「……あー、朝か……」 あくびを一つして、僕……御剣翔太は布団をはねた。「母さん、おはよう」 庭から、朝ご飯の食材を摘んでいた母さん……御剣マミに、声をかける。「おはよう、翔太。沙紀ちゃん、起こしてきて」「はーい……また寝坊かよ」「そう言わないの。もうすぐ従兄弟ができるんだから」「ま、そうだけど……あの人の場合、二日酔いかツワリなのか、ドッチがドッチなんだか分からないんだよねぇ」 溜息をつく。 僕の家には、父親が居ない。 その代わりに、僕の叔母にあたる人が、どっちかといえば、そんな存在だった。 篠崎沙紀……旧姓、御剣沙紀。 バリバリのキャリアウーマンで一線で働いてる人なのだが……まあ、背丈も胸も小さいくせに、男も裸足で逃げ出す、台風のような豪快な人で。 僕が物心つく頃から『イイ男が居ない、イイ男が居ないー!!』などと合コンだの婚活だのに明け暮れていたのだが……結局、何だかんだと同じ職場に居る、高校時代から腐れ縁の元同級生と、くっつく事になった。 そんで御剣家(うち)を出て行ったはいいのだが。 静かになったなぁ……と思った矢先、今度は『出来ちゃった』と出産のために御剣家に帰ってきちゃったり。 で…… ばんっ!! と扉を開け……カーテンを全開にし……「起きろーっ!!」「どぅえああえええあえええあえああああああっ!!!」 布団を強引に引っぺがし、奇声を上げてのたうつ沙紀叔母さ……もとい、義姉さん(こう言わないとキレるのだ)を叩き起こした。「そいえば、翔太。道場の方は最近どーよ?」 朝ご飯をモソモソと食しながら。 義姉さんの質問に答えて行く。「えーあー……まあ、ボチボチ? 『青鬼』に睨まれない程度には、何とか」「ほー、そりゃ大した進歩だ。千佳ちゃん、あしらえるよーになったんだ?」「あしらうっつーか……あいつ意地になって突っかかって来るから、怖いんだよ」 ご近所にある剣術道場に通っている僕だが……その道場主の娘さん、上条千佳とは、実は犬猿の仲なのだ。 と、いうのも、その剣術道場の道場主である『青鬼』……もとい上条さやかの師匠が、父さんだったりするのである。 で……僕としては特に意識もしてないのだが、千佳の奴がライバル意識剥きだしで、物凄くつっかかって来るのだ。 ……まあ、確かに、入門前に小太刀二刀流で襲いかかって来たのを、その場にある竹竿やら洗剤やらを利用してKOしちゃったのは、色々マズかったのかもしれないけどさ……「翔太……お前、本当に憶えて無ぇのか?」「何がさ?」「いや、いい……」 何か、母さんも義姉さんも困ったような顔で、溜息をついた。「それより、義姉さんのほうは? エースが産休で、会社、大丈夫?」「あー、問題無いよ。 あたしが半年抜けたくらいじゃ、もーあのプロジェクト止まんないし、根回しも済ませてあるし。 ……にしても、鹿目のバーサンもさぁ、オモチャもらったガキじゃあるまいに、はしゃぐにも程があるだろっつーか……もー無理が効く年齢(トシ)じゃねーんだから、ちったぁ落ち着いて欲しいモンなんだけどねぇ。 息子も大学行ったんだし、そろそろ隠居考えて欲しいんだけど……あー、でもあの人が抜けたら代わり居ねぇしなぁ……役員のスダレハゲとか、どっかトんでくれると色々楽になんだけど……むしろっかな、あのハゲ」「……いっそ、義姉さんが、また社長にでもなっちゃえば?」 義姉さんが大学生時代に仲間と立ちあげたベンチャー企業が、在学中に億の売上を叩き出し、そのまま買収……というか、吸収合併に近い形で、今の会社に仲間と全員就職したのは、業界ではちょっとした伝説になっているらしい。「そっか……その手があったか」 ギラリ、と目を輝かせる義姉さん。 ……この人がこーいう目をする時は、ガチでヤバい事考えてる時の目だ……「とりあえず、ヅラとトッツァン坊やを何とかして、問題は企画と総務だよね……あとは経理のゴマシオ……やはりむしるしかないかなぁ……ぶつぶつぶつ」 なんか危険な事を口走る義姉さん。 ……とりあえず……「……関わらんとこ。あ、母さん、洗い物は僕がやるよ」「そう。じゃ、お願いね」「うん。……なんだったら、晩御飯も」「いいのよ、翔太。学校終わったら道場でしょ? 頑張ってらっしゃい」「はーい♪」「よー、翔太」「おー。おはよーッス」 見滝原中学への通学路を歩きながら。 親しい友人たちと会話していく。「そいやさ、見た? 昨日の国会討論……美国議員、マジでイイわ」「……またかよ」 友人の友崎良悟は、つい最近、国会議員になった美人さんに夢中だ。 ……まあ、それをキッカケに、政治家目指そうなんて勉強初めて成績があがり始めたあたり、コイツは大物かもしれない。「いや、言ってる事も分かりやすいし、スジも通ってるし……何より美人さんだし! っつーかさ、お前の叔母さんだって、すげーじゃん。学生時代立ちあげたベンチャーだけで、一生喰って行けるだけ稼いでたんだろ?」「まあ、そうだけど……お前、あの人の『本性』知らないから、そんな事言えるんだよ。 料理出来ないし、家事炊事洗濯しないし、色々だらしないし……金稼いでるから黙認されてるだけで、実際はムチャクチャワガママな台風女だよ、マジで。 ……篠崎の叔父さんも、よくあんなの嫁にしたいと思ったよ」 まあ、草食系の大人しい人だからかもだけど。でなければ、多分付き合いきれないと思う。「そいや、『風の子ハウス』、改築すんだって?」「ああ、最近、大口の寄付があってさ……匿名で。斜太神父も母さんも喜んでたよ」 友人の佐倉智也……彼は、この見滝原の中にある孤児院『風の子ハウス』の出身だ。 実際……彼は、赤ん坊の頃に両親に捨てられて、そこを取り仕切るシスターと、元極道の老神父に拾われたという経緯がある。 名前も『智也』としか残って無かったため、実際の名字も分からないそうだ。「そっか。そーいや、斜太神父……大丈夫? 入院したって噂だけど」「うん。ちょっと、肝臓壊しちゃったみたいだけど、まだなんとか元気」「あー、良かった。シスターにもあの人にも、世話になったからなぁ……」 と……「そいや、台風女で思い出したけどよ、上条とは最近、どーよ?」「うげ……アイツの事は言うな……」 げんなりした顔で答える俺に、周りが冷やかし始める。「まあ、男が女に殴り合いの喧嘩で勝ったからって、自慢にならないでしょ」「そーは言うが、『あの』上条だぞ?」「勘弁してよ……僕はただ、父さんの事を知りたいから、あの道場に通ってるだけなんだぞ」 そう。 なんというか……色々と人物像が掴めないのである。 うちの父さん。 とりあえず、剣術と料理の達人で、『温厚な草食系の人だった』のは間違いないみたいなのだが。 深く探ろう、知ろうとすると、みんな言葉を濁して来るのだ。 ……とりあえずバイクに乗って、母さんと色んなところに旅行に行った写真は、アルバムに残っているのだが……『……あなたが育てないから、あなたそっくりに育っちゃって……』 などと、家の仏壇に手を合わせる母さんを見てしまっては……流石に、ねぇ。 しかも、死因もはっきりしない。 行方不明のまま、失踪、死亡扱いである。どこで、どうやって死んだのか、生きてるのかすらも分からないのだ。 ……とりあえず、顔合わせたら、まず最初に『青鬼』から習った剣術使って、木刀で顔面ぶん殴ってやろうと思っているのは、母さんにも内緒な僕の秘密だ。「はーい、出席ーっ!」 教室に入って来た臼井先生の号令と共に、授業が始まる。 平和な日常、平穏な生活。 それが、どれほど大人たちの、先人たちの努力によって成り立っていたのか。 僕がそれを知るのは、もう少し先の話になる。「ううう、も、もう一本!!」「むぅ……師範、もういい加減にしません?」 道場で、僕が師範……『青鬼』こと上条さやかに救いを求める目を向けた。「だめ。ちゃーんとトドメを刺しなさい」「はぁ……分かりました」 そう溜息をついて、僕はよろよろと小鹿のような足取りで、立ちあがってきた千佳の剣を二本とも払い……「よっ、と」「くけっ!」 首を絞めて、オトす。「これでいいですか?」「……しょうがないわね。はい、今日はおしまい」 そう言って、『青鬼』がバケツを持ってきて、千佳の顔面にざばーっ、と水をぶっかける。「う……母さん」「はい、今日もアンタの負けだよ。……まったく。 『剣に拘る者は、剣に足元を掬われる』って教えているだろうに、どうしてこの子はこれだけ足元掬われても意地を張るのやら」「うっ……うっ……うえええええ、だって、だって、だってぇ……」「いい加減『攻め方』を変えなさい。もう中学二年なんだから……でないと」「やだーっ!!」 溜息をつく。 ……まったく、何なんだか。「で、師範。今日こそ教えてください、父さんの事!」「そうだなぁ……それじゃあ、他所の星から、宇宙人が宇宙船使って、ラブラブだったあなたの父さんと母さんの間に割り込もうとした話を……」「師範、いい加減にしてください!! なんなんですか毎度毎度毎度! ギアナ高地に放り込まれた話は百歩譲って真実だとしても! 暴走する特急電車でテロリスト鎮圧したり、戦艦のキッチンで爆弾作って反乱軍鎮圧したりとか、どこの沈黙シリーズですか!? からかうのも程々にしてください!」「あー、そうは言ってもなぁ……そうだなぁ、ヤクザの事務所にサンタクロースの格好をして、ダイナマイト放り込んでメリークリスマスとか、そのへんだったらまだ現実味が……」「あるわけないでしょうが!! ……ほんとに怒りますよ!?」 これである。 どーもこの人の話しを聞いてると、父さんが超人ヒーローか何かのよーなトンデモ星人になっちゃうのだ。 まあ、実際、色々マルチな才能を持った、凄い人だったみたいではあるんだけど(何しろ『あの』沙紀叔母さんを育てた人だぞ!?)……幾らなんでもヤクザに喧嘩売ったとか、あるわけないだろうし。「うーん……じゃあ、そうだな。君のお母さんともう一人、お父さんを巡って競い合った、ラブストーリーあたりなら、まだ現実味があるかな?」「ラブストーリー、ですか?」「そう。まずは、お父さんが高校時代の話でね……」 それから。 僕は、父さんの初恋物語を聞かされて、色々な意味で口から砂を吐いておなかイッパイになりました。「……で、何で千佳、お前がついて来るんだよ? 勇樹(ゆうき)と大樹(たいき)の面倒はどーなってんだ?」 上条家の双子の弟の事を聞くと、千佳の奴が「母さんがコレ、あたしの手からマミおばさんに届けてくれ、だって。あと、あの二人は父さんにベッタリくっついて回ってる。 『僕たちも将来、バイオリニストになるんだー』って」「そっかー。成功すっといいな」 あの『青鬼』の旦那さん……上条恭介は、海外でも売れっ子のバイオリニストなのだが、今は帰国して日本公演の真っ最中である。 って……「何これ? ……白鞘?」「うん……なんか、『あたし向きじゃないし、勇樹と大樹は剣の道を選ばなかったから』みたい。 元は、あんたの父さんが振るってた剣なんだって」「えっ!?」「まあ……レプリカだけど。皆伝の証に母さんが貰った奴なんだって。……オリジナルはもうこの世に無いみたい」「そ、そうか……なあ、千佳」「ダメ! そうなるのが分かってるから、あたしに預けたんだし。 これは、マミおばさんに返すべきモノなんだから、欲しかったらおばさんに頼むのが筋でしょ!?」「む、むぅうう……」 母さんの事を出されると、僕も弱い。 ……しょうがない、母さんの手に渡った事を確認して、そこからおねだりしよう。 ……と……「あ、そうだ……まだデパートのCD屋、開いてるかな?」「え、あそこ?」「うん、CD予約してんだよ」「CDって……ネットのDLで買えばいいのに……」「DLじゃなくてさ……CDの現物欲しいの。コネクトのリメイク版」「……あー、間にあった!」 蛍の光が流れる店内を走り、レジカウンターに特攻した僕たちは、そこでCDのお金を払う。「DLサイトでPCに落とせばいいのに……」「そりゃ、どーでもいいと思ったらネット動画とかで聞いて終わりだけどさ……『いいな』って思った曲やアーティストのCDって、手元に欲しいじゃん、やっぱ」「まー気持ちは分かるけど……」 CDを手に、歩く僕たち。 だが……「ねぇ……何か、変じゃ無い?」「うん、店が……」 何と無く。 僕も千佳もヤバい予感を感じて、その場から走り出した。「なんつーか、殺気っつーか」「ヤバいよ、ここ……」 だが。 走れども走れども、店の出口が見えて来ない。 ……おかしい。 この店の規模からして、とっくに出口にいなくちゃいけないのに。「……千佳。白鞘貸して」「え、翔太」「早く!」「う、うん!」 そう言って、僕は白鞘から刀を抜く……って、何だ、これは? それは、日本刀と言うには、あまりにも優美さに欠けた……完全な『人斬り包丁』だった。 ……こ、こんなの振りまわしてたって……父さんいったいマジで何者だったんだ!? だが、躊躇ってる暇は無い。 僕はそのへんにあった、手ごろな資材か何かの木材を適当な長さに斬ると、千佳に放った。「ほい、千佳。木刀代わりに使え!」「ン、サンキュ! ……って……何時、真剣の使い方教わったのよ!」「こないだ青鬼に教えて貰った」「……か、母さん……中二の男子に日本刀は危なすぎだって」 得意の小太刀二刀流を使えるようになった千佳と、白鞘を手に、僕たちは再び走り出す。 だが、やはり……「おかしいよ、これ……ほんとうに出口が無くなってる」「冗談……閉じ込められたとか!?」 やがて。 通路のような場所の前後を、僕と千佳は……何やら、変な生き物に挟まれた。 その怨嗟に満ちた表情と声から、どうもタダで通してくれそうに無い雰囲気。「……千佳」「うん。どうも笑って通してくれそうにないね」 二刀流で構える千佳、白鞘から刀を抜いて構える僕。 お互いがお互いの背中を庇いあって、構える。「少しだけでいいから、後ろ、頼む。僕が突破口切り開くから、そこから全力で逃げよう!」「うん……」 と……その時だった。「翔太!」「千佳!」 聞き覚えのある声が……って『母さん!?』『二人とも伏せなさい!!』 反射的に。 ヤバい、と思った僕たちは、武器を放り出して、その場に臥せる。と……「っつぇええええあああああああっ!!」 騎士礼装のような衣装に身をまとった『青鬼』が、巨大な斬艦刀を一閃。「ふっ!」 さらに……母さんのほうは、宙に浮かべた『銃剣のついた無数のマスケット』を、怒涛の雨のように無数に降らせ、突き刺して発砲。 って……「か、母さんたち……」「その、格好……」 呆然とする僕たちを他所に。「ああっ、翔太、翔太、翔太っ!!」「千佳……よかった、間にあって」 二人に抱きしめられ……あまつさえ、泣きだしちゃった母さんを前に、僕と千佳も呆然としていた。「ごめんなさい、翔太、千佳ちゃん……」「いつかは、話さないと行けないって思ってたんだけど……正直、関わらせたく無くて……」 僕の家で。 母さんたちの説明を、キュゥべえと一緒に聞いた僕らは、頭を抱えた。「母さんたちが……魔法使い?」「そう。キュゥべえと契約して『願い』を叶えた人間。 ただし、契約できるのは第二次成長期の女性に『原則』限定されているの。そうやって契約した子を『魔法少女』って呼ぶのよ」「……つまりその、母さんたちは……」「そう、元、魔法少女。 そしてね……『本当の恋をして、それを実らせた時』に、初めて魔法少女は『魔女』へと成長する事が出来るの」「つまり、その……僕らは」「ええ。父さんと母さんの愛の結晶ですもの。『あなたたちが居てくれる事が、私たちが魔女である証明』なのよ」 頭痛がした。 おかしいな……ウチ、普通の家だったハズだよなぁ? 何この『パパは神様、ママは魔女』って……「もっとも、人によっちゃ、イバラの道だけどねー……」 つわりで吐き終わって、トイレから出てきた義姉さんが溜息をついた。「指摘されるまで、気付かなかったもん……あたし、自分がブラコンだったって。 『お兄ちゃんを基準で、世間の男の人を見てたんだー』って……危うく『大魔法少女』のまま、婚期逃しちゃう所だったよ」「え?」「人によってソレゾレなんだけどね……基準として、二十歳を超えて未婚だと『大魔法少女』。 恋をして、結婚をして、初めて『魔女』を名乗れるの。だから杏子さんは『大魔法少女』のままかな……今のところ」「なるほど……って、シスターも!?」 ぎょっとなる僕と千佳。「結構、生き残ってるわよねぇ? 八千代ちゃんと志津ちゃんは死んじゃったけど……ひみかさんもそうだし、ゆまちゃんもそうでしょ?」「げっ……うちの担任も!?」「もしかして、うちの道場の門下生もお世話になってる、見滝原総合病院の……千歳先生!?」 マジデスカ、おい!?「そういえばさ、母さん……今日、魔獣? あれと初めて向かい合った時に、抜いたんだけどさ。 この刀、どういう事なの? これ、完全に人斬り包丁だよ。美術品じゃない、完全な人殺しの道具としての日本刀だよ」「っ……それは……」「ねえ母さん……僕さ、父さんの事、母さんに聞くと、母さんが暗い顔するから黙ってた。 だけどさ! いい加減、ちゃんと教えて欲しいんだ。父さんの事! ううん、それだけじゃない。 うちはおじいちゃんもおばあちゃんも居ないって。母さんの方は、交通事故で死んじゃったって聞いたけど……父さんのほうは、どうしてなの?」 その言葉に、母さんは顔を曇らせる。「……それはね、魔法少女や魔女は『夢や希望を司る存在』ではあっても、決して『万人にとっての夢や希望ではない』のよ」「『誰かの願いは、誰かの呪い』。翔太。お前の父さんは……あたしの兄貴は、まさにその『希望の裏側』……『呪い』の『最大の被害者』だったんだ」「どういう、事……?」 沙紀叔母さんが、溜息をつく。「長い……長い話しになる。そして突拍子もない話だ。それでも、信じられるか?」「う、うん……」 それから。 僕と千佳は、父さんの壮絶な話を聞かされた。 それと同時に、シスターと父さんの因縁も……「神様って……」「実際に気になって、キュゥべえから聞いてみたんだがな。 杏子さん……ああ、シスターみたいな祈りをした子は、人類の歴史上に何人か居たみたいなんだ。 中には……『第一次大戦後の貧窮に喘いでいたドイツ』で『ドイツを掬う夢を見た、ただの絵描き崩れの伍長の話』を『みんなに聞いて欲しい』って願ってしまった。 そんな魔法少女も居たらしい」「……待って。それってまさか……」 ナチス・ドイツ。アドルフ・ヒトラー。 そんな単語が、自然と脳裏をよぎる。「ま、彼女のパパさんが、あそこまで肝の据わった大物じゃなかったのは、ある意味幸いだったかもね。 でなけりゃ、今頃、彼女の父親の独裁政権になって、日本が……いや、世界が滅茶苦茶になってたかもしれないよ。 歴史見れば分かるけど、『理念や情熱だけで、実力の伴わない人間の暴走』というのは、色々な意味で物凄い危険なんだ」 義姉さんの言葉に、気が遠くなる。「つまり……その、なんだ。この世界はいっぺん、鹿目まどかって女神様にひっくり返されて。 それを経て、父さんがもう一回やり直した末に、僕が生まれたと?」「まあ、そうなるわね……そして、父さんはこの魔法少女のシステムが生み出す『歪み』を嘆いていたわ。 夢や希望を持つのは決して間違いではないけれど、だからって他人の人生をオモチャにしていい理由なんて無い。 『……これは人間には、増して思春期の少女には危険すぎるシステムだ』って。 ……だからこそ、不完全でも、代わりのシステムを提供したの。実際、魔獣の数も発生件数も強さも、減少傾向になっていってるし、私たち魔女や魔法少女にかかる、魔獣狩りの負荷も減って行ってる。 夢も、希望も、祈りも。 人間が『インキュベーター(孵化機)』の手を借りず『自分の意思と力だけで自立して、全てを成し遂げる事が求められる』。 そんな時代を……あなたのお父さんは、望んだのよ」 その言葉に。 僕は……「あのさ……キュゥべえ。システムが変わったっていうけど、どう変わったの?」『まず、『時空や因果律に反逆、干渉する祈り』は却下される。鹿目まどかのケースがあるからね。 次に、『不特定多数の因果に影響を及ぼす』と判断されたケースも厳しくなる。佐倉杏子のような祈りは、別の祈りと干渉し合った結果として、御剣颯太を生み出しかねない。 要するに『個人の責任において、処理出来る範囲の願い』に、限られて来ちゃうんだ』 そうか……だとするならば。「じゃあ、もうひとつ聞きたいんだけど……僕には君が見えているよね?」『うん。因果というのは、血縁にも宿るモノだ。だから、君は漠大な因果を、その血に宿している。 つまり、男性であっても僕と契約する事は可能だよ』 と……「翔太っ!! やめて!!」「母さん!」「ダメよ! 絶対だめ!! あなたはこんな世界に、絶対に関わっちゃダメよ!! お願い……翔太。イイ子だから、キュゥべえと契約なんてしないで」「ありがとう、母さん。でも、俺……ずっとずっと『叶えたかった願い』があるんだ」「やめて翔太! 話を聞いてなかったの!? どんな理由があったって、命がけで子供が闘うなんて、母さん許さないわ! それに……それじゃあ私は……何のために……」「父さんに会いたいんだ」『っ!』 その言葉に。 その場に居た全員が、息を飲んだ。「ずっとずっと、物心つく前から、死んだ事になってて……だから、母さんを僕が護らないといけないって。悲しませちゃいけないって。 沙紀義姉さんが出て行ってから、得にそう思ってた。 でも……それも何か違うんじゃないかって……うーん、何て言ったらいいのか、上手く言えないし、分かんないんだけど。 とにかく会いたい。 会って、話をして……喧嘩になっちゃっても怒られてもいい。それって……多分、俺が『本当に父さんの子供だとするなら』『命を賭けてでもやらなきゃ行けない事』だと思うんだ……」「……翔太……」 と……「あー、義姉さん、無駄だ。 この子の目、しっかり『御剣の男の目』だ……むちゃくちゃ頑固者の、己の道を見出した男の目だよ。 今止めたとしても、どっか親の見て無い所で、勝手に突っ走っちゃう目だ」「沙紀ちゃん!」「翔太……もういちど聞く。 この道は比喩抜きでイバラの道だ。『マトモな人生』なんて二度と送れなくなるかもしれない。 死ぬまで魔獣と闘い続ける事を言い訳抜きに宿命づけられた、石ころの人生だ。 兄貴も、義姉さんも……翔太、お前を生んだ人たちは、育てた人たちは、そんな事を絶対に望んじゃいないんだぞ!?」「分かってる。 でも、俺が俺として……『御剣翔太が御剣翔太として生きるには』、多分絶対必要なんだ。 だって……自分を作った人がどんな人だったのか分からないのなんて、気持ち悪いよ。 みんな俺に言うじゃないか、『父さんソックリのイイ子だ』って。俺からすれば、実体も実像も掴めない相手なんだし、その言葉に納得も反発もしようも無いんだ。 こう……『俺が俺として始めるために』、まず父さんに会いたいんだ。もう……理屈じゃないんだよ、これは」 多分。 俺は今、何かを間違えようとしてるのかもしれない。 でも……これは『必要な間違い』だと思う。どんな結果になろうが……後悔なんてしない。してやるもんか!「そうか……なら行って来い、翔太! 義姉さん。こいつも結局、男の子だよ。諦めな。……普段はヤワでイイ子でも、こうなるとホントに頑固なんだって、分かってるだろ?」「っ……一つ、約束して、翔太」「何?」「母さんより先に、死ぬことは……許さないわよ?」「ん、分かったよ」 そう言って。 俺はキュゥべえ……インキュベーターと向き合った。「さあ、叶えてくれ! インキュベーター!!」「みーつーるーぎーさーんー!! いつものバッサリ一刀両断な威勢はどうしたんですかーっ!」「いや、その、よぉ……来るのが『分かってはいても』その……なんつーか……顔を合わせ辛いっつーか」「だらしないわね、御剣颯太」 神々の世界の隅っこでイジケる御剣颯太を、鹿目まどかと暁美ほむらが、呆れ返って見ていた。「もう大分待たせてるんですよ!」「いや、だからな、その……自信が無いっつーか……俺、親失格だしさ」「……分かりました、じゃ、翔太君、ここに呼んできます。ほむらちゃん、押さえといて」「分かったわ、まどか」「うーあー、わかった、わかったよ、会うよ、会うよ!!」 ヤケクソになって立ちあがった、御剣颯太。 その前に……鹿目まどかに連れられた、我が子が現れる。「えっと……父さん?」「あー……翔太か?」 見つめ合い、暫し、沈黙。 そして……二人とも、開口一番。『あのさー、ぶん殴っていい?』 そして……「何神様気取ってやがる、クソオヤジ!!」「うるせぇ! テメェこそ何で親の言う事聞かねぇで勝手にキュゥべえと契約なんてしやがった!」「やかましい! 母さんがどんだけ悲しんでると思ってんだ!」「バカヤロウ、俺だって神様になんてなりたかぁ無かったわい!!」「嘘こけこのクサレヒーロー!! 大体アンタがウチに居たら、契約なんかするワケ無ぇだろ、この放蕩親父ーっ!!」「このバカ息子がーっ!! 俺がどんだけ苦労したと思ってやがるんだーっ!!」 殴り合いの掴みあいの取っ組み合いの、大喧嘩が始まった。「なあ、親父……一個、聞かせてくれ」「あ?」 二人ともボロボロになるまで殴り会った末に。 大の字に横たわりながら、子は父に問う。「母さんの事。どー思ってんだ?」「……愛してるよ。おめーだって大切だよ。だからぶん殴ったんだ」「そーかよ……クソ親父」 それから。 父から子へ。「なあ、翔太。父さんはなぁ……『世界を掬いたい』なんて具体的に思った事、一度も無いんだ」「……は?」「みんな、誤解してんだよ。 父さんはただ、世間に迷惑をかけたくなくて、そして家族が大切だった。 何しろ、世界が吹っ飛んじまったら、家族も世間もクソも無くなっちまうだろ? つまり……『たったそれだけ』だったのさ」「……なんだよそりゃあ? それだけで、あんた、神様になっちまったのかよ?」「そーだよ……悪いか!?」「悪いね」「……だよなぁ。本来、俺みたいな男は、神様向きじゃねぇんだよ」 深々と、溜息をつく御剣颯太。「翔太。正直に言う……すまなかった。本当に、寂しい思い、マミにもお前にもさせたよ」「っ! ……人、ぶん殴っておいてから謝ってんじゃネェよ」「うん。だよなぁ……」 言いワケ出来る道理も無い。 どんなに未来を切り開き、平和を創り出した救世主だとしても。『そこに本人が居なければ、意味が無い』のだ。「……帰る」「も、いいのか?」「うん。知りたい事、大体分かったから。後は、俺個人の問題だし、俺で何とかする」「……そうか。なら翔太、父さんからのアドバイスだ。 『自分で自分を信じるな』。 闘いは常に力学で、勘違いで勝てりゃ苦労は無い。自分の実力と性能を、正確に把握しておけ」「なんだよそりゃあ。夢も希望も無ぇアドバイスだな、オイ!?」「バカヤロウ。道があるか否かなんてのはな、神様だって全部分かんネェんだよ! それを踏まえた上で、『お前はどうしたいか』『何をかましてやりたいか』。『開ける道があれば、必ず道は開ける』……神様だって、どーしょーもない事は、幾らだってあるんだ。 いいか、『自分を信じない事』と『現実に折れて諦める事』とは『似てるようで全く違う!』……その事だけは、憶えておけ。いいな?」「ん、分かった。けどさ……自分が信じられなかったら、何を信じりゃいいのさ?」「そりゃあ、おまえは男だろ? 男だったら、『お前を信じる誰か』くらい、居るはずだろうが! その『お前を信じる、誰かを信じてやれ』……その思いに答えてやるのが、男ってもんだ」「そっか……母さん、ここに来るまでにマジで泣かせちゃったもんな」 その言葉に、父さんは深々と溜息をついた。「お前って奴は……まあ、いいさ。頑張れよ、翔太」「ん、分かった」 と……「翔太君。はい、これ」 鹿目まどかから、御剣翔太へ……手渡されるのは、兗州虎徹。「これ……は?」「パパからの預かり物よ。これで家族を護ってあげてね」「……はい!」「……不安、ですか?」 鹿目まどかに問われて、御剣颯太は溜息をついた。「まあな……『子供に何かを託す』ってのは、正直、不安だよ。 でもさ、一度、『次の世代』に委ねた以上、俺らみたいな旧世代の人間は、それを見護るしか出来ないんだ。 かといって、未練がましく子供に執着したって、ロクなガキに育たねぇ……子育てってのは、一種の博打だよ、ホント」 と……「はい、そんな御剣さんに、お仕事です」「え?」「魔法少年になれるのは、『御剣さんの血を引いた子孫のみ』だって、分かってますよね?」「あ、ああ……って、まさか!?」 翔太が千佳と結婚した後の子孫……この奇跡と魔法のシステムが無用になるまでの期間限定ではあるものの。 その程度だったら、『小さな神様』である俺でも、何とかなる範囲だ。「頑張りなさい、『ザ・ワン(はじまりの一人)』……『家族を護れる正義のヒーロー』のお仕事よ」 暁美ほむらが、薄笑いを浮かべる。「なるほど……しょうがねぇ。『俺の家族が世間に迷惑かけるなんざ、許されるワケ無いし』な」 家族を護るためには『家族をぶん殴る事』すらも視野に入れる。 それが俺の流儀である。 だからこそ……俺は『やらねばならぬ事』のために、立ちあがった。「さーて、父さんは『神様のお仕事』に行って来ますか!」