(8)
空の青さに、雲の白さ。
もしも。
思い出に付ける色があるとしたら。
私たちのそれには、どんな色を付けようか――。
『――あー、てすてーす…』
『新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます。軽音部ですっ』
『私たちは放課後ティータイムというバンドを組んでて、毎日お茶とかしてるんですけど』
『音楽ってとっても楽しいです』
『よかったら、是非軽音部にっ』
『それじゃ最初の曲、いきますっ』
『わたしの恋はホッチキスっ』
*
『――はい、軽音部のみなさんありがとうございましたーっ』
新入生歓迎会、当日。
オープニングの幕開けは軽音部によるバンド演奏。
去年の学園祭で聞いた曲や、今日初めて耳にする曲。
そのどれもが彼女たちらしさに彩られていて。
講堂で聞いている新入生も含めて、舞台袖で出番を待つ私たちまでもがその演奏に引き込まれ、気づけば体を揺らしていた。
『実は彼女たち、あたしのクラスメイトなんですよー。普段はおかしばっかり食べてるみたいだけど、桜高祭の軽音部のライブは我が校の名物だから、必見ですよーっ…あ、唯っ、ナイスライブっ。よかったよーっ』
下りていく幕の向こうで機材の片付けをしている軽音部に、再度送られる拍手。
司会を務めるちかちゃんは、観客をのせるのがうまい。
『あたしからも改めて言わせてもらいます。新入生のみなさん、ご入学、おめでとうございますっ』
「…ちかのやつ、生き生きしてるな」
「大舞台に強い子だからね、あの子は」
「むむっ。ちかりんばっかにおいしいところをもってかせるわけにはいかないよっ」
「いや、そんなところで張り合ってもしょうがないでしょ…ちょっとエリ、落ち着きなさいって」
「さすが新歓長の座を勝ち取った女。普段から上着を腰巻にしているのは伊達じゃないね」
「…腰巻きしたら、私もあんなふうに大勢の前で話せるようになれるかな…」
「…えと、ふみちゃん、そこはちょっとだけ冷静に考えよう?」
舞台袖では活動紹介にエントリーした各部の出場者達が段取りの確認や出し物のリハーサルを行ったりしている。
かくいう私もそのうちの一人。
『あたしは全学新入生歓迎監督委員会、通称全学新歓の委員長を務める野島ちかっていいます。これから見かけることがあったら、新歓長とか監督って呼んでくださいね。あ、でも、呼びにくかったらちか先輩、とか、ちかりん先輩って、かわいく呼んでねーっ』
新入生の笑いを誘うちかちゃん。
姫子ちゃんの言うとおりのところもあるけれど、いつも笑顔で明るいちかちゃんはクラスを問わず学年を問わずみんなから好かれている。
私も含めてどんな人とも分け隔てなく仲良くなれて、親身になって話を聞いたり相談に乗ってくれる彼女のまわりには自然と人が集まってくる。
そんな彼女だからこそ、学校生活における新入生の牽引役として矢面に立つ全学新歓のリーダーを安心して任せられる。
同じ生活班になった生徒会長であるところの和はそんなふうに言っていた。
私も同感だ。
…それにしても、和、だなんて。
「…どしたの、しずか?」
「…えっ?」
「顔、赤いよ?」と姫子ちゃんに指差され、自分の両頬にふれると…。
確かに、ちょっと熱い。
「…いちごとハードな特訓しすぎて体調崩した、とか?」
「う、ううんっ、だいじょうぶだよっ」
先日の席替えと班決めのあと。
席の近い同士の私たちから一人だけ離れてしまったいちごちゃんとお昼ごはんを一緒に食べようとした私は。
姫子ちゃんの隣の平沢さん…唯が発した「班のみんなで食べようよ~」という言葉にあやかって、いちごちゃんも含めてできたばかりの班で机をくっつけあわせての昼食になった。
始業式の日の顔合わせでお互い自己紹介を済ませていたけれど、改めて行われたそれでは。
私が平沢さんのことを“唯ちゃん”と呼ぶことを、彼女自身は良しとせず。
頑なに“唯”と呼び捨てにすることを望まれた。
「だって、しずかちゃんは私のこと“唯”って呼ぶほうがしっくりくると思うんだよ~」
「…唯ちゃんは私のことちゃん付けなのに?」
「うんっ。だって、その方が萌えるから~」
「唯ちゃんその気持ちわかるわ~っ。しずかちゃん、私のことも“ムギ”って呼び捨てにしてねっ」
「む、むぎ…?」
「はいっ」
「…あんたたち…」
「阿呆がいる」
「まともなのはあたしたちだけだねー」
「…ごめんエリ、なんとなく納得いかない」
「えっ、なんでっ?」
「…まともなのはかいちょーだけだね」
「…多恵も結構辛辣だね」
そんなこんなで。
私の班の軽音部に対する呼称は、唯、ムギ、と決められてしまったのだった。
…おまけでかいちょーの真鍋さんも、和、と呼び捨てにすることになった、そんなオプションも付いてきたけれど。
「…アカネからどんなふうに聞いたか知らないけど、」いちごちゃんの言葉に回想から引き戻される。
「変な想像しないでよね」
「私は事実をありのままに伝えただけだけどね」
「ありのままの事実から想像できることが、どぉんな変なことなのかなぁ?ねー、いーちごちゃんっ」
「…うるさい年中般若心経。仏陀に蹴られてどっかいけ」
「ふっ。ザ・サンスクリット・マスターのこのあたしにっ。そなたの罵詈雑言は毛ほどもかゆくないわぁっ」
びしぃっ
「…かっこいいのか悪いのか、判断に迷うところね」
「…かっこいい、か?」
「サンスクリットは“フリダヤ”という、心臓、重要な物を意味することの訳語であると同時に、陀羅尼や真言をも意味する語のことだから、ザ・サンスクリット・マスター略してTSMと称したところでエリが六百巻に及ぶ“大般若波羅蜜多経”の心髄を治めているとは言えないがな」
「…なにその明らかに役に立たなそうな知識」
「…きっと突っ込んだところでなんの意味も無いんでしょうけど、これだけは言わせて。…略す必要ってあるの?」
「…私も、TSMになれば、エリちゃんみたいになれるかな…っ」
「だめだよふみちゃん、もどってきてーっ」
よしみちゃんの般若心経講座にどっぷりつかりそうになっているふみちゃんを必死に繋ぎとめようとする私をよそに。
歓迎会は着々と進行しているようだった。
『――とまあ、一年間を通して楽しい行事、熱い行事が桜高には目白押しだから。みんな何か分からないことがあったら遠慮せずに私を含めた先輩たちに聞いてねっ』
『あ、でも』ちろっと舌を出してちかちゃん。
『あんまり詳しいことは分からないかもだから、そういうときはかいちょーに聞いてねー』
困ったときのかいちょー頼みっ
「…全学新歓の予算、ちょっとカットしようかしら」
舞台袖でタイマー役を務める和の呟きに戦々恐々としたのは私だけではないだろう。
『とりあえずは今月末の球技大会…今年は、バスケ、だっけ…?…うんっ。それに向けてクラスで練習がんばりましょーっ。あ、もちろん、授業もしっかり受けてねっ』
舞台の上では次の出番である部がスタンバイしたところのようである。
和から合図を送られたちかちゃんが親指を立てて応える。
『それでは時間も無いことだし、ここからは桜高が世に誇る部活をどんどん紹介していきまーすっ。それではバスケ部の皆さんからっ。どうぞーっ』
三年二組からは慶子ちゃんと信代ちゃんが出場している。
いちごちゃんと私のバトン部は、バスケ部の後のバレー部の紹介に続いて、四番目の予定。
ふみちゃんが落ち着いたところで。
私は出し物の最終確認をするべく部長のいちごちゃんを伴って、一旦舞台袖から通用口を伝って外に出ることにした。
…もうすぐ、本番だ。
空の青さに、雲の白さ。
夕暮れは赤と橙が空と混じった黄昏色。
雨上がりは虹色。
――もしも。
思い出に付ける色があるとしたら。
私たちのそれには、どんな色を付けようか。
その作業はきっと。
どんな思い出の品を作るよりも楽しくて。
きっといつまでたっても終わりは来ないんじゃないかって。
そんな気がしていたんだ。