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きれいなものを見つけたから
見えなくなる、その前に
「…大仙院とは、正式には、京都府京都市北区にある臨済宗の大徳寺内にある塔頭寺院のことを指し、永正六年―西暦で言うところの千五百九年だな―に大徳寺七十六世住職の古岳宗亘によって創建された。なんとこの人は大聖国師でもあったんだ」
修学旅行二日目。
クラスごとに編成された少人数のグループで京都を巡る、いわゆる班別研修の日。
「そして現代。二十二にも及ぶ大徳寺塔頭中、ここ大仙院は北派本庵として最も尊重重視される名刹として昔と変わらない佇まいを見せている…まあ、」
こうしてお抹茶をいただけるくらいには、開かれてきたということだろうけどな
そう締めくくったよしみちゃんの手にも、私の手にも、ざらりとした感触を伝える茶入が握られている。
中身はまだ温かい。
境内に注ぐ陽光がその濃い緑色にコントラストを与えている。
その水面に微かに映る自分の顔が、時折ふくそよ風に揺らめくのを見ながら、よしみちゃんの話に耳を傾けている―
「…ずず…っ。に、にがぁっ」
「ちょっ、口付けたままでしゃべらないでよ、抹茶が飛ぶじゃない」
「だってだってぇ…にがいんだよアカネぇ、これものすごぉく苦いんだよぉ」
「そりゃ、お抹茶は苦いものだもの、あたりまえでしょ」
「でもでもっ。同じお抹茶でも、抹茶コーラは甘いよっ?」
「あれは風味が抹茶なだけであって、大元がコーラだからでしょ…」
「ふ、ふんっだっ。だからあたしは嫌だったんだよっ。オリジナルに勝るものはオリジナル意外に無いっていうのにさ。抹茶味のコーラ、だなんて、ジンギスカン味のハイチュウくらいにタチが悪いよっ」
「…監督が出張先の北海道でわざわざ買ってきてくれたお土産にいちゃもんつけたくなるのは分かるけどね…」
「これがほんとの二番煎じってやつよねっ」
「…ほんともなにも、全然うまいこと言ってないからね…エリ、やめなさいそのどや顔。いいかげんぶつよ?」
「暴力っ。暴力が振るわれようとしていますよっ、お寺の境内でっ」
「武力を行使するお坊さんのことを、中国では僧兵と呼んだ時代もあったわ」
「日本で平成っ。日本で平成ですから今ここっ」
「少林寺映画の種類の多さには正直辟易としていたところなの」
「僧兵ってどんな人たちなのかを理解するのにもってこいな映画をそんなふうに批評されてもっ?」
「どうして桜高には少林寺拳法部がないのかしらね…」
「やる気だっ。映画以上のことを自分でやる気だよあたしの友達っ」
「少林サッカーならぬ、少林バレー」
「恐怖っ」
「えっ?ちょっ?茶碗っ、茶碗はやめて痛いからっ」という悲鳴をBGMに、よしみちゃんの解説は続く。
…続いていいんだよね?
「抹茶つながりで言えば、千利休のエピソードはあまりにも有名だな」目前に広がる庭園を見るともなく見て、よしみちゃん。
「…千利休って、お茶室の入り口をくぐって入った豊臣秀吉が、“最高身分の自分に、腰を折らせて入らせた無礼”によって切腹させられた人…?」少し悲しみを帯びた声色でふみちゃんが相槌を打つ。
「なんでも、」茶入に落としたよしみちゃんの物憂げな視線。「切腹した利休の首を、秀吉公は加茂の河原で梟首にしたんだそうだ」
「…ひどい…」
「ふみちゃん…」
その光景を想像してしまったのか。
目を伏せたふみちゃんの横顔が心配で。
私は、ふみちゃんの制服の袖を片手できゅっと握る。
大丈夫?
…うん、大丈夫…
そんなアイコンタクト。
今朝方、運動部の皆との朝練で訪れたあの鴨川の河川敷のどこかで、そんなことがあった。
駆け抜けた石畳が刻んできた時の中にはそういう悲劇だって、もちろんあったんだろうってことくらい、頭では分かっていてもなんていうか。
ぞっとしない。
隣でよしみちゃんが身じろぎする気配がした。
「…まあ、当時の三世古径和尚が山の中に持ち帰って、手厚く葬ったらしいけどな。それに、暗い話ばっかりなわけじゃないんだぞ?漬け物の「たくあん」を考案したとされる七世沢庵和尚が、あの宮本武蔵に剣道の極意を教えた道場でもあったんだ、ここ。ほら、まさにそこの庭園でさ」
「それにしたって“沢庵和尚”って、どんなネーミングだよって話だよなー」明るい声で言うよしみちゃんの片手が、ふみちゃんの頭にぽんぽんっと触れるのを見て。
胸の奥が、じんわりと温かくなっていくのを感じた。
きっと、ふみちゃんの心も。
よしみちゃんのそういう友達思いのところが、私は好きです。
私も便乗する。
「ふふ、そうだよねー」
「…親の顔が見てみたいね…」
「もしかしたら、ムギが和尚の子孫なのかも」
「…む、ムギちゃんが…?」
「…よしみちゃん、それってもしかして、ムギの眉毛の話だったり?」
「お?なんだしずか、知ってたのか。流石、毎日ムギをよく見てるだけのことはあるなー」
「…あつあつだね、しずちゃん…」
「か、顔を赤らめて何を言ってるのかなふみちゃんっ?そ、それに私の席からじゃ真後ろで、ムギの顔なんてたまにしか見られないしっ」
「むきになることろがまた怪しいよなー?」
「…しずちゃん、私というものがありながら、ひどい…」
「っ。も、もうこうなったらっ」
そうして一気にお抹茶を煽る私がむせたのは言うまでもないことで。
よしみちゃんとふみちゃんに、盛大に心配されてしまった。
「―まったく、何やってるんだかあの子たちは」
「…姫子」
「ん?どしたの、いちご」
「…足、しびれた」
きれいなものを見つけたから
形が無くても、きれいなものを
瞬きの時間しか与えてくれない
流れ星のようなそれを
また見えなくなる、その前に
皆にも見せてあげたいって
そう、思ったんだ