「ふっ!!」 気合いを入れて、兗州虎徹を振り抜く。 午前五時半過ぎ。 まだ日も昇りきらぬ内から、いつもの夢見の悪さで目が覚めてしまった俺は、病院の屋上で鍛錬……剣術の型稽古に勤しんでいた。 朝、寝ぼけた頭が働き始め、ふと、何か忘れてるなー、と考え込み……美樹さやかとのドンパチをした時に、愛刀の『兗州虎徹』を、病院の屋上に放棄したまんまだった事を思い出したのだ。 一応、予備の刀が家に数本あるとはいえ(実用される日本刀=消耗品)、今の一振りは、もう長い事使い続けてる一刀であり、結構、愛着もある。 幸い、目立たない隅っこに転がっていったのと、ライトの無い屋上の暗闇に紛れたのか、美樹さやかの土竜●で駆けつけたであろう方々も見落としたらしく。(そもそも、ハンマーで抉ったような痕では、何があったかすら理解不能だったろう)。 別の場所に転がっていた鞘も回収し、朝飯の時間まで、病室に戻ってベッドで寝て過ごすのも無駄が多かろうと思い、こうして型稽古に励んでいるのである。 とはいっても、俺の剣術に厳密な『型』は無い。元の流儀流派のスタイルが、魔女や魔法少女相手の斬り憶えによって崩れ、それをオリジナルとして再構築し直したモノであり、どちらかというと『身体の動作確認』に近いモノがある。 想定した相手に対し、イメージ通りに体が動くか? その動きに無駄は無いか? 心に迷いは無いか? 真剣に考え、確認しながら動き……やがて、無心になる。 意思とか思考を超えて、反応をする体。 思考を置き去りにする肉体の動きは、しかしその分、どんどん無駄が削ぎ落とされ、鋭く早く、変化していく。 最初は、太極拳のようにゆったりしていた、確認のための切っ先の動きは、だんだんと仮想敵を相手にしたように激しさを増して行き…… ガタッ!!「あ……」「っ!? ……アンタ……参ったなぁ」 屋上に現れた人影……松葉杖をついた上条恭介の姿に、俺は暫し、戸惑いを隠せなかった。「その……御剣さん、本当に、剣術使いだったんですね」「いや、その……まあ、うん。そんなのを、ちょっと……ね。信じちゃもらえなかったかもしれないけど」 白鞘におさめた刀を肩に立てかけながら、屋上の縁の段差に腰かけて。 俺は上条恭介氏と、他愛ない話をしていた。「なんつーか、かっこ悪い所、見せちゃったなぁ。お前さんみたいにバイオリンでも弾けりゃ、様になってたんだろうけど」「いえ、そんな事無いです。 むしろその……すいません、気に障ったのなら謝りますが、その……すごく、綺麗だったんです。御剣さんの動きが」「!? ……俺の、剣が?」「はい。……失礼ですが、その『御剣』って名字からして、家に伝わる剣術とか、そういったのですか?」「いや、ウチはそういう家じゃない。親父はタダのサラリーマンだったし、オフクロは専業主婦で、どこにでもある、フツーの家だった。 剣術は……その、昔、俺が姉さんや沙紀と一緒に不良に絡まれてた所を、たまたま通りがかったお師匠様が、気まぐれで叩きのめしてね。その場で押しかけ弟子みたいな勢いで、お師匠様に頭下げて、無理矢理入門して習ったモンなのさ」 ……はい。ぢつは俺も、美樹さやかを笑えなかったりします。 今思うと、小学生四年生にして、トンでもない弟子だったなーと我ながら思ったり。っつーか、よく師匠も、ヤ●ザに喧嘩売るような物騒な剣術に、小学生を入門許可したよなー。「しかも、もう師匠の教えてくれた型とは、かなり離れて崩れちまってる。 ……まあ、そういう意味じゃ『御剣流』と言えなくもないけど、正味グダグダな代物だよ。結局、お師匠様からは、目録どころか切り紙一つ貰ってないし」「目録? 切り紙?」「あー、その……剣術の段位を示す証、かな? ほら『免許皆伝』とか、よく言うだろ? えっと、『免許皆伝』を最高位として、『免許』『中伝』『初伝』『目録』『切り紙』……雑なうろ覚えだから間違ってるかもだが、確かこんな順番で『修行を収めましたよ』って証明を、お師匠様がくれるわけなんだけど、結局、そこまで長い間、師事出来たワケじゃないから、教えは受けても『切り紙』すら貰ってないんだよ、俺」「その……『お師匠様』が、道場とか辞めてしまわれたんですか?」「いや、お師匠様の寿命。 六十近いアル中ジジィだったんだけど、死ぬ間際まで最強だったんじゃないかって思わせるほど、スゲェ強い人でね。で、ある日、いつものよーに、束収(月謝)のお酒持って家に訪ねていったら、ポックリ死んでた。 俺の知る限り、最強の剣客にしては、呆気ない最後だったよ」 今思いなおせば。色々遊ばれてたというか……剣術の稽古を通じて、遊んでもらっていたのかもしれない。 それに修行そのものはキッツかったが、決して師匠の言葉は嘘もごまかしも無かった。……酒には完全に溺れてたけど。「……凄い人だったんですね」「凄いというか、滅茶苦茶な人だったよ、本当に。 アル中で酔ってヤクザやチンピラに喧嘩売るのはアタリマエ。それでボコボコにしては逃げ出しちゃうんだから。 警察に追い回された事だって、一度や二度じゃないしなー……今までよく捕まらなかったモノだよ」「あは、あははははは……」 イイトコのお坊ちゃんな上条氏には、想像もつかない世界の話に、引きつった笑いが止まらないらしい。「それより、その……何でこんな時間に、屋上に? 今日、退院なんだろ、お前さんも?」「ええ。それで、ちょっと……目が覚めたので、今まで居た場所を、見て回りたくて」「……ああ、この屋上は、あんたの復活演奏の場所だったからな」「えっ、ええ……それもありますが……その……死のうと、思った場所でもありますから」「っ!!」 上条恭介の言葉に、俺は口をつぐむ。「みっともない八つ当たりでね。僕、さやかを傷つけちゃったんです。 分かってたんです。この左腕は、もうどうにもならないって……だっていうのに、それを受け止めきれなくて、かっとなって……」「……いや、すまねぇな。立ち入り難い事を、聞いた」「いえ、いいんです。御剣さんなら、信じてますから。むしろ、聞いてもらいたくって。 バイオリンは弾けない、幼馴染は傷つける。そんな情けない自分に、もう何もかもがどうでもよくなって、死のうとして……結局、出来なかったんです。怖くなって」「当たり前だよ。誰だって、死ぬのは怖い。俺も怖い。それは真実だ」 俺の脳裏に、巴マミの姿が浮かび上がる。 彼女の願い……死にたくない、という言葉は、確かに万人共通の真実だ。「……御剣さんでも、ですか?」「いや、怖いって。 でも……死ぬのも怖いんだが、殺すのも結構、怖いんだぜ」「っ!! 御剣さんは……その……人を、殺したのですか?」「俺の両親。 姉さんと妹と俺と、家族全員で無理心中をしようとしてね……木刀打ち込んで、階段から蹴り落とした。 そんで、結局色々あって、姉さんも無理が祟って、一年……もうすぐ二年になるかな? 死んじまった。 ……俺が殺したようなモノさ」「……すいません」「気にしなさんな。もう慣れた話さ……まあ、気安く喋ろうって気になる内容じゃないけど、あんたなら、な。 っていうか……お前さん、生きてて良かったじゃないか。左腕、治ったんだろ?」「え、ええ。そうなんです。さやかが『奇跡も、魔法も、あるんだよ』って言って……そしたら、本当に、奇跡が起きちゃったんですよ。 また、バイオリンが弾けるって……そう思うと、あの時、死ななくて良かった、って……」「なるほど、ね……。 だからよ、生きててよかったじゃないか。お前さんがもし死んじまったら、奇跡どころか、幼馴染傷つけたまま、謝る事すらも出来なかったんだぜ?」「っ!! それは……そうですね、その通りです」 ふと……俺は、純粋に、この上条恭介という男を、知りたくなり、質問をぶつけてみた。「あのさ……その……アーティストのお前さんに言うのも何だっつーか。……その、物凄く無礼な質問をさせて貰いたいんだが、いいか?」「? ……ええ、どうぞ」「その、何だ……バイオリンってのは、二本の腕が無いと、弾けないモノなのか?」「は?」 何を言っているのだ、という目で見られ、俺は恥ずかしさに目線をそらす。「いや、随分前に、路上で大道芸人のオッサンが、バイオリン……だと思うんだが、アレってサイズによって呼び方変わるらしいけど……まあ、多分、バイオリンだと思うんだ。 そいつをな、左腕と右足で弾いてたんだ」「右足で!?」「ああ、そのオッサン、右腕が無くてな。 だが、すげぇ器用に足で弾いてて、曲も陽気でみんなノリノリで、お捻り投げてた。……まあ、ああいう場所だからサクラも居たんだろうけど。俺は素直に感心して聞いてて、一緒にお捻り投げた。 ……いや、すまない。大道芸とあんたの芸術を一緒にするのは、ものすごく悪いと思ってるんだが……そのオッサン、ノリノリでお捻り投げる観客を見て、すげぇ嬉しそうだったんだよ。ああ、この人、バイオリンが本当に好きなんだなー、って感じで。上手いとか下手とかじゃなくて、本当にそう思わせる演奏だったんだ。 勿論、それ以外に生計(たっき)の道が無かったってのもあるんだろうけどな…… で、そんなのをふと思い出して……お前さんにとって、バイオリンって、一体、何なのかな、って。 本当に『好きでやってる』のか、それとも『それ以外に道が無いから』やっているのか……いや、無礼なのは分かってるんだが、もし良かったら、本当のトコ、俺に聞かせちゃくれねぇか?」 俺の質問に、上条恭介は珍しく口ごもる。「……ごめんなさい。考えた事もありませんでした。 ただ、バイオリンと一緒に過ごしてきた時間が、さやかと同じくらい長かったので……あるのが当たり前みたいに思ってたんです。だから、自暴自棄になっちゃって……」「そうか。いや、本気で無礼な質問をした。すまない、許してくれ」 そう言って、俺はその場で上条恭介に頭を下げた。「いっ、いえ! その……こちらこそ、御剣さんに言われるまで、考えてもいなかった事に気付かせてもらいました。 腕が治った今だからこそ、改めて考え直してみます。 そして、もし、答えが出せたら……お答えしたいと思います」「そうか……いや、本当に、気に障ったんなら、謝るしかない話だからな。……ああ、そうだ」 ふと、おもいついた事を、俺は実行してみる気になった。「昨日の演奏。お前さんへの『お捻り』がマダだった」「えっ、そんな……」「まあ、なんだ。俺の『大道芸』を、ちょっと見てってくれよ」 そう言うと、俺はポケットの財布から、五百円硬貨を取り出すと、白鞘を抜き放つ。「よっく、見ててくれ?」 切っ先を返して、垂直に立てた刃の上に、縦に五百円硬貨を乗せる。 慎重に硬貨から手を放し……五百円硬貨が、兗州虎徹の上に垂直に立つ。「わっ……凄い……」 上条氏の言葉。 だが、本命はココから……「破ぁっ!」 気合一閃。 一気に引き斬られた五百円硬貨が『二枚になって』地面に落ちる。「……!?」「これで……昨日の演奏分、って所かな? 上条さん」 『二枚』になった五百円硬貨を、呆然とする彼の手に握らせる。「……さて、そろそろ飯時か。 立てるかい、上条さん。良かったら、肩、貸すぜ?」「い、いえ……っていうか、上条さんって……御剣さんの方が、年上じゃないですか」「年齢は関係ねぇよ。お前さんが凄い人だからさ。尊敬すらしてんだぜ?」「っ……その、ありがとう、ございます。御剣、さん」「おう。じゃ、あの不味い病院食と、最後の闘いに行こうじゃないか。『腹が減っては戦は出来ぬ』ってな」「あ、あははは、確かにあれは不味いですよね」 お互いに、ちょっと引きつった笑顔を浮かべながら、俺と上条恭介は、病院の食堂へと向かっていった。