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「それでは、今月のまとめを行いますっ」
言葉通りの文言が可愛らしくレトリックされたフリップを正面にかかげ、そう切り出したのはエリちゃんだった。
「エリが仕切りだすなんて珍しいな」
「っていうかどこから持ってきたのそのフリップ…」
よしみちゃんの言うとおり、エリちゃんがこういうふうに切り出すことは意外と珍しい。
しかしながら公認保護者であるところのアカネちゃんは特に意に介さず、「あ、ねえいちご、ガムシロップとって?」と言って、注文の品であるアイスコーヒーの味付けに余念がない様子で。
「店長さんに言ったら出してくれたっ」と、エリちゃんがすかさずその由来を説明する。
「言えば何でも出てくるよねこのお店って」と、これまでの経験を踏まえたうえで私も同意する。
「…HEROみたいだね」
「それはきっと、“あるよ”の一言で一世を風靡した、田中要次さん演じるバーテンダーがいた、東京地検城西支部いきつけのバーSt.George's Tavernのことを言っているんだよね、ふみ?」
「…姫ちゃんは欲しいところに欲しい解説を入れてくれるから、私、感激…」
「ふ、ふみちゃん…?」
「木村拓哉ふんする久利生公平が寿司を注文して“あるよ”と返してしまった要次涙目」
「いちごちゃんもっ?」
桜ヶ丘高校の最寄り駅からすぐの喫茶店内のボックス席、である。
私立という性質上、電車通学をする生徒も多いということもあるけれど。
駅の周辺が一番の繁華街ということもあって。
放課後の学生たちはもちろんのこと、界隈の若者がよく利用するお店でもあり。
店主が桜高のOGということもあってか、利用者の大半は桜高生だった。
かくいう私たちも、球技大会という新年度最初の行事を終えた帰りに立ち寄ったところだった。
「…いちごぉ、シロップぅ…」
私の眼前では、いまだガムシロップをとってもらえていなかったアカネちゃんが、甘えたような声でいちごちゃんにねだるという珍しい図が展開されている。
今年の球技大会の種目がバスケットボールということもあり、二組のバスケトリオである信代ちゃん潮ちゃん慶子ちゃんの八面六臂の活躍の裏方で。
アカネちゃんを始めとする“球技経験者”もかなりの運動量を要した大会だった。
消費した糖分を補うため、アカネちゃんたちはこのお店の看板的メニューである“女子パフェ”を平らげ、アフタードリンクとして注文したアイスコーヒーが人数分運ばれてきたところだった。
…でも、その言い方だとなんだか…、
「その並びだと“いちごシロップ”という別物を要求しているように聞こえるぞ?」と、私の思いを代弁するようによしみちゃん。
手にしたガムシロップを弄びながら、いちごちゃんが応じる。
「っていうかアカネ、ダイエット中でしょ」
「い、いいのっ。甘いものは別腹なのっ」
普段は大人しいアカネちゃんがむきになる数少ない瞬間である。
女の子としては、体重という数的指針は、世にあふれるどんな数字よりも気になるもの。
もちろん、平均よりサイズミニマムな私とて例外ではない。
いくら食べても太らない家系である木下家ではあるけれど、甘い物の取りすぎというのは、女子的に流石に気にすることだった。
その点、身長やら胸やらへ十分に栄養が行き届いているアカネちゃんが、スタイル維持のためにダイエットをするというのは至って普通であると思うのだけれど。
同級生でこれほどまでに発育の異なる私にしてみれば、なんとなく面白くない発言だったので…。
「…それは私へのあてつけなの、アカネちゃん…」
「えっ?ち、違うよしずかっ。ほ、ほらっ、しずかはいくら甘いもの食べても太らないし」
「大きくもならないけど」
「ちょ、いちごっ」
「…いいの、アカネちゃん。わかってるから。球技大会で三年生カラーのジャージ姿でいながらも、後輩のみならず同級生からも先生たちからも、生徒の誰かの保護者が連れてきた妹さんが紛れ込んだと勘違いされて観覧席に連れて行かれそうになった私は、きっとちびで童顔で鬼太郎なんだって…自分の身体のことは自分がよくわかってるから」
「いやいやっ。あたかも不治の病で床に臥せっているヒロインが絞り出しそうな諦観の一言を、そんな悲壮感漂う表情で言われてもっ?」
「…わかってるって言う割に、大抵のヒロインが最後には無茶をして感動のフィナーレなんだよね?」
「それはもうヒロイン病死のフラグ立ちまくりですよね文恵さんっ?」
「生涯という名の“幕を閉じる(=フィナーレ)”?」
「よっしーがうまいこと言ったっ」
「死に際になってようやく自分の気持ちに気づいて告白したってもう遅い。さっさと死ねばいいのに」
「出たっ、いちご死ロップっ」
突っ込みマシーンとしても大活躍するアカネちゃんだった。
しかし、そんなやりとりをもってしても、私の傷はふさがらない。
拠り所は、最早この世にただひとつ…。
「うぅ、早く大きくなりたいよぉ」
「おーよしよし。大丈夫、あたしたちはまだ成長期なんだから、しずかだってこれから大きくなるよきっと」
「姫子ちゃぁんっ」
「はいはい」
「ミルクちょうだいぃ」
「誰がお母さんかっ…ちょっ、しずかっ、顔ぐりぐりしないでっ、くすぐったいからぁっ。はぅっ」
ふかふかの姫子ちゃん。
やわらかい姫子ちゃん。
いいにおいのする姫子ちゃん。
幸福を感じる瞬間とは、まさに今この時のことをいうのだろう。
しかし、そんな時間も長くは続かない。
平和というものが仮初の休息でしかないということを、私たち人間は知っている…。
「ってシリアス展開に持ち込もうったってそうはいかないよーっ」
ずがしゃあっ
とテーブルクロスをひっくり返す勢いでエリちゃん。
実際、某巨人の星のお父さんの得意技であるちゃぶ台返しのようにひっくり返され宙を舞った机上のドリンク類だったけれど。
それぞれがそれぞれの飲み物を一滴もこぼさず受け止めていく光景は、他のテーブル席の桜高生にとっても圧巻だったようだった。
「ぉほんっ」
咳払いをしたエリちゃんを神妙な面持ちで見つめる私たち。
するとエリちゃんはこれまでのやりとりが無かったかのように、
「今月のまとめを行いますっ」
冒頭のように改めて宣言したのだった。
それぞれの反応を記載すると以下のようになる。
「…えーと、まとめって?」首をかしげる私の横で、
「…今月っていうと、四月のこと、だよね…?」意図を確かめるふみちゃんの隣で、
「何を今さらって感じだけど…そういえば、毎月そんなことやってたよね、ここで」思い出したようなアカネちゃんの正面で、
「今月のイベントと言えば、クラス替えとか新入生歓迎会とか、今日やった球技大会とかだよね?」指折り数える姫子ちゃんの隣で、
「まとめるって一言で言うけど、一体なにをまとめるつもりなんだ?」疑問を投げかけるよしみちゃんの横で、
「ふっふっふ。決まっているではないか諸君っ」何やら含むところのあるエリちゃんが叩いた自身の胸板を横目に、
「やっぱり、まな板だといい音鳴るね」いちご死ロップという毒を吐いたいちごちゃん。
すかさず、いちごちゃんの口を押さえる私とエリちゃんを羽交い絞めにするよしみちゃん。
バトバレ現役生による不毛な言い争いが始まる前に、姫子ちゃんがその真意を問うようにすすめてみると…。
「決まってるじゃないっ」と勢い込んだエリちゃんは、握りこぶしを作って天井に向かって高らかに突き上げると、
「今月のMVPを決めるのよっ」
…えー、と?
「―なるほど、そういうことか」
「えっ?今のでわかったのよしみちゃんっ?」
「―つまり、四月の学校行事で一番活躍した人を決めようってことね」
「姫子ちゃんは本当に欲しいときに欲しい解説をしてくれるよね…」
「―…一人一票の原則ってことでいいのかな…」
「ふ、ふみちゃん?か、顔が怖いよ…?」
「―ふっ。エリも味なことをしてくれるわ」
「アカネちゃんのこんなにいい顔、試合中にも見たことないよ…?」
「―私の気持ちは端から決まっている」
「いちごちゃんも全国大会レベルで格好いいよっ?」
な、なんだろう。
拳を握りしめた皆の姿に、ただならぬ気配を感じるのだけれど…。
そして、なんだかとっても嫌な予感がするのだけれど…っ。
「―よーしよし。皆の衆、心は決まったみたいだな」
「「「「「もちろんっ」」」」」
私以外の皆がシンクロする。
その具合がこわすぎるよーっ。
「それでは…っ、せーっ、のっ」
「始業式の日っ。教室を間違えたしずかの慌てっぷりに一票っ」
「新入生歓迎会っ。恥ずかしさのあまり気絶したしずかに一票っ」
「新入生歓迎会、の前日。私の胸の中のしずかに一票」
「し、新入生歓迎会…バトン直撃後のしずちゃんに一票…」
「球技大会っ。全試合フル出場の上ラン・アンド・ガンの要となったしずかの走りに一票っ」
開票の結果。
上から姫子ちゃん、よしみちゃん、いちごちゃん、ふみちゃん、そしてアカネちゃん。
って、ふみちゃんその片手の写真はなにっ?
しかもこれってっ、
「出ましたっ。新年度第一回、木下杯争奪人気投票卯月賞っ、その結果はーっ?」
ででんっ
「おめでとーございますっ。新入生歓迎会の木下しずか嬢、得票数三票による当選ですっ」
「くぅっ。やっぱりレオタードしずかには勝てなかったかーっ」
「ふっ。姫もまだまだ甘いね。気絶したしずかを受け止めるいちごっていう絵に需要があったんだよ」
「ハグ二回の私が一番の役得」
「ず、ずるいよいちごちゃんっ…わ、私だってその気になれば、しずちゃん気絶させられるもんっ…」
「球技大会の熱さは番外編で語るしかないようね…」
三者三様の一喜一憂の姿を見て。
いろいろもろもろと言いたいことや考えるべきことがあるけれど。
取り急ぎ確認しなければならないこと。
「ふ、ふみちゃんっ。その写真って、もしかして他にもあったりして…?」
「…え?うん、よくわかったねしずちゃん。写真部さんと撮り合いっこして、歓迎会の他にも球技大会のとか…デジカメのメモリカード全部埋まっちゃったの…」
「そんなにっ?」
「見る?」
「う、うんっ。ぜ、是非確認させてほしいかなっ?」
「あ、でも…」
「な、なに…?」
「データ、さっき下校する前に、写真部さんに全部あげちゃったんだった…」
「ええーっ?」
「ごめんね、しずちゃん。今度、一緒に写真部さんに見にいこう…?」
「そっ、そんな悠長なことは言ってられない…っ?…は、放してエリちゃん…?」
「だいじょーぶ。大乗仏教だよしずか。しずかの成長の記録はちゃーんとあたしたちが保管しておくから」
「っ。写真部を操ってるのはエリちゃんなのっ?」
「あっははー、まっさかーっ」
「っ?」
「なんと、黒幕はちかりんですっ」
「呼んだ―っ?」
「ええっ?ち、ちかちゃん、なんでっ?どーしてっ」
「んー?なになに、なんのこと?」
「…相変わらず面白いことやってるわねあなたたち」
「あら美冬。オーラル部は今日休み?」
「ええ。ソフト部もでしょ?球技大会でもうくたくただし、写真部との打ち合わせもあったしね。今日の私はこの子の付き添い」
「…なるほど。全学新歓の参謀が黒幕とは、しずかも浮かばれないね…」
「あら、なんのことかしらバレー部長さん」
「凸参謀恐るべし」
「バトン部長さんも。どうやらバトバレの責任者さんとは一度じっくりお話しする必要があるようね」
「「ひぃっ」」
「…美冬、その顔は放送禁止レベルだぞ?」
そんなこんなで、あれやこれやで。
一抹どころか無数の泡沫レベルの不安を胸一杯に抱えて。
三年生最初の月、四月は過ぎていったのだった。
…来月は修学旅行があるけれど…。
私、無事に行って帰ってこれるのかな…。
<四月・了>