(3)
目を閉じればいつだって思いだせる。
大丈夫だよ。
無数の思い出が私を支えてくれるから。
私は歩いていけるんだ。
「・・・長かったねぇ」
「ずっと寝てた子が言う台詞じゃないでしょ」
「ああ、校歌のときに聞こえたいびきのような声はエリだったのか」
「いやそんなに寝てないしっていうか何気によっしー聞き捨てならないんですけどっ?」
「自覚症状がないのは危険な状態」
「・・・末期なのかな?」
「いちごはともかく・・・ふみちゃん、そんなに心配されると本気で傷つくからやめて・・・?」
「まぁまぁ。校長の話が長い、でしょ?」
姫子ぉ~。
おーよしよし。
「・・・」
定例のごとくというかなんというか。
いつものとおりに講堂で行われた始業式は滞りなく進み。
「やっぱり如来様の包容力は桜高一だよねっ」
「・・・そこはどうしてか、素直には同意しかねるのよね・・・」
それぞれの場所で満開に咲いている桜を横目に渡り廊下を歩いている。
今月に入ってからちょうど一週間。
急に暖かくなった気がする。
とりわけ今日は雲ひとつない快晴で。
ふうわりとそよぐ風が私のおかっぱ頭をなでていく。
きもちいい・・・。
「しずちゃん」
「・・・え?」
春のそよ風に一瞬だけ目を細めていた私は、ふみちゃんからの呼びかけに一拍分遅れてしまい。
そんなふうにぼけらっとした私を、ふみちゃんはいつものふうわりやわらかい微笑みで待ってくれる。
「どうかした、ふみちゃん」
「あのね」
「うん」
「今日、このあと予定ある?」
「ううん、帰るだけ。ふみちゃんは?」
「私もおなじなの。そうしたらね」
「うん」
「あの・・・あのね・・・」
「うん」
「私、お弁当、作ってきたの・・・」
「えっ、そうなの?でも」
式のあとはショートホームルームで顔合わせだけして今日は解散って、山中先生が言ってたけれど・・・。
思案する私。
それでも、普段物静かでおっとりしているふみちゃんにはめずらしく勢い込んだ様子で、
「だ、だからね・・・?」
「うん」
「お花見しながら、食べれたらいいなって、思って・・・」
みんなの分も、作ってきたし・・・。
最後のほうはほとんど消え入りそうな声だったけれど。
今日一番の勇気を振り絞った様子のふみちゃんを見てると、なんだか心が癒されます。
それはそうと。
授業がない。
お昼から放課後。
みんなでお花見しながら食べるお弁当。
私の予定が一瞬で決まったのは言うまでもない。
歓声を上げる。
「わーっ。い」
「いいねっ、それっ」
エリちゃんに取られた・・・。
そのまま私を両腕に収めたエリちゃんは、その場でくるっと一回転すると。
どこかの金田一さんのきめ台詞のシーンのごとく、びしぃっとふみちゃんを指差し、
「あたしは行くよっ。しずかとともにっ」
「人を指差すの禁止」
「あでっ」
「練習中もこうなのか?」
「うん。この前トス練でやって突き指してたの見た」
「あはは。エリってよく体張るよね」
「・・・げ、芸人、さん・・・?」
「ただのあほだよ。だって面白くないし」
「いちごはともかく、ふみも何気にえぐってくるよね・・・」
「うぅっ、辛いっ。きっとこの世には神も仏も、弥勒も菩薩もいないのよーっ」
「わーっ、え、ええエリちゃんっ、落ち着いておちついてぇっ」
ぶんぶん揺さぶられる小柄な私。
回る視界。
苦しくなる呼吸。
あ、だんだん世界が白く―――
「ちょっ、エリしまってるっ、しまってるからっ」
「へっ?あ、ああっ」
ぱっと開放感。
続く浮遊感の後、ぼふんっと、何かやわらかいものに沈み込むような感覚。
目を開けるとすぐ近くに姫子ちゃんの顔。
「さすがおっぱい如来っ。ないすきゃっちっ」
「しずか投げ禁止」
「あうっ」
「こういうときソフト部入っててよかったって思うよね」
「いや、思わないだろ」
「同感」
アカネちゃんのおかげでエリちゃんのヘッドロックから解き放たれたその先。
着地点は姫子ちゃんの胸の中だったようだ。
「だ、だいじょうぶっ・・・しずちゃん・・・」
「・・・うん。むしろこのままもう一眠りできそう・・・」
「ぇっ、ぇっ?だめだよぉしずちゃんっ」
もどってきてー、というふみちゃんの声を遠くに聞きながら。
私は意識を手放し―――
「手放しちゃだめでしょっ」
「・・・やっぱりだめ?」
「まったく・・・いつからそんな甘えん坊になったのよ」
めってするよ?
そんな姫子ちゃんは将来保母さんとか似合いそうだなあ、なんてすこし場違いなことを考える。
「それにしても」
とよしみちゃんが仕切りなおす。
「お花見、か」
「う、うん・・・どう、かな・・・」
「別にいいんじゃない。先生はホームルームのあとは解散ってゆってたし」
「あ。でも始業式の日って、確か部長会の顔合わせ、いつもやってなかったけ?」
「なかったっけじゃなくて、実際やってるの」
「そうだね。確か終業式のときの部長会で通達あったよ」
「・・・あった?」
「あったよ」
「いちごは部長会いつも寝てるもんねーっ」
「あれは目を閉じてるだけ。一緒にしないで」
「・・・でも、たまに寝てるよね?」
「あ、アカネっ」
「やぁっぱりっ。そんなんじゃぁかいちょーに殴られるよっ」
「いや、真鍋さんそんな凶暴じゃないから」
「やつは桜高唯一の人格者だからな」
「かいちょーはやさしい」
学校生活全般のことごとくを生徒が主体的に運営する校風の桜高では、その推進役たる生徒会執行部は絶大な力を持つ。
と、いつだったかにアカネちゃんから聞いたことがある。
予算運営で教師側とぶつかりあうこともしばしばあるとか。
私たちの生活のまさに心臓部とも言いえる生徒会執行部の要職。
その第五十五代生徒会長の座を戴く、かいちょーこと真鍋和さん。
アカネちゃんから聞くところによれば、知る人ぞ知る我が校軽音部のベース、秋山澪さんのファンクラブ会長も兼任しているのだとか。
・・・会長職が好きなのかなあ?
「・・・しずか、それ、たぶん間違ってるよ?」
「え?」
「まぁ何にせよ、ちょっと時間かかりそうだな」
「うーん。でも、年間の部長会議の日程とか、今年度もがんばりましょーとかで、結構簡単に終わると思うよ?」
「あくまで顔合わせだから」
「そうそう。だから大丈夫だよふみ。ちょっと待たせちゃうかもしれないけど、あたしたちも行けるから」
「私も風紀委員の顔合わせ終わったらすぐ行くよ」
「しずかと先に行って待ってて?」
「う、うんっ。みんな、ありがとう・・・」
ぱあっと明るくなるふみちゃんの横顔。
そんなふみちゃんを見て。
アカネちゃんとエリちゃん、姫子ちゃんやよしみちゃん、いちごちゃんに囲まれて。
たゆたうようにやさしい、春のそよ風に包まれるように。
私の心は温かくなって軽くなって。
風に舞う桜の花びらのように。
どこかへ。
どこまででも飛んでいってしまえそう―――
「・・・すー」
「って、しずか寝てるしっ」
「にょ、如来おっぱいおそるべしっ」
「ふふ・・・今朝はがんばって走ったからね、しょうがないよ」
「姫子はしずかにあまい」
「姫は男前だから」
夢見心地にとどく声。
大好きな声。
大好きなみんな。
「それじゃあ、さくっとホームルームして、さくさくっと会議終わらしてお花見行きますかーっ」
「エリは会議出ないでしょ」
「あ、そうでしたぁ、てへっ」
目を閉じればいつでも思いだせる。
大丈夫だよ。
無数の思い出が私を支えてくれるから。
私は歩いていけるんだ。