不自然なほど木々に覆われた空間の中、甲冑を着込んだ騎士がいる。軽い鉄板がいくつも取り付けられた、北の大国ボーレタリアでは珍しくもない、フリューテッド一式に身を包んだ男だ。彼はかつて大国南方にいるだけの下級騎士であり、世界を左右する場に立つほどの器もなければ武技もなかった。
しかし、その凡庸たる騎士を尋常ならざる存在へ作り変えたものがある。はるか昔、古い人たちが世界を統べるために用いたもの、ソウルの業。信仰で生じる奇跡、魔力によって編まれる魔術、多岐に渡って及んだ業は、彼を強化する全てだった。王都を守護する北騎士と対峙することすらやっとであった下級騎士は、今や無謬の力を持って拡散する世界を繋いだのだ。
騎士の、視界の悪いヘルムから見据える先には、呻きながら飽和するように消滅していく醜い大国の君主、賢王であったオーラントがいる。誰も望んでいない、と今際の際に告げる老王の粘りつく野太い声は、消滅の音に飲まれて消えた。
それを意に留める動作もせず、騎士は何気なく左方を見やる。そこには、黒い歪な大剣が引き抜かれるのを待っているかのごとく、水面に突き立っていた。妖しくも美しい装飾がなされた大剣は、彼が右手に握るロングソードなどと比べるまでもなく業物であり、普通であれば迷うことなく引き抜き己の物とするだろう。
だが彼は一瞥したに留まり、すぐに視線を逸らした。関心など初めからなかったとばかりにロングソードの血振るいをし、左腰の鞘へと納める。黄色い竜紋が描かれた盾を持つ左腕に入れていた力も抜いて、緊張していた心を解放。そのまま誰かを待つように、ヘルムの内で目蓋を閉じ、水面が僅かばかり立てる清らかな音色に耳を傾けた。
ほどなくして、待ち人は現れた。手入れがされなくなって久しい、束ねられた艶のない黒髪。体中に、幾重にも巻かれた黒布の衣。長い灯火杖を携え、そして顔の半分を蝋のようなもので潰され視界をなくしている、儚げな女だ。
「……これですべて終わりました。デーモンを殺す方、あなたは、このまま上に戻ってください」
女、火防女は騎士の傍らで、優しい声色で言った。火防女の言うとおり、デーモンを殺す方と呼ばれた騎士は、この空間の出口へ歩みを向ける。彼の背後、火防女は木々で覆われた深奥、光り輝く洞の前に立ちただそれを見ている。
その様子を振り返り確認することなく、水面をしぶかせ鎧を鳴らして歩を進める騎士の背は、どこか孤独を感じさせた。浅い泉から上がり、木の根の道を見れば、輝く霧が行く手を阻んでいる。これを潜れば、戻ることは叶わない。
「……ありがとうございました。あなたのおかげで、やっと、役目を終えることができます」
やはり優しい声で言う火防女に対し、騎士は色々な感情を持っていた。彼を最も強くしたソウルの業は、彼女の術だ。世界を繋ぐ力を与えてくれた彼女には、感謝の念がある。しかし……。
騎士は思考を断ち、霧を抜けて戻っていく。歩みは決して軽くない。とてもボーレタリアに蔓延る悪魔たちを葬り、拡散する世界を繋ぎとめた英雄の足取りではないのだ。
森のような道を抜ければ、そこはくらめくほどに美しい砂浜。振り返れば、海鳥舞う空を背景にする、色のない濃霧と恐ろしいデーモンたちを生じさせた、林道のような口を持つ巨大な獣。騎士が先までいたのは、緩やかな崩壊を誘う古い獣の体内であった。彼がデーモンを殺す方などと仰々しい二つ名で呼ばれたのは文字通りであり、この獣によって生じたそれらを殺すものであったからだ。
そして今、原因の獣は再びまどろみへ落ち、世界は平和へ向かっていく。なのに、騎士の足取りが重かったのは、その背が酷く寂しいのは、移ろう世をその身で感じることが、“一度も”叶っていないからだ。
彼は、何度獣が浜から頭を上げて眠りにつく光景を見たかわからない。何度デーモンたちを滅して来たかわからない。気がふれてしまいそうな繰り返しの中、乱れる心のやり場を、彼自らが救った者を手に掛けることでおさめたこともある。繰り返しの原因を火防女と決め付け、何度も刃を突き立てたこともあった。獣の力を得、デーモンへと成り下がったことだってある。
彼は両手を強く握り締め、すぐに緩めた。これから、拡散する世界を真に繋ぎとめるため、騎士は観測者である要人となる。幾度も経験していることと諦観からか、彼の心は穏やかに萎んでいた。またやり直せばいい、と。だが、そうやって空虚にやり過ごしては来たものの、騎士は確かな疲れを感じていた。
淡く優しげに降り注ぐ日の光。それを爛々と照り返す海面。踏み込めば沈む清廉な白砂浜。その場に不釣合いであるはずの、古い人たちと獣が争った爪痕たる楔の剣群と瓦礫も、廃退的でありながら美しい。騎士はそれらを感じながら、手ごろな瓦礫に寄りかかりながら浜へ腰を下ろし、癒えぬ疲れを搾り出すように深く息を吐いた。
そうしているうちに、彼の意識はゆっくりと霞んで行く。意識が途切れる間際、彼は願う。いつか、繋いだ先を見てみたい、と。
●
常冬の地にある山間に、かつては第三魔法を有していたとされる、千年以上も続く家系アインツベルンの城が荘厳に佇んでいる。第三魔法。端的に言えば不老不死たるその奇跡を、ただひたすらに追い求める者たちが在る場所だ。
錬金術に秀でた魔術を持つこの家系は、やはり貴金属の扱いにおいて無類であり、その技術は手に入れた者の願いを叶える聖杯の器を作るほど。彼らは第三魔法を取り戻すため、ひいてはその先へ至るために、東の地にて行われる血で血を洗う闘争へ、最強の駒を放とうとしている。
身体に施された改良は万全で、その内に保有する魔力も無論膨大。闘いを制する従者もよく選別した。敗北など考えられぬ、磐石にして揺るがぬ勝利を予感させる布陣。彼らはそうなるはずだった。
「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」
従者を喚ぶ呪文が、不夜城の一室に粛々と響く。それは極東の地にて行われる闘争……否、戦争への早すぎるプレリュード。
「されど汝はその眼を混沌に曇らせ侍るべし。汝、狂乱の檻に囚われし者。我はその鎖を手繰る者――――」
七組計十四名よって引き起こされる、戦争に匹敵する少人数の闘い。その最後に立っていた者は、聖杯を手にすることができる。何度も辛酸を舐めてきたアインツベルンは、今回ばかりは負けられないのだ。
ここに憂いは欠片もなく、戦争が始まる二ヶ月も前にルールを侵して従者を召喚する。部屋の中央にある、円線と文字で敷かれた魔力渦巻く陣と斧剣が、確固たる勝利と魔法を、無垢なる少女の痛みと引き換えにもたらすのだ。
「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――――」
しかし最後の一説が発せられた瞬間、魔力の渦の中心から、色の無い魔力が突如湧き出たことで綻びが生じる。
「っ――――!」
不足の事態の中、憐れな契約者である少女は絶叫し、体中を雷に撃たれたように跳ね上げ床に崩れた。痛みにのたうちつつ見上げた先は、靄がかかっていてわからない。破裂しそうな身体を指が食い込む程に抱きしめる。激痛を与える者がいるだろうそこから視線だけは逸らさずに。
そして、ようやく露になった存在に少女は憤怒する。なんの変哲もない鎧を着込んだ、英雄たちに一刀の下斬り捨てられそうな三流騎士。いわれもない痛みは、この木偶の棒が原因なのだから。
「――――……!」
だからといって、此度の聖杯戦争を諦めるという選択肢がアインツベルンにあるはずもなし。当初の予定通り、少女と従者を訓練という名の拷問にかけるべく、餓狼が闊歩する森に至る転移魔術が発動する。
転移陣の光は室内を白に染め上げ、輝きが失われた時には、騎士と少女は消えていた。
痛む少女と空虚の騎士は、かくして地獄へ叩き落された。
●
素肌を刺す雪風と、刻まれた呪いを内から食い破る反則の代償。雪原に倒れ伏す少女、イリヤスフィールは、熾烈な責め苦の中にいた。その傍らには、少しばかりの理性が残された騎士がいる。凍え苦しむ少女に救いの手を差し伸べるように腕を上げる。
「――――ぐ、ああ、ああ――――!!」
が、そのたびにイリヤスフィールは絶叫する。本来は大聖杯の補助を得てこそ成される奇跡を、その小さな身で負担しているからだ。一介の魔術師では到底まかなえる魔力量ではなく、改良を施された彼女だからこそ従者を繋ぎとめていられるのだが、命を蝕まれているのに変わりはない。
魔力によって現界している従者が動けば、その分それは消費され、流れ出た分を契約者であるイリヤスフィールから搾り出して取り戻す。
それに伴い、彼女の全身に刻まれた令呪は、死さえ生ぬるいと思える痛みを発するのだ。
「――――……」
だから、騎士は何も出来なかった。体の内から流れ入るイリヤスフィールの、強烈な痛みの訴えかけと、灯り始めた怨みの念。彼女が何かをなそうと動くのが先か、尽きるのが先か。彼から出来ることは、何もないかと思われた。
濃密な獣の臭いがする。餓えに飲まれたものが持つ、理性なく命を奪う死の気配が。騎士はよく似たものたちを知っている。何度も屠ってきたのだ。忘れることなどできはしない。視界の悪いヘルムの先、それらを見て取ることが出来た。
そこには狼がいた。神秘に対抗し得る力をアインツベルンによって与えられた、本能を凝縮した大狼が何匹も。
騎士には二つの道があった。一つは何もせず、少女と共に朽ちる道。もう一つは、幾度もの繰り返しとは明らかに違うこの世界で、たとえ繋いだ先でなかったとしても、生き残る道だ。彼は狂化によって複雑な思考が難しいものとなっているが、強固な精神を持つがために、少女を慈しむ心を残していた。だから動くことをためらう。己の行動が、痛みもたらすからだ。
せめぎ合う狂と理の狭間に立たされた彼は、結局何もできずに、果てる運命にあるかと思われた。大狼の鋭い眼が、イリヤスフィールを映していなければ。
騎士、バーサーカーは、契約者の絶叫を鑑みずに動くことを決める。見れば、剥かれた牙はイリヤスフィールへ喰らい付こうと、一直線に駆けてきている。
彼は霞みのかかった頭で思う。今、あの拡散した世界でないどこかの景色を、片時でも見たことへの代償が少女の痛みなのだとしたら、償わなければならないだろうと。
「――――う、っ、――――あああっ!!」
右手を鞘に収められた剣の柄にかけただけで、痛みと共に制止の指示を出される。彼女を侵す苦痛は如何程のものだろうか。壮絶な死を何度も経験した彼でも、それを計ることはできない。
だが、それ加えて、獣に食い殺される苦しみまで負わせて良いわけがないのだ。彼女から流れるものに、迫る顎の恐怖が感じられた時、彼は剣を引き抜いた。
雪を踏みしめ鎧を鳴らし、重さを感じさせない動きで狼へ駆ける。バーサーカーは恐れない。いくら強化がなされていようと、滅してきた悪魔たちに比べれば、どうということはないのだから。抑止を振り切り、彼女へ更に激痛を与え、ようやく振るわれた剣は、いとも容易く大狼を切り伏せる。
彼に後悔はない。背後に、負担の所為で全身を血塗れにし、喉を枯らしながら泣き叫ぶ少女を、傷つけながらでも護りきるのだ。恐怖に曝される中、彼女からたしかに感じた生への渇望を、決して失わないように。
しかしその密やかな決意は、バーサーカーが見知らぬ地に誘われてから数日の内に意味を無くした。朽ち木に腰を下ろす彼の傍ら、理をとばして結果をはじき出す力の一端か命を繋ぎとめている、イリヤスフィールがいる。力無く発せられる言葉は全て彼に対する罵倒で、狂化によって理性を奪われているか余程温厚なものでなければ、反抗しその喉笛を切り裂くほどであった。
彼女は限界だった。なぜ自分が、このような苦痛を強いられなければいけないのか。どうして自分が、マスターなのか。あれから何度かあった獣たちとの遭遇で、灯った怨みは積み重なり、とうとうその言葉が紡がれた。
「……バーサーカー……自害しなさい」
騎士は、狂化による束縛に慣れた思考で思う。やはり、そうなるか、と。イリヤスフィールに負担をかけるばかりで、結局はなにもなせなかったのだ。彼女に生きる意志はあるけれども、苦痛からの解放が勝ったのである。ただそれだけのこと。せめて尽きる時だけは安らかに。
イリヤスフィールに走る痛みは、これが最後である。バーサーカーは自害を受け入れ、剣を抜いた。擦過音が静かに響き、ヘルムとアーマーの間に得物を当てる。何故ここに喚ばれたのか、そしてここは何処なのかもわからぬままだが、どうしようもない。わからぬ問の答えを諦めるのは、慣れている。繰り返す楔の世界は、彼の心に諦観を刻んでいた。
戸惑いのない動作で、首を横薙いだ。
落ちるヘルム。噴出す鮮血。取りこぼされる剣と盾。崩れ折る体。それらは風化するように、解けて消えた。
消えたはずだった。
「え……」
だれも予想できなかったのだ。否、それは予想などではなく必然で、確かめるすべを持っていた少女が見ようとしなかっただけ。自刃した騎士が、少女の眼前にいる。輪郭は曖昧で音はなく、どこか希薄になった騎士が。
答えなど簡単なものだ。バーサーカーは確かに死んで、蘇生したのだ。
「――――どう、して……」
楔となった少女は、苛烈な痛みと共に枯れた声で呟いた。
●
冷たい夜風が、住宅街の坂を吹き抜ける。
「ねぇ、お話は終わり?」
舌足らずに紡がれた言葉はただ愛らしく、これから始まる惨劇を欠片も感じさせない。そよぐ紫の外套を着込んだ幼い容姿は、街の中で過剰な程に浮いている。街路灯を背にする少女、イリヤスフィールの美しい紅眼は坂を降った先に注がれていた。
影が三つある。圧倒的な存在感を持つ黄色い雨合羽に身を包んだサーヴァントと、内包する魔力は確かな才能を感じさせる赤い少女。そして、己に注がれるべき愛情を独り占めにした少年。
それらを視界に納めながら、イリヤスフィールは思う。ついに念願の舞台に立てたのだ、と。逸る気持ちを抑えることなどもう出来ない。彼女の意思と呼応するように、バーサーカーが現れる。
靄のかかったような輪郭は、やはり英霊であるのに希薄だ。膨大な魔力で編まれているのに曖昧で、剣を引き抜いて構えてもどこか凄みがない。
その不自然なサーヴァントの眼前、赤い少女、遠坂凛はいぶかしむ。
「おかしなサーヴァントね……」
「そう? 無骨ながらも洗練された甲冑はいかにも騎士然としていて、素敵だと思わない?」
見れば誰もが中世を描いた物語に出てくる騎士と思うだろう出で立ちは、この住宅街ではイリヤスフィールよりも異常だ。
だが、姫君を護るように佇むバーサーカーはこの上なく自然で、おぼろげな輪郭も相まって幻想的ですらある。
彼女は少年へと笑みと殺気を向けて、歌うように口を開く。
「まあいいわ。それより、こんばんはお兄ちゃん。こうして会うのは二度目だね」
次は身体を凛の下へ向け、優雅な動作でスカートの裾を摘む。
「はじめまして、リン。私はイリヤ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン」
容姿のためか、大人びようとして無理をしている様に見えるが、それは正しく溢れんばかりの気品を持ったものだ。
対する凛はイリヤの家名に身体を揺らし、若干の動揺を見せる。その様にイリヤは満足し、しかし顔を顰める。
「あなたのサーヴァントはおやすみなんだ」
だがそれは数瞬で、すぐに朗らかな笑みへと戻る。
「つまんないけど、仕方ないね」
その貌は、見た者に死を幻視させる程の強烈さ。
「行きなさい。バーサーカー」
その言葉と共に、死を本当の意味で恐れぬバーサーカーは、坂を駆けて一層の武を誇る者へと迷い無く襲いかかった。斬りかかるは、かつて仕えていた老王に勝るとも劣らぬ威厳を持つ騎士王。
邪魔な外套を脱ぎ捨て、見えぬ何かを構えるセイバーの姿は、彼にどこか貧金の女を思わせた。どのような形状であり効果を有するかなど、慣れたとはいえ霞のかかった思考での考察は不可能だが、一つだけわかることがあった。彼は、振るわれるであろう一閃に対抗できず、命を失うだろうと理解していたのだ。
バーサーカー。そのクラスが奪う筈の理性が残された彼の剣戟は、明確な意志を帯びている。しかし、最優のサーヴァントたるセイバーにとっては、容易く切り返すことが出来る凡庸な一太刀。
「っ…………!」
セイバーが魔力を伴わせ見えぬ剣を振るう。それはバーサーカーの直剣を危なげなく弾き、また体勢を崩させた。生じた隙を見逃すことなどありえるはずも無く、確実に仕留める為に魔力を盛大に消費し、必殺の一撃を振るう。
裂帛の気合と共に放たれた一閃は、バーサーカーの胴を斬り裂いた。切断部から吹き出る血と魔力が、現界の終わりを証明している。
だが、その手ごたえに、セイバーは違和感を覚える。甲冑を叩き斬り、肉を裂いた感触が、酷く曖昧だったのだ。
しかし剣と盾を取り落とし、膝をついて霧散していく姿を見て、他愛も無いと気を緩める。完全に消え去るのを見て、彼女は視線をイリヤへと向けた。俯いているため表情を伺うことは叶わないが、なぜか彼女は恐怖や焦りといったものなど感じさせない雰囲気をまとっている。
おかしいと、気を入れ直したその時だった。風を切る音のみで攻撃であると判断する、半ば未来予知にあたる技能が無ければ、酷く霊核を損傷したであろう背後からの一撃。
「っ、ぐ……」
胸部へ放たれた剣先はセイバーの俊敏さの前に外れ、だが左肩を大きく抉り傷つけた。セイバーは痛みを無視して反撃に打って出る。体を旋回させて不可視の攻撃。しかし咄嗟の反撃、それは難なく盾に阻まれ更に隙を生む。
バーサーカーの、再度胸部へ向かう剣先。またも俊敏さの前に左脇を甲冑ごと穿つに留まる。同じ轍は踏まぬと、苦悶を噛み殺しつつ切り返すセイバーの一閃は、今度は阻まれずバーサーカーの首を刎ねた。
けれども成果は出ず。殺すことは出来ても、滅するまでは届かない。苦し紛れの反撃をあざ笑うかのように、バーサーカーはイリヤの傍らで再顕現した。
「――――……」
剣を引き抜き、臨戦態勢になるその様子は、どこから見ても守護騎士だ。
「――――う、そ……」
バーサーカーの異常性を理解したくないとでもいうように呟いたのは、驚愕し目を見開く凛だ。決定的な一撃を、一度ではなく二度も受け限界が保てなくなり霧散して、不自然な蘇生をする様を見たのだ。
凛にとって、それがただの蘇生であれば驚愕に留まるのみで、遠坂としての矜持の下に、瞬時に冷静さを取り戻せただろう。
「サーヴァントって、死んでも生き返るものじゃないよな?」
セイバーのマスターである少年も、未熟とはいえバーサーカーのおかしさを感じ取っている。凛はその言葉に心を戦慄かせる。あれは、生き返るなどという生易しい蘇生ではない。蘇生であるかも疑わしい、いわば呪いにも似た不気味さを感じている。
「おそらくそのような能力を持っているか、宝具を有しているのでしょう……」
バーサーカーに付けられた傷は、回復を阻害する呪詛を含んでいない。セイバーの身体は着々と治癒していく。その様子を優秀な魔術師は視界におさめつつ、もう一つ考える。
あのような蘇生がいとも容易く、しかも連続で行なわれたのだ。何かしらの負荷が、サーヴァントかイリヤに現れるはず。
そう思い、街路に浮くその主従を、多少の変化も見逃さぬとねめつけたそのときだった。
「ふふ」
天使の様な相貌で、悪魔のように、イリヤがくすりと哂った。見透かされている。焦りを発露させた凛の内心を知ってか知らずか、セイバーが口を開く。
「あの剣や盾も、普通の物ではありません」
剣を構えなおし、癒え行く身体でセイバーもまた考えていた。バーサーカーには、重圧な鎧が立てる金属音や鞘から剣を引き抜く擦過音、そして足音までもが存在していない。まるで――――
「まるで……亡霊そのものではないか……」
英雄のような悠然さを、バーサーカーの身から感じることはない。
かわりに底知れぬ不気味さと、理性を奪われ殺戮機構となるクラスにそぐわぬ業を醸し出す風体に、薄ら寒いものを覚える。持ち得る宝具で掻き消しても消滅しそうにない、最早未知と化した悪夢のような存在に下手な動きは見せられない。
鋭利な殺気に満ち満ちた、膠着した場の空気を破ったのはイリヤだった。
「もう、ちゃんと殺さないとダメじゃないバーサーカー。消えないことだけが取り柄なんだからしっかりやりなさいよ」
怒気を帯びてはいるものの、口角を吊り上げ発せられた言葉からは喜悦が読み取れる。じりじりと追い詰めるのもいいかもしれないと、イリヤは殺し方に迷いつつも、わざとらしく呆れたといわんばかりに溜め息をつく。
「消えない……って……」
「あは、そうなのお兄ちゃん。バーサーカーは消えないの。どんなに切り刻まれてバラバラになっても、叩き潰されてグシャグシャになっても、焼き払われて塵になっても……。
三つ目の黄金にこの上なく近い存在……アインツベルンのサーヴァントとして、とっても相応しいと思わない。――――ミス・トオサカ?」
買い与えられた玩具を自慢するように、喜色にまみれた声色でバーサーカーの性能を謳い上げる。死に様を聞けばわかるだろうと。
そして家名で言を向けられた凛は聡明であるがために、バーサーカーの蘇生の秘密について、正確ではないにしろ解に近しい考えに至ってしまう。
「――――まさか、三番目の魔法は魂の……いえ、それはサーヴァントとして召喚された英霊にもいえるはず……」
アインツベルンの刺客はバーサーカーのことを、協会でも禁忌の中の禁忌とされる、五つある内の三番目であるという。魔術師としてはにわかに信じがたいし、信じてしまっては何かが壊れてしまいそうになる。
しかし、家名を口にすることで、その三つ目とアインツベルンは深い関わり合いがあり、また確かであると言い放ったのだ。馬鹿げているが、認めざるを得ない。
「バーサーカーは、人知れずその身一つで至ったとでも――――」
「うんうん! でも、もうお話は飽きたわ。――――やっちゃえ、バーサーカー」
イリヤはまるで出来の良い妹が上げた回答に満足するように、可愛らしく何度も頷きつつ言葉を断ち切り、何気なく狂戦士をけしかける。
不死身の騎士が盾を霧散させて、アスファルトを滑るように駆け出す。防御を捨てた自身の命を鑑みぬ、愚直に過ぎる突撃は蛮勇そのものだが、振るわれる剣は有象無象の区別なく、対する者に喰らい付く。彼の命はいかなる者よりも軽く、しかし刃に乗せられるそれは途方もなく重い。
セイバーへ、勢いよく横薙ぎに直剣が振るわれる。
「――――!」
セイバーは己が持つ聖剣で弾き返す。両腕に響く反動。それは片手で振るわれたとは思えない凶悪さ。
バーサーカーの猛攻が始まる。威力を上乗せるべく剣を両手に持って右袈裟に、そのままの流れを保ち体を回転させつつ横薙ぎ。連撃は止まらず、左からの強引な斬り上げ、再度の叩き斬る右袈裟へ。刺し違えてでも致命傷を与えようとする命を賭した連係は、重量を目一杯乗せた左薙ぎで締められる。
その弛まぬ剣戟に、セイバーはついに隙を見せた。しかし立て直せない程のそれではない。すぐさま剣を構える。が、バーサーカーの刺突は目前だった。弾くのは間に合わない。首を左へ傾けすんでのところで回避する。頬に走る痛みを無視しつつ、体を沈めて死に体の胴へ深く斬り込む。
殺すに至るが手ごたえは無い。霧散しても、刹那の間に背後から滲み出る殺気が危機感を煽る。先の連撃にまたいいようにされることは無いが、実体を構成する魔力は確かに消費されていく。比べてバーサーカーは万全の状態で復活し、見切るまでは到底届かないがセイバーの剣を覚えていっている。
じり貧であるセイバーと、一向に衰えを見せないバーサーカー。魔力を削り合うこの聖杯戦争に限っては、心技体がいかに秀でたサーヴァントであろうと、活動の際には制限が付きまとう。
だがその制限がまるでないように、果ては一度死ねば終わりという当たり前の理を無視する不死の騎士は、何と非常識なことか。どこかに莫大な負荷がかかっているはずで、その代償を支払っていると考えられるイリヤは何を無理する風でもなく、成果を上げないバーサーカーに対し不機嫌な顔色を見せている。
送られてくる不満の念を晴らそうと騎士は踏み出る。左には消していた盾を現界し、右には直剣ではなく、簡素な刺突剣を携えて。
騎士が拡散の世界で愛用していた武器は、二つある。一つは言わずとも知れたロングソード。もう一つは、短剣大で刃のない、刺すことのみに重きを置いたメイル・ブレイカーだ。小ぶりな形状と侮ること無かれ。直剣や盾と同様、鉱石を愛した鍛冶師によって特別な強化が成されている。
刺し穿とうと瞬時に肉薄するバーサーカー。その武器ごと叩き斬ろうとセイバーが剣を振るう。そのままバーサーカーが受けるわけも無く、盾を持つ左腕に力を込めた。
卓越した受け流し。それは幾千の亡者や悪魔たちの黒い下僕を屠ってきた、致命の一撃への布石。振り向き様にセイバーが振るったそれは力強く、完全にいなすことは叶わない。だが、左腕がズタズタになっただけである。
ついに明確な隙が生じたそこに、がら空きとなったセイバーの胴へ刺突剣が突き込まれた。
「ぐ、があ、あっ――――!」
細く鋭い魂そのものを貫くような撃滅の針は、鎧に易々と穴を開け、胸部へ突き刺さる。されど、彼女は騎士王の名を冠するサーヴァントである。心臓を穿つことあたわず。
セイバーは熾烈な痛みをもたらす刺突剣をそのままに、それを噛み殺しながら牽制しつつ退去。見逃さないと言わんばかりに、瞬時に現界させた直剣を持って追撃に出るバーサーカーの眼前に、不意に影が入り込む。
赤茶けた頭髪の少年が、割り込んで来たのだ。愚かにも、従者を護ろうと身を挺するその姿に、イリヤは瞬時に気が付きバーサーカーへ制止をかけるが、遅かった。
「っ――――う、あ――――」
上段右袈裟に振り下ろされた剣身は肩へ深々と入り込み、肉を切り裂き骨を断つ。即死するまでは行かないが、終わりを感じさせるには十分な深手。呆然とする一様の中、いち早く声を上げたのはセイバーだった。
「――――シロウ!!!」
その声に各々が感情を取り戻して行く。怒気を孕ませつつ声を上げる者。夢が覚めてしまった様に、心を萎えさせつつ剣を収めるように言う者。指示にただ従い、白い幻影となって消える者。血まみれの主を抱く者。
「――――こ、ふ……」
むせかえる濃厚な血の香が支配する街中に、感情のない声が響く。
「――――ほんとにつまんない。リン、次に合ったら、殺すから」
去り行く妖精の顔は、さながら凍てついた雪原のように、冷酷だった。