(4)
君がいる。
ただそれだけでしあわせ。
翌日。
習慣というものはなかなか抜けないものらしい。
春休みに入ってから昨日に至るまでというもの。
私の起床時間はほぼ毎日、両親が仕事ヘ向かった頃か、弟が部活へ行った頃だったというのに。
いざ学校が始まってみると、私の体内時計は無意識にその時の刻み方を変えていたようだ。
すなわち、オフからオンへ。
窓越しに眺めた、日の出前のまだ薄暗い外。
湿気ている窓ガラスに触れるに、お花見のできる季節になったとはいえ、早朝と呼べるこの時間はまだまだ冷えるらしいと分かる。
ベッドから跳ね起きた私は、そのままの勢いでパジャマを脱ぎ。
保温性の高いトレーニングウェアに袖を通す。
ラップタイムを記録できる腕時計を身につけ。
一応姿見で全身を確認すると、まだ夢の中であろう家族を起こさないよう階下に下りる。
下駄箱にある愛用のランニングシューズを履いて玄関を開けると。
予定調和のようにリビングから顔を出したとめさんを伴って。
冷たい空気を肺いっぱいに吸い込み、習慣の早朝ランニングへと出発した。
「おはよーふみちゃんっ」
「あ・・・おはよーしずちゃん」
待ち合わせ場所に選んだのは市内でも人気のパン屋さん。
実はここ、中学の時の待ち合わせ場所と同じだったりもする。
「ごめんね、ちょっと遅れちゃったよね?」
「ううん・・・私も、今来たところだから・・・」
「朝ごはん食べてて時間かかっちゃったみたい。今度から気をつけるね」
「・・・しずちゃん、よく食べるもんね」
「そうかなあ。別に普通だよ?」
「・・・昨日も、私、ほんとう作りすぎちゃったって思ってたのに・・・しずちゃん、全部食べちゃうんだもの」
さ、さすが明王の胃袋、底なしの地獄のようだっ
何わけのわかんないこと言ってるの・・・
とエリちゃんとアカネちゃんが言っていたのを思い出す。
「昨日は朝から走って、おなかすいてたから・・・でも、本当においしかったっ。やっぱりふみちゃんお料理上手だね」
「そ、そんなこと・・・ない、よぅ・・・」
そういって俯いてしまったふみちゃんの耳たぶは真っ赤っかで。
半分は優しさでできているかのようなこの親友は、褒められることにあまり慣れていないことを、私は誰よりも知っているはずなのに。
ついつい、褒めてしまう。
きっと、こんなふうに恥ずかしがってるふみちゃんが可愛いから。
もっと見てみたいって思う、ちょっぴり意地悪な私です。
「・・・でも」と、ふみちゃん。
「・・・昨日は、楽しかったね・・・」
「うんっ。ほんとに楽しかったよねえ」
始業式が終わり、講堂から教室へ向かう途中。
朝のどたばたと校長先生のながあいお話。
そして姫子ちゃんのふわふわの温かさが相乗効果を発揮し、そのまま眠ってしまった私は。
教室に着く手前に目を覚まし、ホームルームが始まる前にふみちゃんから改めてお花見の話を聞いた。
・・・眠った私をおんぶして運んでくれたおかげで、姫子ちゃんの保母さんっぷりが新しいクラスのみんなに定着してしまったのはまた別のお話。
「なんだかんだで、クラスのみんなでお花見になっちゃったもんね」
「・・・うん」
その時の光景を思い出し、二人して小さく笑う。
そうなのだ。
ふみちゃんの小粋な計らい(よしみちゃんがそう言っていた)により、放課後の時間を楽しく過ごせたのは。
何も私やいちごちゃん、姫子ちゃんやよしみちゃん、エリちゃんやアカネちゃんだけではなくて。
「平沢さんの嗅覚には驚いたよね」
「うん」
事の発端はホームルーム直前の教室。
席に着いた私とふみちゃんは、出席番号の関係から、私が二列目の一番前、ふみちゃんがそのすぐ後ろという配置になっていて。
ふみちゃんがどんなお弁当を作ってきたのかを聞いていると。
「・・・ぉぃしそぅ・・・」と頭上から降ってくる声が一つあった。
見れば今にもたれてしまいそうな涎を光らせた、ちょっぴり寝癖頭がチャーミングポイントのクラスメイトの姿が。
軽音部のヴォーカル兼ギターの平沢唯さん、その人である。
隣にいたこれもまた軽音部のキーボード琴吹紬さんが「唯ちゃん、これはから揚げの匂いよっ」と合いの手を打ち。
そのうちにこれもまた軽音部のドラム兼部長の田井中律さんとベースの秋山澪さんも「・・・すっごい量だな」「でも、今日って部活とか停止だから、ホームルーム終わったら全員下校じゃなかったか?」
と吸い寄せられるように入ってきて・・・。
それから。
―どれどれ。
―ほんとだいいにおぉいっ。
―でも、どうしてお弁当を・・・?
―え?お花見するの?これから?
―いいねえっ。
―でも、どこでお花見するの?中庭とか?
―あ、うちの部にビニールシートあるよ!
―それじゃあせっかくだし、クラスみんなでやろうよ、お花見!
と。
あれよあれよという間に。
私たち七人組で予定していたお花見はいつしか。
「三年二組はじめましてこれからよろしく交流会!in中庭」
へと大発展してしまったのだった。
・・・ちなみに、会の命名はオーラルコミュニケーション部の松本美冬さん。
それからホームルームが終わり。
軽音部のみんなが顧問でもある山中先生(軽音部のみんなからは「さわちゃん」と呼ばれていた)を強引に誘ってひと悶着あったり。
部長や各種委員会の委員長を勤めているクラスメイトの集合を待つ間。
ふみちゃんのお弁当では足りない分を補うべく、みんなで手分けして近くのコンビにへお弁当やお菓子や飲み物の買出しに行ったり。
中庭のお花見場所を確保したりと。
とてもできたばかりのクラスとは思えないほどの連携ぶりで。
お花見の準備は着々と進んでいったのだった。
「秋山さんの乾杯の挨拶、可愛かったよねえ。すごい恥ずかしがってたけど」
「・・・出席番号一番の人がっていうのが、なんだか可愛そうだったね・・・」
「あはは、そうだね」
「・・・でも、学園祭で歌ってるときは人前とか全然平気そうだったけど・・・意外だった・・・」
「歌といえば平沢さんの即興っ。盛り上がったよねー」
「ギター、すごい上手だった」
「ほんとにねっ。そのうち岡田さんなんかフランクフルトをマイクにして歌い出しちゃうんだもん。歌はすごくうまかったけど。みんなもすごいハイテンションだったし」
「・・・みんなジュースしか飲んでないはずなのに、酔っ払ってるみたいで、ちょっと怖かった・・・」
「あはは、そうだね。でも、掘込先生が来たときはちょっとひやっとしたね」
「・・・真鍋さんがうまく言ってくれたお陰で助かったね・・・」
話している間に校門をくぐる。
昨日よりもすこしだけ強めの風にゆられ、桜が花を散らしていく。
昨日のお花見中も何度か、こうした桜吹雪を目にした。
その一片をふと目で追っていると。
登校する生徒の中、見慣れた後姿を見つけた。
あれは―――
「・・・」
ふみちゃんと一緒に追いかける。
「・・・」
「おはよ、いちごちゃ」
「おはよぉっしずかぁっ」
「わぁっ」
例のごとく抱きすくめられる小柄な私。
「エリってほんとしずかを捕獲するのが好きだよね」
「捕獲言うなっ」
スキンシップだよ、すきんしっぷ。
呆れたようなため息。
降ってくる明るい声。
アカネちゃんとエリちゃんだ。
「・・・おはよ、エリちゃん、アカネちゃん」
「おはよ、ふみ」
「おはよーっ」
「しずかもおはよ」
「ぅ、うん、おはよーアカネちゃん、エリちゃん」
「いやー。やはり一日一回、これをやらないと、今日が始まらないよねぇ」
「え、エリちゃんっ、くすぐったいよぉ」
「まったくこの子は・・・あ、ほら、いちご行っちゃったよ?」
「ぬなっ?あんの阿修羅っ子めぇっ。今日という今日は逃がさんぞーっ」
「って、結局捕獲するんじゃない・・・あ、ちょっと、エリ」
いちごーーっ、コーラだーーっ――――---
だだだだだだだだ―――---
・・・行っちゃった。
ルパンを追いかけるとっつぁんのような声を上げて昇降口へなだれ込んでいくエリちゃんを見送り。
・・・あ、いちごちゃん、ちょっと小走りして・・・もしかして、逃げてる?
余韻でふいた風が私の頭をなでると、くしゃくしゃになった髪はすぐ元通りに。
ふみちゃんはぽかんとしている。
「朝から元気だな、あの仏像娘は」
「・・・よっしー、そのネーミングはどうかと思うよ」
後ろから聞こえた声に振り返ると、
「あ、よしみちゃん。姫子ちゃんも」
「おはよ、しずか」
「おはよ、姫子ちゃん。よしみちゃんも」
「ああ、おはよう」
「ふみもおはよー」
「うん、おはよう姫ちゃん」
「二人ともめずらしく早いね。っていうか姫子、昨日夜勤とか言ってなかった?大丈夫?」
「うん、店長が早めに上がらせてくれたからね、そんなに寝てないわけじゃないよ」
そっか、と少し安心した様子のアカネちゃん。
学校から少し離れたところにあるコンビニでアルバイトをしている姫子ちゃん。
社会勉強も兼ねてと言っていたのを聞いたことがあるけれど、夜勤シフトまで入ることもあるのだとか。
学校ではソフト部の練習もあるし、成績だっていい姫子ちゃんのことだから、いつか無理がたたって身体を壊しちゃうんじゃないかと。
私やアカネちゃん、ふみちゃんでこっそり心配していたりもします。
・・・そう、あのいちごちゃんも、実はちょっぴり心配気味。
「ふふ、そんな顔しないの」
くしゃっとなでられる頭。
そんなに心配そうな顔をしていただろうか?
「やばくなったらちゃんと休むから」
「・・・ほんと?」
「ソフト部部長の名にかけて」
「・・・きっとだよ?」
「りょーかいです明王どの」
おどけたように敬礼する姫子ちゃん。
となりのよしみちゃんは、心配するだけ損だよ、まるでそんなふうにいいたげなジェスチャーをしている。
「ほら、そろそろ行かないと」
「そうだな」
「また遅刻しそうになって、教室間違うわけにはいかないもんね?」
「えっ、アカネちゃんどうして知ってるのっ?」
「ごめんごめん、姫子から聞いたの」
「なるほど。昨日の短距離走の選手みたいな走りっぷりのあとに、そんなドラマが」
「しずかったらなんの躊躇も無く入っちゃうんだもの。あまりに自然だったから、声かけられなかったよ」
「・・・ふふ・・・」
「もぅっ、ふみちゃんまで」
「ほらほら、行くよ?しずか」
「あ、アカネちゃん、あんまり人には言わないでねっ?」
「えー、どーしよっかなー」
「慶子に言えばすぐに広めてくれるんじゃない?」
「確かに。やつは桜高の歩くゴシップと呼ばれてるからな」
「・・・ご、ゴシップって、歩くの・・・?」
「お願いそれだけはやめてぇー」
きゃあきゃあ言いながら昇降口へ入っていく私たち。
今日から通常授業だ。
君がいる。
ただそれだけで生きていける。
今はそれだけで、しあわせ。