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No.28467の一覧
[0] 【R15】コッペリアの電脳(第三章完結)[えた=なる](2013/04/17 06:42)
[1] 第一章プロローグ「ハンター試験」[えた=なる](2013/02/18 22:24)
[2] 第一話「マリオネットプログラム」[えた=なる](2013/02/18 22:25)
[3] 第二話「赤の光翼」[えた=なる](2013/02/18 22:25)
[4] 第三話「レオリオの野望」[えた=なる](2012/08/25 02:00)
[5] 第四話「外道!恩を仇で返す卑劣な仕打ち!ヒソカ来襲!」[えた=なる](2013/01/03 16:15)
[6] 第五話「裏切られるもの」[えた=なる](2013/02/18 22:26)
[7] 第六話「ヒソカ再び」[えた=なる](2013/02/18 22:26)
[8] 第七話「不合格の重さ」[えた=なる](2012/08/25 01:58)
[9] 第一章エピローグ「宴の後」[えた=なる](2012/10/17 19:22)
[10] 第二章プロローグ「ポルカドット・スライム」[えた=なる](2013/03/20 00:10)
[11] 第八話「ウルトラデラックスライフ」[えた=なる](2011/10/21 22:59)
[12] 第九話「迫り来る雨期」[えた=なる](2013/03/20 00:10)
[13] 第十話「逆十字の男」[えた=なる](2013/03/20 00:11)
[14] 第十一話「こめかみに、懐かしい銃弾」[えた=なる](2012/01/07 16:00)
[15] 第十二話「ハイパーカバディータイム」[えた=なる](2011/12/07 05:03)
[16] 第十三話「真紅の狼少年」[えた=なる](2013/03/20 00:11)
[17] 第十四話「コッペリアの電脳」[えた=なる](2011/11/28 22:02)
[18] 第十五話「忘れられなくなるように」[えた=なる](2013/03/20 00:12)
[19] 第十六話「Phantom Brigade」[えた=なる](2013/03/20 00:12)
[20] 第十七話「ブレット・オブ・ザミエル」[えた=なる](2013/03/20 00:13)
[22] 第十八話「雨の日のスイシーダ」[えた=なる](2012/10/09 00:36)
[23] 第十九話「雨を染める血」[えた=なる](2013/03/20 00:14)
[24] 第二十話「無駄ではなかった」[えた=なる](2012/10/07 23:17)
[25] 第二十一話「初恋×初恋」[えた=なる](2013/03/20 00:14)
[26] 第二十二話「ラストバトル・ハイ」[えた=なる](2012/10/07 23:18)
[27] 第二章エピローグ「恵みの雨に濡れながら」[えた=なる](2012/03/21 07:31)
[28] 幕間の壱「それぞれの八月」[えた=なる](2013/03/20 00:14)
[29] 第三章プロローグ「闇の中のヨークシン」[えた=なる](2012/10/07 23:18)
[30] 第二十三話「アルベルト・レジーナを殺した男」[えた=なる](2012/07/16 16:35)
[31] 第二十四話「覚めない悪夢」[えた=なる](2012/10/07 23:19)
[32] 第二十五話「ゴンの友人」[えた=なる](2012/10/17 19:22)
[33] 第二十六話「蜘蛛という名の墓標」[えた=なる](2012/10/07 23:21)
[34] 第二十七話「スカイドライブ 忍ばざる者」[えた=なる](2013/01/07 19:12)
[35] 第二十八話「まだ、心の臓が潰えただけ」[えた=なる](2012/10/17 19:23)
[36] 第二十九話「伏して牙を研ぐ狼たち」[えた=なる](2012/12/13 20:10)
[37] 第三十話「彼と彼女の未来の分岐」[えた=なる](2012/11/26 23:43)
[38] 第三十一話「相思狂愛」[えた=なる](2012/12/13 20:11)
[39] 第三十二話「鏡写しの摩天楼」[えた=なる](2012/12/21 23:02)
[40] 第三十三話「終わってしまった舞台の中で」[えた=なる](2012/12/22 23:28)
[41] 第三十四話「世界で彼だけが言える台詞」[えた=なる](2013/01/07 19:12)
[42] 第三十五話「左手にぬくもり」[えた=なる](2012/12/29 06:31)
[43] 第三十六話「九月四日の始まりと始まりの終わり」[えた=なる](2012/12/29 06:34)
[44] 第三十七話「水没する記憶」[えた=なる](2013/01/04 20:38)
[45] 第三十八話「大丈夫だよ、と彼は言った」[えた=なる](2013/03/20 00:15)
[46] 第三十九話「仲間がいれば死もまた楽し」[えた=なる](2013/03/20 00:15)
[47] 第四十話「奇術師、戦いに散る」[えた=なる](2013/04/12 01:33)
[48] 第四十一話「ヒューマニズムプログラム」[えた=なる](2013/04/17 06:41)
[49] 第三章エピローグ「狩人の心得」[えた=なる](2013/04/18 22:25)
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[28467] 第三十八話「大丈夫だよ、と彼は言った」
Name: えた=なる◆9ae768d3 ID:8650fcb0 前を表示する / 次を表示する
Date: 2013/03/20 00:15
 ビリーは前へ踊り出た。水塊の群れに乗って岸壁を駆ける。在りし日の少女の姿をとったスライムたちが、彼女の周りを疾走している。五体の透明なヒトガタは、無数の水塊が寄り集まって形成された、超圧縮された雨水であった。

「いた!」

 眼下に土煙を発見した。硬質の長髪を後ろに流した、毛皮を羽織った筋肉質の巨人。端整な顔を怒りで染め、障害物を砕きながら接近している。今、彼と少女は目が会った。大男は即座に跳躍した。

 大砲の弾のように飛来する巨体。スライムがビリーを抱えて岩肌を蹴った。彼女の顔に雨粒が当たる。寄り添う少女たちが野生的な咆哮をした。上昇と落下の軌跡が交わる。赤銅色の瞳が憎悪に燃え、男の全身を覆うオーラが爆発的に膨れ上がる。

 衝突の瞬間、空中に一輪の花火が生まれた。

 ビリーは水塊に包まれて地面に弾む。それらは着地の衝撃から主の体を守った後、すぐに別れて少女型へ戻った。次いで、巨人が轟音を立てて大地に激しく降り立った。彼の上半身は裸だった。毛皮は吹き飛び、シャツは破け、岩山のような筋肉を冷たい外気に晒している。そして、胸元からは一筋の赤。薄皮一枚でしかなかったが、ビリーは無傷で、相手は軽傷を負っていた。

 戦える。張り裂けそうな心臓を押さえ、彼女は確かな手ごたえを感じた。小さな両手を握り締める。手の平に汗が滲んでいた。

 野獣が号砲の如き怒声を上げた。言葉は既に意味をなさず、音量だけで人を殺せる雄叫びであった。雨粒が空中で次々と爆ぜ、乾いた空間がまさに音速で膨張した。だが、少女の防御の方が早かった。体を打つ雨からスライムが二つ、高速で誕生して耳をふさぐ。音が到達するより前に、彼らは自動的にビリーを衝撃波から守りきった。

「……強くなったじゃねぇか、お前」

 じっと、胸板を右手で抑えながら、熱く醒めた眼光で野人は言った。そして彼は名を名乗った。ウボォーギンと自称した大男は、少女の名前も尋ねてきた。少女は万感の想いで震えながら、ビリーという名を舌で刻んだ。それは二人分の名前だった。

「銘記なさい。あなたより強かった男の名よ」

 言って、ビリーは水の少女たちに無言で命じた。五体のヒトガタが口を開ける。歌うように広げられた喉の奥、透明な肉体を形成する一部分に、ほんのわずかなほころびができた。ウボォーギンが刮目する。超高密度の水塊がほどけ、極細の光線のように噴出する。空中で衝突した際と同じ攻撃。連装五門の水圧砲。超速の水流が音を切り裂き、空気がパイプオルガンのように鳴動した。ウボォーギンが強く踏み込み地面を揺るがし、両腕を視認不能な速度で激しく振るった。爆発が五連、響き渡った。

 爆散した水蒸気が雨に冷えて、視界を遮る霧となった。数秒後、乳白色の靄が晴れたとき、ビリーとウボォーギンは目を合わせた。大男に傷は一つもない。口の端から蒸気のような吐息を洩らして、彼は体を震わせていた。至極、嬉しげに。

 体を大の字に伸ばして彼は吼えた。大量のオーラが生成され、これまでとは桁の違う迫力が少女の脳幹を捻じ切らんばかりに圧迫する。これが本当の全開だろう。存在感だけで世界が歪み、地形が軋んで微震が生じる。ビリーは下腹に意識を込めた。半歩下がれば刹那で死ぬ。

 ウボォーギンがいた場所の地面が破裂して、彼の気配が完全に消えた。隠、と少女は瞬時に悟った。体得は終ぞできなかったが、あの男から存在だけは聞いていた。彼女の隣にいたスライムの少女の一体が、本能を頼りに、右手の爪を振り下ろした。絶好のタイミングで敵を捉えた。至近距離、五指の先から水流が走る。装甲車さえ容易く切り裂くであろう攻撃を、巨人は堅だけで耐え切った。それでも、傍にはあと四体が控えている。

 透明の少女たちが乱舞する。長い髪をしなやかに揺らし、ワンピースの裾をひるがえし、構成する水を解き放ちながら、主人の敵を屠るために。

 懐に一体が潜り込み、細い腕が巨体を殴った。ありえざる重い衝撃が発生し、ウボォーギンの勢いが止まった。その隙を逃す道理はない。残り四体が両手を掲げ、擬似的に再現された意志に任せて、十指の水流を全身全霊の渾身で振るう。合計四十の大斬撃。ウボォーギンは両腕を壁に全力でガードし、絶大なオーラで亀のように防御に専心した。背後の岩山が切断された。

 ところが、敵は辛うじて耐え切ったようである。皮膚にはいくつも切り傷が合ったが、筋肉に達した形跡は一つもない。しかし、攻撃が止んで前を見たとき、彼は驚愕のあまり硬直した。ビリーは会心の笑みを思わず浮かべた。

 一体、顎が外れそうなほど大口を開け、四つん這いで四肢を地面に深く刺して、体を固定した個体がいる。ウボォーギンを殴った水塊である。彼女の後ろにはビリーがいた。主人から直接新しいスライムを供給され、髪が、服が、圧力を込めて鋭角に尖った。そして彼女は、構成する全てを砲撃に変え、万全の体勢で滅びの歌を絶叫した。

 スライムたちの膜がビリーを包む。生身では、発射の余波すら耐えきれないが故にである。

 雨色の濁流が空中を貫き、地平線の先、星を飲み込もうと疾駆する。衝突の刹那、今度は、ビリーが目を見開く番だった。

 ウボォーギンが右手を振りかぶった。ただの、硬。だが、信じられない量のオーラが秘められている。恐らくは、あれが眼前の男の発であろう。右ストレートの最終進化。殴るという行為の終着点。どこにでもある単純なパンチ。両者の全力が接触し、宇宙が生まれた瞬間のように、全ては光で満たされた。威力は完全に互角だった。大地震のように大地がうねり、水流が瀑布のように張り裂けた。

 その時、大男は横から吹き飛ばされた。

 何か透明な物体が砕け、宙を舞う生命力のきらめきに回帰した。それは巨大な水の矢であった。渾身の力が込められた、死者の無念から生まれた一矢であった。爆風の名残りが渦巻く中を、巨体が冗談のように飛んでいく。そして、岩山の断崖に激突した。遠い遠い岩の陰、ビリーの視界に映ったポックルは、力なく泥へ倒れこんだ。彼は狙い続けていたのである。自然に溶け込み、この瞬間、あるとも知れぬ絶対的な隙が訪れるまで。

 ビリーはウボォーギンの消えた方向を見る。致命傷は与えてないかもしれない。だが、ダメージは少なくないはずだった。戦える、と少女は己の胸を抑えて確信した。肉体そのものは脆弱だったが、ここまで補って戦えている。他者の観察に長けた彼女の才は、ここにきて完全に開花していた。残るヒトガタはあと四体。砲撃した個体は既にない。彼女が存在していた場所にあるのは、元の大きさに回帰した、いくつかのスライムだけであった。それでも、例えこのままのペースで戦闘が続くと想定しても、あの男を倒して余力が残る。

 そう、考えていた。

 降りしきる雨の向こう側、少し離れた程度の場所に、ウボォーギンが立っていた。いつ走ってきたのかも分からない。全身に強い打撃を受けて、体中に傷が散見される。目が血走って息が荒い。なにより、纏うオーラの量が明らかに少ない。消耗している証だった。それだけならよかった。少女は、恐ろしくなって息を洩らした。生物としての直感が彼女の脳裏で警鐘を鳴らす。あれは手負いの獣だと。決して関わってはいけない怪物だと。彼の眼光が瞬いた。やばい、とビリーは思わず身構えた。

 それも、無意味だった。

 ウボォーギンが地面を蹴った。水塊の少女たちが主を守ろうと警戒する。が、男の目的はビリーではなかった。瞬時に、もぐりこむように巨体が滑り、彼女を囲むヒトガタのスライムの一体を、後ろから強烈に殴り潰した。高い身長を利用した重く鋭い一撃は、水塊の核を破壊した。

 反射的にビリーは離脱を命じる。一体が彼女を抱いて後方へ跳び、残る二体が左右から挟みこむように攻撃した。水流の爪が肉薄し、鋼鉄の肉体を切り裂こうとした。先刻までであれば、ウボォーギンは強引に切り抜けただろう。しかし、彼はためらうことなく回避した。プログラムされた本能しか持たないヒトガタたちを、フェイントを織り交ぜ、虚実をもって翻弄する。

 同格以上、否、格上と見なしたが故の積極的な戦術行使。楽しむための喧嘩ではなく、倒すべき敵との戦い方。急いて本体であるビリー自身を狙うでなく、確実に堅実に処理していく。数分もせずに一体が砕かれ、残る一体は数秒で消された。その光景を、少女は我を忘れて眺めていた。

 ウボォーギンが近づいてくる。最後の一体、彼女を守護していた透明な少女が、一歩前に出て背中で庇った。残り少ないスライムたちが、それに集っては融合していく。巨人が呼吸を整えて、練を経て莫大な生命力を噴出させた。右手に途方もない規模のオーラが集中し、硬を経て更なる次元へ到達する。時間をかけて用意した二度目の発は、先の一撃をも上回って余りあった。気がつけば指が震えていた。ビリーは奥歯を食いしばり、指先を握りつぶすように両手を握った。憎悪を心の炉心にくべる。もう、あとに引き返すことはできなかった。

「私には、好きな人が、いた!」

 全ての思い出を糧に彼女は叫んだ。瞬間、少女が纏うオーラが波打ち、滝のように記憶がこぼれていく。竜巻の如く雨水が一点に凝集し、残り一体の水の少女が、別の何かへ変化していく。

 それは、世界一残酷な走馬灯。彼の仕草、匂い、背格好。初めての出会いから終わりの時まで、全てが尽く消えていく。スライムが脱皮するように蠢いた。透明な、雨の色の誰かの背中が現れる。気だるげに立ち上がるように現れた男性の体躯。水製の拳銃を右手にたずさえ、紙巻煙草を咥えていた。その背中が誰だか分からない。

 小さな褐色の手を少女は伸ばす。振り向いて苦笑する男の名前は、もう、永遠に思い出すことはできないけれど。

 それでも、手を伸ばさずにはいられなかった。

 ウボォーギンの拳が振りぬかれる。男が楽しそうに笑って拳銃を構え、端整な、絵画になりそうなシルエットで、水の引き金に指をかけた。



「中止が決定されたそうだ」

 運転席に座るレオリオに、携帯を片手にクラピカは言った。往復するワイパー越しに見る通りには、沢山のヘッドライトが動いている。ターセトル駅前のターミナルは、雨だというのに、多くの人出で賑わっていた。

「地下競売がか?」
「ああ。残りの競売品も引き上げられ、後日電脳ページ上でオークションにかけられることになるそうだ。事実上マフィアの敗北だな」

 それほど旅団のもたらした被害は凄まじかったと、二人きりの車内でクラピカは語る。実感の篭った彼の言葉に、隣のレオリオも相槌を打った。生身で高層ビルさえ砕いた所業は、彼らの記憶に新しかった。

「じゃあ、いよいよか」
「ああ、蜘蛛が動き出すとすればこれからだ。奴らが口先だけでなく、本当に全てを奪うつもりならな」

 クラピカの言葉に頷いて、レオリオは運転する乗用車を発進させた。センリツ達と合流するため、予定の地点に向けてハンドルを切る。残る競売品を狙うなら、今夜中に旅団は動くだろう。なにしろ彼らは蜘蛛なのだ。丸ごとかっさらうと豪語しておいて、中止になったという理由だけで、すごすご引き下がるとは思えなかった。

 コミュニティー上層部の動きが慌ただしい。慎重に隠蔽された数々の宝を、彼らは一刻も早く全世界の安全地帯に分散しようと急いでいた。それらは夜を徹して密かに搬出され、明朝にはヨークシンから回収される手筈であった。無論、極秘中の極秘の情報だったが、旅団が推察してない筈がなかった。

 ただし、昨日までと今夜では条件が違う。大々的な催し物への襲撃ではなく、秘密裏の輸送を捕捉しての強奪行為。当然、マフィア側も偽装もすれば陽動も行なう。そもそも競売品の大部分が、抱えて持ち運べる程度の大きさなのだ。旅行カバンに入れてしまえば、観光客を装って運び出せる。旅団がそれに対処するには、団員を分散させて動かすしかない。戦力の過剰な分散は、古今東西共通の愚だ。付け入る隙は必ずできる。

 ただ一つ、クラピカには密かな葛藤があった。市内各所で戦闘が起これば、一般市民に犠牲者がでるのは避けられない。復讐は絶対に成し遂げたい。が、本当にこのままでいいのだろうかと、彼は内心で焦りを強くしていた。旅団が分散する前に補足したとき、クラピカは、そのまま見過ごすことができるのだろうか。

 誰かが死ぬのはもう嫌だった。蜘蛛の殺戮など見たくもない。仲間が巻き込まれると考えれば怖気がした。だが、同胞の恨みは晴したいのだ。つまるところは道は二つ。彼は右手に鎖を具現化し、それをきつく握りしめた。

 レオリオは、何も言わずに見つめていた。



 一人ぼっちの宿の部屋で、エリスは膝を抱えていた。電灯は灯されていなかった。窓ガラスから光がこぼれている。雨で滲んだ街の明かりが、サーカスのように動いていた。寝台の上で、彼女はじっと固まっていた。

 絶を施した体が冷たい。目覚めた時には一人だった。アルベルトの姿はどこにもなく、友人たちの気配もなかった。絶望で張り裂けそうな彼女の心を救ったのは、ベッドの脇にあった一枚のメモ。水差しに添えるように置かれていたそれには、懐かしすぎる筆跡があった。記されていたのはたった一言。ただいま、とだけ。

 恐らく、彼女の体は夜明けまでもたない。体内のオーラが多すぎて、制御する精神力を消耗しすぎて、ほんの些細な動作だけで、耐え切れなくなってしまいそうだった。だが、アルベルトが帰ってきてくれたと知れたなら、心が寄り添っていると思えたなら、それだけで一人でも怖くなかった。枕元にあった卵の化石を彼女は抱く。ひんやりした感触が愛しくて、頬を一筋の涙が伝った。能力が抑えきれなくなったなら、何よりも先に、赤い光で自分の頭部を撃とうと決めた。心残りは一つだけ。負担ばかりをかけたくせに、手助けになれないことが悔しかった。

 夜の街を雨が濡らす。日付が変わるまで数時間あった。予報では、夜明けには雨は止むという。



 アルベルトは手の平を見つめていた。そこには、割れた翡翠の珠がひとつ置かれていた。ネックレスの部分は焼失している。念を込めた手で潰されたのだろう。あれほど染み付いていた彼女のオーラも、既にほとんど消えかけていた。

「どうだい? そっちの準備は♣」

 背中越しに聞こえた奇術師の声に、残骸を見ながらアルベルトは応えた。

「ついさっき、向こうからも連絡があった。できるだけのことは完了したよ。あとは微力を尽くすだけだ」

 手の中の翡翠を軽く握った。物質として劣化していた鉱物は、それだけで粉と砕け散った。アルベルトは青い粉末をしばらく眺めて、風に乗せて別れを告げた。そして、後ろのヒソカに振り返った。

「僕一人で彼らを抑えるのは限界がある。楽しむなとは言わないけど、早めに決着をつけないと邪魔が入るよ」
「努力するよ♠ できるだけね♦」

 くつくつと笑って彼は言った。いよいよ待ち受ける決闘に、全身を昂揚感に震わせている。オーラが楽しげに揺らいでいた。

「だけど、キミの戦いも楽しそうだ♥ 見物できないのが残念だよ♠」

 目を細めてヒソカが続けるが、アルベルトはそっけなくも否定した。そばにあった地図に視線をやって、書き込まれた情報をもう一度頭の中で整理した。

「君が楽しめそうな戦いにはしないよ。いや、できないといったほうが正確かな。今の僕は、念能力者としては三流以下も甚だしいから」

 銃火器と手榴弾をチェックしながら、アルベルトはヒソカと最後の段取りを打ち合わせた。それは簡単に終わったが、実現するのは至難であった。無謀な挑戦と呼べるだろう。しかし、成功しなければ勝利はない。

 全ては、単身で旅団をどれほど足止めできるかにかかっている。



 街角にゴンは立っていた。レインコートを上から羽織り、完全防水の大きな携帯電話を耳元に当てて人通りの流れを観察している。異常なし、という定期コールを、もう何十回も繰り返していた。

「ねえ、キルア」
「ん?」

 ぼんやりとした声で少年が言い、電話の向こうから似たような声色が返ってきた。場所を変え、方法を変え、一日中続けた張り込みは、全くの無駄となりそうだった。

「オレたち、何でこんなことしてるんだろう」
「仕方ないだろ、旅団がどこにいるかも知らねぇんだから」

 道行く人々を注視しながら、カブトムシ型の携帯で彼らは話す。考えてみれば間抜けた話である。二人の戦闘力は卓越していたし、それぞれ探索能力も高かったが、ヨークシンはそれ以上に広かった。手掛かりもなくたった数人を探すには、もう一段上の方法が必要であったのだ。ゴンが鳥言語に耳を傾けても、もとより彼らは、個々の人間に興味などない。

「ハンゾーにあいつらのアジトの場所聞いておけばよかったね」
「バカ、それじゃ抜け出すことバレバレじゃねーか」
「だからさりげなくさ。今思えば、レオリオも詳しい話聞いてたみたいだったし。……これから電話しても大丈夫かなぁ」
「オレ達がいないのはとっくにバレてるだろーけどな。あ、でもヒソカなら案外教えてくれるかもしれないか。よしゴン、電話だ」
「え、オレが? っていうかヒソカは無理でしょ」
「まーな。冗談冗談」

 たわいない雑談に興じている時、ふと、ゴンは予感に促されて視線を上げた。空にささいな違和感がある。それがオーラの光点だと知ったとき、彼は無意識に駆け出していた。

「キルア! リパ駅方面!」
「何かあったか! すぐ行く! 気をつけろよ!」

 視力で稼いだ時間を元に、全速力で彼は走った。オーラを足に集中する。雨の中、傘を差す通行人たちが邪魔だった。彼は車道に踊り出て、街中を自動車に並ぶ速度で疾走した。クラクションが鳴らされ、目撃者たちがざわめいたが、気にしている場合ではなかったのだ。

 物体が、猛烈な速度で落下してくる。憶えのある気配を感じていた。落下地点は、駅前の広い道路だった。何台か車が走行している。

「止まって!」

 駆けながらオーラを猛らせて、強化した体で怒声を放つ。フロントガラスがビリビリと震え、運転手たちが急ブレーキを踏んだ。いくつかの車両がスピンするが、幸いにして衝突はない。結果として開いたスペースに、その存在は落ちてきた。巨大な、透明な水の塊である。

 人ひとり入りそうな水滴は、路面に当たってバウンドした。轟音が鳴り、アスファルトが蜘蛛の巣状にヒビ割れる。それでも勢いは残っていた。歩行者の老婦人が潰されそうな寸前、それを、ゴンは全身を滑り込ませて受け止めた。恐ろしく重い衝撃だった。ただの水の球体が、残留していた威力だけで、鉄球のようにも感じられた。

 だが、なによりショックだったのは中身である。不可思議な水の玉の内部には、見知った褐色の少女がいた。胸は窪み、背骨はひしゃげ、顔は無残に潰れていたが、それは確かに彼女だった。

「ゴン!」
「キルア! こっちだ!」

 キルアが近くに駆けてきた。瞬間的な判断で、ゴンは水塊ごとビリーを抱え上げる。キルアも反対側に回り込み、二人はその場を脱して手近な小道へと走り去った。



 少女は、おぼろげな意識のまま目を覚ました。脳に霞みがかかっていた。全身を鈍い激痛が苛んでいた。ぼんやりと辺りを眺めてみる。場所はおそらく路地裏で、どこかの建物の狭い軒下、雨を防げるだけのスペースだった。

 ゴンとキルアが、覗き込むように見つめている。背中には何枚かの服が敷かれていて、濡れたアスファルトから遮られていた。体には、力尽きたスライムの名残りの欠片が、わずかに粘性を残してこびりついていた。

 少年たちが呼んでいる。身に憶えのない名前を呼んでいる。自分に呼びかけているのだとは理解できた。それでも、少女にとっては意味のない名で、どうして彼女をそう呼んでいるのか、心当たりが全くなかった。ただ、死ぬということだけは分かっていた。

 唇を微動させるだけで、体中が引き千切れるように痛かった。オーラなど微塵も残っていない。水塊が崩壊したためだろう。かすかな動きで血肉が飛び散り、瞬時に絶命しそうな苦痛が走った。二人は、ここを彼女の死に場所に選んだのでなく、これ以上運ぶことができなかったのだ。

「ゴン、キルア」

 捻じ曲がった体で彼女は呼んだ。音はろくに出なかった。呼吸するたびに胸が熱い。ずたずたになった肉体は、もはや、どんな機能も満足にできない。血液が路面に染みていく。

 ゴンとキルアが傍にいる。彼らは手を握ろうとしたのだが、腕の骨が耐え切れずに折れた。彼女は少し苦笑して、気にしなくていいわと唇で言った。いてくれるだけで、友情を感じられるだけで嬉しかった。

 何があったのかと二人に問われて、彼女は永久に眠りたがる頭をなんとか回し、途切れ途切れに数語ずつ語った。街の外れの荒野の中に、盗賊たちのアジトがあると。大まかな方角と距離だけを教えて、早く逃げなさいという警告を込めた。万が一にも、友人が巻き込まれてほしくはなかったのだ。ゴンとキルアが頷いたのは、退避するという意味だと思っていた。

 このまま少女は死ぬのだろう。どこかに運ばれるはずの亡骸は、野次馬の目にもとまるのだろうか。検死で解剖されるのだろうか。彼女にはそれが耐え切れなかった。

 もう、この世の誰にも触られたくなかった。裸を見せなくないと切に願った。乱暴されるのは嫌だった。他人に犯されるのは沢山だった。どうせ男の人たちは、少女の体を殴って笑い、複数人でなぶって楽しみ、使うべきでない場所を酷使して、挙げ句に傅かせて喜ぶのだ。それが彼女の毎日だった。抱かれたいと望んだ愛しい人は、一人もいない、ように思った。思ったはずなのに涙がこぼれた。

 少女の人生は辛すぎて、楽しいことなんてほとんどなくて、この世界に、縁を残すのが怖かった。

 だから少女は、助けてと、末期の声で二人に頼んだ。見取ってくれた友人たちに、たった一つのわがままを言った。この体を、どうか、跡形もなく消してくださいと。

 キルアが何かを彼女に叫んだ。ところが、ゴンが無言で立ち上がり、キルアを片手で下がらせた。

「おい、ゴンっ!」
「いいんだ、キルア」

 ゴンのオーラが、生命力が燃え上がる。細胞から湧き上がった命の力が、少年の意志を乗せて輝いていた。彼はその全てを右の拳に集中して、続いて、残る全身を絶にした。

 深い怒りが込められた、完璧な、惚れ惚れするほどの硬だった。

 少女は安心して微笑んだ。ありがとうと、柔らかく笑った。ゴンはただ、真っ黒い瞳で見つめていた。すごした時間は短かったが、思い出深い友情だった。

 最後に、残された時間で彼女は夢見る。もしも、あの世があるというのなら、大切な誰かに、会いたかった。預かっていた宝物を返したかった。必ず返すと約束したのに、結局なくしてしまったけれど。だけど、ごめんなさいと、謝りたかった。

 名前を持たない一人の少女は、自分の血に溺れて咳き込んで、それを最後に事切れた。名前を知らない誰かに焦がれて、幻すらも見えないままに。

 奇しくも、雨の降る灰色の街中であった。



 アスファルトで覆われていた路面には、深いクレーターが開いている。少女の体はどこにもない。血の一滴、肉の一片すらも残さずに、塵となって消失した。白煙が秋雨に溶けていった。

「……なあ、ゴン」
「大丈夫」

 暗い穴を見つめて彼は言った。

「大丈夫だよ」

 彼は言った。

「行こうか、キルア」



次回 第三十九話「仲間がいれば死もまた楽し」


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