「……とまぁ、そんな事があった訳なのですよ」
「なるほど、冥界を跨ぐ大スペクタクル巨編だったのだね。
……ところでこの話に八雲君の姿が出てきてないみたいなのだが、君は傍観者だったのかね?」
「そんなようなものですわ。
あくまでこの妖々夢は冥界の亡霊・西行寺幽々子の物語。私が行った事と言えば……語るのも億劫な、つまらない後始末です」
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人気の無い幻想郷のあぜ道を歩く佐山・御言は、同じくして追従する八雲紫から妖々夢の顛末を簡単に説明されていた。
スキマから幻想郷に身を落とした佐山は紫の忠告通り、貘を探すべく広大な大地を放浪していた。
それは決して当ての無い旅では無かったが、紫の
「こっちの方向に行けば何か良い事がありますわ。たぶん」
と言う無責任かつアバウトな助言による適当なものだった。
小一時間も歩いた所で、それまで雑談しかしていなかった紫がわざとらしく唐突に切り出してきた話題が、
この幻想郷で過去に起きた事件である妖々夢の顛末であった。
「この様な、住人が時として起こす迷惑極まりない厄介事を……私達は『異変』と呼びます」
「過去に起きた異変を、私に話す理由は何かね?」
「一番の理由としては、全竜交渉前の予備知識として知っておいて欲しかったのです。
気質の事、スペルカードの事、そして……能力の事を」
紫がそう言うと、おもむろに開けた空間のスキマから愛用の日傘を取り出した。
そしてその日傘を己の頭上に掲げ、開く。
展開した日傘が紫の身を隠すと同時に、幻想郷の空から音の無い雨粒が落ちてきた。
その空は雲こそあれど、高く昇る太陽から日が差す晴天であった。
晴天の空から降る雨が佐山の身に当たるその瞬間、
紫がその身体を佐山に預ける程に近づけ、日傘の下に二人の身体を入れて雨粒を遮った。
「相合傘とは……八雲君も随分と積極的だね?」
「これが気質と呼ばれる力ですわ。大体が天候何らかの異変を与え、周囲を概念で包みます」
完全に無視して紫がそう言うと、佐山はふむ と頷きながら、手首に巻いた自弦時計を指差す。
「八雲君の気質は……天気雨かね。しかし現在、概念の類は出現していないようだが?」
「私は概念空間を抑える程度に、自分の気質をセーブ出来ます。大抵の者は制御出来ずに展開されてしまいますが」
「八雲君の概念を見る事が出来ないのは残念だ。積極的かつ消極的なのだね君は……ダブルSだね?」
「濡れて行きますか?」
「それは困る」
紫は溜息を一つ。気を取り直して会話を再開する。
「スペルカードについては……今はお話だけで。あれは見せるだけと言う訳にはいきませんから」
「決闘技法とは、また物騒な話だね」
「これ以上無い安全な話ですわ。このルールが無いと、私達妖怪が行う戦闘など殺し合いにしかなりませんから」
「……八雲君は、人間では無いのかね」
紫はあら と自分の口に手を当ててわざとらしく失言の意を見せた。
「まぁ、亡霊の類が闊歩する世界だ。妖怪がいても今更驚かんよ」
「適応能力が高くて助かりますわ」
「褒められついでに言及するが……最後の能力と言うのは、八雲君のスキマの事だね?」
「Tes.」
紫が契約を意味する言葉を口にする。
挨拶から肯定までを一手に意味するこの言葉は、全竜交渉部隊が属する組織・UCAT内部の人間が日常で使う言葉であり、
「便利な言葉ですわね、これ」
「便利であるが故に、色々複雑な意味を持つ言葉でもあるがね。興味本位で口にしない方が無難だ」
「心に留めておきましょう。ともあれ私の能力は【境界を操る程度の能力】。スキマもこの能力の一端ですわ」
佐山は幻想郷の住人が扱う三種の力の説明を聞き、思案する。
「双方に影響のある概念。Ex-G住人のみが扱うスペルカードに能力、か。どうにも私達に不利な状況だね」
「私達のホームですもの。アウェイの参加者にハンデがあるのは当然ですわ。
しかし貴方達はそれを乗り越え、必ずやEx-Gとの交渉を終えてくださると信じております」
「期待に答えられるよう善処する所存だよ」
紫が微笑み、佐山は無表情で応じる。
「しかし私が頑張る為には新庄君が必要不可欠なのだがね。そろそろ会わないと私の中の新庄君成分が尽きてしまうのだが」
「……新庄君成分……?」
「知らないのかね? 私を構成する要素で一番大事なものだよ」
「尽きるとどうなるのかしら」
「恐ろしくて考えた事も無いが、おそらく神をも恐れぬ所業に出る」
「全力でお断りしたいので会わせてあげたいのは山々なのですが……現時点では無理ですわ」
「何故かね?」
「彼女もまた、参加者としての役割を全うする義務があるからです。今頃はどこにいるのかしらねぇ……」
紫はそう言って、佐山に向けていた顔を前に向きなおした。
しかしその瞳はどこか、ここではない遠くを見ているようで、
「魔があり、夢があり、夜があり、花があり、
風があり、天があり、地があり、星がある。
萃めた想いが異変を起こし、かくて幻想は竜となる。
過去の異変に触れ、理解を示し、その真意を刻む事が、私達の願いですわ」
「Tes. 今の言葉、忘れないでおこう。新庄君は自他共に認めた私の分身だ。
姿は見えずともわかる。必ずや己の交渉を成功させている事だろう」
紫の視線を追い、佐山が返す。
しばし無言となった空間に再び言葉の音を作ったのは、佐山だった。
「先程八雲君は『一番の理由』と言ったが……二番目の理由は何かね」
「ああ……まぁ、大した事ではありませんが。
私が妖々夢の話を、終盤から話したのは、その理由があるからですわ」
紫はその表情をいくらか曇らせ、細々と話しだした。
「霊夢と魔理沙が冥界に乗り込み異変を解決する前に、まぁ前哨戦とも言うべき戦いがあったのです。
妖精やら人形使いやらが出張って、道行く二人に襲い掛かったのですわ」
「ふむ、話に出てこなかった者達だね。それで? その者達に気をつけろと、そう言う事かね」
「全くの逆です。いいですか? 異変の大筋に関わらない、興味本位の者達に構ってはいけません。
その者達も気質を持ち、スペルカードを扱い、能力を司りますが……相手をするだけ無駄です」
「また随分と邪険に扱うものだ。彼らも舞台に立つ役者なのだろうに」
「台本通りに動かない役者程扱いづらい者も無いですわ」
「その気持ちはよく分かる……が、こちらの人員もそれについては相当なものでね。
それ故に……惹かれあうものだよ」
「まぁ、一応忠告までに、と言う事で」
「うかつに藪をつつくな、と言う事か」
佐山がそう言うと、紫はしばし考え、やがてくすりと笑ってこう返した。
「藪を突くのはオススメしませんけど……あるのですよ。どこかの竹藪にも、異変の残滓が」
「竹藪に根付く物語か。まるでどこかの童話のようだね」
「神話の時代から続く、月が語る物語ですわ」
「神話か。それなら適役の者達がちゃんといるから安心したまえ。惹かれあうが故に、対応も心得ているはずだ」
佐山は言って、その歩を早める。
「私は私で惹かれるままに動くとするよ。さぁ行こうか八雲君、日が暮れる前に『進撃せよ』、だ」
「……それは、どう言う意味なのかしら?」
「何でも知っているくせに変な所だけ知らないね。
これは奮起と行動のキーワードだよ八雲君。耳にし、口にすればどんな者でも実行に移す」
「それも、一種の概念ですの?」
「違う。極々当たり前の、人の持つ可能性だよ。……最近は、そんな当たり前が出来ない馬鹿も多いがね」
様々な過去に向けるようにして佐山は言い、いつの間にか止んでいた雨に濡れたあぜ道を足を動かし前へ進む。
その意味をしばらく考えていた紫だったが、
やがてたたんだ日傘を持った拳を前に突き出し、誰とも無く呟いた。
「……ごー、あへっど……」
誰にも気づかれる事無かったその言葉を紫は心の中で反芻し、気恥ずかしさから来る笑みを隠すようにして急ぎ佐山へと追いつくように身体を動かす。
時は進み、いつの間にか陽が沈みかけていた世界は夕暮れに包まれた。
沈んだ太陽の反対側からは、天秤のようにして月が顔を覗かせる。
その月は薄い線で弧を描きながら、黄金律とも言える程の美しい図形を描いていた。
今夜は、満月になりそうだった。