「やあ、キミ達も使えるみたいだね♠」
地下通路に入って早々に、にこやかに近付いてきたのはヒソカと名乗る道化師だった。こういう奇抜な格好をするハンターは、プロアマ問わず時々見かける。その大半が何かを勘違いした駆け出し連中だが、もしそうでなければ相当の猛者である確率が高い。並み大抵の者が激しい自己主張を試みても、あっという間に潰れるのがオチだからだ。
そして、目の前の男に限って前者であるはずがない。なぜならオーラが、やばすぎる。
ビリビリと禍々しい邪気が肌を焼く。内心で舌舐めずりでもしているのだろう。濁りきった視線が僕とエリスの全身を舐め廻す。男性器が盛大に勃起していた。まずい。欲望に素直な奴の念は手強い。この男を動かすのが食欲か性欲か別の何かかは知らないが、オーラの質と量も鑑みれば、片手間にあしらえる相手じゃなかった。僕は常駐タスクの自動防衛管制を呼び出して、警戒度を3/6「厳重警戒」に引き上げると、隣にいるエリスの肩を軽く抱いた。
「どうも。アルベルト・レジーナです。こいつは妹のエリス。あなたも受験生ですか?」
「ククッ♥、そんなに警戒しなくてもいいじゃないか♣」
「よろしくね、ヒソカさん」
「呼び捨てでいいよ♦」
差し出される手をあえて無視して、エリスの肩をそっと押した。
「エリス、僕はヒソカともう少し話をしたい。その間、せっかくだし、自分一人でこの場の空気を感じておいで。これもハンターの勉強だよ」
「そうね、アルベルト。お言葉に甘えてちょっとその辺回ってくるわ」
「あ、待った」
「え?」
「いいかい? 決して誰かに騙されないように。くれぐれも他人を信用しないように。自分を信用させようと安易に笑う笑顔には、安易な笑顔だけを返せばいい。なんせ、僕らの周りは、すでにライバルだらけなんだからね。いいかい?」
「分かったわ、心配しないで」
くすっと笑って他の受験者たちがいる方向へと向かうエリス。ああ言ったが、彼女は常識もあるし頭も回る。心配は恐らく要らないだろう。しかしこちらは、さて、どうしたもんか。
「仲のいい兄妹じゃないか♠」
「ああ、もちろんさ」
ヒソカの瞳からは、出会った瞬間のぎらついた欲望は影を潜めているように見える。が、だからといって油断できるほど余裕はない。僕の能力は比類なき応用力を誇ると自負してるが、その分、致命的な弱点があった。
「彼女、ボクに気付かなかったみたいだね♣」
「あいつはその部分の経験が足りなくてね。なまじ素質があるだけに、害意のあるオーラにも苦にせず向き合えるから、どう経験を積ませたらいいか困ってる」
「いいのかい? ボクにそんなこと話しちゃって♥」
「すぐにばれるさ。いや、もうばれてたよね」
楽しげに、喉を鳴らして笑うヒソカ。
「彼女もいいけど、君もいいね♦ オーラの流れがたまらなく静かだ。これだけ挑発してもさざ波さえ立たない♥」
「そいうアンタは禍々しいな。僕と戦いたくて仕方がないってオーラをしてるよ。バトルマニアによくあるタイプだ」
「さて、それはどうかな♣」
楽しげに、肩をすくめてはぐらかすヒソカ。しかし、その目は堂々と肯定していた。
そのあとしばらく、取り留めもない会話をして、ヒソカという男の性格は大体把握した。酷く気分屋な戦闘狂。差し当たり、今すぐ戦う事はないだろう。この場ではそれで十分だった。ついでに携帯電話の番号も交換しておいた。実力者なのは確かなので、万が一アクセスする際の手段だけは、常に保っておきたかった。
ところでエリスはどこにいるのだろうか? ヒソカと別れてしばらく会場をさまよった僕が見つけたのは、ピンクの帽子を被った少女と話題を弾ませる妹の姿だった。声をかけて邪魔したくはなかった。同業者の友人が増えるのはいい事だ。ハンターにとって、人とのつながりはそれだけで強力な武器になる。
第一次試験は耐久走だった。サトツ、という試験官の後ろについていくのは、はっきり言って退屈すぎる。エリスも件の少女と一緒にいるわけだし、ここは少し休憩してもいいかもしれない。体内の乳酸操作の優先順位を上げ、自動防衛管制を2/6「通常警戒」に設定し、エリスの様子をオートで監視するスクリプトを即行で仕上げて走らせてから、僕は自分の能力の世界に埋没した。
半径三十メートルほどの球形の空間の中心に浮かぶ椅子に腰掛ける。ここは念空間というわけではない。自分自身をコントロールする僕の能力、【コッペリアの電脳(マリオネットプログラム)】が神経系を操作する事で形成した、いわば高度な自己催眠による白昼夢だった。
脳内管制空間の脳内指令席に座り、視覚情報を脳内球形スクリーンの背景設定に。正面の脳内メインスクリーンには、以前見て記録領域にストックしてある映像作品のリストアップを展開する。ついでに、手元には脳内アイスコーヒーと脳内ポテトを出現させた。カロリーもなければ腹も膨れない、いくらでも調達できて値段もただ、いろんな意味で夢の飲食物だ。まあ、満腹感は満腹感で自由に操作できるけど。
ポテトをつまみながら映画を眺める。手元に浮遊させているウィンドウには、エリス監視スクリプトからの情報が、リアルタイムで入ってくる。現状、問題は特になさそうだ。肉体面では一般人としては鍛えているというレベルでしかない彼女は、莫大な生命エネルギーにまかせて持久走を続けているわけなのだが、しょせん肉体は肉体、念は念。オーラで肉体を補う事は可能だが、弱い肉体ではその真価を発揮するのは不可能だった。端的に言えば、鍛えてない肉体を強化しても、効率が圧倒的に悪いのだ。戦闘型強化系を極めた連中が見せるような人外の領域にある怪力などは、肉体とオーラの両方を研鑽した果ての存在である。だがそれでも、この程度のスタミナ維持なら楽勝らしい。理論では分かりきっていた事だったが、手放しで喜べる結果だった。
そうなると、残る問題はただ一つ。エリスの大胆に開かれた背中や、走る度に揺れる尻肉を、彼女の真後ろで美味しそうに眺める変態だけか。さっきまであの位置は大勢の男たちが無駄に壮絶な争奪戦を繰り広げていたはずなのに、今では奇術師一人が占有していた。
ちらりとメインウィンドウに目をやる。映画はいいところなのだが仕方がない。娯楽と大切な妹とでは比べ物になりようはずもなく、僕は管制空間からの離脱を即決した。
「ヒソカ、ちょっといいか」
「やあ♥ お兄様のお出ましかい♦」
軽口を叩く道化を制して、僕は耳元で囁いた。周りの受験者たちにざわめきが起こる。どうでもいいが、あまり頻繁に接触してると、僕もこの男と同類に思われそうだ。
「エリスに戦闘を仕掛けるな、とは言わない。……いや、大いに言いたいが今はそれとは別の話だ。いいか? 仕掛けるなら大災害に巻き込まれるぐらいの覚悟をしろ。軽い気持ちで味見するのは、やめてくれ」
「そんなに凄いのかい?」
「ああ。忠告はしたぞ」
期待に震えるヒソカを見る。やはり説得力はあったようだ。エリスの纏をじっくり見れば、よほどの初心者じゃない限り分かるはずだ。その奥に、言い知れぬ何かが潜んでいると。
この忠告で手を引いてくれる事を、僕は全く期待してない。思う存分戦えそうな機会まで、じっくりと楽しみにしていてくれればそれでいい。そのとっておきが来る前に、機会を見て僕がヒソカを潰す。できるかできないかじゃない。やる。そう、決めた。
「いい目だ♣ 妹が関わると好戦的になるようだね、キミは♦」
トンネルを抜けると湿原だった。
ヌメーレ湿原、別名を詐欺師の塒というらしい。ランニングはまだまだ続くようだった。試験官の説明を遮って乱入した猿は、サトツ自身の攻撃によりあっという間に正体を現し退散した。そんな明らかな茶番でも、この湿原の特性を一目で分からせる寸劇としては悪くない。だけど。そんなことはどうでもよかった。
ヒスイクイドリの卵には発信器も一緒に仕込まれていて、僕の携帯画面から確認できる。エリスに先にゴールに辿り着いてもらえれば、試験官から逸れても到達できる寸法だ。
機会が来た。こんなに早く。絶好の好機が。
「いいか?」
「もちろん♠」
隣も見ずに確認して、内容も聞かれずに了解された。
エリスにはサトツのすぐ後ろをぴったりと追うよう、既に携帯で言い含めてある。湿原で靴が汚れると愚痴をこぼしていたけれど、それも余裕がある証だろう。
長く思い描いてきたハンター試験だからだろうか。柄にもなく熱くなりすぎてる。自覚はある。それでも。
やがて、受験生達がどかどかと走り去る。並んだまま微動だにしない僕とヒソカを、何人かが怪訝な顔で眺めていく。試験序盤から必要以上に目立ってしまった事になるが、それを気にしている余裕はなかった。
リュックを地面において、ナイフを鞘ごと腰につける。
「ヒソカ、胸を借りるぞ」
二人だけが佇む地下道出口で、僕は分かりきった宣言をする。
釣り上がった唇が応えだった。
【コッペリアの電脳(マリオネットプログラム)】。
この能力は万能だ。およそ、人間が可能な行動なら何でもサポートしてくれる。人間の生命力を原動力にした念という技術は、それ故に人間自身に対して最も効果を発揮する。僕の能力はそれを更に突き詰め、自分自身の念が最も効果を発揮する人間、すなわち自分自身を相手にする事に特化したものだった。自分の体という愛着溢れる道具は、操作する対象としても絶好だった。
加えて、刻まれた神字によるサポートがある。【無色透明な黒色塗料(ファントム・ブラック)】は、体内に効率的に神字を描くために編み出した能力だった。自分のオーラに満たされた場所なら、どこにでも出し入れ自由なこの塗料なら、体の中といえど自在に神字を描く事が可能だった。自分の体は一生付き合いどこにでも持ち運ぶ道具だ。手塩にかけすぎて困る事はない。
しかし、この能力は全能ではなかった。
並行して疾走する。ヒソカの堅はたまらなく優美だ。力強さもさることながら、弾けるほどの躍動感、歓喜に踊る未熟な歪さ。機械的に精密な堅しかできない僕には生涯辿り着けない、あまりにも価値ある無駄の極地。
「どうした、おいでよっ♣」
挑発する奇術師を黙らせるよう、牽制の念弾をばらまいた。当然の如く避けられる。それでいい。その一瞬の隙を狙って、次手を打つ。出し惜しみするつもりはさらさらなかった。
瞬間的にオーラを超圧縮し、人指し指の最先端で極小の硬、念弾としてそのまま放出。狙うは眉間、速さは閃光。だけど、それが当たるかどうかはどうでもいい。待機させていた戦闘用体術タスクを最大レベルで実行。全身がオーラの隷下に入った。単純な肉体強化とは訳が違う。腱、筋繊維、骨格、血管、神経系。その他全てを個別かつ総合的に強化し操作する。
これまでとは違う速さでヒソカの懐へ入り込む。勢いを載せて鳩尾に拳を叩き込み、インパクトの瞬間に硬。即座に解除して全身の強化。浮き上がるヒソカを捕らえて湿原の地面へ頭から投げ落とす。バウンドする頭部。そのちょうど中心を捕らえ、サッカーボールの要領でトゥーキックを想いっきり振り抜いた。腰を中心にゆっくりと回転しながら飛んでいくヒソカの体。それは玩具のように空を舞って、着地後、二度、三度と弾んでから、ようやく止まった。
そして、ぞくりと、戦慄した。
ヒソカは倒れたまま動かない。オーラが増したわけでもない。実のところ何一つ変わってない。マリオネットプログラムもなんら異常を報告しない。ヒソカはなにも変わってない。ただ、理解した。僕は今、自分の中のどうしょうもなく本能的な部分で、生物としての原初の恐怖を味わっているのだと。
その恐怖の名を、未知と呼ぶ。
ゆっくりと、まるで気怠げにゆっくりと、ヒソカの体が起き上がる。
ああ、なんて。
なんてきれいな、微笑みだろう。
僕の能力は二つしかなく、実質的には一つしかない。そして、マリオネットプログラムには本質的で致命的な弱点が存在する。
系統ごとの念能力による戦闘は大きく二つに大別される。己の肉体を強化するのは、強化系やそれに近い系統が得意とする戦い方だ。一方で特質系側の系統は百花繚乱の特殊能力でそれに対抗する。言い方を変えれば正攻法に強いのが強化系側、裏技を得意とするのが特質系側と表せるだろう。
しかし、操作系、すなわち特質系側に所属する僕には裏技がない。必然的に正攻法、苦手な系統の戦法で勝負を挑む事になる。確かに精密さは比類ない。小器用には戦える。しかし小器用なだけだ。端的に言って、僕の念には破壊力が足りない。それが致命的な弱点だった。
この欠点は、特に格上の相手と戦う際に決定力不足として表面化する。推測はしていた。実際戦って、短いやり取りだが嫌というほど確信した。ヒソカは紛れもない格上だった。
しかし、諦めるつもりもさらさらなかった。それでも、この化け物を倒すには決め手がいる。強力な正攻法か、必殺の裏技が。
僕の能力には、どちらもない。
ヒソカの足音が、近付いてくる。
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【コッペリアの電脳(マリオネットプログラム) 操作系】
使用者、アルベルト・レジーナ。
能力者自身を機械に見立てて精密に制御するための能力。
身体内部のオーラを使用するため絶の状態でも稼働する常時発動型。
事前にプログラムを組めば複雑な操作もオートで可能だが、過剰な処理による負荷は脳にダメージを与える危険がある。
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次回 第二話「赤の光翼」