つ。
――はずだった。
「耐えるのね、これを!!」
「……その騎士が、生前の性質であったならば、勝敗は決していたでしょう……」
大剣が振り下ろされ、地上の妖夢にその力を解き放つ。
姿の見えぬ妖夢の位置を空中から見下ろしていたブレンヒルトは、しかしその表情を喜に変えず、緊から険へと移行させる。
騎士の剣は二人の妖夢が防壁として組んでいた楼観剣と交錯していた。
妖夢の二刀に、騎士の一剣。
合計三振りの刀剣類が一点に接合した瞬間、異なる霊力が合一点を中心に渦のようにうねり合いながら爆発的な力を撒き散らす。
衝撃波となった霊力がブレンヒルトの視界を一瞬遮るが、すぐに状況を確認したブレンヒルトはあるものを見た。
信じられないもの、では無く。
予測していたものであった。
霊力の押し合いとなった騎士と妖夢の刀剣は、周囲に力を無作為に拡散させながらも均衡を保っていた。
最早二体で喋る余裕など無くなった妖夢は、霊体側の妖夢がその意識全てを防衛行動に回している。
そして肉体側の妖夢もまた苦悶の形相で耐えながらも、たどたどしく口を開いた。
「私の刀は二刀一対。迷いを断つ白楼剣に対し、楼観剣は通常の切れ味の他に霊に対する殺傷力も併せ持っています……。
スペルカードで身を分けた今、霊体の私が持つ楼観剣も、その効果を十割の力で発揮する……!!」
「成程ね。本当の意味での二重の防護、か」
そう言ってブレンヒルトは、召喚の集中力を切らさぬままゆっくりと地上へと降り立った。
上半身だけの騎士の腹部下へと位置取ったブレンヒルトは、その視界に再び妖夢の姿を捉える。
眼前の騎士の対応に全力を尽くしている妖夢は、ブレンヒルトに視線を向けずに言葉を搾り出す。
「これほどの霊の召喚操作など、もって一体!! ……耐え切れれば私の勝ちです!!」
「……そうね、耐え切れれば貴方の勝ち。だけど貴方、色々忘れてない? そんなんだから半人前扱いされんのよ」
「だっ、誰がいつどこで何回半人前扱いされましたか!? 訂正を……って、……え?」
妖夢は歯を食いしばりながら言い切り、ブレンヒルトの思わぬ言動に顔を紅潮させながら否定を返し、疑問した。
己が忘却の彼方に残したものは何かと。
己の理解が足りなかったものは何かと。
己の敵――ブレンヒルトの表情が、
険から緊へと、
緊から喜へと、
喜から一足飛ばしに悦へと変わった理由は何かと。
「やっぱり君はそういうのが似合ってるよ……不本意だけど」
聞こえる言葉は、妖夢の遥か後方。
白楼剣の一撃によって退場した後、ただ静かに戦況を見守っていた黒猫が自身の毛繕いをしながら呟いた。
その顔を自分の身体に埋めながら汚れを取る黒猫の本位を、妖夢は自分の第六感で悟る。
――目を合わせたら、やられる
悟った時には、既に遅く。
騎士の剣と対峙していた横目でブレンヒルトの表情を一瞬確認してしまったその時、妖夢は自分が犯した過ちの一つに気づく事となった。
呪縛のように動かす事の出来なくなった妖夢の目に映る魔女は、手に持った大鎌を不気味に振り回しながら呪詛の様に言葉を紡ぎ出す。
「忘却が一つ。此処は蒼天の概念下である」
連携に対するあらゆる負荷が零になる概念下である事を、妖夢は再度確認する。
だが、これは忘却ではないのではないかと心の中で訂正する。自分の概念を忘れていた事など、一度たりとも無かった筈だ。
「忘却が二つ。私は世界との連携を貴方に見せると言った」
1st-Gの世界。この騎士の具現がそうでは無いのかと再度確認しようとして、妖夢は唐突に気づく。
(この騎士は世界であって……連携では無い!?)
ブレンヒルトは騎士を召喚しただけであって、攻撃そのものは騎士単体の一撃だけだ。
そこに連携を見出せない妖夢は、自分の失態を自覚し始める。
「不理解が一つ。耐え切れれば勝つ、そう言ったけど……耐えてる間、貴方に勝機は無い」
騎士の剣を刀に受けながら、妖夢は自分の犯した過ちを完全に理解した。
回避ではなく防御と言う選択を選んだ妖夢は今、地に縫い付けられている。
切り札と切り札の最後の勝負と思い込んでいた妖夢の、その思考自体が間違いであり、
「前言を纏めて傲慢が一つ。――アンタは私をナメた」
敵は、ジョーカー。『死神の絵札』を隠し持っていた。
「蒼天の概念下だから出来る魔女の舞踊を垣間見て……反省しなさい!!」
ブレンヒルトは妖夢に最後の宣告を告げ、鎮魂の曲刃を振り上げ、
踊った。
空中に。地面に。近隣に。遠方に。
前方に。後方に。原点に。虚空に。
ありとあらゆる方向にその身を踊らせ、戦闘空間に大鎌の刃を刻み付ける。
ブレンヒルトの脳内で作り出される即興の舞踊は、しかし完成されたある種の儀式の体を持つようであり、
綿密な連携を描きながら、蒼天の概念を受けた。
ブレンヒルトが行う鎮魂の曲刃の召喚は通常、呼び出しも制御も一体が限度である。
が、連携の負荷を消し去るこの概念が、不可能を可能にする。
体力、腕力、集中力、決断力、適応力、対応力、精神力。
ありとあらゆるマイナス要素を取り払われたブレンヒルトの舞踊は高速の動作をもって終了し、
「奏でよ咆声。
爪弾け剣線。
踊れ、異界の英霊達よ!!
鳴り響くは蒼天直下の鎮魂歌。一切の悔い無く遺恨を晴らせ!!」
妖夢の周囲に展開された1st-G冥府の道穴から、無数の英霊が召喚された。
手に手に武装を持つ大小様々な英霊は高速化された概念を正確に受け継ぎ、
召喚後即座に、己のなすべき事を実行に移した。
『……見事です!!』
無数の騎士達が振り下ろす武器群に姿が飲まれる直前、
霊体と人体。二人の妖夢は同時に声をあげ、異世界の魔女に敬意を表した。
その言葉には妖夢の本心からなる感情が二重に篭っており、一切の雑念は存在しない。
結果として騎士の大剣を受けていた防御は崩れ去り、
無数の英霊の波状攻撃をその身に受けた妖夢と、戦闘空間を覆っていた蒼天の概念と。
鎮魂の曲刃を妖夢に向けたブレンヒルトとその両目を自らの両手で覆っていた黒猫は、
膨大な霊力の爆発に飲み込まれ、大草原からその反応を消した。
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「よっとと。……ブレンヒルト、大丈夫?」
「毎回毎回役に立たないけど、今回は特別だったわね」
「よかったいつものブレンヒルトだだだだだ痛い痛い痛い!! 迷いが断たれちゃう!!」
「ふん……それにしても、また位置が変わったわね。今度は何処よココ」
英霊の攻撃によって決着がついたその瞬間、ブレンヒルトは何者かに身体を引っ張られるような妙な感覚を得た。
身体が他人の手で宙に浮かべさせられたと一瞬思うと同時に地に足がつくと、黒猫共々見慣れぬ場所へと飛ばされていた。
「……家屋?」
「みたいだねぇ」
そこは、屋敷の縁側だった。
左右に延々と襖続きの廊下が伸びるその縁側は、外側の砂利道を彩る古風な作りをしていた。
大草原でいくらか距離感の感覚が鈍ったブレンヒルトだったが、よくよく見るとこの屋敷も相当な大きさだと言う事に気づく。
目の前の随所に灯篭の立つ砂利道も、左右に伸びる廊下も、終点が見えぬほど深く遠くに広がっていた。
「草原の次はお屋敷ね。人の手が入ってるだけマシって所かしら。あの半霊もいなくなっちゃったし」
「でもここ、人の匂いがしないよ。……気配も」
二人が佇むその屋敷は、異様な静寂に満ちていた。
人の姿が見えない広大な屋敷は、そこに突如放り出されたブレンヒルトの黒猫の存在が薄まり消え去るような虚無感さえある。
「無間空間はもうゴメンよ。とっとと出口を探しましょう」
そう言ってその場から動き出そうとするブレンヒルトの動作を、止めるものが生まれた。
「……お待たせいたしました」
一切の音が存在しないその廊下に透き通るように響く、聞きなれない女性の声。
その声がブレンヒルト達に刺さると同時に、背後の襖がゆっくりと開いた。
開けられた襖の中は、広い和室だった。
様々な装飾で彩られたその畳敷きの部屋の中に、二人の男女が存在していた。
一人の女性は見知らぬ顔。
正座でこちらに身体を向けながら襖を開けたその女性は、どこか幽玄な雰囲気を出していた。
そしてもう一人の男性。
和室の中央に設置された炬燵の上にある急須に手をかけていた初老の男性は、ブレンヒルトのよく知った顔だった。
「………………何してんのアンタ」
「こちらの給仕が不在でな。目下、湯飲みに茶を注いでいる」
初老の男――ジークフリート・ゾーンブルクが平然とそう言うと、そのやりとりを見た見知らぬ女性がくすりと笑った。
「お知り合いのようですし、まずはこちらに来て暖を取りませんか?
……外は、寒いですから」
そう言われた瞬間、ブレンヒルトの背後をいきなり寒気が襲うと同時に、腕の自弦時計が反応を見せた。
・――雪 生物は霊体である。