光が収まると、ゆっくりと彼女が降り立った。
私の知るまどかよりも身長も伸び、顔立ちも少し大人っぽくなっている。
そして、長く伸びた桃色の髪を二つに結び、白い優美なドレスを纏って背中から翼を広げ、慈愛に満ちた微笑みを浮かべるその姿は様に、
「女神……」
気づけばそう呟いていた。
それが、全てを解き放ったまどかの本当の姿。一人の少女が絶望を否定するために辿りついた存在。魔法少女たちの希望。
セイヴァー(救世主)のサーヴァント、『円環の理』
よかった、もしかしたら駄目かもしれないと思ったけど、うまくいった!
ゆっくりとまどかが弓を引くと、その後ろに魔法陣が展開する。その先に確かに見えた。
ほむらがいた、さやかがいた、杏子がいた、マミがいた、イリヤがいた。でも、それだけじゃない。
キャスターがいた、ライダーがいた、セイバーがいた、ルビアがいた、桜がいた、私がいた、大勢の魔法少女たちがいた。
それは、まどかが導いた少女たち。今までに生まれ、これからも生まれ、まどかが導き続ける魔法少女たちの全てだった。
「はったりを……消えろ雑種!!」
アーチャーが吠え、宝具の群れが解放され、私たちに向かって殺到する。
同時にまどかが弓を放つ。と、魔法陣の向こうから、魔法少女たちもともに攻撃を放った。
弓が、槍が、剣が、斧が、鉄槌が、大砲が、魔力砲が、魔力の斬撃が、聖剣が、天馬が、宝石魔法が、数えきれない攻撃が共に放たれる。
それらはアーチャーの宝具とぶつかり合い、蹴散らし、砕きながら迫る。
「な、なんだと?!」
砕けていく。人の幻想が生み出した至高の武具の数々が、少女たちの祈りの力に打ち砕かれていく。
そして、
「があああああああ?!」
全ての宝具を蹴散らして届いたまどかの一撃にアーチャーが呑み込まれる。
やった!
そう私は思った。だが……土煙が晴れれば、アーチャーはまだ立っていた。
黄金の鎧は砕け、全身から血を流しながらも、膝を屈することなく立っていた。
「おのれ……おのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれ!!!!!」
アーチャーがその血に染まった艶やかな美貌を憤怒に染め、殺意に満ちた目でまどかを睨む。
「次は倒します。降伏してください」
対し、まどかは冷静に降伏勧告をする。
甘いとも言えるけど、確かに降伏してもらえるに越したことはない。アーチャーを倒して、聖杯が完成してしまえば元も子もない。
だが、
「舐めるなと言ったはずだ雑種ぅ!!!!!」
アーチャーが空間を歪ませ、イリヤスフィールを捕えた鎖を引き出した。
「天の鎖よ!!」
その鎖がまどかに向かって伸び、その身を縛り上げた。
まどかが弓を再び引こうとするが、うまくいかない。まさか神をも縛る宝具なんてあるの?!
「それは神を律する鎖。よもや貴様等如き存在に、これを共に使う羽目になるとは!!」
そして、再び右手が空間の狭間に潜り込み、奇妙な武器を引き抜いた。刀身に当たる部分が三つの円柱で成り立つそれは、あえて当てはめるなら剣と呼べるだろう。
「光栄に思うがいい。本来ならこれを見るに値するのはセイバーくらいのものなのだからな!!」
アーチャーの言葉と共にその剣の円柱がそれぞれが独自に回転し始める。迸る魔力に空間が悲鳴を上げる。いや、円柱の周りの空間がその回転に引き裂かれている。
まずい……このタイミング、おそらくあれは無数の宝具を操るアーチャーの切り札。そして、もし拘束されたままあれを受けたのなら、いくら今のまどかでもただじゃ済まない!!
まどかは必死に弓を構えようとするが、アーチャーの方が早かった。
「欠片も残さず消えろ雑種! 『天地乖離す開闢の星』(エヌマエリシュ)!!!」
その力が解き放たれた。空間を引き裂きながら迫る一撃。まどかは反撃も、防御もできない。
「まどか!!」
私は悲鳴を上げていた。
だけど、私は忘れていた。まだ仲間がいたことを。
私の横を、疾風が駆け抜ける。
「アーチャー、私を忘れてもらっては困ります!!」
セイバー!!
アサシンを倒したであろうセイバーがまどかの前に飛び出す。
そして、光り輝くその剣を振り上げ……
「『約束された勝利の剣』(エクスカリバー)!!!!」
聖剣の一撃と、アーチャーの一撃ぶつかり合う。
だが……押されていた。セイバーのエクスカリバーが!!
「ふはははは! 流石だセイバー! だが、我が一撃は何者にも敗れん!!」
セイバーの足が後退する。
だけど、セイバーが時間を稼いでくれているうちに、私はまどかに駆け寄っていた。
「たく、しっかりしなさいよ!」
「り、凛さん?!」
私は驚くまどかの手を取り、弓を引かせる。
がしゃっと鎖が鳴る。お、重い。でも、このくらいい!!
「行くわよまどか」
「は、はい!!」
私たちはしっかりとアーチャーを狙い、そして……弓を放った。
今度は一条の光が走る。それはまっすぐに飛び、今にも打ち負けそうだったエクスカリバーの光を押し、溶け合い、一体となってアーチャーの一撃を砕いていく。
「な、なにい?!」
そして、驚愕するアーチャーが桃色と黄金に彩られた光に飲み込まれた。
(死ぬ? この我が、王たる我があのような雑種に倒されると言うのか?!)
光に飲まれたアーチャーは不思議な感覚に包まれていた。
(だが、なんだこれは? 不思議と心が落ち着く。温かい……)
それは、まるで陽の光に包まれたかのような穏やかな心地だった。
その時、確かにアーチャーは見た。光の中で、自分を抱きしめるあの少女を。
(まさか……貴様、我を抱くというのか?)
自分の問いに答えるように微笑む少女に、アーチャーは口の端を釣り上げた。
(なんという不遜! なんという不敬!! 王たる我を抱くとは……)
それ以上は言葉にならなかった。気づけばアーチャーは笑っていた。可笑しくて可笑しくて仕方がないと言った顔で。
「ふふ、ふはは、ふははははははははははははははははは!! 気に入った!! 気に入ったぞ、アーチャー!!!!」
それはただの数度しか他者を認めたことのない彼がまどかを認めた瞬間だった。
そして、笑いながら、アーチャーは、人類最古の英雄王ギルガメッシュは光の中に消えて逝った。
「ほう、ギルガメッシュを倒したか」
感心したように綺礼が声を上げる。
ギルガメッシュ、それがアーチャーの真名か。
「ではどうする? 聖杯を破壊するか?」
「ええ、そうさせてもらうわ」
私はそう返して、
「待ってください聖杯を破壊するとはどういう意味ですか?!」
セイバーが声をあげる。
しまった、セイバーは話を聞いてなかったんだった。
「セイバー、簡単に説明すれば聖杯は『この世全ての悪』に汚染されてる。言峰はそれをこの世に解き放つつもりなんだ。そうさせないためにも、聖杯はこの場で破壊する!」
足早な士郎の説明にセイバーは目を見開いてから。目を閉じる。
「そうですか。だから切嗣は私に聖杯を破壊させたんですね」
「えっ?」
突然養父の名前が出て驚く士郎。
えっと、十年前にセイバーは召喚されたって言ってたけど、まさか、士郎のお父さんに召喚されたっていうの?
親子そろって同じ相手って、どういう縁……ああ、いや、むしろその縁で召喚されてしまったのか。
セイバーは聖杯を睨む。
「聖杯を破壊しましょう士郎」
「い、いいのかセイバー?」
「はい、そんな聖杯は、いえ、私はもう聖杯はいらない。もう、王の選定をやり直そうとは思っていません。私は私を信じたものたちのために、己の道を誇り行きます!」
王の選定をやり直す。つまり、過去を変える。それがセイバーの願い。それも、もういらない、か。
みんな変わった。たった一人の少女のお陰で。
私はなんだか誇らしくなった。自分がまどかのパートナーであることが。
その時だった。ぱきっと何かが鳴ったのは。
音のした方を見る。すると、イリヤスフィールの体に正確には心臓があるあたりにヒビが入っていた。な、なによあれ……
そして、ゆっくりとヒビが広がっていき、それが、罅から這い出し……イリヤスフィールが、聖杯が砕けた。
それは――――黒かった。黒いドレスを纏い、濁った紫の髪がその背を流れている。人が不快になる色で塗りたくったようなそれは、薄かった。まるで二次元のものが無理に三次元に形を成したような奇妙さ。
そして、その姿は
「まどか?」
そう、つい呟いてしまうほどまどかに似ていた。まどかが大きく目を見開く。
「おお、遂に、産まれ、た、か」
綺礼が崩れ落ちる。瞬間、それはまるで木の枝のような触手を伸ばして、綺礼を貫いた。
貫かれた瞬間、綺礼はどこか満たされた、だが歪な笑みを浮かべて倒れた。死んだ、の?
それを見た瞬間、
「な、んで、なんでそこにいるのクリームヒルト!?」
まどかが叫ぶ。そして、それに反応したのか、そいつは私達を見る。
「ひっ?!」
目があった瞬間、私は悲鳴を上げていた。
なんだあれはなんだあれは?!
わからない。なにもわからない。
ただひとつ理解できたのは、あれが『絶望』であること。
死の恐怖でもない。本能の警鐘なんかでもない。ただ魂が理解している。あれに勝てるわけがないとわかってしまった。
そして、それはこちらに向かって大量の触手を伸ばしてきた。
「っ!」
まどかの矢が撃ち落とし、セイバーがそれを切り払おうとして、剣が砕けた。
星が鍛えた聖剣がまるでガラス細工のように易々と。
そして、その身を触手が貫く。セイバーも、その瞬間安らかな笑みを浮かべる。
「ア、アヴァ……ロン」
セイバーはそう言い残し、消滅した。
「セイバー!?」
さらに迫る触手に、まどかは背を向けてこっちに向かいながら翼を広げる。
倒れていた士郎を拾い、私の手を取って空に逃げる。
さっきまで私達がいた場所に無数の触手が突き刺さる。
「な、によあれ、なんなのよ。あれが、あれがアンリマユなの?!」
「違います。あれは、魔女です」
静かにまどかが告げる。
「ま、じょ?」
「はい。救済の魔女『クリームヒルト・グレートヒェン』その性質は『慈悲』」
まどかはそこで一回言葉を切る。
「私が魔女になった姿です」
なん、ですって?
まどかが魔女になった姿って……そこで気づいた。
『でも、今のソウルジェムは自然と穢れが小さくなってるんです』
まさか……
「まどか、あなた前にソウルジェムの回復を不思議がってたわよね?」
「えっ、はい」
まどかが頷く。
「もしかして、あのソウルジェムの回復は、穢れを聖杯が取り込んでいたからなんじゃないの?」
まどかが目を見開く。
そう、汚染されていた聖杯は同じマイナスの存在である穢れを取り込んでたんじゃないのか?
そして、まどかが力を使う度に少しずつ溜まっていった穢れが聖杯を、アンリマユをまた変質させていったんじゃないのか? 最悪の魔女へと。
「まあ、考えるのは後よ。まどかあいつの能力を教えて!」
綺礼も、セイバーもなぜあんな顔をして死んでいった?
「クリームヒルトは、この星の全ての生命を取り込んで、結界に、自分の作り出した天国に導きます」
そうか、だからセイバーは、アヴァロン――――理想郷って言っていたのね。
「そして、倒すにはこの世全ての不幸を取り除かなければいけません。そうすればクリームヒルトはこの世界が天国だと錯覚し、役割を失います」
そう、全ての不幸を取り除けばいいのね。なら……
――――なによそれ。この世の不幸を取り除く? そんなの……不可能に決まってるじゃない!!
「どうしろっていうのよそんな相手! 魔女なんでしょ? あなたの宝具で倒せないの?!」
まどかが石段の前に降り立つ。
「……さっき試しました。でも、今のクリームヒルトは聖杯の『この世全ての悪』と取り込んだことで魔女とは違うものに変質してしまったようです。同時に、私がかつて戦った時よりもより強大になっています」
そんな……
この場で戦えるのはまどかしかいないのに、そのまどかの力でも……
まどかが背中を向ける。
「凛さんと士郎さんは逃げてください。クリームヒルトは……私が止めます」
な?!
「何言ってるのよあんたは! ここは一時撤退して作戦を立て直さないと」
「クリームヒルトは十日間でこの星を滅ぼせるんです! いえ、アンリマユを取り込んで、もしかしたら、それよりも早いかもしれません!!」
十日? たったの十日で?
「だから、止めます。私が、私のせいだから……さようなら凛さん」
それだけ言ってまどかは飛翔する。
私はそれを見送り崩れ落ちた。
「こんなのって、こんなのってないわよ!!」
気づけば私は叫んでいた。
あの子は死ぬ気だ。最悪相打ちに持ち込むつもりだろう。それが可能かどうかもわからないが。
「もう……おしまいよ」
自分らしくない弱気な発言を零した。だけど、
「まだ終わりじゃない」
隣の士郎が呟いた。
「終わりよ……あんなのに勝てるわけないじゃない」
私は士郎の言葉を否定した。もうただの人間の私たちなんかではどうしようもない。
だけど、
「いや、まだだ。希望はある」
希望?
見上げると、まっすぐに前を見つめる士郎がいた。
「俺が希望だ」
長い柳洞寺の石段を駆け上がる。
その先から幾度も世界そのものが揺れたと錯覚させるような振動が大地を揺るがし、そのたびに私たちの足が止まる。
だけど、急がないと、決着がつく前に!!
そして、私たちが昇り切ったそこに柳洞寺はなかった。戦いの余波で何もかもが吹き飛ばされていた。
数千、数万、数億と放たれる触手の嵐がまどかに迫る。
空も覆う呪詛の具現を、まどかは空に向かって弓矢を放ち、直後空から幾万もの光の矢で弾く。その一射、一射はバーサーカーをも滅ぼしきれるであろう魔力が込められている。
それは、もはや人の辿り着く事の出来ない高次元の、神のレベルでの戦いだった。
「凛さん、士郎さんなんで?!」
まどかは一瞬こちらに向いて、余裕がないのかすぐに前を見る。
答えてる暇はない。あれを捜さないと……私は更地となってしまった周りを見回して、あった!!
走る。走る。まどかが撃ち漏らした、もしくは、単なる流れ弾か、迫る触手を避け、時に宝石を使ってガードしながら、それを拾い上げる。
「士郎!!」
私はそれを、『Archer』のカードを士郎に投げ渡す。
「ありがとう遠坂! 夢幻召喚(インストール)!!」
一瞬で士郎が英霊エミヤに変身する。
これが希望かと聞かれたら、そうであると言えるし、そうではないとも言えるだろう。
英霊エミヤでは魔女、クリームヒルトには敵わない。だが、彼女を打倒するために必要なものを一つだけ持っていた。
《 体は 剣で 出来ている 》
士郎が呪文を詠唱する。
《 血潮は鉄で 心は硝子
幾たびの戦場を越えて不敗 》
この場を打開するための切り札。
《 ただ一度の敗走もなく
ただ一度の勝利もなし 》
世界に広がる呪文。
《 護り手はここに独り
剣の丘で願いを祈る 》
そう、これは世界を書き換える禁忌の大魔術。
《 ならば、 我が生涯は守るためにある
この体は、 無限の剣で出来ていた 》
その言葉を以って、士郎の“魔術”は完成した。
瞬間、暗闇の中を炎が走った。
紅炎は士郎を中心にして、私やまどか、そしてクリームヒルトさえ巻き込みながら円を描くように一周する。
明けかけていた夜空も、風も、木々のざわめきもその存在ごと完全に消え去る。
空は血に塗られたかのような夕焼け、そして大地は夕焼けを受けているように赤く染まって、何処までも続く荒野が広がっていた。だが、再び一瞬でそれらが塗り替えられる。
今度は冬の森だ。厚い雲が空を覆い、寒く、どこまでも葉を持たない裸の木々と雪の絨毯が世界を埋めている。
そして、また世界が形を変えた。綺麗な青さを持つ空が広がり、大地は走り出したくなるような豊かな草原が広がり、そこに穏やかな風を受ける無数の剣が抜き身で突き立っていた。
これが、士郎の心象世界なのか、イリヤなのか、それとも両者の影響でまったく違うのかはわからない。だが、どこか天国を表すに相応しい世界な気がした。
────固有結界、アンリミテッドブレイドワークス。
それは、自分の心象世界を現実に侵食する大禁呪。
その理は“魔法”に最も近い”魔術”と称され、魔術師にとっては一つの到達点とされている。それを士郎がなした。
これが……切り札!!
ここはすでに異界。現実の世界から切り離されたここには私と士郎とまどか、そして、クリームヒルトしかいない。つまり、他の全てを排除することで『世界全てから不幸を取り除く』条件は満たした。
士郎が崩れ落ちる。それを私は支える。
「長くは持たない……決めろ鹿目!!」
それでも、士郎は前を見ていた。まどかがクリームヒルトを倒すと信じて。
「はい!!」
まどかが頷く。その顔にほんの少しだけ笑顔が戻る。
なんか、それが羨ましい。私はまどかを助けられない。でも、士郎は助けられる。
いや、そんなことはどうでもいい。ただ、今は信じるだけ。まどかが勝つことを。
青空をクリームヒルトの触手が覆い、まどかがそれを撃ち落とす。
だけど、届かない。触手を撃ち落とせはするけど、本体まで矢が届かない。
まどかの言が正しければ、クリームヒルトは魔女でなくなり、かつてまどかが倒した時よりも強大になっているという。
魔女として倒せないなら、『円環の理』では倒せず、まどか自身の力で倒すしかない。
触手を撃ち落とせる以上、それでもまどかの力の方が強いのだろう。だけど、このままじゃ、士郎が消耗しきるのが早い!
どうすればいい? 再び令呪でブーストして……でも、今の状態のまどかに効くとは思えない。
考えろ、考えるんだ。あと少しで固有結界も解ける。そうしたら、もう私たちにクリームヒルトを倒す術がなくなる。
どうすればいい? あれに天国へ案内されるなんて、私は遠慮したいわよ。
……天国?
ふと、思いついた。魔法少女の力は希望の力。今のまどかはそんなレベルじゃないけど、でも、もしかしたら……
駄目でも構わない。令呪は二つあるのだから。
「まどか!」
私は令呪を翳す。
「強く思いなさい! この世界は天国なんだって!!」
二つ目の令呪が消える。
何かが劇的に変わったわけじゃない。
ただ、少しだけ、まどかが微笑み、その翼の輝きが強くなった気がする。
そして、まどかが弓を弾く。と、先よりも矢が強く光を放つ。
それを解き放つと、クリームヒルトの触手を砕きながら、突き進み、クリームヒルトに命中した。
「もう、いいんだよ」
まどかの矢に弾き飛ばされながらも、クリームヒルトはまた触手を伸ばす。
それも、まどかの矢に打ち砕かれ、その身に突き刺さり、その身を砕く。
クリームヒルトが押され始めた。
『私が助けないと。私が守らないと』
初めて、クリームヒルトが口を開いた。まどかに似た、でもどこかくぐもった声。
『マミさんも、さやかちゃんも、杏子ちゃんも、お父さんもお母さんもたっくんも、仁美ちゃんも、士郎さんも、セイバーさんも、桜さんも、メデューサさんも、慎二さんも、メディアさんも、言峰さんも、凛さんも……みんな、みんな傷つかない、幸せになれる場所に連れて行ってあげないと』
次々と出てくる名前に私は涙が出そうになった。
あんな……あんなものになってもあの子は大切な人たちの、誰かのためのことを考えてる。
それが、あまりに哀しくて、切なくて、辛かった。隣の士郎も顔を伏せている。
「もういいの。確かに悲しくて、辛いこともある世界だけど、ここは素敵な場所だよ。士郎さんがいて、桜さんがいて、大河さんが、みんながいて……凛さんがいる」
でも、かつて同じものだったものを真っ向からまどかは否定した。
『駄目、ここは天国じゃない。誰かが不幸になるんだから、だから……』
それに対しまどかは首を振り、弓を構える。
極限まで高められた魔力が集う。魔法陣が展開される。
「人が生まれて、育って、死ぬ場所、それが、その全てが私たちの天国なんだよ」
そして、解き放った。
桃色の輝きがクリームヒルトを覆い、浄化し、その身体を消し去っていく。
それだけでは留まらない。固有結界の中を光が満たして……
私はまたあの奇妙な世界に飛ばされた。
そして、曖昧な世界の中で、それを見た。
それは、古い村だった。そこで一人の人間が本来の名を奪われ、『この世全ての悪』を体現する悪魔「アンリマユ」の名と役割を背負わされる姿だった。
始まりはそれだった。それが、後に聖杯すらも汚染する『この世全ての悪』の始まり。
なんて身勝手で、なんて救いがない。それこそ人間の悪そのものだった。
だけど……
――もういい、もういいんだよ。あなたはもうその願いを受け入れなくても。
まどかはそれすらも受け止める。
――私は『この世全ての悪』だ。みんながそう私を呼んでいる。そう、みんなが私を蔑んで、呪って、疎んじる。それが私の選んだ道だ。皆が善であるために、私は悪であることを受け入れた。
嗤うアンリマユを、いや、ただの人間だったものを、慈愛に満ちた微笑みを浮かべながら抱きしめる。
――あなたはそんなものじゃない。あなたは普通の人。ただみんなのために何かをしようとしただけ。『この世全ての悪』なんかじゃなくていいの。だからもういいの。
その言葉に彼は涙を零した。
――本当にいいのか?
まどかが微笑むと彼は安らかな笑みを浮かべる。
――ありがとう……
その言葉と共に私の意識はまた遠くなっていった。
また、私はどこかにいた。何処でもない何処か。何時かではない何時か。
目の前にどこまでも広い青い空が広がっている。私たちは手を繋いで寝転がりながら空を見上げていた。
「これで、終わりなの?」
自然と私はまどかに問いかけていた。
「はい、アンリマユを、あの人を私が円環の理に導いたから、もう聖杯が汚染された結果はなくなりました」
クリームヒルトを倒したことで、あれと同化していたアンリマユもまどかは浄化した。
故にアンリマユはキャスターと同じで召喚されることはない、だから聖杯も汚染されない。
「だから、終わりました」
それは同時に私たちの聖杯戦争がなくなることを意味する。汚染されなかった聖杯がどんな聖杯戦争を起こすかわからない。ただ、私たちが戦った聖杯戦争とはまた違うものとなるだろう。
そして、まどかが召喚されたことも。
今ならわかる。この子が召喚されたのはアンリマユを救うためだ。『この世全ての悪』の元になった人間がその運命を受け入れながらも心のどこかで叫んでいた悲鳴をこの子は聞いたから、だから救いに来た。
原因となったアンリマユがいないなら、この子が召喚される理由はなくなるのだから。
ぽつっと二滴の雨粒が青空から落ちて、私の顔にかかる。
それが、つっと私の頬を流れる。まるで私の涙みたいに。それを私は拭う気にはなれなかった。
「そろそろ、お別れです凛さん」
まどかが体を起こす。私も体を起こす。
そして、しゅるっとまどかは髪を留めていたリボンを解く。
「これ、これくらいしか渡せませんが」
と、まどかがリボンを私の手に握らせてきた。
「なら、私も」
私もリボンを解いてまどかに渡す。
「凛さん、私、凛さんがマスターで幸せでした。長い、本当に長い時間の先でまたこんな大切な、最高の友達ができたんですから」
ゆっくりとまどかが光になっていく。
「ありがとう、私もあなたがパートナーで幸せだった」
まどかが微笑む。私も微笑む。
そして、まどかが消えるとともに、この世界も消えて行った。
~エピローグ~
私は目を覚ました。
「あ~、もう、今日も最悪……」
そう呟きながら、私はベッドから這い出して、手早く着替える。
そして、ピンク色のリボンで髪を結ぶ。周りからは似合わないって言われるけど、いいでしょ別に。
それから、階下に降りる。
「あら、凛おはよう」
「おはよう母さん」
「おはよう凛」
「父さんおはよう」
リビングに入れば、そこに私の両親が待っていた。
聖杯戦争で戦死したはずの父と、それを追うように病気で亡くなったはずの母が。
「ほら、ちゃんと朝ご飯を食べないと駄目よ」
「あ~、はい」
以前は朝ごはんを抜く主義だったけど、母の手前そんなことは言えなかった。
すでに席についていた母と父に遅れて席につく。
『いただきます』
それは、以前の私にはなかった、家族の風景だった。
食事を終えてから学校へと向かう。
その途中、
「よう、遠坂」
「あ、おはよう士郎」
士郎とたまたまあった。
この士郎も以前の士郎と違う。どの付くお人よしなのはそのままだけど、自分の意見もちゃんと通す。
これも、あの子の影響が残っているのかもと思ったこともあるけど、士郎がまったく覚えていないことに哀しくなったこともあったわね。
そして、なんとなく二人で雑談を交わしながら穂群原に向かった。
放課後、またなんとなく士郎と一緒に帰宅することになったんだけど、
「あれ、なに?」
校門の前に人だかりができていた。
その向こうには、金色に塗られたリムジンが止まっていた。
金色……まさか、
「よおう雑種。久しぶりだな」
と、リムジンから降りてきたのは、アーチャー、いや、ギルガメッシュ。本当にあんただったのか。親しげというには若干尊大な態度で士郎に声をかける。
ギルガメッシュの登場に遠巻きにリムジンを見ていた女子がきゃーっと黄色い悲鳴を上げた。
「なんだ、ギルか」
と、めんどくさそうに士郎が反応する。
「今日、セイバーを呼ぶのだったな。我も行くから馳走を用意しておけ」
と、なんてことのないように爆弾発言をかましやがった。
いやいや、すでに士郎がセイバーを呼ぶのは確定なの?
「あ、ギルガメッシュさんこんにちは」
「おお、由紀香か。久しいな。孝太にさっさと貸したカード返せと伝えておいてくれ」
はーいと三枝さんが返す。いやいやいや、なんだそのやり取りは!!
それから、リムジンから眼鏡をかけたいかにも秘書と言った感じの女性が「社長、時間です」とギルガメッシュに声をかけることで、去って行った。
「えっと、あんたたちどういう関係なんだっけ?」
「あれ、前も言わなかったか? あいつ、じいさんの知り合いで昔から何かとうちに遊びに来てるんだよ」
昔はなにかといい兄ちゃんだったなあとか士郎が述懐する。
なんか、突っ込んだら負けな気がする。聞いといてあれだが、さっさと帰ろうと思って、
「お兄ちゃん、凛さーん!!」
と、聞きなれた声に振り返る。と、ランドセルを背負ったイリヤがこっちにかけてくる。
……その後ろにフォーマルなスーツを纏ったバーサーカーを連れて。
「あ、イリヤ、今帰りなのか?」
と、普通にイリヤと会話する士郎。
えっと、なんなんだろうこの状況……
「こんにちはミス遠坂、今日もお美しいですね」
などとバーサーカーがのたまう。紳士だった。
「え、ええ、ありがとう。あなたもいい服ね」
と、我ながら妙な返しをしてしまう。
「ええ、お嬢様にお仕えするに相応しいフォーマルなスーツに新調しました」
ああ、そうなんだ。
もうつっこまない。もうつっこまないわよ。
そう決意して、私は帰路についた。
ああ、なんなんだろう。
私はソファーの上に倒れこむように座った。
あの後、幼女なライダーを連れた慎二に、少し黒い桜、若奥様なメディアと葛木に出会った。
……これが本当に正常化した聖杯戦争なのか? 別の意味で狂ってしまってないか?
などという疑問が湧いてくる。
が、真相はすでに確かめられない。あの子はもういない。そっとリボンに触れる。
「凛、そろそろ時間だぞ」
「ええ、わかっています」
と、父の言葉に返事を返す。
そう、士郎と同じく、私も今日、サーヴァントを呼ぶ。
狙いは最良のサーヴァントセイバー……ではない。できるならアーチャー、そして……
いや、無理だろうと自嘲する。ああ、だけど……
私は父にばれないよう儀式の用意をしながらそっとリボンを置いた。
そして、儀式を進める。
以前のようなうっかりもない。なにせ母が時計を、時間を入念にチェックしてくれたのだから。
なお、父は母によってそれを止められてしまい、落ち込んでいた。まあ、同じうっかり癖がある以上、できたらやめてほしかったし。
しかし、なんか悲しくなってきた。自分が言ったこととはいえ親にまで手伝われたなんて。
「汝三天の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!」
手応えは完璧だった。これ以上ないくらい。
そして、彼女が召喚された。
ピンクの髪を私が贈った黒いリボンで結び、ゆったりとした優美な白いドレスを纏った女神が……
自然と私は微笑んでいた。
――お帰りまどか
――ただいま凛さん
~完~
~~~~
Fate stay Magica完結です。
まどか神の力で世界は平和になりましたちゃんちゃん……と若干ご都合主義なラストですが、やりたいことはいろいろやれました。満足です。
固有結界の詠唱と心象世界の変化は、士郎とイリヤの二人の同化の影響です。あと、答えを見つけた士郎の変化もあります。(士郎と英霊エミヤの固有結界の差みたいな感じのつもりです)
そして、まどかと凛のいる場所はOPでまどかが寝転がりながら猫を抱き上げている姿が元のイメージです。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。