「妖夢を退けた一件ですが……お疲れ様でした」
「嘘でもいいからお手数おかけしましたとか言えないわけ?」
居間に通されたブレンヒルトは今、中央に設置された炬燵に入り、同じく対面に座る女性と対峙していた。
誰よりも早く炬燵に駆け込んだ黒猫は尻尾を掴んで引きずり出し、よく折檻した上で部屋の隅に転がしてある。
尻を押さえてすすり泣く黒猫の声をBGMに、女性が湯飲みに口をつけ会話を再開する。
「妖夢との勝負は貴女にこの幻想郷がどういう所なのかを知っていただくための、言わば洗礼ですわ。こちらに非はありません」
「良い性格してるわね……。で、その洗礼とやらの結果は?」
ブレンヒルトが問うと女性は、んー と可愛らしく首をかしげ、
ややあってブレンヒルトを指差して、虚空に円を二度いた。
「……なんのつもり?」
「お花はあげられませんけど、上々の成果でしたわ」
「人に向けて指差しちゃいけないって教わらなかったのかしら」
「問題無いんじゃないかしら。今の貴女は、人では無いのだから」
いくらか口調を崩した対面の女性をブレンヒルトは半目で睨むと、女性は子供の様な笑みを浮かべて返答とした。
「いい加減名前くらい教えて欲しいものね……。
『これ』もどうせ、アンタの仕業でしょう?」
ブレンヒルトが半目で睨むと、女性は今気づいたとばかりに目を丸くしながら、
「あら、言ってなかったかしら?
私の名前は西行寺幽々子。この屋敷『白玉楼』の主をやっている者ですわ」
そう言って女性――幽々子は再度、無邪気な顔で微笑んだ。
寝間着の様な姿に帽子を乗せた幽々子の姿は、うっすらと透けており、
それは、『これ』と言って自分の姿を指したブレンヒルトについても同じ事だった。
「流石に経験者は概念についての理解が早いですわ。
その通り。私の持つ雪の概念下では、全ての生物が霊体となります」
その言葉を聞いてブレンヒルトは、先程自弦時計が概念を感知した瞬間に猛烈な寒気と共に雪が降り始めた事を思い出した。
寒さからか、はたまた別の事情か。全身の毛を逆立てている黒猫の姿も現在、半透明である。
「どうやらEx-Gの概念は天候に何らかの影響を及ぼすものみたいね」
「厳密には違いますけど、まぁ大体そんな感じなんじゃないかしら。うん、多分、きっと」
「キャラ崩れるの早いわねアンタ……で、霊体ってのは?」
「読んで字の如く、ですわ。説明しようがありませんけど……全ての生物は肉体を失い、死を経験した後、霊体となります。概念下限定ですけど」
「バカ言ってるんじゃないわよ。死を経験した生物は魂となり冥界に管理される。
それが霊体のまま残り、自分の意識で自律行動出来ている事についてどんな意図があるのかって聞いてんのよ」
一息でブレンヒルトが言い放つと、幽々子は目を白黒させて言葉を止めた。
居間に言葉の音が消えブレンヒルトが温くなった茶を啜っていると、やがて幽々子がクスクスと笑い出した。
「流石は1st-Gの冥界を受け継いだ者。魂の在り方については一家言ありますわね。
これについては謝ります。幻想郷の冥界住人として、魂と言う存在を試行した事について謝罪致しますわ」
笑みのまま、幽々子は深々と頭を下げた。
霊体の頭が炬燵に飲み込まれ、三秒経って元の位置に戻る。
謝罪を受け、今まで起きたいくつもの不条理故に溜まっていたストレスゲージをいくらか下げたブレンヒルトだったが、
「道中大変だったようだな、ブレンヒルト・シルト君」
廊下側ではなく隣室へと続く襖を開けて入ってきたジークフリートの声を聞いた瞬間、倍加とも言える加速をもってゲージが増えた。
「学校じゃないんだからその呼び方止めて」
「道中大変だったようだな、ナイン」
「止めて」
「仲が良いんですのね」
幽々子が笑い、ブレンヒルトは顔の温度を上げながら口を閉じる。
と同時に、泣き声をいつの間にか笑い声に変えて必死で堪えていた黒猫の尻尾を掴んで乱暴に炬燵の中へぶち込んだ。
抗議の声を黙殺し、その背に両足を乗せてチェスト代わりにすると短い悲鳴が聞こえたが、当然のように聞き流した。
「炬燵は足を伸ばして入るものではないぞ、ブレンヒルト・シルト」
「うるさいわね。どうせあんたも霊体じゃない、何の不都合があるって言うの」
「霊体同士では相互に影響し合うと、たった今君と黒猫君が証明したようだが?」
「邪魔なら畳にでも足突っ込んでろって言ってんのよ」
襖や湯飲みに触れられている以上、本人の意識である程度の自由が効く事は証明済みだ。
が、逆を言えば本人の意思で存在を希薄に出来ると言う事でもあった。
「あー大変だったわよ。大草原に放り出されるわどこぞの辻斬り侍に襲われるわ……衣笠書庫の呪いなんじゃないの?」
「あのシリーズは常に返却待ちが後を絶たない。憑喪神が宿るならまだしも、呪詛の類が生じるとは思えん」
「あっそ……。で? 私があの半霊女にヤキ入れてる間、アンタはのんびりメイドの真似事をしてたってわけ?」
「ここの給仕と喧嘩をしていたのは君だ、ブレンヒルト・シルト。それに、私も幽々子君からもてなしを受けていた」
ブレンヒルトはそこまで聞いて、片眉を動かした。
妖夢が白玉楼の関係者だと言う事はわかっていたが、ジークフリートが幽々子と一戦交えていた事は初耳だった。
「へぇ。で、結果は?」
「まぁ、合格と言った所でしたけど……この不思議な飲み物に免じて今回限り、花丸ですわ」
幽々子がそう言うと、ジークフリートは新しく持って来た急須をまず幽々子の湯のみに注ぐ。
ブレンヒルトが飲んでいた湯飲みの中身は、普通の緑茶。
それに対して幽々子の湯飲みに注がれるそれは、湯気を立てた黒い液体だった。
「衣笠書庫で淹れていたらいきなりここに呼ばれてな。和製の道具で作っても、意外とイケるものだ」
「飲んだ事無い味ですけど……珈琲と言うんでしたっけ、これ? 甘味が欲しくなるわね~」
ブレンヒルトは突っ込む気力も失い、さっさと本題に入る事にした。
「で? 1st-Gを二人も試してボロ負けして……。
何が目的にしても、何らかのご褒美をくれるはずよねぇ?」
「私はともかく妖夢のかませ犬っぷりは目に余るものがあったので、とりあえず白玉楼の端っこに落としてきましたわ。
今頃必死に二百由旬くらい走ってるでしょうから、それで勘弁してもらえないかしら?」
「それはナイス判断だけど……連れてきたって何? それが貴女の能力なのかしら?」
「そうねぇ……私からのご褒美としては、貴女達に情報をあげましょう。
まず貴女が『能力』と言った力ですが……」
ブレンヒルトとジークフリートは声を出さず、幽々子が言葉を切り出すのを待つ。
「ぶっちゃけよくわかりませんの」
「オイ」
ブレンヒルトが眉間に筋を走らせて言葉を挟むが、幽々子は笑ってどこからか取り出した扇子をぱたぱたと振るだけだった。
「気質から展開される概念。
決闘技法スペルカード。
そして幻想郷住人が固有に持つ『能力』。
これらは全て、違うものです」
「妖夢は能力なんて使ってなかったみたいだけど? 手加減されてたのかしら、私」
「あの子の能力は地味ですから。【剣術を扱う程度の能力】なんて聞いても、パッとしないでしょう?」
「それであのサイズの長刀をバカスカ振り回せるのなら、大したものね」
「ええ本当に……地味でパッとしないだけで、『能力』は理解次第で色々な事が出来ますわ。
これ、概念と似てると思いません?」
幽々子は微笑を浮かべたまま、炬燵の籐籠に入っていた茶菓子を一つ口に入れる。
「ん。おいしっ」
それを見て、言葉を聞いて、ブレンヒルトは思う。
顔を綻ばせて味わっているその姿は、とても無邪気で、子供のようで、
「先程から思っていたのだが、どうもEx-Gの住人達は言動と態度に含みを持たせるのが好きなようだ」
「あら……それは単なる推測かしら? ゾーンブルクさんは私の態度だけで幻想郷の住人全てにレッテルを貼るつもり?」
「ジークフリートで良い。……なに、ブレンヒルト・シルトも同じ事を言いたげだったからな。代わりに代弁しておいただけだ」
切り出そうと思っていた事を先に言われ、ブレンヒルトは開きかけていた口を再び閉ざす。
ブレンヒルトとジークフリートの視線を同時に受けた幽々子は扇子を扇いでやり過ごそうとしたが、やがて扇子をたたんで観念したように口を開いた。
「わかりました。多少順番が前後しますが……全竜交渉部隊の信頼を得るために一つ、お見せしましょう」
「私は全竜交渉舞部隊じゃないわ。監査よ監査」
「同じ事ですわ。舞台に立てばみな役者……私の台本に、貴女達の名前は載っているのですもの」
幽々子がそう言うと、不意に崩していた姿勢を正して表情を変える。
それは何かを懐かしむような。
誰かを慈しむような。
どこか影のある笑み。
と同時に、ブレンヒルトの座っていた側の炬燵布団から、もぞもぞと這い上がってくる物体があった。
その動きは一塊であるが、居間に生えた頭部は、二つ。
「猫は炬燵で丸くなるって嘘だよあれどこにそんなスペースあるんだよ責任者出て来いよ!! あとこれ食っていい!?」
最初に飛び出てきたのは、いつの間にかブレンヒルトの足下から抜け出していた黒猫。
そして、黒猫が引っ張り出してきたもう一つの生物は、
「――貘!?」
黒猫の引っ張るがまま、無抵抗に姿を見せた霊獣の姿を見てブレンヒルトは驚く。
「見せましょう。西行妖と呼ばれた妖怪桜を巡り、私が行った顛末の一端を。
冬を延ばし春を奪い、妖々の亡霊がこの世界を掻き乱した夢物語――妖々夢を!!」
幽々子の発言と同時、
宙に持ち上げられていた貘がその両手をゆっくりと頭上にかざす。
その直後、ブレンヒルトとジークフリートは幻想世界の過去に包まれた。