ブレンヒルトとジークフリートは過去に来ていた。
しかしその風景は、ブレンヒルトやジークフリートの知っている世界とは全く違うものであった。
夜の帳に包まれた名も知らぬその空間は、その地面を土で、その空を夜色とは違う黒で形取り、
その空間を、無数とも言える程の桜の花弁で彩っていた。
(西行寺幽々子の過去……)
ブレンヒルトは思う。これは幽々子が二人に見せた、彼女自身の過去なのだと。
どのようにして幽々子が貘を見つけ出していたのかは不明だが、幽々子は貘の能力を知っていた上で、ブレンヒルト達の意識を過去に飛ばした。
7th-Gの霊獣、貘は第三者の過去を他者に映像として見せる力がある。
過ぎ去った過去であり再現された映像なので、見せられた側から過去に対してアプローチを仕掛ける事は出来ない。
出来るのは、事実としての再確認だけである。
その事を知っているブレンヒルトは無駄な動きをせず、とりあえず視界だけを展開して過去の映像を情報として取得し、
思案として別の事象について考えていた。
貘が過去を見せる条件として、一つは過去を持つ人物もしくは残留思念の存在する場所に、見る側の人物が存在する事。
そしてもう一つは、見る側の人物が過去を持つものに対して理解を見せる事だった。
貘が行う過去の映像化は、近づいた理解への答え合わせであり無理解者への回答提示では無い。
ブレンヒルト達が幽々子の過去を見ていると言う事は、二人が幽々子に対する理解の兆しを見せたか、あるいは、
(幽々子の方が、『この二人には過去を見せる資格がある』と言う理解を得たと言う事ね)
どちらの資格を得たのかは今のブレンヒルトには決断のつかぬ事だったので、とりあえずと言う事で判断を後に送る。
思考を止めたブレンヒルトはその処理能力を幽々子の過去に回すべく、進み続ける過去の歴史に神経を集中させた。
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「あーもー、いい加減にして欲しいわ」
「何が不満なんだ? 桜が綺麗な良い夜じゃないか。いや朝か?」
「その分神社に春が来てないんだっつーの。結局こんな所まで来て……何がしたいんだか全く」
「本当だな。ここは陰気で暖かいが、森が寒いのは御免こうむる。冬は茸の入りが悪くてなぁ」
「半分はアンタに言ってるんだけどね。こんな所までついてきて……もう帰れば?」
「半分は聞き流してるから大丈夫だぜ。それに、帰りたくても帰れない」
ブレンヒルトの左後方から、女性の声が聞こえて来る。
数は二つ。どちらも年端も行かぬ少女のものだった。
やがて桜舞う暗闇から、声の主が姿を見せる。
一人は紅白の巫女装束でその身を包んだ黒髪の女性。
一人は、黒白の軽装な魔法使い風のドレスを着て三角帽子を頭につけた金髪の女性だった。
金髪の魔法使いは、童話のような魔女の箒にその身を預け、
黒髪の巫女はその身一つで宙に浮き、空を飛びながら前方に向かっていく。
ブレンヒルトが慌てて追いかけ、飛びながらも続ける二人の会話に耳を傾けた。
「ここは地獄の何丁目だ? 幽霊ばっかで人間がいない。ちょいと道を尋ねたいんだがなぁ」
「地獄じゃなくて冥界じゃない? こんなだだっ広い所で一体どこの何の道を聞くつもり? 魔理沙」
「当然、桜の木の場所だよ。お前は何しにここへ来たんだ? 春度がどうとか言ってる奴らを片っ端から倒していった気がしたが」
「桜の木は賛成だけど、アンタの場合は花見でしょ? 私は春を返してもらいにきたのよ」
「おお、そうだったのか。いやまぁ、霊夢の神社で花見をしないと春の実感を得られないのも事実だけどな」
会話の流れから巫女の名前が霊夢、魔法使いの名前が魔理沙だと言う情報を得たブレンヒルトは、聞き慣れない単語を耳にする。
春度。この無数に舞う桜と関係があるのかと考えているうちに、過去の歴史は事態の加速を持って展開した。
「人の屋敷に勝手に上がりこんで……一体どんなご用件かしら?」
「春を返してもらいにきたのよ」
「桜を見に来たぜ」
「前者は却下、後者は許可……でも不法侵入だから、やっぱり二人とも却下かしら?」
「結界張ってる奴って、大抵中で悪い事してるのよね。不法侵入とかどの口が言うか」
「死人に口無し、ってな。食事も出来ないとは亡霊たぁ不憫だねぇ。いや不便か?」
「ここにいる時点で貴女達も人間じゃないのだけれど……亡霊同士、後でお茶でも一杯いかが? お団子は私のもの」
霊夢と魔理沙、二人を相手に一歩も引かぬ軽口の押収を繰り出しているその声は、ブレンヒルトに聞き覚えのある声。
居間にいた時と変わらぬ姿で、突然両者の行く手を阻む位置に現れた幽々子は、
その顔にいつもの微笑を浮かべながら、二人に問いかけた。
「ああ、もしかして春度を運んできてくれたのかしら? うちの妖夢にも頼んだのだけど、貴女達何か知らない?」
「あの半霊の事? ちょっかい出してきたから札貼ったら逃げてったわよ、西行妖がどうとか言って」
「あの半人の事か? ちょっかい出してきたから軽く炙ったら逃げてったぜ、西行妖がどうとか言って。」
「……あの子は後で仕置くとして。
ともあれようこそ。これが冥界、白玉楼が誇る妖怪桜――西行妖ですわ」
「これって、どれよ?」
「だから、これ」
「……あー、これかー……こいつはまた、立派に咲いた事で」
幽々子がこれと言って差す指は、天を向いていた。
霊夢と魔理沙、そしてブレンヒルト達が差された方向である天に向かって顔を上げると、視界にそれが飛び込んできた。
遥か頭上。漆黒の天空に広がる無数の木々に花咲かせるそれは、想像を絶する大きさを誇る桜の樹だった。
その花弁を雨、その枝々を雲、その樹幹を御柱として、空を通して幽々子の背後にある縄杭で聖地化された地面に生えている。
「貴女達が妖夢達から集めたその春度があれば、西行妖は満開となるのです」
「いやもうこれで十分じゃないか? 十二分に綺麗だぜ」
「アンタが幻想郷の春を奪った目的は……それを完全に咲かせる為?」
「ええ。実は、実はね、実話なんだけど……これを満開にさせるとね?」
「満開にすると?」
「何者かが復活するらしいのよ」
「実話じゃないじゃん」
「又聞きだな」
あとどれくらい付き合えばいいんだろうとブレンヒルトが本気でげんなりしていると、
霊夢がちらりと、背後にうっすらと見える西行妖の幹部分に目を向けて言った。
「見た所封印されてあるみたいだけど……満開にしない方がいいんじゃないの?」
「でも封印されてあるって事は、開けてみたくなるじゃない? ……結界を破って入って来た貴女達のように。それに…」
「それに?」
「死を操る力を持つ私が蘇らせる事の出来ない存在なんて、あってはならない事だわ」
そう言って幽々子は手に持つ扇子を霊夢と魔理沙に向けると、己の背後を自身の力を以って装飾した。
開いた扇子を何倍にも大きくしたかのような扇状の陣は、ブレンヒルトの鎮魂の曲刃が作り出す冥府の道穴に似ていた。
禍々しく明滅するその陣から飛び出してくるのは、桜の花弁に負けずとも劣らぬ程の美しい光を放つ、七色の蝶だった。
冥界の反魂蝶を従えて霊夢と魔理沙に対峙する幽々子は、優しさを含んだ声音で言った。
「とりあえず貴女達を殺して春を頂く。その後みんなでお花見しましょ?」
「アンタを倒して幻想郷に春を取り戻す。その後みんなでお花見だわ」
「お前を倒して生きてる春を取り戻す。その後みんなでお花見だ!!」
言葉を返す二人も同時に笑い、三人は無手のその手を眼前にかざす。
各々が異なる名を宣言し、具現するのは力ある絵札。
二対一からなる、変則スペルカードルールの開始の合図だった。
『花の下に眠れ!!』
三人の言葉が重なり、スペルカードの力がぶつかり合う。
合成された力が光の余波となってブレンヒルト達に襲い掛かると同時にその意識は闇に包まれ、落ちた。
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「如何でしたか? これが私の起した異変……妖々夢の顛末です」
言葉が聞こえ、ブレンヒルトの意識は覚醒した。
場所は白玉楼の居間。
己の位置も、対面の幽々子の姿も、横位置のジークフリートの姿も、炬燵布団から顔を出す黒猫も、何もかもが過去へ飛ぶ直前と同じだった。
唯一違うのが、いつの間にか黒猫の手から抜け出していた貘がいつの間にか空になっていた籐籠の中で四肢を放り出して寝そべっている事だ。
「なんか一番良い所で途切れた気がするんだけど」
「実は私もよく覚えてないのよ」
「……鎮魂の曲刃を下ろしたまえ。ブレンヒルト・シルト」
本気でぶったぎってやろうかと思っていたブレンヒルトは寸前で己を取り戻し、大鎌を下ろして代わりに問う。
「覚えて無いなりにでいいから……この結末はどうなったのよ」
「負けましたわ。かなり良い所まで言ったんですけどね。ええ接戦でした。二対一にしてはよくやったんじゃないかしら私」
「そーいうのはいいから……で? 私達に過去を見せて、どういうつもりなの?」
「逆に聞きますけど……この妖々夢を見て、1st-Gの担い手はどう思いましたか?」
聞かれ、ブレンヒルトはしばし考える。
過去を見せられたと言う事は、これがEx-Gとの全竜交渉の結果に直結すると言う事だ。
ヘタに答えれば理解不足と見なされ、交渉結果に亀裂が生じる事となる。
監査と言う立場でならばいくらでも言える事が1st-Gを前提に出される事で途端に言いづらくなる。
LOW-Gを認めた以上、1st-Gの言は世界の言と同等の意味を持つからだ。
横目でジークフリートを見ると、彼は何も言うまいと沈黙を決め込んでいた。
問われたのは、あくまで1st-Gの代表であるブレンヒルトであり、ジークフリートではない。
言うべき事は決まっていたのだが、立場が邪魔をして決断を妨害しているブレンヒルトに対し、
幽々子はいつもの微笑を浮かべて、こう付け加えた。
「……率直な意見で構いませんのよ?」
「馬鹿じゃないのアンタ」
だからブレンヒルトは、率直な意見としてこう返した。
「なー!?」
その言葉を聞いた黒猫は慌ててブレンヒルトの肩にのし上がり、
その両手でブレンヒルトの頬を挟んで首をがっくんがっくん揺らしながら叫んだ。
「ななな何言ってるんだよブレンヒルト!? これ一応Ex-Gとの交渉に入ってるんだよ!?」
「わかってるわよそんな事。率直な意見を聞かれたから返したまでよ。どれだけ考えようとも答えは変わらなかったけど」
いつの間にかブレンヒルトの膝の上に陣取っていた黒猫が言葉を聞いて慌てるが、ブレンヒルトは冷静に言い切る。
「……バカ……」
「そうよ馬鹿よ。でなければ大馬鹿だわ。よくわからん存在を見てみようなんて好奇心で世界の春を奪うなんて、馬鹿の所業よ」
「少々口が悪いなブレンヒルト・シルト」
ジークフリートが窘め、ブレンヒルトは口を閉ざす。
ブレンヒルトは言うべき事は言ったとばかりの表情で、幽々子の判断を待った。
馬鹿と言われ顔を俯かせていた幽々子は、その体勢のまま十数秒の時を過ごし、
やがて肩を震わせ、その顔を勢いよくあげると同時に、
「――あっははははははははははは!!」
笑った。
随時浮かべていた、あの心の奥底を見せぬ微笑などでは無く、
大声で、子供のように、全身で喜びの感情を表現するようにして満面の笑みで笑ったのだった。
「……ふふふっ、合格ですわ。文句無しの花丸をあげましょう。
今この瞬間、1st-Gは私、西行寺幽々子の持つ妖々夢の理解に足る人物だと判断致しました」
「……こんなんでいいの?」
黒猫が理解出来ないといった表情でブレンヒルトを見上げるが、ブレンヒルトはつまらなそうな表情で教えてやった。
「いいのよ、要するに馬鹿が馬鹿らしく馬鹿な事をやった馬鹿物語なんだから。何がそんなに可笑しいのかは知らないけど」
「いえいえ、これは思い出し笑いと言うものですわ。……忘れっぽいだけに、よくあるんですのよね」
未だ涙目であるが落ちつきを取り戻した幽々子は、その身を炬燵から出して縁側の襖に手をかけると、ゆっくりと開けた。
「この調子で他の方々も、幻想郷に理解を見せてくれるといいですわねー……」
のんびりとした調子で言う幽々子は、その言葉を白玉楼の外に向ける形で呟いた。
外は依然として雪が降り積もり、降雪時特有の静寂が辺りを包み込んでいた。
「幻想って言葉に中二病御用達みたいなファンタジーな幻想を抱く奴は案外少ないわよ?
とりわけウチは馬鹿揃いだから、馬鹿同士、意外と理解が早いんじゃないかしら」
「まぁ他の者達は私とは違った意味で異変行事が大好きですから……退屈はさせませんわよ?」
「いいじゃない。7th-Gの連中に言ってやりなさいよそれ。泣いて喜ぶわよあいつら」
「7th-G……中国神話の国でしたっけ。それなら既に相対者は決定してますので、ご心配なさらず」
幽々子はそう言うと、両の掌を打ち鳴らして会話を転換させる。
「交渉も無事終了しましたし、そろそろお帰りの時間ですわね」
「やっと帰れるの? やれやれだわ」
言って、ブレンヒルトはその身を炬燵から出して地に足をつけて立ち上がる。
ジークフリートもそれに続き、黒猫がブレンヒルトの肩に乗った。
が、ブレンヒルトが籐籠の中にいる貘をつまんで持とうとする瞬間、幽々子の手が一瞬早く伸びて貘を掴んで持ち上げた。
「貴方はこっち」
ブレンヒルトが抗議の声をあげようとしたその時、幽々子が思い出したかのように呟いた。
「そうそう。貴女達はこれから貴女達の身体を取り戻してもらうために……地獄へ行ってもらいますわ」
突然、近所に使いを頼むような気軽さでそんな事をのたまった幽々子に
ブレンヒルトも黒猫もかける言葉が見つからず唖然としていたが、
「……霊体になっているのは幽々子君の概念のせいなのだが」
沈黙を続けていたジークフリートが先陣を切って口を開く所を見ると、彼にとっても相当に予定外の事態であるらしかった。
「そうよ、そもそもまだ十分に説明がされてないわ。
概念ともスペルカードとも違う『能力』って、何?」
「私の能力は【死を操る程度の能力】。
説明は地獄で行ってもらいます……Tes?」
「……あんた、それ!?」
「一度使ってみたかったのよね~。クセになりそうだわ」
契約の意を持つ言葉を唱えた幽々子はブレンヒルトの驚きを意にも介せず、
二人に気づかれるより先に、その両手をブレンヒルト、ジークフリート両者の眼前にまで持っていった。
「理解を終えた貴女方は裏方へ回ります。
その為にまずは……超特急であの世へ送って差し上げますわ」
ブレンヒルト達がその手を払うより速く幽々子はそう言い残すと、計六つの瞳と視線を合わせた。
吸い込まれるようにして幽々子の目を見たブレンヒルトと黒猫、ジークフリートは、一瞬だけ身体を揺らせ、
白玉楼の居間から、その姿を完全に消し去った。
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「ただ、いまっ、戻りっ、ましたっ!!」
「あらお帰りなさい」
幽々子と帽子に乗せた貘以外の姿が消えた居間の隣室側の襖を勢いよく開け放ち、妖夢は帰ってきた。
ボロボロになったその身は満身創痍といった体であり、妖夢は憔悴しながらも姿勢と礼儀に気をつけながら主人である幽々子に帰還報告を告げる。
「あの二人は!?」
「予定通り旅立ったわよ~。今頃彼岸か、はたまた黄泉路か……死神にでも聞いてみたら?」
幽々子は炬燵に入って湯飲みに口をつけながら、いつもと変わらぬ様子で言う。
依然として湯気立つそれを喉に通して一息つくと、幽々子は頭上の貘を優しくつまんで妖夢にそっと差し出した。
「な、なんですかそれ?」
「可愛いでしょ~? 貘ちゃんって言うんだけど……ちょっと妖夢に、お使い頼みたいのよね」
「……なんなりと」
ブレンヒルトとの戦闘後に白玉楼の端から端まで走らされた妖夢は、しかし庭師としての根性を見せ笑顔で了承する。
「貘ちゃんをね、今から言う所に届けて欲しいのよ。渡す人は行けばわかるわ」
「はぁ、わかりました」
あえて理由は聞かず、妖夢は差し出された貘を受け取る。
完全無抵抗の獣をどこにしまうか考えていた妖夢は、やがて躊躇いがちにその頭上にそっと乗せた。
「に……似合ってる……わ、よ……っ!!」
「――行って参りますっ!!」
笑いを噛み殺して賛辞を送る幽々子に対して、顔を真っ赤にした妖夢は出発の意を残して縁側に出ようとする。
「……あ!! 待って妖夢」
「まだ何か?」
頭上の貘を落とさぬようにゆっくりと振り返る妖夢を小動物を愛でるような目で見ながら、幽々子は追加の注文をした。
「この珈琲に合うような茶菓子を買ってきてちょうだいな。
……帰ってきたら久し振りに、外でお花見でもしましょうか」
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1st-G×Perfect Cherry Blossom.
END