「単純骨折ですから……全治、二か月って所、ですな。神経に異常はありません」 タクシーを拾い、見滝原総合病院へと担ぎ込まれた上条恭介の診察結果に、その場に居た全員が、ひとまず胸をなでおろした。 考えてもみれば。 一流のボクサーですら、余程のハードパンチャーで無い限り、自分の腕を完全に壊すなんて不可能なワケで。 まして、上条恭介の細腕……しかも松葉づえついた病みあがりでは、いくら固い木の幹に叩きつけたとはいえ、自分で自分の腕を、一撃で完全損壊するパワーなんて、出せっこ無かったのである。 ……派手な音がしたから、本気で焦ったけど……多分、木の幹の腐った部分か何かが、潰れた音だったのだろう。 が……「先生、僕の左腕を、本当に『使えなく』するには、どうすればいいんでしょうか?」『っ!!』 その言葉に、俺を含めた美樹さやか、志筑仁美、全員が、絶句した。「上条さん! いい加減にしねぇか! あんたの腕にゃ、あんただけの夢が乗ってるんじゃねぇんだぞ!」「っ……それでも……僕は……」「俺はどうだっていいっつってんだろ! 早まって馬鹿な真似して、これ以上、手前ぇの女を、泣かせんじゃねぇ!! そのほうが、よっぽどあんたが情けなく思えるぜ……頼むよ。俺を失望させねぇでくれ」「……すいません。かっとなって……」 と……「ごめんなさい……師匠」「あ?」「本当は……師匠があそこに顔を出す理由なんて、ドコにも無かったのに。 転校生に……暁美ほむらに、全部の事情聞いて……あたし……あたし……師匠にも酷い事言っちゃって」「気にしてねぇよ。本当の話なんだから!」「でも……」「気に病むな! そんなヌルい神経してねぇよ! それより、上条さん。あんた本当に、どうしちまったんだ!? バイオリンは、あんたの夢じゃなかったのか?」「いえ、夢を捨てるつもりは……ただ、足でもバイオリンが弾けるなら、遠回りになるだけだし、いいかな、って。 ……本当に、さやかに謝ってもらいたくて」「バカヤロウ!!」 俺は怒りの余り、上条恭介の襟首を掴んで捩りあげた。「男にとって夢ってなぁな! 一生涯を最短距離突っ走る事に費やして『そこ』に至れるかどーかって代物なんだ! それを『ちょっと寄り道すりゃいいや』みたいなノリで、何テメェは寝言ほざいてやがる!」「すっ、すいません!」「あんたのバイオリンは、そんじょそこらの大道芸と一緒にしていいモンなのか! その程度の夢しか、上条恭介は持っちゃいねぇのか!! だったら、あんたに人生に博打張った、あんたの両親や美樹さやかや他の連中は、一体どーすりゃいいんだ! ……俺が話した大道芸のオッサンはな、『それ以外に道が無かった』から、そうしてるだけであって、好きこのんで足でバイオリン弾いてるワケじゃねぇんだよ!! あんたのバイオリンは、心の底から好きでやってる『夢』なんだろう!? 今の自分に満足できなくて、ずっとずっと前に進むための『夢』なんだろう!? だったら、ナメた事を抜かしてやがるんじゃねぇ!! ……頼むよ……アンタは、その『夢』に向かって、まっさらな道を真っ当に歩いてくれよ! 俺みたいな外道の言葉に迷わないでくれよ……頼むぜ、上条恭介!!」「っ……………すいま……せん!」「っ……チッ!!」 迂闊に過ぎた己の失策に、頭を抱えざるを得ない。本当に、どうしたモノやら。「あー……その、取り込み中のとこすまんが、とりあえず、入院の手続きは取ったほうがいいと思う。 上条君、とりあえず様子見でもう一週間ほど、入院してもらう事になるが、ご両親に連絡を取っていいかね?」「……はい」 結局……その場でお開きになり、俺は上条恭介の両親が来るまでの間、入院の手続きと費用を肩代わりする事になった。「師匠……」 上条恭介の両親へのあいさつと、謝罪。それに事情説明(無論、暁美ほむら関係の事は除いて)を終えた後。 閉鎖された病院のロビーで、自動販売機から買ったパックジュースを啜っていると、美樹さやかが完全に憔悴した表情で現れた。「あたし……何でこんな魔法少女の体になっちゃったのかな」 その答えを知るだけに。 俺は口にするのが躊躇われた。「その答えより、ソウルジェムを見せてみろ。相当濁ってるハズだぞ。 暁美ほむらから博打で巻き上げた分があるから、使いな」「……うん」 グリーフシードを二つ、美樹さやかに向かって放る。 案の定、真っ黒になりかけたソウルジェムは、グリーフシード一個では浄化し切れず、二個とも使う事になった。「……あのさ、今回の事で、恭介が分かんなくなっちゃった。 何でも知ってるつもりだったのに……何でかな。どうして、こんな風になっちゃったのかな?」「……」 その答えもまた、俺は大よその推察がつく。 だが、内容の残酷さを知るだけに、またしても口にするのが躊躇われた。「……師匠。男の人って、何考えて生きてるの?」「さあな? 男だからって、全部が全部、他人の生き方を理解できるワケじゃねぇ……が。 少なくとも、俺は上条恭介のバイオリンに、感動できるモノを感じてた。 だからこそ、彼がソイツを捨てる……というか『遠回り』してまで、お前さんに『謝って欲しいって』思った事は、少なくとも軽い意味じゃなかったんだろうな、ってのは分かるぜ」「……っ!!」「要するに……多分、お前も、上条恭介も、近過ぎたんじゃないか? ほれ、こんな風に」 そう言うと、俺は美樹さやかの両目の前に、ペンを横にしてつきつける。「こんな風に近過ぎるとさ、ペンの両端が見えないだろ? こんな感じで、よ」「そっか……近過ぎたんだね、あたしと恭介って……だから、見えてるつもりで、見えてないモノが一杯あったんだ。 ……だったらさ、師匠なら分かるよね? なんで……なんであたしは、恭介に振られちゃったの?」「それを知って、どうするんだ? 今、病室で彼の世話をしてる志筑仁美の間に、今のお前が割り込むのか?」「っ!! それは……」 ……チッ!!「なあ。こう考えられないか? 上条恭介は『自分の夢を遠回りしてまで』お前に俺に謝罪してほしかった。 そのくらい、『あの時の美樹さやか』が許せなかった……彼にとっても、お前さんは近過ぎたんだよ。 自分が当たり前のように思ってる事に対して、拒否反応を示すような事をゴリ押されたら、そりゃあ怒る。ましてそれが、身近すぎるくらい身近な人間であれば、なおさらだ。 ……お前と上条恭介は、もう恋人って関係には成れないかもしれないが、だからと言って、幼馴染でずっと過ごしてきた関係まで御破算になったワケじゃない、と俺は思うぜ?」「あたしに……今のあたしに、それで満足しろって言うの?」「……じゃあ、聞くが。 お前は、上条恭介の幸せを祈ってるのか? それとも、自分が幸せになりたいのか? どっちだ?」「っ!! ……それは……」 自らの『祈り』と、自らの願望のギャップを自覚するに至り。 彼女は、ようやっと自分の失敗を悟るに至ったのだろう。「巴マミは……あの女は、少なくとも自分を救った上で、他人を救い続けてるぜ」「……え?」「俺があいつを尊敬すらしてるのは、な。 魔法少女なんて好き勝手出来る体になってなお、誰かのために常に闘おうとしてる、その心意気だ。 しかも、誰かさんみたいに他人に尻を拭かすなんて真似はしねぇ。テメェのケツはテメェで拭きながら、トコトンまで現実見据えて、しかも、魔法少女の真実を知って、なお、だ。 ……はっきり言おう。男として、あいつを知ってから、俺はあいつに惚れてる……あー、色恋沙汰じゃなくてな。尊敬って意味だ! 勘違いすんなよ。 あんな生き方が出来る奴、男にだって、そうは居ねぇよ。実力云々以前に、家族可愛さに大量虐殺やってる俺なんかが、敵う相手じゃあない」「っ……そっか、師匠、マミさんに気があるのか」「馬鹿ぬかしてんじゃねぇ! 言葉の綾だ綾っ! 敬意って意味だよ! で、お前はどうなんだ? 無理なら、その魔法少女の力を使っちまえばいい。志筑仁美をこっそり殺してしまえば、上条恭介はモノに出来るだろうよ」「っ!! そっ……それは……」 そうだろう。だからこそ、俺は、そうならないために、自らの傷を告白する。「だが……なあ、一言だけ。 俺から、魔法少女のお前らに、言わせてもらいたい事があるんだ。 こんな事言うと、お前ら魔法少女が怒るかもしれないから、あまり口にしたくないんだが……『魔女になれるお前らが、時々羨ましくなる』んだ」「っ!! ……どういう、意味ですか?」 睨むように問いかけて来る美樹さやかに、俺は静かに口を開く。「お前も知っての通り、俺は人殺しだ。魔法少女相手に、大量虐殺をやってる。 そんでな……殺した魔法少女が、毎晩毎晩、夢に出て来るんだよ。いや、魔法少女だけじゃねー。魔女や、目の前で救えなかった、その犠牲者も一緒になって。夢の中で、一緒になって追いつめに来るんだ。 こう見えて、睡眠薬や精神安定剤を飲んでも、正味、どうにもならねぇくらい、精神的に追い詰められてるのさ。 多分……キッカケがあれば、麻薬とか危ないクスリに手を出し始めるのも、時間の問題だと思う」「そっ、そんな!!」「『人を殺す』ってのは、少なくとも、俺にとってそういう事なんだ……どんな事情があれ、殺した側に一生涯、その感触と責任ってのがついてまわる。 それはな……もうどんなに洗っても落ちない、頑固なシミみたいなモンなのさ。お前ら魔法少女だったら、多分、ソウルジェムにずっと消えない『穢れ』って形で、残っちまうんじゃねぇか? だからな……本当に『何の感情も無く、機械みたいに人を殺し続けられる』魔女って存在になれるお前らが、時々、羨ましくなったりするんだ」「っ……!! 師匠……あんたはそこまで追い詰められて、何で……」 自覚するほど、壊れた笑いを浮かべながら、俺は美樹さやかに答える。「沙紀のために、降りられないからさ。 ……でもよ、最近、ちょっと事情が変わってきた。 暁美ほむらに聞いたんだが、『沙紀が闘えるかもしれない』って事が、分かったんだ。 だからな……沙紀の奴が、闘えるようになったら……俺は、安心して、どこかの誰かに殺されてやる事が、出来そうなんだ」「そんな!」「何だったら、お前でもいい。正義の味方の鮮烈なデビューに、悪の限りを尽くした殺し屋を打ち果たす。 ……名前が轟くぜ、正義のヒーローの」「違う! 師匠……あんたは間違ってる!」「そうだよ。『誰かのために』なんて大義名分で魔法少女を手にかけた時点で、俺は間違っちまったのさ。 だからな……もう手直しする事も、後戻りなんて事も、出来やしない。 だけどよ、お前は……美樹さやかの手は、まだ綺麗なままじゃねぇか? だったら、尊敬する誰かを目指して『最初の祈り』に向かって、魔女になるまで精一杯生きてみろよ? 他人にきっちり胸張って生きれるように、最後の最後まで生きてみようと思えよ? そんでな……借り物の力で外道働きしてた、俺の事なんぞ、忘れちまえ。 志筑仁美を殺したら、お前自身がお前を咎めるかもだが、俺を殺しても、お前を咎める奴は、どこにだって居ない。その必要だって無いんだぜ?」「違う! あんたは、どうしようもなく追いつめられて、魔法少女を殺してたんだろ? だったら仕方ないじゃないか!」「どんな理由があれ、人殺しは人殺しなんだよ。 それに、本当に全員が全員、俺が殺す必要があったのかなんて、俺自身にも、もう分かんなくなってきちまってんだ。そのくらい、俺は魔法少女を手にかけて殺してきてるのさ」 涙を流しながら。俺は美樹さやかに言う。「なあ、美樹さやか。 『誰かのために闘う』『誰かのために祈る』って、お前さんの祈りそのものは、間違っちゃいねぇ。 みんな誰しも、そんな風に『誰かのために』毎日闘って生きてる。子供や赤ん坊ですら『親のために』って、良い子を演じてたりもするくらいだ。 だがな、それらは全部、基本的に『自分で自分を救ってから』って前提条件がつくんだ。自分を救えなければ、結局、誰かに尻を拭ってもらうしかなくなっちまうガキでしか無いんだ。 人間はな、強く無ければ生きられない。優しく無ければ生きる資格が無い。 前に、俺はお前らを『化け物予備軍』って言っちまったけどよ。……本当は、俺のほうこそ、とっくに『生きる資格』を無くして、それでも未練たらしく執念深くしがみついてる、ゾンビみてーなモンなんだよ」「……」 下を向いて、うつむく美樹さやか。 ……さて、と。「なあ、美樹さやか。お前にとって、今、上条恭介の面倒を見てる志筑仁美ってのは、そんなに我慢ならない女なのか? 上条恭介にまとわりついて、色々ムシって滅茶苦茶にしながら、男の股の上で腰振るしか能の無い、どーしょーもないアバズレの豚女(ビッチ)なのか? ……あ、いや、すまん……まあ、その、お嬢ちゃんに、言い方悪かった」「……いえ。 仁美は……いい子だよ。でも、恭介を取られるなんて、思ってもいなかったから……かっとなって」「だったら、謝って来い。上条恭介と、志筑仁美に。 そんで、あいつらに『カッコイイ美樹さやか』を見せてやれ! 『あたしは正義の魔法少女やってます』って……堂々と、全部を説明して! お前の祈りは! お前の闘いは! 誰に対したって、何一つ、恥じ入る所なんざねぇんだ! そんでな、お前を振った、上条恭介を後悔させてやれ! それが今のお前に出来る、上条恭介と志筑仁美に対する、唯一の復讐だ!」「師匠……『カッコイイ私』……って?」「おめー、自分のツラとキャラ見てモノ言えよ? どう考えて逆さに振るったって、志筑仁美みてーな『乙女チックに恋する乙女』なんてキャラなんぞ、マジでガラじゃねぇ。 っつーか、そこン所じゃどーやったって志筑仁美に太刀打ち出来ねぇんだから、いっそトコトンまで『カッコイイ』女になっちまえよ! 俺が尊敬する、巴マミみてぇによ!」 と……「っ……ぷっ……」「しっ、沙紀ちゃん……」 ふと……誰も居ないハズの人気の無いロビーの隅っこ。廊下に続く死角の部分の人影に気づき、俺は絶句する。『!!!???』 まっ、まっ……ま、さ、か……「お、お前ら……何時から……っていうか、何でこんな所に!?」 ロビーの死角に近寄ってみると、案の定、そこに沙紀と巴マミの姿がっ!!「いえ、その……暁美ほむらさんから、事情を聞いて。 さやかさんが暴走した時のための保険役を、引き継ぎ交代したんです。さっき……そしたら……その……」「忘れてください!!」 真剣な目で、俺は巴マミに迫る。「は、颯太さん!?」「記憶から、一切合財、抹消してください! あれはタダの説得のための方便です! OK!?」「はっ、はい! 分かりました!」 と……「そっかー、お兄ちゃんにも春が来たんだー」「ちがーう!! っていうか、純粋に、敬意って問題だっ!! ……あああああああああ、お前ら、何笑ってんだ! バカヤロー!! 言葉の意味とか文脈とか読めよ! そんな色気とかそーいう話じゃなくてだなぁ!!」 真っ赤になって絶叫する俺の事なんぞ、意にも介さず。 沙紀と美樹さやかの奴は、ゲラゲラと春が来ただの指さして笑いやがった。 ……ドチクショウ……暁美ほむらの奴! 後でグリーフシード余計に払わせてやる!!