2-(6)
思い出すのは桜色の光
ねえ、おぼえている?
いつか一緒に帰った道で
あのとき君が、私の名前を呼んでくれたんだ
初めて見た、満開に咲いた桜が風に揺れていて
―あれからどれくらい、変われたんだろう?
「ごはんに間に合ってよかったね~」
迷子の疲れを全く見せない。
そんなムギの声はとっても楽しそうで。
「うんっ」
相槌を聞くだけでわかってしまう。
そんな唯の向日葵のような笑顔。
「まったく…。心配させないでちょうだい」
軽音部の四人を叱る声は、教室で聞くのとはちょっぴり違う。
そんなさわこ先生は、なんだか歳の離れたお姉さんみたい。
「ごめんなさい…どす」
申し訳なさとか。
京都弁の優雅さとか。
そんなものは微塵も感じられない唯の謝罪の言葉は、
「ごはんどすっ」
田井中さん…りっちゃんのワルノリを誘発する起爆剤。
「私はベースの秋山どすっ」
そうして噴出した秋山さん…澪ちゃんの笑い声は、もうとどまることろを知らない。
今夜いっぱいにかけて、京都弁“的”な発言は澪ちゃんにとっては“NGワード”というわけだ。
“笑い死に”という一生お目にかかれそうにない最期に立ち会いそうになった私には、澪ちゃんのこんなに元気な(あるいは愉快な)姿を明日も拝めることを、ただただ京都の霊的な何かに祈るばかりである。
「―もぉっ、笑えないっ―」
―それにしても、と思うのだ。
「…軽音部って本当に元気だよね」
迷子になった彼女たちのもとへ文字通り駆けつけた私の言葉に妙な説得力を感じたのか。
隣で箸を進める姫子ちゃんも「ふふ、そうだね」とちょっぴり苦笑い。
…どうでもいいけれど、お膳を前に正座する姫子ちゃんのお淑やかさというか箸さばきというか。
それら一連の所作が重なり合って醸し出される女性らしさというか。
見た目はイマドキ女子高生な姫子ちゃんなのに。
着物を着せたら美人若女将が完成する域だ。
同じ高校生なのに。
走ることと小さいことと髪質の良さくらいしか取り柄のない私と比べたら雲泥の差だ。
これは同じ女の子として見習うべきかもしれない。
特に、私の目の前でご飯をかきこんでいるエリちゃんあたりは…。
「むぐ?」
「どうしたのエリ」
「むぐむぐ…ん、や、なんか今、ものすごく失礼な電波を受信したような気が」
「気のせいじゃない?」
「そんなっ。数々の試合を乗り切ってきたあたしの第六感を疑うというの三花っちっ?」
「エリの十八番の“山カンレシーブ”のこと?」
「な、なんと失礼な物言いかねアカネくんっ。キミはこれから“失礼キャプテン”と呼ばれて打ちひしがれて、とっしーやまっきーにコートの隅っこで慰められてればいいんだっ。ぷんっ」
「まぁ、あのレシーブはバレー部代々のお家芸らしいしね。私も先輩から教えられたし」
「さすがとっしーっ。そうだよねっ、伝統は大事だよねっ。まっきーもそう思うでしょっ?」
「うん、そうだねぇ。でも」
「なになにっ?」
「ほっぺにご飯粒、ついてるよぉ」
奥から三花ちゃん、エリちゃん、アカネちゃん、俊美ちゃん、わじまきちゃん。
横並び一線のバレー部の面々である。
「…バレー部も元気だな」
「…うん、そうだね…」
元気だなと言いつつちょっぴり疲れの滲んだ声のよしみちゃんに相槌を打つふみちゃん。
煮魚の食べ方がとても綺麗です。
さすが家庭部の二強。
「…おいしい」
デザートの抹茶プリンにとりかかっているいちごちゃんのお膳はきれいさっぱり。
全然おいしそうに見えない表情にも、嬉しくって今にも小躍りしそうないちごちゃんの喜色を見いだせる私はきっと“若王子学”の天才、だ…?
「―」
「!(に、睨まれたっ?)」
美人が睨むとこんなに怖いのっ?
「―ともあれ」
箸を置いてお茶で一息ついた和いわく、
「なんだかんだで無事に帰ってこれて良かったわね」
「…迷子の先導者が言うセリフ?」
「…それを言うなら風子だって同罪じゃん?」
「う…な、なっつーだってなんにも言わずについてきたくせに」
「なっ…そりゃコンパスまで取り出してずんずん歩いていかれたらついてくしかないだろっ。しずかが迎えに来てくれたから良かったものの…。っていうかいつの間にかなっつ呼ばわりですか高橋さんっ?」
「なっつーなっつーなっつっつー」
「やめろいちごっ。リズムをつけるなっ」
「あらあら…三人とも、喧嘩するなら外でしなきゃだめよ~」
英子ちゃんの仲裁むなしく(もちろん、外でするならいいのか、というつっこみはともかくとして)。
なっつというNGワードを聞いてしまった澪ちゃんの哄笑は深刻化していくばかりだった。
「秋山さん、夏香ちゃんのニックネームで大爆笑…と」
食事の片手間に白と青の縞模様の手帳になにやらメモしている曜子ちゃんは、本当に澪ちゃんファンクラブの人なんだなと。
感心というか、寒心というか。
そんなふうに友達の新たな一面を知ることのできた迷子騒動でもあった。
…なっちゃん、泣かなくてもいいんだよ…私なんか“しずしずしよう”なんていう動詞めいたキャッチフレーズまでつけられているんだから…。
迷子になった当事者たちや、捜索に携わったクラスメイト含めて。
和の言うとおり。
なんだかんだでみんな元気である。
…まぁ、今夜は修学旅行の最後の夜だもんね。
「―ふふ」
知らずこぼれた笑みに、
「どうしたの、しずかちゃん?」
背中合わせのムギが首をめぐらせて聞いてくる。
「ううん…なんでもない。ただ、ね」
「うん?」
体操着越しに伝わる体温。
ムギってあったかい。
本当に体温高いんだね。
「…ただ、ね」
「な~に?」
寄りかかってくるムギの背中を支えつつ、思うんだ。
「…修学旅行って楽しいなー、って」
「うふふ、私もそう思うっ」
そんなふうにしてお互いの背中でお互いを押し合う私たち。
隣では唯が真似をして和の背中をぐいぐい押している。
あれじゃあおしくらまんじゅうだ。
「ふふ、なにやってるんだか」
和も大変だね、と苦笑する姫子ちゃんもやっぱり楽しそうで。
私もそんなふうに、柔らかく微苦笑するという女性スキルを身につけたいと願いながら。
四杯目のご飯のおかわりをお願いするべく、仲居さんを呼ぶのだった。
思い出すのは桜色の光
ねえ、おぼえている?
いつか一緒に帰った道で
あのとき君が、私の名前を呼んでくれたんだ
初めて見た、満開に咲いた桜が風に揺れていて
―あれからどれくらい、変われたんだろう?