初めに。
東北地方太平洋沖地震において被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。
そして、亡くなられた多数の方々のご冥福をお祈りすると共に。
未だ安否の分からない多数の方々の無事を、心よりお祈りしております。
このSSや他の作者様の作品が、被災地の方々の心に、少しでも明るくあたたかい何かを灯すことができたなら。
これほど幸甚なことはありません。
(5)
走ること。
走り続けること。
その先に道なんてない。
だって。
走り続けたその後に、道はできるのだから。
「新入生の勧誘?」
朝のショートホームルームが終わってすぐのこと。
教室移動をしようと席を立った私に話しかけるクラスメイトが一人。
「うん。できれば、今年も手伝ってくれると助かる」
平坦な口調に動かない表情。
そんな状態の人間からお手伝いを乞われる側にしてみれば、否応なしにも感じ取れてしまう冷淡さととっつきにくさ、なのだけれど。
話しかけてなお、桜高女子憧れのひとつであるその巻き髪をいじる、その仕草が。
実は照れ隠しのときにでる彼女の癖のひとつであるということを。
この二年間、同じ教室で過ごした私は知っている。
答えの是非もない。
二つ返事でうなずく。
「もちろんっ。いちごちゃんのお手伝いなら私、大歓迎だよっ」
「・・・そう。そうしたら、早速今日の放課後――」
「いーっちごっ」
「きゃっ」
「へっへっへ、やぁっと捕まえたぜこの巻き髪娘っ。これでやっとコーラいっきの恨みを・・・っ」
「いちご捕獲も禁止」
「いにゃ゛っ」
「エリちゃん、アカネちゃん」
「ごめんねしずか。いちごも、話の腰、折っちゃったりした?」
「・・・別に。もうお願いしたから、後ででいいよ」
「そっか。でも、お願いって?」
「・・・秘密」
「えー、なにそれー。きぃになぁるなー」
「ちょっ、かお、顔ちかいっ」
「いいじゃない。バレー部部長とバトン部部長の仲でしょー?」
「・・・別に。うちとバレー部は、伝統的に仲、悪いし」
「・・・そんな状態で言われても、説得力ないけどね?」
「・・・」
「あ、ちょっと、いちご・・・って、行っちゃった。もう、しょうがないなぁ」
しずか、後で教えてねっ
そう言い残し教室を出て行くアカネちゃんを見送る。
…いちごちゃん、エリちゃんをくっつけたまま出て行っちゃったけど。
よっぽど、恥ずかしかったんだね…。
エリちゃんはきっと、舌、噛んだんだね…。
「・・・私たちも行こう、しずちゃん」
「あ、うん、そうだね」
気がつけば人もまばらな室内。
ホームルームで配られた、三年生の進路決定に至るまでの授業カリキュラムについて、と銘打たれた少し厚みのある冊子を片手に。
中学からの親友であるところのふみちゃんこと、木村文恵ちゃんを伴って。
次の授業コマに割り当てられた学年オリエンテーションに出席するべく、私たちは教室を後にしたのだった。
*
階段を下りて、二年生の教室がある一階へ。
途中見かけた一年生の教室がある二階の廊下では。
まだ真新しい制服に身を包んだ新入生たちが、できたばかりの友達集団なのだろう、お互いちょっぴり緊張した面持ちで談笑していた。
「・・・しずちゃん、今年も大抜擢だね」
トレードマークである花柄の髪飾りでまとめられたおさげをゆらして。
隣を歩く親友はそんなことを言う。
大抜擢、というと―
「いちごちゃんのお手伝いのこと?」
「うん」
なぜかは分からないけれど、大仰な表現に少し照れる。
「だ、大抜擢だなんて・・・。それに、去年と一緒で、私なんかじゃきっと、なんにもできないから・・・」
「そんなことないよっ」
「ふ、ふみちゃん・・・?」
常からおっとり物静かで、ちょっぴり気の弱い彼女にしては珍しく強い調子で遮られる。
月に何度見られるかわからない強気にちょっぴり驚いていると。
半分は優しさでできている(よしみちゃんが言っていた)と思われる親友は、自分の出した大きな声に、むしろ自分でびっくりしたようで。
はっと口元を押さえると、それでもこれだけは譲れない、という意思をその瞳に乗せて私をみつめるふみちゃん。
「・・・去年のしずちゃん、すごいがんばっていたの、私、知ってるもん・・・」
「ふみちゃん・・・」
「ふみの言うとおりだぞ、しずか」
「よしみちゃん」
「バトン部の新入生、創部以来一番多かったって、若王子部長さんも言ってたもんね?」
「・・・よしみちゃん姫ちゃん、ありがとう」
「なに言ってるのこの子は」
いちいち可愛いんだから。
そうやってふみちゃんをなでた姫子ちゃんは。
悪いことをした子供を叱る母親のように腰に手を当てたポーズで、今度は私に向き直ると、
「・・・だれがお母さんだって?」
「ご、ごめんなさいっ?」
こ、声に出してたのかな・・・っ
「まったくこの子は・・・。いい、しずか?」
「は、はいっ」
「・・・しずかが思ってるよりずっと、いちごはしずかに感謝してるんだよ?」
「そう、なの、かな・・・」
「そうなのっ」
「う、うんっ」
めっ、とされる私。
そんな私たちの後ろから、よしみちゃんが言う。
「全国大会常連のバトン部の中で、いちごは一年生の頃からエースを張ってきた。三年生が引退して、ただ一人の二年生部員だったあいつにとって、去年の新入生勧誘活動は大きなプレッシャーだったに違いないからな」
愛想がいいわけでもないし。
・・・でも、可愛いよ?
そう言って苦笑をこぼしあうよしみちゃんとふみちゃん。
そう。
わが桜高のバトン部は、創部以来、全国大会の常連として全国的にも有名だ。
学校の生徒募集要項の表紙やホームページで、その雄姿が飾られることも良くあるほど。
桜高といえばバトン部、と言われるくらい、学校のイメージとしても定着している。
そんな由緒ある伝統を持つ部の、それも部長を務めるいちごちゃんと私は、一年生と二年生を同じクラスで過ごしている。
今ではきっと。
親友同士だと誰に説明しても納得してもらえる、そんな間柄で。
私やふみちゃん、姫子ちゃんやよしみちゃん、エリちゃんやアカネちゃんのみんなで。
いちごちゃんが出場する大会の応援に、何度も行った。
エースのみが着ることを許されると言う、桜色のレオタードを身にまとい。
紅のバトンと共に優雅に舞う親友の姿に。
私たちは息を飲み、感動し、手が真っ赤になるほどの拍手喝采を送った。
来るなら先に言ってよね―。
そう言いつつ、巻き髪をいじるいちごちゃんの姿が、ふっと脳裏に浮かんで。
「―そう、だよね」
そうだ。
私がしっかりしなきゃっ。
「姫子ちゃん」
「うん?」
「私、がんばるよっ」
「ふふ、そうこなくっちゃ」
「ふみちゃんも、ありがとうねっ」
「…ううん。がんばって、しずちゃん」
「よしみちゃんも」
「私は何もしてないよ。それより、しずか」
「え?なに?」
「去年に引き続き今年も、ということは…明後日の新入生歓迎会もエントリー、と言うことでいいんだな?」
「…あ゛」
「エリもそうだけど、しずかも身体をはるのが好きだよねえ」
「…愛のなせる業、だね」
「ちょ、ちょっとふみちゃん、なに言ってるのっ?」
「おーおー、熱いね熱いねー」
「しずかはいちご一筋だもんねえ」
「ちょ、ふたりともっ」
「まあでも、今年もしずかの雄姿が拝めるんだし」
「眼福眼福」
「…カメラ、もっていかなきゃっ」
「ふ、ふみちゃん、そんなところに力入れなくていいからっ。ねっ、ねっ?」
何はともあれ。
「今年もバトン部の新入生、たくさん勧誘するぞーっ」
「おー」
「お、おー…」
「三人ともっ、どうして私より盛り上がってるのーっ」
そうして到着した特別講義室はほとんど席が埋まっていて。
先に来ていたエリちゃんたちのお陰でなんとか席を確保できた私たち。
オリエンテーションの間中しばらく。
いちごちゃんの顔をまともに見られなかったのは、私の中だけの秘密。
走ること。
走り続けること。
その先に道なんてない。
でも。
どうしてだろう。
怖くなんかない。
だって。
走り続けたその後に、道はできるんだ。
走り続けるその先に、みんながいるって、わかるんだ。
だから私は、走り続ける―――
みんなに会える、その瞬間を夢見て。