豪快な人だな。 最初に、僕……上条恭介が、御剣颯太という人物に抱いた印象は、そんな感じだった。 ただ、彼自身、自分の事を『芸術と縁の無い無骨者』と言っていたが、少なくとも話をした印象では、僕のバイオリンを『分からない』人では無さそうだな、ということ。 ……少なくとも、僕を『バイオリンの天才少年』などと褒めそやし、何も知らず訳知り顔で近づいてくる大人たちとは、確かに違って。 その目には、確かに『僕のバイオリンに対する』本当の敬意が浮かんでいた。 おそらく、彼自身の言動と口調から察するに、粗野ではあっても感性そのものが鈍いわけではない。 きっと、彼の人生の中で、楽器や音楽に触れる機会が無かっただけなのだろう。もし、彼が、彼自身の感性をもってバイオリニストを目指したら、意外とイイ線まで行くのではないか? そう思えたからこそ。 また、さやかとその友人を、窮地から救ってくれた恩もあり。 こうして僕は、僕のファンだという、彼の妹のマシンガントークに付き合い……「上条さん、私と付き合ってください!!」「……え!?」 ……流石に、付き合いきれそうに、無かった。 結局、彼はこっちが恐縮しそうな程の勢いで、その場で妹を叱りつけて拳骨を降らせ……ついでに、僕の直観が、そう外れたモノでは無いという経歴の話まで漏らし、僕の前を固辞していった。 ……多分、苦労してる人なんだろうな。あの妹さんの事含めて、色々と。 言葉の端々に滲む印象は、どちらかというと僕の周囲に居る父さんや母さんも含めた大人たちとは違い……そう、何というか、昔、小学校の頃の社会科見学で、仕事場を説明をしてくれた工場のオジサンたちに近いモノがあった。 それだけに……少々、『勿体ないな』という思いがあった。きっと、僕と近しい年齢ではあっても、僕とは遥かに違う厳しい環境に生きてきた人なのだろう。 ……それだけに。 彼の人生を否定するつもりは無いものの、彼の『感性』は未熟ながら一個のバイオリニストとして、『惜しい』と不遜ながら思ってしまった。 少なくとも、僕は……彼は元々『真っ直ぐに人を見る事が出来る人』だと思った。 だが、環境が悪かったのか星の巡りが悪かったのか。彼は楽器や音楽のような『自分を表現する手段』とは巡り合う事も無く、あそこまで行ってしまったのではないか?「悪い人じゃ、無いと思うんだけどなぁ」「うん……結構、いい人、だと思うんだけどね……」 病室で、さやかが何か、影のある顔をしていた。「ん? どうしたんだい、さやか」「あのね、さっき不良に絡まれた話って、結局、調子に乗ってた、あたしが原因だったりするの。 そこを、あの人が救ってくれたんだけど……『何考えてんだ』って、思いっきり怒られちゃって顔ひっぱたかれちゃって」「そりゃあ、怒られるよ。アタリマエじゃないか」 先程の、妹さんに対しての御剣さんの説教を思い出す。 彼は、言葉よりも行動で示すタイプなのだろう。だからこそ、誰よりも厳しく映るのに違いない。 ……少なくとも、僕が事故で入院するまで、僕の身の回りに近寄ってきた、上辺だけ礼儀正しい『大人』とは違う。ちゃんと男らしく筋を通す、本当に真面目な人なんだろうな、とは思った。「……うん。そうだよね。 でもさ、それまで、あの人の事、悪い噂しか聞いてなかったから……ちょっと迷ってんだ。 ねえ、恭介。あなたは、彼の事……どう思った?」「誤解はされやすいのかもしれないけど。多分、さやかは間違ってないと思うよ?」 僕とさやかは、幼馴染だからこそ。 こうして、共通する見解もまた、多いのかもしれない。「……うん、そうだね。 あのさ、ちょっと……無理かもしれないけど、あの人に頼みごとがあってさ。 さっき、ちょっとその話したんだけど……もういっぺん、謝って、お願いして来ようかって思うんだ」「うん、行っておいで。多分、本気で頭を下げてお願いすれば、話を聞いてくれない人じゃないと思うから。 ……さやかが彼に、何をお願いするのか知らないけど、断るなら断るなりの理由も、ちゃんとあるだろうし」「あははははは、恭介ってさ、やっぱバイオリンとかやってるからかな? 芸術肌でカンとか鋭いよね」「そう……かな?」「そうだよ。 大人しい顔して、さらっと本質を突いた、ドキッとするような事、たまに言うじゃない。 大人たちや男友達の前では、大人しく猫かぶってるけどさ。 ……なのに、なんで……」「?」「……ううん、何でも無い、行ってくるね! あ、ついでに花瓶の水、かえてくるよ」 ふと。 僕はそこで、さやかに助け舟を出す事にした。「だったら、この花瓶と花、御剣さんの病室に持っていってあげて。 そんで『気にして無い』って、伝えてくれないかな?」「あ、うん。……ありがと、恭介」 そう言って、さやかは僕の病室から、花瓶を持って、出ていった。 そして…… ガシャン!!「……さやか?」 何かが落ちて、割れれる音。 僕が何とかベッドから身を起こし、松葉杖をつきながら、病室の外に出ると……案の定、御剣さんの妹とさやかが、割れた花瓶の掃除をしていた。「さやかぁ……」 僕は溜息をついた。「あっ、ごっ、ごめんね、恭介。手をすべらしちゃった……」「おい、ナースセンターからモップ借りてきた……あ、さっきはどうも、すンませんでした、お見苦しい所を」 そこにモップを持ってやってくる、御剣さん。 まったく……「手伝いますよ」 そそっかしいさやかに割れモノを持たせてしまった責任感から、そう名乗り出たが……「いや、結構です。ってぇか、その体じゃ無理ですって。それに、すぐ片づけますんで」「うん。ちょっと恭介はどいてて」 そう言って、さやかと御剣さんは、割れた花瓶と花を、手際良く片づけて行く。……というか、御剣さんの手際は、どこか手慣れた感じがした。 ……きっと、あの妹さんが、料理の皿とか割っちゃったりしてるのを、片づけたりしてるんだろうなぁ…… さやかと比べても、片づけの手際の悪い妹さんと見比べて、何と無くそんな光景が脳裡に浮かんだ。「すいません。さやかがご迷惑を」「いや、なに、こっちのほうこそ、ウチの沙紀が迷惑かけまして」 何となく、奇妙なシンパシーを感じながらも、彼らが……さやかも沙紀ちゃんも含めて、どこか思いつめた表情をしてるのは、気のせいだろうか?「さて、と。 すんません。こいつとちょいと話があるので……貸してもらってよろしいですかね?」「さやかと? ええ、彼女も御剣さんに、話があったそうなので、よろしくお願いします。 ……あ、モップ。ナースセンターに帰しておきましょうか?」「えっ……いや、その体で」 彼が、辞退しようとした時。「恭介。お願い」 真剣な表情で、さやかが僕に、立て懸けて置いたモップを、押し付けてきた。 ……余程、大切な内容らしい。「うん、わかったよ、さやか。 ……じゃあ、御剣さん。これ、僕が返しておきますね」 そう言って、杖をついてないほうの手で、モップをしっかり握る。……きっとこうでもしないと、彼は僕を気遣ってしまうだろうから。「……すいません。お手数おかけします。 行くぞ、沙紀」「うん」 そう言って御剣さんは僕に頭を下げて。 ……さやかも含めた三人は、屋上へと上がっていった。 ドカン!!「!?」 ナースセンターにモップを返している間。 屋上から、ハンマーを岩に叩きつけたような音が聞こえ、僕も含めて敏感な何人かが、上……天井を向く。 ドカン!! 間を開けて、さらに、もう一発。 患者の人たちはみんな、結局気にも留めないが、何人かのナースの人が、懐中電灯を手に階段を上がっていった。「……何が、あったんでしょうか?」「さあ? 今、見に行ってますけど……隕石でも落ちたみたいな音でしたね?」 そういえば、御剣さん、病室に戻っているのだろうか? 少し話をしてみたいと思ったのだが、病室にもおらず、屋上を見に行った看護婦さんたちに見つかった様子も無い。 ……という事は、まだ屋上に隠れて……いや、ひょっとして、別の非常階段あたりから逃げたのかな?「……変な事に、なってなければいいけど……」 かっとなったさやかは、時々、僕も予想のつかない行動に出るからなぁ。……御剣さんに、また、迷惑かけてなければいいのだが。「……ふわぁぁぁぁぁ……」 翌朝。 何かの悲鳴を聞いたような気がして、やけに早く目が覚めてしまった僕は、ふと気になって、隣の御剣さんの病室へと向かった。 ……やっぱり居ない。でも……昨日の夜に戻ってはいたみたいだな。 起きぬけに乱れたままのベッドの様子からして、僕より早く起きて、病室から抜け出したのだろう。 恐らく、病院内のどこかに居るはずだ。「……今日で、退院、か」 長かったような、短かったような、入院生活。 おそらく、二度とココに来る事は無いだろう。……そう願いたい。 だからこそ、僕は朝食を取って退院するまでの時間を、無駄にするべきではないと思い、病院の記憶を留めておくべく、散策する事にした。「……?」 微かに聞こえた風斬り音に、僕は足を止める。 おそらくは、誰も気づかない。 バイオリニストの『耳』を持つ僕だからこそ気付けた音……否、『音』というより、違和感といってもいいレベルの気配。 そんなモノに気付いて、僕は屋上へと足を向ける。「ふっ!」 そこに……一心不乱に、刀を振りまわす、御剣さんの姿が在った。 僕には、武術や武道の事はよく分からないが……恐らく、型稽古、という奴ではないだろうか? その振るう剣の先に、僕はしっかりと御剣さんがイメージする『敵』を認識できた。だからこそ、ダンサーのような流麗さとは裏腹に、それが、完全に『実戦』に即したモノだと理解できてしまった。 何故なら、そこには敵に対しての、一切の無駄が無いからだ。 僕はバイオリニストのサガで、思わず彼の剣の動きを『どんな曲に例えるべきか』、無意識に頭の中の楽譜を探していた。 無数の楽譜、無数の音色。僕が演奏可能な、あるいは聞いた、もしくは知る限りのクラシックの曲が、数多、脳裏を駆け巡り……愕然となる。 『彼の動きは、僕が見聞きし、体験した、数多の歴史に洗練されたクラシックの曲の中の、どれにも該当しなかった』。 クラシック、つまり『古典』というのは、人間が数多の時間をかけて洗練してきたモノの『原点』だと、僕は思っている。つまり……『原点』を、組み合わせて発展させて行けば、何がしかの現代の曲に至る、言わば原材料に等しい。 確かに、彼にも『原点』と言うべき部分はあるのだろう。僕よりも優秀なバイオリニストの人ならば、彼の動きを『例える』事は可能かもしれない。 だが、僕には出来ない。少なくとも、その技量は、今の僕には持ち合せてはいなかった。 あえて言うならば『御剣颯太は御剣颯太』。そうとしか、今の僕には、彼の動きを、今の僕には表現のしようが無かった。 と…… ガタッ!!「あ……」「っ!? ……アンタ……参ったなぁ」 うっかり立てた物音に、御剣さんが困惑したような目で、僕を見ていた。 最初に、日本刀を病院に持ち込んだ事を口止めするように、懇願された後。「その……御剣さん、本当に、剣術使いだったんですね」「いや、その……まあ、うん。そんなのを、ちょっと……ね。信じちゃもらえなかったかもしれないけど」 松葉杖を肩に立てかけながら、屋上の縁の段差に腰かけて。 僕は御剣さんと、ようやく二人だけで話をする事が出来た。「なんつーか、かっこ悪い所、見せちゃったなぁ。お前さんみたいにバイオリンでも弾けりゃ、様になってたんだろうけど」 物凄く照れた顔で恥じらう御剣さんに、僕はそれを否定した。「いえ、そんな事無いです。 むしろその……すいません、気に障ったのなら謝りますが、その……すごく、綺麗だったんです。御剣さんの動きが」「!? ……俺の、剣が?」「はい。……失礼ですが、その『御剣』って名字からして、家に伝わる剣術とか、そういったのですか?」 とりあえず、素直に思った事をぶつけてみるが、彼は苦笑して、手を横に振った。「いや、ウチはそういう家じゃない。親父はタダのサラリーマンだったし、オフクロは専業主婦で、どこにでもある、フツーの家だった。 剣術は……その、昔、俺が姉さんや沙紀と一緒に不良に絡まれてた所を、たまたま通りがかったお師匠様が、気まぐれで叩きのめしてね。その場で押しかけ弟子みたいな勢いで、お師匠様に頭下げて、無理矢理入門して習ったモンなのさ。 しかも、もう師匠の教えてくれた型とは、かなり離れて崩れちまってる。 ……まあ、そういう意味じゃ『御剣流』と言えなくもないけど、正味グダグダな代物だよ。結局、お師匠様からは、目録どころか切り紙一つ貰ってないし」「目録? 切り紙?」「あー、その……剣術の段位を示す証、かな? ほら『免許皆伝』とか、よく言うだろ? えっと、『免許皆伝』を最高位として、『免許』『中伝』『初伝』『目録』『切り紙』……雑なうろ覚えだから間違ってるかもだが、確かこんな順番で『修行を収めましたよ』って証明を、お師匠様がくれるわけなんだけど、結局、そこまで長い間、師事出来たワケじゃないから、教えは受けても『切り紙』すら貰ってないんだよ、俺」 あれで『未熟だ』と謙遜する御剣さんに、僕は更に問いかける。「その……『お師匠様』が、道場とか辞めてしまわれたんですか?」「いや、お師匠様の寿命。 六十近いアル中ジジィだったんだけど、死ぬ間際まで最強だったんじゃないかって思わせるほど、スゲェ強い人でね。で、ある日、いつものよーに、束収(月謝)のお酒持って家に訪ねていったら、ポックリ死んでた。 俺の知る限り、最強の剣客にしては、呆気ない最後だったよ」「……凄い人だったんですね」 『死ぬ寸前まで最強だった剣士』という言葉に、僕は素直に感心した。 ……あまり、言いたくは無いのだが。バイオリン……に限らず、クラシックの世界にも、『あそこまで衰えたのなら、後進に道を譲って引退すべきなのに』と、みんなに思われても、意地汚く過去の栄光に縋って居座り続ける、正に『老害』としか言いようのない大御所が、居ないわけではないのだ。「凄いというか、滅茶苦茶な人だったよ、本当に。 アル中で酔ってヤクザやチンピラに喧嘩売るのはアタリマエ。それでボコボコにしては逃げ出しちゃうんだから。 警察に追い回された事だって、一度や二度じゃないしなー……今までよく捕まらなかったモノだよ」「あは、あははははは……」 苦いモノを思い出したような御剣さんの表情と話の内容に、流石に引きつり笑いしか出てこない。 ……少なくとも、僕には想像もつかない、摩訶不思議アドベンチャーな世界だという事がよく分かった以上、彼の師匠に対する評価は、ちょっと考え直すべきかも。 と、同時に。 彼が、どこと無く『兄貴肌』な部分を備えてる理由が、分かった気がした。 ……やっぱり、色々苦労しているイイ人だったんだな。「それより、その……何でこんな時間に、屋上に? 今日、退院なんだろ、お前さんも?」「ええ。それで、ちょっと……目が覚めたので、今まで居た場所を、見て回りたくて」「……ああ、この屋上は、あんたの復活演奏の場所だったからな」 爽やかに笑ってみせる彼の、尊敬の目に……僕は、急に恥じらいを憶えた。 今にして思うと、同年代で、本当に敬意を持てる友人が、少なかったからか。あるいは、彼に傷を告白して甘えたかったからなのか。 ……多分、両方だろう。「えっ、ええ……それもありますが……その……死のうと、思った場所でもありますから」「っ!!」 びっくりした表情で、彼は僕を見る。「みっともない八つ当たりでね。僕、さやかを傷つけちゃったんです。 分かってたんです。この左腕は、もうどうにもならないって……だっていうのに、それを受け止めきれなくて、かっとなって……」「……いや、すまねぇな。立ち入り難い事を、聞いた」「いえ、いいんです。御剣さんなら、信じてますから。むしろ、聞いてもらいたくって。 バイオリンは弾けない、幼馴染は傷つける。そんな情けない自分に、もう何もかもがどうでもよくなって、死のうとして……結局、出来なかったんです。怖くなって」「当たり前だよ。誰だって、死ぬのは怖い。俺も怖い。それは真実だ」 真っ直ぐに、力強く。 御剣さんは、僕の迷いを払うように、笑顔でそう勇気づけてくれた。 だが……「……御剣さんでも、ですか?」「いや、怖いって。 でも……死ぬのも怖いんだが、殺すのも結構、怖いんだぜ」 その後に続いた言葉に、僕は衝撃を受ける。 ……そうだ。彼の剣は、『誰かの命を絶つ』ためのモノだからこそ、あの美しさは成り立っていた。言わば『剣を使った殺人の機能美』と言ってもいい。 ならば、彼は……本当に、殺人者という事になる。 だが、僕にはどうしても。彼に『人殺し』のイメージを重ねて見る事が出来なかった。「っ!! 御剣さんは……その……人を、殺したのですか?」「俺の両親。 姉さんと妹と俺と、家族全員で無理心中をしようとしてね……木刀打ち込んで、階段から蹴り落とした。 そんで、結局色々あって、姉さんも無理が祟って、一年……もうすぐ二年になるかな? 死んじまった。 ……俺が殺したようなモノさ」 淡々と笑顔のまま語る御剣さんの言葉には、それでも、どうしようもない後悔と、自責の念の影が滲んでいた。 ……迂闊だった。 今の今まで、僕は、自分が、とんでもない不幸な身の上だと、思い込んでいた。 だが、僕なんかとは比べ物にならない傷を、御剣さんは負っていたのだ。 それでいて、彼は笑っていた。作り笑いでも何でも、勤めて明るく振る舞おうとして、僕を気遣っていたのだ。「……すいません」 それしか言えず。僕は恥じ入るように、目をそらす。 まず不可能だろうが、もし……もし仮に、僕のバイオリンが他人を死に追いやったとしたら、僕はそれに耐えられるだろうか? ……多分、僕には無理だ。だが、御剣さんは、それを超えてなお剣を握り続け、あそこまで至ったのだ。 ……敵わない。 素直に、僕は、そう思った。「気にしなさんな。もう慣れた話さ……まあ、気安く喋ろうって気になる内容じゃないけど、あんたなら、な。 っていうか……お前さん、生きてて良かったじゃないか。左腕、治ったんだろ?」 迂闊な事を口にしてしまった、と思ったのか。彼は僕の体の事に話題を変えてくれた。「え、ええ。そうなんです。さやかが『奇跡も、魔法も、あるんだよ』って言って……そしたら、本当に、奇跡が起きちゃったんですよ。 また、バイオリンが弾けるって……そう思うと、あの時、死ななくて良かった、って……」「なるほど、ね……。 だからよ、生きててよかったじゃないか。お前さんがもし死んじまったら、奇跡どころか、幼馴染傷つけたまま、謝る事すらも出来なかったんだぜ?」「っ!! それは……そうですね、その通りです」 言葉は単純に。 それでも、力強く、僕を笑顔で励ましてくれる、御剣さん。 ふと……僕の尊敬する先生のバイオリンを思い出す。 簡単な曲、誰でも弾ける曲を、先生は熱心に繰り返していた。その音色は、恐らく、同じバイオリンで弾いたとしても、僕なんかが敵うモノではなかった。 積み上げた鍛錬。それは、単純な曲ほど大きく出る。 技巧で誤魔化す事の出来ない、シンプルな力強さが、彼の言葉にあった。 だからこそ……「あのさ……その……アーティストのお前さんに言うのも何だっつーか。……その、物凄く無礼な質問をさせて貰いたいんだが、いいか?」「? ……ええ、どうぞ」 完全に遠慮した様子で、問いかけて来る御剣さんの質問に、僕は興味を抱いた。「その、何だ……バイオリンってのは、二本の腕が無いと、弾けないモノなのか?」「は?」 御剣さんが、最初、何を言っているのか。 僕は、理解が出来なかった。「いや、随分前に、路上で大道芸人のオッサンが、バイオリン……だと思うんだが、アレってサイズによって呼び方変わるらしいけど……まあ、多分、バイオリンだと思うんだ。 そいつをな、左腕と右足で弾いてたんだ」「右足で!?」 確かに。 体に障害を負って、それでも楽器を嗜む人たちの演奏集団があるとは、聞いた事があった。 ……それを今まで失念するほど、僕自身に余裕が無くなっていたのだろう。「ああ、そのオッサン、右腕が無くてな。 だが、すげぇ器用に足で弾いてて、曲も陽気でみんなノリノリで、お捻り投げてた。……まあ、ああいう場所だからサクラも居たんだろうけど。俺は素直に感心して聞いてて、一緒にお捻り投げた。 ……いや、すまない。大道芸とあんたの芸術を一緒にするのは、ものすごく悪いと思ってるんだが……そのオッサン、ノリノリでお捻り投げる観客を見て、すげぇ嬉しそうだったんだよ。ああ、この人、バイオリンが本当に好きなんだなー、って感じで。上手いとか下手とかじゃなくて、本当にそう思わせる演奏だったんだ。 勿論、それ以外に生計(たっき)の道が無かったってのもあるんだろうけどな…… で、そんなのをふと思い出して……お前さんにとって、バイオリンって、一体、何なのかな、って。 本当に『好きでやってる』のか、それとも『それ以外に道が無いから』やっているのか……いや、無礼なのは分かってるんだが、もし良かったら、本当のトコ、俺に聞かせちゃくれねぇか?」「!!!???」 遠慮しがちな目で、僕に問いかけて来る御剣さん。 だが、その質問の意図と内容は……僕の察した限り、今まで習い続けてきた、どのバイオリンの先生よりもなお、厳しいモノだった。 つまり……上条恭介は『本当にバイオリンが好きで、バイオリンを弾いているのか』。それとも『バイオリン以外に芸の無い、世界の狭い愚か者なのか』? いや、もっと言うならば……御剣さんは、こうとすら問いたかったのかもしれない。 『おまえは、回りにチヤホヤされたいからバイオリンを弾いてるのか?』と。 ……おそらくは、本当の意図は、こんな所だったんじゃないだろうか? あの言いまわしですら。 少なくとも、彼の辿った人生の片鱗を垣間見るに、完全に僕に遠慮しての問いかけだったのだろう。 彼の厳しさに垣間見て触れた僕には、何と無くそれを察する事が出来た。 だからこそ……「……ごめんなさい。考えた事もありませんでした。 ただ、バイオリンと一緒に過ごしてきた時間が、さやかと同じくらい長かったので……あるのが当たり前みたいに思ってたんです。だから、自暴自棄になっちゃって……」 僕は……彼に対して、嘘をついてしまった。 ……恥ずかしい。 バイオリニストとして以前に、男として。 僕は本当に、甘えづくしな自分に、恥ずかしさを憶えていた。「そうか。いや、本気で無礼な質問をした。すまない、許してくれ」 そう言って、御剣さんは僕に頭を下げた。「いっ、いえ! その……こちらこそ、御剣さんに言われるまで、考えてもいなかった事に気付かせてもらいました。 腕が治った今だからこそ、改めて考え直してみます。 そして、もし、答えが出せたら……お答えしたいと思います」 ……むしろ。 僕が彼に、頭を下げたい気分だった。 そうだ。今からでも、遅く無い。 そう在るように……少なくとも、バイオリン以外の部分でも、御剣さんに認めてもらえるように。 男らしく、しっかりと生きてみよう。僕なりに、僕が出来る事なりに。「そうか……いや、本当に、気に障ったんなら、謝るしかない話だからな。 ……ああ、そうだ」 恐縮する僕に気遣ったのか。 さらに御剣さんが、話題を変えてくれた。「昨日の演奏、お前さんへの『お捻り』がマダだった」「えっ、そんな……」「まあ、なんだ。俺の『大道芸』を、ちょっと見てってくれよ」 そう言って、御剣さんは日本刀を抜いた。「よっく、見ててくれ?」 そう言うと、その刃の上に、五百円硬貨を垂直に立ててのける。 ……凄いバランス感覚だ。「わっ……凄い……」 素直に感心した、その瞬間。「破ぁっ!!」「!?」 気合いの声と共に、その……信じがたいモノを、僕は目にする事になる。 最初、刃物が動いた事によって、五百円硬貨が落ちたのだと思った。だが……『なんで二枚、落ちているのだろうか?』。 御剣さんが立てた硬貨は、一枚だけだったはずなのに……まさか……「……!?」「これで……昨日の演奏分、って所かな? 上条さん」 恐ろしい事に。信じがたい事に。 手に握らされた五百円硬貨は、『二枚の薄切りスライス』になっていた。 手品の類では無い事は、僕にだって分かる。つまり……刃物の上に乗ってた硬貨を、彼は『二枚に下ろした』のだ。 僕自身。 目の前で見せられなければ、こんな事は冗談やトリックだろうと笑ってしまう。漫画の中のような出来ごとに、呆然となってしまった。「さて、そろそろ飯時か。 立てるかい、上条さん。良かったら、肩、貸すぜ?」「い、いえ……っていうか、上条さんって……御剣さんの方が、年上じゃないですか」「年齢は関係ねぇよ。お前さんが凄い人だからさ。尊敬すらしてんだぜ?」 尊敬って……僕は、そんな……「っ……その、ありがとう、ございます。御剣、さん」「おう。じゃ、あの不味い病院食と、最後の闘いに行こうじゃないか。『腹が減っては戦は出来ぬ』ってな」「あ、あははは、確かにあれは不味いですよね」 お互いに、ちょっと引きつった笑顔を浮かべながら。僕と御剣さんは、病院の食堂へと向かっていった。